古本虫がさまよう 論壇の孤高のチャレンジャーといえば、昔・江藤淳、今・西尾幹二か?
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論壇の孤高のチャレンジャーといえば、昔・江藤淳、今・西尾幹二か?
(2015・6・12・金曜日)





文藝春秋の元常務だった斎藤禎氏の『江藤淳の言い分』 (書籍工房早山)を読んだ。
著者は文芸編集者ではないとのことだが、オピニオン雑誌(諸君!)などにいて江藤淳さんと懇意の仲であったとのこと。編集者として初めて出会ったのは昭和46年の夏だったという(僕は中学生になったばかり?)。その体験を含めて、「江藤淳(さん)の言い分」を綴ったもの。

本書の圧巻は、江藤氏が、知られざる「戦後の占領軍による検閲」「閉ざされた言語空間」「無条件降伏論(の欺瞞)」を打破しようと闘った知的闘争の舞台裏が綴られているところといっていいだろう。
CCD(民間検閲部)などの国内郵便などの検閲やCIE(民間情報教育局)などについても。「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」についても、江藤氏は一次史料にあたり警世の論文・書を書いた。
保守・中道派言論人(福田恆存・猪木正道…)からも冷やかな目に見られ、進歩的文化人からは反論ないし黙殺され……。

斎藤氏は、江藤氏の著作を近年改めて再読し、執筆を開始したという。本書の巻末に、その著作や他者の評伝や研究書など百数十冊の書名が並んでいる。ざっとみて、積んどくしている本も含めて、僕が手にしたり読んだ本は半分にも満たない。だから、本書を読んでも読解できる能力はないのだが、いろいろと知的刺激を受けた。思い出したこともある。以下アトランダムであるが列挙したい。

僕が江藤氏の謦咳に初めて接したのは、昭和50年代半ば、学生だった時だ。

講演を何度か聞いた。
鮮明に記憶に残っているのは学習院大学のピラミッド型建物での講演だ。たしか検閲問題の研究のためにアメリカに出かける直前だった。家永三郎の見解か何かに触れて、「左翼学者でも本当のことを言うことがあるんですね」と強調した時、聴衆から笑い声が起こった(僕も笑った。というのも、家永氏の謦咳にも接したことがあるし、彼の著作『太平洋戦争』岩波書店は一読していたから。この小柄な禿げ頭の老人が、教科書裁判で国と争っている左派リベラル学者の巨頭かと見ていたから、彼でも「反米」(?)の論点では、江藤さんと同じ考え・視点を持つことがあるのだと……)。

そして、「私は占領下における言論検閲の研究のため、これからアメリカ(ウイルソン研究所)にいきます」と講演の最後に述べた時、拍手喝采だった(僕も拍手したかと)。

出馬する政治家か五輪に向かうスポーツ選手の決起集会だったら、ここで、最後に誰かが壇上に立ち、フレーフレー、エトウジュン、フレフレ、エトー…と三拍子なり、何らかの応援エールを送ってお開きになったことだろう。

もちろん、そんなことはなく、壇上から足早に去っていった(かと)。

その成果(原稿-「一九四六年憲法――その拘束」)がアメリカから「諸君!」編集部に当時いた斎藤氏のもとにファックスで送られてきたという。

そのころ、ファックスはまだ初期の段階のものであり、個人が持っているわけもなく、会社であっても、常備しているのは、営業とかそういう部署のみであったという(そういえば、コピー用紙にしてもファックス用紙にしても、魚くさい臭いがしていなかっただろうか? 高校生のころ、勉強のできる奴のノートを文房具屋でコピーしたものだが、当時のコピー用紙は得体の知れないブルーの色で悪臭がしたものだった)。

編集者と書き手が原稿をファックスで送るという習慣もなかっただろう。まだワープロも実用化(一般に販売)されている時期ではないから、400字詰め原稿用紙(時には200字詰め)を何十枚も何百枚も、しかも時差のあるアメリカから日本に送るのは時間のかかる作業だったようだ。
今でも、ファックスの不着やらいろいろとアクシデントは発生する。アメリカでは大企業のワシントン事務所から送ったとのこと。江藤氏自らではなく、誰かが送信したとしても、百枚前後の連続ファックス送信など、当時は不可能で、一枚一枚送信していたかもしれない(数枚程度は同時に送信可能だったかもしれないが)。


「一九四六年憲法――その拘束」は、昭和五十五年六月十六日に脱稿し、『諸君!』八月号(同年七月二日発売)に掲載された。
私は、当時この編集部にいて江藤さんの担当だったが、書き終えた六月十六日にすぐさまワシントンから速達航空便で原稿を送ってもらったとしても、印刷、校正、著者校正などを考えれば、二十日の校了日にはとても間に合わない。
頭を悩ましたが、窮余の一策としてある大企業のワシントン事務所のファックスをお借りすることとした」
「ところが一方、今の時代からは考えられないことだが、当時の文藝春秋には会社全体でファックスはたった一台しかなかった。それも、編集部ではなく、営業(販売)部に置かれており、倉庫との在庫管理の連絡のために使われていた」「企業のワシントン事務所の業務の邪魔をせず、また文春における在庫管理の仕事の障害にならないように考えると、百五十枚の原稿を二日間に分けて、ファックスを日本時間の早朝に受けるしかなかった。誰も出社していない営業部の部屋にただひとり陣取って、つぎつぎにファックスから流れてくる江藤さんの原稿を読んだ。編集者にとって、一番楽しくありがたい時間であった」



そして、その原稿は雑誌(昭和五十五年七月二日発売の八月号)に無事掲載され、間違いなく、僕はリアルタイムで読んだ(7月2日だったか7月3日だったかは記憶にないが。雑誌を改めてみてみると、130枚となっていたが。その前号・7月号には清水幾太郎氏の『核の選択』が掲載されていた。それは260枚)。

後に単行本にもなっていく。単行本も間違いなく読んだ。赤線を引きながら。文庫にもなった(が、文庫版は持っているが再読はしていなかったかと)。
「文学界」に連載されたものは雑誌掲載時にはリアルタイムで読むことはなく、単行本(『落葉の掃き寄せ 敗戦・占領・検閲と文学』文藝春秋)になってから読んだ。

二十歳前後のごく普通の憲法を学ぶ法学部生にとっても、それは知られざる世界であった。当時、それなりに戦後史や憲法などに関する本は読んでいたが、江藤氏の本は、『一九四六年憲法 その拘束その他』『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』『『落葉の掃き寄せ 敗戦・占領・検閲と文学』のほかにも『もう一つの戦後史』 (講談社)などを赤線を引きながら読んだものだった。

ただ、斎藤氏と同様というわけではないが、僕は、文芸作品はあまり読むほうではなかったので(特定嗜好分野の小説は別にして)、江藤氏の作品は、もっぱらそういう論壇的作品や犬や紅茶がらみのエッセイ本や時事エッセイ本(『こもんせんす』シリーズ・北洋社)などを多く愛読したものだった。

大学を出てから、粕谷一希批判のエッセイを「新潮」で読み、ふうむ……保守系の世界でもかなりの意見対立があるものだと感じた。
同じ京都大学法学部の保守系と目される教授であっても、高坂正堯と勝田吉太郎との違いやらいろいろとも。親米保守やら反米保守やら今日に至るまでのさまざまな対立がすでに露顕していたものだった。

僕は、ご案内の通り(?)「中道リベラル」「中庸ラジカル・ノンポリ」(?)なので、清水幾太郎であれ、福田恆存であれ、猪木正道であれ、中川八洋であれ、松原正であれ、志水速雄であれ、香山健一であれ、藤原弘達であれ、林健太郎であれ、小堀桂一郎であれ、奥原唯弘であれ、若泉敬であれ、佐々淳行であれ、西尾幹二であれ、吉本隆明であれ、関嘉彦であれ、「容共リベラル」「進歩的文化人」でない学者・文化人の書くものに関しては、若干の距離を時には起きつつも、少なからぬ共鳴するところを見いだせば、それは好きな物書きとして愛読していた。
当時都内にいたから、そういう人の講演会があれば、学生時代は、とりわけそこそこ、あちこち出かけていたものだった。

江藤氏の講演は、別の大学主催のものを聴いたことがある。それは、学習院大学の講演の後だったか。アメリカから帰って来てからだっただろうか。かつて若い時に訪米し、向こうの大学にいた時に見たアメリカの広大なキャンパスや校舎を見て、自動車で大学に通う若者を見て、貧しかったそのころの日本との格差を強く感じたものだったが、いま、この大学(郊外にあった)に来て、遜色のないキャンパス環境を見てうれしく思うといった趣旨の発言を冒頭にしたのを覚えている。大教室は満杯だった。

斎藤氏は、江藤氏に著作集がないことを嘆いてもいる。
「江藤さんの文業を葬り去ろうとする[力学]がどこかで働いていたのではないか」とまで指摘している。そして、「諸君!」などに相次いで占領史関連の論文を発表し、単行本にまとめた時の、マスコミや論壇、文壇の冷やかな反応を江藤氏が不快に思い、また、読売新聞があるとき、社説で、江藤氏の名前は出さないものの、その問題を取り挙げた時には無邪気に喜んだこともあったそうな。

本多秋五氏との無条件降伏論争も、ほぼリアルタイムで読んでいた記憶がある。大学時代だったか。

あのころは(80年前後)、清水幾太郎氏の『戦後を疑う』 (講談社)や『日本よ、国家たれ』 (文藝春秋)や香山健一氏らグループ1984年の『日本の自殺』 (PHP研究所)など、ソ連をはじめとする国際共産主義勢力やその手先である国内共産主義者と反共リベラル派文化人との知的闘争が激しかった。ソ連のアフガン侵攻は1979年末だった。

あのときに改めてポツダム宣言を熟読し、どう見ても「降伏条件」が書いてあり、日本国が無条件降伏をしたのではない(軍隊は無条件降伏)と思ったものだ。ただ、最近、長谷川煕氏の『アメリカに問う大東亜戦争の責任』 (朝日新書)を読んでちょっとその見解を修正すべきか否か悩んだ。

長谷川氏は1933年東京生まれの朝日新聞元記者。1933年生まれだから、太平洋戦争(大東亜戦争)には「参戦」する年齢ではなく、疎開したり空襲を体験したり飢餓感を抱いたりしたのが主な戦争体験。江藤氏は1932年生まれだから、ほぼ二人は同世代といっていいだろう(長谷川氏は存命中)。

「少年」の眼から見た、体験や学習の結果、浮かんださまざまな疑問などを提示しながらの戦争史になっている。
アメリカ軍とて日本人捕虜をモノ扱いしていたり、戦後、日本の婦女子を暴行したりした事例は幾らでもあった事実に触れつつ、もちろん、日本軍のさまざまな愚行も俎上にのせつつ、多角的な視点から大東亜戦争を分析している。

その視点はおおむね、いい意味で常識的であり、複眼的であり、読んでいて特に違和感を抱くことなく読了した次第。

以下読後感的個人的雑感――日本は「和平」を模索していたのは間違いのない事実であるものの、「降伏」の意志がどの程度であったかまでアメリカ側が理解していたかどうか‥‥。本土決戦もありうるとアメリカが考えたのは不自然ではないとすれば、原爆投下もやはり正当化される余地が、アメリカ人からすればありうるのか‥‥。硫黄島、沖縄での激戦を考えれば、本土決戦は同様以上の被害を受けるのは間違いなかろう‥‥。勝ち戦は自明であっても、狂信的と思われていた日本の正式な降伏を獲得するには、「本土決戦」か、決定的ともいうべき新兵器の威力を明示すべきかという選択がありえたのは否定できない?

日本軍が「無条件降伏」したのであって、日本が「無条件降伏」したわけではない、ポツダム宣言にもそう書いてあるではないかと言いつつも、長谷川氏は、それは「不毛の議論と思われる。ポツダム宣言の記述はどうであっても、その宣言の履行として連合国ないし米国が、天皇と日本政府を連合国最高司令官に従わせ、日本政府もそれを受け入れた以上、日本は主権を失っており、従って軍隊だけでなく日本自体が無条件降伏したに等しい結果になった、としか考えられない」とみなしている。確かにそういわれればその通りだ。

江藤淳氏などは無条件降伏ではないと論陣を張っていたが‥‥。

ともあれ、2015・6・11の毎日新聞朝刊に、菅官房長官が安保法制を合憲と言っている憲法学者は3人いるとして名前の出た一人である長尾一紘氏が、未だに違憲と言っているような憲法学者を批判してこう言っている。

「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」と。

江藤さんの命日は平成十一年七月二十一日。あれから十数年が経過しても、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」はまだ効力を一部で発揮しているのだろうか。アメリカももうその効力を否定しているだろうに。

斎藤氏の本を読んだあとに手にした関野通夫氏の『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦』 (自由社)でも、江藤淳氏の『閉ざされた言語空間』 (文藝春秋)への言及がなされ、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」も紹介されている。CCD(民間検閲部)などの国内郵便などの検閲ややCIE(民間情報教育局)などについても。

そういえば、この「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に関しては、2015・6・8の産経で、岡部伸編集委員が、中共の日本捕虜洗脳の手法が原点であったという事実を史料的に発掘して報じていた。江藤氏についても触れながら論じていた。以下引用。

2015.6.8 07:40更新
【歴史戦】
GHQ工作 贖罪意識植え付け 中共の日本捕虜「洗脳」が原点 英公文書館所蔵の秘密文書で判明

占領下の日本国民に戦争に対する贖罪(しょくざい)意識を植え付けるため連合国軍総司令部(GHQ)が、中国・延安で中国共産党が野坂参三元共産党議長を通じて日本軍捕虜に行った心理戦(洗脳10+ 件工作)の手法を取り入れたことが英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。GHQの工作は、「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と呼ばれ、現在に至るまで日本人の歴史観に大きな影響を与えている。(編集委員 岡部伸10+ 件)
 文書は、GHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官だった米国の外交官、ジョン・エマーソンが、1957年3月12日、共産主義者との疑惑が浮上したカナダの外交官、ハーバート・ノーマンとの関連で米上院国内治安小委員会で証言した記録で、「ノーマン・ファイル」(KV2/3261)にあった。
 44年11月に米軍事視察団の戦時情報局(OWI)要員として延安を訪問したエマーソンは、中国共産党の支配下で野坂参三(延安では岡野進と称した)元議長が日本軍捕虜の思想改造に成功した、として「岡野と日本人民解放連盟が行った活動の経験と業績が、対日戦争(政策)に役立つと確信した」と証言。さらに「共産主義者の組織であったが、捕虜たちが反軍国主義や反戦活動に喜んで参加するまで吹き込み(洗脳10+ 件)に成功したことから彼らの成果はわれわれ(米国)の対日政策に貢献できると思った」と述べている。エマーソンは後に「(延安での収穫を元に)日本に降伏を勧告する宣伝と戦後に対する心理作戦を考えた」(大森実『戦後秘史4赤旗とGHQ』)と告白した。エマーソンが「対日政策に貢献できる」と証言した「心理戦」は、日本兵に侵略者としての罪悪感を植え付けるもので、軍国主義者と人民(国民)を区別し、軍国主義者への批判と人民への同情を兵士に呼びかける「二分法」によるプロパガンダ(宣伝)だった。
 GHQは、終戦直後の昭和20年9月に「プレスコード」(新聞綱領)を定めて言論を統制し、一般人の私信まで検閲を実施。10月には、「日本人の各層に、敗北と戦争を起こした罪、現在と将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国による軍事占領の理由と目的を周知徹底する」との一般命令第4号を出した。さらに、12月8日から全国の新聞に『太平洋戦史』を掲載、翌日からラジオ番組『真相はこうだ』を放送させ、戦勝国史観を浸透させた。
自虐史観、今も日本人に影響 軍国主義者と国民「二分法」駆使
 日本人にさきの戦争への罪悪感を植え付けた連合国軍総司令部(GHQ)の「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」。その原点は、大戦末期の中国・延安で中国共産党による日本軍捕虜に対する「心理戦」にあった。
 「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙にいとまがない」
 昭和20年12月8日、GHQの民間情報教育局(CIE)に強要され、新聞各紙が連載を始めた『太平洋戦史』では、「大東亜戦争」を公的に使用禁止し、冒頭から「真実を隠蔽(いんぺい)した軍国主義者」と「大本営発表にだまされた国民」を二分して対峙(たいじ)させ、日本が非道極まりない国だったと全国民にすり込んだ。それは現在も国民的な「神話」となっている。
 文芸評論家の江藤淳は『閉された言語空間』で、WGIPと規定し、「日本と米国との戦いを、『軍国主義者』と『国民』との戦いにすり替えようとする」と指摘。『軍国主義者』と『国民』の架空の対立を導入して、「大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、『軍国主義者』が悪かったから起(おこ)った災厄」と米国の戦争責任を『軍国主義者』に押しつけたと指摘した。
 『軍国主義者』と『国民』の対立という「二分法」の「洗脳」を1944年11月、延安で学んだのがGHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官を務めたジョン・エマーソンだった。英国立公文書館所蔵の秘密文書によると、エマーソンは57年3月12日、米上院国内治安小委員会で、初期GHQが民主化のため日本共産党と手を握ったことを認めている。
 エマーソンは戦前の36年から41年までと、終戦直後の45年から46年、さらに62年から66年まで3度日本に駐在した日本専門家。占領初期は政治顧問として対敵諜報部に所属した。エマーソンが『戦後秘史4』で大森実に語ったところによると、ルーズベルト大統領のニューディール支持者で大戦中は米戦時情報局(OWI)要員として中国・重慶に赴任し、中国共産党・八路軍の対日心理作戦の成功に注目し、戦後の占領政策を視野に経験に学ぼうとした。
 エマーソンらOWIのスタッフが作成した『延安リポート』(山本武利編訳)によると、野坂らは、天皇批判を軍国主義者に置き換え、軍国主義者と人民(国民)を区別し、軍国主義者への批判と人民への同情を呼びかける心理工作を繰り返し、贖罪(しょくざい)意識を植え付けた日本軍捕虜を反戦兵士に「転向」させるまで洗脳した。野坂の日本人民解放連盟は八路軍敵軍工作部と表裏一体で、彼らの工作は中国共産党によるものだった。
 中国共産党は、反戦日本兵の育成を通じて、徐々に厭戦(えんせん)感と贖罪意識を強め、やがて日本人全体を精神的捕虜にする狙いだった。
中国軍が連合軍捕虜を外部隔離や尋問、集団・自己批判させて共産主義者に強制的思想改造したのは50年に勃発した朝鮮戦争が最初で、「洗脳」の新語が生まれたが、延安では集団批判で日本人捕虜に「洗脳」の原型といえる思想改造が行われた。
 エマーソンらGHQの実務家にとって延安で学んだ「捕虜」洗脳は、占領政策を遂行するためのよき「先例」となった。
 GHQは、「洗脳」手法を積極的に取り入れ、東京裁判などの節目で展開し、「悪い侵略戦争をした」と日本人に自虐史観を植え付けたといえる。 (敬称略)
 二分法 「共通の敵を打倒するため連帯できる諸勢力と共闘する」との毛沢東の理論。中国共産党は、戦後一貫して少数の軍国主義者と大多数の日本人民を区分する対日外交政策を取っている。1972年の日中国交正常化の際、中国内の反日感情を抑制するための根拠として使われた。教科書問題や靖国問題でも同じ論法をとっている。(敬称略)
■反日プロパガンダ招いた壮大な「歴史戦」 外交評論家・加瀬英明氏
 「GHQは日本民族から独立心を奪い、精神を破壊して未来永劫(えいごう)にわたって属国とするためにWGIPを仕掛けた。軍国主義者と人民を区分する『二分法』は、毛沢東時代からの中国共産党の教化政策。米国は朝鮮戦争まで中国共産党と太いパイプがあり、エマーソンの証言通り、延安で成功した日本人捕虜に対する手法を占領政策で日本が二度と歯向かわないように利用したのだろう。その結果、自虐史観が蔓延(まんえん)し、『河野談話』『村山談話』のように日本人自身が過剰に自己否定し、中国、韓国の反日プロパガンダを招いた。壮大な『歴史戦』といえる」
【用語解説】「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」
 GHQが占領政策として戦争に対する罪悪感を日本人に植え付けるため行った宣伝計画。日本の歴史や文化・伝統を破壊し、日本人自身が日本人を否定して精神を改造するよう誘導、原爆投下や大都市の無差別爆撃などを行った米国の正当化を図った。新聞や雑誌、ラジオを検閲し、占領政策にあうよう書き直させたり、発禁処分にしたりした。検閲に協力した日本人は数千人といわれ、メディアや官界、大学などで活躍した。


この前ジョン・ルカーチの『歴史学の将来』 (みすず書房)を紹介したが、専門の歴史家でなくても小説家や民間人などで優れた歴史書を書いたりする例があると彼は指摘していたが、日本でも同じ現象が見られるようだ。江藤氏とて、歴史学者ではない。にもかかわらず、孤軍奮闘した。関野氏も民間会社で働いていた民間人である。

甲斐弦氏の『GHQ検閲官』 (葦書房)は、米軍の犬となって検閲をした体験を綴った本。神谷不二氏も、その体験を雑誌で綴っていたかと。

今、江藤氏のそうした検閲の実態を引き続き告発しているのに、西尾幹二氏であろうか。 『GHQ焚書図書開封』 (徳間書店)も10巻になる。江藤氏や西尾氏のこうした力作は、専門家(歴史家)なども無視できず、彼らの著作の参考文献として肯定的に明記もされるようになってきている。

江藤さんの命日は平成十一年七月二十一日だったとのこと。亡き妻の後を追っての自害自殺故に大きく報道されていたことは記憶に残っているが、身内や親しい知人というわけでもないから、去る者日々に疎しであったが、憲法9条改正に向けて、一歩一歩、日本人の中にそれを肯定する声が増えてきている背景には、江藤氏の残した遺産があったからこそともいえよう。

斎藤氏の本を読み終えて、ふと『一九四六年憲法 その拘束』 (文藝春秋・学藝ライブラリー)を手にして冒頭をパラパラとめくった。記憶は薄れていたが、ソ連脅威論の高まりの中で、ジョージ・ポール(元国務次官)が「レンタ・キャリアー」という論文を書いたことをまず紹介している。日本が大型空母を二隻建造し、それを米海軍が借りて運用するというもの。要は、ソ連海軍のアジア進出に対抗するために、日本よ、もっと負担せよという要求。

ジョージ・ポールの意見は、一つの議論として受けとめればそれとして理解できないものではなかった。だが、それにもかかわらず、そこにはなにがしか私を苛立たせるものが含まれていた。いうまでもなく私は、憲法はどうするつもりだろう、と反問せざるを得なかったのである。



ソ連に代わって、今日、中国海軍(&北朝鮮の野蛮な核戦力)の脅威が高まる中、以前、本欄で提案したような日米共同運営の「空母五十六」の建造を真剣に考慮すべき時代であっても、「1946年憲法の拘束」は日本を縛っているともいえよう。この呪縛をいかにして解くのか。英国は国連のお墨付きがあった朝鮮戦争には参加したが、ベトナム戦争には参加してはいない。同盟国として、集団的自衛権行使にしても、ケースバイケースであり,国家主権制限条項を憲法に持つことのない普通の国にいつなれるのか。「日本よ、普通の国家たれ」というのがそんなに危険なのか?

ともあれ、品薄というニッカの「余市」 (500ミリリットル)を買ってきて、チビチビと飲みながら、江藤氏の嘆きを一読した次第(以下関連ブログの再録。一部略)。

ともあれ、ネバーセイネバー。


占領中の「売国奴(検閲官)」と「売春婦(パンパンガール)」…。どっちが英語力は上だったか?
(2013・11・6水曜日)

2013・11・5夜7時半~の「クローズアップ現代(新発見GHQ極秘資料”同胞監視”の闇)」を見た。

『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』 (岩波現代全書)を出したばかりの山本武利氏(早稲田大学名誉教授)と『秘密のファイル CIAの対日工作 上・下』 (共同通信社・新潮文庫)の著者である春名幹男氏(元共同通信社)と『GHQ検閲官』 (葦書房)の著者・甲斐弦氏(故人) のご子息の甲斐誠氏などが番組内に登場していた。

番組の内容は、戦後、GHQ→CCD(民間検閲局)に雇われて日本国内の郵便手紙などを開封し、そこの内容に不穏なもの(闇市や反米的なものやコミュニズム関連など)があれば、英語に訳して当局に提出する検閲官の仕事をした人の名簿(ローマ字)が発見され云々という内容。

当時、英語ができた人たちが生活苦もあって(給与は比較的というか、かなり恵まれていた)そういう仕事をしたのだが、戦後ももう68年、生きている世代としても若くても80代後半。
実際検閲の仕事をしていた人(生き証人)も三人ほど画面に出てきていた。

パンパンガール(売春婦)は「美貌」「女体」で占領軍兵士に媚びへつらったが、検閲官は「英語力」で占領軍に迎合したといえようか。

生き証人の中には、それを恥じるというか詰られたこともあったそうな。要はかつての敵に奉仕するという点で「売国奴」と見られたわけだ。といっても、生きていくためのデスクワーク。仕方あるまい。
番組では、甲斐弦氏の息子の誠氏が画面に出てきて、当時の父の日記を公開しつつ、「犬」のような仕事をしていることを嘆いている記述・箇所がクローズアップされていた。

なぜか番組では紹介されていなかったが、甲斐氏は『GHQ検閲官』 (葦書房)という本を1995年に刊行している。それはかつて一読したことがある。

甲斐氏は「GHQ検閲官」を辞めたあとは九州の熊本学園大学教授として英文学を研究し、オーウェルやケストラーの翻訳(『ケストラー自伝 目に見えぬ文字』彩流社)もしている。

『オーウェル紀行(イギリス編)』『オーウェル紀行(スペイン編)』 (近代文芸社)なる名著も書いている人。これは甲斐氏がオーウェルの足跡を訪ねて、還暦過ぎてから一人で、英国やパリやスペインバルセロナを彷徨した本だ。『1984』を読んだこともあり、共産主義を批判していた甲斐氏にとって、自らの「検閲官」としての体験は、ある意味で矛盾するものであり、葛藤を覚える職業体験だったであろう。

亡くなる直前に『GHQ検閲官』のダイジェストというか、GHQがらみの短文のエッセイを「諸君!」にも書いていたかと。神谷不二氏も検閲の仕事を少ししていたと同じ雑誌の号に書いてあったかと(このあたり記憶不鮮明だが)。

それはともかく、山本氏の本も読みかけ途中。この本にも甲斐氏のことが出てきていた。

先行の江藤淳氏の『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』 (文春文庫)などへの言及もある。これも懐かしい本。「戦後民主主義」の嘘というか虚妄を指摘していたものだ。「平和主義憲法」の空しさを証明する本でもあった。

アメリカは、戦前からフ-ヴァ-率いるFBI(連邦捜査局)が、盗聴、不法侵入などの手段を駆使して、アメリカ国憲法に違反してでも、諜報活動を展開し、当時のアカ(コミュニスト)や無政府主義者やドイツや日本のスパイ相手に戦っていた歴史がある。国家の安全か、個人の自由か、どちらかを尊重すれば、片方が弱体化するという、ジキルとハイド的なディレンマは常にある。その中で、国家権力はどう動くか。アメリカではまだ裁判所が、そうした盗聴、不法侵入によって得た証拠で罰することを否定するような判決を戦前から出していたこともあり、ある意味で三権分立がまだ機能はしていたようだ。
敵ながら天晴れ?

敵国の大使館やら建物に侵入し、暗号表やら機密を盗んだりもしていた。手紙の検閲もしかり。検閲どころか、ばれないようにコッソリと封を開け、中身を読み、またコッソリと戻すテクニックも英国諜報機関から学んでいたともいう。

それに比べれば、日本占領中は、こっそりとではなく堂々と開封した!とスタンプ押したりしていたのだから、これまた敵ながら天晴れ?、

そういった盗聴、盗み見、検閲の伝統は、ロードリ・ジェフリーズ=ジョーンズの『FBIの歴史』 (東洋書林)や、ハーバート・ミットガングの『FBIの危険なファイル 狙われた文学者たち』 (中央公論社)などでも詳述されている。

米国内の反政府勢力相手に対して取っていた諜報手段を日本国内でも適用しただけだろう。そんな人々が押しつけた憲法を後生大事に守ることの空しさにも気づくべきだろう。もちろん、人間、アメリカも日本も、所詮はジキルとハイドではあるが、自分はハイドで相手がジキルと思いこむ必要はまったくない。

占領統治にもいいところも悪いところもあっただろう。それは日本の植民地、占領地統治とて同じこと。
少なくとも「事実」と「虚構」を見きわめて、事実を直視することが肝要だろう。

それにしても、すさまじきは「検閲」。これに関しては常に要注意。盗聴も。もちろん、相手がスパイや犯罪者ともなると別の話になろうが…。何の罪もない民間人相手のアトランダムな盗聴は犯罪的行為。そのあたりの見きわめが難しいが、こういう戦後まもないころの「民主主義国家米国」のやった日本国内の検閲、諜報・宣伝工作の実態は、山本氏などの本を手懸かりに勉強していく価値はあるだろう。

もちろん、共産圏諸国内の同様、いやよりハードな実態を知る必要もあるし、ソ連や中共(中国)などの対日工作の実態も知っておく必要がある。関連書はそこそこあるけど…。

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