古本虫がさまよう 21世紀になっても「平和病」から抜け出せない日本の将来は大丈夫なのか?『戦争よりも本がいい』というならば『北朝鮮よりも日本がいい』『中共よりも日本がいい』『全体主義よりも本がいい』ということにもなる?
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21世紀になっても「平和病」から抜け出せない日本の将来は大丈夫なのか?
『戦争よりも本がいい』というならば『北朝鮮よりも日本がいい』『中共よりも日本がいい』『全体主義よりも本がいい』ということにもなる?
(2014・12・13・土曜日)








投票日までいよいよあと一日。選挙予想が当たるのか、天気「予想」が当たるのか気になるが、日本全国「雪」だらけになると、投票に行くことができなかったり、面倒になったり、どうせ自民が勝つんならいいかと、年輩の保守票が思いの外入らないと‥‥意外な結果になることも?  過去にも勝つ勝つと自民がいわれていたのに、台風がきて投票率が下がって意外な結果になったこともあったかと? ネバセイネバー。

ともあれ、1964年生まれの樋口恒晴氏(常盤大学教授)の『「平和」という病 一国平和主義・集団的自衛権・憲法解釈の嘘を暴く』 (ビジネス社)を読んだ。

この人の本は、『「一国平和主義」の錯覚』 (PHP研究所)や『幻の防衛道路 官僚支配の「防衛政策」』 (かや書房)を手にした記憶がある。
今回の本は『「一国平和主義」の錯覚』の改訂増補版のような形でもある。

新聞や雑誌や評論など綿密に点検した上での、防衛政策の推移を丹念に追った労作だ。防衛問題について、池田勇人が意外と「右寄り」であり、佐藤栄作が意外とリベラルであった‥‥など、おや?と思わせる内容でもある。集団的自衛権だって、かつては容認もされていた。それを今になって‥。
いつからおかしくなったのか? 内閣法制局長官高辻さんあたりから?

まぁ、それ以前は内閣法制局長官といえば、林修三さんという人がいた。この人や佐藤達夫さんなどは立派な人だったといえそう。
林さんは、産経新聞の正論欄にもよく書いており、1980年前後、下級審でおかしな判決が出ると、すぐさま、正論に批判文を書き、僕などはふむふむなるほどと納得して読んでいたものだった。彼の『法制局長官生活の思い出』 (財政経済弘報社・昭和41年刊行)は最近読んだが、学生時代は、『憲法の話』 (第一法規出版)などは左翼憲法学者が多い中では数少ない良書だった。

ともあれ、人間、ジキルとハイド、防衛問題に関しても、ある時はタカであっても、別の時はハトになることもありうるだろう。思想は発展もするし、後退もするし、転進・転向もする。

一貫して、自衛隊肯定、日米安保支持の立場を取る人とて、そのニュアンスは時と場合によって変化する時もあろう。

朝、NHKの政見放送を見ていると立候補者は短時間で、ウルトラマンみたいにシュワッチをやっているかのように身振り手振りで若さをアピールしたり、耳に聞こえのいい主張を展開している。国防問題をそれなりに重視する姿勢を示している人もいる。

左翼政党候補者も、消費税も廃止ではなく、増税反対、5パーセントに戻すというのがせいぜい? 非武装中立を唱える人もいない? 軍事費をなくして(減らして)、その分を福祉に‥という声も小さくなった? 大企業にもっと課税して云々は相変わらずであるが‥‥。時代が僅かなりといえども進歩しているのだろうか? 

樋口氏の本を読むと、防衛政策に関しても若干の進歩(退歩?)がみられるのだろうかと思う。スパイはヤクザと同様に現行法でも最大限に締め上げろと言う視点もなるほどと思った。

それにつけても、「平和病」という病は、本当に困ったもので、「平和憲法」があったから、戦後の日本は平和でいられたなどとマジで言う向きもまだあるようだ。「平和外交」の推進というのならまだしもであるが、自衛隊と日米安保があったからこそ「平和」があったのは紛れもない事実。諸国民の正義と公正云々といっても、北朝鮮の我々日本人拉致の「現実」を見れば、憲法前文の、そういった嘘も自明であろう。

勝田吉太郎氏の『平和病日本を撃つ』 (ダイヤモンド社)が刊行されたのは1982年のことだった。樋口氏のPHPの本が出たのは1993年。
勝田氏も80代半ばすぎ。最近、正論紙上でもあまりお見かけしない。お元気ならいいのだが。

空想的平和主義者による「平和病」も、空想的軍国主義者による「戦争病」もどちらも排した「現実的平和主義」(積極的平和主義?)が僅かであっても、定着しつつあるとすれば慶賀の至りだが‥‥。

『戦争よりも本がいい』 (講談社)という本が出ているそうな。未読だが、そりゃそうだ。賛成。
でも、 『北朝鮮よりも日本がいい』『中共よりも日本がいい』という本もあってもいいだろう。 『全体主義よりも本がいい』というのもいい。多様な価値観を表明できる言論・出版の自由があるのはいいこと。

特定タイトルの本を読みもしないで、あたかも蔑視し、危険だとレッテルを貼ったりする向きが一部大新聞にも見られると心配する人もいるかもしれない。たしかに、それって、戦前の「空想的軍国主義者」の言論弾圧にも似た手法なのかもしれない。でも、今は多様な言論空間が「新聞世論」でもあるから大丈夫?

ともあれネバーセイネバー。

•(以下再録) 2011/09/26(月) 06:08:29
   佐藤尚武氏の『回顧八十年』 (時事通信社)のような本として面白く読んだのが、林修三氏の『法制局長官生活の思い出』 (財政経済弘報社・昭和41年刊行)だ。
 著者は、明治43年生まれ。東京帝国大学法学部卒業、大蔵省入省。戦後は法務庁などに出向し、内閣法制局次長などを経て佐藤達夫氏の次に内閣法制局長官に就任(昭和29年)。その後、昭和39年、池田内閣が総辞職するまで長官を務めた。要は内閣の法律顧問役であったわけだ。
 そのため、その間、国会などで自衛隊、日米安保などの合憲違憲をめぐる憲法論争などの政府委員をつとめたりして、丁々発止のやりとりを野党議員とした。人生モットーは「行雲流水」 。その時々の流れに身をまかせ、あせっても仕方ない、なるようになるといったところ。

 とはいえ、吉田内閣時代の9条解釈を微調整しながら、今日に到る自衛隊合憲解釈に導く上ではいろいろと苦労もあったようだ。
 元軍人の野村吉三郎氏を閣僚にしようとする動きが鳩山内閣時代にあって、文民条項(66条)との兼ね合いはどうなるかで内々問題になったという。元軍人で、かつ軍国主義的傾向のある者を排除するという解釈であったから、大丈夫とは思ったが、「できれば、やめて貰いたいというのが私どもの気持ちであった」とのこと。官房長官や三木武夫氏などにその点を聞かれて「もしそういうことになれば何とか弁護はするがいずれにしても苦しいことでしょうし、できればご遠慮が願いたいという意見を述べ」たという。そのためか、野村さんが閣僚に任命されることはなかったそうな(いまは、元自衛官で防衛大臣・防衛庁長官になる人もいるぐらい。自民党の中谷元氏など)。
 当時の時代風潮を感じさせる回想ではある。

 安保闘争のときに、夜9時半から臨時閣議があったりすることもあったが、今夜は何もなさそうだということで銀座で映画を見に行ったら、臨時閣議招集となったものの、当時は携帯もポケベルもない時代。たまたま映画館を出て車に乗ってニュースを聞いてそれを知って、総理官邸に駆けつけギリギリセーフだったこともあったそうな。

 昭和31年の時、社会党議員からの質問で、外国から航空機や誘導弾などによる攻撃を受けた時、敵の発射基地を叩くことは正当防衛になるのか、海外派兵にはならないのかという仮定的質問があり、他に方法のない場合はそういう発射基地を叩いても正当防衛であり自衛権内の範囲であると船田防衛庁長官が答弁したことがあった。すると、鳩山首相は以前、自衛のためであっても、敵の基地を攻撃していいことにはならないと答弁したことと矛盾するではないかと追及される。
 そこで林氏などが政府の統一見解を思案することになった。

「わが国に対して急迫不正の侵害が行なわれ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行なわれた場合、坐して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば、誘導弾等による攻撃を防禦するのに他に手段がないと認められる限り誘導弾等の基地をたたくことは、法律的には自衛の範囲に含まれ、可能である」「昨年私(鳩山首相)が答弁したのは、普通の場合、つまり他の防禦の手段があるにもかかわらず、侵略国の領域内の基地をたたくことが防禦上便宜であるというだけの場合を予想し、そういう場合に安易にその基地を攻撃するのは自衛の範囲に入らないだろうという趣旨で申したのであります云々」と。

 この統一見解の中にある「坐して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」というのは、林氏の言葉であり「われながら名文句だったと思うのであって、これには、社会党はじめ革新派の諸氏もだいぶ弱ったようであり、これに対するまともな反論はその後みられなかったといってよいようである」と自画自賛している。そうか、その言葉は林氏の「造語」であったのか? 
 坐して自滅してたまるかと。坐して死んでたまるかと。9・11テロのドキュメントがこの前衛星放送でやっていたが、ホワイトハウスに向かっていたテロ乗っ取り機を撃墜する許可を米政府が出したものの、内心葛藤があった様子が描かれていたが、機内の乗客が抵抗したために地上に墜落した。が、これも一種の座して自滅するよりは、抵抗してテロリストの目標を達成させないための行動であったと見ることもできるだろう。
 実際、石破茂氏と西尾幹二氏の対談集でもこのニュアンスの言葉が使われている。 『坐シテ死セズ』 (恒文社21)。北朝鮮のミサイルの脅威が高まってきている今日、しかし、空中給油機などはむろんのこと、爆撃機もないと敵基地を完全にたたくのも容易ではないし、せめて巡航ミサイルぐらいは欲しいもの。こういう兵器を持つのも自衛権内の範囲に入るのかどうか。平成になっても国会でもちゃんと議論はしているようだが……。

 さらに岸内閣時代の憲法論として、小型の防禦的核兵器の保有は憲法上認められるが、保持しないという立場を表明もした。国連軍や国連警察軍への協力も、選挙監視などであれば9条とは関係なく対応可能と見てもいる。といっても、朝鮮戦争のような戦争への参加は、国際警察活動とは異なるので「九条第一項に違反する公算が大きい」とも述べている。

 より双務的に、集団的自衛権を明記する形での日米安保再改定の必要性を産経新聞(2011年9月22日付け)がこの前提言もしていたが、六〇年安保闘争の前後の雰囲気を林氏は本書でも回想している。

「当時の新聞雑誌に出たり、出版になったりした改訂後の新安保条約の内容に関する解釈は、私どもがみて、よくもこれだけの誤解、曲解、こじつけができるものだと感心するくらいのひどいものばかりであった。しかし、こういうねじ曲がった報道や言説が、あれだけジャーナリズムの表面を支配すれば、くわしく内容を検討しようとしない一般大衆が知らず知らずのうちにそれに影響されるのは当然のこと」と指摘もしている。

 先の産経記事の中で、佐瀬昌盛氏が、現行の安保条約を読んだことがある日本国民は5パーセント未満であろう、与党議員でも3割程度だろうと指摘し、「要するに日本人は安保条約を読まないまま、それが『日本の平和と安全に役立っている』と答えるのだ」「これでいいはずがない」と慨嘆している。
僕は中学時代か高校時代か忘れたが、安保条約は読んだ。憲法や他の法律に比べればたった十条の短い条文。読むのに苦労はしなかった。経済条項もあるのかと感心したものだった。林修三氏の執筆した『自衛隊と憲法の解釈』 (有信堂)や『憲法の話』 (第一法規出版)を読んだのもその頃か。
 あれから30年以上が経過しているのに、まだまともな国防認識が日本には定着していないのだろうか。防災意識同様、実際の被害に遭わないと認識できないのだろうか。未だに、片岡鉄哉氏ではないが、 『”黒船待ち”の日本』 (日本教文社)ということなのか。


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