古本虫がさまよう 2016年06月
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小倉智昭さんの家系は、タカ派評論家・野依秀市の系統だった?
(2016・6・30・木曜日)





元東京12チャンネル(テレビ東京)のアナウンサー(子供のころ吃りだったとか)である小倉智昭さんといえば、いまやフジテレビの『とくダネ!』の司会役で知られる。そんな小倉さんの「祖先」を辿る番組が、この前、NHKテレビでやっていた(2016年6月16日(木) 19:30~20:15ファミリーヒストリー/小倉智昭〜故郷は台湾 父の生死を分けた選択〜)。

晩酌とともに見ていたので記憶があいまいだが、彼のお母さんのお父さん(母方の祖父)が 野依秀市が経営していた「実業之世界社」に就職していたとか。この野依に関しては、以前、佐藤卓己氏の『天下無敵のメディア人間 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市』 (新潮社・新潮選書)を紹介したことがあるが、その佐藤氏も番組に出ていて、野依のことに関してコメントをしていた。

また、この前古本屋で購入した稲田定雄氏の『或る女の横顔』 (雁書館)の中にもこんな一節があることを紹介した。

「世の中が不況で゛ロシア語では就職口はなく、唯男(古本虫註・「唯男」は「稲田定雄」のことのようだ)は実業之世界社編集部記者になり、財界関係の記事を書かされました。その社長が実父の甥だった関係で、そこへ入社出来たのです。資本主義の牙城ともいえる大会社などを褒めたり脅したりする記事を載せては、金を巻きあげるわけで、資本家の寄生虫のような存在です。唯男は不本位ながら、一年ばかりそこで働き、毎月その分厚い実業雑誌を、黙って送ってきました」

稲田氏は、野依さんの親戚か? ということで、これは「買いだ!」と手にして一読したことがあった。今度は小倉さんの祖父が、野依の下で働いていたこともあったというわけだ。稲田氏と小倉氏の祖父が一緒の職場にいた可能性もあり?

ともあれ、公開されている番組内容にそって記すと――

小倉さんの父は、戦前の台湾で生まれ育つ。今回の取材で、父に関する多くの記録が台湾で見つかる。親を亡くし、貧しい暮らしの中から名門学校に進学。石油技術者としての道を歩んだ。戦争中は、石油確保のためにインドネシア・ボルネオ島へ。父のある選択が、生死を分けた事実が明らかに。そして、母方の祖父は、ジャーナリスト。戦前、来日していた孫文を取材した記事が見つかる。小倉さんは驚きを隠せなかった―――とのこと。

小倉智昭さんの母方のルーツである玉利家があった鹿児島・南さつま市へ撮影班は向かう。町史の中に、玉利の名前があった。玉利家は地域の顔役であり代表だった。その玉利家に、智昭さんの祖父・伝十が明治19年に生まれた。伝十は明治36年、慶応大学に入学。同級生だった野依秀市は、明治から昭和にかけて数々の新聞や雑誌を立ち上げたジャーナリストだった。そんな野依の手掛けた実業之世界で、伝十はその記者として働いた。雑誌のヒット企画は、政財界の大物への突撃インタビュー。その一方で、企業への批判も大々的に展開していた。伝十は帝国ホテルで孫文も取材している―――とのこと。

小倉智昭は「祖父のことは全く知らなかった。祖父が孫文の取材をしていたなんて聞いたこともない。これから自分のことのように少しだけ威張れそう」などと番組でも話していた。

もっとも、NHKは、野依なる人物が、右翼ジャーナリストと目されてもいたとか、そういうマイナス要因的な著者プロフィールの紹介は一切なしですませていた。これって、村上春樹氏の『1Q84』 (新潮社)のに於ける執拗なNHK集金人への揶揄風刺を一切無視して、ヨイショしていたのにも似た精神構造(ちょっと違うか?)。以下再録的に。


2010年4月16日の朝だったか、『1Q84BOOK3<10月-1月>』の発売日、NHKは朝のニュースで、早朝から臨時開店している神保町三省堂前で新著を求めて並んでいる人々を映し出していた。
この本の中でも、「NHK集金人」が出てきた。隠れ家に潜む青豆の住居のドアを叩く「NHKのシュウキンニン」が登場するのである。

 「わたくしNHKの受信料をいただきに参りました。そうです。みなさまのエネーチケーです。あなたが中にいらっしゃることはわかっております。どれだけ息をひそめていても、それはわかるのです。長年この仕事をしておりますから、本当にお留守なのか、居留守をきめこんでいるのか、見分けられるようになります。どれだけ音を立てないように努めても、人間には気配というものがあります。人は呼吸をしますし、心臓は動いていますし、胃は消化を続けています」「あなたは今現在部屋の中におられる。そしてわたくしがあきらめてひきあげるのを待っておられる。ドアを開けるつもりも、返事をするつもりもない。なぜならば受信料を払いたくないからです」「かくれんぼはもうよしましょう。こちらも好きでやってるんじゃありません」「あなたはテレビを見ておられるでしょう。そしてテレビを見ている人は誰しも、エネーチケーの受信料を払わねばなりません。お気に召さないかもしれませんが、法律でそのようにきまっております。受信料を払わないのは、泥棒窃盗をしているのと同じなのです」「このようなことをみんなの前で大声で言い立てられて、あなただって面白くありませんでしょう」「どれほどこっそり息を潜めていても、そのうちに誰かが必ずあなたを見つけ出します。ずるいことはいつまでも続けられません。考えてもごらんなさい。あなたより遙に貧しい暮らしをしている人たちが、日本国中で毎月誠実に受信料を払っておられます」「またうかがいます。そしてまたこのドアをノックします。世界中がこの音を聞きつけるまで叩き続けます」 

青豆のマンションには、受信料は払っているとのNHKマークの表示をドアに付けているのに…である。
村上春樹氏の、NHK集金人への皮肉な、でもとてもコミカルで意味深な描写を解剖する評論をNHKはなぜしないのだろうか?

僕は、そんな一節をとても面白く読み、村上氏はきっとジャズバーを経営している時に、集金人の無粋な対応を体験し、それがこうした描写に発展していったのではないかと感じている。



それはさておき。

昭和13年、勇と伝十の娘・妙子が結婚した。その翌年、勇は日本鉱業へ転職し、台湾・竹東で働き始めた。研究者となった勇は、試験室で原油やガスの分析を担当する。当時の会社は、東洋でも指折りの高い技術力を誇っていた。昭和16年10月、勇に長女の仁惠が誕生した。しかしその2ヶ月後に太平洋戦争が勃発。昭和17年7月、勇は石油技術者として海軍に徴用された。勇は台湾から横浜に呼ばれ、各地から集められた石油関連の技術者870人のリーダーに選ばれた。勇は技術者たちとともに極洋丸に乗り込み、ボルネオに向かった。

7月26日、勇たちはサンガサンガに到着する。勇は石油分析の責任者として研究に明け暮れた。掘削は順調に進み、新たに130の油井を掘る。昭和18年にはおよそ830万トンを採油し、大量の石油を日本本土に送っていた。しかし翌年にはサイパン島の陥落など戦況が悪化。石油の輸送ができなくなり、勇たち技術者は任務を果たせなくなり日本に戻ることになった。用意された船は緑十字船の阿波丸。しかし定員に限りがあり勇は現地に残ることに。しばらくすると、阿波丸が米軍に撃沈されたことが判明した。

昭和20年4月、ボルネオへの連合軍の攻撃が始まった。勇は残された技術者たち総勢170人を引き連れ、西へ1500km移動することになった。やがて勇たちはジャングルに分け入り、ダヤック族という部族に出会う。勇は部族長に窮状を訴えて必死に交渉し、休憩場所や食料を提供してもらうことに成功。無事にジャングルを脱出した。そして6月7日、目的地のタンジョンに到着した。その後、勇たちはこの地で終戦を迎え、昭和21年に日本に帰国した……(以下略)。

小倉智昭は「ストーリーがドラマみたいに見えちゃう。なんでああいう話を子どもに聞かせなかったのか、それが資料として残っているのが驚いた」などと話し、「私の存在は何なのかと今改めて思うほど、父の存在は大きかった」などと述べた。

以下、また再録的になるが、佐藤卓己氏の『天下無敵のメディア人間 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市』 (新潮社・新潮選書)によると、野依秀市は、戦前、戦後、代議士にもなったことがあり(落選の方が多いが)、今日も存在している実業之日本社ならぬ「実業之世界社」を率いて、雑誌「実業之世界」や新聞「帝都日日新聞」などを戦前は無論のこと戦中戦後も発行し続け、自ら編集者・記者としても健筆をふるい(野間清治・講談社や新渡戸稲造批判なども展開)、さらには激しく政敵や大企業相手に論戦・論争&「脅迫」まがいのことまで行ない、逮捕され実刑を受け獄中に繋がれたこともあった。戦前、戦時中は勇ましい英米撃滅論を展開していたために、戦後はGHQから追放もされた。著作も多々、「焚書」「禁書」扱いされたが、その主張は、よくよく見れば意外とリベラルなところもあったし、戦時中も東條批判などで発禁にもなったりもしていたそうな……。

本書は、そんな野依の生涯を描いた評伝である。新潮社の「考える人」に連載されていた時に、本欄で紹介もしたことがあった。何年か前から、古本市などで、実業之日本社と似た社名の本があるな、これって、メンタームとメンソレタームみたいなものなのかな? この野依というのはどんな人なんだろうなと不思議に思って何冊か購入してきた(が大概積んどくのまま)。
『朝日新聞を衝く  国民の敵・容共』 (実業之世界社)は、戦後刊行の本だが、その通りだなと書名に惹かれて手にしていた次第。
その後、「考える人」の連載で少し認識を新たにし、最近だけでも、武者小路実篤氏と野依秀市氏との対談集である『二人放談』 (芝園書房)や、野依秀市氏の『日本人戦力論』 (秀文閣書房)、 『泣いて佐藤栄作を斬る 笑って御手洗辰雄を斬る』 (実業之世界社)などを購入したりしたものだった。

ともあれ、あまり関心をもっていなかった人の「ファミリーヒストリー」だが、野依という名前が出てきたので、「おやっ?」と思って、ついつい最後まで見てしまった次第。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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