古本虫がさまよう もしも「少年ジャンプ」が「少年ダッシュ」か「少年エース」だったら?
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もしも「少年ジャンプ」が「少年ダッシュ」か「少年エース」だったら?
(2014・5・27・火曜日)










漫画家やマンガ編集者の回顧録は多々ある。そこそこは読んできた。
角南攻氏の『メタクソ編集王 「少年ジャンプ」と名づけた男』 (竹書房)は、その中でも上位に入る面白い本だった。

1968年の春、集英社に入社し、少年誌に配属されていたら、長野規氏から「スナミィ、新雑誌のタイトルを3つ書いてみろ。15分以内に提出だ!」と命令されたという。
あわてて、「ダッシュ、エース、ジャンプ」を出したら、ジャンプが採用されて今日に至ったとのこと。
そんなエピソードから話が始まる。

少年ジャンプはリアルタイムで創刊号を買った記憶がある。それまで、少年サンデーやマガジンを読んでいたが、いつも立ち寄る本屋で、新しいマンガ雑誌を手にして購読するようになった。
細かい記憶は忘れているが、バット職人やボーリングのマンガがあったっけ?  その後、「ハレンチ学園」なるものが始まり(?)、この悪影響を受けて、今日の「ジキルとハイド」が形成されたという点で、「少年ジャンプ」にはいろいろとトラウマがある?

名古屋に生まれ、高校時代から安保反対闘争などにも参加したり京大に三浪しても入れず早稲田に行き、小学館と集英社の資本関係も知らずに、なんとか集英社に入社。
そしてマンガ編集一筋の道を歩みだす。マンガ雑誌の返品率なんてほんの数パーセントしかない時代だったそうな? 90%以上の実売率。部数はどんどん増えていく‥‥。のどかな(?)優雅な(?)出版好況時代も回顧されている。

晩年、社内の主流・反主流派との確執などから、若干、光の当たる場所から日陰的な分野に回されたり、実家が全焼したり‥人生の運不運の話も出てくるが、基本的に、高度経済成長時代と共にマンガの華やかな、余裕のある環境での贅沢な編集稼業を続けられたと読み取ることができた。「ヤングジャンプ」の編集長にもなり、部数拡大に貢献もしたそうな。
著者近影の写真を見ても、この人、タダモノではない?ことが分かる?

集英社のマンガ編集者といえば、以前、小長井信昌氏の『わたしの少女マンガ史  別マから花ゆめ、LaLaへ』 (西田書店)を紹介したことがある。角南攻氏の先輩になる。1930年生まれの小長井氏は、大学卒業後、集英社に入社し、マンガ畑の編集者となり、少女マンガの編集長などを歴任、子会社の白泉社創立に参加し社長にもなった人。白泉社には角南氏も参画したから、ここでも先輩となったのであろう。以下は小長井氏の本の紹介の再録(一部略)。

 

マンガ雑誌の回想録といえは、同じく集英社がらみでは、少年ジャンプの編集長だった西村繁男氏の『さらば、わが青春の「少年ジャンプ」』 (幻冬舎文庫)がある。少年マガジンの元編集長だった内田勝氏の『「奇」の発想 みんな「少年マガジン」が教えてくれた』 (三五館)もある。
 他にも関係者や書き手からの回想として、岡崎英生氏の『劇画狂時代 「ヤングコミック」の神話』 (飛鳥新社)や、佐藤まさあき氏の『「劇画の星」をめざして 誰も書かなかった〔劇画内幕史〕』 (文藝春秋)や辰巳ヨシヒロ氏の『劇画暮らし』 (本の雑誌社)、  『劇画漂流上下』 (青林工藝舎)など多々ある。『劇画漂流』のように活字ではなくマンガ(劇画)で描いているのもある。

 小長井氏の本によると、最初少年マンガ雑誌(「おもしろブック」⇒「少年ブック」)の編集をしていたのだが、雑誌自体がぱっとしなかったようだ。少年ブックはその後、 「少年ジャンプ」となって今日の地位を築くのだが、それには関与していない。
 
  巻末に、彼が担当した少女マンガの書き手たちが、著者のほのぼのとした顔イラスト付き(小太りで禿げているから?)でメッセージを寄せている。出来上がりの遅い筆者のところに日曜日訪問するにあたって、小さなお子さんを連れての行脚もあったそうだ(一人で留守番させられない時もあったのだろう、奥さんの事情で)。

 僕の自宅では、60年代後半、二十歳前後の女性が「下宿」していたことがしばしあって(だから、「年上の女」に弱い?)、小学生の頃は、先述のように少年マンガを読むのと平行して、そうした女性たちが読む「少女マンガ」も手にしていたことがある。近所に貸しマンガ屋もあって、彼女たちが借りてくるのを一緒に読んだこともある。中学生以降も「セブンティーン」などを借りて「右手にセブンティーン、左手に朝日ジャーナル…」というふうに、よく読んでいたものだが……。

 でも、さすがに少年マンガほどの入れ込みはなく、70年代以降の少女マンガの歴史が詰まっている本書を読んでも、それほどリアルタイム的な記憶は蘇ってこない。他社のマンガもあったことだろうし(「少女マンガ」というと「少女フレンド」がまず想起されるし)。「おくさまは18歳」もセブンティーンで読んだかと思ったが、本書によると週刊マーガレットだったとのこと。マンガの舞台を日本に置き換えて、石立鉄男と岡崎友紀が秘密結婚がばれないように四苦八苦するコメディはリアルタイムでテレビで見た記憶がある。傑作だったなぁ。ゴールデンタイムの放映だったからお色気的なものはシャットダウンされていたのだろうが、子供が見るには手頃だった。
 原作は本村三四子氏の『おくさまは18歳』 (マーガレットコミックス)とのこと。懐かしいから読んでみたくもなるが、フランス書院文庫からも最近、河里一伸氏の『奥様は18歳』という作品が出ている。こちらも必読すべき一冊? 義姉なども出てくるようで……。しかし、先生と教え子(高校生)の結婚はいまでもよくあるパターンのようだ。子供の学校でも最近そんな例があったと聞いた。近年は先生が女教師ということもありうるようだが。正式に結婚するなら結構な話? 牧村僚氏の『秘密授業 家庭教師と少年』 (徳間文庫。元判のフランス書院文庫判を改題)も、家庭教師ではあるが「女教師」と「教え子」の性遍歴を綴りつつ、ハッピーエンドで終わるような余韻を残した佳作であったかと記憶している。

 小長井氏によると、投稿を募り、応募者の名前は、小さくとも全員誌面に載せるようにしたとのこと(期待と不安を持つ年少の応募者にとって、無事原稿が届いたかどうかも気になるだろうからと)。若い頃は「文藝春秋」「世界」「中央公論」のような言論雑誌総合雑誌を「男子一生の仕事」と考え、そうした雑誌の編集者になりたいと思っていたそうな。「それが何と少女マンガ雑誌と一生格闘することになろうとは……」と述懐しているが、「今はマンガ編集者を後悔していない。どころか、有難く思っている」とのこと。そうだろう。

 作者とともに歩み、単に原稿を受取るだけでなく、マンガ雑誌の編集者といえども、時には「自分で足を運び、じかに人と会い、あるいは取材し、自らの文をかく、いわゆる記者の本来の役目はやはり大切なことではないかと思う。現在の編集は、デスクに坐ったまま、パソコンを叩いているだけで、本が作れる時代になってしまった。しかしそれで本当に血の通った本ができるだろうか、読者の心をゆり動かすような雑誌が作れるだろうか、大いに疑問である」から、自分の文章を書く余地のあるマンガ+αの雑誌も手掛けたりしたそうな。

 それにしても80年前後、集英社グループには100万部以上の雑誌が8つあったという。「少年ジャンプ」はむろんのこと「りぼん」「別冊マーガレット」(別マ)など。
「この頃の集英社グループの感覚では、雑誌は30万部くらい出ないと一人前とは認められなかった。20万部では顔も上げられない、10万部では雑誌ではない。売上率も悪くて80%、70%を切ったら休刊を考えねばならないくらいであった」という。ううむ? 




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こんにちは、毎回、興味深く楽しい記事を拝読し、感謝に耐えません。
今回は、本文を離れ、古本虫さんの「カテゴリ」に注目しました。
「古本屋」がダントツなのは当然かも知れません。続いて「共産主義」
「原発」「軍事」「政治」「環境」などが見えています。「自叙伝」「グルメ」も
楽しそうです。勿論、「人生」「健康」も捨て難いです。特筆すべきは「未分類」
ゼロで、ただ敬服するのみです。最後に、ひっそりと増殖し続ける「エロス」に
頑張れよっとエールを贈りたいと思います。(つまらない感想ばかりで恐縮しています)

HN:青木慧67歳
青木慧 (HN)  05/27/2014 Tue URL [ Edit ]
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  05/27/2014 Tue [ Edit ]
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