古本虫がさまよう 「私を通りすぎた本たち」「私を通りすぎた政治家たち」「私を通りすぎた女たち」「私を通りすぎたお金たち」……。一番、通りすぎてほしいものはどれだ? 
2017 08 / 07 last month≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09 next month










「私を通りすぎた本たち」「私を通りすぎた政治家たち」「私を通りすぎた女たち」「私を通りすぎたお金たち」……。一番、通りすぎてほしいものはどれだ? 
(2014・8・29・金曜日)






1924年生まれの原田裕氏の『戦後の講談社と東都書房 出版人に聞く⑭』 (論創社)を読んだ。
この出版人に聞くシリーズは①からずっと読んでいる。出版社や新聞社や本屋など、さまざまな出版関係者が登場しての回想録(聞き手は一貫して小田光雄氏)。

今回は講談社出身の原田氏が、山岡荘八氏の『徳川家康』が刊行される時の秘話などを語っている。また、講談社と別会社というか、社内の一機関として、講談社ブランドでは出せないものを出すためにできた東都書房生誕の経緯なども語られている。

そのほか、ミリオン・ブックスやロマン・ブックスなど、新書サイズの小説本などの制作販売の過程なども回想されている。
ロマン・ブックスやミリオン・ブックスはいまも古本屋ではよく見かける。家にあったロマン・ブックスで源氏鶏太などの大衆小説を読み始めたのが中学生のころであっただろうか。
原田氏は1924年生まれというから90歳。ううむ、かなりのお歳だがお元気で何より。「私を通りすぎた本たち」について論じた好著といえそう。

それはさておき、1930年生まれの佐々淳行氏の『私を通りすぎた政治家たち』 (文藝春秋)という本も刊行された。こちらは、仕事がら(警察官&防衛官僚)出会った大臣などの政治家や、幼少のころから父親(佐々弘雄)の下にやってきた政治家たちと遭遇した体験などを綴った政治家論。加藤紘一防衛庁長官はかなり酷かったようだ。「盟友」であった粕谷一希氏への追悼もある(粕谷氏は2014年5月30日死去)。

「土曜会」という学生時代の保守系サークルの仲間同志として、二人は意気投合していたという。
本書後書によると、粕谷氏は、佐々氏の『危機管理のノウハウPART3』 (PHP文庫)の解説で、 「(この本は)、1980年代初頭、危機管理の観念を日本社会に定着させるために、最大の貢献をした書物である。こうした書物に触発された読者が、自らの持ち場、持ち場で、冷静な認識とたくましい行動力を養成してゆき、そうした男たちがゆるやかな連帯感を養ってゆくことが、日本の最大の安全保障なのである」と綴っていたそうな。

佐々氏の、この危機管理三部作は、文庫ではなく単行本で刊行当時一読した記憶がある。学生時代だったか? 実家の書棚のどこかにあるはず。線を引きながら、そうだ、そうだ、その通りだ……と何度もつぶやきながら一読したものだった。この前、文庫版が①②③の三冊古本屋で売っていたので購入した。再読はしていないが……。

ともあれ、「そうした男たちがゆるやかな連帯感を養ってゆくことが、日本の最大の安全保障なのである」との粕谷氏の言葉は、的確な予測予見性を持った予言だったともいえそうだ。

徒党を組んで奇声を発して、「ヤンキーゴーホーム」といった、ヘイトスピーチ(「ヤンキーゴーホーム」も「在日は半島に帰れ」も、どっちも声高に憎々しげに絶叫すれば、ヘイトスピーチじゃないのかしら? 「戦後民主主義者」「空想的平和運動屋」は、共産圏の核実験には沈黙したり声を小さくしたりするくせに、アメリカの核実験には声高になりがち。同様に、ヘイトスピーチも相手がアメリカなら許容し、北朝鮮サマなどが相手だと同情するくせがあるのでは?)、ジグザグデモをしなくても、「ゆるやかな連帯感」でもいいのだ。

一冊の本を読み、知的な共感を覚える、そうした知的な「連帯感」で、言論界のみならず、あらゆるジャンルで「土曜会」の同志たちは、当時跋扈していた左右の全体主義勢力を論理的に駆逐していったのだろう。

昨日の本欄で自叙伝を紹介した元中央公論の中村智子さんや粕谷一希さんにしても、元岩波の長島陽子さんにしても、原田氏にしても、佐々氏にしても、その人でしか知り得ない内部の体験記・人物評論は、イデオロギーの違いを超えてやはり面白いものがある。
だから、古本屋や古本市でも、有名、無名を問わず、自叙伝めいた本はなるべく買うようにしている。積んどくすることも多いが……。

そういえば、何度か紹介している、スティーヴン・ヴィジンツェイの『年上の女を讃える ヴァイダ・アンドラーシュの愛の回想』 (早川書房。のちに改題の上、富士見ロマン文庫の一冊として復刊もされた)にしても、ノンフィクション・ノベル的ではあるが、第二次大戦前後からハンガリー反乱などを体験し、亡命した著者の数奇な人生の歩みを知ることが可能。
羨むべき(?)女性との少年時代の初体験なども赤裸々に綴られている。
結婚相手はともかくとして、本書を一読すれば、「初体験する女は、年上の人妻に限る」という信念を持つ人もいることだろう。
これは「私を通りすぎた女たち」とも題すべき本といえようか。

「私を通りすぎた女たち」といえば、高木東六氏の『とうろく・らぷそでぃ』 (中公文庫。親本はサンケイ出版)も見逃せない名著? 

しかし、やはり通りすぎて留まってほしいものといえば、お金に尽きる? 
優雅な読書生活をする上でも、美女と楽しむためにも、また政治家になるためにも、やはり必要になるのが「お金」。
そのお金をいかにして稼ぐべきか。
ううむ、この手の本は山ほど出ているだろうに、すぐに浮かんでくる書名や著者名が僕にはない? エロス本などならスラスラ言えるのに? 何億も稼ぐ成功者の自叙伝といえば……。
いやいや、おおっ、三冊もあった……。

まずは、吉本康永氏の『大金持ちも驚いた105円という大金 救われたローン人生』 (三五館)。代々木ゼミナールの閉校相次ぐという報道があったが、この人は、地方の予備校教師。担当する授業科目のコマ数が減っていく中、ブックオフでせっせと「せどり」してネット販売して、給与減、ローン返済危機を乗り切ったというからたいしたもの。
そのほか、河野真氏の『ネット古本屋になろう! 無店舗で勝ち残れ!』 (青弓社)や、澄田喜広氏の『古本屋になろう!』 (青弓社)もある。澄田氏の本は未読だが、古本屋を開業した人の手記も何冊も本欄で紹介してきた。

たしかに、「(古)本」が「お金」に変わるのが「(古)本屋」だ。

問題は、「(古)本」を入手するために要したお金と、それを売却して得るお金との「差額」がプラスなのかマイナスなのかだ。古本屋稼業に明日はあるのだろうか? いやいや、ひいては、活字文化に明日はあるのだろうか?
「(儲かるから)古本屋になろう。俺も古本屋になるから。俺もネット、アマゾンで古本を売って儲けるから一緒にやろう……」と誘われても、以前紹介したこともある、札幌の古本屋さんの手記、須賀章雅氏の『貧乏暇あり 札幌古本屋日記』 (論創社)なども念のために繙くべきかもしれない。

俺も古本屋のオヤジになった、俺も古本屋のオヤジになってウン十年、楽しかった、よかった、やりがいがある‥‥といった手記本も多々出ているが、「俺俺詐欺」って、古本屋業界にも違った形であるのかな? でも、さすがに『古本屋になって年商100億円』なんて本は見たことがないけど? 人間、地道に生きていくべし。古本屋稼業は、そういう意味で、やりがいのある仕事かもしれない。

スポンサーサイト
 | 人生  | TB(0)  | CM(0) | Page Top↑
Secret




TrackBack URL
→http://kesutora.blog103.fc2.com/tb.php/1694-7787561a

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

カテゴリ