古本虫がさまよう 朝日新聞校閲センター長も、かつて見逃したかもしれない間違えやすい現代政治用語(挺身隊&従軍慰安婦&慰安婦&解放勢力‥)
2017 10 / 09 last month≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11 next month


朝日新聞校閲センター長も、かつて見逃したかもしれない間違えやすい現代政治用語(挺身隊&従軍慰安婦&慰安婦&解放勢力‥) (2015・1・24・土曜日)





朝日新聞記者有志による『朝日新聞 日本型組織の崩壊』 (文春新書)を読んだ。

「有志」ということで、複数の筆者によるものかもしれないが、読んでいくと、慰安婦関連のこの記事を書いたのは私である云々と出てくる(「私の書いた慰安婦記事」)。

ともあれ、その部分を読むと、92年1月11日付けの朝刊一面トップ記事(「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」)を書いたのは私であるとして、その記事を掲載するにいたるまでの裏舞台を詳述している。

前年91年12月24日頃に吉見義明氏(中大教授)から、「こんな資料があるんですが、興味ありますか」と厚生省詰めだった著者に連絡してきたという。それがきっかけで取材して、92・1・11の記事になったという。

裏付け取材のために防衛研究所図書館を調べようにも年末年始のお休みで、年明けてから確認。資料の写真撮影などをしての掲載の運びとなったとのこと。

朝日記者は、その時、解説メモとして、ほかの記者が「従軍慰安婦」の説明として、「朝鮮人を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる」といった間違った説明を付記していたことを悔悟懺悔しているが‥‥。

ううむ、この時、『朝日新聞校閲センター長が絶対に見逃さない間違えやすい日本語』 (すばる舎)の著者である前田安正氏(1955年生まれ。1982年朝日入社)は、東京本社の校閲部にはいなかったのだろうか?
といっても、この本は、「間違えやすい日本語」に関する校正論。

息子に何度手紙を出しても、無しの礫だ。
息子に何度手紙を出しても、梨の礫だ。



どっちが正しい?(答えは159頁)。といった趣旨のもの。ううむ。「無しの礫」が正解かと思いきや?

今年の朝日入社問題に、次の文の誤記を正しく修正せよという問題が出るかもしれない。

挺身隊の名のもとに慰安婦狩りをしたとの報道をした某新聞社に訂正記事を出すように何度抗議しても、無しの礫だった




それにしても、当時、「挺身隊」と「慰安婦」とを混同していると、校閲から記事に関して「?」が付かなかったのは残念?

ともあれ、吉田ダブル虚報問題をめぐる社内の右往左往ぶりなども描かれており、貴重な証言集ともいえる。「一つの見解」として参考になった。

朝日の官僚主義的体質やイデオロギー的偏重は、稲垣武氏の『朝日新聞血風録』 (文春文庫)や烏賀陽弘道氏の『「朝日」ともあろう ものが。』 (徳間書店・河出文庫)にも詳しい。

2015・1・22日付け朝日社説「慰安婦記述」「事実をなぜ削るのか」や、その日の投書欄(声)における「空想的平和主義者」の典型ともいうべき空虚な投書者の主張(「対話路線の強調」「アフガン戦争やイラク戦争の例を見ても、軍事力では本質的な解決はできないのは明らかだ」「武力の行使はテロ撲滅にはつながらない」……)の数々を読む限り、「朝日新聞 日本型組織」というのは、官僚主義以上により深い病根があるのかもしれない。

日米戦争にしても「対話路線」をいくら強調しても、空想的軍国主義者(日本軍?)を説き伏せることはできなかった。原爆投下によって、やっと彼らを「降伏」させたという点で、「軍事力では本質的な解決」が可能になることも歴史上あると見ることも可能になるのではないか。そのために多くの子供や人々が犠牲になったが……。

「結果として」であるが、そうした日本の軍事力の行使が、アジア諸国の「独立」に貢献した側面とてなきにしもあらずといえるかもしれない。
「ネバーセイネバー」だから、「話し合い」で解決することもありうる。だが、「軍事力の徹底行使」によって、テロリストやゲリラを根絶することも可能かもしれない。ベトナム戦争とて、いろんな視点があるが、地続きで北ベトナム・ベトコンを支援する海外勢力があった。それに比べれば「イスラム国」などや、アルカイダに対する戦いは、ポルポト相手に闘うようなものかもしれない。

もっともポルポト派を心やさしい人々とみなしていたのは朝日の和田俊記者だったと記憶しているけど?
ポルポト派の圧政の終焉は、ポルポト派との話し合いによって解決したんだっけ? ユーゴ紛争などの悲劇も話し合いによって解決したんだっけ? 時には武力行使も必要になり、効果をあげることもありうるという事実は否定できないだろう。連合赤軍やらああした活動も話し合いによって解決したわけではない。警察力などの行使があってのこと。
ともあれ、以下のような試験問題を作成してみた?


201×年度某社入社問題→以下の記事の間違いを正せ(校正記号を使って)。その上で、この記事を批評せよ--1975・4・19朝日記事文より作成


カンボジア解放勢力のブノンペン制圧は、武力解放のわりには、流血の惨がほとんどみられなかった。
入城する解放軍兵士とロン・ノル政府軍兵士は手を取り合って抱擁。平穏のうちに行われたようだ。
しかも、解放勢力の指導者がブノンペンの"裏切り者"たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろと繰り返し忠告した。これを裏返せば「君たちが残っていると、われわれは逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。それよりも目の前から消えてくれた方がいい」という意味であり、敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさに あふれているようにみえる。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、 新生カンボジアは、いわば「明るい社会主義国」として、人々の期待にこたえるかもしれない。

カンボジアは内戦中も、秘密警察的な暗さがなかった。ロン・ノル政府側の要人も、警備にはさして関心を払っていなかった。 政府主催の公式レセプションでも検問所はなく、招待状なしでも要人にやすやすと近づくことができた。 これでよく事件が起きないものだと不思議に思ったが、南国的明るさとは暗殺とはそぐわないのかもしれない

ロン・ノル政府は七三年春、王族やその関係者を逮捕したことがあった。彼らの自宅には監視のため憲兵が派遣されたが、 外来者を呼びとがめるわけでもなく、暇をもてあまして昼寝ばかりしていた。
そして、しばらくするうち、憲兵はいつの間にか現れなくなった。逮捕された人たちは起訴もされず、罪状不明のまま釈放された。 拘留中も差し入れ、面会自由。酒も飲み放題だったという。

ハン・ツク・ハク首相(当時)の命を受けて、解放勢力側と接触をはかろうとした人物をたずねたときも、 あまりに開放的なのでびっくりした。秘密的なにおいはまったくなく、こうままにどんどん資料を見せてくれた。 その素朴さと明るさは類がない。

カンボジア王国民族連合政府は自力で解放を達成した数少ない国の一つとなった。
民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。
しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式からみて、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。(和田俊前ブノンペン特派員)




ともあれ、ネバーセイネバー。
スポンサーサイト
 | 新聞論調  | TB(0)  | CM(1) | Page Top↑
表題の件、原告規模史上最大1万人越えも見込まれます。最新情報は「小坪しんやのHP」で検索。誰でも原告として参加できる、とのことです。
青木明  01/24/2015 Sat URL [ Edit ]
----------------------------------------------------------------



Secret




TrackBack URL
→http://kesutora.blog103.fc2.com/tb.php/1885-f7cb157b

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

カテゴリ