古本虫がさまよう 今から約半世紀前の1965年-1969年(頃)に、我々日本人は何をしていたのか?
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今から約半世紀前の1965年-1969年(頃)に、我々日本人は何をしていたのか?
(2015・3・4・水曜日)





『ザ・クロニクル 戦後日本の70年 5 1965-69 反抗と模索と』(共同通信社)を読んだ(見た)。
その期間の写真集。僕はその時期、生まれていたが、小学生の時期。東大安田講堂やベ平連なども田舎育ちということもあって、さほどの記憶はない。リアルタイムで直接見る機会はないし、テレビニュースにしても、そのころはマンガアニメなどを見ていた時期だろうし。 民放テレビも田舎は数が少なかった。人気アニメは、系列局でなくても、時間帯をやりくりして放送することはあったようだが。

テレ朝の久米宏の夜10時からのニュース番組を見たくても見られない(?)幸運な県でも、「ドラえもん」は変則的な時間帯で見ることは可能だったはず(日曜の朝6時ころとか?)。今はどうか知らないが?

アメリカ大使館前で、「ベトナムに平和を」なんてプラカードの写真を持ってデモをやっていたり、ふてぶてしい感じの小田実などの顔写真もあるが、この手合い、1975年以降のベトナム難民発生の時、何をしていたことやら?
そのあたりのことも一言、説明文に書くべきではないのか?
「チベットに平和を」なんてことも中共の「情報管理」のために、行なおうとはあまりしない自由世界の鈍感さには呆れるが。

原水爆禁止日本協議会が、1965年2月に分裂した写真も出ているが、「路線の違いで分裂」と記しているだけ。どういう「路線の違い」だったのかぐらい、もう一言書くべきではないのか? ソ連の核実験には賛成するような手合いがいたわけなのだから、いくらなんでもそんなのとやってられるかよと。社会党系だって、日共と違ってそこまで当時はソ連に迎合していなかったのだから。スペースの事情もあるかもしれないが、写真キャプションがイマイチの感が否めない。分裂の内部事情は、以前紹介した 日高純氏の『日本の中の異境 秘史日本原水協』 (彩光社)が詳述している。情けない「反核平和運動団体」だったというしかない。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」典型組織。

でもこの写真集。当時の公害の被害の数々も記されている。これは参考になる。中国を笑ってばかりではいけない。

そのあと、八木忠栄氏の『「現代詩手帖」編集長日録 1965-1969』 (思潮社)を読んだ。偶然にも、サブタイトルの年号が同じ。「現代詩手帖」なる雑誌はあまり手にしたことはない。鮎川信夫さんが生きていた時、たまに読んだことがあるぐらいか。
その雑誌の編集長をしていた著者による編集者としての日常雑記といった感じの本。

このころ、今と違って、ファックスもない、メールもない、パソコンもワープロもない時代。原稿を受け取るためには、郵送でなければ、自宅に行ったりどこかで受け取るのが原則。そして今は無き印刷工場への出張校正もルーティンワークだったようだ。「昭和」の哀愁・哀感を感じとることも可能か。
富岡多恵子や草森紳一や田村隆一や鮎川信夫などさまざまな作家・詩人の名前が出てくる。

一九六七年四月十九日 水曜日 曇・雨 

朝、法政大へ粟津則雄の原稿をもらいに行ったが、まだ。本郷の東大へ生野幸吉の特集原稿をもらいに行き、1時間ほど待たされて受けとる。後日、詩を書いてもらうことを約束。黴臭く陰気な国立大学。
田村隆一来社。少々ご酩酊の様子だったが、社から千円借りて素直に帰る。市ヶ谷駅まで一緒だった。法政大学へ行って粟津さんから特集原稿をもらい、『ランボオ全作品集』を2冊渡す。そのあと、特集原稿をもらいに西原の林光宅へ。



田村隆一さんはやはりお酒好き? ファックス、メールの時代だと、この日なら、法政大学や東京大学に行く必要はなし?

以前、菅原孝雄氏の『本の透視図 その過去と未来』 (国書刊行会)を紹介したことがあるが、彼は思潮社にいたこともあった。「編集部で机を並べたのは、いずれも詩人の川西健介、辻征夫、八木忠栄の三人で、齢がほとんど同じ辻征夫とは、互いに自宅へ遊びに行ったことがある」と記していた。


それにしても、半世紀前か……。我が人生も煮詰まってきた感がある?

ともあれ、ネバーセイネバー。
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古本虫様より13歳くらい年齢が上だと思います。(1946.10生まれ)50年前の今日、1965年3月4日には、仙台市内で大学入試受験中。志望校にことごとく落ちて大学浪人の身分になった。半年ほど吉祥寺付近に住まいあり。古書店で清水正二郎翻訳の「涙の女体」を購入した記憶が鮮明に蘇ります。日韓条約や、トンキン湾事件勃発の頃。飯田橋駅付近をウロウロしていました。飯田橋に映画館「佳作座」があった頃です。
青木明  03/04/2015 Wed URL [ Edit ]
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