古本虫がさまよう 平川祐弘氏の『竹山道雄と昭和の時代』が教えてくれる知識人の真にリベラルな勇気とは!
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平川祐弘氏(祐という字は、「示右」となるべきなのだが、その文字が打ち出せない。藤原書店のホームページのこの本の紹介欄でも「祐」になっているのは一体どういうことなのか?)の『竹山道雄と昭和の時代』 (藤原書店)を読み始めた。感動の書だ。

平川氏は、竹山道雄氏の娘さんと結婚している。従って「義父」の評伝を書いたことになる。どちらも元東大教授。
『ビルマの竪琴』 (新潮文庫)の著者としても知られる竹山道雄氏だが、一時期、朝日新聞などからいわれなき批判を受けたことがある。そのあたりの誹謗中傷の数々は本書でも触れられている。

ともあれ、竹山道雄といっても知らない人も多々いるだろう。個人的には、僕は大変尊敬する思想家だ。
平川氏が「はじめに」で指摘しているように、竹山氏の立場ははっきりしている。

語の根源的な意味における自由主義である。1936(昭和11)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾し、そしてそれと同じように敗戦後は、反共産主義、反人民民主主義で一貫していた。戦前戦後を通してその反専制主義の立場を変えることはなく、本人にゆらぎはなかった。日本の軍部も、ドイツのヒトラーのナチズムも、ソ連や東ドイツの共産主義体制も、中国のそれも批判した。その信条は自由を守るといことで一貫しており、そのために昭和30年代・40年代を通しては、雑誌『自由』によって日本が世界の自由主義陣営に留まることの是を主張した。豊かな外国体験と知見に恵まれた文化人の竹山は、当代日本の自由主義論壇の雄であり、この存外守り通すことの難しい立場を『時流に反して』守り通した。その洗練された文章には非常な魅力があり、論壇の寵児と呼ばれたこともあり、少なからぬ愛読者や支持者もあったと私は考えている」

僕は「少なからぬ愛読者」というか、「支持者」であった。
『ヨーロッパの旅』『續ヨーロッパの旅』『まぼろしと真実 私のソビエト見聞記』 (新潮社 )、 『時流に反して』 (文藝春秋)、 『昭和の精神史』 (新潮社ほか)等々学生時代から愛読したものだった。丸山真男など、竹山氏の足元にも及ばないと感じたものだった(その日本ファシズム論の相違などに関して両論を読んで…)。

本書は分厚い本故に、まだ三分の一ぐらいしか読破していない。前半は、評伝であるから当然のことながら、竹山氏の「祖先」「ルーツ」に関して詳述されている。

そして、戦時中、ナチス礼賛の嵐が吹き荒れだしたとき、ドイツ大使館がパリ占領のニュース映画を竹山道雄など、ドイツ・フランス文学者たちに見せたことがあったそうな。
同席した河盛好蔵氏の回想によれば、ニュース映画が上映されていたとき、凱旋門の上にハーケン・クロイツの旗が掲げられると、竹山氏は河盛氏に「不愉快でしょう」と言ったという。またドイツ軍兵士が民衆の中からユダヤ人を見つけて一歩前に進めさせるようなことをした場面が出ると「竹山は今度はたしかにまわりの人たちに聞こえたに違いない声で『イヤなことをするなあ!』と言った」という。

河盛氏は、戦後アウシュビッツなどのユダヤ人虐殺の映画を見たとき、その竹山氏の声を思い出し、「竹山さんはあのときこのような悪逆非道がナチスの手で行われていたを既に知っていられた、もしくは予感していられたのだと思い、その勇気にあらためて感心したものであった」と書き残しているという。

かつてのナチスと同じ様な時代錯誤なことを中共がやっているとの認識を持てない日本人が少なくない。相手が嫌がることをしてはいけない(?)ということで、中共の指導者に会っても、チベットウイグル、内モンゴルでの虐殺や植民地支配をやめよという勇気を持たないことが「リベラル」な穏健な思想家・政治家だと勘違いしている人がいるようだ。

「中国はイヤなことをするなあ!」と少し大きな声で、中共関係者がいるところで喝破する程度のこともできないのだろうか。自民党某政治家は、民主主義のイロハも知らない、選挙の洗礼を受けたこともない中共の政治家に政治家の心得をお伺いするような愚かなことをして、屋山太郎氏に批判されたりもするのであろう。

「外務省副大臣の逢沢一郎にはこんな逸話がある。朱鎔基前首相に会った時、『政治家としてのモットーを教えてください』と言ったというのである。民主主義国の政治家が共産主義者にそんなことを聞くとは何という腑抜けな政治家か。私は開いた口がふさがらなかった」( 屋山太郎氏『なぜ中韓になめられるのか』扶桑社)。

一方、最近も、竹山氏が書いた「思想」と同じ雑誌「思想」(2012年8月号)で、楊海英氏「殖民地支配と大量虐殺、そして文化的ジェノサイド 中国の民族問題研究への新視座」という論文を発表している。言うべきことを言う知識人も、世の中にはちゃんと今もいるのである。
司馬遼太郎賞受賞の楊海英氏の『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 上下』や 『続 墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』 (岩波書店)、編著の『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(5)被害者報告書(1)』 (風響社)はすでに本欄で何度も紹介ずみ。

「バスに乗り遅れるな」といって、ナチスドイツに走った当時の軍部などと、 「中国経済大国に乗り遅れるな」とか、政冷経熱は困る、靖国参拝はいけないなんていっていた財界とは「五十歩百歩」なのかもしれないとふと本書を読みながら思った。

ナチスドイツの嫌がることも正しいと思えば言うべきであろう。中共の嫌がることだって、正しいと思えば言うべきだろう。勿論、アメリカに対しても。

21世紀の今日、異民族支配を強行し、国際紛争を解決する手段として軍事力の威嚇を第一に考えるような国の「繁栄」がいつまでも続くはずがない。また、続かせないための英知を我々日本人は持つべきであろう。

尖閣諸島の領海を侵犯されても、領海侵犯とは言わずに「12カイリ内に(中国船が)入った」と書いていた新聞が かつてあった。相手国の呼び名で島の名を「呼称」する新聞もある。人それぞれ、強いものやイデオロギー的祖国相手に媚びへつらうのもいいだろうが、正邪の観念をはっきりさせての是々非々が大事であろう。

文革時代にも、向こうにいっては中共を礼賛していた学者文化人新聞記者が多々いたではないか。ナチス礼賛の過ちを、戦後になっても共産圏礼賛をすることによって、何の進歩もなかったのが「進歩的」知識人たちだった。その後裔がまだ頑張って、中共や北朝鮮の蛮行に接しても、過剰反応してはいけない、声高な批判を控えるべしといっているようだ。あくまでも言論にての批判、事実に基づく批判を遠慮することはない。文革時代とて、まともなことを言っていたのは曽野綾子氏とか一部の物書きだけであったと記憶している。

ともあれ、竹山道雄の知的生涯から学ぶべきことは、そうしたぶれない知性というものではないか。
9年ほど前に刊行された馬場公彦氏の『「ビルマの竪琴」をめぐる戦後史』 (法政大学出版局)という本も、竹山氏に関する評伝本であった。面白い本ではあったが、ちょっと物足りないところもあった。平川氏の本と併読するといい。

平川氏の本の三分の一を読破しての感想はそんな所。最後まで読了したらまた新たな感想などを追記したい。

それにしても、この本、『みすず 読書アンケート特集』 (2014年1月&2月合併号)で推薦する人がどれだけいることやら。今から楽しみである。
ザヴォドニーの『消えた将校たち  カチンの森虐殺事件』 (みすず書房)と並んで、推奨する人が多々いることを祈念したいものなり?
それともノーマン・M・ネイマークの『スターリンのジェノサイド』 (みすず書房)のように無視黙殺されるか? 日本の知識人の知性が問われる問題作ともいえようか?


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