古本虫がさまよう 「真の平和」を考えるための100冊とは?
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「真の平和」を考えるための100冊とは?(2014・4・9・水曜日)






日本平和学会編の『平和を考えるための100冊+α』  (法律文化社)を読んだ。「平和(運動)主義」のために役立つ本のリストといった感じで、本当の意味での「平和」を考えるために役立つ本が揃っているかどうかは疑問だ。

なぜか? 

本欄のような、まったく私的な書評ブログでも、原発賛成派、反対派、放射能汚染心配派、たいしたことはない派など、双方の本を読み比べ、紹介しながら、その上で、個人的感想を綴っている。
なるべく自分の考えとは違う本にも接しようとは努力はしている。しかし、日本平和学会編のこの本には、その程度の「度量」もない?

例えば、吉見義明氏ほか編の『共同研究 日本軍慰安婦』 (大月書店)を紹介するのもいいが、秦郁彦氏の『慰安婦と 戦場の性』 (新潮社)もせめて文末に関連書として紹介するぐらいの技量があってもよかろうに。

紹介者、紹介本によっては、末尾に「ファザー・リーディング」欄を設けているのもある(といっても、そこに出てくる本は、メインの推薦書とほぼ同工異曲の本ばかり。言論の自由、価値観の多様性について、平和学会所属の学者の方々は、やはりいささか狭量ではなかろうか?)。

読書ガイドブックなのだから、己の価値観を第一にするのは当然としても、サブでは関連書、己の主義主張とは若干異なる本も紹介すればいいのにと、一読者としては残念に思う。

ソ連、中国、北朝鮮が「平和」に対してどんなマイナス・アプローチをしてきたかを考察する本もさほどはない。
楊海英氏の『墓標なき草原 上下』 (岩波書店)、 『植民地としてのモンゴル 中国の官制ナショナリズムと革命思想』 (勉誠出版)や、水谷尚子氏の『中国を追われたウイグル人 亡命者が語る政治弾圧』 (文春新書)や、チベット僧パルデン・ギャツォが、自ら弾圧を受けた体験記『雪の下の炎』 (新潮社)や、『収容所に生まれた僕は愛を知らない』 (KKベストセラーズ)の著者・申東赫(シン・ドンヒョク)の本などはなぜ紹介されないのだろうか?

オーウェルの『1984年』と村上春樹氏の『1Q84』とを紹介している筆者もいた。『1984年』に関する分析評価は的確であるし、それが現代社会においても「過去のものではない」と見なすのも正当ではあるが、その例として、すぐにグローバル資本主義における各国の階級支配強化、格差社会、恒常的な戦争状態としてテロに対する戦争を示すのはいささかスケレオタイプすぎるだろう。

そして『1984』の思想警察的な描写もハイテク監視社会を考えればありうるとみなしているのも「?」が浮かぶ。
なぜ、せめて、そういう事例と並列して、北朝鮮や中共を例示しないのか? できないのか? したくないのか? 
日本海向けて、しょっちゅうミサイルをぶっ放し、成分で国民を区分け差別する階級支配国家、格差社会国家はすぐ隣の北朝鮮であり、裏切り者を逮捕し、処刑する点でも、『1984』の世界そのものなのに、なぜ、そんな簡単な事実を指摘しようとしないのだろうか?  知的怠惰すぎるのではないか?

図書館や書店などにも万が一のための監視カメラがあったおかげで、左翼リベラル派がとっても心配していたアンネ・フランク関連本破損の容疑者も逮捕できたのではないか。犯罪者摘発のために、監視カメラは、一時的に再生されてチェックされるだけではないのか?

過酷な監視社会、差別社会は、いうまでもなく北朝鮮などのような国が、ダントツの一位であろう。

それに比べれば、ノーベル賞受賞者を授賞式にも行かせないようなソ連や中国だって、まだ自由があるようにさえ見える。

ダライ・ラマの平和賞受賞を批判したような大新聞が日本にもあるということで、日本の言論の自由も行き過ぎの点があるのかもしれないが、それはともかく、『1984』もそういう視点からしか論じないのはいささか偏りがありすぎる。先のコラム、別にビッグ・ブラザーはスターリンと認識しているのだから、そんなにヘンな内容ではないのだが‥‥。

岩波ジュニア新書の伊藤和子氏の『人権は国境を越えて』 (岩波ジュニア新書)と、同じような不可解な不思議な読後感を味わった次第。


以下、今回の本から離れて一般論になるが、なぜ、共産圏の人権抑圧や戦争行為、異民族弾圧といった現在進行形の、より大きな犯罪行為を軽視したり無視できるのか?
「人権を考える上で『国境』を設けて考える」日本人が未だにいることは、とても恥ずかしいことだ。

その意味で、 「世界」(2014年5月号)の「編集後記」で展開されている、北朝鮮系の朝鮮学校に対して「高校無償化」制度から除外しているのは違法、差別だとして裁判闘争が行なわれていることを紹介し、それを支持するかのような見解には、いささか首を傾げた。

ヘイトスピーチなどの風潮批判は当然としても、そうした「社会的空気を安倍政権は養分として吸い上げ、ぬくぬくと狂乱の花を咲かせている」とまで批判している。

ふうむ? まぁ、そういう見方もありうるだろうが、同じ号で「アムネスティ通信」による、「人道犯罪に対する国際社会の不作為」「北朝鮮における人権侵害の実態とは」と題しての一頁コラムは注目すべきである。これは正論だから。

「住むところは政府の決めた階級別で、移動を禁止することで孤立化を図る。政府がよしとする報道だけが伝達され、それ以外は見聞きしてはいけない。反政府の意見を持てば家族ともども収容所送りで、過酷な労働が課される。拷問、虐待、強姦、強制堕胎、裁判なしの処刑なども組織的に行なわれている。食糧は身分の高い階級や官僚に分配され、数百万人が飢餓に苦しんでいる」

国連の調査委員会の「委員長を務めたマイケル・カービー氏は、このような世界最悪の人権侵害を放置してきた国際社会に怒りの声を上げる」と。北朝鮮こそ、「1984」の世界そのものではないのか?

特定秘密保護法などが施行されても、少なくとも、上記のような社会に日本がなる可能性はない? いや、ネバーセイネバーだから、日本の北朝鮮化、中共化のないように注意する必要はもちろんあるだろう。

ともあれ、「世界最悪の現在進行形の人権侵害」をなるべく軽視して、半世紀以上前の「人権侵害」や、些細な「区別」の解消を声高に主張する人たちの「本心」はどこにあるのだろうか? 



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