古本虫がさまよう 「愛と死と生」を見つめて‥‥
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「愛と死と生」を見つめて‥‥

(2014・4・29・火曜日・祝日)










田舎にいる友人から電話があった。
なんでも、数日前に十人ぐらいで集まって同期会をやったら、その3日後に、出席していたYが急死したとのこと。その連絡。

ううむ。あまりつきあいはなかったけど、純朴な真面目な男で、旧帝大系の国立大学の法学部に進学していたから、僕なんかより勉強もできるやつ。司法試験に合格とまではいかなかったようだが、その関係の仕事をしていたようだ。

詳しいことは知らないが、独身で、心筋梗塞的な死に方だったとのこと。月曜日、何の連絡もなく欠勤ということで、自宅に翌日行ったらこと切れていたそうな。同い年だから‥‥。

そういう「突然死」ってあるよね。昨日まで元気だったのに、急に倒れて死去‥。何が悪いというわけでもないのだろうが。

一クラス60人(一学年360人)近い規模だったが、すでに交通事故やら病気で何人かは死んでいる。スキャンダルを起こして、逮捕はされていないけど、極悪非道(?)の輩として新聞雑誌に名前が出た奴もいる。医者になった人、大学教授になった人、医者になりそこねた人、人生それぞれ。
平均寿命ぐらいは生きたいものだが、50代半ばでの突然死‥‥。石原慎太郎氏の『日本の突然の死 亡国上下』 (角川文庫)なんて名著もある。国家も「突然の死」を迎えることもある。東独やソ連のように。でも、ゴキブリのように復活することも?

ともあれ、青木新門氏の『それからの納棺夫日記』 (法蔵館)を読んだ。前著『納棺夫日記』 (文春文庫)は読んだ。それが原案(?)となっている映画『おくりびと』は見ていない(妻は見たようだが)。
原作とならなかった「理由」についても綴られている。著者の宗教・死生観にかかわる点で、譲歩しなかったということのようだ。

「看護婦」なる言葉が抹殺され(?)「看護師」(看護士?)なる言葉になりつつあるようだが(ポルノ小説が、なんとか抵抗中。ただ、その分野でも「ナース」なる言葉にもなりつつあるが)、「納棺夫」も以前は辞書にもなく、今は「納棺師」という名称になりつつあるとのこと。
この仕事の内容は、遺体を拭いて、死装束の白衣や経帷子(きょうかたびら)を着せて、髪や顔を整え、手を組んで数珠を持たせ、お棺に納めるまでの一連の作業をする‥というもの。
時には、看護婦さんや葬儀会社の人がやるものなのか?

青木氏は、叔父からはそんな死体を扱うような仕事をするとはなんたることだ、辞めろと罵られたこともあったそうな。
その叔父の臨終寸前での再会や、「父親にあってくれ」と若い時言われていた元恋人の父親の遺体を湯灌したりした体験なども淡々と綴られている。
「死者の顔は安らかで美しい」のに、交遊のあった吉村昭氏でさえ、「死顔など、ろくなものではない」から、「死顔は他人に見せるな」と言い残していったことを批判的にとらえている。ううむ‥‥。
臨終に立ち会うことの大切さを、著者は指摘もしている。
三木清の親鸞についてのエッセイに共感したことも綴られている。

ううむ、三木清か‥。
オナニー大好き哲学者の三木清か‥などと不遜なことも感じたりもしたが(『今東光 今日出海集59』集英社所収の「三木清における人間の研究」参照→ 「僕は手淫だよ、手淫が一番たしかな方法だと思うね」「僕はだいたい夕食後、勉強までの時間に性欲を感ずるね。こんな時間じゃ女房も忙しい。手淫をするんだよ、八時ごろにね。そして頭を爽やかにして勉強にとりかかる。勉強後の一服が女房だよ。どうだい合理的だろう」「君たちは性欲を逃避しているよ」「僕はね、調理場の上の屋根へ毎晩出るんだ。物干場だよ。あそこから曖昧宿の中が丸見えだ、知らんだろう。あれを窺(のぞ)くんだね。いろいろな奴らがうごめいている。それを見て厭な気がしたら、勉強する。昂奮したら手淫をする。一文もかからず、かつ合理的な処理法だろう」と戦時中語っていたとのこと。このあたり、人間的ではあろうか?)。

ともあれ、僕とて、半世紀以上生きてきたものの、人が「生」から「死」に転換する「死に目」を見たことがない。見たい? ううむ。
ネバーセイネバーの例外として、人は必ずいつか死ぬ‥。ただ、それでも、「死後の世界」があるかないかに関しては、まだネバーセイネバーの理屈は存続しうるか? 
人は生きている限りは幸せとは思うべきだと感じているが‥。人に迷惑をかけてまで(飛び込み自殺やガス爆発自殺など)自殺するなんてバカのすること?
青木氏の本はいろいろと「生と死」について考えさせられる本だった。
十分消化もできないし、教訓を得て、今までの生き方を変えるまでには至らないのは、己の精神的未熟さではあろうが‥。

ということで、関連書として、山口仲美氏の『大学教授がガンになってわかったこと』  (幻冬舎新書)を読んだ。
大腸がんと膵臓がんを経験し、がんとの闘病の過程を赤裸々に綴ったノンフィクション・エッセイ。
病院で、医者が「看護婦さん」という言葉を使うのに、めくじらを建てる程度にはフェミニスト? 
ともあれ、患者に対して、きちんと説明をしてくれる医者や看護婦でないと、あえて病院を代えたりしたこともあったそうな。手術の腕前は凄いけど、対患者の対応はイマイチの医師もいたそうな。
そうした医者たちは「実名」では出てこないけど、愛称(オチョボ先生とかキサク先生とか‥)で綴りつつ、あのガンと闘うなというK医師にもセカンドオピニオンを求めていく。

K医師曰く「膵臓ガンは手術しても助からない。手術はしなくてもいいでしょう。まあ、そのままにして余命に任せるのがいいでしょう」と。

そう言われて、それももっともだと思いつつも、サードオピニオンなど(?)いろいろと検討し、K医師が言わんとするのは「手術を受けるのなら、覚悟をして受けなさい」という意味なのだろうと感得し、手術を決意‥。

手術後は、抗がん剤にも苦しめられつつも闘病‥。なんとか今日にいたっているようだ。
家族のことも出てくるし、入院、通院など、さまざまな闘病のためのノウハウも参考になるだろう。

引き続き、そのK医師こと、近藤誠氏の『これでもがん治療を続けますか』 (文春新書)を読んだ。「早期発見・早期治療はあなたの寿命を縮めるだけ」と帯にもある。「がんもどき」理論をはじめ、近藤理論の集大成の本といった感じである。

「がんは治療しなければ、末期でも生活の質が保てる」「末期患者に行なわれる点滴こそが、呼吸困難の原因になっている」「自力で物を食べられなくなったら、医療行為はおしまいとする社会通念を形成するのが妥当」
なるほどね‥‥。人間、そういう状況に直面したら、さてどうすべきなのか? その時はその時か? なるようになる?

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