古本虫がさまよう 2012年08月
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小倉紀蔵氏編の『新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮 市民経済と大衆文化が明らかにする真実の姿』 (角川書店)を読んだ。
一読して、なるほど、そうもいえるかなと思うところもなきにしもあらずではあったが、少なからず「疑問」を感じるところがあった。

というのも、小泉訪朝前までは北朝鮮天国論が新聞・テレビでは大勢だった。「北朝鮮」と呼称することも許されず「朝鮮民主主義人民共和国」と麗々しくアナウンスされてもいた。勿論それ以前から北朝鮮の人権弾圧状況や飢餓問題などを俎上にのせるマスコミも一部とはいえあったが、反共タカ派と貶められるのが常だった。拉致は原さんの件はともかくそれ以外はガセであると豪語する国立大学教授もいたものだった。

でも、拉致が完全に北朝鮮による犯行だと判明して以降は、北朝鮮のマイナス部分はマイナスとしてきちんと報じられるようになってきた。これは悪いことではない。いいことである。是々非々になったのだから。

しかし、この本の編者によると、北朝鮮に関して「この十年の間にテレビを通じてさんざん見せられてきた『北朝鮮の実情』とやらを、疑ってかかることから始めなくてはならない」と言うのだ。「北朝鮮に関しても、国民をばかにした映像ばかりを流した」とも。

そして北朝鮮に飢えた国民がいて、独裁体制に不満を持つ人がいても「それは北朝鮮の全体像ではない。ごく一部を切りとったにすぎない映像や文章によって、この国をわかったようになってしまっていることが、実は日本にとってもっとも危険なことなのである」と。それはたしかにそうかもしれないが…。


そこで、「日朝友好京都ネット」の誘いもあり、編者は訪朝することになった。向こうの文化人や市民との対話も可能とのことで…。

ところが行ってみたら「あらかじめ総連側が提示したプランは、現地でそのまま実行されることはなかった。何の説明もなしに、スケジュールは大幅に修正され、一般の観光旅行で行くようなプランがたくさん挿入された。こちらの希望の三〇%ほどしか実現しなかった」という。
にもかかわらず、「運動会や野遊会をたのしむ不特定多数の人びとと語り合った」という。

まったく自由に?

「公園内にはおそらく一万を超える数の人がおり、その中を単独で自由に歩き回ってこちらが話したい人に声をかけられるのだから、決してアレンジされた対話ではない」と豪語し、その人たちから「私たちにはうらやましいものがないんです。私たちがこうやって暮らしていけるのは、すべて将軍様と第一秘書のおかげです」という異口同音の声を聞く。

そして編者は「これらの言葉から、何を読み取るべきであろうか」「まず重要なのは、北朝鮮の政権内部における権力構造が一枚岩であるかどうかはわからないが、少なくとも金正恩第一秘書と人民との間には、隙間がないということである。休日の公園でたった二十人くらいの人と話しただけでなぜそんなことがわかるのか、といわれるかもしれない。しかし、二十人と話そうが、百人と話そうが、千人と話そうが、この国の統治に関しては同じ答えが返ってくるに違いないのである。そこに不一致はありえない」と。


「そこに不一致はありえない」というところに、普通は疑問符を抱くのではないのか?

その後、ビーアドの『ルーズベルトの責任』 (藤原書店)まで出してきて、アメリカンデモクラシーの欠陥を批判しつつ、北朝鮮の体制を事実上擁護するのである。

サッカー会場に集まる万単位の「大衆」すら組織化し、万単位の人文字による示威行動を展開できる北朝鮮当局にとって、休日の公園に集う人びととて容易に「用意」できよう。
異口同音に、この21世紀の時代になっても「私たちにはうらやましいものがないんです。私たちがこうやって暮らしていけるのは、すべて将軍様と第一秘書のおかげです」と、1950年代、60年代、70年代、80年代…と同様に語る人々の存在に「異常」を感じないとしたら、それこそ「異常」である。小田実も、北朝鮮で自由に出会った人と語り合って、北朝鮮の「真実の姿」を知ったつもりでいたようであるが?

編者以外の筆者の中にも、北朝鮮の経済はどん底をとっくに脱出し(それは飢餓経済状況よりは中共の支援もあって改善されているかもしれないが)、脱北者も帰国もしている、最貧国でもなんでもない、物価も安い、教育費、住宅費、医療費は無料だから可処分所得は高い、南北統一も北のほうが吸収統一する可能性も十分ありうるし、北のほうが豊かになるという可能性もある…と指摘している人もいる(第二章論文)。もちろんネバーセイネバーだから、そういう可能性もゼロではない。

第三章論文でも、公園の人々が「私たちは幸せに暮らしている。生活水準は先進国のように、最高水準の豊かさではないけれど。アパートはわずかな使用料で国が支給してくれるので家計の負担にはならない。食料は配給で十分な量が届く」「指導者について行けば、明日はもっと良くなる。間もなく日本より豊かになるでしょう」と「誰に尋ねても、判で押したように同じ答えが返ってきた」という。また、医療の水準に関しては、「かなり低い国のレベル」だと証言するアメリカ人医師(朝鮮系)のコメントを紹介もしているが…。



おやおや、第二章論文では、住宅費は「無料」だったのに、第三章論文では「わずか」とはいえ、無料ではなく「使用料」がかかるようである。どっちが本当なのか? チリも積もれば山になるけど、家計は大丈夫なのだろうか。

ともあれ、丸い卵も切りようで四角になるというが、その昔ながらの典型論法が散見しているように感じた。寺尾五郎の『三十八度線の北』 (新日本出版社や小田実の『私と朝鮮』 (筑摩書房)、 『北朝鮮のひとびと』 (潮出版社)以来、続く北朝鮮礼賛記の系統の書といえるのではないか。

とはいえ、日本の国旗も嫌いだからというわけか、北朝鮮に行っても餓死者を出した政治家に敬意は払わないという姿勢を示した筆者も本書には出てくる。北朝鮮にかつての「日本」を見出して感銘を受ける「右翼人」もいるようだが、僕はファシストもコミュニストも同類項だと感じているので、ヒトラーも金日成(&その息子)も毛沢東もスターリンも同じ虐殺者であり、ほとんど評価しないし、それらの統治と日本のかつての統治とがイクオルだとも思わない。「違い」によって評価を変えるのは当然のことであろうと思う。変えないとなると、いささか独善的にもなろう。


本欄でかつて紹介した北朝鮮礼賛本でもある野末陳平氏の『国会うら報告 北朝鮮印象記』 (陳文館)など、寺尾や小田の北朝鮮訪問記の数々を客観的に紹介したエッセイなども本書では見受けられる。

それにしても、そういう評価可能な一部の例外的なところは除いて、疑問を感じる本というしかない。

日本でも、永田町界隈でやっている「万単位」の反原発デモや沖縄の反米デモの人々のところに行って、「原発をどう思いますか」「野田政権をどう思いますか」「オスプレイどうしますか」などと聞けば、異口同音の返答があるかもしれない(いや、最新号のサピオの小林よしのり氏の指摘によれば、永田町界隈でやっている反原発デモの中には国旗をもって天皇陛下が心配しているから原発を止めようといった趣旨の人々も参加しているとか。さすが日本! 民主主義国家なら、「平和主義」や「エコロジー」とは一味違う「脱原発」派もいるのだ)。

ともあれ、一部の人々のコメントを絶対視して、それをもとに日本は…と論じても仕方あるまい。同様のことを北朝鮮に対してやってどうなるのだろう? 欠陥は「棒大針小」、いいところは「針小棒大」?

昔昔、ポル・ポトは虐殺なんかしていない、優しいんだよといわんばかりの幻想を強調していた和田俊(朝日記者)のノーテンキな記事を読んでいたころだったか、その後に、小倉貞男氏の『虐殺はなぜ起きたか カンボジアの悲劇 「死者」たちが証言する一二〇万人抹殺の構図』 (PHP研究所)という本を手にしたことがある。

小倉紀蔵氏にも『餓死はなぜ起きたか 北朝鮮の悲劇 「死者」たちが証言する一二〇万人抹殺の構図』という本をいつか書いてほしいものだ。
本当に自由に北朝鮮訪問ができる時代になってからで結構であるが……。
僕は、ネバーセイネバーを信じるから。


以下は1987年に刊行された北朝鮮礼賛本に関するブログの再録。この本と上記の本とを読み比べてみるのもいいかもしれない。特に小田実のコメントは失笑ものである。

 

北朝鮮賛美派に関連する書として、以前、朴日粉氏編の『明日に向って 日本人のみた素顔の朝鮮と金日成主席』 (彩流社)を読んだ。歴史の教訓から学ばない人々のオンパレードの本だ。左翼全体主義と闘う気概もなく、全体主義に迎合し賛美する日本人学者や政治家がこんなに居た事実を再確認するためにのみ有意義な本である。刊行は一九八七年。
登場する日本人は関寛治氏、西川潤氏、美濃部亮吉氏、左幸子氏、小倉武一氏、久野忠治氏、宇都宮徳馬氏、武者小路公房氏、小田実氏、武村正義氏……である。まだ生きている人もいる。武村氏がこの前岩波から刊行した回顧録でも訪朝記は少しあったが……。

 訪朝した時期は人によって異なるが七〇年代から八〇年代にかけてだ。すでに北朝鮮の経済力が衰退し、貿易支払いも滞り、帰国した在日の人々が悲惨な目に遇っている実態が明るみになりつつあったにもかかわらず、全面的な金日成賛美、北朝鮮礼賛の発言ばかりなのだから呆れるしかない。スリーマイルやチェルノブイリ事故があっても、日本の原発は絶対安全と豪語するのと同様のメデタイ言説ばかりだ。

「中国を経由して行ったのだが、中国と比べても生活水準ははるかに高い」(西川)

「米の生産性も世界一といわれる日本より高い」(関)

「アジアの情勢に目を転じたとき、南朝鮮、タイなどファシズムの嵐が吹き荒れている。日本もファッショ化の道に突き進んでいる」「こうした状況にあって金日成主席の率いる朝鮮民主主義人民共和国に対する期待は大きい」「共和国はファシズムに対抗して民主主義を守り抜く中心勢力として活躍してもらいたい」(美濃部)

「日本人の中には、北朝鮮について独裁国家だとか、人民の自由が束縛され、苦しい生活を強いられているというような悪口を平気でいう人がいる。しかし、日本と朝鮮は体制が異なる。その違いを無視して自分たちのものさしではかったり、色メガネで見るとその国の本当の良さや素顔を知ることはできない」(久野)

「北の脅威などといって戦争をあおり、戦術核兵器など並べている国があるとすれば、それは少なくとも正気の国とは思えません」(宇都宮)

「共和国の自力更生にもとづくこうした発展戦略は、朝鮮の自主的平和統一にとって決定的な意味をもっている」「共和国の社会主義建設路線というものは軍事的な意図があればとても成立できないのである」(武者小路)

「国土全体にダムづくりや灌漑施設がさかんで、近代化が全面的に進んでいるという印象をうけた」(武村)

「知らない家にとびこみ、話をした」「私は共和国が一番先進国だと思った」 (小田)


 ちょっと口汚く罵るとしたら以下こんな感じ?

 この手合いは、モデルコースを歩かされ、自由に「市民」と話しあったつもりでも、所詮は演出でしかない事実に気づかず、嘘八百の統計を鵜呑みにして、空理空論を使って北朝鮮(地獄)を賛美した。無知蒙昧には唖然とするしかない。あんたたちのやったことは、何百万ものユダヤ人を率先して殺害したヒトラーと会見し、彼を賛美するのと何ら変わらないという事実に気づかないのか。金日成&金正日親子が自国民を戦争下でもないのに何十万、何百万単位で餓死させたり処刑したりした事実をまだ認めようとしないのか……と。

原発安全モデルコースを歩いて、いやぁ、原発っていいものですねと安易にコメントするのが愚かならば、こちらの方とて(より)愚かだということを認識することのできるだけの公平な思考力は保持しておきたい。

 

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