古本虫がさまよう 静寂な「鬼子母神通りみちくさ市」には毎度のことながら感銘 それにつけても東京メトロは酷い?
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静寂な「鬼子母神通りみちくさ市」には毎度のことながら感銘 それにつけても東京メトロは酷い?




今日(月曜日・祝日)朝、いつものように「古本屋ツアーインジャパン」さんのブログを見たら、本日「鬼子母神通りみちくさ市」で古本市があり、そこに出品するとのこと。それを知り、急遽出かけることにした。

それにしても暑い。永田町で有楽町線に乗換え東池袋に向かおうとしたら、ふと気付いたら銀座一丁目駅。逆のコースの電車に乗ったと気づきあわてて下りて反対ホームへ。
有楽町線の車両って、なんだか暗い。3・11以前、フル点灯していた時も、車内蛍光灯の配置がいけないのか、何となく他のメトロ路線の車両に比べても薄暗く感じていた。車内の造りが洒落ているのかもしれないが、その分、蛍光灯が「お飾り」風になっていて、照明力が他の従来の車両に比べて落ちているのではないかと推察する?
そして、3・11以降、車内蛍光灯を間引いているから、他のメトロ車両と比較しても、ますます暗く感じる。メトロの中でも有楽町線の車両はサイテーだ。この沿線には住みたくないね?
半蔵門線などで、たまにLEDなのか、フル点灯している車両が最近ある。これは明るい。天国だ。ハキダメにツルだ?

それにしても、ナンセンスな節電(車内蛍光灯間引き)はいつまで続けるのか?

本来、室内照明などで、スイッチを右にフルに回すと明るくなり、左に少し戻すと暗くなるのがある。朝昼晩など外の明るさにあわせて調節できる照明だ。
電車の車内照明もこういうのがあればいいのだ。外を走る時(地下鉄も乗り入れ路線が多い)、日中ならフルではなく半分ぐらいにするとか(昔は日中外を走る時は車内蛍光灯はよく消していた――京王線や東横線など私鉄は。駅舎に着くとき点灯していた。でも、これって、点けたり消したりしていると蛍光灯が、より早く磨耗するのでは?)

そういう風に調節可能な車内照明なら、地下を走る時は日中も夜も勿論フルにし、外を日中走る時は抑制する…。そういう意味のある迷惑のかからない節電を心がけるならいざしらず。単細胞的に車内蛍光灯を一律省き、ホームも待ちイスの上の照明は残すなんて配慮もせずに、ホーム中央の蛍光灯は一律全面割愛…。東京メトロの人間は、サル並みの単純なことしかできない知性しかないのではないのかと疑いたくなる。
暑い中(冷房は辛うじて入っている)、薄暗い車内で、読みにくい環境で本を読みながら、いささかイライラさせられた。

予定より遅れて東池袋駅に到着。荒川線の「雑司ヶ谷駅」でやっているんだな、たかが一駅先だからと思い、チンチン電車に乗るまでもないと思いテクテク歩くとすぐに「雑司ヶ谷駅」。ところが誰もいない? 以前も、このみちくさ市には来たことがある。駅の周辺もこんなじゃなかったのに? と。ふと、会場は、もう一駅隣りの「鬼子母神駅」周辺だったと思い出した。
なぜ勘違いしたのか? というのも、副都心線だと「みちくさ市」の最寄り駅は「雑司ヶ谷駅」。副都心線で行こうかとも思っていたので、その時は「雑司ヶ谷駅」下車と頭に入れていたので錯覚を生んだようだ。これも暑さのせいか?

雑司ヶ谷駅からもすぐの所だし、少し下り坂風なのでそんなに堪えることもなく正午過ぎに到着。でも、予定より30分ぐらいロスタイムが発生した。

以前もそうだったが、住宅街の通りを利用しての「みちくさ古本市・雑貨市」のせいか、高円寺の商店街のような煩い音楽が電柱から流れることもない。普通、こういう市をやると、ラジカセなんかを持ってきて店頭で、どうでもいいような音楽を流したり、拡声器を使って呼び込みのトークをするものだが、そんなものも一切ない。
アンチ「ブックオフ」&アンチ「マツモトキヨシ」のような感じ。静か! 猛暑も一服する感じだ。本当に騒音がない市はワンダフルである。

通路の所々にしゃがんでの店頭売り。買うほうもしゃがんだり。道端に、いい意味で無造作に本を並べるタイプが多いから自然とそうなる。これもまたよし。
本棚を用意している「プロ」もあるが…。

古本屋ツアーインジャパンさんのコーナーで、竹中労氏編の『ザ・ビートルズレポート』 (白夜書房・1000円)、中野正夫氏の『ゲバルト時代』 (ちくま文庫・400円)を購入。
来日した時の騒動や裏舞台などを克明にルポした『ザ・ビートルズレポート』を手にしたのは、保阪正康氏の自叙伝『風来記 わが昭和史(1)青春の巻』 (平凡社。この本については後日レポートする予定)を最近読み、彼が「朝日ソノラマ」にいた時にビートルズが来日し、その取材のために上司が奇抜な案を実行した云々とあったので、そのエピソードが出ているかなと思って購入することにした次第(あとでパラパラとめくったが、朝日ソノラマ関係者の武勇伝は出ていない?)。


本を購入した特典として古本屋ツアーインジャパンさん特製の「古本屋小さなお店」(一枚カラーチラシ)を拝受。
ここで紹介されている宮城(仙台)の「ぼおぶら屋」は行ったことがある。たしかに狭かった。推定(妄想?)収容人数三人とある。店内は本の山で、人が入れるのは入口のところぐらい。そのため、雨が降ると、軒先に本を出せないので休業すると行っていた。つまり入口のわずかな隙間さえもが確保できなくなるから!
そのほか西荻窪の「にわとり文庫」 (ここは10人と推定?)なども。

ここには出てこないし、最近は行かないので今もあるかどうか知らないが、 「富士鷹屋」という古本屋が神保町水道橋寄りにあった。ここは6人ぐらいか?
また未見だが、板橋区には大正堂という売り場2坪の古本屋があるそうな。この店は、池谷伊佐夫氏の『古本蟲虫がゆく 神保町からチャリング・クロス街まで』 (文藝春秋)で紹介もされていた。
高知にも、もうなくなったかもしれないが、帯屋町の商店街の一画に小さい古本屋があった。西沢書店といったか? 5~6人ぐらいか? 

逆に、巨大古本屋としては、岡山の「万歩書店」や仙台の「萬葉堂書店(鈎取店)」などがある。いずれも「青春18切符」を駆使して寄ったことがあるけど、これまた楽しいものだ(そういえば、青春18切符も7・20解禁?「東日本&北海道パス」はもう7・1から解禁。これなら岡山は使えないが、仙台ならいち早く使えるのだが…)。

古本屋ツアーインジャパンさんには、以前にも、このみちくさ市で本を買った特典として、チンチン電車、荒川線沿いの古本屋マップをもらったことがある。その時は、早速、それを手にして、一日乗車券を買ってエッチラエッチラと沿線の古本屋行脚をさせてもらったことがあった。
今回は新潟の古本屋(耕文堂書店)などもあるけど、おおむね首都圏。行脚できないことはないが…。

隣の古本コーナーで、ロバート・スカラピーノ&ジョージ・ユーの『中国のアナキズム運動』 (紀伊國屋書店)を400円で購入。訳者(丸山松幸氏)が、いささか方向違い(?)の論難を「訳者あとがき」で展開しているのが、時代を偲ばせて面白いというか失笑? スカラピーノは反共だから云々…と。まぁ、そういう見方もあるのだろうが…。
スカラピーノといえば,岩波新書から訳出されていたので、勘違いする向きもあったが、たしかに反共リベラルの学者。その人の自叙伝もこの前訳出されたが素晴らしい内容だった(このコラム末尾に再録)。

そのあと、ブラブラするものの、購入したのはそれだけ。

往来座に向かう途中の神社でアンティークというのか、手作り雑貨などを扱っている市をやっていたので覗く。コーヒーカップなど、アクセサリーなどいろいろあり。小鳥が好きなので、その系統のグッズでもあれば…と思ったが、インコ系は見当たらず。そのままテクテクと。

往来座では、貴志俊彦氏&土屋由香氏編の『文化冷戦の時代 アメリカとアジア』 (国際書院)が軒先で200円。ううむ、安い。本体価格で2800円もするのに…。
あと、芹沢一吉氏の『港を耕したミミズ行状記』 (非売品)が100円。ううむ、安い。
そのほか、唐沢俊一氏編の『星を喰った男』 (ハヤカワ文庫)、辻井喬氏の『叙情と闘争 辻井喬※堤清二回顧録』 (中公文庫)などを二冊で1000円。

そのあと池袋駅に向かう途中、これまた古本屋ツアーインジャパンさんが紹介していたジュンク堂裏手にある「ToBiRa Café」を見に行った。
英書なども置いてある(買うこともできる)英国風ブックカフェとのこと。紅茶などが売りか?
営業中だったが、「禁煙」かどうか不明。最近オープンする洒落た店なら、店頭ドア窓に「当店は禁煙です」といったような表示がなされていることが多いが、この店は何もなし。
ううむ、入って、「禁煙ですか?」と聞くと、嬉しそうな声で「吸えますよ!」という店が結構ある。その響きを聞くのがすごくいやなのだ。
「いや、タバコの臭いが苦手なので聞いているんですが、おたくは喫煙しほうだいですか? じゃいいです」と撤退することがかつてはよくあった。申し訳なさそうに「当店は全席禁煙なんです」ということも稀にあるのだが、そういう時は、「そんなに卑下するんじゃない!」とも言いたくなるし?

そういう会話をするのが面倒だから、結局、外から眺めただけで入らず。

そもそも古本屋行脚して喫茶店で一休みという「ブルジョワ趣味」は昔からなかったし(というか、タバコ飲みと接触するのがそもそもいやだったし、コーヒーや紅茶を飲む金があれば、まだ本が買える、勿体ない?といった貧乏性もあり…。これは50歳を過ぎた今も引きずっている…。しかし、世の中が30年以上前から禁煙喫茶店が普通なら、ここまで立ち寄り拒否にはならなかっただろうに…とは思う)。

ジュンク堂にも立ち寄らず、西武の地下街食料品売り場を少し覗くものの、さきほどの「みちくさ市」と違って、売り子やら店内音楽やら「騒音」だらけ。
ここでも年に1~2回古本市をやる時には立ち寄るが、会場内はむろんのこと店内の煩い音楽に悩まされることが多かった。時々抗議したことはあるが…。

高円寺商店街や百貨店やマツモトキヨシやブックオフ関係者も、「みちくさ市」を視察して「沈黙」「静寂」とはどういうものか思案してみてはどうか。
ともあれ、池袋みちくさ市は小規模だけど、往来座も近くにあるし、静寂だし、出かける価値はある。そこそこ、古本もあったし。

以下スカラピーノの自叙伝を紹介したものの再録。
 

ロバート・A・スカラピーノの『アジアの激動を見つめて』 (岩波書店)を読んだ。
高校生の頃、岩波新書でこの人の著書を読んだ記憶がある。あの頃はせっせと岩波新書(社会科学系統)を読み、あぁつまらないバカばかりだなぁとため息をつくことが多かったが、この人のことはさほど記憶に残っていない。ちょっと学者的な本だったから途中で投げ出したことがあったりしたのかもしれないが……。
いやいや日本は二大政党制ではなく一・五大政党制(自民党の一と〇・五の社会党との対比だったか?)という指摘を読んで、そうだなと思ったりしたことがあったっけ? 何せ、三〇数年前の話。
著者は長生きをしているから、二一世紀も十年が経過しても、こうした大部の自叙伝を読むことになるわけだが、この本はなかなか面白い。アメリカの民主党リベラルというか、容共リベラルではない一本筋の通った反共リベラル的な素養を感じ取ることができたからである。
 著者は大学で政治学を学び学生自治会の会長にもなった時に、他大学の学生自治会から「青年議会を作ることになりました。対外および国内政策についての法案を通すことがその目的です」ということで出席したところ、出席者は共産主義者ばかり。にわかづくりの怪しげなグループの代表を名乗り、それが実質、コミュニストだったのだ。そして隣の若い女性が「フィンランドがソビエト連邦を攻撃していることを、本団体が非難することを提案します」と言いだすのに著者は腹を立てる(まぁ、中国が日本を攻撃していると非難するような感じではあろうか。相手の領土奥深く侵入しているのはソ連と日本だし)。
 席を立ち「この団体は共産党に牛耳られています。これを支援しない方々は全員、この場を立ち去ることを求めます」と叫んだところ、全体の九百人弱の中から百五十人ほどが出ていったという(ところが外に出た面々のほとんどがトロツキストだったと)。
 著者は言う。
「私は一度も共産主義に引かれたことはなかった。支持政党を変えたことはあるが、それはリベラルな民主党を支持してのことだった」と。
 その後、太平洋戦争勃発にともない日本語将校への道が開かれ、アジア専門家としての道を歩むことになる。
 沖縄など戦争末期に語学将校として「参戦」。日本の子供の捕虜が真っ赤な液体を飲めと言われて「血」を飲まされるのかと抵抗(本当はトマトジュースだった)した例などを紹介。ただ、善意の米兵ばかりでは無論なく、日本兵に投降を呼びかけるビラを作成したりした際、若い米兵に「ビラの効果はあったかい」と尋ねると、その兵士は「ああ、効果はありましたよ。多くの日本兵があのビラを振りながら、いくつかの洞窟から出てきましたから。でも、俺たちがあいつらを捕虜にするわけがないでしょう」と答えたのだった。要は出てきたところを射殺したのだ。「アメリカ人が残虐な行為を行っていた場合もあり、そうした事実についても記しておかなければ公平とは言えないだろう」と著者は指摘しているが、確かに「公平」な筆致である。
 こうした捕虜虐殺、虐待は大なり小なり、日本軍も南京でやっただろうし、何処の軍も戦場でやっているのだ。人民軍などは平時にあっても同胞を殺戮している(天安門事件1989)。米兵が日本人捕虜をすべて優しく扱ったなんてわけがない。平時にあっても強姦や暴行があった(但し、ソ連軍の場合は組織的に行われたが)。戦場の出先の兵士にやることは無法なことがしばしばなのだ。「将校」が付いていればともかく……、余裕ある勝ち戦ならいざ知らず……。
 
戦後は日本の通信(手紙など)の検閲業務を行なう。米軍将校歓迎会を日本が主催したところ、おそらく米軍司令官の合意を得た上であろうが、将校一人一人に女性を一人用意していたという。食事を楽しんだ後、女性と共にホテルのどの部屋に消えてもいいという許可を受け、半数の将校はその誘いを受けたとのこと(著者は? 不明?)。
 しかし、「アメリカ兵が長らく抑えつけてきた欲望を、『公認された形』で解消する機会を与えられたから」「アメリカ兵もおおむね行儀よく振舞っていた」と指摘している。
 
著者はベトナム戦争にも賛成をし、そのために学内の容共リベラル派の過激派学生からさまざまな嫌がらせを受けた体験を記している。だが一貫してその戦争支持を後悔していない。これは著者がアジア研究者として接した中共内の学者たちの「変節」「不遇」に比べれば幸運だったというしかない。文革時代の中共内の学者は、著者に対しても一緒に歓談することすらままならない状況に追いやられたりしていたのだから。
 名誉回復してから「私は人生の二三年を失ったんですよ。教えることも、書くことも、古い友人に会うことすら許されなかった」と。毛沢東は「権力欲と復讐心に取りつかれた男」と批判もする文化人もいた。こういう文革を礼賛していたバカな新聞が日本にあった。ダライ・ラマのノーベル平和賞受賞に対して、中国の嫌がることをするだなんて政治的すぎる、ノーベル平和賞の名が泣くよといった趣旨の社説を書きながら、ゴルバチョフが取ると、一転してその政治的思惑は無視して絶賛する。そして二〇一〇年に劉氏が平和賞を取ると、さすがに昔のダライ・ラマ受賞批判の時の屁理屈は使わず(使えず?)、ちょっと中国をたしなめる程度には知的に成長遊ばれたかのようである。

 その点、著者は学生時代の先の体験やらもあって、「マルクス・レーニン主義者の熱烈な信奉者が、良心の葛藤なくして言論の自由を唱えるなどというのは、非常におかしなこと」とちゃんと認識している。日本や中国のみならず、タイ、ベトナム、インドネシアなど足跡は幅広いが、南ベトナムを視察した時も、「北部から難民としてやってきた人々は、多くの場合カトリック教徒であったが、こうした人々のほとんどは政府を支持していた。その他の人々は仏教や他の宗教の信者であったり、あるいは大学の知識人だったりしたが、彼らはより批判的な姿勢を示すことがあった。しかし、彼らも自由に自分の意見を述べており、弾圧への恐怖は感じられなかった。そして一つの事実ははっきりしていた。それは、ベトナムが非常に多様性に富んだ社会であり、宗教、民族、地域的にみてバラバラで、政治的な見解もさまざまである、ということだった。私が出会ったベトナム人の一人は、トロツキー主義者と自称していたぐらいである。このような国で開かれた政治体制のもとで政治的安定をはかることは、非常に難しいように思われた。しかし、ベトナムの人々と一週間ほど話をしてみて、私は違いこそあれ、南ベトナム人の大多数は共産主義政権を望んではいないのだ、という確信をもつにいたった。彼らの中には、すでに共産政権の弾圧ぶりを体験している者もいたのである」との結論を得ている。
現場を見て、現地の人々と接触して南ベトナムの実情をよく把握している。「解放戦争」だのと浮かれていたどっかの国の一部特派員とは大違いだ。
 ドミノ理論(南ベトナム、ラオス、カンボジアが共産化すると、タイなど周辺諸国も共産化する危険があるという考え)も決して間違いではなかったと指摘もしている。
 
それにしても、当時のアメリカ内の反ベトナムの風潮の高まりは異常であった(但し、アメリカの若者にとっては自らの命がかかわるのだから当然ともいえようか。太平洋戦争ほどの「祖国防衛」の認識も持てないのも仕方ない。遠いアジアの僻地での戦闘に何故狩りだされるのかと)。著者は授業妨害もしばしば受ける。政府のスパイだと非難もされたり、「スカラピーノは戦犯か」といったチラシを教室にばらまかれたり、質問という名の糾弾もあったりする。ニセ学生も忍び込む。大学側が警備を強化することもあったという。感情的な反戦主義者相手にご苦労さまでしたというしかない。
 ニクソン訪中以降の「雪解け」、しかしまだ文革狂乱期の一九七二年に中国に招待されて出掛けたところ、外交部の人と論争。「とんがり帽子を被せて町中を引きまわすことは、中国に取り返しのつかない傷を作ってしまう可能性があり、とりわけ、そうした人々の中には、その後無罪になっている者もいるからなおさらではないですか」ということを晩餐会の席上喋ったという。人民とは何かとか、人民の敵とは何かとか、人民の声を代弁するのは中央委員会なのか、毛主席だって、自分の後任者に林彪を選ぶという間違いを犯したではないか……と。
 その他、文革礼賛、修正主義批判のワンパターンの議論をふっかけてくる学者幹部に対して、堂々と反論。後に同席していた中国人学者から、内心溜飲を下げたと聞かされたとのこと。まぁ、学者ならこれぐらい自由に議論してほしいものだ。日本人は「戦争」の負い目があるのか、中国人相手にこういう率直な議論をしたのは曾野綾子さんや田母神さんぐらいか。

 ただ、文革時代の中共が今の北朝鮮としたら、その頃より今の方が「近代化」されているのは事実だろう。著者もこう言う。
「中国が硬直的で全面的な権威主義体制から権威主義的多元主義へと移行しつつあることは明らかである。国家は次第に中国社会に広がる多元主義を無視できなくなっており、そのため思想や利害の多様性をも考慮に入れざるを得なくなっている。中国は私たちの考えるような民主主義国家ではなく、少なくとも近い将来にそうした方向へと移行する可能性は低いと思われる」「だが、政治の自由度が拡大しつつあることも事実である」「もちろん超えてはならない一線というものは依然として存在しており、その一線を越えた者はしばしばトラブルに巻き込まれている。一部の知識人、特にジャーナリストなどは、さまざまな嫌疑をかけられ投獄されてきた」「かつて社会を崩壊の一歩手前まで追い込んだような、イデオロギーを武器とする陰惨な政治的闘争を再び繰り返すことは望んでいない」
 その他、的確な分析がなされている。

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