古本虫がさまよう 「ヤクルト・アトムズ」はなぜ「ヤクルト・パンダーズ」にならず「ヤクルト・スワローズ」になったのか? 
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「ヤクルト・アトムズ」はなぜ「ヤクルト・パンダーズ」にならず「ヤクルト・スワローズ」になったのか? 
(2014・11・18・火曜日)






茶園敏美氏の『パンパンとは誰なのか キャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性』 (インパクト出版会)を読んだ。

「パンパン」と言われても、普通の人はピンとはこないだろう。 「アンパンマン」の親戚?  もっとも僕なんか「アンパンマン」と言われると、あぁ‥‥という程度。この前、門田隆将氏の『慟哭の海峡』 (角川書店)を読み、この作品がアンパンマンの生みの親である、やなせたかし氏の弟の生涯を追った作品でもあったこともあり、認識を新たにはしたが。

記憶がいささかあやふやであるが、以前、ヤクルトアトムズがチームの愛称名を1970年代初めに変更するにあたって、当時、ブームだったパンダにあやかり、ヤクルト・パンダーズとかに変更しようかとした時、「パンダ」の「パン」がパンパンガールを想起させるからよしたほうがいいということでスワローズになったことがあった。当時はまだ「パンパン」を知っている人は多かっただろう。今なら大丈夫か?

しかし、こういうタイトルの本が出たからなぁ?

(内容紹介)は以下の通りになっている。

これは占領期の特殊な時期の特殊な話ではない! 占領期、神戸でパンパンと呼ばれたおんなたちはどういう状況で生きたのか、彼女たちとGIたちとどのような交渉をおこない、彼女たちを駆逐し管理しようとする当局へ抵抗したか。
目次 : はじまりは闇の女の登場から/ 1部 パンパンをめぐって(GIとつきあうおんなたちへのまなざし/ 調査報告書にみるおんなたちとリアルなおんなたち)/ 2部 GIをめぐって(1人のGIとコンタクトするおんなたち―下宿というコンタクト・ゾーン/ 不特定のGIとコンタクトするおんなたち―さまざまなコンタクト・ゾーン/ 不特定のGIとコンタクトするおんなたち―さまざまなコンタクト・ゾーン/ 面接現場というコンタクト・ゾーン―調査員とのコンタクト)/ 3部 性暴力としてのキャッチ(おんなたちを待ち伏せするキャッチ/ おんなたちの住まいに踏み込むキャッチ)/ 4部 合法的な性暴力―おんなたちの身体を管理する法(一部のおんなたちに適用された法/ すべてのおんなたちに適用された法/ 2本立ての強制的性病検診)



著者の生年は略歴に書かれていないので不明だが、文中に1960年代生まれと書いてあるから、僕よりは年下。リアルタイムで「占領」当時のパンパンガールを見たことはない世代。僕もヤクルトの愛称変更問題が発生したころ、パンパンを知った程度(当時中学生か?)。
それ以降、関心を持ってはいた? そうしたパンパンとGI(米兵)とのさまざまなシーンが考察されている。

また、たまたまたであるが、この本を読み進めていた時、2014年11月11日付け産経新聞の湯浅博氏のコラムの中で、「パンパン」(と「オンリー」)なる言葉が出てきた。彼は、酌婦・慰安婦問題を論じている中で、アメリカ人も、「性の防波堤」としての米兵向けの娼婦(パンパン)や特定の米兵だけを相手とする売春婦(オンリー)がいた事実をいまや知るまい‥と指摘していたのだ。

ともあれ、本書の「まえがき」で、まず、おやおやと思った。というのは、著者がバイトなどをしていると、老年世代の男たちが、「あいのこ?」といった発言をしばしばしたというからだ。

また英会話塾に通っていたら「インドの方ですか?」「ご両親のどちらかが、インド人ですか?」などとも聞かれたという。著者近影などは本書にはないので分からないが、ちょっと顔かたちや顔色が日本人離れしていてハーフっぼくみえないこともないのだろう。

しかし、英会話塾での会話はともかく、まぁ、他人の顔をそんな風に「コメント」するなんてちょっと常識外れというしかあるまい。
そんな体験もあり、パンパンの研究をするにあたって、それと「あいのこ」との関連などを知り、さらなる考察を辿ることになり、本書が生まれたともいえそうだ。

占領軍兵士への「慰安」との関連で、街娼・売春婦(パンパン)が生まれ、兵力維持のための性病予防の観点から、パンパンのみならず、一般婦女子まで強制狩りともいうべき強制検査、キャッチ(検挙)などが行なわれた実態を、当時のさまざまな文献などを駆使して解剖したノンフィクション研究書である。

性病というのは、男にも女にも双方に「原因」があり、強制的に調べるなら、少なくとも、男女平等にやるべきだろう。例えば、結婚していて普通にセックスをしているのに、数年経過しても子供が生まれないといった不妊となれば、夫婦双方ともに検査する必要がある。しかし、産めないのは女、妻が悪いということで、女性だけ検査するとしたら、おかしい。それと同じであろう。
「売春」に関しては、売るほうも買うほうも問題がある。一方のみ取り締まるのは「片手落ち」。だから、昨今の援助交際というか未成年の女性相手に「淫行」したとして捕まる中年男に同情はしないけど、女も未成年といえども、それなりに罰せられているんだろうかと不安になる?

ともあれ、著者は、こうした性病検査に関して、一般婦女子までもが、たまたま繁華街にいたりしたために「キャッチ(検挙)」されたりする事例を批判している。いや、そもそも一方的な検査をすることを人権の視点からも批判している。またパンパンを戦時慰安婦とも比較し、類似性や異なる点などを指摘もしている。

ただ、警察やMPなどが怪しいと思った女性を十把一かけらにトラックに詰め込んだりするさまやだまし募集などを、戦前の慰安婦募集や性奴隷論とからめるような筆致もあったが、そのあたりは若干疑問に感じた次第。

性病検査のために、一方的に突然、路を歩いていた婦女子をトラックに詰め込んだようなことを、日本が慰安婦獲得のために韓国や済州島でやったというわけでもなさそうだし(吉田清治はそういうことをしたと告白していた。茶園氏の本は奥付によれば今年の9月30日発行とある。吉田の本は参考文献にはない。当然ではあろうが、トラックに入れてどうのこうのといった筆致は、本来なら、吉田の本から引用し、このパンパンのキャッチと同様であったと旧来のリベラルなフェミニスト学者は主張したかもしれないが、さすがに、そういうことは書かれていないのは結構なことだと思う)。

手あたり次第、街中を歩いている女性をトラックに詰め込み、そして「従軍慰安婦」にしたという事実はない(ようであるから)。その点からしても、やはり、慰安婦性奴隷説などは成り立たないし、比較もちょっと違うのではないかと思う。

吉田は『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 (三一書房)では、済州島に出かけ、泣き声をあげる朝鮮人の女工や海女を「引きずり」出し、「木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた」「女工の中から慰安婦に徴用した娘は、十六人であった」「(女を乗せた)トラックが着くと、糧秣班の下士官や兵隊たちが、歓声をあげて世話をやきはじめた」「娘の連行を始めると、女たちの悲鳴が上がり、海の中の男たちがいっせいに叫びだした。兵隊たちは波打ちぎわに並んで、谷軍曹の号令で着剣して銃剣を構えた‥‥」などと描写している。

少なくとも、戦後、パンパン狩りでは、銃剣はともかくとして(?)似たような光景があったのかもしれないが‥‥。

それにしても、水商売を蔑むのは戦後まもないころのみならず、平成のいまも根強い。最近の週刊誌でも報じられたが、日本テレビに内定していた女学生が、キャバクラでアルバイトをしていたことを採用時の際隠していたということで内定取り消しになり、裁判沙汰になったとのこと。ううむ。

僕とて、通勤電車車内で厚化粧する、派手派手しい身なりの女性を見ると、パンパンとはいわないが、バカ女だとは思うことがなきにしもあらずだ。人は見た目…というわけではないが、昔なら、ズボンに穴が開いていたらお金のない貧しい人だろうと思っていただろうが、いまは、そんな恰好していたら、わざとやっているバカかと思うようなものか。

雑感めいたことばかり綴ったが、この本は、大変面白い本ではあった。ノンフィクションに関する本というのは、知らない、あまり知らないテーマについて、いろいろと教えてくれるものがあれば、まずは感謝。その上で、若干の疑問を感じれば、また別の立場の人の本を読んだり、自分でいろいろと調べたりしていけばいい。
さまざまな視点、立場の本があるということが「言論の自由」の多様性を保障してくれることにつながる。

茶園氏が批判的に取り上げている神崎清氏の本なども、ちょっと視点を変えれば、それなりに面白い時代風俗本と評価することも可能になるだろうし……。

吉田清治も、こういう本を読んで、知的刺激を受けて、「創作」に励んだのかもしれない。自分の体験+小説フィクションとして。困ったことだが。


ところで(以下一部再録的になるが)パンパンガールと並んで「死語」になっているのが「オンリー」。湯浅氏も指摘していたように、不特定多数を相手にはせずに、「一人」だけの米兵を相手にしている娼婦(パンパン)を「オンリー」と呼んだりしていたという。

「オンリー」は作品名としても残っている。マリー・テレーゼの『私はオンリーなの』 (浪速書房)という本がある。

マリー・テレーゼといえば、マリー・テレーズの『ある娼婦の秘密の生涯』 (河出書房新社)という本がある(カタカナ表記が少し違うだけで、同姓同名)。以下一部再録的になる。

サルトルが主宰する「現代」の1947年12月号と48年の1月号の二回にわたって掲載されたノンフィクション、ドキュメントタッチの作品だ。ボーヴォワールの匿名作品ではないかとの噂もあったという。看護婦であったマリーが結婚し子供も産んだものの浮気相手のヒモに騙され売春婦になる。時はナチス占領下のフランス。客にはドイツ人兵士も多く、見初められて「結婚」し、ドイツに嫁ぐことになるものの夫は戦死。フランスに戻り、米軍に解放され、今度は黒人兵士が客になる。そんな波瀾万丈の生涯が綴られている。この本の体裁は単行本であり真面目な内容といった感じだ。

ところが、戸山書房刊行の本として1971年の刊行で、マリー・テレーゼの『売られた人妻』という本がある。名前もほぼ同じ。中身も同じ。訳文はもちろんちょっと違うが。戸山書房刊行のこの本は一連のポルノ小説シリーズの一冊だ。吉祥寺の古本屋で入手した。

すると五反田の古書会館で今度はマリー・テレーゼの『情事に生きる女』 (路書房)を見つけた。清水正二郎訳となっている。これまた内容的には同一本。

河出書房新社版は最近の刊行だが、この二冊の旧版への言及は特にない。しかし先行訳であるのは間違いない事実だろう。翻訳の版権などはどうなっているのか不明だが。

それにしてもポルノ本であっても、河出書房新社が単行本で出し、かつ、サルトルが関連しているとなれば、「教養書」ともなるわけだ。しかし、その実態(前世?)は、ポルノシリーズ本の一冊でもあるわけだ。これだけ訳出されているということは「名著」なのだろう。
 ところで、もしかして、これらの本は、 『私はオンリーなの』 (マリー・テレーゼ著・浪速書房)と同じ本なのだろうか? この本も持っているような気がするが見当たらないから未確認。

そういえば、西田稔氏の『オンリーの貞操帯』 (第二書房)、 『基地の女』 (河出書房)や向井裕雄氏の『特殊女性』 (文藝春秋新社)という本もある。

あと、いわゆる「基地の女」などがらみのノンフィクション本が、吉田清治の虚作同様であった事実なども最近明らかになっている。その関連コラムを以下再録。



佐村河内守と「五十歩百歩」の詐話師たち――吉野啓二、水野浩、吉田清治‥‥
(2014・2・17・月曜日)

自称・クラシック音楽作曲家である佐村河内守という人の『交響曲第一番  闇の中の小さな光』  (幻冬舎文庫)を読んだ。
いま話題の人。被爆二世だそうで、また、全聾者のはずなのに、最近は耳も聞こえるということを「自白、いや「告白」もしたそうな? この本では、35歳の時に全聾となったと書いているが‥‥。

作曲も別の人にさせていたのに、ベートーヴェン気取りであったようだ。タイムやNHKがだまされて、いろいろと「ヨイショ」インタビューや番組を作ったそうな。

この人の「詐話師」的な実態が、 「週刊文春」(2014年2・13&2・20号)で報じられてすぐに何冊かの本が頭に浮かんだ。

すでに本欄で紹介ずみだが、伊藤明彦氏の『未来からの遺書 ある被爆者体験の伝記』 (青木書店)という本がある(以下再録的に)。

世の中には、 「私は慰安婦狩りをした」とか、 「私は赤報隊犯人である」といった趣旨の「詐話師」は世にゴマンといるが、 「私は被爆者である」といった詐話師も決して絶無ではないだろうということを、この本は教えてくれた。
最近、原爆裁判でも国は連敗しているというが、その中には原爆と無関係の人も訴訟団に入っているのではないかという報道もたしかあったとおもうが、本書を読むと、ううむと考えさせられた。
 
 著者は長崎放送に勤務の後、被爆者の「証言」を記録し、後世に残そうと考え、フリージャーナリストとして、そういう地道な活動を展開していく。その過程で、ある被爆者(吉野啓二・仮名)と出会い、何度か「証言」を聞くことになった。その凄まじい体験に耳を傾け感銘を受け、これは後世に残さねばと感じる。その人が「日本共産党の熱心な支持者であったことが、私の信頼を深めたことも正直に告白しておかねばなりません」と述べていることからも分かるように、著者もそっち系統の人であることは間違いない。
 
しかし……何度か話を聞いているうちに、内容的な疑問を感じ、当時は戸籍謄本なども赤の他人が入手することも可能だった時代故に、それと彼の証言とを照合すると「矛盾」も出てくることに気づいた。
 別名義で彼の被爆体験はすでに「国連事務総長への報告」として日共系の反核団体などによって作成され提出もされていたのだが、 「この戸籍謄本をみて私が驚倒したのは~私にとってあのように印象深い存在だった『姉さん』が、どこにもいないということでした。『姉さん』もまた、吉野さんが作りだした虚構の存在なのでしょうか。そうだとすると、吉野さんが語った、あの病院生活の印象深い情景のひとつひとつが、ことごとく作り話だったということになります。吉野さんは被爆直後の八月一五日、『姉さん』が救護所にたずねてきて、自分の枕元においていた両親の遺骨箱にしがみついて泣いた、と語りました。いたはずのない姉が、あったはずのない両親の遺骨箱にしがみつく光景を想像して、吉野さんは泣いたのでしょうか」と。
 
 何しろ、父も昭和三四年まで、母も昭和三〇年まで生存していたのだから! 

 著者が姉の生涯を振り返ってどんな気持ちを持つのかと質問したら、彼は「その質問はあまりに残酷すぎます」といって声をふるわせながらも、いろいろと語ったという。
 役者やの……という感想しか浮かんでこない!
 
 被爆者でないのに「自分は被爆者だ」と偽り、無料の医療や生活保護を受ける人が、このように存在することを本書は教えてくれるが、著者はそうしたことに疑念を持ちつつも「現在の被爆者の範囲が科学的に正しい根拠をもつものであるのなら、まちがっていたのは被爆者の範囲をせまく限定することによって、その人の医療をうける権利を制限し、その人にいつわりの届出をさせた法律のほうにあるのですから」とちょっと方向違いのことを述べている。
 この本は題名からして、内容に照らしてもピンとこないし、そういったコミュニスト的反体制派ならではの限界があるものの、良心的に「真実」を追求した記録としての価値はある本であった。

そのほか、水野浩氏の『日本の貞操 外国兵に犯された女性たちの手記』 (蒼樹社)も創作的であったという。これは共産党員による「創作」であったとのこと。米兵に犯されパンパン(売春婦)に転落したりする女性の手記として当時は読まれていたのに……と。

このフィクションの事実を指摘したのが、ジャズピアニストでもあるマイク・モラスキーさんで、その著『占領の記憶記憶の占領 戦後沖縄・日本とアメリカ』 (青土社)で詳述されている。

「一九九六年五月に私(モラスキー)は、この書物が出版された一九五三年当時(今はない)蒼樹社で働いていた編集者を東京でつきとめた」「電話インタビューにおいて彼は、この四つの物語が「水野浩」という実体のよくわからない人物によって書かれたことを認めた」「水野は日本共産党と関係していたらしく、横須賀の基地で働いて情報を集め、パンパンの世界にも通じていたらしい」「その編集者によれば、蒼樹社は内部での激しい論争のうえ、この本の出版を決意」「社から何人かの編集者が日本共産党の意向を探るために代々木の党本部を訪問し、蒼樹社は共産党のゴーサインを受けて初めて本書の出版に乗り出した」

まぁ、今でも女教師編、未亡人編で性遍歴を綴った手記の類が実話ではなく「創作」というのはよく聞く話だが、日本共産党の詐術の手法はその後も続いたということか。ただ電話インタビューなどや「らしい」「らしく」の表現が若干気にはなる。

といっても、この本、1982年に、実録ノンフィクションとして倒語社から『死に臨んでうったえる 空洞の戦後叢書』として復刊もされている。発行者の吉林勲三氏は、この本を復刻するにあたって水野氏と連絡を取ろうとしたができず無断での重刻となったという。まぁ、存在しない人かも知れないから?  

吉林氏は、立命館大学の学生時代、1969年5月に「わだつみの像」を倒壊したという。そういえばそんな事件もあったか? その「犯行」の直後広島に行き、 『日本の貞操』 (蒼樹社)を古本屋で入手し読んで「ひどく感動した」という。その思いを綴ってもいるが、今となっては共産主義者の手中で操られた虚しい左翼人の悲哀というしかないのかもしれない。

かつて慰安婦狩りをしたという吉田清治氏の本『朝鮮人慰安婦と日本人』 (新人物往来社)と『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 (三一書房)が、実は針小棒大なフィクションがあったのにノンフィクションとして流通し、朝日新聞をはじめとするマスコミによって吹聴され外交問題にまで進展してしまったことがある。

そういった本と同様に、佐村河内守という人の『交響曲第一番  闇の中の小さな光』 も眉唾物として読むべきであろう。

3・11で母親を亡くした梶原真奈美ちゃんのために「命を削る壮絶な日々」を過ごしながら作曲(レクイエム)に取りかかった云々と書いているけど、これは真っ赤な嘘だったことはもはや判明。

とはいえ、本書で書かれていることのすべてがウソというわけでもなかろうが‥‥父親は「もの静かな読書家」だったそうだ。そうだったかもね。

四歳の時から「赤バイエル」「黄バイエル」をやり始めたという。家にピアノがあったかどうかの疑惑はあるようだが、バイエル程度なら僕もやらされたものだった。

今回の捏造摘発報道がなければ、これまた、この本を読んで真に受けて、同じバイエルをやったのに、かたや全聾にもかかわら絶対音感の持ち主でベートーヴェン、こちらは絶対音痴の駅弁好きの古本虫ということで「月とスッポン」と自嘲するところだったが‥‥。

それにしても、全聾者になったのは被爆が遠因かもしれないと書いたり、被爆二世として、戦争も核も絶対悪である、作曲家として音楽でそれを語るだなどと居丈高(?)に綴っているのを読むとシラっとしてしまうが‥。
そんな彼の「熱情」に、社会党左派出身の秋葉忠利(元)広島市長はだまされて「広島市民賞」を授与してしまったようだが‥。

まぁ、真の作曲者が見抜けなかったことを批判するわけにもいかないが、社会党左派や進歩的文化人の中には、今回同様のトリック並みの手法にひっかかり、北朝鮮を訪問しては、北朝鮮は朝鮮戦争でアメリカの侵略を受けて被害を受けたのに立ち直った立派な国、高度福祉国家で税金もなくすばらしい云々と語ったりしたことがよくある。そうした「嘘」はきちんと是正してきたであろうか。

朴日粉氏編の『明日に向って 日本人のみた素顔の朝鮮と金日成主席』 (彩流社)は、歴史の教訓から学ばない人々のオンパレードの本だ。左翼全体主義と闘う気概もなく、全体主義に迎合し賛美する日本人学者や政治家がこんなに居た事実を再確認するためにのみ有意義な本である。刊行は一九八七年。

登場する日本人は関寛治氏、西川潤氏、美濃部亮吉氏、左幸子氏、小倉武一氏、久野忠治氏、宇都宮徳馬氏、武者小路公房氏、小田実氏、武村正義氏……である。まだ生きている人もいる。

 訪朝した時期は人によって異なるが七〇年代から八〇年代にかけてだ。すでに北朝鮮の経済力が衰退し、貿易支払いも滞り、帰国した在日の人々が悲惨な目に遇っている実態が明るみになりつつあったにもかかわらず、全面的な金日成賛美、北朝鮮礼賛の発言ばかりなのだから呆れるしかない。スリーマイルやチェルノブイリ事故があっても、日本の原発は絶対安全と豪語するのと同様のメデタイ言説ばかりだ。

「中国を経由して行ったのだが、中国と比べても生活水準ははるかに高い」(西川)

「米の生産性も世界一といわれる日本より高い」(関)

「アジアの情勢に目を転じたとき、南朝鮮、タイなどファシズムの嵐が吹き荒れている。日本もファッショ化の道に突き進んでいる」「こうした状況にあって金日成主席の率いる朝鮮民主主義人民共和国に対する期待は大きい」「共和国はファシズムに対抗して民主主義を守り抜く中心勢力として活躍してもらいたい」(美濃部)

「日本人の中には、北朝鮮について独裁国家だとか、人民の自由が束縛され、苦しい生活を強いられているというような悪口を平気でいう人がいる。しかし、日本と朝鮮は体制が異なる。その違いを無視して自分たちのものさしではかったり、色メガネで見るとその国の本当の良さや素顔を知ることはできない」(久野)

「北の脅威などといって戦争をあおり、戦術核兵器など並べている国があるとすれば、それは少なくとも正気の国とは思えません」(宇都宮)

「共和国の自力更生にもとづくこうした発展戦略は、朝鮮の自主的平和統一にとって決定的な意味をもっている」「共和国の社会主義建設路線というものは軍事的な意図があればとても成立できないのである」(武者小路)

「国土全体にダムづくりや灌漑施設がさかんで、近代化が全面的に進んでいるという印象をうけた」(武村)

「知らない家にとびこみ、話をした」「私は共和国が一番先進国だと思った」 (小田)

秋葉さんやNHKの大越健介氏などはちゃんと不明を「謝罪」しているのに。

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表題の件、ネット検索での情報はなさそうです。1974年のシーズンから、創立当初の(国鉄)「スワローズ」のニックネームを復活させ「ヤクルト・スワローズ」として再出発し、13年ぶりのAクラス入りを果たす、と公式サイトにあります。この「公式サイト」には、「19年ぶりに「スワローズ」のニックネームを復活させ「ヤクルトスワローズ」として再出発。」とありますが、正しくは「9年ぶりに」のようです。(1974-1965=9)「公式サイト」に照会してみます。(私の勘違いかも知れません)
HN変更しました:青木明 (68歳)  11/18/2014 Tue URL [ Edit ]
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