古本虫がさまよう 北朝鮮を「地上の楽園」とみなし、原発を礼賛した人々
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北朝鮮を「地上の楽園」とみなし、原発を礼賛した人々 (2014・3・4・火曜日)












加藤哲郎氏の『日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理』 (岩波現代全書)を読んだ。
これは大変面白い本だった。

戦後、被爆国として、原爆反対だが、平和利用としての原発は賛成というのが、おおむね、3・11以前までの戦後の「世論」だった(と思われている)。
その背景には、元読売の正力松太郎氏や中曽根康弘氏などのアメリカと結びついた原発推進派による「世論工作」があったからだと言われている。

3・11以降、そういう認識を表明する本が多々刊行されてきた。こいつらの陰謀がいなければ‥と言いたげな?

しかし、なぜか、反保守派の革新陣営にあっても、原発は容認されていた事実を指摘する人はあまりいなかった。

いや、反共の旧民社など電力会社の労働組合を組織する勢力は原発肯定であったということは以前から指摘もされた。
3・11以降は、とりわけ、そうした「労資」癒着の構造があるとして、ケシカランとも? 
だから、電力労連が入っている「連合」は、この前の都知事選挙では、脱原発を唱える宇都宮氏はむろんのこと、細川氏も支援せず、舛添氏を支持したと……。これまたケシカランという、その批判も一理あるとはいえよう。

 しかし、日本共産党などがかつては原発推進派であったという事実は、3・11以降もあまり指摘されることもなかったが、本書は、そういう「タブー」にも触れている。その点がユニークだ。さすがは加藤氏。

僕の記憶でも、某共産党支部というか赤旗販売扱い所の前に貼られているポスターは、3・11直後でも原発ゼロを唱えるものではなかったと。しかし、『動物農場』に出てくるスローガンの微妙な修正同様、記憶が定かではないが、最近は、脱原発を高々に主張するポスター一色になっている…。なんか可笑しい?奇怪しい? 

そもそも、消費税導入に反対していた政党は、最近は消費増税反対としかいわない。ということは、そういう政党が政権をとっても、昔のように消費税廃止にはしないということなのだろう。3%に戻すということなのか? 5%に戻すということなのか? 
そういうところをはっきりせずに、また、党首選挙も公開で行われないような政党って、ブラック企業同様、ブラック政党と呼ぶべきではないのか?

ともあれ、話を加藤氏の本に戻す。

戦後まもない頃は、労働組合の機関誌創刊号が「原爆」と名付けられたり、コラムのタイトルに「原爆室」というものもあったそうな。

共産党も、共産陣営は原子力を平和利用しているとみなしていた。独占資本主義は原子力を「動力源としては使えず、爆弾としてしか使えない」といった牧歌的な主張を徳田球一などがしていたそうな。

「なぜなら原子力を動力源にすると資本主義は生産過剰になり世界恐慌に突入する。それに対して社会主義ソ連では平和産業が発展する。原爆で『おおきな河を逆の方向に流れさすとか、大きな山をとっぱらって』『これまで不毛の地といわれたひろい土地が、有効に使われる』。そこに『ミチューリンの方式で、新しい作物をどしどし適応させてゆく。そうすると、生産力の飛躍的な拡大となる』」‥と。

そういう共産党の原発肯定論を支えていたのが武谷三男氏であったという。
彼の原爆観はいろいろと変遷、転向もしていくのだが、戦後直後の時点では、反ファッショのために原爆開発は必要であったとみなしていたという。

1956年の総評メーデーでは「すべての原水爆反対、原子力の平和利用の促進」を決議もしている。「すると国会では原子力法案に反対した共産党までが、『労働者が原子力の平和利用に一歩ふみきった』として『原子力の平和利用』に相乗りした」とのこと。かくして「原子力の平和利用」は、全党一致の国策として出発したのである。
1954年3月に、第五福竜丸が被曝したビキニ事件の60周年が、最近のニュースでも大きく取り上げられていたが、1956年の時点ではそういう状況だった。

しかし、武内氏はビキニ以降、原子力の平和利用にも慎重になっていくという。日共が容認した1956年のソ連によるハンガリー弾圧も批判したという。

ソ連(ソ同盟)の原爆実験は容認する共産党の動きによって、反原爆運動が分裂したのは有名な話だが、そのあたりの分裂劇の実態は、この前紹介した、日高純氏の『日本の中の異境 秘史日本原水協』 (彩光社)が詳しい。
原水爆反対運動を展開していた原水協の分裂の原因ともなった醜い内幕を暴いた本だ。

本書のカバー袖に、御手洗辰雄氏が「平和業者の化けの皮」と題して「原水爆に対する日本人の憎しみ、純粋な平和の祈りを巧みに利用して反米親共運動にスリかえて来たのが原水爆の犯罪的なカラクリだ。この本の著者は長い間、平和運動に参加し、一切のゴマカシを見破って、一々事実と証拠に基づき真相を暴露したのがこの書だ。読者はこれを読んで平和運動業者の世にも奇怪な化けの皮を見破り、はじめて真の平和運動に参加する決心がつくだろう」と推薦の辞を寄せている。

一読同感なり。

1960年代前半、中共とソ連とがまだ仲がよかった時期であり、日共もソ連・中共の覇権主義に迎合していた。だから、今後核実験を真っ先に再開した国を「平和の敵、人類の敵として糾弾さるべきである」と大見得をきったところ(多分アメリカがするだろうと見越したものの)、ソ連が先に再開したために、日共系は大慌て。

「大会直後の(一九六一年)八月三十一日、ソ連政府が核実験再開を声明したとき、原水協執行部は一大ショックをうけた。安井(都)は完全に中共グループに引きずられていた。また、彼はレーニン平和賞受賞者であり、フルシチョフと完全に一致した歴史観の持主である。彼を理事長にいただく原水協が、ソ連を『平和の敵』として非難するとなれば、彼は当然理事長を辞任しなければなるまい。新聞記者が彼のところに押しかけたとき、彼は言った。『こういうケースが起こってみると、平和の敵という決議は適当でなく不用意であった。』 九月一日常任理事会は、ソ連に同情的な声明を発表した。日共はソ連核実験支持を呼びかけていた。なんという無神経さであろうか。原水爆を禁止し、実験を禁止しようという運動は、どこの国の実験であれ、賛成したりまた止むを得ないものとして認める運動とは絶対に両立しない。認めるとすればそれは運動の転向である」「このブザマな姿は、マスコミを通して全国民に報道された。原水協執行部が日本人の国民感情と全く離れてしまっていたことはこれでばれた。原水協はどこの国民の組織だかわからなくなってしまったのだ」

ということで、原水協は分裂し、社会党系の原水禁などが出来たのであった…。まぁ、それも結局は「五十歩百歩」的な違いでしかなかったようだが、当時としてはまだマシではあったのだろうか。

社会党系が、ソ連批判を当然しようとしたら、日共がまったをかける。中共も自国の核開発はアメリカ帝国主義に対する自衛のためのものだと主張し、日共もそうだそうだと容認する…。そんなイデオロギー的平和運動屋・業者の実態を、著者は冷静に分析している。

そういう過去があるから、つい最近になっても、フランスが核実験をしたら、タヒチ近くまで抗議に行くくせに、相手が中共だと沈黙したりする手合いもいたし、北朝鮮の核実験に関しても、朝鮮総連関係施設前で大衆デモを組織して抗議することもなく、軽い抗議声明でお茶を濁す「平和業者」がまだいるのであろう。情けないというしかない。

「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」という言葉は、こういうコミュニストや容共リベラル派に与えられるべき言葉だ。

ともあれ、加藤氏の本に再び戻るが、そうした武谷氏に比べて平野義太郎などの日共べったりの原発肯定史観にはひどいものがあったそうな。

「武谷三男の占領期の『原子力』解説を受けて、資本主義の核を批判し社会主義の核を擁護する社会科学の論陣を張ったのが、戦前講座派マルクス主義を代表する平野義太郎だった。ただしそれはコミンテルンの理論枠組と日本共産党の見解を代弁するものだった。日本共産党は、『社会主義の防衛的核』が破綻しても『平和利用』を主張し続け、『原子力村』の『安全神話』を補完して、脱原発市民運動と対立した」という。

日共は、チェルノブイリ原発事故も、ソ連の「未成熟な技術」のせいにし、結局、3・11以降、あわてて、「原発ゼロ」を掲げて脱原発運動に合流したが、理論的には核エネルギーの平和利用を可能にする新しい知見が出るかもしれないとの認識を残しての参加だそうな。

無謬性にこだわる、常に正義の味方ぶる共産党らしい日和見主義といえようか?

それに比べれば、社会党系などの中には、いささか単純であろうが、反原発を3・11以前から主張していた向きもあるのだから、日共よりは良心的だった? しかし、北朝鮮の拉致問題では日共より惨状だった。

もっとも、その日共とて、北朝鮮問題に前向きに取り組んでいた同志(萩原遼氏や兵本達吉氏など)を切り捨てていった。そのあたりのソ連中共原発礼賛同様の、北朝鮮賛美の試行錯誤(右往左往・右顧左眄?)ぶりは、稲山三夫氏の『拉致被害者と日本人妻を返せ 北朝鮮問題と日本共産党の罪』 (未来書房)が詳しい。

北朝鮮礼賛、原発礼賛をした佐藤勝巳氏と武谷三男氏が、やがてその過ちを認め、転向し晩節を汚すことがなかったのに比べて、見苦しく感情論を展開した知識人や政党のなんと多いことか。昔も今も、戦前も21世紀も変わらぬ、イデオロギーに呪縛された知識人の弊害というべきか。

40年前から原発を批判していたという人がいるとして、同じく40年前から北朝鮮を批判していた人もいるだろう。50年前から…という人も。
少なくとも拉致発覚(2002・9・17・北朝鮮が正式に認めた日)、福島第一原発事故(2011・3・11)以降でもいいから、間違いに気付いて、それまでの北朝鮮礼賛、原発礼賛から批判派に転じるのもいいだろう。
いまだに北朝鮮・原発双方を全面的に擁護する人がいるだろうか。いるとしたら、その人は‥‥。
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