古本虫がさまよう 某新聞社の「検閲」には「削除(→「歴史学的に」)」のみならず「加筆(→「戦争」)」もあり
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某新聞社の「検閲」には「削除(→「歴史学的に」)」のみならず「加筆(→「戦争」)」もあり
(2015・3・18・水曜日)





前コラムの「誤植」の続きではないが、渡部昇一氏の『朝日新聞と私の40年戦争』 (PHP研究所)でも触れられていたように、教科書の記述で、中国への「侵略」を「進出」に直したりしていないのに、点検の際に見間違えて、そういうふうに修正していると大騒ぎした教科書誤報事件はともかくとして、戦後70年談話に関する有識者懇談会などで、北岡伸一氏が先の大戦に関して「侵略戦争であった」という趣旨の認識を語ったということが、3・14の各紙朝刊に掲載された。

朝日新聞は「侵略」と聞くと条件反射的にとても元気が出てくる新聞なようで(ソ連の侵略とか中共の侵略などには関心か薄くなるが‥‥)、3・14朝刊でも「北岡氏『侵略戦争』」「70年談話有識者懇で認識」という見出しで長めの記事を掲載していた。

ところが、3・15朝日朝刊に、この記事の中で、 「見出しのほか、本文中に北岡伸一・国際大学学長が先の大戦について示した認識が『侵略戦争であった』とある部分は「歴史学的には侵略だ」の誤りでした。懇談会の終了後、記者団の取材に応じた北岡氏は先の大戦について『私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的には』と答えていましたが、『侵略戦争』という表現は用いていませんでした。確認が不十分でした。訂正しておわびします」』という「訂正」が出たのである。おやおや?

たしかに、朝日以上に「侵略」という言葉が好きな(?)東京新聞とて、3・14では「北岡氏『侵略』強調の意図」という見出しで、北岡氏のコメントとして「侵略は国際法上、歴史学上、政治学上の概念があり、いろんな意見が出た。私はもちろん(先の大戦は)歴史学的に侵略だと思っている。そのことは説明した」と正確に紹介している(ようだ)。

読売新聞(同日)も、「『20世紀』巡り議論」という見出しのもと、先の大戦の行為について「歴史学的に侵略だと思っている」と報じている。

もっとも産経(同日)とて、「20世紀の歴史認識」「北岡氏『侵略戦争』」との見出しになっている。朝日と同様だ。しかし、文中には、会議後、北岡氏は記者団に対して、「先の大戦について『歴史学的に侵略だと思っている』と重ねて強調した」とある。

要は、ソ連のポーランドやフィンランド侵攻・侵略や中共のチベット侵攻・侵略が「侵攻」「侵略」でないというのなら、日本の満洲侵攻も侵攻・侵略ではないと僕は思うが、おおむね、他国の領土内に攻撃していけば、原則的に侵略と見られても仕方あるまい。
北岡氏とて、そういう認識から、太平洋戦争やシナ事変を侵略戦争だと見ているのだろう。だが、やみくもに、日本だけが侵略戦争をしたとまでは思っていないだろう。
なにしろ、原書房刊行のジョン・ヴァン・アントワープ マクマリー、 アーサー ウォルドロン の『平和はいかに失われたか 大戦前の米中日関係もう一つの選択肢』の監訳者でもあるのだから。

第二次大戦(の前後)一つとってみても、「戦勝国」ソ連のポーランド侵攻やそのあとのフィンランド侵攻は「侵略」であったといえよう。フィンランド侵攻によって、ソ連は日本同様に国際連盟からの「脱退(ソ連は除名)」を余儀なくされているではないか。普通、こういうのを「同じ穴の狢」という?

戦争を反省するというのは、こいういうふうに「同盟」関係を見誤ったりしたことを第一に考えるべきなのだ。空襲の悲惨な体験も「戦争体験」であろうが、なぜ、こんな空襲をする国と戦争をすることになったのか、この国と同盟していたらこうはならなかった?というふうに考えることも大事だ。付き合う友人を選ぶにあたって、不良と付き合うか、いい奴と付き合うか‥‥。不良にもいろいろとある。そういう選択肢は慎重にやっていくべきだろうが、友好国、同盟国も同じ視点から選ぶべきだろう。

ともあれ、中共が、チベットは侵略したのではないというのなら、日本とて満洲に関しては侵略したのではないということも可能だろう。だが、僕はどちらも侵攻だとは思う。侵略と言ってもいい。もちろん「進攻」ともいえようが。同じ行為に関しては、同じ言葉を用いるといいのだが、世の中には、同時期のポーランド侵攻でも、ナチスドイツがやると「侵略」で、スターリンソ連がやると、「領土を得た」なんて書く人がいるから困るのだ。この問題を考える上で、すぐに思い出したのは、勝田吉太郎氏編の『日本は侵略国家ではない』 (善本社)だ。細川首相が侵略云々と発言した後に出た本で、読後感は薄れているが……。タイトルにしても、欧米列強が侵略国家でないなら、日本とて……というニュアンスもあったかと。いろんな人が書いていたから、さまざまであったかとも。

歴史学的に見て、どっちも侵略と見ることに反対はしない。その点で、北岡氏のコメントに関しては、一定の評価も可能だろう。ただ、だからといって、他国の「侵略」は無視して、そうだそうだ、日本は悪い国だ、侵略国家だと囃し立てるために、北岡氏のコメントを最大限に利用するのはおかしいだろう。

北岡氏も、いろんなところで講演したりすると、多少口がなめらかになってしまうときもあろう。→3・9のシンポジウムで北岡氏が「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」と述べたのを捉えて、3・17付けの産経正論欄で、長谷川三千子氏が、「歴史を見る目歪める『北岡発言』」というエッセイを書いている。これは歴史学的にはともかくとして、国際法的に見て、先の大戦が日本の侵略戦争であったという見方に反論している趣旨のもの。

北岡氏は3・9のシンポジウムでは「沢山の中国人を殺して誠に申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば99%がそう言う。私は安倍首相に『日本は侵略した』と言ってほしい」と語っているようだ(読売前出記事)。

このあたり、「日本が満洲を侵略し併合したのは、中国がチベットを侵略して併合したのと同じ侵略行為であった」と、安倍氏などがいえばいいのかもしれない?

ともあれ、北岡氏は、記者団の取材に関して、限定的に「歴史学的に侵略」と丁寧に言ったのに、「歴史学的に」を削除して、「戦争」を付け加えて、より普遍的に強調する形で報じた朝日の「検閲」(加筆・削除)には、断乎文句を言ったのではないか。新聞記者は、歴史の証言者を自称するなら、言葉には気をつけないといけない。他山の石?

ともあれ、ネバーセイネバー。

 以下言葉の言い換えを考える上での過去の記事を再録。


原発礼賛論者より酷い! 「史上最も悲惨で破壊的な人災(大躍進)」を「中国歴史上いまだかつてない国民経済の全面的な躍進をとげた」と書いた上原専禄以下の進歩的文化人の「言論責任」は厳しく問われるべきだ
(2014・8・1・金曜日)

ソ連や中共の周辺諸国への「侵略」は、「進駐」「進攻」と言い換える進歩的文化人や左翼人や「良心的財界人」などの見え透いた偽善的テクニックはあまりにもお里の知れる筆致であることは、これまで何度か指摘してきた(むのたけじ氏や品川正治氏など。こういう単なる「容共リベラル」どまりの人を良心的ともてはやす一部新聞の「良心」と「知性」を僕は疑う)。

この前紹介した太田昌国氏の『極私的 60年代追憶』 (インパクト出版会)に、こんな教科書検定にまつわる話が出ている。

上原専禄氏編の『日本国民の世界史』 (岩波書店)という本が1960年に刊行されているそうな。これは1958年の教科書検定で不合格になったものを、岩波から刊行したものとのこと(その後、家永三郎や久野収などの検定不合格教科書を三一書房が刊行したりもした。 『検定不合格日本史』『検定不合格倫理・社会』 )。

太田氏はそれを読んだのだが、岩波のまえがきで、文部省が不合格にした理由を例示していて、一つには「ヒトラーのチェコスロヴァキア占領を『併合』と表現しながら、バルト三国については『バルト三国、カレロ=フィン共和国となったフィンランドの一部、ルーマニア東部のモルダヴィアなどがソ連に加えられた』となっていたからだそうな。
太田氏は、このことに関して、紹介しているだけで、特にコメントしていないが、こんな偏向記述があれば、当然不合格にするのが当たり前で、文部省が正しいというしかあるまい。あまりにもソ連迎合、イデオロギー過剰論だ。
ともあれ、岩波の原著にあたってみた。

すると「まえがき」で、そうした指摘に対して以下のように反論している。

「もちろん、われわれもソ連の政策のなかに、一定のパワーポリティックスがはたらいていたことを認めるものであるが、しかしヒトラーの侵略と全然同じ意味のものとして表現することはできない」と。

ううむ、こういう左巻きの人には、この前紹介した、サンドラ・カルニエテの『ダンスシューズで雪のシベリアへ あるラトビア人家族の物語』 (新評論・黒沢歩氏訳)の一読をお勧めしたい。

彼ら(バルト三国人)にとって、ナチスドイツもスターリンソ連も、独立を侵し、異民族支配を強行する危険な独裁者・独裁国家でしかなかったのだ。それを、片一方を「併合」と批判しながら、もう一方は、「加えられた」云々とは。
そして、「ソ連の政策のなかに、一定のパワーポリティックスがはたらいていたことを認めるものであるが、しかしヒトラーの侵略と全然同じ意味のものとして表現することはできない」とは、あまりにも知的愚鈍なコメントというしかない。民主主義的価値観を知らない輩の言うセリフではないか。

バルト三国は自らの意志で、むしろ喜んでソ連邦に加入したわけ? ならば朝鮮だって喜んで日本に併合されたことになろう。

ソ連支配下の母国に強制帰国されるのを嫌がって、命からがらスウェーデンからアメリカへ「筏」に乗って亡命した体験者であるC.B.ウォールの『エルマ号漂流記』 (時事新書)は1956年に訳出されているけど、上原さんなどの進歩的文化人は読みもしなかったのだろうか。読んでも、「ふん、反共本め」と思っていたのか? だとしたら、やはり愚かすぎる!

教科書本文でも、 「ドイツ軍が大挙してポーランドに侵入すると、英仏もドイツに宣戦」「ソ連も東部地方に出兵し、ドイツとともにポーランドを分割占領した。やがてソ連はバルト三国と相互援助条約を結んで軍事基地をえ、また一九三九年、フィンランドと開戦し、国境地方の一部をえた」「ドイツ軍はデンマルク・ノルウェーを占領した」‥となっている。

おやおや、そんなにソ連を庇いたいのだろうか、ドイツが他国に対してやったことは「侵入」「占領」だけど、ソ連が他国にやったことは「出兵」「(軍事基地や領土を)得た(えた)」となるわけ? 

フィンランド侵攻でソ連が、国際連盟から除名されたという事実も指摘されていない。国際連盟から出ていった(追い出された?)点で、日本とソ連は「同罪」の「侵略国家」ではないのか? 満洲事変は侵略戦争で、フィンランド侵攻は自衛戦争なわけだろうか?

日本の満洲や中国への侵攻がいけないなら、ソ連のフィンランド侵攻もいけないはずなのに? 

相手がソ連さまだと「一九三九年、フィンランドと開戦し、国境地方の一部をえた」となるが、相手が日本となると、盧溝橋で日中両軍が衝突すると「日本軍はたちまち華北の主要地域を占領し、ついで年内に上海および首都南京を占領し、翌年十月には武漢三鎮と広東を占領した」となる。

占領占領占領と続くが、なぜ日本の場合も、「占領した」ではなく「領土の一部を得た」と書けないのだろうか? ダブルスタンダード、二枚舌もほどほどにすべきではないのか? 

 こういうのを、見苦しい、ソ連を祖国と見なす偏狭なナショナリズム的筆致というのだ。進歩的文化人こそ、奇妙奇天烈なる感情的ナショナリストの典型なのだ。

もっとも、教科書の先の記述のなかには、さすがに、「ドイツとともにポーランドを分割占領した」との表現はあるけど。これは主語が共通し同時進行劇であったから、一方(ソ連)を「得た」とするわけにはいかなかったのだろうか? それとも誤植? それとも初期の検定意見で修正したのがそのまま残ってしまった?

そのほか、朝鮮戦争も、北朝鮮の南侵とはもちろん書かない。

「朝鮮で激しい対立を続けていた南北二つの政府の間で、軍事的な衝突がはじまり、韓国軍はたちまち半島南部に追いつめられた」と。主語は明記しない。

でも、「十二月八日、日本海軍のハワイ真珠湾急襲によって、太平洋戦争は始まった」と書いているのだから、朝鮮戦争だって、「六月二十五日、北朝鮮軍の急襲によって、朝鮮戦争は始まった」と書くべきではないのか?

さすがに、このころはソ連の輝きも薄れてきていたこともあってか、称賛はもっぱら中共に移行しつつあったようで 、 「一九五八年からは、その成果をもとにして、第二次五カ年計画を開始し、中国歴史上いまだかつてない国民経済の全面的な躍進をとげた」「中国はモンゴル族・回族・ウィグル族・チベット族」などの「少数民族の発展と調和をはかることが必要であり、諸民族の平等を基準とする民主的改革が行われた」と記している。

さすがに、その記述のあとで、1959年3月のダライ・ラマの亡命の事実は指摘もされているが、それにしても「大躍進」とやらを真に受けての「中国歴史上いまだかつてない国民経済の全面的な躍進をとげた」との筆致。ウイグルやチベットなどに対して「諸民族の平等を基準とする民主的改革が行われた」? あなたの頭は大丈夫? といいたくもなる。1960年刊行の本とはいえ。

フランク・ディケーターの『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』 (草思社)、ジャスパー・ベッカーの『餓鬼(ハングリー・ゴースト) 秘密にされた毛沢東中国の大飢饉』 (中央公論新社)や、楊海英氏の『墓標なき草原 上下』 (岩波書店)、『植民地としてのモンゴル 中国の官制ナショナリズムと革命思想』 (勉誠出版)や、水谷尚子氏の『中国を追われたウイグル人 亡命者が語る政治弾圧』 (文春新書)やチベット僧パルデン・ギャツォが、自ら弾圧を受けた体験記『雪の下の炎』 (新潮社)などを読ませたくもなる?

これらは、近年の作品ではあるが、それにしても、「史上最も悲惨で破壊的な人災」を「中国歴史上いまだかつてない国民経済の全面的な躍進をとげた」と書いた上原専禄以下の岩波進歩的文化人の「言論責任」は厳しく問われるべきだろう。原発礼賛論よりも酷いというしかあるまい。

こんな酷い恐るべき教科書で学ぶ子供が、検定不合格によって少しでも減ったのは喜ぶべきことだ。

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