古本虫がさまよう 浅野晃と高橋磌一の自叙伝は「月とスッポン」!
2017 10 / 09 last month≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11 next month








浅野晃と高橋磌一の自叙伝は「月とスッポン」! (2014.2.6.木曜日)










 高橋磌一氏の『歴史教育とわが人生』  (三省堂)を読んだ。この前、この人の『歴史家の散歩』  (河出新書)を紹介した。あっと驚くスターリン大好き歴史学者だったが、その人の回顧録だ。こちらは1984年の刊行。

 中学のときの同級生に桶谷繁雄がいたとのこと。ううむ。当時はリベラル同士だったかもしれないが、後に桶谷氏は「月曜評論」などで朝日批判なども展開する。

 羽仁五郎などの影響も受けたそうな。学校の先生をやっていたが、徴兵にとられて中国へ。戦後も教師をやったり、著述業になって歴史教育に力を注ぐようになっていく。日教組から転向した石井一朝への批判なども出てくる。日本民主党の『うれうべき教科書の問題』への反論も。『うれうべき教科書の問題』はパンフレットのような本で、一冊昔読んだ記憶がある。石井氏も転向してからの教育本『子ども一揆がやってくる』 (太陽企画出版)を読んだ。どちらもまっとうな主張だったと感じた。高橋氏が批判しているから、それは正常な感覚だったのだろう。

 この前、紹介した本では出てきたスターリン礼賛は、なぜか本書では何も出てこない。反安保闘争などの回顧はあるのだが、スターリン「逝去」に関しての熱い思いを綴るのは、1984年の時点ではまずいということで封印でもしたのだろうか?

 一九六一年に訪中したことがあるようで、中国の教育に感心する面もあったが、首をかしげたくなる面もあったという。というのも、訪中メンバーが「君は理科を何のために学ぶのか」と生徒にきくと、「社会主義建設のために学びます」という返答がすぐにでてくるので、「これじゃあたまんねえな」と。

「かつての日本の修身教育、天皇制教育と同質のものを感じたからだった。しかし、外へは言えないというものが続いた」と。このあたり、ある程度、まっとうな感覚といえないこともない。しかし、当時の訪中団は、そういう中共のおかしな体質をきちんと吐露することはなかったのだ。情けない。当時は「味方」であったから、同じ独裁者礼賛・イデオロギー教育であっても、戦前の日本のは批判しても、共産中国のものは容認していたのだ。

 またベトナムへ行っても、日本軍が侵略(進駐?)して、コメを取り上げたので200万が餓死したという話を「事実」だとしてアピールもしている(このあたりの史実に関しては、いろいろと近年論争されている。今ベトナムはあまりそういうことはいわなくなっているが、所詮は共産主義国家。鄧小平のころの中共が対日宥和的だったのと同じで、10年後にはどうなっていることやら。慰安婦、南京問題同様に、まともな歴史学者がきちんとベトナムのこの問題にも決着をつけておく必要があるだろう)。

 また1971年には北朝鮮を訪問。訪朝団が乗った車が走ると、往来の人たちは立ち止まって最敬礼をするし、ピオネールの赤いネッカチーフをつけている子供たちは手をあげて敬礼もしてくれたそうな。「ぼくは、ちょっと異常だなと思った」そうな。同行した合化労連(社会党系)の関係者も、北が世界に誇る工場を見学して、「このパイプのつなぎ方、日本だったら二十年前ですね」と語ったりもしたそうな。

 また高橋氏は、金日成の生家を見学し、愛国修身調の説明がなされるのをみて、「少年時代に連れていかれた明治神宮や伊勢神宮の玉砂利の道を思い浮かべた」という。

「朝鮮で、明治時代の日本のいろいろな風景がそこに再現されている印象をうけた」「ただ片方は立派に社会主義国としての建設途上であり、片方の日本は帝国主義国家として成長途上であったという違いはあるが、風景的にはきわめて似ているという印象があった」と。その感想をちょこっと帰国して『歴史評論』に書いたら、「いささか物議をかもした。いろいろな雑誌などから原稿依頼もうけ、ご招待の御礼に印象記を書こうとしたが、いっせいにキャンセルされたということがあった」という。こういうのを「左翼検閲」というのだろう。

 そのあと、スペインに行ってはフランコ独裁をかなり皮肉ったりもしているが、同じ独裁でも、中国や北朝鮮にたいしては、その程度の「批評」をするしかなかったようだ。それでもまだ勇気がある?  いやいや、この人、病気で入院したとき、「赤旗」が読めないことを嘆いたりもしているから、要は日本共産党べったりの文化人なのだろう。

 だから、日共と中共がケンカしたり、北朝鮮と疎遠になったりしたこともあったから、中共や北朝鮮にたいしては、ちょこっと違和感を表明したりもしただけなのであろう。ソ連と対立もすることになった時期もあるので、スターリン礼賛も書けなくなったのだ。

 80年代初期の中学教科書の侵略進出誤報に関しては、誤報とは認めずに、記述が変更されたうんぬんと平然と書きなぐってもいる。

 とても良心的研究者とは思えない。イデオロギーに呪縛された、左翼論壇の中にあって、世渡り上手な文化人の、欠陥あふれる自叙伝として読んだ次第。

『歴史家の散歩』の「スターリンと日本の子ども」というエッセイで、スターリンの死が伝えられたとき、子供向けの百科事典を刊行中のH社(平凡社?)では、すでに校了になっていたスターリンの項目に取り急いでその死について書き加えたものの、ぎりぎりの締め切りだったので、没年を間違えて1952年(正しくは1953年)と誤植したという。

すると、発売してわずか二日というのに、「全国のこどもたちから、この誤植を指摘した注意の便りがH社の編集部の机に山積してしまったのだそうである」「私はこのことを伝えきいて新しい感動を禁じ得なかった。スターリンの偉大な生涯について語る人は多く、私もまた多くの教えをその生涯の仕事から学んでいるが、今日、あらゆるゆがめられた報道等の中で日本のこどもたちが、これほどにスターリンに関心をよせている事実から、私自身のひそかに考えていたとははるかにちがう、すくすくと育った日本のこどもを発見したのである」と高橋氏は記していた。

 そんな子供は北朝鮮や中国で見かけた子供と同じ「洗脳」された子供ではなかったのか。中国でそんな子供をみて、それが大きくなって文革時代の紅衛兵のようになったうんぬんとの観察も『歴史教育とわが人生』でもしていたが、日本でもそういう子供が後に若干変節して(?)「全共闘世代」になったのだろうか?

 ともあれ、先日購入した浅野晃氏の『共産病患者の病理  わが体験と同志の批判』 (民主日本協会)を読むと、高橋氏のような精神構造もよく理解できる。浅野氏の本は昭和28年の刊行。スターリン死後直後に刊行。元コミュニストならではの「共産病患者の病理」が解明されている本だった。浅野氏の「自叙伝」としては下記のものが(再録)

• 2011/03/13(日) 07:13:33
 浅野晃氏&影山正治氏(対談)の『転向 日本への回帰 日本共産党解党派の主張』
(曉書房)

を読んだ。これは大変面白い本だった。影山氏は大東塾塾長で昭和五十四年五月に自決(この本の刊行は昭和五十八年四月だが、生前に雑誌に連載されていたものをまとめた次第)。浅野氏は明治三十四年生まれで東京帝国大学法学部入学。新人会にも入り、卒業後、共産党に入り、党員として活動し、後に転向した体験を持つ。影山氏が聞き手となりながら、浅野氏の青春時代の活動歴を披露した一冊と言える。
 佐野文夫、福本和夫、佐野博、近藤栄蔵、島木赤彦、大宅壮一、林房雄、亀井勝一郎、田中清玄、水野成夫、志賀義雄、佐野学、加川豊彦、佐々弘雄、中野重治などなど、さまざまな人物との邂逅が語られている。
 
平凡社新書で針小棒大に中野重治の「業績」を高く評価している本があった。一読してヤレヤレとの思いをしたものだが、浅野氏も「こりゃあ、ただの小説家でせう」「(新人会時代は)あまり問題にされてゐませんでした」「あれは人間がよくないです」「たちが悪いです」「良くないです」「裏表がひどいんです。僕のことなんかも『文壇の憲兵』だなどといひましてね。そのくせ会へば仲仲うまいことをいひます。信用できない男ですよ」「文学としては、ちょっとうまいですがね」「非常に古風なんです。一種の裏返しにされた『忠君愛国』なんですね」「それを進歩的にうまく塗りかへとるんです」「階級闘争に塗りかへとるわけですよ」「そういうものしか無い男です」「その仕立てかたが手がこんどるんですよ」とばっさり伐っているのには同感した次第。

 一方、反共、反マルクスの雄の小泉信三氏と会った時に、マルクス経済学の恩師の名前を出して敵愾心をあらわにしたところ、「あなたは本当に仕合わせだ。現在の日本で、経済学者として櫛田先生は最高の方です。かういふ素晴らしい先生に教へを受けるといふことは、本当にあなたは幸運だ」と言われて感銘を受けたそうな。
 この時はまだ山本懸蔵粛清問題での野坂スパイ説は噂でしかなかったが、浅野氏は「野坂氏がスパイ活動をやったといふやうなことは信じられません。ただ、あの人の気の弱さから、心ならずも、云ふべきことを云ひきらない、否定すべきことを否定しきらないといふやうなことが、結果的に同志を裏切るやうな役割を演じてしまったことは、あり得たかも知れませんが」と語っている。その通りだったのだ。

 渡辺政之輔がソ連大使館に行っては、その都度金をもらっていただろうという証言等、興味深いものが多々ある。デモなど人数を水増しして報告していたらバレてしまい、渡辺が「奴ら段々利口になりゃあがって、金を削りゃあがったよ。ロスケの野郎め」と言っていたそうな。

スポンサーサイト
 | 共産主義  | TB(0)  | CM(0) | Page Top↑
Secret




TrackBack URL
→http://kesutora.blog103.fc2.com/tb.php/1454-9ada0190

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

カテゴリ