古本虫がさまよう 樺俊雄の娘「樺美智子」は有名だが、関嘉彦の娘「関美知子」は無名? 欲しいのは「渚のシンドバッド」より「なぎさの媚薬」
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樺俊雄の娘「樺美智子」は有名だが、関嘉彦の娘「関美知子」は無名? 欲しいのは「渚のシンドバッド」より「なぎさの媚薬」









樺美智子といえば、安保闘争のときに死んだ東大の女子学生だ。享年22だったか。僕は、1960年当時は生れたばかりの赤ん坊であって、安保反対闘争のことは当然ながら何も知らない。しかし、西側の援助の支えもないままソ連に弾圧された「ハンガリーの悲劇」のあとで、日米安保体制の強化につながることに反対するなんて、今にして思えば狂気の沙汰であったというしかあるまい。ヤンキーゴーホーム? ヤンキーステイヒア!だろうに。

当時の学生たちは、何を見ていたのか? 夢幻か?

今日のような情報社会ではないので、ハンガリーの悲劇を具体的に知らなかったのかもしれないが、条文も読まずして、かつ「無知蒙昧」だからといって、その愚かな破壊行動の数々が許されることにはなるまい。

いやいや、今日の価値観からではなく、当時の「価値観」からすれば、そのころの若者の反米やら政治活動への思いは、それなりの意義があって当然であり、今日の価値観から裁くことはできないとなるのか? 慰安婦問題みたいに? 今こそ反米反安保をやるべきであり、沖縄を見よ!となるのか?

ともあれ、樺美智子の死は、少なからぬ自己責任もあろう。父親は中央大学教授だった樺俊雄氏。彼女のことは、数年前に出た江刺昭子氏の『樺美智子 聖少女伝説』 (文藝春秋)を読んで、少しは認識を新たにしたかと思うが、細かいことは忘れてしまった? 所詮は…であるから。

ともあれ、同じく大学教授だった関嘉彦氏(東京都立大学教授)の三女に関美知子さんという人がいたそうな。

関氏は、英国労働党の研究家でもあり、日本を代表する民主社会主義者だ。反共反ファシズムの真の意味でリベラルな河合栄治郎の門下生でもあり、「ロンドン亡命学者」(?)森嶋通夫の非現実的防衛論を手厳しく批判したことでも知られる。民社党の国会議員(参議院)にもなった。

『ベルンシュタインと修正主義』(早稲田大学出版部)、『社会主義の歴史1――フランス革命から十九世紀末へ』(力富書房)『永田町一年生――私の国会報告』(関嘉彦事務所)、『社会主義の歴史2――十九世紀末から現代へ』(力富書房)、『私と民主社会主義』(日本図書刊行会)、『民主社会主義への200年――フランス革命からポスト冷戦まで』(一藝社)などの著作がある。一部積んどく、一部愛読した。

その関氏には3人の娘さんがいて、三女の美知子さん(慶応大学文学部卒業)が、樺美智子氏ではないが、同じように若くして、不幸な事故で亡くなっていたことは最近まで全く知らなかった(享年24)。

彼女の一学年上で友人(恋人?)でもあった山田宏明氏の『美少女伝説 レポート1968慶応大学の青春』 (情況新書・2011年刊行)を読むまでは…。

山田氏は1948年生まれ。慶応大学文学部を出て毎日新聞社に入社し、すでに定年を迎えている。大学時代は、学生運動に邁進していたそうな。そのとき、そのセクトの集会にやってきた美少女が関美知子さんで、山田さんは、彼女から「あたし、関といいます。社会学科の1年後輩です。山田さんでしょう。ちょっとお話しを聞きたいことがあるんですけど、お時間あります」と、声をかけられたという。

それがきっかけで、二人は知り合ったとのこと。彼女は恋多き女性で、それ以前にもそれ以後にも、山田氏以外にも「ボーイフレンド」がいたようだ。

二人はよき友人(恋人?)として、在学中から交際し、卒業したあともそこそこの付き合いが続いていく。

彼女は、少々リベラルというか、進歩的信条もあったようで、大学を出ても大企業には入りたくないということで、学生時代からのバイト先で働いたり、職業を転々としたりもしたようだ。

いうまでもなく、容姿端麗でもあったようだ…。その彼女が、友人の結婚式もある前日に、アパートの二階から転落して事故死してしまう。
父親の関氏も嘆き、娘を追悼する文集を出したりもしている。山田氏はそれを紹介しつつ、彼女との出会いから死別までのことを回想していく…。彼女を媒介にしつつ、その周辺の友人たちのことも思いだしながら…。
学生時代から、また社会人になっても、関氏の講演などは何度か聞いたことがある。産経新聞の正論欄でもしばしば健筆を振るっていた。

「痩せたソクラテス」ではないが、大きくはない体で、度のきつそうな眼鏡をしていたかと。しかし熱弁家であった。「君たちは…」。その声の響きは今も耳に残っている。

関・森嶋論争は学生時代に一読した覚えがある。どうみても、「森嶋のアホバカ!」と思ったものだった。月とスッポン。

信念をもって、曲がったことには抵抗した。林健太郎のような感じの知識人であったともいえる。

山田さんの本を読む限り、娘さんは、民主社会主義的価値観は必ずしももってはいなかったようだ。かといって、マルクス主義に走ったわけでもなさそうだが…。

24歳で亡くならなければ、どういう人生を歩まれたことであろうか? 小学卒業のとき、成人してからの望みとして「国会に出て、今の日本の国を、もっとよくして、かわいそうな人を救いたい」と書いていたそうな。

関嘉彦氏も防衛問題では「タカ派」だったかもしれないが、民社党ブレーンとして社会福祉を重視した人だった。「かわいそうな人を救いたい」という思いは親子共通であったことだろう。

30年前の1983年6月に、関氏は学者から政治家(参議院議員)になった。あの当時の選挙は、比例順位の上位から当選が確定していくシステムだった。民社の比例一位であったから、当選間違いなしではあった(当時の民社の全国区の当選可能議員は3~5名ぐらいの範囲だったかと)。

あの頃は、国会議員の「身内」が秘書になることもよくあった。もしかしたら、関議員の秘書として活動する関美知子さんの姿が見られたかもしれない。そして、90年代には国政にチャレンジすることになったかもしれない。

「禍福は糾える縄の如し」とはいうものの、取り敢えずは生きること。生きてこそ、いろんな苦労も歓びも味わえるのだから。だから自殺をする人に対しては、さほどの同情も覚えない。しかし、飲酒運転の車に轢かれたりして死ぬような人に対しては深い同情を覚える…。

ともあれ、関嘉彦氏も数年前に死亡している。親子、天国でどう過ごされていることやら。

山田氏の本を読みながら、ふと、山田氏は重松清氏の『なぎさの媚薬1 海の見えるホテル』 (小学館文庫)を読まれただろうかと思った。これはシリーズとして何冊か刊行されている。極めて味わい深い本だ。

わたしを買ってくれませんか―?渋谷の路地にたたずむ美しい娼婦・なぎさを抱いた男たちはみな、不思議な夢を見る。青春時代に戻って、忘れられない女性と再会するのだ。今夜もまた一人の男が、なぎさに導かれて長い夢を見る。八坂敦夫は、中学時代の同級生・ミツコと再会した。好きだった。あの頃は抱けなかった。だから、いま、抱きたい。愛し合いたい。そして、現実では悲劇が待ち受けていた、ミツコの運命を変えたい…。青春のせつなさあふれる官能小説「なぎさの媚薬」シリーズ第一弾。



そう。山田氏が渋谷の路地で娼婦なぎさ とまみえることが出来れば、タイムスリップして1968年頃の日本に戻れるのである。二人が疎通になるきっかけとなったあのとき、改めて戻れば、違った対応が取れる、そうなれば…。少なくとも美知子さんがアパートの二階で転落する寸前に辿り着けば、彼女の事故死を防ぐことができる…。そうなれば、山田氏の人生も彼女の人生も、日本の運命までもが(?)違ったものになったかもしれないのである。

あぁ…なぎさか。明日渋谷へ行こう? そして30年ちょっと過去に戻ったら、あのとき、違うのを選べば、あんなに早まらなければ、もっと若い女性を配偶者に出来ていたかもしれない? いや、その前に本屋に行こう。絶版で今は手に入らない本でも、あの頃なら新刊屋でも手に入ったかもしれないから。いやいや、だったら30年前ではなく50年前に、今の体のまま戻りたい? お金はどうする? 100円札が必要? 500円玉は通用しない…。カードもダメ? ううむ…。
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初めまして 樺美智子さんの場合は 刺殺うんぬんとか 例の評伝に出ていましたが あのとき 国会闘争で 千人近くの負傷者がでていたわけです 死者1人でよくおさまったよなという気がします 冷たいようですが

もともと 武装革命路線のブントにはいって 国会突入に丸腰 ノーヘルで参加ということで どんな目にあうか想像できなかったという時点で ある意味
?な人という印象をうけます 幹部が悪かったという気がします
くれど  09/01/2013 Sun URL [ Edit ]
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  09/07/2013 Sat [ Edit ]
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関先生のことについていえば、ご自分の思想を娘に強制するというところはまったくない人です。早大でのゼミ員には、産経に言った人もいますが、朝日の出版部の社長もいます。大月書店で仕事をもらっている校正者もいます。
森嶋論争は、実は、先生ご自身は大変楽しまれておられました。なぜか? 観念論的平和論(ラブ・アンド・ピースの類、想像してごらん~の類)とは異なる思考の持ち主と語ることができたからです。

このあたり、一番よく見ぬいているのは鶴見俊輔さん「戦後日本の大衆文化」です。「くらしぶりについて」という章(岩波現代文庫版で252頁あたり)参照。
早大での関先生のゼミ員  12/19/2013 Thu URL [ Edit ]
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