古本虫がさまよう 自国の国旗掲揚国歌斉唱も、「仮想敵」の国旗掲揚国歌斉唱も、卒業式の国旗掲揚国歌斉唱も尊重するけど、甲子園球児への国旗掲揚国歌斉唱強制は許せないという声には耳を傾けない新聞があるとしたらどうなるのか?
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自国の国旗掲揚国歌斉唱も、「仮想敵」の国旗掲揚国歌斉唱も、卒業式の国旗掲揚国歌斉唱も尊重するけど、甲子園球児への国旗掲揚国歌斉唱強制は許せないという声には耳を傾けない新聞があるとしたらどうなるのか?(2015・4・17・金曜日)






たまには、古本屋で買った本も読まなくてはということで、この前買ったばかりの新産別書記長だった落合英一氏の『北米の土と英国の血 欧米旅日記』 (出版タイムス社)を読んだ。昭和34年の刊行。

1957年(昭和32年)の12月から1958年(昭和33年)にかけて、米国務省と英政府の招待を受けて、3カ月半の英米旅行を綴ったエッセイ集。サイパン・ハワイ経由での訪米など、時代を感じさせる……。

アメリカの労働組合AFL-CIOや英国の労組TUC関係者との懇談などがメイン。英国ではマルクスの墓なども詣でている。朝日のリベラル記者・森(恭三)氏の案内であったそうな。英米政府の招待客を英米の宣伝工作に洗脳されないように、森氏に秘密命令が英米以外のところから発せられたのかも? まさか? いやいや、ネバーセイネバー?


「アメリカの労働運動に学んだ第一のものは、星条旗に対する忠誠と、祖国に対する絶対の信頼であった。イギリスの労組幹部もまた、自らの賃金の前に祖国の貿易と国民経済を考えている。彼等は或る時は断乎として賃金引上げを抑制し、国民経済の動向に責任をとる勇気をもっている。米英の労組幹部の同様によい意味でのナショナリストであることに教えられるものがあった。彼等は共に国民と国の利益に忠実である。最近に於けるわが国の労組幹部が反省しなければならない第一の点はこことありはしないだろうか。外交政策や国際関係において、岸自民党を攻撃するのあまり、他国の利益に奉仕するような態度がありはしないか。労働組合幹部である前に日本人であるという自負に徹し切れずにいるのではないか」

さすがは新産別書記長というべきだろう(ただ、こういう招待旅行は、英米のみならず中ソもやっていた。どっちにも行き、是々非々で論じるのがベスト。ただ、中ソに行った側の人は、モデルコースを歩かされて「洗脳」されることが多かったように思える。英米のほうは、まだ行動観察の「自由」があったのではないか)。

「労働組合幹部である前に日本人であるという自負」――そうだよね。国立大学でも卒業式には国旗掲揚と国歌斉唱を…と政府が言っただけで、居丈高に反対論を展開する新聞社の論説委員がいるけど、その言い方がまぁ凄い?

「大学への不当な介入だ」(朝日社説・2015・4・11)として、「大学は国の言いなりに教育を行う機関ではない。政府の意向や社会の価値観など一切に縛られず、自由で多様な研究を深めてこそ学問の価値が保たれる」「そんな敬意もなしに介入しようとする政権の姿勢は、大学の空気を一変させかねない。首相と文科相は猛省すべきである」と結語。

「大学は国の言いなりに教育を行う機関ではない。政府の意向や社会の価値観など一切に縛られず、自由で多様な研究を深めてこそ学問の価値が保たれる」というのはたしかにその通りだと思うが、卒業式に国旗掲揚と国家斉唱を要請することに対して、そんなコメントをするのはちょっと居丈高すぎるのではないか? 肩に力が入りすぎ? 力みすぎでは?

毎日も同日付け社説で「大学の判断に任せては」と題して反対論を展開しているが、国旗掲揚、国歌斉唱の「要請が大学にとっては圧力と転じ、ひいては自由な教育・研究の土台である『大学の自治』に影を投じかねない」云々と書いている。まぁ、朝日よりはまだマイルド?

僕は高校野球にはさほどの関心もないが、春夏の甲子園大会って、たしか、国旗掲揚を球児がやって、国歌斉唱を球児もやっていたかと(あの両手をブンブン挙げての行進や、一律坊主頭の光景に、戦前の軍国主義的復古を感じる人もいるのではないか?)。https://www.youtube.com/watch?v=zgEVSDRnCoI

この春夏の甲子園大会の主催者は、毎日新聞と朝日新聞であるのは言うまでもない。

今後は、心あるリベラルな高校は、とりわけ沖縄選出の高校や埼玉川越あたりの高校などは甲子園に出場した時、国旗掲揚や国歌斉唱の時には、中座するなり退場するなり、野球帽をかぶったままにするなり、抵抗の姿勢を示してもいいことになろう(朝日などは、文科省と違って、開会式で国旗掲揚や国歌斉唱を強制していないとの詭弁を弄すようだが、それに逆らっても何の処分もしないということのようだから……)

全体的画一主義に抵抗する勇気ある球児や校長はいないものか? 卒業式に国旗掲揚するのも国歌斉唱するのも嫌な教員、起立しない教員も多々いるようだ。当然、その中には野球部関係者もいるのではないか。ガンバレ? 甲子園開会式でも国旗掲揚国歌斉唱に抵抗する姿勢を示してこそ、「戦後民主主義」は守られるのだから?

もし、それを理由に甲子園出場を取り消されたり、開会式への出場を禁止されたり、一言でも注意されたりする恐れがあれば断乎と抵抗し、こんな声明を、校長や球児たちは発表すべきであろうか? 


「甲子園出場高校は朝日の言いなりに野球を行う機関ではない。朝日の意向や社会の価値観など一切に縛られず、自由で多様な練習を深めてこそ野球の価値が保たれる」「そんな敬意もなしに介入しようとする朝日の姿勢は、甲子園大会の空気を一変させかねない。朝日社長と論説主幹は猛省すべきである」

僕だって、中国や北朝鮮相手のサッカーなどの試合で、共産国家が国旗掲揚をしたり国歌斉唱したとしても、静かに見守る程度の心構えは持っている。
国旗を引きずり下ろしたり、斉唱している時にどっかの野蛮国家の野蛮民衆のようにブーイングをしたりはしない。「拉致被害者を返せ」とか「チベットから出て行け」と怒鳴ったりはしないし、そんな垂れ幕を提示したりはしない。スポーツ試合はスポーツ試合だ。儀礼儀式的な慣習に関して、政治的な見苦しい行為はしない。

文明社会に生きる文明人として、その程度のマナー(儀式での礼節)は持っているものだろう。

沖縄でも普天間移転問題などの問題で、米軍基地前で「ヘイトスピーチ」(ヤンキー・ゴーホーム、ファックユー)と叫んでいる手合いがいるそうな。こういうのも「ヘイトスピーチ」だろうに、左の側がするのは、問題にしないのだろうか? 日本の一部新聞は、二重基準、二枚舌?

「朝鮮人は出て行け」「ヤンキーゴーホーム」。僕はどっちも嫌悪感を覚える(ただ、朝鮮総連前での抗議運動の時に、「北朝鮮の傀儡たちは、ここから出て行け」というのはギリギリ許されるスローガンではあろうか?)。
ともあれ、しかし、合法的に居住・駐屯している相手に対しての罵詈雑言は見苦しい。適正な反対運動は民主主義に不可欠。しかし、暴力やあまりにも見苦しい暴言や爆音(暴音?)を伴うものは非民主的と思う。

そもそも甲子園大会って、朝日毎日と高野連とかの主催。文科省やNHKは協賛しているの? 何の関係もない? だったら、朝日も毎日も民間会社。その主催するスポーツ大会で、国歌斉唱や国旗掲揚をするかどうかなんて、もちろん、毎日・朝日の日頃の社論の思いのままでいいのではないか。「社是」にのっとって、大会開会式で、国旗掲揚や国歌斉唱をしなくてもいいではないか。いや、しないほうが論理的ではないのか?

少なくとも、球児や観衆にそれを強制する必要はあるまい。国旗掲揚の時に「脱帽」や「起立」を強要するのも、憲法に定められた言論の自由を奪うものではないのか?

もしかして、そんなことをしているのは、文科省の圧力があってのことなのだろうか? 朝日や毎日や高野連は、開会式で国旗掲揚をしたり国歌斉唱を女子高校生などにさせているのは、文科省の圧力に抗しきれず、言いなりになっているのではないか?
まさか? いや、ネバーセイネバー。

一刻も早く、甲子園大会から日の丸と君が代を圧殺すべきではないのか。僕が高校生で甲子園大会に出場したら、開会式はボイコットするかも。髪の毛も金髪にしたり長髪にする必要も感じないが、あんなにも坊主頭にしなくてもいいのではないか。

「甲子園大会への不当な介入だ」(朝日社説・2015・?・?)として、「甲子園は国の言いなりに野球を行う機関ではない。政府の意向や社会の価値観など一切に縛られず、自由で多様な価値観を深めてこそ野球の価値が保たれる」「そんな敬意もなしに介入しようとする政権の姿勢は、甲子園の空気を一変させかねない。首相と文科相は猛省すべきである」と書けばいいのである。

ともあれ、落合英一氏の『北米の土と英国の血 欧米旅日記』 (出版タイムス社)は、宇佐美忠信氏の『志に生きる 足は職場に、胸には祖国を、眼は世界へ』 (富士社会教育センター)につながるものだろう。
健全な常識を持ってこそ、本当の意味での民主主義は守られるものだと思う。

居丈高な社説の屁理屈を読むにつけ、横断歩道で、青信号だからといって、歩行者がわざと横断歩道の真ん中で、停止したりゆっくり歩いたりしているような様を想起する。

青信号だから、横断歩道内に歩行者がいるのは当然だけど、五体満足で普通の速度で歩けるなら、さっさと歩き、歩行者の列が開けば、その間、車がスムースに横断できれば、交通事情もよくなるだろう。
にもかかわらず、そういう人が、わざと青信号中、ずっと横断歩道に居続けるのは歩行者の当然の権利だと主張し、わざとさっさと渡らず、横断歩道を行ったり来たりして、車の進入をことさら妨げ、そして青信号が点滅しだして、やっと渡り切るようなことをしているとしたら、交通渋滞になりかねない。そういうことをして楽しむ変な歩行者も世の中にはいることだろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。


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