古本虫がさまよう 「北朝鮮ユートピアルポ」と「原発ユートピア広告」との違いとは?
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「北朝鮮ユートピアルポ」と「原発ユートピア広告」との違いとは?
(3014・4・18・金曜日)









この前、早川タダノリ氏の『原発ユートピア日本』 (合同出版)を紹介した。
電力会社などの、かつての原発安全啓蒙広告がいかに虚しいものかがよく分かる本だったが、本間龍氏の『原発広告』 (亜紀書房)も、原発肯定の各種広告を紹介しつつ論評している。

著者は元博報堂勤務の人。以前、本欄で『電通と原発報道 巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ』 (亜紀書房)を紹介もした。

政府や電力会社などが、イメージ広告や著名人や美人女優やタレントを使っての原発礼賛対談や座談会や見学会やマンガなど、さまざまな手法で原発安全神話の幻想を撒き散らしていたことを批判している。
そうした広告も数多く収録されている。
また広告出稿に関しての裏舞台なども、仕事がら熟知しており、いろんな指摘がある。ご指摘、ごもっともと感じるところ大なり。

 ただ、こういうのは「広告」と銘打っているから、まだ見る方、読む方も一歩退いて眺めることができるけど、「一般記事」として、かつての北朝鮮スバラシキ・ユートピア論などが掲載されると、より、幻惑されてしまう可能性が高いだろう。

昭和30年代前半の北朝鮮への帰国運動などは、その最たるもの。寺尾五郎の『三十八度線の北』 (新日本出版社)から始まり、小田実の『私と朝鮮』 (筑摩書房)、 『北朝鮮のひとびと』 (潮出版社)など、ここで展開されている論理は、スポンサー(北朝鮮&東電?)が見せるものを素直に受け取り、それをヨイショするだけの幼い精神構造がなせるものでしかなかった。

その著作、とりわけ帰国運動初期の段階で、寺尾五郎などが撒き散らした被害は、原発被害にも匹敵するだろう。 

いまだに生まれ故郷の祖国日本にほとんど帰ることのできない日本人妻など、その人権剥奪を考えると‥。原発汚染のために故郷を失った人以上の悲劇というしかあるまい。故国にほとんど帰れないのだから。

この点を無視した人権運動はあってはならない。反原発を声高に主張するなら、当然、同様に、反北朝鮮の認識を持つことも求められる。いまや反北朝鮮は、反核にもつながるのだから。

また、そうした「北朝鮮は地上の楽園」「韓国は人権弾圧の独裁国家」といった単細胞的報道は1980年前後盛んだった。

そういう報道に接していた若い日本人男女が、外国で、ちょっと北朝鮮で仕事を紹介するからと言われても、さほど恐怖に襲われることもなく、ついついついていったがために「拉致」された事例もあった。
「自己責任」以前に、拉致するのが一番、絶対的に悪いことはいうまでもないが、当時、朝日ではなく家で産経新聞(サンケイ新聞)を読んでいれば、北朝鮮と聞いたら、少しは身構えたりして、実家に電話して「あの危険な北朝鮮に行かないかと誘われたけど大丈夫かな」とやりとりしていただろうに、一部新聞の、原発安全論同様の北朝鮮バラ色論報道に接していたために、免疫もなく、だまされてしまったともいえよう。

80年代初頭でも、大学時代の我が同級生の多くは、韓国と北朝鮮を比較して、北朝鮮のほうが言論の自由のある、いい社会だとマジに主張していたものだ。

無理もない、テレビや新聞をみれば、韓国では人権闘争だの反政府デモが行われていた。
北朝鮮は、そんなことをする自由すらない全体主義国家だったから、映像的には、衝突やデモのシーンは報じられることはない。強制収容所も、閉鎖的なまま、知られることもなかった。しかし…である。
そういう対比を感じつつ拝読した次第。

「ネバーセイネバーの原則」を忘れることなく、「地上の楽園」だの、「絶対安全」だのといった「コピー」は眉唾物と見据えて、分析力と想像力とをもって事に対処していくべきだろう。
(以下再録)

本間龍氏の『電通と原発報道 巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ』 (亜紀書房)を読んだ。
著者は元博報堂社員。国権の三権に次ぐといわれる第四権のマスコミ(とりわけ新聞テレビ)をさらに支配するのが「電通」と言われることがあるそうな。著者は電通に次ぐ博報堂の社員だったこともあり、企業の「宣伝広告費」が新聞やテレビなどの「報道」「編集」にどれだけの影響力を与えているものなのかを論じている。

話はやや自分の体験などや原発とは直接関係ない芸能タレント問題などにも飛んだりしているが、常識的に考えても、東京電力などの「広告」が他社(ガスなど)との競争に打ち勝つためのものというよりイメージ広告(原発は安全など)に偏り、「洗脳」的なものがあったというのは事実といえよう。そしてその出稿、広告量、広告料金の多寡によって,報道する側に遠慮が生じたりするのか、扱いに格差が出るのかどうか…。もちろん、スキャンダルが発生したりして否応なくスポンサーをおりざるを得ない時もあるだろうし、おりるぞと脅すこともありうるだろう。

そういう場合などに発生するスポンサーに対する配慮などの有無を見るにつけ、かつては中国やソ連や北朝鮮といった「心の祖国」というのか、「取材便宜をもらうための配慮」というのか、そういうタブーから、中国ソ連北朝鮮をあまり悪く言わないようにする、現地ルポは向こうのモデルコースを歩いて、それをそのまま報道・放送する…なんてことを日本の新聞やテレビはよくやっていたものだった(参照・稲垣武氏『朝日新聞血風録』文春文庫)。それに慣れると、国内でも同様ということなのかと思わないでもない。況んやお金が関係してくると?

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