怪物国家・韓国を率いる文在寅や金正恩につける薬はない? 習近平はもう21世紀のヒトラー? バカにつけるクスリなし? しかし、日本も明日は我が身?
(2019・12・6・金曜日)
古森義久氏の『モンスターと化した韓国の奈落』 (ビジネス社)を読んだ。
著者はいうまでもなくベテラン・ジャーナリスト。ワシントン、ロンドン、北京にも新聞社の支局長として長期赴任しており、グローバルな視点から国際情勢を報道し続けている。
(著者のことば)→ 韓国という存在はいまや日本にとって奇怪なモンスターのようになった。 決して誇張ではない。条理を無視し、情緒に駆られ、悪意や敵意をぶつけてくる。どう控えめにみても、問題国家である。その問題国家の韓国はアメリカからみると、どうなるのか。 本書では主としてアメリカからの光を韓国という存在にあてることにした。 私がワシントン駐在の記者として取材をつづけてきた二〇一九年末の今現在の時点までの「アメリカからみる韓国」の報告である。
この本は、そういう視点から「日韓」関係を中心に論じているが、民主党のオバマ政権後半あたりから、「反日の病」にとりつかれた韓国に対しては、唖然呆然の感情が米国内で生まれていたようだ。トランプ共和党政権になってからは、安倍首相と文大統領の評価に関しては、もう雲泥の差があるとのこと。
本書によると、旧来、韓国贔屓だったアメリカのアジア研究者の中にも、徴用工問題等々で、韓国側の主張はミステイクだと批判する声が高まっているという。
もっと極端に、日本の悪口ばかり言っているアレクシス・ダデンとて、日韓関係を悪くしたのはアメリカだという批判を展開し、直接的に韓国の肩を持つこともなくなっているとのこと。屁理屈をいくらつなぎ合わせても、韓国の非常識な反日政策を擁護できなくなったというわけだろう。
アメリカの「声」に関して、共和党、民主党の区別なく、さまざまな声を伝えてくれる貴重な本だ。
こんな声があるという。
「韓国はきわめて無責任な国家だ!」(エドワード・ルトワック)。
「いまの日韓対立は文在寅大統領が国内政治のために対外政策を政治利用し、 対日関係を犠牲にする形にした結果だ」(スコット・スナイダー)。
「韓国官民の反日傾向は病理的なオブセッション(強迫観念)であり、 原因は歴史だけではない」(ロバート・ケリー)
日本でこんなことを政治家がいうと「ヘイト」だと批判されるかもしれない。
こういう視点の批判本を「ヘイト本」「ネトウヨ本」とレッテルを貼って販売をやめろと書店に要求する反知性主義者もいる。こういう本が売れるのは、戦前への逆コースだと見る向きもあるようだ。父親がこんな系統の本や雑誌を読んでいるのにショックを受ける「良心的息子」なんかの記事も読んだことがあるけど、よく言うよ? 北朝鮮王朝を擁護していた新聞・雑誌をかつて読んでいて、その間違いに気づき、「転向」した人だっているだろう。単細胞的なレッテル貼りをせずに、もう少し広い目で物事をみつめたらいいのにねぇ。
いろんなものを読むことがまず大事だが、あまり賛成できかねるものは図書館ですませている人もいるだろう。書棚にどういう本や雑誌があっても、それだけで単純化するのはおかしい。そういう複眼的思考力を持てない人が、困ったことをいうのに共感することもあるまい。
ともあれ、古森さんの本は、現在進行形の問題のみならず、朝鮮戦争前後、そしてカーター大統領時代の在韓米軍大幅撤退論から今日にいたるまでの米韓同盟の友好と反発の軌跡なども踏まえた上での朝鮮半島論だ。
また、もはや「瓶の蓋」論としての在日米軍必要論を唱えたりするウィークジャパン派も少数派となり、ストロングジャパンを求める声がアメリカでは超党派で高まっているとのこと。
無理もない。世界の警察官ではなくなったアメリカは、対ロシアであれ、対中共であれ、対テロ勢力であれ、欧州や日本やインドなどの兵力・支援なくして、対峙することは困難になっている。
古森氏は、日本の防衛費の増大を求めるアメリカ側の主張はもっともなことだと指摘している。同感だ。財政的に苦しくとも大幅増強が必要だろう。だが、安倍内閣もそういう方向に大きく前進しようという気概はない(ようだ?)。野党にいたっては皆無? それでいいのかな?
ヒトラーの軍拡を前にして、英国では、労働党が軍備強化に反対していた。ジョージ・オーウェルはたしか、それでいいのかと問い質していた。彼自身は労働党の支持者だったが。いまは、そういう時期になっているともいえよう。
30年前、ベルリンの壁が崩壊した時、そして天安門虐殺が起こり、28年前にソ連が崩壊した時、当時、僕は次は中共打倒だと思っていた。にもかかわらず、自由世界の多くは間違った対応を取った。アメリカはソ連が崩壊したら、次は日本が敵だと勘違いして、日本叩きにあけくれ、その分、中国を手助けした。日本とて、贖罪意識から中国を支援し続けた。天皇訪中までやってしまった。そして、中共を「モンスター」にしてしまった。
ミアシャイマーたちの警句を無視してしまった。ギリギリ間に合うか。
引き続き、産経新聞の佐々木類氏の『日本が消える日 ここまで進んだ中国の日本侵略』 (ハート出版)を読んだ。
(こんな内容)→「多文化共生」は「他文化強制」!?
武力を使わない“静かなる侵略"このまま日本は中国の“自治区"となり世界地図から消えてしまうのか──。外国人勢力による“支配"が着々と進む わが国の現状を、産経新聞の現役記者が徹底した取材で明らかにする!チベット・ウイグル・香港…次は台湾、日本!秘かに進む中国の日本占領計画 このままでは、日本は滅びる!
・北極海の「一帯一路」で、北海道が危ない!
・各地に蠢く不気味なチャイナタウン構想
・文化侵略の工作機関「孔子学院」の深い闇
・深刻さを増す首都圏「チャイナ団地」の現状
・外国人にタダ乗りされる日本の医療保険制度
・和牛から農産物まで、強奪される日本の知的財産
・中国発の豚コレラは、もはや「バイオテロ」?
・政府主導「留学生30万人計画」と「消えた留学生」
・ずさんな「改正入管法」は事実上の移民政策
在留外国人問題の核心とは、中国人問題なのである。
この問題から目をそむけ続ければ続けるほど、シロアリに屋台骨を食い尽くされた家屋のように、 日本は確実に終末を迎えていくことになる。 今、少なくない人が、わが国の置かれた危険な立ち位置に気づき始めている。ざわざわした嫌な予感は、いずれ目に見える脅威となって現われるだろう。そのとき慌てても遅いのである。ノアは、雨が降る前に箱船をつくったことを、 今いちど想起してほしい。──本書より
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佐々木さんは、このテーマで次々と本を出している。一読賛嘆ならぬ一読惨憺たる思いが募ってくる。
本当にそうかも不明だし、そうだとしても、メリットもあるだろうに、それを無視して全面的危機だとして地球温暖化を議論する暇があれば、地球非民主化の拡大を防ぎ(中共抑止)、国内においても、佐々木氏が指摘している「国家解体」を防ぐことに時間とお金を費やすべきだろう。こういう本を政治家なども読んで、対応を考えていくべきだろうに…。温暖化云々のデモをするヒマがあれば、中共糾弾のデモに参加するほうがはるかにマシだ。
「多文化共生」は「他文化強制」!?のコピーもいいね。
引続き、日高義樹氏の『ワシントン発シークレット・リポート 最新軍事情報&世界戦略 アメリカは中国を破産させる』 (悟空出版)と宮崎正弘氏の『チャイナチ 崩れゆく独裁国家中国』 (徳間書店)を読み進める。
日高さんは元NHK出身。帯にも「日米安保は消滅する」といった文字が躍っている。ネバーセイネバーだから、そういうこともありうるかもしれない。
宮崎さんは、世界各地を取材で訪れるジャーナリストならではのリアルなレポート。これも面白い。香港動乱は台湾、アジア、そして世界に飛び火し、中国を分裂に導くとの予言。これもありそうな未来図。
ウイグルの臓器収奪などを見るにつけ、21世紀のジェノサイドとはこのことかいな。習近平は21世紀のヒトラーだったと、後世の歴史教科書に書かれる可能性はかなり高いのではないか。しかし、そうはさせないためにも、早く叩くことが肝要だろう。ヒトラー同様、融和政策は厳禁。NATOは強い姿勢を打ち出すべきだが…。
日本も軍事力強化に務めるべきだ。無利子無記名の防衛国債が売られたら買うよ? 防衛宝くじでもいいけど? 100枚買えば、自衛隊音楽祭無料券1枚でもいい?
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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さらば東芝、こんにちわTBS? 脱「容共リベラル」企業には明日はある?
(2019・12・3・火曜日)
我が家には東芝という名の会社の電気製品は原則として存在しないことになっている。東芝(機械)のココム違反以来、この売国奴企業は、我が家のハードカレンシーを供与しない「反社会的存在」とみなしているから。この点、夫婦一致の見解である?
もちろん、うっかりミスで東芝製品を購入していることもあるかもしれない。まぁ、優柔不断、いや柔軟思考の持ち主だから、多少の逸脱は…。
同様に(?)TBSというテレビ局も我が家ではあまりチャンネルを点けることもなかった。土曜日か日曜日の夕方やっているニュース番組…。たまにチラリと見ることもあるが、つまらない解説やら取材レポートを短時間でも拝見拝聴すると、「アホかいな?」とつぶやくこともあった。日曜の朝やっている関口さんの番組も同様。見て聞いていると頭が悪くなる?
活字本なら、この欄で、懇切丁寧に解剖して「アホ」ということもできるが、テレビ番組…。いちいちビデオに録画して、反論するのも面倒臭い。
まぁ、見ないでいるのが一番なのがTBSかな。もちろんテレビ朝日の夜10時からやっているニュースショーもあまり見ることはない(これはまぁ、就寝時間のあとに放送されることが多いから、内容以前かな? 今晩はちょっと夜更かししているけど)。
でも、最近、夜、早めに帰宅した時、BSTBSを見ることがある。夜7時半からちょっとした討論番組をやっていて、日によっては、マトモなゲストが登場することがあるからだ(日曜朝の番組も稀に、多少はマシな人が一人か二人出ることがあるけど)。
BSTBSも、今夜は前統幕長の河野克俊さんに、木村太郎さんに、中国問題では極めてシャープな興梠一郎さんが出ているではないか(もう一人、TBS社員が出ていて、この人がマトモな人かどうかは未確認?)。
この時間帯はBSフジの8時からやっている討論番組を見ることが多かった(今夜は、同じようなテーマで3人の識者が登場していた)。いい意味で競争レベルの人選をBSTBSがしているようで、まぁ、TBSも地上波レベルでこの程度のマトモなゲストの登場する番組を放送すればいいのにねぇ。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
(2019・12・3・火曜日)
我が家には東芝という名の会社の電気製品は原則として存在しないことになっている。東芝(機械)のココム違反以来、この売国奴企業は、我が家のハードカレンシーを供与しない「反社会的存在」とみなしているから。この点、夫婦一致の見解である?
もちろん、うっかりミスで東芝製品を購入していることもあるかもしれない。まぁ、優柔不断、いや柔軟思考の持ち主だから、多少の逸脱は…。
同様に(?)TBSというテレビ局も我が家ではあまりチャンネルを点けることもなかった。土曜日か日曜日の夕方やっているニュース番組…。たまにチラリと見ることもあるが、つまらない解説やら取材レポートを短時間でも拝見拝聴すると、「アホかいな?」とつぶやくこともあった。日曜の朝やっている関口さんの番組も同様。見て聞いていると頭が悪くなる?
活字本なら、この欄で、懇切丁寧に解剖して「アホ」ということもできるが、テレビ番組…。いちいちビデオに録画して、反論するのも面倒臭い。
まぁ、見ないでいるのが一番なのがTBSかな。もちろんテレビ朝日の夜10時からやっているニュースショーもあまり見ることはない(これはまぁ、就寝時間のあとに放送されることが多いから、内容以前かな? 今晩はちょっと夜更かししているけど)。
でも、最近、夜、早めに帰宅した時、BSTBSを見ることがある。夜7時半からちょっとした討論番組をやっていて、日によっては、マトモなゲストが登場することがあるからだ(日曜朝の番組も稀に、多少はマシな人が一人か二人出ることがあるけど)。
BSTBSも、今夜は前統幕長の河野克俊さんに、木村太郎さんに、中国問題では極めてシャープな興梠一郎さんが出ているではないか(もう一人、TBS社員が出ていて、この人がマトモな人かどうかは未確認?)。
この時間帯はBSフジの8時からやっている討論番組を見ることが多かった(今夜は、同じようなテーマで3人の識者が登場していた)。いい意味で競争レベルの人選をBSTBSがしているようで、まぁ、TBSも地上波レベルでこの程度のマトモなゲストの登場する番組を放送すればいいのにねぇ。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
私(の目の前)を通りすぎた「首相」たちといえば、小学生の時の佐藤栄作から始まり~。『佐藤栄作日記』から中曽根康弘さんの『天地有情』、そして安倍首相の『美しい国へ』かな?
(2019・11・29・金曜日)
僕が物心ついた時の首相は佐藤栄作さんだった。小学生のころから…。引退記者会見で新聞は出て行け云々とやったのはリアルタイムでテレビニュースで見た記憶が残っている。首相の言う通りだよなと思ったものだ。
ウィキペディアだと、その記者会見は、1972年(昭和47年)6月17日だったという。中学2年の時か……。顔がよかったよね。男前。
その後の田中角栄内閣の拙速な日中国交回復はケシカランと思っていた。それに反対していた青嵐会を支持していたね。
そのあと、佐藤さんがノーベル平和賞を受賞した時、自民党以外の野党の多くは批判的(民社党はちょっと違う評価をしていたのでオヤっと思った)。
ともあれ、田中角栄以降、いろんな首相が登場した。僕は田中角栄嫌い故に、「敵の敵は味方」ではないけど、三木武夫さんは少し評価はした。バルカン政治家…。いいところもあったよね。
大平正芳首相は、見た目がちょっとなぁ…と。
中曽根康弘さんに関しては、ソ連に対して、日本は「大きい航空母艦」となる云々と発言した時は支持したかな(不沈空母は「誤訳」)。そのあとは……。ううむ…。
中曽根さんの「講演」などは何度か聞いたことがある。わりと淡々としゃべる感じだったか(首相を引退して以降に聞いたので、歳もあったのかもしれないが)。
本も何冊か読んだかな…。もう記憶に残っていない…。
『天地有情―五十年の戦後政治を語る』 (文藝春秋。聞き手、伊藤隆・佐藤誠三郎)が出た時、ご自身の達筆(書)によるカバー文字が、「天地有情」ではなく「大地有情」としか見えなかった記憶がある。
そのあともいろんな首相が登場し、今日の安倍晋三首相まで続いている。
佐藤栄作、中曽根康弘、安倍晋三の首相時代はそこそこの長さ。
佐藤さんは『佐藤栄作日記』 (朝日新聞社)は一応全部読んだ記憶がある。ほんとうのことはあまり書いていなかった? 週末鎌倉の別荘に行って、ゴルフをやっている話がよくあったかのように記憶しているぐらい。こちらの読む能力が低かったのかもしれない。
安倍氏の『美しい国へ』 (文春新書)も面白く読んだが…。
どんな人もいつか死ぬね。人生百年時代…。文字通り、101歳まで生きたものの晩年はあまり目にすることもなくなったけど…。
9条改憲に賛成投票をすることなく去っていった。
僕が元気に生きている間に、「国家主権」を不当に束縛し制限する9条の改憲案が提示され、賛否の投票を行なうことができるかどうか。
早く投票したいね。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
「偽善者」よりは「偽悪者」のほうがマシ。文在寅や習近平は21世紀のヒトラーと言って何が悪い?
(2019・11・29・金曜日)
百田尚樹氏の『偽善者たちへ』(新潮新書)を読んだ。
(こんな内容)→「薄っぺらい正義」を嗤う。 定見なきメディア、愚かな政治家、エセ人権派、厄介な隣国……。 彼らはどこまで本気なのだろうか。 都合のいい正義を振りかざし自省しないマスコミ、犯罪者をやたら擁護したがる人権派、隣国の横暴には見て見ぬふりをする輩たち、無責任な発言ばかり繰り返す野党議員……。
この国に蔓延する数多の「偽善」をぶった斬り! ベストセラー作家が日々のニュースに潜む「薄っぺらい正義」を笑い飛ばす、言論の銃弾109連射!
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メルマガで書いていた時事コラムをまとめたもの。少し時間が経過したものもあるが、まぁ、「容共リベラル」というか、小学生が振りかざすような理想論をいい歳した大人が声高に語っているけど、そうした幼稚な正議論を小気味よく皮肉り嘲笑し、大人の理論を展開している。
朝日新聞も、かつてのニューヨークタイムスのウィリアム・サファイアではないけど、月に一回でもいいから、百田さんや渡部昇一さんのコラムを一面に掲載するような英断をやればいいのにと。もう遅いだろうけど…。多様性、多用な価値観の尊重をいうなら、まず自らが始めればいいのに。
サクラを議論するのもいいだろうが、ホンコンも議論してもいいだろうに。日本もホンコン人権法をほぼ全会一致で成立させるぐらいの「議会力」はないのか。ホンコン弾圧を指図する人の日本国入国を禁止するといった規定があれば、習近平サンは国賓以前に訪日ができなくなるのだから。
中共・習近平らによるウイグル弾圧の実態がようやく明るみになりつつあるけど、文在寅の「反日種族主義」に基づく反日論にしても、これってヒトラーの反ユダヤ政策にも通じるものだろう。それ故に、文在寅や習近平は21世紀のヒトラーと言って何が悪い? これはヘイトでもなんでもない、事実に基づく批判でしかない。野党として反アベをやるなら、反キンペイもやったら?
日本がそんな内外政策を推進したらなんと言われることやら。日本のアイヌ政策やかつての植民地統治などとは比較にならぬ暴政ではないか。
偽善者たちへ--といえば、思い出すのが日垣隆さんの『敢闘言―さらば偽善者たち』 (文春文庫) 。こちらもおもしろかったなと記憶している(かなり昔の本なので、こまかい記憶は薄れているけど)。
両者の「偽善者」の定義は微妙に異なると思うけど、まぁ、「偽善者」よりは「偽悪者」になりたいと若いころは思っていたものだ。
日本で「偽悪者」になると、タカ派とか軍国主義者とか批判されることが多いようだが…。「容共リベラル」の偽善者になるよりはマシでは?
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
朝日新聞が推奨するスペイン「絵本(4冊)」も、偏った観点からの悪しき「洗脳教材」にならなければ幸いなり!
(2019・11・19・火曜日)
あかね書房から出ている絵本『民主主義は誰のもの?』『社会格差はどこから?』『独裁政治とは?』『女と男のちがいって?』を読んだ。スペインの絵本。2019・11・9朝日朝刊で下記のように紹介されていたので手にした。まぁ、朝日が推奨する絵本だから……?
民主主義や男女の違いなど、四つのテーマから社会のあり方を考えるスペインの絵本「あしたのための本」シリーズ(あかね書房)の日本語版が7月に発売されました。まだまだ生きやすいとは言えない世の中を、どう生きる? 4冊の本は問いかけます---とのこと。
そして、こうヨイショしている-----
シリーズは「民主主義は誰のもの?」「独裁政治とは?」「社会格差はどこから?」「女と男のちがいって?」の全4巻で、原作は1977、78年にスペインで刊行された。
「民主主義は、なにをしてあそんでもいい、自由時間のようなものだ」など、やさしく短い言葉でそれぞれのテーマを解説している。2015年に新たなイラストレーターが絵を手がけた新装版が出版され、その日本語版が発売された。
原作は、スペイン内戦(1936~39年)後に36年間続いたフランコ総統による軍部の独裁政権が終わり、民主化していく時期に刊行された。プランテルグループという3人からなる著者の消息は不明だが、翻訳した宇野和美さんは「内戦時代の厳しい言論統制を経て、社会が変わるんだ、というはじけた空気が絵本から伝わる」と話す。
民主主義と選挙、性別役割分担の意識、経済格差など、描かれる内容は驚くほど今の社会に通じている。各巻でイラストレーターが異なり、写真をコラージュした絵やユーモラスな表情の人々の絵など、個性豊かだ。
「女と男のちがいって?」の巻では、男女の違いは「体のつくりだけ」なのになぜ違いが出てくるのかについて、男の子は「勉強、勉強といわれる」、女の子は「勉強はできるし、なんにでもなれるのに、男の子ほど期待されない」など、淡々と男女平等を問う。
宇野さんは翻訳で言葉を選ぶにあたって、日本国憲法を参考にしたという。「本が伝える本質は、国民主権、基本的人権の尊重などの理念とつながっている。日本で子どもから大人まで腑(ふ)に落ちる表現にするため、憲法の言葉を意識しました」
日本語版の各巻末には、宇野重規・東大教授(政治思想史)や金野美奈子・東京女子大教授(社会学)ら識者のコラムも載せた。日本語版を企画した制作会社「本作り空 Sola」の檀上聖子さんは、「国や時間の壁を越えて問題を身近に感じてもらえるよう、今の社会を踏まえ、子どもに向けて伝える言葉を持つ方たちにお願いした」と狙いを説明する(以下略)。
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『民主主義は誰のもの?』(文・フランテルグループ。絵・マルタ・ピナ)は、本文内容はわりとフムフムと読めた。巻頭に訳者(宇野和美氏)のちょっと尊大な(?)お言葉があって、少し興ざめしないでもないが……。
というのも、この絵本の原作は40ほど前にスペインで出版されたものだが、 「ここに書かれていることは、いま、日本のわたしたちが考えたいことと、おどろくほどよくにている」と指摘している。
とはいえ、本に書かれていることはきわめて常識的なこと。いろんな考えの人たちが集まって「政党」を作り、投票をして、「みんなにえらばれた人が政府をつくり、つぎの選挙まで国をおさめていく」と。要は政党をつくったり、選ぶ自由が大事だということを指摘している。もっともだ。フランコが亡くなった直後のスペインや、太平洋戦争(大東亜戦争)で負けた直後の日本などなら、こういう初歩的な訓示(?)も多少は必要だったとはいえるかもしれないが…。いまの日本でそう言われても?
政党結社の自由はある意味では、戦前からあるわけだし、普通選挙も、男性なら戦前から認められている。いまさら、そんな初歩的なことを子供向けとはいえ、言われても?
しかも、この解説を書いているのが東大教授の宇野重規さん。
「自分たちの社会は自分たちできめる」と題して、いろいろと書いているが「現代の社会では、選挙を通じて、国民の代表者たちが国会で議論をかわすのが一般的です。それでもふつうの人びとが、日ごろから、社会のさまざまな問題について考え、意見をかわすことがたいせつです。そうでなければ、ほんとうの民主主義といえません」と。
しかし、香港や中共などを見れば分かるように、このレベルのところでは、自由に政党を結成することも自由に立候補することも未だに認められていない。「一般的」でない環境下に置かれている。
この絵本が書かれた1970年代後半のスペインの状況にも及ばない前段階に置かれている国々があるわけだ。
せめて、宇野先生も一言、「現代の社会では、選挙を通じて、国民の代表者たちが国会で議論をかわすのが一般的です」と書いたあとに、カッコでもして、 「現代の社会では、選挙を通じて、国民の代表者たちが国会で議論をかわすのが一般的です(しかし、まだそのレベルに達していない国が日本のお隣にあります。北朝鮮や中国やベトナムです)」とでも書かれるとよかったのに…。なぜ、そう書けないのだろう(書きたくないのかな?)。
宇野先生はこのエッセイの結語として「民主主義とは、自分たちの社会のことを、自分たちできめ、おこなっていくことを意味するのです」としている。
この文章のあとにもカッコして「民主主義とは、自分たちの社会のことを、自分たちできめ、おこなっていくことを意味するのです(しかし、香港や北朝鮮や中国のように自由な政党の結成もできないような国では、そんなことは選挙を通じて実現することができず、民衆の不満が爆発することもあるのです)」とでも書けば尚良かったのに…と思う。
書くスペースがなかった? いえいえ、そんなまさか? ラスト3行分は空白のまま。ここに加筆する余裕はありましたから。
ほかの本の日本語解説を書いている方々は、目一杯、書いていますが、宇野先生だけ、数行残していました。もったいない?(みっともない?)。
『独裁政治とは?』の解説は、朝日記事には名前が出てこないけど、佐藤卓己氏。こちらの解説はふむふむと。行数も最後までぎっしりと書いている。
『社会格差はどこから?』は、ちょっとステレオタイプな貧富の格差固定論に執着しすぎかなと。当時のスペインの国内事情はそうだったかもしれないが……。金持ちの子供は塾に行って、いい大学に入れる…といった前提のような図柄もあるけど、それほど単純なものではあるまいから。金持ちだって投機で失敗して没落することもあるし…。金持ちのバカ息子、バカ娘というのはいくらでもあるのだから。
『女と男のちがいって?』も、カトリック国家スペインは、当時、男女格差というか、役割に関しての固定的観念がかなり強かったから、縷々書かれていることも当時としては新鮮だったかもしれないが…。社会進出にあたって、制度的な男女差別がない今日では、もはや…という思いがする。
どちらかというと、こういう絵本は北朝鮮や中国やホンコンの子供向けに刊行されてこそ相応しいのではないかしら? もっとも、そこで、こんな本を訳出しようとしたら発禁になるかも?
言論出版の自由のある日本で、こういう本を出しても、さほどの感激感銘を与えることはできないかもしれない。
ともあれ、日本の子供たちも、しかし、こういう本を読むことはそれなりに意義はあるかもしれないが、言論出版の自由もなく、選挙に立候補する自由も政党結成の自由も満足に制度的に保証されていない国が隣国にあるということを知ることも肝要。そういう情報も加味しておけば尚よかったのでは?
せっかくの教材も、偏った観点からの「洗脳教材」にならなければ幸いなり。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!