古本虫がさまよう 新聞は「報道」機関なのか、「報導」機関なのか?
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田村秀男氏の『日経新聞の真実 なぜ御用メディアと言われるのか』 (光文社新書)を読んだ。新聞の書評欄では、産経以外ではあまり書評されにくい本かもしれないが、日本の新聞の「報導」(報道に非ず?)の内幕を知る上で大変参考になる本だ。新聞とは一味違う週刊誌などの書評欄では紹介されていくのではないか。

著者は元日経新聞記者で現在産経新聞記者(編集委員&論説委員)。日経時代にはアメリカなどの特派員体験もあるが、その当時の自分の報道姿勢を自省しつつ、さまざまな権力機関に対する取材の限界や問題点を記している。
定年退職後、産経新聞に移ってからは、日経よりは記事が書きやすく、水を得た魚のごとくのようである。

以前、元日経の記者で、同様に古巣はもとより日本の新聞の問題点を指摘したのが、1960年生まれの牧野洋氏の『官報複合体  権力と一体化する新聞の大罪』 (講談社)だ。この本の感想は以前綴ったので、本欄末尾に一部再録するが、田村氏は1946年生まれのようであるから、先輩にもなる。

田村氏はアメリカ特派員時代、アメリカは、「私を通じて日本のメディアを利用し、日本の世論を動かし、日銀に圧力をかけようとした」という。
1987年2月のルーブル合意から数カ月後、秘密合意の内容をアメリカの高官から知らされたとのこと。さらにベーカー長官からも直に為替相場変動許容圏の概要を聞き、その内容を日経一面で大きく報道したことにより、日本のマーケットを揺り動かすことになったという。
「自分が図らずもアメリカのメッセンジャーになっているかもしれない、と自問自答する」こともあったものの、ワシントンの意向をそのまま日本に伝えることが特派員の使命と考えていたとのこと。

日本に戻ると、「イトマン事件」など、一面トップで報道すべき記事を、没にされないがために、あえて目立たないところに掲載する小細工をデスクとしてやったりすることもあったそうな。リクルート事件などで、自分に理解ある上司が失脚したりしていささか不遇(?)になることも…。消費税増税など、財務官僚の用意する「資料」やレクチャーを真に受けて「洗脳」されるマスコミ関係者も少なくないという。そうならないためにも、経済記者は勉強もし、取材もし、自ら資料を蒐集しデータを打ち立てていかなくてはならないと指摘している。「官僚主導で国民益を無視する政策は国難を呼ぶ」という信念をもって、独自の視点で記事を書くことをモットーとしているとのこと。同感である。
大変読み応えのある本であった。(以下は牧野氏の本の紹介の一部再録)。




1960年生まれの牧野洋氏の『官報複合体  権力と一体化する新聞の大罪』 (講談社)を読んだ。著者は元日本経済新聞記者。入社してまもなくの時に、アメリカのジャーナリズムスクール(コロンビア大学大学院)に留学(修士号修得)。その体験(単なる次期社長は〇〇氏に決定、〇〇と××両社が合併云々といった、一日早めのスクープを狙う日本の新聞社と違って、深く掘り下げた調査報道をメインとするアメリカの新聞の姿勢に共鳴)が源流となって、この本を執筆したようだ。古巣の日経の記事への厳しい批評も綴られている。

 「記者クラブ」制度や夜討ち朝駆け的な取材対象への密着など、日本の新聞社の報道スタイルには問題があるということは何十年も前から指摘されてきたことだ。権力監視といいつつ、お役所内にクラブを設けて、その光熱費や電話代なども自ら負担していないのはケシカランと学生時代読んだ本に書いてあったと記憶しているが、そのあたりは改善されたのだろうか? 「官官接待」はケシカランと叫ばれたのは、十数年前だったが、「官報接待」とてあったと当時指摘もされたが、その指摘は、新聞テレビはさほど報じることもなかった。

 要は、昔も今も「新聞だけが何でも言える自由な国ニッポン」というのが、日本の言論の自由の、より正しい状況だったものだ?

 著者は20年ちょっと日経に勤務し、英文日経の記者やスイスに赴任したり、留学した体験もあり、日本の新聞記者の中にあっては、グローバルというか論理的思考力のある書き手であったようだ(今は在米。翻訳などにも従事)。その点は、毎日記者でありながら、英文毎日や週刊誌(サンデー毎日)の記者をやり、アメリカの大学への留学体験もある徳岡孝夫氏と共通する部分もあるようだ。

 留学時、日本人補習校の取材をして記事を書くトレーニングを受けたのだが、日本的感覚で、校長、先生、保護者、専門家らに取材をして書いた記事は「問答無用でボツにされた」という。「これでは当局発表のプレスリリースと同じ。校長や先生は権力者であり、支配者。子供の目線で取材するのを忘れないように」と。
 要するに、主人公である子供を取材していないのは記者、記事として失格だと。
 それに関連して、著者は、日本の記事は、書き手はむろんのこと、個々人が「匿名」で登場することがあまりに多すぎると批判している。プライバシーを尊重するアメリカとて、テーマ記事などは、本名で登場して紙面でコメントするのが通例だという。読む側としても、匿名の人物ばかりでは記事への信憑性やリアリティが薄れるとも。なるほどと感じる。

 イラク報道に関して、権力者の「匿名」を背景の権威にして、大量破壊兵器アリとの「誤報」を垂れ流したアメリカのスター記者の末路も指摘されているが、具体的なニュースソースを明確にすることがまずは大事であるとも。

 権力者(政治家・官僚・企業幹部)に密接に接触し、「発表先取り型」スクープに血眼になるのが日本の新聞記者だと指摘している。また通信社に任せればすむような「記事」を、新聞記者がこれまた血眼になって追求する愚かさも指摘している。
 著者も触れているが、いわゆる「田中金脈」問題も、そんな権力者と癒着しがちな「記者クラブ」的発想では追及もままならなかったわけで、それを埋めたのは日本では雑誌ジャーナリズムであった。アメリカなら、ニクソンウォーターゲート事件の時のように、当然、まずは新聞記者の「仕事」になるのだが、その違いがなぜ生じたのかが、よく解説もされている。

 記者クラブは国民の知る権利に応えておらず、「記者クラブが権力と近くなり、権力に都合の良い情報ばかり発信しかねない」との指摘ももっとも。だから、日本では、むしろ週刊誌や月刊誌などが、「権力のタブー」に挑戦することにもなるわけだ。
 昔から、新聞は宅配制度で何を書こうが部数に大きな変化はないが、週刊誌はその週の目玉によって売れ行きが変わるから、必死になる、その違いはバカにならないとも言われてきた。

 それはともかくとして、牧野氏の本を読みながら、元朝日記者の稲垣武氏の『朝日新聞血風録』 (文春文庫)を読むと、さらに日本の新聞の問題点がよく分かるのではないかと感じた。
 こちらは、朝日のソ連・中国・北朝鮮偏向報道が俎上に載せられている。牧野氏同様、古巣への批判があるのだが、当時の朝日は、外信部や特派員の中に、ソ連・中共・北朝鮮の「権力者」「当局」べったりの「記者クラブ的」発想で接していた面々がいて多数派であった。だから、林彪は失脚していないとか「誤報」を連発。ソ連や北朝鮮の非民主的体質も見て見ぬフリをする。
 当時、新聞ではなく週刊朝日(副編集長)にいた稲垣氏は、そうした報道に対して、違った角度から分析する記事などを掲載しようとすると、社内の「ソ連・中共当局べったり」派から、猛烈に抗議され、左遷もされてしまう。この構図が国際面のみならず国内政治面などでも確立されているわけだ。「ソ連・中共」のみならず「北朝鮮当局」べったり派は、先の牧野氏の体験ではないが、権力者への取材のみで「プレスリリース」のような記事を書くわけだ。民衆に接することもしない。接したつもりでも、それは当局が用意した「ロボット」でしかないのだが、それを見抜く眼力もなかった(もちろん、その構図は今は若干変動もし、露骨な形ではなくなってきてはいるようだが)。

 田中金脈も知ってから知らずか、雑誌が書いても無視、その記事を読んだ外国人特派員協会の面々が取り上げ騒ぎだしてから初めて報道するのと同じように、ソ連や中共の暗部も触れたがらない。たまに触れる新聞があると特派員追放なんて野蛮なことをするのが共産圏ではあったが、アメリカなどの新聞特派員や本社はやれるものならやってみろといった気概を新聞社上層部も持っていたが、日本の新聞社の多くは産経を除き腰砕け気味だった。
 これも、それも、国内でそういう報道姿勢に日頃から慣れているからなのだろうと、牧野氏の本を読みながら改めて痛感させられた。長いものには巻かれろでいいと思っているのだろう。

 もちろんアメリカの新聞社が立派とばかりは言えないだろう。著者が愛読するウォールストリートジャーナルも、某氏の買収以降、合理化の名の下に、記事の質が低下しているとも。また、全般的にネットなどの発達により、アメリカでも新聞離れや広告収入の減収などによる記者の失業問題なども発生している。
また、著者が高く評価するピューリッツアー賞にしても、かつて、稲垣氏の本にもあったようなソ連べったり記者で、ウクライナの飢餓は嘘だといった報道をしたデュランティ (ニューヨークタイムス・モスクワ特派員)などにも授与されており、その取り消しも実現していないようだ。


「はてな記事」によると、デュランティとは――。

1930年代に活躍した、アメリカ人ジャーナリスト。ウォルター・デュランティ。

ニューヨークタイムズの元モスクワ駐在員として、ソ連型社会主義とスターリンを礼賛。
1929年にはスターリンとの単独会見を実現するなどし、ピュリツァー賞を1932年に受賞。57年逝去。

だが、現在判明した事実から見ると、同所で進行していた共産党の恐怖政治・飢餓・独裁を意図的に隠蔽、歪曲したとしか考えられない記事が無数にあり、特に1932-33年にウクライナ地方で数百万人が死んだ大飢饉もついては近年、ウクライナ人社会を中心にそれを否定するような彼の報道を問題視し、受賞取り消しを求める運動が発生。

ニューヨークタイムズは2005年10月23日付で社外のソ連史家であるコロンビア大・マーク・ボンハーゲン教授に依頼した調査結果を報道。同教授は彼を「旧ソ連の情報源の言葉をほとんど無批判に説いた」「スターリンのとりこ」と論評し「同紙の名誉のため、この受賞の取り消しを」と結論。
しかしピュリッツァー賞委員会は同年11月21日、「賞の取り消しはしない」との結論を出した。


 このあたりの経緯に関しては、草野徹氏の『アメリカの混迷 原書から読み解く「情報戦」の攻防』  (PHP研究所)にも詳しい。
 当時は情報飢餓状況で、そうしたデュランティの錯誤もやむを得なかったとは庇えない事実が記されている。マルカム・マガリッジという、デュランティと同時期に「マンチェスター・ガーディアン」の特派員として赴任したジャーナリストがいた。
 1933年3月に、外国人記者に対するモスクワ外への旅行禁止令を破って、ウクライナ入りを果たし、そこで目撃したものは「見捨てられた村。家畜も見当たらず、田畑は荒れ放題。至る所にいる飢えておびえた人々と、威圧的な兵士や厳しい顔つきの男たちだった」という。
「農民の集団に出くわした。彼らは後ろ手に縛られ、銃を突きつけられて家畜用トラックに詰め込まれていた。薄明かりの下、全員が押し黙ったままでいる様は、まるで死の舞踏のようだった」。
 モスクワに戻ったマガリッジは、現地での目撃体験を英国大使館で説明し、その報告記録は外交行嚢で国外に持ち出され、「マンチェスター・ガーディアン」に掲載されたという。

 すぐさま、ソ連から「ペルソナ・ノン・グラータ」として国外追放になった。この経緯は、マガリッジの評伝を書いたグレゴリー・ウルフの『マルカム・マガリッジ 伝記』(未訳)に基づいている。「マンチェスター・ガーディアン」というと、南京事件に関しては、いささか針小棒大なトンデモ記事を書いたティンパーレーを思い出しもするが……。ティンパーレーも「国民党当局」などの発表に依拠しすぎて報じたのではないか。そのあたりの検証はまた別途必要となろう。

 デュランティとマガリッジのこの「報道格差」が何によってもたらせられたか。言うまでもない。同じ体験・回顧(ソ連の実態を見て、ソ連批判に転じる)をアーサー・ケストラーも確かしていた(彼の自伝『目に見えぬ文字』彩流社刊行・参照)。
 ロバート・コンクェストの『悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉 スターリンの農業集団化と飢饉テロ』 (恵雅堂出版)もこのウクライナの飢餓を知る上で貴重だ。

 飢餓の脅威によって民衆を「支配」するシステムは、スターリン、毛沢東、金日成など共産主義指導者に共通する恐怖の政治経済システムとも言えよう。そうした事実を見て見ぬフリをする姿勢は、1930年代のスターリン時代から今日の北朝鮮にまで共通して見られる人々や組織があるという事実には愕然とさせられよう。デュランティのみならず、小田実氏の『私と朝鮮』 (筑摩書房)や『「北朝鮮」の人びと』 (潮出版社)は、是非、新日本出版社刊行の寺尾五郎の北朝鮮ヨイショ本ともども「復刊」してほしい「迷著」である。
 マガリッジの自叙伝『イギリスの30年代』 (ありえす書房)は名著。こちらも復刊してほしいものだ。

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