古本虫がさまよう 「日本」と「台湾」の友情…「二つの祖国」
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「日本」と「台湾」の友情…「二つの祖国」


昭和9年生まれの石川公弘氏の『二つの祖国を生きた台湾少年工』 (並木書房)を読んだ。
 石川氏の父親が、戦時中「祖国日本」の軍需生産を支えるために台湾からやってきた10代半ばの少年工(総数8400人)の面倒を見ていた関係で、著者はこうした本を書いたようである。

兵役には取られない年齢の十五歳ごろから十八歳前後の少年たちは、日本でも軍需工場で働いていた。女性もである(さすがに石川氏は終戦時でも11歳ぐらいだから兵役はむろん工場で働くということもなかっただろう。あるとすれば疎開する対象)。

そういえば、日本の中央大学に留学していた台湾人大学生も、日本人と同じく働いていたものだ(やがて大学生も兵役に取られるようになっていくが)。同じ工場で働いていたその台湾人学生と日本人の女子高校の生徒との淡い恋を描いたノンフィクションとして、門田隆将氏の『康子十九歳 戦渦の日記』 (文春文庫)という本もある。その本でも、戦時中の少年少女というか「未成年者」たちの軍需工場での日々が描かれている。

石川氏の本では、戦時中、台湾から日本にやってきた少年工がいかに戦火の中で過ごしたかが綴られている。台湾よりも本土のほうが一生懸命働いていることもあってか、差別を感じることも少なく、温かく接してくれる日本人が多かったという。一方、南国育ち故に日本での冬の寒さは東京名古屋程度でも堪えたそうな。

戦争後半には空襲にもあい、辛うじて生き残った少年工たち。
8・15を境に突如として「日本人」から「中国人」になり、戦勝国民ともなった。
そして台湾に帰国すると、そこは国民党の敗残兵(?)が、日本人に代わって新たに支配する国になっていたが…。日本時代と違った貪欲な価値観による支配体制に対する反発も起こる…。日本のために軍需工場で働いていたことがばれるとたいへんなことにもなりかねない…。蒋介石の統治に関しては毀誉褒貶があろうが…。

かくも、戦争に翻弄された台湾人たちの戦中・戦後の歩みが綴られている。

我々日本人は、田中角栄内閣の時に、台湾問題や尖閣も含めて慎重に対応すべきだったのに、一部マスコミの煽動もあって安易に日中国交回復路線に走り、台湾を切り捨て、難問を棚上げし、今日の困難な事態を招くことになってしまっている。
誠意なき対応を台湾に対して取った自業自得ともいえようか。

最近の報道でも、台湾で今年1月に実施された世論調査で、「最も好きな国・地域」と「最も行きたい国」に日本が選ばれ、親日感情が依然として強いことが明らかになったとの報道があった。

こうした親日度も過去の人々の努力があってのこと。
日本と台湾が、いつまでも近くて仲のいい国どうしであればいいのだが。

本書巻頭には李登輝氏の推薦の辞が掲載されている。
「本書は、二つの祖国の最も困難な時代を生きた、しかも立派に生き抜いた者たちの証言録である。私は台湾人の偉大な記録として、この事実を多くの日本人に知ってもらいたい」
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  07/03/2013 Wed [ Edit ]
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