古本虫がさまよう 朝日新聞やテレ朝には「(社内)特定秘密保護規定」があるから、慰安婦虚報事件については、声欄やニュース欄では(あまり)報じないのだろうか? 竹山道雄は「声」欄で叩かれ、慰安婦虚報問題はスルーされる? 「戦後民主主義」の最大の危機?
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朝日新聞やテレ朝には「(社内)特定秘密保護規定」があるから、慰安婦虚報事件については、声欄やニュース欄では(あまり)報じないのだろうか? 竹山道雄は「声」欄で叩かれ、慰安婦虚報問題はスルーされる? 「戦後民主主義」の最大の危機? (2014・8・28・木曜日)



中央公論社に勤務した、1929年生まれの中村智子氏の『戦争しない国  戦後民主主義に生きて』 (思想の科学社)を読んだ。
この人、リベラル左派的な御立場の人。戦争時代の苦しかった体験などから始まり、就職した「中央公論社」を揺るがした言論事件などに関して回想している。

『「風流夢譚」事件以後  編集者の自分史』 (田畑書店)なんて本も書いている。退職後も「戦後民主主義」擁護といった、そうした姿勢で論陣を張っておられるようだ。「私を通りすぎた戦争たち」「私を通りすぎた学者たち」といった感じの本といえよう。

同じころ、中央公論社にいた1930年生まれの粕谷一希氏の『中央公論社と私』 (文藝春秋)を読むと、彼は、社内のそうした左派リベラル勢力相手にいろいろと不満を持ったりしたこともあったようだ。

また、岩波書店にいて、当初は、中村氏同様のリベラルな、中国文革好きな女性社員だったものの、その後、右寄りに転向した、1929年生まれの長島陽子氏の『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」』 (論創社)という本もある。彼女の人生後半に於ける、著しい「良識派」への転向ぶりは藤岡信勝氏の女性版ともいえる。
中村氏の本と比較しながら一読されるといいいかも。

ほぼ同じころに生まれ、同じような戦争体験を持ち、同じように出版社に勤務しても、三者三様の人生観、政治観、歴史観を持つようになるのだから面白い。

また、こうした多様な生き方をしても、どっかの国や戦前の日本と違って、国家などによる言論弾圧なども原則ないのはありがたいことだ。だから「戦後民主主義」? いや、それとは少し違うだろう。

もっとも、どっかの大新聞のように、何十年も「嘘」を垂れ流していても、発売停止にもならない、というのも、よくよく考えるといいことか悪いことか分からなくもなるが、まぁ、昔に比べるといいことか。いやいや、これこそ、左派リベラルの言論なら、なんでも許されるという、悪しき「戦後民主主義」?

国家の報道規制をはねのける分、自浄能力が必要になるが、エリート意識のみ肥大化した新聞社にはそういうものはあまりないようだ。

数日前、テレビ朝日の夜10時からのニュース番組を久しぶりに見ると、キャスターやその新聞出身の記者が、3・11以降の原発事故による「自殺」裁判をめぐって東京電力をいろいろと批判していた(その判決が先日出て東電敗訴)。だが、朝日の慰安婦虚報・誤報問題の報道などはちゃんとやっていたのであろうか? 

あいにくこのニュースショーは日頃見ることがないのでウォッチしていなかったが、日本社会に悪影響を与え、日本の国際的信用を貶めたという点で、東京電力の原発事故と朝日の慰安婦誤報虚報事件は、同じレベルと見ることも可能。

同じ鋭い言葉でどちらも批判する義務がテレ朝のニュース関係者にはあるはずだが、実践していただろうか(していたらゴメン遊ばせ? でも、ネット情報などを見ると、こんな大ニュースを8・5の夜以降数日にかけてテレ朝の報道ステーションやTBSの夜のニュース番組などは完全にスルーしていたそうな。事実だとすると唖然呆然? NHKはまだマシだったのか?  見ていないので記憶にないが、この民間テレビ局には「特定秘密保護規定」があって、自社内や関連友好会社の不祥事は見て見ぬフリをする、報道しない、ミスは秘密にして秘匿するという内規があるのかもしれない。これでは、とても特定秘密保護法を批判する資格はない?)。

工場の廃液などで健康障害が発生すれば、工場の責任が問われるのはいうまでもないこと。ならば、新聞社などの嘘の報道などで、間違った歴史認識が生まれたりすれば、精神障害の強要を受けたも同然であるから、本来賠償責任も発生するのかもしれないが……。

朝日の誤報責任を、言論によって批判するのは全くの自由であり、戦後民主主義の危機でもなんでもないことは言うまでもないことだろう。あくまでも暴力的な騒音型のデモなどの嫌がらせのレベルではなく、徹底した論理と事実に基づく批判であるべきだ。それをエキセントリックとか感情的すぎるといって批判する人がいたら、そちらのほうがおかしい。もっとも朝日前でデモをするのはどうか? 首相官邸前で適正な反原発デモが許されるのなら、同程度の「騒音」レベルなら、許容範囲なのか?

それにしても、朝日の投書欄には、そうした虚報釈明報道について、さほどの投書が掲載されていないそうな

「週刊新潮」2(014年8月28日号)の佐瀬昌盛氏の指摘→「こんなに大きな2日連続の記事を載せたのに、読者が反応しないわけがない。投書の多くは、『何やっているんだ』というものでしょう。朝日はそれを載せられない。正面から向き合う勇気がないのです」。

また、サンデー毎日(2014・9・7号)には「朝日新聞慰安婦問題・なぜか『声欄』に「投書ゼロ」の不思議」なる記事が掲載されている。とはいえ、当然の朝日批判を「エキセントリックに朝日叩きをしている一部メディアも奇異に映ります」なんていう一知半解レベルの識者を使っているが、その人でさえ、「朝日は読者の声を紙面にもっと掲載するなど、多様な視点から検証し続ける姿勢を見せるべきだと考えます」とコメントしている)。

だとすると、やはり、朝日やテレビ朝日は、「自尊史観」溢れる新聞テレビであったというしかあるまい。

投書声欄で思い出すのは、『ビルマの竪琴』の著者、竹山道雄さんがエンタープライズの寄港に賛成するコメントを朝日(昭和43年1月17日)に寄せたところ、「声」欄に37歳の主婦の「今いずこ『ビルマの竪琴』」なる、竹山氏を一知半解で論難する投書が掲載された。

それをきっかけに、竪琴論争が「声」欄で二カ月近くも続いたそうな。

そして、最後には竹山さんの投書を「没」にして論争は終わったという。

竹山さんは朝日的価値観の平和主義史観に反する知識人として、声欄でスケープゴートにされたといえる。そうした声欄担当者たちの恣意的な投書採用に関しての過去の歴史を思い出せば、今回の慰安婦虚報問題に於けるしばしの(?)「沈黙」は、同じ知的レベル故の、ある種、これこそが「エキセントリック」な対応といえようか。

この竹山声欄問題に関しては、竹山道雄氏の『主役としての近代』 (講談社学術文庫)や、平川祐弘氏の『竹山道雄と昭和の時代』 (藤原書店)や、徳岡孝夫氏の『「ビルマの竪琴」と朝日新聞の戦争観』 (諸君! 1985年9月号)、平川祐弘氏の『「ビルマの竪琴」論争 竹山家から「声」欄へ』 (諸君! 1985年11月号)参照。



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