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2018'03.06 (Tue)

日本の左派政党から「ティロ・ザラツィーン」が出てくるか? メルケル新政権のような長期政権を安倍首相は達成できるのか?






日本の左派政党から「ティロ・ザラツィーン」が出てくるか? メルケル新政権のような長期政権を安倍首相は達成できるのか?
(2018・3・6)




なんとか、ドイツのメルケル政権が保革の大連立法式で成立する運びとなったようだ。それを報じる昨日(2018・3・5)の朝刊を見て、あらためて議席配分表をチェック。無難なのは、キリスト教民主・社会同盟と自民党の連立だろうが、過半数に大きく届かない。社民党と緑の党に左派党を入れても届かない。大連立でやっと過半数超え。そのため、「ドイツのための選択肢」という右派政党が野党第一党となった。そのうち、二大政党の大連立でも過半数に届かず、自民党も入れた三党連立政権もできるかもね? さらに緑の党も入れて4党既成連合政党で過半数ということも? ネバーセイネバー?

ちょうど、そういう時に、三好範英さんの『メルケルと右傾化するドイツ』 (光文社新書)を読了した。

(こんな内容)→英国のEU離脱、トランプ大統領誕生、そして2017年9月のドイツ総選挙における右派政党(AfD)の躍進―いずれの危機にも深く関わってきたのがメルケルだった。危機解決のために尽力する姿が印象深いが、実はいずれにおいてもメルケルの政策こそが、危機を醸成し促進することに関わっていた。本書では、先の選挙で4選を確実にしたメルケルの生涯と業績をできるだけ客観的にたどり、その強さの秘密を分析する。同時に、メルケル率いるドイツこそ世界の地殻変動の一つの震源地ではないかという仮説に基づき、論を展開していく。メルケルは世界の救世主か? それとも破壊者か? 『ドイツリスク』で山本七平賞特別賞を受賞した著者による画期的な論考!

前著『ドイツリスク 「夢見る政治」がひき起こす混乱』 (光文社新書)も面白い本だった(その読後感は、本欄末尾に再録する)。


その本に登場していた社民党出身の連邦銀行の役員で、以前ベルリン市の財務責任者だったティロ・ザラツィーンが、ある雑誌で、ベルリンのトルコ人やアラブ系の市民がドイツ語を学んで社会に溶け込むことを拒否し、社会保障によって生きていることを厳しく批判していたという。

たとえば「ベルリン市民の20%は、経済的に不必要。ベルリンの新生児の40%は、下層階級で生まれている」と述べ、「彼らはドイツ政府の金で生きているくせに、政府を拒絶し、子どもにまともな教育を受けさせない。さらにスカーフを頭にまとった子どもをどんどん作る。トルコ系住民の70%、アラブ系住民の90%は、社会に溶け込む能力がない」。

さらにザラツィーン氏は「私はむしろ、ドイツ人より知能指数が15%高い東欧のユダヤ人がこの国に増えて欲しいと思っている。社会に溶け込むための義務を果たさない外国人はもうごめんだ。能力を持ち、ドイツで一旗あげてやろうという外国人は大歓迎。そうでない人は、別の国へ行って欲しい」と述べた。

トルコ人やリベラルな考えを持つドイツ人たちは、この発言に激怒。彼が属する社会民主党からは除名を求める声すら出たという。しかし、三好氏の前著によれば、彼を解任したり除名することはなかったそうな。まぁ、「言論の自由」の範囲内か? 日本だとこれも「ヘイトスピーチ」になるのかな?

ウィキペディアで彼の名前を入れると、こんな風に書かれていた。

ザラツィンは自著『Deutschland schafft sich ab』(ドイツが消える、といった意)の中で、イスラム教徒の移民によりドイツが貧困化すると主張した。また、すべてのユダヤ人はある特定の遺伝子を持っており、その特性はスペイン北部のバスク人と共通するとの自説を展開するなどしたため国内の反発を呼び、アンゲラ・メルケル首相や欧州中央銀行のジャン=クロード・トリシェなどもザラツィンの一連の発言を批判した[4]。
その一方でザラツィンの考えを支持する意見も少なくなく[4]、著書自体は専門書であるにもかかわらず発売後3ヶ月で100万部以上のベストセラーとなり、ドイツ国内で賛否両論を巻き起こしている[5]。
CDUとSPDが大連立がドイツを日に日に悪くしていると述べている。難民危機で支持率が低迷して、連立に手間取って支持を更に低下させているメルケルとシュルツ(ショルツ)を終わった政治家と批判している。2018年の大連立に対する党員投票で一人の党員として、連立反対票をいれることを表明している[6]。


多分、彼は大連立の賛否を問う党員投票では反対に一票を入れたのだろう。その判断は……。まぁ、あまりにも「遺伝子」的感覚を重視する民族優劣視点には違和感を覚えないでもないが……。

それはさておき、三好さんの新著は、メルケルの「評伝」ともいえよう。

よくは知らなかった政治家の出自を詳しく知ることができた。東独出身とは聞いていたが、父親はリベラルな牧師だったという。彼は、生まれは東独側地域だったとはいえ、西側地区に住んでいたのに、「西ドイツの保守政治を嫌い、東ドイツの国家建設を助けることに意義があると考え」、わざわざ東側に移ったそうな。やがてチェコ侵入にも批判的になり、「リベラル」な立場を維持していったようだが、まぁ、共産体制側の一員ではあっただろう。
メルケルもピオニールに入って模範少女として進み出す。大学は理系コースに行く。ベルリンの壁崩壊後……。そういった政治家に向かう歩みは本を読んでいただくとして、理系ではあるが、親の影響もあって宗教心もそこそこあるということで、社民党ではなくキリスト教民主同盟を選択することになったようだ。

難民にしても、スマホ片手にやってくる「経済難民」が多々やってくるのを見ると、ドイツ人も、なんで自分たちが大きな負担をしてまで…という思いを持つ人も増えてきているのだろう。「超党派」的に既成政党に疑問をいだき、右派政党に投じるドイツ国民も増えているのだろう。それが二大政党の衰弱にもつながっているというしかあるまい。

1999年12月22日付けフクランフルター・アルゲマイネの一面に、メリルケルが寄稿し、 「コール時代は不可逆的に終わった」と指摘したことは「政界に衝撃を与えた。この寄稿も、メルケルを語る時に必ず言及される出来事である」と三好氏は記している。同じように「メルケル時代は不可逆的に終わった」とキリスト教民主(社会)同盟の有力者が書く時が近いうちにやってくるのではないか。

とはいえ、長期政権を維持し、その間、支持率の上下があっても今日まで耐え抜いたのは、それなりの政治力があってのこと。3・11以降の原発容認政策をドラスティックに変えていく背景は、前著にも今回の本にも書かれている。柔軟に対応する一方、イラク戦争に関しては、 「イラクの大量破壊兵器が発見されなかったことについて沈黙を守り、米国がイラク民主化に関して甘い見通しを持っていたことにも批判的なことは口にしない」とのこと。

ドイツは、緑の党なども含めて、独裁者に対して最後の取材としての軍事力を行使することに関してノーではない。

「日本で平和主義というといっさいの武力行使を否定するいわば『絶対的平和主義』だが、ドイツは緑の党も含めて、ナチによるホロコースト(ユダヤ人大量殺戮)に代表されるジェノサイド(民族大量殺戮)のような事態を防ぐためなら武力行使もためらうべきではない、という『人道的平和主義』が優勢である。その点でメルケルの考え方はドイツ国内で特別なわけではない」とのこと。

日本にはドイツのようなマトモな国防観を持っている社民党がない(同じ名称の政党があるが…)。

ともあれ、日本よりは「先進的」な「闘う民主主義」を実践しているドイツから、そして本書から学ぶべき点は多々あることを実感する次第なり。日本は、安易な移民国家にはならないことも肝要だろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

(再録)
「夢見る人」が行なう政治・デモにはご注意遊ばせ? 日本に、ティロ・ザラツィーンはいるか?
(2015・9・22・火曜日・国民の休日)


三好範英氏(読売新聞編集委員)の『ドイツリスク 「夢見る政治」がひき起こす混乱』 (光文社新書)を読んだ。
この人の本は、以前、 『戦後の「タブー」を清算するドイツ』 (亜紀書房)を読んで感銘を受けたことを覚えている。単細胞的な日独比較論(ドイツ、ワイツゼッカー的戦争謝罪論に学べ)と違って、本質的な視点からの日独比較論(軍事的対応を強めていくドイツとの比較論)だったからだ。
「改憲」を何度も行ない、左派政党(社民党・緑の党)とて、国防認識をそれなりにもっている点に学ぶ視点のない、日本の多くのジャーナリストの中にあって新鮮であった。
そのあと、 『蘇る「国家」と「歴史」ポスト冷戦20年の欧州』 (芙蓉書房出版)も出している。そして今回の新著。

著者は3・11の時、ベルリン特派員。それ故に、3・11以降のドイツのフクシマ報道には唖然とさせられたという。針小棒大も極まれりといった、日本破滅論的な原発事故報道が続いたとのこと。というのも、ドイツのジャーナリスト・記者の中には、「緑の党」の支持者が多いからではないかと(ある研究者によると、ドイツのジャーナリストの中で、緑の党の支持者は35%。25%が社民党。保守系政党&リベラルな自民党支持者は合わせて14%とのこと)。リベラルな三島憲一さんでさえ、ドイツのマスコミのトンチンカンな原発事故に関する思い込みの激しいインタビューにいらだっていたそうな。三島さんといえば、 『戦後ドイツを生きて―知識人は語る』 (岩波書店)という本を思い出す。この中には、ドイツを代表する左右各派の論客・政治家が登場。「緑の党」の関係者でさえ、「右派」系の人だと、ちゃんとした国防観を表明していたかと。

戦後謝罪論的な視点も、高みにあって、自分たちの「罪」におののく分、「同罪」の日本を見下すことも多い。ソ連の「SS20」にあれだけ、理性的に抵抗した社民党のシュミットでさえ、ウクライナ問題では、ロシアに同情的な視点を提供する。
あるフィンランド人政治家(原発を抱える町の町長)が、著者に対して「ドイツ人は夢見る人、それに対して、フィンランド人は実際的な国民です」と語ったという。

「もし我々が生活水準を保ちたいならば、エネルギーが必要だ。そのためには二つの可能性がある。我々自身がエネルギーを作り出すか、隣国ロシアから買うかだ。大半のフィンランド人は、(ロシアにエネルギーを依存することで)ロシアに我々の生活水準を決められたくない。ドイツは大国だ。ロシアと対等に話せる。しかし、フィンランドはできない。我々はロシアとの多くの戦争から、ロシアについて学んだのだ」

欧州に於ける東西冷戦下で、「フィンランド」化と称せられる複雑な関係を強いられてきたフィンランドの政治家ならではの視点といえよう(「フィンランド化」に関しては、塚本哲也氏の『フィンランド化―ソ連外交の論理と現実』教育社、が数少ない研究書)。

三好氏は「夢見る人」を、 「現実を醒めた謙虚な目で見ようとするよりも、自分の抱いている先入観や尺度を対象に読み込み、目的な夢を先行させ、さらには自然や非合理的なものに過度の憧憬を抱くドイツ的思惟の一つのあり方」と定義している。そうした「夢見るドイツ人」のさまざまな危うさ、偏見を解析した本といえよう。

しかし、原発事故に関しては、「針小棒大」もあっただろうが、「棒大針小」と見なそうとした動きも日本政府内部にあったのも事実。最悪の事態を予想しての報道も、一定の意義はあったと見ることも可能ではあろう。その点、ドイツの対日原発報道を全面否定はできないと思う。

それにしても、「夢見る人」は日本国内にも少なからずいるだろう。「大東亜・八紘一宇」を夢見る人はあまりいないだろうし、中国共産党統治を自民党政治よりマシと見なす人もあまりいないだろうが、何となく、「(遠い?)隣の芝生は青く見える」ということで、フィンランドを含めた北欧やスイスを賛美したりする向きはまだまだ根強い。所詮はつまみ食い程度でしかないだろうが。
「非武装中立」「日米安保解消論」「自衛隊違憲論」をルーツに持っているかのような一部の安保法制反対論も、ある意味で「夢見る人」でないと主張できないのかもしれない。

また、首相官邸前で反原発を主張する市民団体も、中国や韓国や台湾に出かけて反原発グローバルデモをやったらどうか? 
とりわけ、週刊現代(2015・9・5号)の「設備も作業員も超いい加減」「中国の『原発』は必ず大事故を起こす」という記事を読んだら、反原発の市民団体の関係者たちは、いても立ってもいられなくなるのではないか。
こうしてはいられない。日本より、中国だと……。頑張ってください。応援してます。
原発事故は起きない、起きても制御できると考えている人も、ある意味で「夢見る人」たちであろう。日本の原発は、地震や津波があって危険だが、他国の原発はそうではないと考えるような人がいたとしたら、これまた「夢見る人」でしかない。

宝くじを10枚買えば、1億円、いや前後賞含めて7億円が当たるかもしれない、当たれば早期退職して、ペイオフ対策として、70ぐらいの銀行に1000万円ずつ分散し、定期預金にして、その利息で年金と共に(時々預金を崩して)悠々自適の生活を営もうというのも、「夢見る人」ではあろうか(7億あれば、毎年1000万円崩しても70年間経たないとゼロ円にならないのだから)。そういう社会に害を与えることのない、「夢見る人」の夢想はどうでもいいが、社会に害を与える可能性のある「夢見る人」の行為には、皮肉な冷笑を忘れることなく、時には闘うことも必要になってくるだろうか。

その点、三好氏の本に出てくるティロ・ザラツィーンという社民党党員のエコノミストは異色といえようか。1945年生まれで、元財務官僚で、ドイツ連銀理事などを務めている。イスラム教徒移民のドイツ流入は、ドイツの知的可能性を衰えさせるし、ユーロ体制に異議を唱えているそうな。

彼の「名前」を検索すると、以下のようなものがヒットした。


外国人論争の波紋
現在ドイツでは、「外国人の社会への融合」をめぐって激しい議論が起きている。火種となったのは、連邦銀行の役員で、以前ベルリン市の財務責任者だったティロ・ザラツィーン氏がある雑誌に載せたインタビュー。
ザラツィーン氏は、ベルリンのトルコ人やアラブ系の市民がドイツ語を学んで社会に溶け込むことを拒否し、社会保障によって生きていることを厳しく批判した。たとえば「ベルリン市民の20%は、経済的に不必要。ベルリンの新生児の40%は、下層階級で生まれている」と述べ、「彼らはドイツ政府の金で生きているくせに、政府を拒絶し、子どもにまともな教育を受けさせない。さらにスカーフを頭にまとった子どもをどんどん作る。トルコ系住民の70%、アラブ系住民の90%は、社会に溶け込む能力がない」。
さらにザラツィーン氏は「私はむしろ、ドイツ人より知能指数が15%高い東欧のユダヤ人がこの国に増えて欲しいと思っている。社会に溶け込むための義務を果たさない外国人はもうごめんだ。能力を持ち、ドイツで一旗あげてやろうという外国人は大歓迎。そうでない人は、別の国へ行って欲しい」と述べた。
トルコ人やリベラルな考えを持つドイツ人たちは、この発言に激怒。彼が属する社会民主党からは除名を求める声すら出た。連邦銀行のヴェーバー総裁も「不穏当な発言だ」とザラツィーン氏を批判したが彼を辞任に追い込むことはできなかった。ザラツィーン氏は担当分野を一つ減らされただけで、連邦銀行に留まっている。
私が興味深く感じたことは、保守系の新聞を中心として「ザラツィーン氏の言うことは正しい」として彼を支持する声が上がったことだ。特にフランクフルター・アルゲマイネ紙は「社会の中で袋叩きにされるのを承知の上で、真実を語ったザラツィーン氏は、電車の中で子どもたちを助けようとして暴漢に殴り殺されたブルナー氏と同じ英雄だ」と持ち上げている。
つまり多くのドイツ市民は、「社会に溶け込まず、失業手当や生活保護で生きている外国人」に対して強い不満を抱いているが、世間体をはばかって口に出さない人が多い。彼らはザラツィーン氏が、自分たちの考えを代弁してくれたと思っているのだ。
だが、60年代から70年代に労働力が不足したためにトルコ人を労働移民として招き寄せたのは、西ドイツ政府である。ドイツ人は、トルコ人たちがいずれは母国へ帰ると思い込み、彼らにドイツ語の習得を義務づけるなど社会に溶け込ませるための積極的な努力を30年近く怠ってきた。ドイツ人たちはこの国が「Einwanderungsland(移民が流入する国)」であることを2000年ごろまで認めようとしなかった。外国人を社会に積極的に溶け込ませようとする制度が発足し、移民に語学の習得義務が課されたのは、2007年のことである。つまり10年以上ドイツに住んでもドイツ語を話せないトルコ人たちが、自分たちの殻の中に閉じこもっている原因の一端はドイツ人にもあるのだ。
問題のインタビューの全文を読むと、ザラツィーン氏が相当のインテリであることがわかる。しかし“staendig neue kleine Kopftuchmaedchen produzieren“などという言葉は、極右のプロパガンダを思わせ、連邦銀行の役員にそぐわない。彼は社会に衝撃を与えて、政府が外国人の融合に本腰を入れることを希望しているのだろう。今後この国では、外国人についての論争が活発に行われるに違いない。 
週刊ドイツニュースダイジェスト 2009年10月30日


昨今の難民流入に関して、また一言何か、彼は発言しているのだろうか。しかし、逆境は人を強くすることもある。トンビがタカを生むことも……。
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2018'02.01 (Thu)

『「リベラル」という病  奇怪すぎる日本型反知性主義』 と『日本を蝕む「極論」の正体』は、「テレサヨ」「ネトウヨ」「リベラル」という名の反知性主義の類似性を喝破するために役立つ本






『「リベラル」という病  奇怪すぎる日本型反知性主義』 と『日本を蝕む「極論」の正体』は、「テレサヨ」「ネトウヨ」「リベラル」という名の反知性主義の類似性を喝破するために役立つ本
(2018・2・1)




読みたい本は次々とたまっていく。新書サイズの本ですら、読みきれず…。もちろん重厚長大本も…。富田武氏の『日本人記者の観た赤いロシア』 (岩波現代全書)、竹岡健一氏の『ブッククラブと民族主義』 (九州大学出版会)、平川佑弘氏編の『手紙を通して読む竹山道雄の世界』 (藤原書店)、アストリッド・リンドグレーンの『リンドグレーンの戦争日記 1939-1945』 (岩波書店)、山上たつひこ氏の『大阪弁の犬』 (フリースタイル)など……。

とはいえ、出たばかりの岩田温氏の『「リベラル」という病  奇怪すぎる日本型反知性主義』 (彩図社)をまずは「速読」。


(こんな内容)→選挙報道やテレビの討論番組などでしきりに用いられる「リベラル」という言葉。リベラルの意味を、「個人の自由を最大限尊重すること」そして「社会的弱者の声に耳を傾け、そうした人々のことも同じ人間として尊重すること」と捉えるならば、著者自身もその1人だと賛同するが、日本の「リベラル」はそれとは相当異なる極めて奇怪なものであると主張する(※本書で批判する「リベラル」をカッコ書きにしているのはそのため)。
憲法改正と聞くと、すぐに「戦争反対! 」「徴兵制が始まる! 」と声をあげる「リベラル」。
共産主義に極めて融和的な「リベラル」。
世界基準からするとあまりにおかしい日本の「リベラル」を解剖・批判し、本来のリベラルはどうあるべきかを模索する。


この視点というか、岩田さんが俎上に載せている「リベラル」という「反知性主義」的な識者の見解は、これまた読みかけている古谷経衡氏の『日本を蝕む「極論」の正体』 (新潮新書)で取り上げている数々の「極論」とも相通じるところがあるようだ。

(こちらの本はこんな内容)→極論を目にすることが増えた。 政界、教育現場、論壇、職場、メディア……あらゆる場所で左右も保革も関係なく、ちょっと冷静になれば明らかに変だとわかることを声高に主張し、他人を糾弾する「極端な人たち」が目立つ。それはかつての連合赤軍やオウム真理教を想起させる存在だ。 「バブル賛歌」「TPP亡国論」「地方消滅」「憲法九条無殺生論」等々、はびこる極論の奇怪さを嗤い、その背景を考察する。

古谷さんも、日本共産党などの9条絶対視路線を皮肉っている。同感。

ともあれ、まずは岩田氏の本。とりわけ憲法9条を絶対視する「リベラル」な人たちの見解の矛盾を鋭く突いている。そもそも自国の自衛のための軍隊を持つことすら、内心「違憲」だと認識しているような「精神異常」ともいうべき人を「リベラル」というのはおかしいだろう。世界の先進国の社会主義政党(社会民主党)で、そんな「リベラル」な人はそうはいまい。日本の社会民主党はきわめて例外的な自称「社会主義政党」というしかない。

池上彰氏、加藤典洋氏、内田樹氏や白井聡氏などを「ガラパゴス左翼知識人」と定義し、その論理の矛盾を解剖している。要は、おおむね、「容共リベラル」的な知的限界が随所にあるということに尽きよう。「北朝鮮危機は安倍首相の自作自演」というような元文春編集長の半藤一利さんなんかも、そのカテゴリーに入るだろうか?
「9条」を絶対視する人って、戦前の「統帥権」を絶対視して、それに容喙するような人を面罵したのと同じ精神構造の持主ではないかと思う。弾力的な運用すら認めないのは独善的過ぎよう。そういう独善的な解釈をする人が、戦争を逆に招くなんてことにもなりかねないだろう。

僕も愛読しているアーサー・ケストラーやトニー・ジャットなどを紹介しつつ、そうした共産主義に甘いリベラルというか、進歩的知識人などを皮肉っているのが楽しい読後感を与えてくれる。本当に、そういう幻想を持っている人たちこそが、「反知性主義」「反合理的」「反論理的」な思考様式の持主というしかあるまい。

本当の意味での「リベラル」は、尊重にあたいするだろうが、朝日新聞論説委員の書く社説や、それに共鳴する人々、さらには、その論調すら「保守的」だとみなすような極左系の人々を「リベラル」とみなすのは、かなりの愚鈍系というしかあるまい。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
22:44  |  政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018'01.25 (Thu)

『悪だくみ』を読みながら、時代劇の「悪代官」(某文科省官僚)と「越後屋」(獣医師会)の「おぬしも悪よのぉ」「いえいえお代官さまほどでは…」を思い出す人も多々いるのでは?






『悪だくみ』を読みながら、時代劇の「悪代官」(某文科省官僚)と「越後屋」(獣医師会)の「おぬしも悪よのぉ」「いえいえお代官さまほどでは…」を思い出す人も多々いるのでは?
(2018・1・25・木曜日)





森功氏の『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』 (文藝春秋)を読んだ。

(こんな内容)→一強と持ちあげられ、自民党総裁として異例の三選を取り沙汰されてきた安倍晋三総理大臣。その権勢に陰りが見え、支持率が急落した原因は、何といっても学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題だった。
総理自らが「腹心の友」「四十年来の親しい友人」という加計氏側に有利に運ぶように、政治的な圧力はあったのか。次々と明らかになる文科省の内部文書や、前事務次官の告発などで、追い詰められた総理はついに解散に打って出た――。
徹底した取材を元に、疑惑の全貌を明らかにするノンフィクション。政界・官界・業界団体・地方自治体などの利害が複雑に絡み合った糸を解きほぐし、現在の日本の最高権力の驚くべき核心に踏み込む力作だ。

ううむ…。まぁ、力作かどうかはともかく、「書名」どおりの本。

安倍首相と加計学園の加計孝太郎氏とが、いかにして「腹心の友」となりしか…を追求。獣医学部開設問題以前に、加計学園系列の千葉科学大学の開設にもいろいろと協力関係にあったとか…。
アンチ加計学園の獣医学界側の元自民党議員でもあった北川直人氏は「善玉」として登場。森氏の取材にも応じて、いろいろとコメントをしている。
それにしても、この筆致には絶句?

「当初、加計学園が今治市の国家戦略特区で計画してきた六年制の獣医学科は、百六十人の入学定員と国内最大となる。それに獣医保健看護学科の定員六十名が加わるマンモス獣医学部計画なのである。その卒業生たちをどこへ就職させるつもりか。加計にそのビジョンがあるようには見えない。ほしいのは、入学生とその授業料収入だけではないか」

この一節は、著者の地の文であるけど、ちょっと言い過ぎではないかなと。北村さんがそういう風に言ったのなら、個人のコメントだからどうしようもないけど…。

その北村さんたちが、加計孝太郎氏と獣医師会本部で会ったシーンが本書で再現されている…。

会長が「あなたは安倍さんから『獣医師会に行け』と指示されてやって来たんでしょ。ときの最高権力者がバックについている、すごいよね」「突き放した」とのこと。さらには「でも、誰が来たところで、獣医学部新設の申請は通りませんよ」と言い放ったとのこと。ううむ…。これって大問題では?

著者はあっさりとそういう会話のやりとりを紹介したあと、こう書いている。

「獣医学部の新設については、文部科学省や農林水産省が認めるかどうか、というのが正式な手続きになるが、霞が関の官僚たちはとりわけ政治力のある獣医師会の意向を重んじてきた。事実上、ここが認めないと新たな学部の設置は難しい」

これまたあっさりと書いている。これっていいの?  著者の指摘する安倍首相と「腹心の友」である加計さんとの「悪だくみ」かあったとしても、こういう「霞が関の官僚」と「政治力のある獣医師会」の「意向」とやらが、「正式な手続き」を経て、新学部新設を求めてきたのを拒絶することができるといったのは、もっとオカシナ「悪だくみ」があるからではないのか? そういうところへの「疑問」が著者には浮かばないのだろうか。

獣医師会って、もしかして「越後屋」?  前川さんという、部下の再就職先など面倒みのいい悪代官、いやヒューマンなお代官さまがいて、「越後屋」が差し出す女性やお金をもらって、 「お主も悪よのぉ」「いえいえ、お代官さまほどでは…」と言い合っているシーンは時代劇ドラマか何かでよく見たものだ(今も、我が古女房はBSで夕方やっている必殺仕置き人か何かの再放送を時々見ているそうな。世も世なら、北川さんも前川さんも、文字通りの意味で「首を斬られていた」かもよ?)

昔は、コメの値段を決めるのにあたって、政府が最終的に決定すしていた。もちろん、その前提では生産者側や消費者側とがいろいろと論じ合っていく…。どちらかの側が一方的に決定するなんてことはなかった。

同様に獣医学部の新設をめぐっては、新設を申請する側と 、すでに学部を抱えている側とがいろいろと議論をするのはありうるだろうが、一方の側、民間組織が、何の法的権限もないのに、要は“首相が来ようとも誰が来たところで、獣医学部新設の申請は通りませんよ”と断定するのは、民主主義社会にあっては、許されない暴言というしかないのでは? 日本医師会や日本歯科医師会だって、そんな強大な権限は持っていないだろう。

もっとも、著者は、そういう発言のやりとりを紹介したあとで、「実はこのとき『首相が後ろ楯になっているので獣医学部の新設は大丈夫だ』と加計が胸を叩いたという話がある。実際、その議事録が存在するという説もあった。そこで北村に議事録の件を尋ねると、次のような意味深長な話をした」という。

本の中では、まぁ、数行、北川さんのもっともらしい尊大な発言が数行紹介されている。まぁ、引用する価値もないのだが…。

「そんな議事録があったら、安倍政権政がふっとんじゃうよ。だから私は『ない』と答えるしかない。相手は自民党の党友でもある安倍さんですから、口利きだってすべて駄目だとは言いません。ただ今思うと、『安倍さんでしょ? あなたがたの後ろにいるのは』と尋ねたとき、加計さんはなんとなく頷いたかな」

「なんとなく頷いたかな」とか、「安倍政権がふっとんじゃうよ」といった言い回し……。捨てゼリフ的な「思わせぶり」だけのブラックな臭いが漂うなぁ?

そういうブラックなコメントを嬉しそうにペッペッと吐く側に、一方的に依拠して再現する「ノンフィクション作品」にはあまり信頼感を置けないと考える人もいるのではないか?  ミーツー?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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2018'01.24 (Wed)

昔・大本営発表 今・気象庁発表、昔「高田がん」、今「マック赤坂」なのかな?







昔・大本営発表 今・気象庁発表、昔「高田がん」、今「マック赤坂」なのかな?
(2018・1・24・水曜日)




東京都心の積雪の予想も大外れ。5センチと20センチとでは心構えも違うだろう。高速道路での長時間の停滞も遠因は気象庁?

さらには、草津白根山の本白根山(標高2171メートル)の噴火に関して、何の予兆も感じとることもできず、噴火速報も出せなかった気象庁。「想定外」と開き直り? まぁ、アラスカの地震が、日本に津波の心配はないという気象庁の「予想」…。これは果たして信じてよいものかいな? 昔の大本営発表同様…?
第二気象庁がないと、こういうことは永遠に続くことだろうか?

それはさておき、畠山理仁氏の『黙殺 報じられない”無頼系独立候補”たちの戦い』 (集英社)を読んだ。

内容紹介→落選また落選! 供託金没収! それでもくじけずに再挑戦! 選挙の魔力に取り憑かれた泡沫候補(=無頼系独立候補)たちの「独自の戦い」を追い続けた20年間の記録。

マック赤坂--なる候補者がまずは登場。かなり言及されている。京都大学を出て、伊藤忠商事などに勤務。やがて独立自営。そして「スマイル党党首」を名乗り、何百万もの供託金を支払っては国政選挙や東京都知事選などに出馬…。政見放送でも、スーパーマンのような恰好をして登場。検閲がないことをいいことに(?)…。しかし落選、落選。

ちょっとリベラルで、戦争反対などを訴えたり…。さらには大阪の選挙に…。

そのほか、いろんな「泡沫候補」を紹介している。まぁ、憎めない感じのキャラクターを上手く描いているとは思うが…。そんなに共感を覚えるわけでもなく…。地道に愚直に政策を訴える人もいるようだが、多くは、いささか「変人」でしかない印象を受けずにはいられない。

やはり、こういう不可思議な人がいるから、一定の供託金を出させるのは当然かなと思ったりもした次第。諸外国に比べて高額なのは問題だとの指摘もあり。しかし税金の無駄遣い防止のためにも、その程度の金額は候補者が負担するのは…。

とはいえ、国政選挙では供託金を没収されても、首長選挙や地方議会選挙では落選しても、供託金を没収されない程度の得票を得ることも稀にあるそうな。

松下政経塾に一時所属し、地方の市長に当選したこともあり、全国各地の選挙を飛び回っている中川暢三さんなる人はちょっと興味深く一読した。それなりの政見を持って、時には市長に当選して実務を経験しているという実績もあるから、いわゆる、本書に登場する「泡沫候補」に比べると、ちょっと一味違うだろう…と。しかし、まぁ、そういう例外は別にして、「泡沫候補」と言われるだけのことはあるかな…と。卑猥な言葉を政見放送でしゃべったりするような人は”無頼系独立候補”というほどのこともないのでは…。

僕が子供のころは「高田がん」という人がよく出ていた。反共遊説隊隊長と名乗っていたか? 政見放送の類は見たり聞いた記憶はあるが…。絶叫型だったか? まぁ、「反共」は評価できるかなと子供心に思っていたが…。

本書で描かれているマック赤坂を評価する人なら、トランプさんも評価して当然? ううむ?

本書には出てこないが、赤尾敏さんは戦時中一度当選しているから元国会議員の肩書があったが、戦後はずっと泡沫扱いだったか? 反共はいかんが、容共はいいという二重基準はもちろんダメ。

アーヴィング・ストーンの『彼らもまた出馬した―アメリカ大統領選挙に敗れた20人』 (早川書房)なる本は、長年積んどくしていたかと。大統領選挙に出馬したものの当選できなかった候補者について書かれた本だったか? 「泡沫候補」とまではいかなかったか? 

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ! 
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2017'12.16 (Sat)

NHK・ニューズウィーク・花田さんともあろうもの(あろうかた)が…






NHK・ニューズウィーク・花田さんともあろうもの(あろうかた)が…
(2017・12・16・土曜日)





土曜日(2017・12・16)朝、NHKテレビのニュースを見ていたら、埼玉の珍しいものを紹介するコーナーがあった。女性アナウンサーと、埼玉の珍しいモノを紹介している案内人とがあちこちを訪問するもの。美人神社とか…。

その中で、NHKともあろうものがと思いつつも、ふふふと笑ったのが、巨大ホットドッグというか、ホットドッグから大きくはみ出した巨大・長大の黒っぽいフランクフルトを女性アナウンサーが口を大きく開けて頬張るシーン…。口にフランクフルトが突き刺すかのように押し込まれていく…。そして、肉汁がたっぷり、美味しいですね…とか言わせたり?

NHKも朝からいやらしい番組を作っているなと? この前、別会社の大橋未歩さんの番組(2017・11・26のテレビ東京の「モヤモヤさまぁーず2」)でもこんなシーンがあったら…?

産経朝刊を読むと、何があっても「ニューズウィーク」を褒める花田紀凱さんの連載コラムに目が止まった。先週土曜日のコラムでも、ニューズウィークを褒めて、その中で、キャロル・グラックさんの連載があるようで、ちょっと留保をつけつつも推奨していたかと。
それを一読して、「ええぇ? キャロル・グラックの連載をニューズ・ウィークともあろうものが連載するの? 大丈夫? 編集長が変わったとか聞いていたけど、路線変更? そして、それを花田さんともあろう人が推奨するとは?」と僕は思ったのだが。

すると今朝のコラムでは、高池勝彦弁護士からキャロルは要注意人物だと注意を受けたという。そのことを綴っていたが、花田さんともあろう方が、彼女の名前を聞いて、ピンとこないとは? あいにくとニューズウィークの彼女の書いたものは未見。ネットで見られるか?

なにしろ、あの慰安婦「虚報」記者として有名な植村隆さんと親密な仲なのだから。そのあたりのことを綴った拙文を以下再録。
彼女は、たしか昔、ニューズウィークのコラムで、教科書問題(侵略→進出)を扱った時も、これがマスコミの「誤報」であったという客観的事実を認識しないまま、ヘンな主張を展開していたかと(これはちょっとかなり昔のことで、その掲載号数などを明記できないが…)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!


(以下再録)

キャロル・グラックよりジェイソン・モーガンがいい!
(2016・9・26・月曜日)


今日(2016・9・26)発売の「ウィル」(2016年11月号)の広告で、ジェイソン・モーガン(1977年生まれ)の「(こんなに恥ずかしい日本国憲法)さっさと破ってゴミ箱に捨ててください」というインタビュー記事があることを知った。ちょうど、彼の、日本での処女作『アメリカはなぜ日本を見下すのか? 間違いだらけの「対日歴史観」を正す』 (ワニブックス)を読み終えたところだった。この本、訳者名もないから、本人自ら執筆したのだろう。日本語も達者のようだ。

(内容紹介)→米国歴史学会を痛烈に批判し話題となった新進気鋭の米国人歴史学者、初の著書!
「日本について学べば学ぶほど、『自分の国の見方がおかしい』と思うようになった」
「なぜ日本だけが謝罪を求められるのか?」先の大戦において、米航空母艦の乗組員であった祖父から
「国の為に自分の命を捧げる日本の特攻隊員の潔さ」を教えられたのをきっかけに日本研究の道を志した
気鋭のアメリカ人歴史学者が、偏見に満ちた米国の「対日歴史観」に喝を入れる! 日本が新しい一歩を踏み出すための必読書。
アメリカはなぜ日本を見下すのか?その答えを一言で表現すれば、アメリカの政治、学会、 メディアが、人種差別的、進歩主義的なリベラル陣営に よって支配されているからである。日本人自身が戦後教育によって自虐的歴史観を刷り込まれてしまったということも否めない。しかし、そのような状況を作ったのも結局アメリカである。私がいきついた結論は、アメリカのみならず
世界が抱く誤った対日歴史観を早急に再検討する必要があるということだ。
――「はじめに」より


幼少の時、近所に住んでいた日本人家庭と接触し、日本に関心を持つようになったという。基本的には、アメリカのリベラル教育を受けて、太平洋戦争にしても、もちろん、アメリカが善玉で、ルーズベルトはアメリカの危機を救った偉人と考えて成長したとのこと。しかし、祖父の対日戦争体験などを聞き、複眼的な視点から現代史などを見直すようになっていく。やがて日本に留学、中国なども訪問。そうした諸国遍歴を経て、南京事件や慰安婦問題などでも、アメリカの歴史学者の浅薄な歴史観を批判するようになっていく。
そうした実証的な歴史見直しを行なう「歴史再審論者」(歴史修正主義)が、ナチスのアウシュビッツ虐殺はなかったといった陰謀論者といっしょくたにされたり、また「人間が月まで行ったことを疑う人や、エジプトのピラミッド宇宙人が作ったと主張する人や、飛行機雲は政府が市民を支配するために撒き散らしている麻薬だと喧伝する人などと一緒くたにされてしまった現在の風潮は、非常に残念であり、危ういものだ」と指摘しているが同感だ。

近年、ヘンリー・ストークスさんの『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』  (祥伝社新書)やケント・ギルバードさんなどによる「日本評価本」「進歩的文化人」批判の書が出るようになってきたが、植村隆朝日元記者をアメリカ講演行脚に招待するようなキャロル・グラックさんのようなリベラル左派の日本現代史研究者を批判しうる若手研究者として今後を期待したい。ケビン・ドークさんも、最近、一般向けの本として『日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本』 (ワック)を出しているが、まぁ、こういう人が、日本大使、日本公使やそれに準ずる公的な肩書を得て、広島長崎のみならず靖国神社に参拝していけば、いい時代になるのだろう。
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