古本虫がさまよう 国際教養人といえば、昔村松剛、今平川祐弘――慰安婦誤報事件の言論責任を追及する週刊誌の広告拒否等々で信用失墜の朝日は、毎週一面トップに平川氏をコラムニストに起用すれば、信用回復可能かも?
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国際教養人といえば、昔村松剛、今平川祐弘――慰安婦誤報事件の言論責任を追及する週刊誌の広告拒否等々で信用失墜の朝日は、毎週一面トップに平川氏をコラムニストに起用すれば、信用回復可能かも?
(2014・8・30・土曜日)






村松剛という人が昔いた。産経の「正論」の執筆陣の一人。ウィキペディアによれば、こんな人だった。

村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は日本の評論家、フランス文学者。筑波大学名誉教授。立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。
妹村松英子は女優。
東京府で、江戸時代から続く医家に生まれる。父は精神医学者の村松常雄。母方の祖父は田部隆次。
東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)から第一高等学校理科を経て、1954年に東京大学文学部仏文学科を卒業。同大学院でヴァレリーを研究する傍ら、「世代」「現代評論」同人として活躍。1955年、服部達や遠藤周作と共にメタフィジック批評を提唱。1958年、佐伯彰一たちと共に「批評」を創刊し、ヴァレリー論を連載。
1961年、イスラエルでアイヒマン裁判を傍聴。1962年、アルジェリア独立戦争に従軍。1969年、立教大学に勤務していたが、学園紛争に対する大学当局の対応を巡り争いとなり、同大学を懲戒免職になる(下記注参照)。1970年11月、親の代から家族ぐるみで親交があった三島由紀夫の自決(三島事件)に遭う。1971年、京都産業大学外国語学部教授、1975年、筑波大学教授となる。
1975年、「死の日本文學史」で第4回平林たい子賞を受賞。木戸孝允の大作評伝「醒めた炎」(1979年から1982年にかけ日本経済新聞に連載刊行)で第35回菊池寛賞を受賞。
1990年10月27日、今上天皇即位礼を控え、保守言論人として天皇制支持[1]者の言論人として、過激派により自宅(筑波大学教授として入居していた教員官舎)が爆破される事件を起こされている。戸塚ヨットスクールへの支持者としても知られる。喉頭癌と長年闘病しつつ執筆活動をしたが、1994年に死去。叙従四位、叙勲三等授瑞宝章。
立教大学解雇のいきさつ[編集]村松は1967年に立教大学文学部助教授、1969年4月に同教授となったが、この頃一般教育部の2教員の文学部仏文科移籍人事をきっかけとして紛争が起こった。1969年5月15日の文学部集会で教授会側が同学部共闘会議系学生の要求を容れて、仏文科問題に関する限り「大衆団交」の席で教授会と学生が合意した事項を学部の正式決定事項とするとの確認書が交わされた。これに反発した村松は5月18日に退職願を学部長に提出したが保留扱いとなり、その後4回開かれた団交に村松が出席せず、報道機関を通して立教大学の紛争を批判する意見を発表したことから、6月2日から6月3日にかけての団交の席上、教授会と学生の合意の形で村松の懲戒免職が決定された。ただし、その際に教授会側は定足数に達していなかったので、翌6月4日の臨時教授会で懲戒免職が事後決定した。なお三島由紀夫はこの事件を契機として同年6月23日に「村松剛氏を励ます会」を開催している[2]。
• 『大量殺人の思想』(文藝春秋新社)『ナチズムとユダヤ人』(角川新書)『アルジェリア戦線従軍記』(中央公論社)、『女性的時代を排す』(文藝春秋新社)、『ド・ゴール』(講談社現代新書)、『中東戦記』 (文藝春秋)、『評伝アンドレ・マルロオ』(新潮選書・中公文庫)『私の「正論」』 (日本教文社)、『帝王後醍醐』(中公文庫)

             

立教大学をやめる時のエピソードにしても、筑波大学時代の自宅焼失事件にしても、毅然たる態度だった。気骨のある博覧強記の物書きだった。僕は「日本のレイモン・アロン」とみなしていた。そういえば、レイモン・アロンの翻訳もあったっけ? いや、なかったか。

天皇制度、フランス文学、日本文学、中東、反共リベラル‥‥幅広い分野で活躍した。

遠藤周作のユーモアエッセイにも友人としてよく登場していた(ズボンをはかずに外出したことがあるとか?)。

講演もよくこなしていた。僕も学生時代、何度となく聞いたことがある。ゆっくりと淡々と喋る人だった。時々、批判対象を揶揄する時に、ニカっと表情を崩して「中共は‥」と言ったりしていたものだった。基本的に、僕がイスラエル贔屓になったのも、中国のことをしばしば「中共」と書くのも、村松氏の影響か? もっとも中共は、単に「中国共産党」の略称でもあるが。

南アフリカに行ったり、イスラエルに行ったり‥‥。晩年は喉頭ガンのために死去。スモーカーではあったようだ。

ともあれ、彼の本は学生時代から何十冊か読み、何十冊かは積んどくしてきたのだが、その中の読んだ本の一冊に『私の「正論」』 (日本教文社)という本がある。これは文字通り、産経の「正論」欄に書いたものをまとめた本である。このころの日本教文社は、この手のいい本を出していた(今は‥‥?)。
幅広い視野で書いているから、新聞に書いたさまざまなエッセイを一冊にまとめたものを改めて読んでも、面白く読めたものだった(と記憶している)。

そんな風に産経正論に書いたものを、平成の今、一冊にまとめて出したのが、平川祐弘氏の『日本の正論』 (河出書房新社)だ。いつも新聞で一読しているが、改めて拝読。ううむ、面白い。新潮新書で『日本人に生まれて、まあよかった』 という本を出したばかりだが、同様に面白い。タメになる。

高校生の夏休みの課題図書に、こういう本を読んで読書感想文を書かせるような日教組の先生がいるだろうか? いや、少なくとも比較考察のために、この本と、岩波新書のレフティな本などとの二冊を両方読ませるなりしてもいいかもしれない。

新聞に教育を‥なんていうのなら、慰安婦虚報釈明の朝日記事(2014・8・5&6&28)とそれへの批判記事(読売・産経の2014・8・6&28&29‥)とを比較考察する形でやればいいのである。それなら意味がある。

ただ、漫然と「天声人語」を引き写ししたって、何の役にも立つまい。ペン習字の練習ならまだしもだが? 
だったらせめて「天声人語」と「産経抄」とを併読するならまだいい(以前も指摘したように2013・4・13のように「天声人語」にも正論が載ることがある。執筆者の違いによってかもしれないが)。

意見の違いを知ることが大事なのに、自分を批判する週刊誌の広告は掲載しないとか、そういうことをすぐやるのが朝日。戦前の検閲機関と同じような精神・心理構造を持っているのではないか。

そういう軍国主義的精神から脱却するためにも、戦前の朝日への逆コースを歩まないためにも、平川氏のような良識ある国際教養人を「朝日新聞客員論壇委員」に起用し、週一回日曜日の朝刊一面左トップに、400字6枚ぐらいのコラムを掲載させるといい。
時々どうしても社論とあわずに掲載できないような内容ならば、「今週は弊社の都合で休刊です。没になった平川さんのコラムは、明日の産経新聞正論欄をごらんください」とやればいい。

2014・8・28の産経正論に掲載された平川氏のコラム『「慰安婦像」を拝礼させたい面々』も、朝日に掲載されれば、こんな良識あるコラムが朝日でも読めるのかということで、定期購読離れを防ぐことになるかもしれない。
朝日よ、自虐的になる必要はないが、もう少し知的に自省的にはなるべきだろう。でないと、こんな新聞を読んでいたらバカになるからという理由で購読をやめる人が増えるだけだろう。

それにしても、平川氏の著者略歴を見て、この人が1931年生まれだということを知った。白髪があまりないのでお若く見えるが、結構なお歳なのだ。だが、村松氏の生年を見るとなんと1929年。両者はほぼ同世代だったのだ。
村松剛さんがなくなってもう20年が経過。彼が生きていれば、今回の朝日の慰安婦虚報問題にしても、なんにしてもさぞかしさまざまな評論が書かれていたことだろう。タバコが村松氏の余命を奪ったというわけでもなかろうが、残念。




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村松剛先生の御著書は、私も大好きでした。
日本教文社は、母体の生長の家が、3代目総裁の下で左傾化してしまったため、もうまともな本は出されていませんね。昔は良書の宝庫のような存在だったのに。
老愛国者  09/03/2014 Wed URL [ Edit ]
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