古本虫がさまよう 2015年03月
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戦後70年談話……せめて「昔・日本軍、今・中共人民解放軍」と言い返そう?(2015・3・31・火曜日)






オリックスの宮内義彦氏(80歳)が、日経のブログ(2015/3/27 7:00配信)
で「安倍談話」がらみで、こんなことを書いていた(一部略)。
彼は昭和10年生まれの80歳で、「かろうじて戦争を知る世代として、少し感想を述べさせていただきたいと思います」とのこと。


 さて、私の小さな戦中体験ですが、生年の昭和10年(1935年)の地図を見ると満州国の存在、朝鮮、台湾、南樺太は日本領、太平洋には広大な信託統治、そして華北への野望を隠さず軍事行動をしていたようです。日本の版図が最大に伸びていた時代なのでしょう。思い起こせば日清、日露戦争の頃から軍事行動は全て外地で行っていたのです。

 時が進み、日中が泥沼のような戦争を行ったのも全て現中国が戦場です。善しあしは別として、日本は先進国入りすることで、遅れて他の先進国に倣った植民地政策をとったわけです。その結果としてアジア各地を戦禍に巻き込んだ罪は、どうしても免れません。当時、許されないことをしたのは間違いないと思います。
 また、日本人として考えると、当時の軍部主導の国家は国民を戦争に巻き込み、日本の都市のほとんどを焼土とした上に、310万人という日本人の3%以上を犠牲にして敗戦に至ったのです。当時の軍部や政治家、国家の指導者の国民に対する責任はどれほど追及してもしきれない思いです。日本人にとっても悪夢の日々が第2次世界大戦です。
 日本人は敗戦と同時にこの戦争責任がどこにあるかを考える暇もなく占領軍によって社会がすっかり変えられ、戦中のことが否定されたこともあり、何となく事足れりとなってしまって今日に至りました。

 戦争が終わったとき、私は10歳。小学4年生でした。灯火管制がなくなって、夜に電気を消さなくてよくなり、少しほっとしました。夏休みが終わって学校に行ったら、先生が弱り果てています。教えることがなくて、言っていることが前とは全然違う。子供ながら空気ががらりと変わったと感じました。食糧不足は敗戦後さらにひどくなりました。もし占領軍の支援がなければ大変なことになっていたでしょう。

疎開先から神戸に戻ったら、鉄筋がぽつんぽつんと地面から出ているだけで建物はわずかしか見当たりません。焼け野原というのは本当に何もないのです。1995年の阪神大震災のときの被害もひどいものでしたが、それでも「あの時の焼け野原に比べたら、ずいぶん建物が残っているな」と感じたものです。

 私の戦争体験といえばこの程度ですが、私より10~20歳上の先輩の方々の体験は本当に苛烈です。学徒出陣などで実際に戦地に赴いた。国内で銃後の守りを固めた方々も、空襲などで常に死と隣り合わせだったわけですから当然です。ビジネスの世界では、ほんの10年前まで、そうした過酷な体験を語ってくれる先輩方がたくさんいました。私などの若輩者は経験談を拝聴しながら自分の戦争への認識の甘さを再確認させられたものでした。

 実体験からくる信念と申しましょうか、諸先輩方の多くは強い平和主義者でした。右派的な意見の方でも、基本ベースでは「戦争はいけない」と心の底から思っている。経済界の真ん中にいた方々でも戦争についてはあってはならないという強い意見の方が多くおられました。

 今はそういった戦争体験世代がほとんどいなくなって、私などが戦争を知る最後の世代になってきました。そして私の世代の認識は先輩方から比べて甘く、さらに10歳、20歳と下の世代になればなるほど実体験が伴わないため、ますます認識が抽象的になっていきます。知性と教養と想像力を総動員して、戦争をもっと学ぶ必要があると思います。

 今の政治の中心にいる方々の戦争への認識は、どの程度深いものなのでしょうか。発言が少なからず勇ましく感じられることもあり、怖いと思うことがままあります。戦争が起きるリスクをいささかでも避けようとするのが基本姿勢であってほしい、というのが率直な感想です。

 一方、誇ってよいのは戦後についてです。平和主義に徹して70年間戦争しない社会をつくり上げた。さらに世界の国々に対して多くの貢献、援助をしてきたのです。戦後の徹底した平和主義、平和外交をさらに強化することこそが今最も求められているのではないでしょうか。万が一にも、近隣国との緊張を高めるような施策や発言はあってはならないと思います。
 日本の揚げ足を取って国際的な政治問題にしようとする国があるのです。そうした国に対しては静かに警戒心を解かないこと、侵略されない強い防衛力を持つことが重要なのであって、世界の反発を少しでも生むような言葉や行動は今最も慎むべき時でしょう。現在の為政者を信頼しつつも、世代交代がもたらす認識にいささか危惧を持つ、心配性の年寄りの繰り言であれば幸いです。



中庸穏健リベラル的な見解だと思う。特に忌避するところも僕にはない。
「世界の反発を少しでも生むような言葉や行動は今最も慎むべき時でしょう」というのが、日本は侵略国家ではないと語るとか靖国参拝を意味しているとなると、異論を挟む人が出てくるかもしれないが……。ただ……。

「知性と教養と想像力を総動員」「自分の戦争への認識の甘さを再確認」「戦争が起きるリスクをいささかでも避けようとする」「日本の揚げ足を取って国際的な政治問題にしようとする国があるのです。そうした国に対しては静かに警戒心を解かないこと、侵略されない強い防衛力を持つことが重要なのであって、世界の反発を少しでも生むような言葉や行動は今最も慎むべき時でしょう。現在の為政者を信頼しつつも、世代交代がもたらす認識にいささか危惧を持つ、心配性の年寄りの繰り言であれば幸いです」……のあたりを、先の文の末尾のあとに、以下のように、もう少し具体的に、「補強」してはいかがだろうか。例えば……


 一方、かつての日本の軍国主義と同じようなことを、戦後の70年、実行している国があります。日本の満洲侵略・併合をいうならば、中国のチベット侵略・併合も同じ蛮行でしょう。どちらか一方は侵略だけど、片方は侵略ではないと言い張るのはおかしい。チベット以外に、ウイグルや南モンゴルも中国は支配しつづけています。これも一種の「植民地統治」でしょう。
  国内に於ける言論の自由を認めない、情報遮断を平気で行なう。衛星放送でも、自国に都合の悪いニュースが流れると画面をプッツンしてしまう国家が未だにあるのです。信じられますか?
国家の代表を選ぶ選挙権一つとってもみても、普通選挙がまだ実現されていない国があるのです。日本から見れば、明治大正以前といってもいいのかもしれません。信じられますか?
異なる民族やその国土を、かつての日本のように武力によって侵攻したり支配したりしている国がまだあるのです。他国の国土に侵入し、その国民を拉致したりもしています……。我々日本人が、かつて行なったような愚挙を現在進行形で実行しつつ、過去に被害者だったことがあるからという一点のみに依拠して尊大な態度をとっている国があります。こういう国に「歴史文明力」でも負けないようにしなくてはいけません。
この前来日したインドネシアのウィドド大統領もこう言っています。

「過去を忘れないことは大事だ。だが、過去のせいで未来が阻害されるべきではない。インドネシアと日本は、自由を最大の価値とみなす民主主義国として共通している。そうあり続けたい」(朝日・2015・3・22朝刊)。


日本の政府や外務省も、こういう人に靖国神社に参拝してもらったらいかがでしょうか。文明国家の指導者の多くは、もはや「恩讐の彼方に」の心境です。日本は戦後70年、本当に平和国家としてそうした戦争の被害を受けた国々に支援をしてきました。インドネシアもフィリッピンにも。もちろん、韓国や中国にも。

靖国参拝をかつての「敵国」の指導者が次々と参拝するようになれば、中韓もやがて態度を変えるでしょう。これらの国は、自由を最大の価値と認めず、気に入らないことを書いた外国の特派員記者を「追放」したり「逮捕」したりする野蛮的な側面のある国家です。北朝鮮ほど酷くはないでしょうが、アジアの民主主義国家の中では、特異な国家というしかありません。そういうヤクザ国家から論難されたからといって、日本がアジアで、世界で孤立していると心配することはありません。「未来志向の自由を最大の価値とみなす民主主義国」からすれば、中韓や北朝鮮こそ、少数派の孤立した国家なのですから。

民主党の指導者が今度政権を取れば私も靖国に参拝しますと語れば、それでこの不毛な中韓からの批判も終了するでしょう。ちょっとした勇気と知性を持てば、何の混乱も起るはずはありません。
声高なヘイトスピーチ(朝鮮人は出て行け、ヤンキーゴーホーム?)は大久保のみならず沖縄でも聞こえるのではありませんか。偏狭なナショナリズムとは何か、ステレオタイプに陥ることなく、また戦争体験といえば、空襲体験だけを語るのではなく、戦略的外交の失敗がそういう事態を招いたという点にまでさかのぼってこそ、「戦争体験」に迫ることができるということを忘れることなく、日本人は生きていくべきでしょう。

また、AIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加するかどうかは、かつての「バスに乗り遅れるな」という議論を想起もさせますが、産経新聞の2015年3月27日付け正論欄の渡辺利夫氏の論考(「中国はAIIBで何を狙うのか」)や2015年3月29日付けの田村秀男編集委員の論考(「インフラ銀行参加論を斬る」「その正体は共産党支配機関」)を読むにつけ、かつての間違い(「バスに乗り遅れるな」とばかりに当時破竹の勢いだったナチスドイツなどとの枢軸同盟に走った戦略的失敗)を繰り返さないように冷静に判断すべきでしょう。

経済人も目先の利益のみを追及し、独裁国家の政治・経済戦略に乗せられることのないように対応すべきです。聞けば、理事会は作らないとか、非民主的な運営の可能性が高そうです。英国は「トロイの木馬」のような役割を果たしてくれるのかどうか? 中国は、新たな金融冊封体制の構築を謀ろうとしているのではないか……など見極める必要があるでしょう。
変動相場制、人民元の国際通貨化など、どう展開していくのか、熟慮すれば、日本としては、この銀行には出資しないのが賢明といえるかもしれません……。EU主要諸国は雪崩を打って参加しようとしているようですが、まぁ、彼らとてハイエナの如く中国のマネーをしゃぶろうと思ってのことかもしれません。日本もそれぐらいの策略をもっていれば参加するのもいいのかもしれませんが、今回は見送ったほうが賢明のように思えます。「バスに乗り遅れる」ことも時には必要でしょうから……。


「戦後70年談話」とやらも、宮内会長の先のコラムや村山談話に、上記のような事実や考察や皮肉を若干、丁寧な簡潔な表現で付記すればそれで十分ではないのか?

そんなひとことふたことが付記されていたら、より多くの人の共感が得られるのではないかしら? 

ともあれ、ネバーセイネバー。
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