古本虫がさまよう ♪高円寺は今日も騒音だった 禁煙・禁音になぜ出来ないのか?
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 昨日(土曜日)はいつものように古本屋・古本市行脚。
小雨模様だったが日中は何とか傘をささずに済んだ。しかし軒先の均一コーナーは神保町ではたいがい仕舞われていたのは残念。
三省堂隣ビルの古書モールでホグベンの『科学者の旅』 (二見書房)と藤木TDCの『アダルトメディア・ランダムノート』 (ミリオン出版)を購入。ここはいつも耳に心地よいジャズピアノを流している。BGMでかろうじて許せるのはここだけ?(BGMがないのがベストなのは言うまでもないが)。すぐ使える割引券もくれるし(東急ハンズと大違い。東急がやっているポイント制度は使えるものなら使ってみなというほどサービス精神のない共産主義的ポイントシステムで不合理そのもの)。
一つ下の階の古本屋でも遠山義孝氏の『ドイツ現代文学の軌跡 マルティン・ヴァルザーとその時代』 (明石書店)と白石潔氏の『秘録・スポーツ紙誕生 占領下の苦難にハッスルした巨人軍とスポーツ記者』 (東潮新書)を購入。ヴァルザーとはしぶい文学者を取り上げているものだと感心して購入。ギュンター・グラスよりはまともな文学者だからなぁと。
三省堂裏門前広場は「禁煙」の表示あり。吸う人もいない。この「禁煙」の表示を無視して吸っていたら「アキメクラ」か愚鈍かのどちらかだろう。
そういえば昨日の朝刊によると、日本たばこは地震の影響で一部銘柄で生産が不十分なものが出てきているとのこと。大地震・大津波にいいことはまったくといっていいほどないのだが、これは不幸中の幸いか。明るいニュースだ。といっても外国輸入タバコがいくらでもあるおかげで一時のミネラルウォーターや単一乾電池みたいに「消滅」するわけではないようだ。
三省堂4階の古書コーナーを覗く。まずまずの品揃えにそこそこのお値段。特に買いたいものはなし。あっても我慢? 建屋のない原発同様、青空喫煙所を勝手に長年設置して多大な迷惑を周辺に及ぼした社会的責任を追及している以上、ここにはあまりお金を落とさないようにしているから。放射能低減期間同様に少なくともあと10年ぐらいはその姿勢で臨みたい? 個人的恨みは放射能同様なかなか半減しないのだ? 三省堂カードも原発も、作らず持たず使わず? 
古書会館では羽仁吉一氏の『雑司ヶ谷短信上下』 (婦人之友社)と北川衛氏の『東京=女スパイ』 (サンケイ新聞社)を購入。

その後は高円寺へ。古書会館に向かうと、最近は消えていた、いつもの煩い音楽が電柱からかつてのように流れているではないか。ヤレヤレ「節電」効果も終了か。自治会か町内会かどこか知らないが、またナンセンスなことをやりだしたようだ。喉元過ぎれば熱さ忘れるの類か。公共の福祉(平穏静穏な生活を営む権利)を犯すこんな騒音流布をどうして杉並区の住民は甘受しているのだろうか。僕が住民ならこの騒音元を相手に騒音流布停止を求めて行動するし、聞き入れられないなら裁判沙汰にすることも検討するだろう。週に一回行くか行かないか程度だから我慢しているが。信じられない野蛮地域だ。少なくとも高円寺界隈には住みたくない。聞きたくもない音楽を日中強制的に聞かされるなんて信じられない「全体主義」ではないか。

古書会館に着くと、さきほど神保町の古書会館で見かけた人がいた。特定宗派の「制服」を着ているので目立つ。お互い好きだなぁ? これで五反田もやっていたらさらなる移動となるが今日はなし。
阿部真之助氏編の『現代日本人物論 政界・官界・財界・労働界・文化界の人々』 (河出書房)、松田解子氏の『回想の森』 (新日本出版社)、末常卓郎氏の『新世紀の顔』 (真光社)、アンネンコフの『同時代人の肖像上中』 (現代思潮社)を購入。アンネンコフの本、一冊たったの百円とは安い。当然「下」がないかと探すが見当たらず。入口手前の雑多コーナーにあった本だが。ううむ。「上」と「中」も大分離れた所にあった。(しかし帰宅して調べると国会図書館にも「上」「中」しかない。「下」は刊行されなかったのだろうか?)。

そのあと都丸書店など覗く。支店の壁棚本コーナーのすぐ向かいにあった喫煙所(灰皿)も撤去されて久しいが、悪臭がする。ほんの少し離れた所で堂々と吸う商売女風の輩がいたから。この手合いにはもう付ける薬はない。
何も買わず地下のラーメン横丁に移動。ここは禁煙。いつものつけ麺(400グラム。但し少し太り気味なので具を減らして750円のモノ)を食べて、区の高円寺センターに立ち寄ると、ここも音楽を流している。節電中は消えていたのに。「余計なお世話とBGM」という言葉をこのお役所も知らないのだろうか。中島義道氏の名著『うるさい日本の私』 (新潮文庫)を杉並区は職員研修のテキストにすべきではないか。室内の照明を減らしているなら、こんなのラジカセから流す必要こそないという簡単な足し算引き算も分からないのだろうか。電柱から流れる騒音よりはおとなしいメロディではあるが、音楽には人それぞれ趣味があるのだ。演歌なんか大嫌いという人もいればポール・モーリアが嫌いという人だっているんだ。全て万人に愛される音楽はない。そういうモノを「耳」に勝手に押しつけるなんて人権侵害そのものというしかないのに。バカなお役所につける薬はなしか。
買う冊数がちょっと多かったのでもう古本屋を回る元気もなくなった。高田馬場のビッグボックスで古本市をやっているので高円寺からならストレートに立ち寄ることは可能だが、昔と比べてあまりにも小規模すぎてなかなか行きたいという気になれない。

今日はここまで。

行き帰りの車中では門田隆将氏の『蒼海に消ゆ 祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』 (集英社)を読んだ。親がアメリカ・カリフォルニアに移住。そこで生まれた松藤大治(まつふじ・おおじ)が主人公。15歳の時に実家のある九州に単身「帰国」。東京商大(今の一橋大学)に入学。バイリンガルということもあり外交官を目指していたが日米開戦。アメリカ国籍(二重国籍)ということで徴兵逃れも可能だったかもしれないが学徒動員され戦線へ。そして特攻兵士となり散るまでの彼の生涯を、弟やかつての同級生や戦友など、さまざまな人々の証言などを基に再現したノンフィクション作品だった。
親元、しかもそれが米国。そこを離れての初めての「祖国」での生活。明るい性格で剣道にも強く、すぐに日本人社会に溶け込めたものの、開戦と同時にアメリカにいる親は収容所に入れられ、学資などの支援もなくなりバイトなどで自活するのを余儀なくされたとのこと。我々が今日感じているさまざまな不安の類とは異なる次元のモノをこの当時の人々、とりわけ若者が体験していたことがしのばれる。戦後生まれの我々のような「苦労」「苦難」とは違うものがある。門田氏の前作『康子十九歳 戦渦の日記』 (文藝春秋)も今回の松藤大治とほぼ同世代の粟屋康子という女性の真摯な生き方を彼女の日記や家族や友人の証言と共に描いたノンフィクションだった。この二人のようにいつ死ぬかもしれないという極限状況の中でも必死に生きてきたことを思えば、格差社会がどうのこうのといったりして自殺する人にさほど同情する気にもなれなくなる。慌てなくても人間はいつか死ぬんだからその日まで精一杯生きていくのが当然の話だろう。少なくとも死にたければ人に迷惑をかけない形で自死すればいいのに電車に飛び込んだり、屋上から飛び下りて人を巻き添えにするような手合いはサイテーというしかない。

若者には昔もいまも期待するのが普通だが、この前テレビを見ていたら某地震被害県の医大が一カ月遅れで入学式をやり、新入生の新学期が始まったとのことで某新入生を取り上げて番組を作っていた。この地で医学を学ぶ意義、放射能治療などの分野で将来頑張ってほしい云々と学長などが訓示。といってもその新入生は別に津波や地震や原発の被害を受けたわけでもなさそう。某県内でも内陸の方の出身。なんで取り上げるんだろうと?
しかもその男、なんか顔がヘンなのだ? あっ、いまどきの若者は男でもそうなのか? 眉毛がない。というかどう見ても「描いている」のである。ムダ毛を剃って処理して「整えている」レベルではない(坊主頭の甲子園球児にもそんな風に剃って整える輩が多くなってきたが、ヤクザみたいに見えるだけで全く若者らしくもなんともないのに気づかないバカのなんと多いことか)。要は入れ墨の一種か? マジックの類で線引きしているようにしか見えない。妻を呼んで一緒にテレビを見ながら「なんなの、コイツ!」と笑ってしまった。ながら視聴だったので何か見落としたり勘違いをしているかもしれないが、まぁせいぜい立派な医者になってください。病気か何かで眉毛を描かなくてはならないのだとしたら失礼候。

「男子辺幅を飾らず」なんて言葉はもう「死語」なのかもしれないが、こういった「眉入れ墨乃至線引き」の他にも、髪の色を「茶金髪」にしたり、さらなる手間隙かけて「寝癖髪」にしたり「穴開きジーパン」を履いて喜んでいる手合いには好感は持てない。歳取ったせいではなく二十歳前から僕はそう感じていたが、人生は短いんだから、もう少し大切なものに時間や金をかけるべきだろう。時間とお金があまってあまって仕方ないという人ならともかく。セネカやヒルティを読んでいると、こんな生活レベルの人間には歩調を合わせる気にはなれない? 人生は短いんだから。

ところでタバコが払拭するのはどうでもいいが、キリンのハートランドビールも地震がらみの何かの事情で品薄になるとか? それは困る。このビールはどっかの勿体ぶったプレミアムなんとかとかエビスといった値段だけは高くて味はなんてことはない、広告力だけでバカバカしいナンセンスな幻想を撒き散らしているのと違って、本当に美味くて、かつキリンの標準ビールと同じ値段で売られている(少なくとも近所の酒屋では)。発売当時は缶ビールもあったと記憶しているが今は瓶ビールのみ。小瓶と中瓶があって、缶ビールではないので買いにくいのだが時々購入していた。しかも瓶代として後日戻せば一本10円分(5円だったか?)相当で引き取ってくれる優れものなのだ。

味よし値段よしリサイクルよしの三拍子揃ったビールなのだ(エビスありますなんて店頭に暖簾を出している店なんかメじゃない。ハートランドありますとの暖簾があって、なおかつ全席禁煙の酒場があったらそれは「一流」の証拠だが……)。それが品薄になると聞いてはいかん。
古本屋からの帰り、行きつけの酒屋に寄ってハートランド中瓶二本購入(本が多く、小雨になってきたのであまり買えず)。まだ数本あったから今度買い占めておこうかな。
でもハートランドがなければ瓶ビール・マオウが同じ値段であるからこれでもいい。

僕は日本酒は飲めないことはないけど、無理して東北のお酒を飲む気は毛頭ない。東北の酒ばかり飲んでいては他の土地の酒の売り上げが落ちるだけの話。いいことなのかどうか。マスコミ主導の流行思想は追わず、自分の価値観をまず考えて行動するのがベターだろう。飲みたくもない酒を無理して飲むことはない。お中元に東北の酒をことさら送る必要もあるまい。この夏、また仙台古本屋ツァーに行くのなら自分らしくていいのだが。行きも帰りも東北線というのはちょっと嫌だが。去年みたいに行きは東北線、帰りは常磐線というのがベストであるが。


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