古本虫がさまよう 「日刊ゲンダイ」が創刊されたのは1975年か、1985年か? そして、藤本泉と国際学連とは?
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「日刊ゲンダイ」が創刊されたのは1975年か、1985年か? そして、藤本泉と国際学連とは?
(2014・6・17・火曜日)








五木寛之氏の『流されゆく日々 3』  (双葉文庫)を読んだ。
前著『流されゆく日々1 1975・10~1976・6』『流されゆく日々2 1976・7~1977・4』  (双葉文庫)を紹介した時、これらの本の冒頭にこの連載の由来として、「日刊ゲンダイ」が創刊された1985年(昭和60年)から、この連載が始まったと記していたのに疑問を表明しておいた。
また、当時、五木さんは53歳とも記されていた。

ということは、この本のサブタイトルはどうなるのか?  創刊のときから連載が始まったはずなのに? 五木さんは今や90歳ぐらいなのか。ううむ。謎だ? もしかして誤植ではないか、でも二冊続けてとは?  不可思議なことだな…と。
単なる誤植で、本当は、1975年創刊で、五木さんが43歳から始まったのでは? とも。

さすがに、今回の「3」では、「日刊ゲンダイ」の創刊は1975年と記され、五木さんが43歳の時から連載が始まった云々と正しく書かれている。よかった?

五木氏のこのエッセイは、今も「日刊ゲンダイ」に連載されている。「3」に収録されているのは1977年以降のエッセイ。僕が18歳のころの話。

作家・藤本泉氏の江戸川乱歩賞受賞についてのエッセイや『青春の門』で出てくる「国際学連の歌」を、この作品をドラマ化する関係者がほとんど知らないというのに驚いたりしているところがちょっと面白く思った。

というのも、藤本泉氏の『暗号のレーニン 革命の父のミイラの秘密』 (講談社ノベルス)や『時界を越えて』 (旺文社文庫)はユニークな小説だったということで、本欄でも紹介したことがあるから、その名前を知っていた。

「国際学連」は、僕ももちろんリアルタイムで知るわけはない。でも、その組織に関与していた、ある日本人の回顧録を以前紹介したことがある。以下再録(一部略)。


2011/02/05(土) 07:05:27
元国際学生連合のメンバーとして1959年2月にチェコに行き、十年近く滞在した体験を持つ、1933年生まれの石井保男氏の「わが青春の国際学連 プラハ1959~1968」(社会評論社)という本を最近読んだ。著者は東京大学医学部生であったが卒業間際に国際学連に派遣されることになり、大学は事実上「中退」。現地で結婚もし、プラハの悲劇も体験し、その後帰国し復学し医者の資格も取っている。

全学連の一員でもあり、ブントのメンバーであり、帝国主義反対、スターリン主義反対、ソ連、中共の核実験にも反対していたという。左翼陣営の中にあって過激派でもなく日共でもなく「中庸」の立場か?
しかし、1956年のハンガリー動乱の後、自由世界の諸国の学生組織は、この国際学連から離反しているが日本は離脱しなかった(情けない!)。当時は日共もそれ以外の左翼も(石井サンも?)ソ連を根源的に批判することなどなかったからだ。


そもそもこの国際学連は反ナチの精神で結成されたもので英国の学生組織などが中心になっていたとのこと。ハンガリー動乱以降、ナチと変わらないソ連の野蛮が明白になり抗議をしようとする自由世界の学生組織と共産世界の学生組織が内部対立を起こし分裂をしたのだ。全学連は1949年に加盟していたが、結局ソ連批判に与することなく残留。したがって全学連の代表として赴任した石井氏は、国際学連にとって貴重な「人質」、いや「お客さん」というか、自由世界内の貴重な「シーラカンス」と「標本」として存在することになったようだ。

「こうして国際学連は東西両極に割れて分裂した。結果として西側のいわゆる「先進国」の中で国際学連に残ったのは日本全学連ただ一つとなった。皮肉なことだが、そのため国際学連における日本全学連の発言権は圧倒的に強まった」

本来、こういうのは「自慢」ではなく「恥」として認識すべきではないのか。そのあたりの「自虐精神」が著者には欠けているようだ。

60年安保闘争後、全共闘運動や左翼暴力活動などが日本国内で発生するが、その間、著者は外国で生活することになる。どれだけの報酬を得ていたか記されていないが、それなりにお客様として優雅な生活をしていたのではないか。加藤周一程度を「知」扱いするのは左翼陣営共通の認識だが、石井氏もベルリン自由大学に招聘する運動を展開もしている。

キューバに出かけ、ゲバラに会ったりもしている。アウシュビッツで殺害人数が大きく変動している事実(400万→150万)を見て

「その「差」はなんと「250万人」である。ここでもスターリン主義者が「人間」を「物」扱いにしている実態が浮かんでくる。要するに「解放の実績」をおおげさにして政治的に利用する目的でかかげた「数字」で、これはもはや「犠牲者の数」ではなく、政治的な「物」の数にされているのだ。スターリンにとって「250万」の違いなど「たいしたことではない、適当でいい」のだ。同じポーランドで平然と虐行した、あの「カティンの森」事件とまったく同様な「思考様式」である。「ヒトもモノも、たいした違いはない」のだ。日本共産党はこうしたスターリンを崇拝していた」

と綴るあたりはマトモではある。

だが、毛沢東以下の中共の指導者たちが「同じ思考様式」で南京大虐殺を針小棒大にしている事実を認識しているであろうか。無辜の市民を30万(以上)殺害したという嘘は、日本の左翼学者でも後ずさりするようになった。アイリス・チャンの「レイプオブナンキン」を訳出するにあたって、その問題点を日本の学者を使って指摘する本と同時に刊行しようとした出版社の思惑は挫折もした(別の出版社がチャンの本だけを訳出したようであるが)。
だが、捕虜虐待、捕虜といっても便衣兵は別か?などさまざまな視点から冷静に正視すべき歴史的事象をイデオロギーや外交手段として活用する中共の態度を批判してこそ論理的と言えるのだが、左翼の方々にそれを求めるのは八百屋で魚を買おうとするのと同じく困難であろうか。本書もカティンの森事件やワルシャワ蜂起を見捨てたソ連の悪口は書いているのだが。
毛沢東以降の中国の独裁者たちも南京事件による死者(便衣兵などもふくめて)が2万人程度だとしたら「28万人」の違いなど「たいしたことではない、適当でいい」のだと思っているのだろう。この点では、スターリンと毛沢東や彼以降の中国の指導者たちはほぼ等身大の独裁者しかない。

石井氏はこうもいう。
「いまだにソ連の崩壊を目の当たりにしても「社会主義に対する資本主義の勝利などとカラ騒ぎする向きもありますが、むなしい見当違いです。権力の集中独占で利得をむさぼり、社会主義を、特権階級の食いものに変質腐食させた、反人民的な支配政権・党官僚体制の自己崩壊にほかなりません。「社会主義の崩壊」とは全くの別物です。この違いの混同は許されません」と豪語している。
そして「一方の金融資本を本体とする世界の帝国主義勢力はどうか。マーケット至上主義のいわゆるグローバリゼーションで投機集団をのさばらせ、総合的な制御能力を喪失しつつあり、その実態はサブプライム・ローン、リーマンブラザーズ等の破たんや相次ぐ統合合併ゲームとなって露呈されつつあります」と。

東西冷戦は、経済的手法のみを観点とした資本主義と反資本主義との闘いではなく、自由民主主義と全体主義との闘いであったという事実をまだこの人は理解できていないようだ。

「権力の集中独占」「特権階級」というのも「全体主義」特有の産物であった現実を見落としはなるまい。「グローバリゼーション」といっても、コミンテルンほどの有機的なつながりがあるわけでもない。企業間の対立抗争もある。大企業の倒産もリーマン一つとってみても分かるように日常的だ。いまだに帝国主義勢力云々という言葉が出てくるあたりはお里が知れる?
アジアに於いて、アウシュビッツと同様、犠牲者・被害者数を恣意的に水増しする中共当局者の知的レベルを憂い、「権力の集中独占」を維持する体制を憎んでこそ、民主主義者と言えよう。

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