古本虫がさまよう 神保町古本屋街を歩けば、就活しないで生きることができる?
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神保町古本屋街を歩けば、就活しないで生きることができる?
(2014・3・17・月曜日)








森岡督行氏の『荒野の古本屋』 (晶文社)を読んだ。

著者は、1974年生まれで、茅場町でビジュアル本など中心の古本屋(「森岡書店」)を営んでいる。その古本屋開業に至るまでの古本まみれの自叙伝といった感じの本。

この人の本は、以前、 『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』 (ビー・エヌ・エヌ新社)と、 『写真集 誰かに贈りたくなる108冊』 (平凡社・コロナブックス)の二冊を紹介したことがある(末尾に再録)。

大学を卒業して、就職することなくバイト生活をしながら、中野で見つけたユニークな安いアパートに住み、時々、神保町を一日の予算2000円で徘徊したり、図書館で本を読んだりして過ごす時間を一時持ったそうな。

買った本を神保町の喫茶店で読んだり。そこで女性と知り合ったり?(もしかして奥さん?)

やがて新聞の求人欄で知った神保町の老舗の古本屋・一誠堂書店の試験を受けて入社。専門古書を扱うこともあり、著者や書名も知らない世界。お客さんが先生ということで「修行」の日々が続く。

やがて、茅場町のある店に仕事のために寄ったところ、そこが店舗を引き払うことを知り、衝動的に、そこで自分が古本屋を開店したい‥と。
古書店を退職し、限られた資金で、チェコやフランスに、自分が手がけようと思っている古書、写真集を仕入れにも行く。
そして開業するものの‥‥。
いろいろと試行錯誤を繰り返しつつ、なんとかやっている‥‥。
そういう「古本」にまつわる軌跡が綴られているエッセイ集。高価本を盗んだ万引男を追いかけ捕まえたり、いろいろとあったようだ。


古本屋を営む人の古本屋エッセイは数多く出ており、本欄でも何冊となく紹介してきた。ううむ、我も古本屋をやるか?と一瞬思ったりもするが、とてもとても‥‥。

誤植については、人のことはいえないのだが、一言だけ。
50ページ最後から二行目、 「吉野屋」になっている。51ページの一行目は正しく「吉野家」になっているが‥。
あと90ページ終わりから3行目『チャリング・クロス48街番地』になっている。『~84街番地』では?

それはともかく、著者が勤めていた「一誠堂書店」は軒先を覗くだけのことが多く、たまに中に入っても一階部分をざっと見るだけ。専門書中心で、社会科学より、人文科学系の古書が多めだったかと。

以前書かれた本を読んで、古本屋を開業している人だということを知り、一度寄ってみたいと思いつつ、写真集の類はあまり手にしたことがなく、茅場町も土地勘がなく、出かけたことはあいにくまだない。

この本、サブタイトルに「就職しないで生きるには21」とある。森岡氏が卒業時、就職したくなかったという理由は、ううむ?といった環境主義者的な発想だったようだが、そのあたりはちょっと理解しがたいものがある。

しかし、今は、大学3年生もまもなく4年生となり、就活で多忙になるところ。日本の社会は、少なくとも共産圏のように、必ずどこかに就職しないといけない社会ではない。就職しないで生きることも可能な社会。ブラック企業にいやいや就職する強制も本来はないはず。

ともあれ、このシリーズは、以前、初期に刊行された10冊ぐらいを読んだことがあるが、そのあとも、10冊ぐらい刊行されていたのだろうか? 知らなかった。以下、そのシリーズ含めて、森岡氏の著作など、再録(一部略)。

「就職しないで生きるには」のシリーズでかつてまず読んだのが早川義夫氏の『ぼくは本屋のおやじさん 就職しないで生きるには①』 (晶文社)だ。1982年初版で少なくとも1997年に30刷り。結構売れたようだ。この本屋には30年ほど前に一度行ったこともある。岩波書店など硬い本とフランス書院などのエロ本もあるというジキルとハイド的な本屋だったが1995年に閉店したそうな。大手出版社とのやりとり、返本制度、パターン配本、納品がままならない出版事情などが綴られている。

  『輸入レコード商売往来 就職しないで生きるには④』で著者の岩永氏が指摘していたようにレコード音楽業界の電子化による将来像以前の非電子化時代の書店の日常の姿が描かれている。

  1946年生まれの長谷川義太郎氏の『がらくた雑貨店は夢宇宙 就職しないで生きるには⑧』は渋谷に「文化屋雑貨店」を開業した体験記。ブリキのおもちゃや病院用パイプベッドなど、ひと時代前の雑貨や業務用グッズを仕入れての店売り。そんな軌跡が綴られている。

   1950年生まれの増田喜昭氏の『子どもの本屋、全力投球 就職しないで生きるには⑨』は、愛知の田舎町に子供の本専門の「メリーゴーランド」を開業。近所の子供を中心に「市場開拓」に励む日々が書かれている。先の早川氏同様、小さな書店故に、売りたい本を仕入れるのにも四苦八苦。経営も赤字。親の支援を仰いだりする。理論社など最近営業不振で「倒産」した出版社とのやりとりも登場。

 1948年生まれの河田はな絵氏の『花屋になりたくない花屋です 就職しないで生きるには⑦』は、中学時代にアルバイトをして働く喜びを知り、高校を卒業したあとはさまざまな職業に就く。その過程で花屋のバイトの仕事に手を染め花屋となっていく。独立して最初は駐車場の片隅で行商のような形でスタート。やがて「4ひきのねこ」という店を構える。花はむろんのこと猫や犬も好きで花と動物に囲まれた花屋になっていく。著者の花に対する愛情の深さが十分感得できる。

   1949年生まれの加藤則芳氏の『ぼくのペンションは森のなか 就職しないで生きるには⑥』は、角川書店勤務の著者が思い立って都会のマンションを売り、退職して八ヶ岳にペンション(ドンキーハウス)を作ることを決意。資金計画や食事担当になる奥さんの協力など、さまざまな脱サラの軌跡が描かれている。出版社勤務故に著名人との出会いも多々あり、そうした人脈がペンション経営にも役立ったようだ。八ヶ岳は二度ほど行ったことがあるがけ。冬は寒そうだが。

 1947年生まれの油井昌由樹氏の『アウトドアショップは風まかせ 就職しないで生きるには⑩』は、海外のアウトドアグッズを輸入して販売するアウトドアショップ(スポーツトレイン)を開業する軌跡を描いたもの。お役所相手に輸入品のための諸手続きをこなす苦労や開業してからも万引きや盗難などアクシデントにも遭遇。本書でもしばしば言及されるL・L・ビーンなどは当時は日本に店がなかったのだろうか。今は専門店があちこちにあり通販でも買えるが。僕も二着持っている。

1940年生まれの長本光男氏の『みんな八百屋になーれ 就職しないで生きるには③』は、生産農家と直接取引をし、無農薬野菜を仕入れていく…。戦前生まれ(戦時中?)だが、発想は全共闘的?

橋本憲一氏の『包丁一本がっばったンねん! 就職しないで生きるには②』は、自宅(旅館)を改造して料理屋を開店。全くの素人の包丁裁きから始まってフグ免許を修得するまでに…。仕入れの苦労話などいろいろとあり。

1944年生まれの津野いづみ氏の『ふだん着のブティックができた 就職しないで生きるには⑤』は吉祥寺にユニークなブティックを開業。

著者の多くは世代的には全共闘世代。学生時代に破壊的な活動をして、ちゃっかり公務員や大手マスコミに入った手合いも多いだろうが、著者たちは自力開業。大資本大企業の類には就職しないで生きてきたことには敬意を評したい。就職難の今、若者たちがこういう本を読んでいろいろと発奮材料を得ることも可能ではないか。ベテランも然り。

こうした晶文社の一連のシリーズの本家本元であるレイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』は、あまりにも「リベラル」臭くて、以前パラパラと拾い読みをしただけで終わった。




2013/01/01(火) 05:10:46
森岡督行氏の『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』 (ビー・エヌ・エヌ新社)を読んだ。対外宣伝グラフ誌といえば、すぐに戦前戦時中の国策宣伝雑誌「FRONT」などを思い出すが、当然、それらを含め、戦後刊行されたさまざまな宣伝雑誌などにまで言及している。
それぞれの宣伝雑誌のカバーや記事などの一部を紹介しつつ、寸評を加えている。
著者は1974年生まれの古書店主とのこと。参考文献を見ると、僕が読んでいるものもあるが、未見のものも。

「FRONT」に関して、「FRONTとスパイをめぐる妄想」というエッセイが面白い。

この雑誌はたしか平凡社の復刻版か何かでパラパラとひもといた記憶があるのだが、森岡氏によると、「FRONT」を刊行した東方社は陸軍参謀本部の後ろ楯が組織されたとはいえ、「社員にはなぜか共産主義者が少なくなかった」という。

「陸軍参謀本部ロシア課では、ソ連の内実に精通しているという理由から、転向した共産主義者を嘱託として抱えてはいたが」「東方社の場合、年を追うごとに、共産主義者の社員が増えていった」「(特高は)東方社を『アカの巣窟』と呼んで検挙の機会をねらっていたという」と指摘。

そして戦局が悪化し、対外的に「FRONT」を輸送・宣伝することも困難になっても、せっせと刊行するのはナンセンスでもあったのに、1945年3月まで刊行は継続。

著者は、「大東亜共栄圏」を「共産主義」の観点から見ると、「東方社はコミンテルン(共産主義政党による国際組織)の諜報機関という裏の顔があり、『FRONT』は、陸軍海軍の軍備状況、あるいは満州と占領した東南アジア諸国の軍政を、特にソ連に伝える諜報メディアだったのではないだろうか。荒唐無稽な見解であるかもしれないが、このように推理すると、上記の謎は以下のように説明がつく」と指摘する。
さらに--。

「もし東方社がコミンテルンの諜報機関だったのであれば、共産主義者が社員にいるのは当然だろう」「もし東方社の幹部にも、尾崎秀美と目的を等しくするコミンテルン組織員が潜んでいたら、という観点から『FRONT』を見ると、特に海軍号、陸軍号、落下傘号、空軍号、鉄号は、日本軍の兵器が詳細に写されていて、その軍備を可視化しているように見えてくる。海軍号は、戦闘能力を隠蔽するために修正を幾度も加えたというが、陸軍号では、新鋭の戦車が大きく紹介されているし、後半部分は陸軍の兵器の写真が多数を占めている。落下傘号では、日本軍の落下傘部隊の全容が紹介されている。空軍号では、真珠湾攻撃やマレー沖海戦で多大な戦果をあげた日本軍の航空機を知ることができる。また鉄号には、戦車を製造する工場内が明瞭に読み取れる写真が掲載されている。この写真は国内では軍機保護法に抵触し公開できないほど重要なものだった。しかし、なぜか敵国にみせる『FRONT』には堂々と人目に触れるように掲載されている。『FRONT』のデザインに携わった多川精一は『焼跡のブラフィズム』(平凡社)のなかで、『FRONT』の写真については以下のように回想している」

回想は一部略すが、要は、多川氏によると「国内の一般雑誌などでは見られない新型航空機や兵器の写真がいっぱい載っている」「いくら宣伝とはいえ、こんなことが出来る東方社という会社に僕は驚いた」とのこと。この本も、昔読んでいるはずだが、記憶が薄れていた。

「ソ連をはじめ、アメリカ、中国の軍人がこれらの写真を目にしたとき、果たして本当に宣伝による抑止効果が生まれただろうか。それよりは、むしろ日本軍の軍艦や戦車、落下傘部隊、航空機の分析をする絶好の資料となり得たと考える方が自然ではないだろうか」と森岡氏は言う。

さらに戦況悪化にもかかわらず『FRONT』を刊行し続けたのも、「その内実をコミンテルンに諜報するためのものだとしたら、日本の戦況悪化にも関わらず刊行されたことも頷ける」とも。

多川氏も『FRONT』の満州号などは「何の役にも立たなかったのだ。むしろ侵入後のソ連による満州の資源や設備の収奪の手引きにもなっただけだろう」と先の本で回想しているそうな。

そのほか、そもそも『FRONT』という雑誌名そのものが、「赤色戦線戦士同盟」(Rote Front)」 「人民戦線(Popular Front)」など国際的な共産主義用語に近い空気が漂っている」との指摘もある。

そういえば、戦後も「フロント」という反共雑誌が反共出版社の時事問題研究所から刊行されていたっけ。何冊か持っているが…。これも怪しい? いや、まさか?

ともあれ、戦後もオリンピックの時など、いろいろと各種機関からいろんな宣伝雑誌を刊行していたそうな。

蛇足だが、この森岡氏の本、奥付の書名(サブタイトル)のところに「シール」が貼ってある。シールは「日本の対外宣伝グラフ誌」となっている。ふふふ?と思って剥がしてみると、「日本の対外宣伝グラフ紙」となっている。ううむ…。典型的な誤植。文中なら、これぐらい仕方ない? 増刷の折りに直すということになろうが、奥付で、サブとはいえ「書名」の誤植。刷り直すわけにもいかず、シールを貼って誤魔化すということになったのであろうが…。ご苦労さまです。

だが、これは、もしかしたら、コミンテルンの末裔による工作の一環だったのかもしれない。コミンテルンのタブーに触れる本を出すなという警告? 印刷所か、校正者か、編集者に「容共リベラル」分子が潜入していたのかも? まさか?


コミンテルンがらみというわけではないが、戦時中の宣伝工作の関連書として、以前も紹介したことがあるが、戦時中対外向けの伝単制作に関与した体験者である小林久子氏の『猫のしっぽ』 (文芸社)なども貴重だ。以下再録。


 
この『猫のしっぽ』は、一九二五年生まれで女学校を出たばかりで国策会社・伝単制作事務所(?)に一九四三年六月に義兄の親友の紹介で就職した著者の体験記のようだ。

「ここで見たり聞いたりした事を、家に帰って決して言わないで下さいね。防諜上まずいですからね」と釘を刺される。

ロシア語の出来る「勝田さん」という人が事務所に居て、「彼は、毎朝どこかへ電話をかける。相手はいつも同じらしい。みんなロシア語で、何をしゃべっているのかわからない。やたらとダーダーとやっている」「タイピストの太田さんの話では、勝田さんは以前共産党員で、ソ連に越境して行ったが、信用してもらえなくて、監獄へ入れられたので、又脱出して来たのだそうで、『赤露脱出記』などという著書があった」という。
 
おぉ、この勝田さんというのは勝野金政氏のことで、 『赤露脱出記』 (日本評論社)、 『ソ連邦脱出記 入党から転向まで』(日露通信社出版部)、 『ソヴェート滞在記』 (千倉書房)の著者のことではないか。

これらの本、数年前に、やっと見つけて購入したばかり。以前『新潮』(平成13年12月号)山口昌男氏が彼のことを紹介しており、それでこれらの本のことを知ってしばし探求中であった。まだ積ん読しているが、彼女の言う「勝田」さんとは「勝野」さんのことではないか。

 日本軍に協力する英米の捕虜や白系ロシア人などが、この事務所にやってきては宣伝用のビラなどを作っていたようだ。彼女は下働きの資料切り抜きなどの仕事が多くて実務の業務にはタッチしていないようだが、「企画資料というのを一寸のぞいて見たら、アメリカ人は、鼻をハンカチでかむが、日本人は紙でかんで、その度に捨てるから、日本人の方が清潔だとか、西洋人の目はくぼんで猿に似ているが、日本人の目はふくらんで、猿の進化したチンパンジーの方に似ているから、日本人の方が高等だと、さる学者がとなえたとか、あんまり敬服するようなことは書いてない……」と。
 
戦況悪化により空襲を受けるようになるが、東京ローズがこの事務所には捕虜がいるぞと言ったので東京のど真ん中なのに空襲の心配はなかったともいう。が、会社を辞め地方に疎開していき、「終戦」を迎える。再就職先も疎開先での軍事関連の事務所だったが、八月十五日の夜は山の中の温泉宿でどんちゃん騒ぎをしたそうな。隠匿していた食糧を一気に開放したらしい。末尾に一九六八年記とあるが、刊行されたのは二〇〇三年。草思社を「買収」した自費出版の文芸社であるが、こういう佳作も出しているとは知らなかった。



2013/01/29(火) 05:56:25
森岡督行氏の『写真集 誰かに贈りたくなる108冊』 (平凡社・コロナブックス)を読んだ。森岡督行氏の本――『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』 (ビー・エヌ・エヌ新社)――をこの前読んで、茅場町にある写真専門の古本屋さんのご主人でもあるのだと知り、今回の本に辿り着いた次第。今度、この古本屋さんにも寄ってみたいと思うが、この『写真集~』はユニークな内容だ。

サブタイトルにもあるように、内外の写真集(翻訳のないものも含めて)を紹介しつつ、中には、著名人にこの写真集を贈りたくなるとして、その理由も含めたエッセイも収録されているからだ。

欧州で買いつけた写真集などもあるようだ。ジキル的写真集ばかりで、僕がよく手にする類のハイド的写真集はない? そこだけ少し残念?

思い起こせば、二十歳のころ、初めて買った写真集は篠山紀信撮影の『激写・135人の女ともだち―篠山紀信全撮影』 (小学館)。これは未だに大事に保存してある? 表紙の某女 がよかった? その某女に似た感じの『小森みちこ写真集 ささやく』 (英知出版)も勿論買った? 水沢アキさんの『AKI MIZUSAWA 1975-1995』 (小学館)もある?   そのほか小学館の激写文庫など無数? 『水沢アキの情熱』を上回る迫力の『青山知可子 亜熱帯』など‥。


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