古本虫がさまよう 韓国や日本の慰安婦はなぜ生まれたのか?
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韓国や日本の慰安婦はなぜ生まれたのか?
(2015・6・2・火曜日)





 崔吉城氏の『韓国の慰安婦はなぜ生まれたのか  「中立派」文化人類学者による告発と弁明』 (ハート出版)を読んだ。

以前、朴裕河氏の『帝国の慰安婦』 (朝日新聞社)を紹介した。2015年3月13日号の「週刊ポスト」によれば、この本に対して、韓国の裁判所は「34か所の削除命令」を出したそうな。韓国は「言論の自由」を認めない「民度」の低い国家になりつつある?

崔吉城氏の『韓国の慰安婦はなぜ生まれたのか  「中立派」文化人類学者による告発と弁明』も、どちらかといえば、彼女に連なる韓国人学者による中庸な慰安婦論といえるかもしれない。

著者は、1940年生まれで、1950年の朝鮮戦争の時に、住んでいたところに北朝鮮軍が侵入。南に逃げたりいろいろとあったものの、実家周辺に戻り、北の支配下になったり米軍国連軍の支配下になったりの体験をする。
その際、その街に売春婦がやってきて住みつく。そのおかげで、国連軍兵士の女性暴行が減ったりする。意外なことに、中国軍(中共軍)は朝鮮戦争の時、酷いことはしなかったという。

ともあれ、以前、本欄でも紹介した「日本軍慰安所管理人の日記」なる本に依拠しつつ、慰安所は遊廓のような存在であったとは認識している(そういえば、この日記に触れつつ、文玉珠氏(語り 森川万智子氏)の『文玉珠ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私 教科書に書かれなかった戦争-Part22 新装増補版』 (梨の木舎)が出たようだ(未読・未購入)。早く、日記そのものの本を読みたいものだが、まもなく訳出されるのであろうか…と思っていたら、とうの昔に仮訳(『ビルマ・シンガポールの従軍慰安所』)で公開されていたようだ。

下記を見る限り、個人として読むためにプリントしたり、引用紹介するのは特に問題がないようだ。慰安婦本人の日記ではないが、当時の日本の慰安所の実態の少なからぬ部分を知るうえで参考になるだろう。読まなくちゃ。さっそく全文プリントした。
日本軍の軍医による慰安所を記した手記も、それなりに参考にもなるだろう。ただ、日記もあくまでも、一人の個人の「感想」「観察」であり、限界もあろう。絶対視するのも考えものではあろうが……。すくなくとも吉田清治の「手記」よりは信憑性が高いといえようか。

解題を書いている安秉直氏は、慰安婦たちに関して、強制連行に関しては、「広い意味での強制動員」,と呼んでも問題ないだろうとみなし、「性的奴隷状態」と捉えても、「差し支えないのではなかろうか」と慎重な言い回しだが、韓国人の主流的見解を半ば踏襲しているようだ。


この日記と安氏に関しては、こんなことを書いたことがある。

まずは再録。

2013/08/08(木) 05:39:35
「慰安婦」論争も決着?ソウル大学名誉教授・安秉直氏曰く、「『狭義の強制』と言われる、拉致のようなものはなかった」(毎日新聞8・7)

8月はいうまでもなく「敗戦の月」であり、「反戦の月」でもある。一昔前は反戦、反核といってもソ連や中共や北朝鮮の核開発には沈黙することが多かった。今年の広島市長さんは、前市長と違って8・6声明で、北朝鮮の核にも一言あってまだ良かった?

それはともかくとして、毎日新聞(2013・8・7朝刊)に、慰安婦に関する興味深い記事が出ていた。ビルマ、シンガポールの慰安所で働いていた朝鮮人男性の当時の日記が韓国で見つかったというもの。ホンモノとすれば、現場にいた第三者による記録ということで貴重な資料である。

安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が古書店で見つけたという。確かに古本市などで、個人の日記はよく見かける。この前も東大生らしき日記を購入して中身を少し本欄で紹介したことがあるが…。

日本では木村幹神戸大学教授が、これを翻訳しようとしているとのこと。

記事によると、安秉直氏は、そうした日記などを精査し、慰安婦募集は戦時動員という点では「広義の強制」だと言えるとしつつも、「『狭義の強制』と言われる、拉致のようなものはなかっただろう」「1990年代初め、慰安婦支援団体が実施する調査活動などを手伝った。だが、『強制連行』と最初から決めつけて証言集めをするような形だったので、運動からは手を引いた」と語っている。

韓国人にしては珍しく(?)中庸な常識ある冷静な学者のようだ。

北朝鮮やソ連がやった、横田めぐみさんたちのような、またシベリア抑留のような、その意志に反しての無理やり暴力的な「強制連行」「拉致」を、日本が国家としてやって、女性を性奴隷にしたかのような「従軍慰安婦」報道ももう終りにしてほしいものだ。

安氏も「業者による乱暴な行為はあったはずだし、軍服のような服を着た業者が『軍人』と誤解された可能性はある」とも指摘しているが、「業者をサポートする行政組織がしっかりしている朝鮮では強制連行の必要はないし、強制連行は(社会的な騒ぎを起こして)コストが高くなる」だけだと語っている。


以下、その問題の日記の一節…。
(昭和18年)1月9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、その他16人はみんな合格だった。
 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。
 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。
 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への出張証明書をもらった。
 7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は兵站司令部に行ってきた。
 7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も兵站の軍医がすることになった。

こうした日記の記述の多くは、以前紹介した日本軍関係者の証言本、山田清吉氏の『武漢兵站 支那派遣軍慰安係長の手記』 (図書出版社)と比較しても矛盾はない。

また元漢口兵站司令部・軍医大尉の長沢健一氏の『漢口慰安所』 (図書出版社)でも、慰安婦に対して定期的に検査が行われていた事実が指摘されているし、「慰安婦ひとりひとりについて、借金高を調査した」という。

「内地から来た慰安婦は、法規通りの借用証文を持ち」「上海、南京などの稼ぎを差し引き、楼主が支払った雑費を加えた額を借金として帳簿に記載した。朝鮮人業者の中には、ひどい例もあった。証文も何も、書類らしきものは一切なく、貧農の娘たちを人買い同然に買い集めて働かせ、奴隷同様に使い捨てにする」例もあったという。
あくまでも、朝鮮人業者がそうしていたのであって、日本側は「業者が女に支払った金に、雑費を加えて借用証を作らせ、女たちが働きさえすれば借金を皆済し、自由な身の上になれるようにした」という。

「『日本女性哀史』(金一勉著)には、つぎつぎに襲いかかる兵隊の精液にまみれて、失神状態になった慰安婦の描写があるが、これはおそらく誇張した著者の想像であると思われる。少なくとも漢口兵站では、慰安係と診療所担当軍医による慰安所の管理が行きとどいていたから、そのようなことは起こり得なかった」「忘れてならないのは、慰安婦は業者にとって多額の投資をし、それに見合った収入をもたらす財産であることだ。業者らは慰安婦に対し人間的感情を抱かなかったかもしれないが、財産の保全には十分留意したはずである」

こういう日本軍関係者の証言が、朝日新聞がもてはやした吉田某のものよりは信頼が置けるのではないか。慰安所で働いていた朝鮮人日記からもそれがうかがえる。

すでに8月1日の読売社説(「憂うべき米国での『反日』拡大 強制連行巡る誤解を正したい」も、「朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたのが発端だった。記事には、戦時勤労動員の『女子挺身隊』があたかも慰安婦の強制連行であったかのような表現もあり、韓国で反発が強まった」云々と名指しで批判もしている。

もはや「従軍慰安婦→強制連行→性奴隷」云々論は、朝日が前言ないし誤った過去の報道を撤回し、謝罪すれば、解決する問題であろう。あの麻生大臣にも出来たことが何故出来ないのか? 情けない?

戦時勤労動員といえば、広島市長として原爆によって死亡した粟屋仙吉の娘だった粟屋康子の生涯を描いた作品に『康子十九歳 戦渦の日記』 (文春文庫・門田隆将氏)がある。彼女は1926年生まれ。太平洋戦争(大東亜戦争)が始まった時は、まだ十代半ばすぎ。
動員されて北区(当時王子区)にある東京第一陸軍造兵廠で、弾薬製造に励んでいた。この跡地はいまも少し残っていて、一部図書館にもなっている。立ち寄ったことがある。立派な図書館だが、北区住民以外には、いささかサービス低下(パソコンネットでの予約を拒絶)となっており、昭和40年以前の本は一切貸さないという中央区図書館に次いで、残念な図書館?

それはさておき、たまたま日経新聞(朝刊・8月5日)の「私の履歴書」に出ている1930年生まれの野村萬氏(狂言師)の文を読んでいたら、この人も、戦時中学徒動員で、東京第一陸軍造兵廠で、鉄を焼いてハンマーで叩く力仕事をやらされていたという。

ということは、粟屋さんと野村さんは、当時、十代の少年少女として同じ「戦場」「工場」で働いていたのであろうか。

粟屋さんは、戦後まもなく、広島で原爆投下により前後はあったものの共に死んだ両親のあとを追うかのようにすぐに死亡したが、野村氏は長生きして今日に至っている。

人生のさまざまな岐路…。自分の意志の力で、その岐路を選択するのではなく、不可抗力によって押しつぶされたり無理やり変えさせられた多くの人々の無念さを思うと何とも言えない。

だが、以前、家人がマレーシアの知人と一緒にポーランドのアウシュビッツに行った時、一知半解の説明員が、ここでナチスがやったことと同じことを、日本もアジア、マレーシアでやったんですと真顔でアナウンスするガイドがいたそうな。「五十歩百歩」と「五十歩一万歩」の違いを認識できる程度の教養と歴史認識力は持ちたいもの。



ともあれ、その日記の訳文は以下のところにある。

『日本軍慰安所管理人の日記』(日本語翻訳版)
낙성대경제연구
http://www.naksung.re.kr/xe/181713
2013.08.30 11:31:07 (*.197.25.148)
17209
『日本軍慰安所管理人の日記』(日本語翻訳版)

1943-44年、ビルマとシンガポールの日本軍慰安所の帳場に勤めていた朝鮮人の日記が2012年5月に韓国で見つかりました。この日記を読解・清書し、現代語に翻訳する研究会が落星台経済研究所内で組織されました。その成果が、安秉直翻訳・解題『日本軍慰安所管理人の日記』(ソウル:イスプ出版社、2013年8月)として出版されました。
そして、この日記は日本の研究者にも渡されて、堀和生教授(京都大学)と木村幹教授(神戸大学)の監訳によって日本語に翻訳されました。ここでそのPDFファイルをアップロードします。ただし、この日本語版はお二人の教授が研究用資料として翻訳したものであり、監訳者(堀と木村教授)の許可なしに他の用度で複製すること、また配布することを認めないことにしています。
この資料は、日本軍慰安所の現場の記録という点で重要な資料であり、韓日の両国の研究者にその内容を正確に伝え、日本軍慰安婦の実態を明らかにするのに寄与することを望んでおります。

2013年8月30日
落星台経済研究所


ところで今日(2015・6・2)、知人から「朝日と毎日の慰安婦関係の記事を見ましたか? 毎日はまだいいけど、朝日は酷い。慰安婦問題で先祖返りをしたようですな、ハハハ」という電話があった。「いや、自宅では日経と産経しか購読していないので」と答える。あとで仕事場で拝見。

知人が指摘していたのは、まずは毎日の布施広氏の「論説の目」というコラム。「米識者声明議論に生かせ」というもの。
これは慰安婦がらみで、アメリカのアレクシス・ダデン教授が世話役で出した「日本の歴史家を支持する声明」がらみのもの。

布施氏は、ダデン教授と別件でメールのやりとりをしていたそうな。彼女が日本のことを「領土的拡張主義」「過激主義」云々と論じることに、多分、疑問を感じてだろうが、質問を重ねていたという。日本人歴史家(秦郁彦氏や大沼保昭氏など)による米歴史教科書への批判などもこの教授は反発し、「政治の介入」だと抗議しているという。

布施氏は「慰安婦問題を矮小化する動きには断固反対する」「ダデンさんは反日と見られたか日本から脅迫文が届くという。言論への暴力は論外である」といった客観的姿勢を維持しつつも、教科書が「慰安婦は『天皇の贈り物』で多くの慰安婦が証拠隠滅のため日本兵に虐殺されたといった記述に驚く」と書いている。
まぁ、中庸というか、当たり前の見解といえよう。

毎日の元ソウル支局長の下川正晴氏が「アジア時報」の2015年3月~5月号で、朝日新聞の報道への疑問の記した上で、日本メディアの『贖罪史観』や、学者による韓国メディアの無批判の引用などが「おぞましい悪循環」を生み、慰安婦問題の間違った言説を教条化した」と指摘していることも紹介している。

なるほどと思う。

ところが、同日の朝日には、一面(16面)を使った座談会(「慰安婦問題 識者と考える」)が掲載されている。司会は荻上チキ氏。そのほか、小野沢あかね氏(立教大学教授)、東郷和彦氏(京都産業大学教授)、尹明淑氏(韓国・忠南大国家戦略研究所専任研究員)が登場。

司会者は別にして、この三人の中で東郷氏が毎日の布施さんのような中庸の立場だが、あとの二人は、旧来の朝日の主張を肯定する立場でしかなかった。

バランスを取るなら、せめて、東郷氏の代わりにというか、もう一人追加して、西岡力氏や秦郁彦氏を起用するぐらいの度量を朝日は示すべきであっただろう。座談会の末尾には「多様な考え、伝えていきます」との見出しで取材班のコメント(「これからもさまざまな立場の意見を紹介し、この問題を考える材料を伝えていきます」)が載っているが「羊頭狗肉」の疑惑濃厚というしかない。

東郷氏は、朝日新聞出版から刊行されている先の本、『帝国の慰安婦』を評価しているが、尹氏があの本では「国家より朝鮮人業者の責任を強調しており、植民地での徴集業者の仕組みをよく分かっていない。日本でリベラル派がこの本を支持することは問題だと思います」と反論している。この程度の認識の人なんだ。

本当は、さらにひとこと、「こんな本を朝日ともあろうものが訳出するとは情けない」とまで言っていたかも(これは「捏造」ではなく「想像」「推測」ですのであしからず?)。


それにつけても、『帝国の慰安婦』で以下の言説は貴重だと思う。

「『朝鮮人慰安婦』という存在を作ったのは」「家父長制と国家主義と植民地主義である。その意味では、慰安婦となる民間人募集を発想した国家や帝国としての日本にその『罪』はあっても、法律を犯したその『犯罪性』は、そのような構造を固め、その維持に加担し、協力した民間人にも問われるべきであろう」

「幼い少女たちが『慰安婦』になったのは、ほとんどの場合、周りの人がだまして連れていった場合か、彼女が所属した共同体が彼女を保護するような空間ではなかったケースである」

「〔強制的に連れていかれた二〇万人の少女〕との認識は、挺身隊と慰安婦の混同、業者や周りの加担者たちの忘却、例外的事例を一般的なケースとしてしまった理解が作り出したものである」


だが、朝日の座談会に出ているもう一人の女性論客である小野沢あかね氏は、「民間業者による慰安婦の徴集も、日本軍の指示によるものだったことが明らかです。だから、軍の責任は免れない」と居丈高である。彼女の言い分は、彼女と西野瑠美子氏が責任編集を務め、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編の『日本人「慰安婦」 愛国心と人身売買と』 (現代書館)にも詳しい(まだ拾い読み中だが)。そういう立場、考えもありうるのだろう。

だが、この本の「編者」は、本書の中で、遊廓や芸妓置屋などから日本軍の慰安所に行った日本人女性のなかには、『慰安所』時代を『楽しかった』『それ以外の時よりはましだった』と振り返る方や、戦後も元日本兵が開く『戦友会』に参加していた方もいました」と指摘もしている。

日本人慰安婦の中には、将校の相手をしていたので、一般兵士用の慰安婦よりも待遇がましだった人もいたことは事実だと指摘しつつも、そういう一般兵士用の慰安婦として、一日何十人もの相手をさせられた女性たちの中にすら、当時を『なつかしい』と想起された方がいたことに、「私たちは驚くとともに胸が締め付けられるような深い悲しみと怒りに襲われました」と書いている。

しかし、この研究者たちも、ソ連に抑留されたりレイプされた日本人女性やドイツ人女性を調査したことがないのだろうか? しかも、その体験は「戦時」ではなく、「戦後」の平和になった時の体験だ。そして、そういう悲惨な目に遭遇した被害者たちがソ連兵士のレイプを「なつかしい」と想起する人がいるかどうか学術的に調査してみてはいかがだろうか? 文革時代に南モンゴルやチベットの女性たちが「人民解放軍」兵士にレイプされたりしているが、彼女たちへの調査はしていないのか? 「性奴隷」とはどういう状況下におかれた女性に当てはめるべき言葉なのか。彼女たちからも「なつかしい」のコメントがあるのかないか。 

なぜ、そういう比較研究をしないのだろうか? 歴史家なら、学者なら、当然、そういう比較考察をしてしかるべきではないのか?  不可思議というしかない。批判する相手が「日本軍」や「日本人」ならいいけど、「コミュニスト」になるとまずいのだろうか?

6・2の慰安婦座談会を読むにつけ、いささかウンザリもしたが、朝日も「さまざまな立場」と本心からいうのなら、次回は、西岡力、大沼保昭、櫻井よしこ、朴裕河氏、秦郁彦、和田春樹といった、真の意味でバランスの取れたメンバー構成で慰安婦に関する座談会を企画されるといいのではないか?

ともあれ、ネバーセイネバー。

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