古本虫がさまよう アメリカに「レーガン」はいないのか?
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アメリカに「レーガン」はいないのか?(2015・2・5・木曜日)






「イスラム国」による、ジャーナリスト殺害はむろんのことだが、ヨルダンのパイロット処刑(火あぶり)の報道を見るにつけ、あぁ、昔の日本軍の捕虜虐殺(虐待)以上にひどいことをしているなと感じた。

大岡昇平氏の『ながい旅』 (角川文庫)は一読したし、映画(「明日への遺言」--主演・藤田まこと他)も見た(細かい筋は忘れた)。

名古屋を無差別空襲したB29。高射砲攻撃で破損したか故障か何かが原因で墜落し、パラシュートで脱出した米兵パイロットは捕虜になった。しかし、その捕虜を殺した責任をめぐって、戦後占領軍によって裁かれた日本軍人…。事実に基づく作品だったかと。

内容紹介
第二次大戦中、空爆を行った米軍搭乗員の処刑を命令した容疑で、B級戦犯として起訴された東海軍司令官・岡田資中将は、軍事法廷で戦う決意をする。米軍の残虐な無差別爆撃を立証し、部下の命を救い、東海軍の最後の名誉を守るために。司令官として、たった一人で戦い抜いて死んだ岡田中将の最後の記録。『レイテ戦記』を書き終え、戦争の総体を知った大岡昇平が、地道な取材を経て書き上げた渾身の裁判ノンフィクション



日本からすれば、無差別空爆自体が「戦争犯罪」。その実行者を処刑するのは間違っていないということにもなろう。もちろん、軍事裁判というか、捕虜を処刑するにも国際法、戦時国際法などにのっとって行なう必要があろう。
そのあたり、南京にしても、行き過ぎた「捕虜」の処断があったのではないかということは問われている(だが、それと無辜の市民30万虐殺論があった云々を針小棒大だと批判するのはありうることであって、次元の異なる問題)。

「勝てば官軍」ということで、広島や長崎への原爆投下や東京大空襲の無差別「テロ」ともいうべき米軍の戦争犯罪の「罪」は問われることはない。戦争中だったから仕方ない? その側面もあるのは否定できない。

しかし、最近は、民間人への被害を最少限度にしようという努力を米軍などもしてはいる。無人偵察機プレデターなどを駆使して、空爆を軍事拠点やテロリストの集結しているビルなどに限定して攻撃を行なうよう努力をしている。
もちろん、それでも誤爆もあるし、テロリトスのビルかとおもったら病院だったといったミスもありうるが、一昔前の太平洋戦争下に受けた日本の被害よりは、はるかに限定的であろう(もっとも、あの当時でさえ、それなりに局地攻撃をしていたのであって、日本にある英米がらみの施設などは被害を免れていたようだが)。

にもかかわらず、空爆で婦女子が被害にあっていると、「イスラム国」の関係者がことさら騒ぐならまだしも、日本の一部マスコミが唱和しているのは解せない。

今問われるべきは、米軍などの有志連合の「軍事力」の被害ではなく、野蛮極まりない、ならず者の「暴力」による被害のほうではないのか。「質」を問うべきだ。

あさま山荘に人質をとって立てこもったテロリスト。「総括」という名で「同志」を処刑したテロリスト。そうした急進的というか、単細胞的なテロリスト相手に何人の警官が殺されたのか。何人の民間人が殺されたのか(三菱重工爆破事件など。→門田隆将氏の『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』 (小学館)参照)。

かつての日本軍の行き過ぎた捕虜処断や米軍の原爆投下などは同じように批判されてしかるべきだろう。戦時国際法に反する、戦争犯罪とみなしてもいいかもしれない。

しかし、今日、軍事拠点を中心に攻撃をし、誤爆などで周辺の民間施設や民間人が被害を受けたとしても、それは「戦争犯罪」とはみなすわけにはいくまい。その誤爆のパイロットを残酷な形で一方的に処刑するのもおかしいだろう。

それを思えば、21世紀の今、ああした形で、軍事捕虜やジャーナリストを見せしめで処刑するのは、譬えると、ナチスがユダヤ人をガスで殺害するにも似ているといえようか。

ユダヤの難民と違って、ヨルダンのパイロットは空爆によって、婦女子を殺していると「イスラム国」はいうかもしれないが、それはちょっと違うだろう。「戦争」によって民間人の被害が出るのはやむをえない側面がある(当事者にとっては許せない哀しいことには違いないが)。

戦争、戦闘はそれとして、無抵抗、降伏の意志を示した軍人を「捕虜」として処遇するのは戦時国際法などが定めるところであろう。それを無視しての処刑と、裁判によって死刑が確定した容疑者を処刑するのとでは、同じ処刑であっても大きく異なると見なすべきだ。

ヒトラーにしてもポルポトにしても、他の左右の全体主義者にしても、その芽が小さい時につまみ出し根絶すべきだった。それをしなかったために、何百万もの人々の命が奪われたのだ。「大木」になってしまっては、鋸で伐採することも不可能になる。今ならまだ間に合うのではないのか?

無人偵察機や、一歩改良した無人攻撃機などによって、「イスラム国」の軍事拠点を一つ一つ潰してはいるのだろうが、一定の地上兵力の投入なくして「イスラム国」の打倒は難しいだろう。

ヒトラー帝国とて、空爆だけでは降伏しなかった。ドイツ国内に歩兵や戦車が入って行った。
日本とて、硫黄島や沖縄で死闘を繰り返した。硫黄島や沖縄は空襲や艦砲射撃だけでは占領は出来なかった。降伏もしなかっただろう。
そして原爆投下もあったが、ソ連軍の満洲侵入もあった。日本の本土上陸も寸前だった。その上での軍事的降伏だった。


そもそも、日本が戦争やテロを放棄すると宣言をしても意味はない。戦争やテロは日本を放棄はしないのだから。
「イスラム国」やテロリストの行為は、かつてのナチスのユダヤ虐殺にも似た人道に対する罪といえるかもしれない。

変な譬えになるが、そうしたテロリストやナチスの虐殺に三分の理もないということは、誤報を垂れ流したとしても、その元記者に対して、匿名で暴力を振るうと脅迫するような輩に三分の理もないのと同じであろう。


ゲーテの『ヘルマンとドロテーア』 (新潮文庫ほか)は学生時代愛読したことがある。混乱の時代に二人が愛を誓う最後の一節……。

今手元に本がないが、記憶ではこんな趣旨のことを綴っていたかと。

志を堅く持ち、両親や妻子のために戦い、共に倒れた勇敢な国民は、いつの時代にも誉めそやされるものだ。小心翼々とすることなく、敵が攻め込んできても、ドロテーアよ、身支度をさせてくれ、そして両親の面倒を見てくれ…。私は安心して敵に向かうだろう。誰もが私と同じような考えになれば、力に力が拮抗して、私たちはみな平和をたのしむことになるだろう……。

平和を楽しむためには、非武装だの無抵抗だなんだのと言ってはいられない。

レーガンが大統領だったら、「イスラム国」はもう存在しなかったかもしれない。アメリカに「レーガン主義者」はいないのか?

ともあれ、ネバーセイネバー。




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