古本虫がさまよう 「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」…それは誰のための言葉なのか? 「戦前戦中戦後」も「日本のプラウダ」だった新聞のための言葉では?
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「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」…それは誰のための言葉なのか? 「戦前戦中戦後」も「日本のプラウダ」だった新聞のための言葉では?




「サピオ」(2013年8月号・特集「日本の『歴史認識』を問う前に自らの虚構を改めよ・中国・韓国『恥ずかしい歴史教科書』)でも熱弁をふるっている水間政憲氏の『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』 (PHP研究所)を読んだ。

戦前朝日新聞やアサヒグラフが報じたシナ事変・日中戦争時代の「写真」を引用紹介しつつ、戦前の日本がいわれるような残虐な軍隊ではなかったと「証明」しようとしているユニークな本といえようか。

勿論、当時は検閲もあったし、「やらせ」的な写真も多々あったことであろう。それゆえに、ここで紹介されている「写真」が「真実を写したもの」であるかには異論もありうるだろう。朝日ではない別の新聞の「百人斬り競争」云々の写真も「真実」かどうかとなると疑問があるのだから…。「写真」に「やらせ」はつきものなのだから。

ただ、以前も指摘したことがあるし、本書でも指摘されているが、慰安婦を連行しているわけでもない写真として当時紹介されていた写真が、慰安婦を連行しているかのような写真としてアイリス・チャンの本や岩波新書(笠原十九司氏の『南京事件』)などで流通していた事実などを考えると、これも歴史の一つの「事実」というか「見方」である(その「誤用」の経緯に関しては、秦郁彦氏の『現代史の争点』 (文春文庫)の「偽造された『南京虐殺』の”証拠写真 ”」 にも詳しい)。

朝日新聞は、書評欄などでこの水間氏の本を取り上げ、どう評価するのかきちんと報じる責任があるだろう(すでに論じていたらゴメンあそばせ)。

想像であるが、戦前戦中戦後、バルト三国を支配占領したソ連にも、占領統治を歓迎する諸国民たちの数々の写真があるかもしれない。ドイツの支配から逃れて嬉しいとか? プラウダあたりが報じていたかもしれない。ソ連への編入というか併合を求める議会決議の模様や、その決議を知って喜ぶ国民たち…と。

しかし、それらの写真は、背後に銃を突きつけられていたニセの笑顔であったということもありうるかもしれない。プラウダの記者もそういう前提で撮影していたかもしれない。ほとんどそういう代物であろう。

従って、もしバルト三国の人々がソ連統治を歓迎する写真・報道があっても、それは捏造されたものであり「真実」ではないということもあるのかもしれない。

同じことが、もしかしたら、朝日新聞やアサヒグラフの当時の「写真」「報道」などにもあったのかもしれない。

となると、「朝日新聞は戦前も戦中も戦後も『日本のプラウダ』」だったということになるのかもしれない。

いや、そうではないのかもしれない。そのためにも、かつてのシナ事変などの占領統治の「貴重な写真」や報道の数々も正面から検証すべきではないのか。

以前、著作権がらみで朝日が抗議して一度は回収・絶版騒ぎにもなったものの、著作権が切れてから改訂版として刊行された本(最初の回収された本は『読んでびっくり朝日新聞の太平洋戦争記事』リヨン社、そのあと『朝日新聞の戦争責任 東スポもびっくり!の戦争記事を徹底検証』太田出版。著者は安田将三氏&石橋孝太郎氏)とあわせて、水間氏の本も検証するといいのではないか。「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」のだから、そうならないためにも?

「写真」やそのキャプションなどによる「歪曲」の問題について触れた本は以前何冊か紹介した。その一部を以下に要約再録しておきたい。


広中一成氏(&梶野渡氏・語り)の『「華中特務工作」秘蔵写真 陸軍曹長梶野渡の日中戦争』 (彩流社)も、シナ事変(日中戦争)から太平洋戦争(大東亜戦争)時代の中国戦線の、ある意味でノスタルジックな光景を「証言」している本だった。

 梶野氏は1919年生まれで、1940~1946年まで軍人として中国戦線にいた。現在も90歳を越えて存命。もっぱら宣撫・特務工作を担当したこともあって、現地での戦場写真を数多く撮影し、戦時中に一時帰国した時に持ち運んだために、戦後も私物として秘匿することができたという。それらを、大学の関係者との戦時体験の聞き語りの際に提示し、これは貴重だということで、その聞き手の一人だった広中氏(1978年生まれ)がまとめ、あわせて聞き語りで当時の宣撫工作などの回顧を綴ったのが本書である。

 梶野氏は初年兵の時、苛められた体験から、古参兵になっても他を苛めたりせず、また中国人相手にも「ちゃんころ」などとバカにせずに名前で呼んだりして丁寧な応対をしたこともあって、現地に浸透することができたという。それはそれで「工作」の一貫と受け止める向きもあるかもしれないが、先ずは「人格」の問題であったといえよう。

 現地の文化財(酔翁亭記碑)の保護なども積極的に務めたとのこと。1942年に当地にあった酔翁亭記碑が戦火で破壊されたら大変なことになると考え、一部の反対があったにもかかわらず、それらを保護する措置を取ったことがあるという。理解ある上司もいたそうな。そのおかげで現地の中国人から感謝され、その碑の拓本をもらったという。

 ところが、戦後になって、この碑は日本軍が破壊したと中共側が言い出し、72年に、名古屋のデパートで開かれた中国物産展で、「碑は戦時中に日本軍によって破壊された」と説明されているのを知った梶野氏はすぐに抗議の手紙を現地の市長宛に送ったという。証拠となる写真も送付したとのこと。
やがて、調査の結果、碑の破壊は日本軍によるものではなく、1960年代の文革時代に紅衛兵によってなされたものであることが判明したという。

 ここは重要なポイントといえる。 
中国は、ことあるごとになんでもかんでも日本軍の破壊があったと称しているが(実際そうであることも多々あるだろうが)、実は文革時代による破壊だというものも少なくないという事実である。 そうした意味でも貴重な書といえる。証拠となりうる写真などがあるわけだから。こういう生き証人が徐々に死亡によって消えている今、また、ことさら自虐史観的に証拠もなく「証言」だけで、「私とっても悪いことしたあるよ」と告白する詐話師も日本に多々いる以上、こういう写真付きでの「証言」は、より信頼感が持てる。
 若い著者は愛知大学で学んだという。愛知大学ときけば、ううむ……玉石混淆の中国研究者がいるような印象を持っているが……。

 異民族で戦時中であっても、中国文化に対して尊重の念を持ち、その保護に務めた軍人が日本にはいたというのに、それを自ら破壊して平然としていた文革時代や、その指導者の毛沢東などがいかに「異常」な存在であるかが分かるだろう。

 その点で、「南京大虐殺」の張本人(?)と目されることもある松井石根を描いた評伝でもある早坂隆氏の『松井石根と南京事件の真実』 (文春新書)もシナ事変(日中戦争)を考える上での好著である。

笹本恒子氏の『お待ちになって、元帥閣下 自伝 笹本恒子の97年』 (毎日新聞社)を読んだ。
以前刊行された『ライカでショット! お嬢さんカメラマンの昭和奮戦記』 (鎌倉書房・清流出版)に加筆修正したのが本書だとのこと。
著者は1914年生まれ。日本初の報道女性カメラマンであったようだ。その活躍は戦前から始まっている。

もっとも最初は美術などに関心を持ち、新聞記事用のイラストなどを書いたりしていたそうだが、1939年に、「写真協会」を紹介してもらい、そこで林謙一氏と出会う。彼は新聞記者として中国戦線の特派員をつとめたあと、政府の機関に入ることになった。

「日本と中国の戦争だって、日本はこうした写真による宣伝戦に負けてるんですよ。ぼくはね、中国との戦争で、そのことをつくづく知りました。アメリカなどでは、日本だけが悪いと思っているらしい。日本はもっと正しい自分の国の宣伝をしなければダメなのですよ」「本当は日本に宣伝省を作らなければダメです。それで僕が社をやめて内閣情報部(後の情報局)や関係各省の協賛を受けて、この写真協会を作ったわけです」と笹本氏に力説。

そしてヒットラーやムッソリーニには専属の報道写真家がいて私生活なども撮影しているのに、日本にはこうしたフリーの報道写真家が少ない、女性カメラマンも一人もいない、笹本さん、ここに入って女性の報道写真家になりませんか、絵を描いているなら写真も入りやすいでしょう、とスカウトされるのである。

ということで、写真協会にて、国策雑誌「写真週報」用の写真などを撮影することになる。名取洋之助、木村伊兵衛、土門拳などもオフィスによく現れていたという。

いまだって、カメラや撮影用の機材は小型化されたとはいえ、持ち運ぶのは結構な量である。況んや昔のように撮影機材が「大型化」していたら移動設置だけで女では大変な肉体作業である。それも「裏の手」(?)を使ってなんとかこなしながら、首相のネクタイを直して撮影したり、友好国ドイツの訪問団相手に四苦八苦しながら撮影したり…と「武勇伝」を作っていく? 女性ということでのメリットも取材上あったようだ。

昭和15年7月7日は日支事変三周年ということで正午にサイレンを鳴らすので黙祷する人を銀座で撮影しようとすると、誰もそんなことをしない。仕方なく、やらせで撮影したこともあったそうな。「銃後女性の敬虔な姿」として…。
またドイツ映画(民族の祭典)でヒットラーの画面がクローズアップしているのを見て感動する日本人観客の写真を撮ろうとしたら、観客は採れていたもののスクリーンのヒットラーは真っ白。仕方なく改めてスクリーンのヒットラーだけ撮影。その写真と前の写真とを「合成」してもらって掲載することになったそうな。
暗室でその作業を完遂した人は「トリックとトリックの腕比べみたいなものですよ。ドイツは宣伝上手だから、日本選手の登場するカットの次にヒットラーが応援しているカットを継いだわけですよ。いかにも映画の中で、彼を日本びいきに見せた」りしていると。「そうなんだ、あっちがその手を使うなら、こっちは、ヒットラーの姿に日本人が感激して拍手してる画面を作ったっていいわけさ」という人もいたそうな。

その程度の「やらせ」ならまだしも、中国は、日本軍の蛮行でもないものを「蛮行」だとか虐殺だとか、空襲で泣き叫ぶ赤ん坊の写真など、「捏造」の数々を繰り返してきた。そのあたりの実態は、松尾一郎氏の『プロパガンダ戦「南京事件」 秘録写真で見る「南京大虐殺」の真実』 (光人社)、東中野修道、小林進、福永慎次郎著『南京事件「証拠写真」を検証する』 (草思社)などでも取り上げられている。このあたりを林謙一氏は苦々しく思っていたのだろう。
しかし、日本も南京虐殺100人斬りなどで、逆の意味というか、戦意高揚のつもりでの「やらせ」記事・写真などで、未だに歴史の「負」をおわされているのだが…。

そうした報道カメラマンとしてのキャリアも、個人的事情や結婚や戦争で中断するが、戦後も再びカメラマンとして仕事をはじめる。

書名にもなっているが、マッカーサーの写真撮影の時(テ-プカット)、フラッシュが上手く焚けず失敗。テ-プカットを終えて会場内を視察するマッカーサー夫婦相手に「エクスキューズ・ミー」と一礼して、再度単独撮影をお願いし、他社と違うカットを撮影。後日、ある記者から「ウワー、驚いた。君、天皇陛下と、マッカーサーには、こちらから声をかけるなんて厳禁されているのだよ」と。

そうしたさまざまな武勇伝やら失敗談や微笑ましいエピソードなどが収録されている本だった。

『写真週報』に関しては、保阪正康氏監修・太平洋戦争研究会編の『「写真週報」で見る戦時下の日本』 (世界文化社)や玉井清氏編の『戦時日本の国民意識 国策グラフ誌「写真週報」とその時代』 (慶應義塾大学出版会)などがある。

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