古本虫がさまよう オリヴィエ・アサイヤスの『5月の後の青春 アリス・ドゥボールへの手紙、1968年とその後』を読むと、なぜかアゴタ・クリストフの『文盲』を再読したくなった
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オリヴィエ・アサイヤスの『5月の後の青春 アリス・ドゥボールへの手紙、1968年とその後』を読むと、なぜかアゴタ・クリストフの『文盲』を再読したくなった
(2014・11・12・水曜日)





先日古本屋で買ったばかりのオリヴィエ・アサイヤスの『5月の後の青春 アリス・ドゥボールへの手紙、1968年とその後』 (boid)を読んだ。

映画『夏時間の庭』のヒットで知られるオリヴィエ・アサイヤス。
その新作『カルロス』は、70年代~80年代に世界を恐怖に陥れたテロリストを主人公に若きオリヴィエ・アサイヤスの生きた日々の夢とその後を活写する。
本書ではその背景でもある著者自身の現実の「青春」が、世界の動きとともに綴られる。
映画を映画以外の動きの中から見つめることで、映画とは何かを問い詰める切実な言葉が溢れ出す政治と映画と運動の書。

今やフランスを代表する監督のひとりとなったオリヴィエ・アサイヤス。その自伝ともいえる本書は、しかし映画ファンの期待を見事に裏切るように、映画のタイトルや監督たちの名前も登場しない。唯一の例外がギー・ドゥボール。60年代、ドゥボールの率いた「アンテルナシオナル・シチュアシオニスト」の活動とその後のドゥボールの映画が著者やフランス映画、フランス社会にどれだけの影響を与え今日に至るか。若き時代の著者の過ごした日々の現実と思考とが、奔流となって綴られていく。今は亡きギーの妻、アリスへの手紙という形で記されたオリヴィエ・アサイヤスの半生は、そのまま70年代以降を生きるフランス社会やフランス映画の早すぎた自叙伝ともなっている。
■オリヴィエ・アサイヤス(Olivier Assayas)
1955年フランス、パリ生まれ。
70年代、カイエ・デュ・シネマで映画評論家として活動後、84年にローラン・ぺラン監督の「Passage Secret」で脚本家デビュー。以後、アンドレ・テシネ監督作『ランデヴー』(85)、『溺れゆく女』(98)等の脚本を執筆。86年に初の長編「Désordre」を監督。以後、『パリ・セヴェイユ』(91)、『冷たい水』(94)、『イルマ・ヴェップ』(96)、『HHH:候孝賢』(97)、『DEMONLOVER デーモンラヴァー』(02)などを手がける。その後もマギー・チャンがカンヌ国際映画祭主演女優賞を獲得した『クリーン』(04)、日本でも大ヒットした『夏時間の庭』(08)などがあり、最新作は『カルロス』(10)は合計5時間30分の大作となった。




もちろん映画は見てないし、フランス人の書く・描く作品・映画はいささか抽象的で分かりにくいところがあるとの偏見を持っている。本書もそうかな? エフトゥシェンコの『早すぎる自叙伝』 (新潮社)を思い出す?

 それでも、ちょっと具体的でおやっと思ったのが以下の一節。

「僕の母はハンガリー人で、1946年に共産主義者たちがハンガリーにやってきたときに祖国を後にした。僕だってきっと同じように行動していただろう。一目散に逃げ出していたはずだ。逃げ出すことができるのなら、半世紀にわたってハンガリーに垂れ込めることになる鉄のカーテンの下に留まって生きていく理由なんてこれっぽっちもなかった」
そんな体験をしている彼の母親には、左翼的なところはむろんなかった。ドゴール支持者であり、そうした反共主義の塊だったような母に育てられた以上、少なくとも、彼には「スターリン主義に寛容になれるような遺伝子などまずなかったことは理解してもらえるだろう」とのこと。

オール理解!? 素晴らしい母親だ! 我が妻にしたいぐらだ?

でも1968年の時、彼は13歳だったという。

「青春という年代は家族によって広められるコンセンサスのある価値観に賛同することよりも、むしろ矛盾へと人を向かわせるものなのだから」とも。
ううむ、親の心子知らずだったのね‥‥。

それでも、共産党やトロツキストとは「共闘」せずに、マオイストともそこそこのお付き合い程度だったようだ。

そんな彼にとっては、ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』がバイブルで、そこに「完全に連帯しうる政治的言説を」「見いだした」とのこと。「オーウェルの分析と彼の政治参加には非の打ちどころがなく、若い頃に僕が抱いていた純粋さというファンタスムと行動を起こすという夢は共振した」という。

さすがは立派な母親の下で育てられただけのことはある。反共は反共でも、相対的とはいえ、一応リベラルな反共精神の持ち主に成長していったのは立派といえようか。

そして、ファシストと闘うのは当たり前だが、「しかしそれと同時に、何よりも自分たちのエゴイスティックな戦略にばかり気を取られている共産主義陣営の官僚たちとだって闘わなければならない。僕に言わせれば、彼らは見かけだけは新しいが、おそらくは一段とひどい装いの下、古い抑圧を繰り返しているにすぎなかった」「オーウェルが共に闘ったPOUM(マルクス主義者統一労働党)は僕の政治上のモデルとなった。基本的に、彼の書いたものを自分にしみ込ませることで僕は思考する術を学んでいった」「僕にとってオーウェルと同じだけの重要性を持つ思想なんて――特にこの決定的な年頃には――いっさい見当たらなかった。いまでもオーウェルは個人的に殿堂入りを果たした作家の中でも最上位に位置している。途轍もなく役に立ってくれた。オーウェル以外ではもちろんギー・ドゥボールが重要だったが、それはまだもう少し先の話だ」「あれはかなり特殊な時代だったので、オーウェルのことは強調しておこう。あなたなら分かると思うけれど、当時フランスではオーウェルはほとんど翻訳されておらず、僅かに翻訳されていたものも書店ではまず入手不可能だった。例外は『1984』だったが、いいSFの本と見なされていた。オーウェルは押し隠されていた。なぜならスターニリストに対して極左内から異を唱えていたために、スターリニストには許しがたい存在だったのだ。それに共産主義の知的独占支配がフランス社会においてはまだとても甚だしかったということもある」

ギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』 (ちくま学芸文庫)も一読してみるべきか?


ともあれ、ううむ、まともではないか。

オーウェルを押し隠していた点では、フランス共産党同様日本共産党が一部出版社を抑えることによって、同様の価値観が日本にも一時期支配的だった。そこを突き破るという点で、『カタロニア讃歌』を訳出した現代思潮社などは偉かった(と以前も書いたはず)。

しかし、その典型(?)でもある岩波書店からは、いまや『動物農場』も『カタロニア讃歌』も文庫で刊行されている。積んどくしているリチャード・ウォーリンの『1968 パリに吹いた「東風」 フランス知識人と文化大革命』 (岩波書店)もひもとくべきか。

そう思いつつ、こんな分厚い専門書なんて読む暇ないよとうそぶきながら、新版(廉価版)が出たアゴタ・クリストフの『文盲』 (白水社・白水Uブックス)を手にした。
ハンガリーから西側(自由)世界への亡命者という点で、彼の母親とクリストフとは共通する点があるからという理由で。

1953年にスターリンが死んだ時、彼女(クリストフ)はまだハンガリーにいた。

「スターリンは、どれほどの数の人を犠牲にしたか? 誰も正確には知らない。ルーマニアでは、今なお死体を見つけては数えている。ハンガリーでは1956年の動乱のときに三万人が殺された。今後も永遠に計り知ることができないのは、あの独裁政治が東欧の国々の哲学・芸術・文学に対してどれほど忌まわしい役割を演じたかということである。東欧の国々に自らのイデオロギーを押しつけることで、ソビエト連邦は東欧の国々の経済発展を妨げただけではない。それらの国々の文化とナショナル・アイデンティティーを窒息させようとしたのだ」

「三万人が殺された」に関しては、異説もあるようだが(ちょっと多すぎる? 死傷者三万人ならまだしもとか。3000人説も。どちらにせよ、虐殺には違いないが)、にもかかわらず、彼女は亡命したために、全く知らぬ言語(フランス語)を学ぶのを余儀なくされつつも、小説を書き、3つの出版社に送り、2社からは「慇懃で形式的な断りの書面」が届いたものの、1つの出版社からは電話がかかってきて刊行されることになった。

禍福はあざなえる縄のごとしともいうが‥‥。ともあれ、『文盲』の読後感は、過去のものを以下再録。


2011/08/04(木) 05:03:19
  アゴタ・クリストフさんが2011年7月26日に亡くなったとのこと。以前、彼女の『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』 (白水社)を読んだことがある。彼女の『悪童日記』『二人の証拠』『第三の嘘』(早川書房)はいずれも積ん読したまま。

 アゴタ・クリストフの『文盲』 (白水社)を読んだ。
• 一九五六年のハンガリー「反革命」騒動の時、オーストリアを経由してスイスに夫と共に亡命。時計工場で働きながらフランス語を習得していく。その意味で亡命時は「文盲」だったことになる。ソ連のおかげで作家になれたということにもなるのだろうか。不幸中の幸いか。
 北朝鮮からの亡命者が日本に定住することになれば、クリストフのような存在も出てくることになるのかもしれない。
 亡命者を受け入れたスイス政府は彼女たちに働く場を与えた。

「同じ工場で働いているわたしたちハンガリー人は約十名。昼休みに社員食堂でいっしょになるのだが、食べ物がわたしたちの慣れ親しんできたものとあまりに異なるので、ほとんど食が進まない。わたしの場合、少なくとも一年間、昼食時にはカフェオレとパンしか口にしなかった。工場では、誰もがわたしたちに優しく接してくれる。微笑みかけてくれる。話しかけてくれる。けれども、わたしたちは、相手の言っていることを理解することがまったくできない」 

  そういう環境に彼女は徐々に適応していったが、適応できずに重罰が待つ祖国ハンガリーにあえて戻った仲間もいたそうな。北朝鮮からの「亡命・帰国者」の中にもそういうパターンを繰り返す人もいないでもない。人それぞれではあるが、自由のある環境で暮らす方が、自己実現を達成できる可能性が高いことは間違いない事実であろう。彼女の自伝を読みながら、そんなことを考えていた。
  数年前に見た映画『君の涙ドナウに流れ』も1956年のハンガリーの悲劇を描いた佳作だった。あの悲惨な状態と同様の独裁者、異民族・異国支配などに苦しんでいる人々が21世紀の今も存在(ウイグル、チベット、内モンゴル、北朝鮮など)していることは忘れないでいたいものだ。


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