古本虫がさまよう 共産主義
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たまたまNHKの「にっぽん紀行」「知られざる地上戦」「樺太・5000人の犠牲者」「なぜ?終戦後も戦闘が悲劇の7日間明らかに」を見てしまったが…。やはりNHKは「歴史の証人の証言」を「捏造」していた?
(2017・8・14・月曜日)





今日(月曜日)は、まだまだ世間が「お盆休み」だったせいか、行き来の通勤電車も空いていた。いつもこれぐらいの「密度」ならいいのに。もしかして、マナーの悪いタバコ飲みとか、「スマ歩」をするバカとかを「間引き」するとこのぐらいになるのかしら? 待機児童ゼロも実現? 災い転じて福となる?

早めに帰宅してNHKの夜7時のニュースが終ると、 「にっぽん紀行」という番組が始まった。時々、夜7時のニュースが終ったあと、タモリとか鶴瓶が出てきて、まぁ、なんともいえない、「知名度」に依拠しただけのブラブラ歩きの番組が流れてくることがある。少々見ては、あぁ、つまらないなとチャンネルを替えることが時々あった。

本日も、ニュースが終ると「にっぽん紀行」なる番組が始まった。泉谷しげるさんがご登場。あぁ、これも、タモリやら鶴瓶の番組と同様の、人気タレントに依拠した番組かなと。ちょっと見ていると、いやいや、タモリ、鶴瓶番組とは一味違うかなと。ついつい見てしまう。泉谷さんも冒頭登場するが、あとはナレーターに徹していた。こんな内容(「自転車販売ケーキ職人・被災地・熊本を走る」)。


荷台にパウンドケーキの山を積んだ赤い自転車が熊本の町を走る。新本高志さん62歳、30年前から自転車を走らせ、阿蘇の山や天草の島々までケーキを売り歩いてきた。去年、熊本を襲った大地震、なじみの客の多くが被災、消息が途絶えた人もいる。「今こそ元気を届けて、自分を育ててくれた人々に恩返しをしたい」。汗びっしょりでペダルを踏む夏。ケーキ職人とお客さんとの触れ合いのドラマを追う。案内人:泉谷しげる

僕より少し年上だが、結婚して33年とか。それは我が結婚暦と「同年」。それもあってか、最後まで見てしまった。まぁ、感動ドラマ風な、いつものNHKならではの手法もあるのかもしれないが、疑り深い、僕のような人間でさえ、おぬし頑張っているな…と感銘を受けた次第。

それが終ったあと、午後8時から、樺太の悲劇を扱った番組が始まった。
題して「知られざる地上戦」「樺太・5000人の犠牲者」「なぜ?終戦後も戦闘が悲劇の7日間明らかに」

停電やらで、「終戦」の連絡が現地に届かず、日本軍が8・15以降、先に発砲した事実があった云々との出だしは、NHKらしい「中立性」かなと思ったが……。あと、なんかソ連軍より日本軍が「非道」だといわんばかりの構成…。そのために、ソ連軍の前に置き去りにされた邦人たちという構成。辛うじて、日本人女性を強姦したソ連兵がいたとの証言をするソ連元兵士もいたが、それも日本軍が邦人を見捨てたからいけない? 有名な真岡郵便局の悲劇(氷雪の門)も辛うじて触れているけど、

それにしても、90歳になっても、元気に当時の状況を証言する人がいるのには驚き。よくぞ生き残ったものよと。
この番組、かつての「台湾番組」同様、NHK関係者の「切り貼り」「作為」がなければいいけど? いやいや、きっとNHKなら、そういうことをやっているのでは? あの台湾番組、冒頭、たまたま見ていたけど、あまりの非常識なスタートに、唖然として、チャンネルを変えたものだ。あれ以降、NHKスペシャルめいた「教養番組」は見ないように心がけているが…。

しかし、この番組、聞き間違いでないと思うけど、 「ロスケ」と証言する日本人女性がいたのに、字幕ではなぜか「ロシア人」。捏造、言い換えがお得意なNHKならではの対応? 「ピー」という音もならず?
それにつけても、沖縄だけが「地上戦」じゃない事実を知った人もいたのでは?
相手がソ連だと、急に批判のトーンが落ちるのもどうかと思うが…。登場したコメンティターは保阪正康さん。無難な人選ではあるが、新潮選書から『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』を出した長勢了治さんでも良かったのでは?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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『戦争をよむ 70冊の小説案内』以外の本で、「戦争を読む」という姿勢が、より大事になるだろう(2017・8・7・月曜日)





中川成美氏の『戦争をよむ 70冊の小説案内』 (岩波新書)を読んだ。

内容紹介→克明な心理描写をまじえて戦争と人間の真実に分け入る小説作品は、戦争のリアルを伝える大切な語り部だ。物語のなかに封じ込められた、戦時下を生きる人びとの細やかな感覚と日々の葛藤と苦しみ、そして悲しみ。記憶の風化とともに失われていく、かつての時代の手がかりを求めて、戦争の文学を再読する。
目次はこんな感じ。
第1章 戦時風景 第2章 女性たちの戦争 第3章 植民地に起こった戦争は―
第4章 周縁に生きる 第5章 戦争責任を問う 終章 いまここにある戦争


なんとなく…進歩的文化人系の「戦争批判本」の感想文かなと。一種の書評本だから、いろんな本が紹介されていれば、何からの参考になるかと思い読了。あぁ、あの左翼系の女流文学者は、そんなノーテンキな戦争風刺未来小説を書き遺したのか…。つまらなそう…と感じたりもして、その意味では、いろいろと参考になった?

ただ、サブタイトルに「小説案内」と出ているが、山田風太郎氏の『戦中派不戦日記』 (講談社文庫)なども出てくる。ノンフィクションものも扱っているようだ。スペイン内戦がらみでロルカの『ジプシー讃歌』 (平凡社)などを紹介もしている。まぁ、スペイン内戦なら、オーウェルの『カタロニア讃歌』 (ハヤカワ文庫ほか)や、ウィリアム・ヘリックの『スペインに死す』 (角川文庫)や、バレンティン・ゴンザレスの『農民英雄』 (二つの世界社)などを紹介してもいいだろうに……。バーネット・ボロテンの『スペイン内戦 革命と反革命 上下』『スペイン革命 全歴史』 (晶文社)やアントニー・ビーヴァーの『スペイン内戦 上下』 (みすず書房)もいいだろうが…。

一般論としていうが、共産党を讃美しない「戦争本」は、イデオロギー的にマズイから紹介したくないという人は世の中にまだいるのかもしれない。

しかし、トランプ政権が誕生して脚光を浴びている(?)オーウェルの『1984』に関して、典型的な進歩的文化人的解釈をしているのには失笑した。

「いま世界を吹き荒れる反知性主義やネオ・リベラリズム、極右勢力の台頭のなかに、このオーウェルの『一九八四年』を置くと、この作品はまるで今を描写したかと思うほどに生々しい。第二次大戦の戦後処理もおぼつかない一九八四年に執筆されたこの作品が、すでに全体主義的な抑圧に満ちた未来を構想したこと自体に、戦争がオーウェルに与えた不信の根の深さを看取することができる」

「反知性主義」「全体主義」のなかに、北朝鮮の独裁者の行動などが入っているのだろうか?(多分、著者の頭のなかには入っていないのでは?)。「極右勢力」とはルペンやトランプなどのこと? 少なくとも「選挙」の結果を尊重し、暴力的な活動を展開はしていない。
ネオ・リベラリズム…? あくまでも経済政策の一つとしての理念。それを「1984」的に危険なものとみなすのは、かなり「容共」的な人の「反知性主義」的思考力による「想像」でしかあるまい。

ネオ・リベラリズムが危険なら、マルクス経済学だって、かなり単細胞的な危険思想とみなすことも可能だろう。ソ連のほうがいいなんて言っていたマル系の大内兵衛のほうが「反知性主義」的ではないか?(岩波書店は、彼の『社会主義はどういう現実か』を是非「名著(迷著!)復刊」してほしいものだ?)。

そもそも中川氏は、なぜ、オーウェルのもうひとつの名作『動物農場』をとりあげないのだろう。この小説を原作としたアニメ映画が日本でも公開された時、これは日本の格差社会を描いたものだと牽強付会な解釈を上映元がいろいろと論じたが、さすがに説得力はなかった。バカも休み休みに言えと。山際澄夫氏が「諸君!」(2009年3月号)のエッセイ「エッ、「日本は『動物農場』」だって? 宮崎駿監督、どさくさ紛れの嘘八百はやめてください 」にて的確に批判していたものだった。

一時はオーウェルの『1984』は監視カメラなどの監視社会を批判したものはいう向きもあったが、監視カメラが犯人逮捕に貢献している事実が報道されると、これを悪玉にみなす向きも弱体化してきたようだ。そしてトランプ政権が誕生すると、『1984』は…と版元(早川書房)まで、はやし立てているが、あんなに悪口を言われている「独裁者」がいるだろうか? 『1984』にニューヨークタイムスやCNNがあるのだろうか? 公然と批判されている「ビッグブラザー」がいるだろうか?

どう考えても、「ビッグブラザー」に匹敵するのは、金正恩や習近平だろう。そういう簡単な事実を、進歩的文化人やメディアは決して指摘しようとしていない。これほどひどい知的不誠実、反知性主義はあるまい。

中国ではこの前、ポスト習近平ともいわれていた孫政才が突如として失脚した。すると、こんな光景が生じる。

2017・7・23毎日新聞記事によるとこうだ。

見出し→ 「孫氏色 消える重慶」「習氏と写る記事『はがされた』」「失脚」「口コミで広がる」

「孫氏が提唱した都市計画のスローガンも撤去の憂き目に遭っている」「五大功能区域発展戦略の看板が外され、共産党による改革をうたうものに替わった。中国では失脚した政治家の業績を否定する動きが表面化することは少なくなく、2012年に薄煕来・元重慶市書記(収賄罪などで服役中)が失脚した際も、同氏の提唱したスローガンが一斉に撤去された」「市民には戸惑いが広がっている。ホテル従業員の男性は『誰も孫氏の話をしなくなった。みんなが何かを怖がっている』と話した」

そう、こういう業績の突然の否定、情報ゼロのなかでの「恐怖」の発生拡大…これこそが全体主義政治の特徴だ。
トランプ政権下でも高官が突然辞任したり解任されたりするが、こういう不自然な失脚はめったにあるまい。この違いをきちんと認識するだけの思考力というか知性のない人が、オーウェルの『1984』を歪曲して、単細胞的に、自由世界に向けて、「いま世界を吹き荒れる反知性主義やネオ・リベラリズム、極右勢力の台頭のなかに、このオーウェルの『一九八四年』を置くと、この作品はまるで今を描写したかと思うほどに生々しい」と平気の平左で綴ったりするのだ。冗談もほどほどに?

オーウェル曰く→ 「全体主義は、事実上神政国家であって、その支配階層が地位を保つためには無謬であると思われる必要がある」「方針の大転換は、そのつどそれに見合った理論の改変と史上の主要人物に対する評価の変更とを要求する。この種のことはどこでも生じるけれども、その時々でひとつの見解しか許されない社会においては、徹底的な偽造を生みがちである」「全体主義は、過去の継続的な変更と、結局はおそらく客観的真実の存在そのものの否定とを要求する」(『オーウェル著作集Ⅳ』 平凡社)。

だからこそ、習近平と孫政才とが仲良く「写る記事(写真)」は「はがされた」りするのである。

毎日の記事→ 「港で拡張工事に従事する作業員らによると、17日に作業小屋に貼られていた地元紙の切り抜きがはがされた。記事は昨年1月5日付け。内陸部の国際物流拠点として整備が進む港を習近平国家主席が視察し『ここには大きな希望がある』とたたえたことを報じた。記事に添えられた写真には習氏のそばに立つ孫氏の姿。『上司が急いではがしていたのが不思議だった』と作業員の一人は振り返る」「地元では『習氏と孫氏のつながりを否定し、孫氏の業績を打ち消す狙いではないか』との見方もある」

そう、「主要人物に対する評価の変更」が頻繁に、陰湿に起こるのが全体主義国家の特徴なのだ。

『1984』を容共リベラルな人々が、いかに我田引水しようとて、オーウェルの執筆意図はここにある。
トランプ政権だって、政権内部の人間が解任され、官僚がクビになったりしているが、こういう運命に遭遇している幹部がいるだろうか?  もちろん、汚職やらなんやらが本当にあったならばアメリカとて逮捕されるだろうが、こういった水に落ちた犬を叩くようなことはふつうはできない?

この「格差」が、民主主義社会と全体主義社会の違いなのに、「五十歩百歩」とみなすどころか、全体主義社会の『1984』的世界を無視して、民主主義社会の若干の統制などをことさら批判するのは、オツムの構造がかなり偏っているというしかあるまい。

アラン・ジョベールの『歴史写真のトリック 政治権力と情報操作』 (朝日新聞社)は、共産主義者やファシストなどがよくやる手--写真偽造の事実を解きあかした本だ。こういうことをするのが全体主義であり、左翼全体主義(共産主義)と右翼全体主義(ファシズム)とは共通する思想行動様式を持っているのだ。『1984』は、そういう左右の全体主義体制(共産主義&ファシズム)を批判告発したものであり、現在程度の自由世界のひずみをことさら、それに当てはめようとするのは---現在進行形の全体主義国家体制が隣国(北朝鮮・中国)で存在しているのに---愚かなトリックというしかあるまい。

中川氏はほかにも慰安婦問題の本も取り上げているが、伊藤桂一氏の『兵隊たちの陸軍史』 (新潮文庫)なども紹介するぐらいの余裕があればなおよかったかも?

リリアン・ヘルマンの『眠れない時代』 (ちくま文庫)を紹介する際に、 「マッカーシズムと名付けられた狂信的な反共主義は、中世の魔女狩りをもじって『赤狩り』と呼ばれた。ソ連邦、またそこに呼応する社会主義陣営への漠然とした恐れは、やがて朝鮮戦争、ベトナム戦争を惹起し、対抗するソ連では東欧やアフリカ諸国の混乱を生み出した」と書いている。

この筆致って、朝鮮戦争を惹起(侵攻?)したのはアメリカのほう、ソ連などは「対抗」した(自衛戦争?)とも読めるけど?

ベトナム戦争とて、所詮は北ベトナムによる南への侵入に対抗してのものという見方が十分成立するが(ベトコンは所詮は北ベトナムの傀儡)、ともあれ、朝鮮戦争が北朝鮮からの侵攻であったと、この人は認識していないのではないか?

また、ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレアの『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』 (PHP研究所)も知らないのだろうか? マッカーシーの反共主義を「狂信的」とみなすのは間違いだというのはもはや常識以前だろう。狂信的というのは、北朝鮮の核実験を自ら礼賛する金正恩や、その支配下で従属させられている軍人や民衆の全面的礼賛状況を指す言葉が一番ふさわしいものであるという、簡単な事実をこの人は認識することができないのだろうか。少なくともこの岩波新書の中に、北朝鮮や中国のことを、知性主義的に論じている箇所は見当たらない。

なにをもって反知性主義というのか? 全体主義的統治の典型例がすぐ身近にあるのに、それをそうだと認識できない「容共リベラル」ほど、反知性主義的な存在はあるまい。夏休みの課題図書として、日教組の先生方が、こういう岩波本を指定するかもしれないが、この本を読んだあとには、井沢元彦氏の小説、 『日本が「人民共和国」になる日』 (ワック)や、古森義久氏の『戦争がイヤなら憲法を変えなさい 米中対決と日本』 (飛鳥新社)などをひもとくと精神的バランスが回復されていいかも。食事と同じで、読書もバランスよく…?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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重厚長大・高価格本の、この十冊を夏休み(八月中)に読破せよ!?――と言われたらどうする? それにつけても北朝鮮に憑かれた進歩的文化人たちの甘言には唖然!
(2017・8・1・火曜日)





気がつけば8月ではないか。世間は、夏休みの季節では? こちらは、毎朝夜明け前に(いまの季節、夜明けは午前4時半前後かな?)早起きしては仕事の書類を読みこなす日々。積んどく本はたまる一方だが、来週は3連休もあるし、なんとか重厚長大な本を読まなければ…と。

ということで、毎回、春休みや冬休みや夏休み前に「読書計画表」を作っているのだが…。

この夏、読むべき重厚長大(&高価格)本(原則として活字ギッシリで400頁を超える本。まれにそれだけの頁数がなくとも、タイトルからして難しそう(?)な本や、お値段が5000円超える)のリスト10冊は以下の通り。少なくとも8月一杯でこの本十冊は読み終えることを目標にしたい……ものだが。

①本澤信宏氏の『全裸監督 村西とおる伝』 (太田出版)
②川村伸秀氏の『斎藤昌三 書痴の肖像』 (晶文社)
③ウェンディ・ブラウンの『いかにして民主主義は失われていくのか 新自由主義の見えざる攻撃』 (みすず書房)
④クロード・ルフォールの『民主主義の発明 全体主義の限界』 (勁草書房)
⑤スコット・セーガン&ケネス・ウォルツの『核兵器の拡散 終わりなき論争』 (勁草書房)
⑥吉岡栄一氏の『開高健の文学世界 交錯するオーウェルの影』 (アルファベータブックス)
⑦⑧ヘンリー・L.スティムソンの『ヘンリー・スティムソン回顧録上下』 (国書刊行会)
⑨ヴィクター・セベスチェンの『東欧革命1989:ソ連帝国の崩壊』 (白水社)
⑩伊藤亜人氏の『北朝鮮人民の生活』 (弘文堂)


ともあれ、昨日(2017・7・31)の東京新聞朝刊に掲載されたジャーナリスト(浅野健一氏)の北朝鮮訪問を伝える記事には笑った。見出しは「スマホいじる若者平穏な空気」「1回目のICBM発射後 浅野健一氏が見た北朝鮮は…」等々。


「(出迎えの関係者が「皆さんは歴史的な日に来た。これで米国はわが国に先制攻撃できなくなった」と語るのをみて)「自信満々の笑顔が印象に残った」とのことで、「スマホをいじる中学生やカラフルな日傘を差す女性の姿も見られた」と報じている。

浅野氏曰く----
「北朝鮮はたしかに人権侵害などの問題はあるが、隣国の日本が何もしなければ、ますます閉鎖的になるだろう。首相も『サリンを弾頭に付けて着弾させる能力がある可能性がある』などと危機をあおるのではなく対話の道を探るべきだ」
「日本との国交も正常化すれば、民主化の流れが進むだろう。そうなれば金正恩体制も自然と変わらざるを得なくなり、軟化する可能性もある」


そのほか、北朝鮮当局者の、尊大な一方的なコメント(「日本は植民地支配の歴史的清算をしないまま、わが共和国が打ち上げた衛星について騒ぎ立て、言い掛かり的な制裁措置を取っている」「制裁措置が解除されて初めて、対話の条件が整う」)や、博物館の女性ガイドの「人民たちに数え切れない苦痛を与えた日本政府には良い感情を抱けないが、平和的な日本国民に反感はない」といったワンパターンの言葉を紹介している。

何の批判的な視点もないままの垂れ流し報道。やれやれ?

おかしな記事を読んだあとは、まずは伊藤亜人氏の『北朝鮮人民の生活』を読もうか。

内容紹介→ニュースには現れない北朝鮮の「見えない人びと」はいったいどのように暮らしているか。その疑問に果敢に挑んだのが50年近く韓国研究に打ち込む文化人類学者。フィールドワークが出来ない北朝鮮で人類学的研究をするために取った方法は、脱北者に自らの「北」での経験を綴らせた手記をフィールドノートの代わりにすること。その数は450編に及んだ。国際政治で話題に上がる割に内部の状況が分からない北朝鮮社会は、社会主義公式体制を維持するために膨大な非公式経済によって支えられている実態を確かな情報に基づいて解明する。


「ポチョムキン村」的なハリボテを見て、浅野さんのように感じるのも「言論の自由」の一つだろうが、そういった表面的な観察ではなく、学問的にも北朝鮮人民の生活を注視した人のコメントのほうがマシではないか。もちろん厳しい状況下であっても、それなりの庶民の知恵やら生活はあって、なるほどと思えるところもあるだろう。しかし、脱北者の手記からは、やはり、かなり異常な北朝鮮の実態も伝わってくる。
パラパラとめくる。

平壌は特別な空間とされていて、北朝鮮を訪問する人は平壌を見て評価するので、平壌には精神的にも肉体的にも元気な人だけが住むようにしなくてはならないという独裁者の方針から、平壌市内には障害者が住むことができなくなり、家族の中に一人でも障害者がいれば原則として家族全員が地方に追放されるという。おやおや…。恐ろしい反福祉国家があったものだ。しかし、かえって、平壌に住むより追放された田舎のほうが心身ともに楽になれたりもするという。

万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄の如し……ということか。生きている限りは、まぁ幸せになりうる…。
とはいえ、北朝鮮や中国という「ビッグブラザー」が君臨する「地」に生まれなくてよかったとは思う。
寺尾五郎氏(『三十八度線の北』新日本出版社-の著者)や小田実氏(『私と朝鮮』筑摩書房『北朝鮮のひとびと』潮出版社の著者)に、こういう本を読ませたかった?

それにしても、稲垣武さん(故人)の『北朝鮮に憑かれた人々―政治家、文化人、メディアは何を語ったか 』 ( PHP研究所)は、まだまだ「増補」可能。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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殖田俊吉と前川喜平の二人は、近衛文麿と安倍晋三への私怨を晴らし、日本の改革推進を潰し、「暴政」を招き「日本を『人民共和国』にする」つもりなのか?
(2017・7・26・水曜日)




鳥居民氏の『近衛文麿「黙」して死す』 (草思社文庫)を読んだ。
これ、単行本でも一読していたはずだが…。
ふと、手にして、面白いので文庫版で再読した次第(といっても、単行本で読んだのはもう何年も前のこと。ほとんど読後感は消滅)。いい意味で、大胆な推理と想像力をもってして、木戸幸一とノーマンと都留重人を基本的に「悪者」にして叩いている。近衛が、戦後復活しようとしたのを阻止したのがこの面々だと。 「木戸・ノーマン」史観とも名づけている。

憲法の制定過程について、大学で憲法の授業を受けた時、近衛がマッカーサーから改憲案を作れとの指示を受けながら、突如として冷遇されて挙げ句の果てには「戦犯」になって「自殺」してしまうといったエピソードは数行程度、憲法の教科書にも出ているが、その背後にあった権力闘争の裏舞台が、本書で描ききられているといえようか。

近衛さんに関しては、いろいろな見方があり、さて、どれが正しいものか、素人の僕にはよく分からない。「近衛上奏文」を評価すべきか、いなかは……。

新谷卓氏の『終戦と近衛上奏文  アジア・太平洋戦争と共産主義陰謀説』 (彩流社)や、中川八洋氏の 『近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』 (PHP研究所)や、山口富永氏の『近衛上奏文と皇道派 告発 コミンテルンの戦争責任』 (国民新聞社)なども一読したが、著者それぞれの独特の史観、視点があり…。

近衛は、権力志向が強く、天皇さえ、そのために利用した機会主義者だったのか? 容共リベラルで、風見章のような戦後は左派社会党に行くような人間の本性を見破ることもできずに要職に起用したのは愚鈍だったからなのか? 尾崎秀実に依拠したのはどの程度だったのか? まぁ、彼が消えたおかげで、吉田茂が台頭したのは不幸中の幸いだったのか?

ともあれ、ノーマンという共産主義者で事実上、ソ連のために動いていた男のために、日本の歴史はかなり悪い方向に動かされたといってよいだろう。彼の作った戦犯リストは、すでに死亡していた右翼団体のメンバーだったりしたそうで、いささか観念的すぎていた。

伊沢多喜男という、近衛や吉田茂とともに戦争終結の工作に協力して陸軍に監禁もされていた政治家がいたが、ノーマンは彼を手厳しく批判している。そのマイナス情報元は殖田俊吉だった。その殖田が、伊沢を非難攻撃するのには、ある理由があったという。ちなみに伊沢の次男が劇作家の飯沢匡さんだったとのことで、彼がこう書いているとのこと。

「アメリカの史学家ハーバート・ノーマンが、父のことをかなり間違って書いているが、資料を提供した人物が、のちに詐欺罪で逮捕されるような信用できぬ人なので私は不思議に思っていた。調べると父が台湾総督時代、部下に居た人で父によって馘首になった経歴の人物で見事に私怨を晴らしたのである」(飯沢匡「父を通しての昭和」『波』新潮社 昭和63年6月号)。
鳥居さんは、この引用のあと、飯沢の勘違いを指摘する(「父が台湾総督時代」と記しているが、これは誤りだ。伊沢多喜男が台湾総督だったのは大正十三年から十五年のことであり、殖田俊吉が台湾総督府に殖産局長として在任したのは昭和六年から八年のあいだだった」)。

それはさておくとして、二大政党(政友会と民政党)の争いが最高潮の時、殖田が東大の銀時計で大蔵省に入ったにもかかわらず、総督府の一局長に飛ばされたそうで、それは政争に巻き込まれてのことだったと指摘し、

「殖田がなにをしでかしたのかはわからないが、総務長官、平塚と衝突した。平塚は総督と協議するより先に、東京の伊沢に指示を仰いだのであろう。殖田が台湾総督府から満洲の関東庁財務局長に転出したのが昭和八年九月だった。殖田は転任すると同時に退官した。殖産局長で免職という露骨な形を避けたのである」「それから十二年あと、殖田は見事に『私怨を晴らした』」「ノーマンは伊沢多喜男が政界で活動できないようにした。伊沢は公職追放となった。憲政の道を歩む信念を持ちつづけてきたと自負していたかれは、自分の追放を理不尽だと怒り、承服しなかった。かれは自分を陥れたのが殖田俊吉だと気づいていたであろうか」「ノーマンは殖田から話を聞くまで、伊沢多喜男の名前を知らなかったにちがいない」「ノーマンに向かって、近衛の生き方と気質を悪しざまに罵ることにはじまり、かれこそが戦争犯罪人だと告げた人物、近衛が『やられた』と言って顔を思い浮かべた人物、そのもうひとりの『殖田俊吉』は近衛文麿にどのような『私怨』を抱いていたのであろうか」

この一節を読み、すぐに自民党と民進党の政争が最高潮のいま、天下り斡旋などの職務違反の「罪」で事実上、馘首された前川喜平・前文部科学次官は今年の一月に辞めてから、十二年どころか一年足らずで「私怨を晴らした」「前川は安倍晋三などが政界で活動できないように」しようとしているといえようか。

殖田俊吉と前川喜平の二人は、諸悪の根源か?

 「近衛の政治復活を阻止しようとして、都留とノーマンはあらゆる繋がり、結びつきを利用し、近衛に総攻撃をかけ、アメリカの新聞に徹底した近衛批判を載せさせた。その上で近衛文麿を模擬裁判に引きずりだす。その裁判で九月六日の御前会議こそが戦争決定の会議だったとしてかれを告発する。九月六日に戦争するとお前が決めたのだと面詰して、戦争犯罪人だときめつける」……。

平成の都留とノーマンは?  「朝日新聞に徹底した安倍批判を載せさせた」のは間違いなく前川でしょう。

ともあれ、以前、読んだ井沢元彦氏の『「日本」人民共和国』 (光文社)が、改題増補されて復刊されたようだ。昨日寄った有楽町三省堂(二階)の新書コーナーに山積みされていた(『日本が「人民共和国」になる日』WAC BUNKO ワック)。帯に『カエルの楽園』 (新潮社)の著者・百田尚樹さんの「傑作だ! こんな面白い本が出ていたとは不覚にも知らなかった」とある。

今にして思えば、戦後の混乱時、共産党や左派社会党が政権を取るチャンスはなきにしもあらずだった。60年安保の時も、井沢さんの本にあるように、一歩間違えれば(ハガチーが殺害され安保が改定されず破棄されたとしたら)社会党&共産党政権が樹立され、今の北朝鮮のような政治体制になっていたかもしれない。

そして、いま、憲法9条を少しはまともなものに改正するということにチャレンジしようとする 安倍政権の動きを停止するために躍起となっている一部報道を見るにつけ、日本が「人民共和国」にならなければいいが…と。

たまたまティモシー・スナイダーの『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』 (慶應義塾大学出版会)を読み出したところ。スナイダーは左右の全体主義を等しく批判する人だと思っている。トニー・ジャットに似ているかと。

20のレッスンは「1 忖度による服従はするな」から始まる。「3 一党独裁国家に気をつけよ」まで読んだところ。レッスン3では、共産主義者(&ファシスト)による「サラミ戦術」のことも出てくる。サラミは美味しいが、サラミ戦術ほど怖いものはあるまい。この本はいろんな立場の人から、つまみ食いされて「我田引水」されるかもしれないが…。なるべく正しく読みたいものだ。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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渡部昇一さんは上智大学で編集されていた『カトリックダイジェスト』を読んだことがあっただろうか?
(2017・7・23・日曜日)





昨日(土曜日)も、朝早く起きて「数時間」自宅で仕事(書類整理)。ううむ、本を読む時間が減る?

ともあれ、「一仕事」を終えて、神田の東京古書会館へ。
特に買いたい本はないな…と思っていたら、 「カトリックダイジェスト」という雑誌が目に止まった。隣に「リーダーズ・ダイジェスト」もある。並んで置かれていた。「リーダイ」はもちろん知っている。学生時代、時々購読もしていたし、古いものは古本市などで何冊か購入している。しかし、「カトリック・ダイジェスト」は初めて見た(と思う)。

何十冊もあったが、一冊500円(税込み)と強気の価格? なので三冊のみ購入。発行所は小峰書店。120頁ぐらい。編集所は上智大学内となっている(のもあった)。カトリックだから上智大学というのはわかる。「上智大学学生募集」という広告も出ている。小学館の「小学一年生」等々の広告も。編集内容は完全に「反共リベラル」だ。その点はリーダイと同じかも。

1950年2月号の巻頭エッセイは「カティンの森の悲劇」(ユージーヌ・ライオンズ)だ。さらには、反ソ反ナチのマルガレーテ・ブーバー・ノイマンの「シベリアの女囚」が掲載されているではないか。

彼女のここでの「証言」はのちに本にもなっている。マルガレーテ(マーガレーテと表記のことも)・ブーバー=ノイマンの『スターリンとヒットラーの軛のもとで』 (ミネルヴァ書房)として。ナチスとスターリンの双方の強制収容所で辛酸をなめた体験者でないと語れない「事実」が書かれていた。ミネルヴァは最近の翻訳だが、この本はかつて1954年に『第三の平和 2冊本』 (マーガレーテ・ブーバー・ノイマン名義)で 共同出版社から刊行されていた。古本市で購入し一読していた。「共産主義=ファシズム」を証明する歴史的名著だ。彼女のエッセイがいち早く紹介されていたとは、『カトリックダイジェスト』はただものではない?

1951年2月号の巻頭エッセイは「ソ連における日本人捕虜の実相」(連合軍総司令部提供)だ。

1949年5月号には「ソ連はハンガリーを『解放』してくれた」(フェレンツ・ナヒー)が掲載されている。解放してくれたというのは「解放」(カギカッコ入り)だから、もちろん文字通りの意味ではない。

「ソ連占領軍が如何に野蛮であつたか。それは何千というハンガリーの男が、ロシヤの女兵士によつて不倫行為を強いられたという事実によつて、最も明かである」「ロシヤの女達は隊をなして、近在の村々に出没し、男達を誘拐し、時には、数日にわたつて帰さないこともあつた」とのこと。ううむ、普通は男の兵士が占領地の女性を襲うもの。満洲などではそういう悲劇が日本人女性を襲った。しかし、ソ連は男どころか女も「強姦」するのか? アナ恐ロシヤである。もっとも、襲ってくる女兵士がシャラポワさんクラスなら喜んで? だが、きっとデブデブおばさん兵士なんだろうなぁ。

ともあれ、こういう古雑誌と出会えるのも古本市の面白さ。一冊100円ぐらいなら、全部買ったのだが…。この前亡くなった渡部昇一さんは、上智大学出身だから、こういう雑誌もひもといていたのでは? 目次を見る限り、そういう反共リベラル的エッセイは一部分。それ以外は一般的な記事も掲載されている。

古本屋街に行く暇もなく、高円寺へ。古書会館では、豊田耕治氏の『戦争は無かった』 (日中出版)を購入。同じ高円寺の「座・高円寺エントランスホール」で古本市をやっていたが、そこまで歩く気力もでてこないぐらいの「猛暑」だった。いやはや暑い。

その後、品川近くで所要を終えて、そこから「上野ナントカライン」で我孫子へ一直線。品川発の土浦方面行きって、一時間に二本程度。これでは…。もう少し増やせないものか?

我孫子駅のホームの弥生軒へ。なんと一軒は改築工事で閉鎖。ホームに三軒あるが、二軒に減っていた。立ち食い蕎麦屋で薄いかき揚げを載せて400円前後のかき揚げ蕎麦屋が多いが、ここの唐揚げ蕎麦(一個入り)は400円(税込み)。この唐揚げ一個で、やよい軒のミニ唐揚げ(180円)より大きいから値打ちもの。まずは食事(水の冷え具合はまぁまぁかな?)。

そのあと、柏へ。ともあれ、柏マルイの古本市へ。やはり昨日からスタートしていた。会場は思ったより広い。午後とはいえ初日にしては、客は少なかった。十人程度?  映画ポスターやら文庫やらいろいろと。外税というのがちょっとなぁ?であったが。一見の価値あり。それにしてもこの古本市の目録が8月に出来るというのがよくわからない?

『歴史に生きる 鈴木正四 一コミュニストとして歩んだ戦前・戦中・戦後』 (中央公論事業出版)が1000円(税抜き)。これを手にして、購入しようと思ったが、なんとなく持っているような感じがして手を出さず(帰宅して本欄を検索したら購入していた)。

結局なにも買わずに退散。そのあと、ブックオフを見るが買いたいものはなし。

柏は、昔は東口、西口双方に古本屋がそれぞれ2~3軒ぐらいあった。しかし、いまや店舗としてやっているのは大平書林だけか。そこにも立ち寄る。大晦日もやっている古本屋だったが、7月から月曜日を定休日にしますとの張り紙があった。無理もない?

ここでも買いたいものはなし。

ということで柏を退散し、都内へ。ゴソゴソと雑用をこなして帰宅。それにしても暑い一日。冷凍水でナントカもった。JR東日本の割高自動販売機の飲み物のお世話にもならずにすんだ。古本屋代金は2000円弱。これで日中楽しめたのは幸い。ありふれた電車に乗っただけだが…。南柏と本八幡では駅前で盆踊り大会か何かをやっていたようだ。

古女房は週末ギャンブル、家人は京都へサッカー観戦の日帰り。「赤福」がお土産(本日が賞味期限)。

車中、杉崎行恭氏の『廃線駅舎を歩く あの日見た駅の名は』 (交通新聞社)を読んだ。

内容紹介→もう二度と列車は来ないけれども、日本人の心象風景に深く刻まれた現存する廃線駅舎を、写真とエッセイでガイドする書籍です。読んだら行ってみたくなる一冊。

筑波鉄道の筑波駅跡が出てくる。そこは1987年に廃線になった路線駅。土浦から出ていた。この路線は乗ろうと思えば乗れたのに、うかつなことに乗っていない。残念なことをしたと。鉄道廃線の駅舎は、バスターミナル駅になったりしているところもあり、まぁ、なんとか「遺跡」にならず、活用されて残っているのもあるようだ。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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