古本虫がさまよう 月とスッポン、同じハト派でも、坂田道太と加藤紘一&武村正義の知的格差にご注目を!
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月とスッポン、同じハト派でも、坂田道太と加藤紘一&武村正義の知的格差にご注目を!(2014・1・24・金曜日)







佐瀬昌盛氏の『むしろ素人の方がよい 防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』 (新潮選書)を読んだ。
防衛庁長官以前に文部大臣をやって、文教族と思われていた坂田氏。東大紛争などでもそれなりに見識を示していたからだ。しかし、三木内閣では防衛庁長官となる。どちらかといえば、ハト派と思われているが、防衛白書の刊行を毎年刊行にし、「防衛を考える会」などを設置、所要防衛力に代わって基盤的防衛力構想などを提案していく。
その軌跡を、防衛大学校名誉教授である佐瀬氏が、坂田家に遺されていた彼の公的私的文書などをもとに、丁寧に分析解説した評伝書。大変面白い。

佐瀬氏が私立大学から防衛大学校に転職するにあたって、当時の学界から受けた「村八分」的なエピソードも若干出てくるが、その頃の防衛問題、自衛隊に対する言論空間がどのようなものであったのかを、よくよく理解想像した上で、本書を読むと、尚感銘深いものがあるだろう。

三木内閣(1974年・昭和49年12月~1976年・昭和51年12月)というと、僕が高校生のころ。「敵の敵は味方」ではないが、子供心にも媚中外交を推進した田中角栄が大嫌いだったので、似た者同士とはいえ(?)、まだ三木氏をそれなりに評価していた。昭和17年の選挙でも大政翼賛会に入らず非推薦で当選しているのだから、その点は高く評価されるべきだ(奥さんの北朝鮮贔屓には辟易するけど?)。

まぁ、本人は本人、配偶者は配偶者。夫婦間であっても、政治思想や趣味は異なるもの。安倍首相も原発問題では夫婦間で若干意見の対立がありそうだ。そうなると、都知事選挙の投票先も異なるかも? 

坂田防衛庁長官に関してはあまり記憶がないのだが、防衛は「所要防衛力」で考えるべきで、当時言われ始めた「基盤的防衛力」には若干「?」とは感じていたのは覚えている。

とはいえ、当時の脅威・ソ連相手の所要防衛力といっても、ソ連の軍事力とて、極東配備の軍事力に対する「所要防衛力」であった。ソ連の全軍事力が相手ではなかった。また極東ソ連軍の中で、中ソ対立時代だったのだから、それから対中配備は別にして、対日軍事力のみを考慮すればまだよかった。
核はアメリカに頼るしかなく、通常兵力において、そうした極東ソ連軍の中の一部の対日軍事力に対抗するための「所要」であるから、膨大なものを考える必要はなかったであろうが…。そのあたり、親ソ派の人々は、圧倒的なソ連軍に勝てるはずがない、万が一のときは白旗かかげて、東欧なみの自由があれば…とごまかし論法で非武装中立のすすめなどを説いていたものだった。

ともあれ、坂田氏は長官になって、まずは猪木正道氏の『国を守る  熱核時代の日本防衛論』 (実業之日本社)を読んだという。おお、そうそう、僕もこの本を大学生になってから読んだ。まっとうな防衛論であると感じたものだ。とはいえ、後に、中川八洋氏などの猪木批判の書である『猪木正道の大敗北 ソ連を愛し続けた前防大校長の“言論抑圧裁判”の真相』(日新報道)なる本も読んで、ううむ、これもまぁ三分の理以上のものがあるよな…とは感じたものだったが。ただ、猪木氏は、『私の二十世紀 猪木正道回顧録』 (世界思想社)などでも、かつて反岸信介だった点は改める云々と「転向」もしていたので、過去の過ちは過ちとして、自省した以上はもはやあまり追及はしない?  『わが体験的朝鮮問題』 (東洋経済新報社)を書いた佐藤勝巳氏に対して、かつて北朝鮮を賛美していたじゃないかという必要がないのと同様に。

ともあれ、佐瀬氏の本書を読んで感じたのは、同じく「素人」として防衛庁長官になった加藤紘一と比べると「月とスッポン」だということだ。この人、リベラルなハト派といわれて、山形選出ということもあり専門は「農林族」。農林大臣になるべきところが防衛庁長官となり、まぁ、いろいろとあったようだ。
当時、彼の「部下」となった佐々淳行氏も『わが上司後藤田正晴  決断するペシミスト』 (文春文庫)の中で、こう批判している。

加藤紘一のあだ名は「富士山」だった。遠くから見ていると白雪を頂いた蒼い山肌の霊峰だが、近くへ行ってみるとゴロタ石と雑草茂る汚い山だという意味だ。このことは、その後リクルート事件、共和製鋼事件などに連座し、改革の旗手で清廉潔白なニューリーダーどころか、ほかの自民党の金権政治家となんら異なるところのない旧態依然の土豪劣紳にすぎないことが、次第に明らかになった。
防衛庁長官時代、駐留米軍への思いやり予算が増額されて米軍家族住宅建設が行われたとき、二級建築士しかおらず官公庁事業に入札の実績もない建設会社を“天の声“で指名せよとウラの指示があった。ペンキ屋まで指定したのである。私は建設省からの通達を楯にこれを断ったものだ
きれいごとを言いながらウラで悪いことをしている政治家は、国民の「期待権」侵害をする分だけ罪が重い。



なるほど、そういう手合いだったのか?

佐瀬氏の評伝を読む限り、坂田氏にはそういう「公私混同」はなかったようだ。そして、素人として、それなりに勉強もした。長官としての任期も二年を超えて最長不倒だという(石破茂氏は二度、長官・大臣をやったので、累積すると彼が一番長いことになるようだが)。

防衛力整備、GNP1%枠問題、防衛医科大学校などでの訓示などの見識なども披露されている。三木おろしに関しては、中立を守り、丸山真男ゼミ出身の朝日記者・早野透氏からも、一定の評価を受けていたとのこと。ううむ?

坂田氏には何冊かの著書があるが、 『小さくても大きな役割』 (朝雲新聞社)という本があるそうな。佐瀬氏もしばしばこの本を引用紹介している。読んでみたくなる本。
この本のタイトルを見て、すぐに浮かんだのが、加藤紘一氏同様「リベラル」と目される武村正義氏の『小さくともキラリと光る国・日本』 (光文社)だ。刊行当時一読したが、さほど感心した記憶も残っていない。 それ以上に滑稽というか、許せないのが、彼の回顧録である『聞き書き武村正義回顧録』 (岩波書店・御厨貴氏&牧原出氏編)だ。

防衛庁長官になって一生懸命防衛問題についても勉強した坂田氏。それに比べて、大臣は気楽な稼業、役人の用意したペーパー読んでいればいいんだからと恥ずかしげもなく回顧録で豪語した武村正義サン。これまた月とスッポンというしかない。同じハト派政治家でも、これほど格差があるとは。

政治家になるなら、少なくとも坂田さんのようになりたいものだ。これから政治家になろうと思う人は、佐瀬氏のこの本を読み研鑽していくことを進めたい。もちろん、武村氏の回顧録を読み、こんな酷い政治家がいたのか、そして、こんなのをリベラルだからということで、当時もてはやしたマスコミがあったのかと感得してほしいものだが、いやいや、こういう政治家のほうがいいと考えて、政治家を目指す者も皆無ではないだろうが…。そういうのを「政治屋」というのだろうが。

以下、武村氏の本の書評拙文、改めて再録。



武村氏が出した『聞き書き武村正義回顧録』 (岩波書店・御厨貴氏&牧原出氏編)はちょっと面白いものがある。といっても感動するとかという意味ではない。「国防にはあまり興味がない」(95ページ)と公言する人でもあるから多くのものを期待はできない?
 本書はオーラルヒストリー的に滋賀県知事から自民党代議士、脱党し新党さきがけ結成、細川連立政権の官房長官就任、自民党・社会党との連立政権樹立、大蔵大臣就任、落選、引退…の歩みを二人の政治学者による聞き書き構成でまとめたものだ。武村氏にはすでに回顧録もあるようだ。そちらは未読。

衆議院選挙に出馬した時は未公認だったが終盤当選しそうだということで投票日直前になって追加公認。めでたく「公認候補」として当選。竹下幹事長に挨拶に行くと3000万円の公認料を後払いしてもらう。安倍派入り(安倍晋太郎)ということでそこでも2000万円。他の派閥にも挨拶に行くと100万から200万円はもらえたとのこと。盆暮れにも数百万単位のお金が補填される。

こういうのはよくないと思うようになってユートピア政治研究会なるものを結成して政治資金の透明化や金のかからない選挙ということで小選挙区制度などの研究を進めていくことになる。その研究会にはあの「子供手当」の鳩山さんなども入っていたのだから、今にして思うとお笑い種? そうした動きに理解を示していた後藤田正晴氏にしても最初に参議院選挙に出馬した時には旧来の公認候補を追放し金権選挙を行ない、落選するは逮捕者続出と散々だった。人間、成長したり転向したり心を入れ換えたり、堕落したり、不変だったりするが……。皆さんはどのタイプだったのだろうか?
 
金丸信と社会党との訪朝団のメンバーとして北朝鮮に行き、あの戦後補償などトンデモない外交を展開もしてしまう。本書によるとワルイのは金丸で暴走するのを停めようと自分は躍起だったという(本当か?)。知事時代にも訪朝したことがあって金日成に何度か会ったこともあったそうな。訪朝時の金日成礼賛の言葉もどこか別の本で読んだ記憶があるが今は手元にない。

そのため、偉くなってから訪米した時、ゴア(副大統領)やペリー(国防長官)やウールジー(CIA長官)が会いたいということで会うと北朝鮮のことを根掘り葉掘り聞かれたそうな。当時のアメリカも藁にもすがる思いだったのだろう。

自民党を脱党しさきがけを作る時の政治理念の中に、護憲などを入れリベラル色濃厚なのに、皇室尊重が入っていたのだが、この尊重は「誰が入れたのかな」「皇太子が結婚されて、古めかしい服装で馬車に乗って皇居から出たり入ったりされている映像がニュースで流れていましたので、ものすごく美しいという印象がみんなに残っていた」から「日本文化の議論をしているときに、その象徴として皇室を入れようということになりました。これで締まるし、社会党と違うということもこれではっきりする」「革新ではないぞ、ということですね」と。その程度の発案でしかなかったのだ。安易!

細川氏の先の日記本で武村氏が官房長官や首相になりたがっていた云々の記述があることに反論を展開もしている。真偽は? もはや、どうでもいいけど。

官房長官になって機密費の取り扱いやら閣議の進行ノウハウやらいろいろと出てくる。
その後、小沢一郎との対立、日本新党との仲違いなどあって、自民社会さきがけ連立政権ができる。大蔵大臣をやってほしいといわれ「私自身はさきがけのためには、外務大臣のほうが怪我がなくていいなあと思いました。昔から外務大臣というのは普通にやっていれば、一番楽とは言わないけれど、外務省が書いた原稿をきちんと頭に置いて、外国の要人と会って握手していれば、それでけっこう支持や人気が上がりますからね。マイナスの少ないポストなんだと思っていた」と。

この時代錯誤な認識には驚嘆慨嘆するしかない。なんという政治家なのだろうか? 「国防にはあまり興味がない」(95ページ)と公言する人だから、外交にもあまり興味はないだろうに。そのくせ大臣やるなら外務大臣の方がラクそうとは。

結局大蔵大臣になるのだが、心配することはなかった? こちらも楽ちん。というのも以下の通りだから。

「(サミットに行く前にも)丁寧にレクチャーを受けます」「大蔵省でも受けているし、飛行機の中でもまた受ける。会談が始まる前にまた新しいことがあれば追加して受けます。そういう説明を聞いて理解する能力さえあれば、本当に表面の外交というのは楽な仕事なんですね。最初の会議で、一回目の発言はこういうことを言ってください、と書いてある。それを読んでいるのも恰好悪いから、紙は置いて、半分視線を上げながらしゃべる。半分ぐらい記憶しておけばいい。慣れてきたら、自前でしゃべれます。そうしたら同時通訳をしてくれますから、その程度の慣れは、すぐマスターできます」
「大蔵大臣にもけっこう外交はありました。大臣室で『やあやあ』と初対面の握手をして、そこをテレビなどは映しますね。そこは慣れた恰好で、あまり腰を曲げないで握手をして、ニコニコして、それが済んだら『どうぞ』と言って奥の部屋に入って、そこで会談が始まるけれど、そこには両方とも紙が置いてあるし、見ようが見まいが、それを置きながらしゃべるわけだから、そんなに苦しい仕事ではないんですね。全部とは言いませんが、多くのものはそうですね」
と。

本書聞き書きの圧巻だ?  菅直人総理もそうした「紙」を見ながら、尖閣の後、中国政府のお偉方とやっとのことで「会談」したことがあったが、「正式」のものではなかったのでその一部始終(メモの棒読み)をカメラに写され失笑されたことがあったと記憶しているが、あれが通例なのだ。
少々無能でもお役人の「メモ」があれば大臣、総理職も遂行可能なのだ。その裏舞台をざっくばらんにあっけらかんと告白している本書は、きわめて貴重な証言録として今後も政界を目指す若人のバイブルとなるであろう?(反面教師、反面教材として活用してほしいものだが)。

法務大臣職は楽ですよ、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっている」と言えば国会答弁はノープロブレムと豪語した柳田稔法務大臣もぜひ回顧録を書いて裏舞台を公表してほしいものだ。

それにつけても阪神大震災の時も与党だったのに、そしてさきがけの中では例外的に優秀だった神戸選出の国会議員・高見裕一氏 (『官邸応答せよ』朝日新書の著者)が、午前6時半ぐらいの段階で武村氏に「大変です」「家はほとんど壊れているし、悲鳴を上げ、泣き叫んでいる人がたくさんいるので、いま救済活動をしています」との電話もかけてきているのに、「テレビを見ている限り、全国情報としてはのんびりしたもの」で午前中は武村氏ものんびり。「大きい地震らしいということで、午前中に臨時閣議も開きましたが、閣議を開いても具体的に締まった話題がないんですね」「官邸にも全然情報が入っていない」「そして夕方になって…」と。

なんというテイタラク。信頼すべき自党の議員から現場の悲惨な情報を得ているのに何で機敏に動かなかったのか? 情けないにもホドがあるではないか。官邸応答に反応せずだったのだ。
「翌日の朝には現地に飛びました」というが…。村山首相も同様で自衛隊の出動は遅れ、米軍の支援は拒否し…。もはやいうこともない。こんな情報感覚の人が内閣の要職にあった日本の不幸!

タヒチの核実験(フランス)に抗議するために現地にまで出かけたことは嬉々としてしゃべっているが、ほぼ同時期に行なわれた中共の核実験にはそうした行動力は発揮していない。そうした二枚舌に関する「聞き書き」がないのも残念。聞き手の度量不足か?



(もう一つ再録)

ちなみに、朴日粉氏編の『明日に向って 日本人のみた素顔の朝鮮と金日成主席』 (彩流社)には、北朝鮮を訪問して賛美する日本人が出てくる。関寛治氏、西川潤氏、美濃部亮吉氏、左幸子氏、小倉武一氏、久野忠治氏、宇都宮徳馬氏、武者小路公房氏、小田実氏、武村正義氏……である。まだ生きている人もいる。武村氏がこの前岩波から刊行した回顧録でも訪朝記は少しあったが……。

 訪朝した時期は人によって異なるが七〇年代から八〇年代にかけてだ。すでに北朝鮮の経済力が衰退し、貿易支払いも滞り、帰国した在日の人々が悲惨な目に遇っている実態が明るみになりつつあったにもかかわらず、全面的な金日成賛美、北朝鮮礼賛の発言ばかりなのだから呆れるしかない。スリーマイルやチェルノブイリ事故があっても、日本の原発は絶対安全と豪語するのと同様のメデタイ言説ばかりだ。

「中国を経由して行ったのだが、中国と比べても生活水準ははるかに高い」(西川)
「米の生産性も世界一といわれる日本より高い」(関)
「アジアの情勢に目を転じたとき、南朝鮮、タイなどファシズムの嵐が吹き荒れている。日本もファッショ化の道に突き進んでいる」「こうした状況にあって金日成主席の率いる朝鮮民主主義人民共和国に対する期待は大きい」「共和国はファシズムに対抗して民主主義を守り抜く中心勢力として活躍してもらいたい」(美濃部)
「日本人の中には、北朝鮮について独裁国家だとか、人民の自由が束縛され、苦しい生活を強いられているというような悪口を平気でいう人がいる。しかし、日本と朝鮮は体制が異なる。その違いを無視して自分たちのものさしではかったり、色メガネで見るとその国の本当の良さや素顔を知ることはできない」(久野)
「北の脅威などといって戦争をあおり、戦術核兵器など並べている国があるとすれば、それは少なくとも正気の国とは思えません」(宇都宮)
「共和国の自力更生にもとづくこうした発展戦略は、朝鮮の自主的平和統一にとって決定的な意味をもっている」「共和国の社会主義建設路線というものは軍事的な意図があればとても成立できないのである」(武者小路)
「国土全体にダムづくりや灌漑施設がさかんで、近代化が全面的に進んでいるという印象をうけた」(武村)
「知らない家にとびこみ、話をした」「私は共和国が一番先進国だと思った」(小田)

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