古本虫がさまよう 共産主義
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監視国家とは東独や北朝鮮みたいになることだろうに…。ビーアマンは叫ぶ「敗者の惨めな残骸め!」と。(2017・4・11・火曜日)



2017年4月9日の毎日新聞朝刊に、東独のシュタージに関する長めの記事が出ていた。懐かしいビーアマンの名前も出てきたので、一読。こんな記事だ。


旧東独・秘密警察の爪痕(その1) 統一後も新たな悲劇
毎日新聞2017年4月9日 東京朝刊
ドイツ
 1990年10月、東西ドイツは統一され、世界最大規模の監視国家だった旧東ドイツの秘密警察「国家保安省」(通称・シュタージ=Stasi)も姿を消した。しかし、膨大な内部文書が公開されると、多くの市民が衝撃を受けた。
<旧東独・秘密警察の爪痕(その2止)>身近にいたスパイ
 統一から1年がたったころ、シュタージの主導で旧東ドイツから追放(76年11月)された過去を持つ人気歌手のボルフ・ビーアマンさん(80)に一通の手紙が届いた。
 <親愛なるボルフ、あなたにシュタージ文書が開示されたことを新聞で知りました。(文書で)私を見つけたでしょう。「ヒバリ」とは、私のことです>
 ビーアマンさんは自身に関わる5万枚に及ぶ文書の一部に改めて目を通し、春告げ鳥のヒバリをコードネームにした女性を見つけた。「IM」と呼ばれるシュタージの密告者だった女性は上官の指示でビーアマンさんに接近し、男女の仲になった。
 <これ以上、国家保安省のために働くことはできません。私はビーアマンを愛してしまいました>
 女性は上官に文書でそう報告していた。東ドイツの独裁政党、ドイツ社会主義統一党に忠誠を誓う家庭に生まれ、地方劇場で女優をしていた彼女にとって、協力拒否はすべてを失うことを意味していた。
 「シュタージは、密告者に自分でコードネームを付けさせた。ヒバリが上官の将校に『ビーアマンを愛してしまった』とささやくなんて、すてきなことだろ」。ビーアマンさんは記者の手首を強く握った。
 「独裁者でさえ、人間のすべてを支配することはできないのだから」
 文書開示を機にさらなる悲劇や分断も生まれた。前週に続き、シュタージの「爪痕」を報告する。 <取材・文 中西啓介>

旧東独・秘密警察の爪痕(その2止) 身近にいたスパイ
毎日新聞2017年4月9日 東京朝刊
ビーアマンさんの元マネジャーだった連邦議会議員のディーター・デームさん。まくし立てるような早口でシュタージのスパイだったとされる疑惑を否定した=ベルリンの連邦議会議事堂で
<旧東独・秘密警察の爪痕(1)>統一後も新たな悲劇
 ◆ドイツ統一後、公開文書から発覚
愛する夫、友人まで
 東西ドイツ統一後、旧東ベルリンのアレキサンダー広場近くに「シュタージ文書庁」が発足した。
 旧東ドイツ政府の秘密警察・シュタージ(正式名・国家保安省)が残した、並べると総延長111キロ超に及ぶ文書や170万点以上の写真や音声など、膨大な資料を保管。シュタージの実態解明と被害者への情報開示を進めている。
 今年2月末、文書庁を訪れた記者(中西)は分厚いファイルを手にした。1976年に東ドイツから追放された反体制派歌手、ボルフ・ビーアマンさん(80)を西ドイツで監視していた男性密告者「ビリー」に関する資料だ。
 それによると、大学生だった「ビリー」は71年、西ドイツでジャーナリストをしていた別の密告者の仲介でシュタージと接触。「政治的な信念から」密告者になり、所属する西ドイツの社会民主党や大学などの情報を提供した。<任務遂行に向け、ひたむきに働いた>。75年の評価書にそう記されている。
 ビーアマンさんと親しくなったのは77年。シュタージ側に<ビリーとその妻クリスタがビーアマンと接触し、価値ある情報を手に入れた>と評価されていた。77年2月には、追放されたビーアマンさんの様子をこう報告している。<情緒不安定で時々極めてヒステリックになる><明らかに自尊心を失い、精神破綻の危機にある>
 だが、最終報告書(80年12月)には「ビリー」本人と連絡が取れなくなった、と記されている。理由はわからない。文脈から推測すると、シュタージ側がビーアマンさんへの心理的な「破壊工作」を要請したものの、「ビリー」が反対し連絡を絶ったようにも読み取れる。
 「ビリー」とは誰なのか。
 74年の資料に顔写真と本名があった。77年からビーアマンさんのマネジャーをしていたディーター・デームさん(67)が「ビリー」だったようだ。彼はいま、旧東ドイツの独裁政党・ドイツ社会主義統一党の流れをくむ左派党の国会議員である。
 ベルリンの壁崩壊25周年の2014年11月、ビーアマンさんはドイツ連邦議会のラマート議長に招かれ、圧制下の希望を込めた歌「エアムーティグング(鼓舞)」を披露することになった。
 壇上に立ったビーアマンさんはデームさんが座る左派党席をにらんだ。「議長は、私が左派党に平手打ちすることを望んでいるのでしょう」
 ビーアマンさんは自身に関するシュタージ文書を見て、元マネジャーのデームさんがスパイだったことを察していた。感情を高ぶらせ、左派党に向かって毒づいた。「敗者の惨めな残骸め!」
 演奏後、東ドイツで育ったメルケル首相がビーアマンさんに歩み寄り、握手を交わす。鳴りやまない拍手の中、左派党席だけが静まりかえっていた。
 記者は今年2月、ベルリンでデームさんに会った。彼はシュタージへの協力を頑として認めなかった。「ドイツ社会主義統一党を批判する勢力によって、個別のマイクロフィルムの文書が私の名前に改ざんされたのだ」
 シュタージ文書には、現金受け取りの際に発行されたとみられる本名<ディーター・デーム>と記載された領収書も複数あった。この点についても、彼は「領収書は存在しない」とまくし立てた。
東ドイツの反体制活動家から統一ドイツの国会議員になったレングスフェルトさん。統一後、夫がシュタージの密告者だったことが明らかになり家庭崩壊を経験した=ベルリンで
 「あなたの夫がシュタージの密告者だった、という記事が明日の新聞に載ります」
 統一ドイツの国会議員、ベーラ・レングスフェルトさん(64)は91年末、新聞記者から電話を受けた。
 旧東ドイツ時代、レングスフェルトさんは反体制派のヒロイン的な存在で、ビーアマンさんの知人でもある。シュタージなどの「闇」を解明する活動を続けており、その記者からこうも問われた。「議員を辞める気はありますか?」
 頭が混乱した。政治と無縁だった夫の裏切りなど、あり得なかったからだ。
 当初、ユダヤ系の夫は関与を否定。だが後日、友人が同席した話し合いの中で告白した。「(反ナチスの)東ドイツは僕にとってアウシュビッツ(で起きたユダヤ人らの大量虐殺)の答えだった。その国を守るためにやった」
 レングスフェルトさんは納得できなかった。「私たちの結婚とアウシュビッツや東ドイツに何の関係があるというの?」
 人気議員を巡るスキャンダル報道は過熱した。2人の息子にもカメラが向けられ、離婚を決意した。「ほとんど一夜にして家庭が崩壊しました」。レングスフェルトさんは目を伏せる。
 翌92年。レングスフェルトさんは自身が審議に関わったシュタージ文書法の施行により、自分に関わる文書の中に新たな事実を発見した。
 東ドイツ時代の89年6月、祖父の誕生日を祝うため、追放先の英国から帰国が許された時のことだ。「シュタージは夫もろとも私を殺害しようとして、夫の車の前輪に細工をしていたのです」。シュタージは、協力者だった夫の命さえ奪おうとしていたのだ。
 離婚から10年後、レングスフェルトさんは別れた夫から手紙をもらった。
 <君を守るため、シュタージに協力することを選んだ。申し訳なかった>
 初めての謝罪だった。家族を失ったことへのストレスからか、彼はパーキンソン病を患っていた。息子たちの見舞いを受けた時、既にうまくしゃべれず、動くこともできなかった。その姿を伝え聞き、石のように硬かったレングスフェルトさんの心は溶解したという。
 「私は彼を心の底から許したの……」
 元夫はその後、亡くなった。
 シュタージは76年の段階で、反体制派などを心理的に追い込み、精神の破壊を目指す作戦をマニュアル化していた。ドイツ統一後も、元職員の多くは口をつぐむか、責任を否定してきた。
 旧西ベルリンの下町に、作家で心理学者のユルゲン・フックスさん(故人)が呼びかけて発足した心のケア施設がある。訪れるのは、シュタージによる破壊工作の後遺症に苦しむ人々。心理療法を受けた人は約2万人に上る。
 フックスさんもビーアマン追放に反対し、ベルリン東部の監獄に9カ月間収監されて厳しい尋問を受けた。99年に48歳で亡くなるまで、シュタージ被害の回復に取り組んだ。現在、治療に当たる精神科医のシュテファン・トロービッシュリュットゲさんは言う。
 「社会復帰が困難な患者も多い。ただ、シュタージ職員の子供が被害者のことを知りたいと連絡してくることがある。この問題は次の世代によって、ようやく解決されるのかもしれません」
責任を認めない元中佐
 ナチスは糾弾された。しかし、第二次世界大戦後にできた独裁国家、旧東ドイツについては歴史的評価が定まらない。
 「私が大学入学資格を得られたのは、奨学金制度のおかげでした」。昨年5~6月、取材に応じた元シュタージ将校のウォルフガング・シュミットさん(77)は語った。東ドイツでは学生や職業訓練生への国家支援が充実していた。旧東ドイツ州の子供は今も、理系科目で旧西ドイツ州より成績が良い。女性の社会進出が推奨され、託児施設なども整っていた。
 彼は「最も重要だったのは平和が維持されたこと」とも語り、大規模な騒乱やテロと無縁だった東ドイツを誇る。牧歌的で快適な暮らしがあったのは事実だ。ただし、言論の自由を求めて政府に盾突かなければ、の話だったが。
 「ナチスに比べれば東ドイツの独裁は害が少ない」という声もある。しかし、こうした認識がシュタージに人生を奪われた人に対し、ナチス被害者に次ぐ「2級被害者」というレッテルを貼り、二重の苦しみを与えている。
 東西ドイツ統一条約では、シュタージのために働いた人々を公職から追放してもいい、と明記された。シュミットさんも追放を察し、統一直前に職を得た東ドイツ国営鉄道を辞めた。
 統一ドイツ政府はシュタージ元職員の年金も大幅に減らした。シュミットさんたちは91年、元職員らの名誉回復を目指す団体を設立。「不当な減額」に対する裁判闘争を展開した。99年に連邦憲法(最高)裁は年金の上限設定などを違法と判断したが、政府は判決内容に抵触しないよう法を改正し、減額を維持した。「あからさまな差別です」。団体の事務長を務めるシュミットさんは憤る。
 シュタージは独裁政党のドイツ社会主義統一党を守る「盾と剣」だった。党はいくつかの再編を経て、左派党として残存している。否定的なニュアンスがこもるシュタージという通称を普段使わないシュミットさんは、この点でも歯がゆさを隠さない。
 「党は責任を『国家保安省』に押しつけた。誰もドイツ社会主義統一党のことは言わないのに、みんなが『シュタージ』と呼んで批判する」
 シュタージで中佐まで昇進したシュミットさんの最終ポストは、課長職の分析統制班班長。第20部全体の作戦に関する全文書を見る権限があり、暗殺工作を議論したこともあったはずだ。しかし、自らが関わった作戦について口にすることはない。「謝罪は、現在の政治体制への屈服に過ぎない」
 責任を認めれば人生を否定し、愛する国家を裏切る、と考えているのだろう。
 会話をつなごうと、記者は窓の外の東ドイツ様式のビルに目をやった。
 「このあたりには今も、元同僚の方が住んでいるのですか?」
 「ここではないが、もともと職員だけが住んでいた地区があります。でも、今はそれほど目立たなくなった。たくさん亡くなりましたからね」。シュミットさんは寂しげな表情を見せた。「我々はもう、絶滅危惧種ですよ」
 つぶやくと、団体の創立25周年を記念したボールペンを記者の前に置いた。
 「よかったら使ってください」
 ぎこちない笑顔だった。
 旧東ドイツ政府崩壊のきっかけになった男、と評されるビーアマンさんは振り返る。「ギターを抱えた男を追放したところで、独裁が倒れるわけがない。東ドイツを揺るがしたのは追放に抗議した人たちだ。でも抵抗運動をした人なんて一握り。ほとんどの人はしっぽを丸め込んでいた」
 闘いを支えた仲間たちの顔を思い浮かべているのだろう。その多くも鬼籍に入った。インタビューは予定時間を大幅に超え、彼の表情に疲労の色が浮かんだ。「俺のように歴史の偶然で反逆者の役割を担うと、人間はとても孤独なんだ」
 1月末。ベルリン支局でふと机に目を落とすと、シュミットさんがくれたボールペンがあった。もう一度会いたい。取材依頼のメールで、ビーアマンさんに会ったことを告げた。届いた返信は、これまでの紳士的な文面と異なっていた。
 <ビーアマンは国家保安省や東ドイツの破滅を扇動した。そんなやつの宣伝に協力するつもりはない>
 連絡は途絶えた。
 ベルリンでは今、かつて街を分断した壁の跡はほとんど見かけない。だが、至るところに東ドイツの面影が残る。歴史はこの街に英雄を生み、被害者と加害者を残した。加害者もまた、被害者になった。それぞれが今も、分断が置き去りにした苦しみを抱え、生きている。
 ◆今回のストーリーの取材は中西啓介(ベルリン支局)
 2006年入社。甲府支局などを経て、12年に外信部。15年から現職。ドイツでは19世紀に北海道で盗掘されたアイヌ民族の遺骨について取材。報道は日本政府による遺骨返還協議の着手につながった。今回は写真も担当した。
 ツイッター(@mainichistory)発信中です。ストーリーの掲載日に執筆記者の「ひと言」を紹介しています。



さまざまな角度から「シュタージ」を追求した記事だった。

この記事を読んでいろんなことを思い出した。
僕がビーアマンの名前を知ったのは30年以上昔のことだ。何かの本で、東独にいながら反体制派の活動をしている歌手でビーアマンという人がいることを知った。反共リベラルではないが(?)…。どんな人だろうと思って、野村修氏の『ビーアマンは歌う』 (晶文社)という本を手にした。1986年の刊行。

(内容紹介)→東ドイツの歌う詩人ヴォルフ・ビーアマンとの初めての出会い。1982年、エルベ河畔のハンブルクでの再会。親しい友人にしてその詩集の訳者でもある野村修が、ビーアマンの生いたちから作品・レコードまで、厳しい状況下での生き生きとした活動を語りつくす。


野村氏も「反共リベラル」というわけではなく、淡々とビーアマンの境遇を紹介していたと記憶している。

そのあと、1989年、ベルリンの壁が崩壊。その直後に、ライナー・クンツェの『暗号名「抒情詩」―東ドイツ国家保安機関秘密工作ファイル』 (草思社)が出た。この本は衝撃的な内容であった。


内容(「BOOK」データベースより)→東ドイツの抒情詩人ライナー・クンツェは、反体制的な要注意人物として当局の厳しい監視下におかれていた。作品の刊行もままならず、公の場に出るにもさまざまな妨害にあう。そうした精神的苦痛のはてについに1977年、クンツェは西ドイツへの移住を余儀なくされた。そして1990年の東西ドイツ統合。これまで明かされていなかった東ドイツ国家保安機関の監視活動の内容が続々と明るみに出てきた。この機関には、400万人分もの自国民に関する秘密調査ファイルが保管されていたというが、その中にクンツェは自分に関するファイルを発見した。「抒情詩」というコードネームを付されたそのファイルは、全12巻、3491ページにもおよぶ膨大なものだったという。本書はクンツェ自身の編集による、クンツェに対して行われていた監視と秘密工作の記録であり、思想統制社会の戦慄すべき側面が、生々しく描き出されている。

自分と親しくしていた「友人」が実はシュタージの監視員だった事実を知り、衝撃を受ける。毎日新聞の記事にあったように、配偶者がそうだったりもするのだから……。もしかしたら僕の妻も?

クンツェの本と前後して、アナ・ファンダーの『監視国家―東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆』 (白水社)、 T.ガートン アッシュの『ファイル―秘密警察(シュタージ)とぼくの同時代史』 (みすず書房)、桑原草子『シュタージ(旧東独秘密警察)の犯罪』 (中央公論社)などが当時刊行されたが、さほど売れた記憶はない。

当時、こういう本を読み、オーウェルの『1984』とは、こういう世界のことだと感得したものだ。欧州ではこういう独裁監視国家は消滅したといえるが、アジアでは北朝鮮を筆頭に、中共、ベトナムはいまだに共産主義国家。それ故に東独(ソ連)的な監視体制は消滅していないといえよう。

日本でも、戦前戦時中、そういう「監視体制」が敷かれていた。以下再録的になるが、保阪正康氏編・東輝次氏著の『私は吉田茂のスパイだった ある諜報員の手記』 (光人社NF文庫)は、吉田茂の「書生」が当局のスパイだった事実を、当人の「告白」と共に記したノンフィクション。
 東氏は陸軍中野学校出身の陸軍の軍人でありながら、学歴や身分を偽って(傷痍軍人と偽装)、戦争末期、吉田茂の大磯邸の住み込み(書生)となってスパイ活動をすることになった。軍命により、吉田を「ヨハンセン」(吉田反戦グループの意味)と名付け、監視していたのである。
 戦後になってその活動を記した「手記」を残していた。吉田茂の周辺取材をしていた保阪氏が、遺族からその手記の存在を知り、それを収録すると同時に懇切丁寧な解説を付したのが本書である。
陸軍のみならず憲兵の方のスパイもいたとのこと。政府の二機関が、それぞれ別途に密偵を放って吉田茂を監視していたことになる。
 書生として仕事をこなす過程で、徐々に吉田の信頼を得ることに成功する。また要人相手の手紙が検閲されているために、しばしば東氏に手紙を託して上京させるのだが、その東氏がスパイなのだから世話がない。当然ながら、当局にその手紙を先ず持参し、丁寧に開封され写真撮影され、そしてまた閉じられて届け出ることになる。

 密偵として大磯邸に書生として行く前には電話の盗聴も担当し、吉田の人間関係や女性関係も熟知した上で密偵となっていたのである。吉田は、戦後、彼から告白されるまで、その事実を知らなかったという。

 東が、徐々にこの吉田にある種の好意を抱き、憲兵に逮捕された時には憤るあたりの感情の変遷は、東独のシュタージによる反体制派知識人(ドライマン)の監視を描いた『善き人のためのソナタ』 (映画)を彷彿させもする。この作品の場合、必ずしもノンフィクションではないが、監視のために彼の家(アパート)に盗聴器を仕掛け、それを屋根裏で四六時中(交替制)聞き耳をたてているヴィースラー大尉が、徐々にドライマンの発言や弾く音楽や読む書物などに感化されて、当局に当然報告すべき彼の不利な情報を握りつぶしたりもするようになってしまう(この映画のラストシーンも感動的だった)。

ただ、この映画、ブレヒトなどの本を反体制派知識人が愛読するなんてシーンがあって興ざめ。ここは、当然、オーウェルの作品でなくては…。東独では当時、オーウェルは発禁であっても、西独版が入手可能なのだから……。

東独の監視国家を風刺した映画としては、ほかにも「東ベルリンから来た女」や「グッバイレーニン」もある。めったに映画を見ない僕が見ているのだから秀逸?

「朝日ジャーナル」に連載されていた、例外的にまともな作品で、辛うじて朝日新聞の良心を反映した、仲井斌氏の『もうひとつの ドイツ ある社会主義体制の分析』 (朝日新聞社)も学生時代から一読していたので、東独への幻想を持つことはなかったが、当時、日本の「容共リベラル」の方々は、ソ連、中共など相次ぐ理想国家に多少なりとも幻滅しつつも、北朝鮮や東独は別物という感じで最後の幻想を抱いていたものだった。その幻想もベルリンの壁、拉致問題で精神的には消滅したはずだが……。

拉致を金正日が認めた時、拉致家族が「社会党、共産党出てこい!」と怒鳴っていたシーンがあった。あの時は生中継だったので、そのままオンエアされた。しかし、テレビ局にも北朝鮮シンパが多かったせいか(?)なぜか、再放送されることがないが…。拉致は原さんの件以外ありえないなんて言っていた東大バカ教授などの面々は、ビーアマンではないが、拉致家族から「敗者の惨めな残骸め!」と罵られても仕方あるまい。そんな根源的な反省の態度を己の行為発言に関して示すこともない「敗者の惨めな残骸」と選挙協力をするだなんて、民主主義的価値観の自殺行為でしかあるまい。そんな瓦礫化しつつある政党からやっと離党する人が出てきたようだ。ちょっと遅過晋作か? いやいや…?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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ゴルフ嫌いの習近平さんが、トランプさんのキャディをすれば米中蜜月を演出できただろうに…?
(2017・4・8・土曜日)





昨日(金曜日)は終日(日中)仕事でバタバタ。
朝、出かける前に、一回目の米中首脳会談が始まり、長い握手もせず(?)、まあ静かに始まった模様というのは拝見(2017・4・7付け朝日夕刊は「短い握手」「ぎこちない笑顔」「米中首脳初顔合わせ」と報じていた)、会談後、進展はなかった、ゼロだったとトランプがそのあとでジョーク風に語った?
そのうち、巡航ミサイルをアサドに向けて発射してみせたそうな。まぁ、 「とりあえず小田原」ではないが、 「とりあえず巡航ミサイル」というのは、クリントン(男)でさえ実行はしていた軍事作戦。やらないよりはマシだが…。

帰宅して見たテレビニュース(報道ステーション)では、かつてはアサドを叩く必要はなしといっていたトランプが人気取り(?)のためにやったのではないかと「解説」(怪説)していたが、サリンを使ったとなれば、「国際情勢・事情変更」の法則に従って、政策を変更しても何の疑問もなかろうに…。

その番組ではゲストコメンティターに、井上達夫氏が出ていた。彼の著作、 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』 『憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 2』 (毎日新聞出版)は紹介ずみ。基本的にふむふむなるほどと共感を持って読んだ本。ただ、昨日は、そうしたトランプ外交やそれを支持する安倍首相の姿勢などを手厳しく批判していた。ふむふむそうかな?という感じで拝聴。一緒に見ていた妻は「テレ朝バージョンね」と。いやいや、思想信条に基づくものでしょう。

それはさておき、習近平さんはゴルフをしないとか? いや嫌いとか? 人間何か取り柄があるもの? 僕は長谷川慶太郎さんの『麻雀・カラオケ・ゴルフは、おやめなさい。これからの日本経済とサラリーマンの戦略』 (PHP研究所)の愛読者・実践者なので、週末ゴルフは厳禁、週末古本屋行脚派。
しかし、日米首脳会談で、トランプさんと安倍さんが仲良くゴルフ談義するのを、日本のマスコミは一部嘲笑したりしていたが、それを見た中国側が、「主席、日本に負けないためにも、中米蜜月ムードを高める必要があります。主席はゴルフをなさらないようですが、だったら、キャディをしたらいかがでしょうか」と提案すればよかったのにと思う?

キャディー (caddy, caddie) は、ゴルフプレイヤー(競技者)の バッグやクラブを運ぶ人物であり、プレイヤーに助言を与えたり、士気を鼓舞する役割も 果たす。ゴルフ規則では、「規則にしたがってプレーヤーを助ける人」と定義されている

中国は本来そういうポジションにいるのが、世界にとっても好ましいだろうが……。

ともあれ、この前読了した、宮崎正弘氏&石平氏の書名ではないが、 『いよいよトランプが習近平を退治する!』 (WAC BUNKO・ワック)ことになるのか。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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風間丈吉など反共リベラルの本を読むなら、「変態図書館」ではなく「まともな図書館」がある地域で読むべし?
(2017・3・28・火曜日)




この前、古本市で購入した風間丈吉氏の『雑草の如く ガンと対決する日共委員長の手記』 (経済往来社)を読んだ。とても面白い自叙伝だった。共産主義者から民主社会主義者に転向した手記、自叙伝といったところか。これが200円とは安い。「日本の古本屋」で見ると3240円で出している古本屋もあった(こういうことがあるから、神田や高円寺などの古書会館に足を運ぶ愉しみがある)。

しかし、この本、新宿区立図書館が所蔵している。昭和45年以前刊行の本だが借りることは可能(これが中央区立図書館の所蔵なら貸出もしてくれないし、京橋まで行かないと館内でも読めない。幸い、中央区立図書館は所蔵していない。時々、ここだけが所蔵している本があったりするから困る?)。

ウイキペディアによると---
風間 丈吉(かざま じょうきち、1902年2月25日 - 1968年5月24日)は日本の社会運動家。日本共産党中央委員長を務め、のち転向した。
中農の四男として新潟県で生まれた。高等小学校卒業後に上京、金属労働者となり、友愛会に加入。
1925年秋から5年間、モスクワの東方勤労者共産大学(クートヴェ)に留学。高橋貞樹らの薫陶を受け、のちに特高のスパイとなる飯塚盈延(〈スパイM〉)とも親交をもった。クートヴェ卒業後、赤色労働組合インターナショナル(プロフィンテルン)執行ビューローに勤め、国際労働会議、太平洋労働組合会議等に出席した[1]。
1930年8月のプロフィンテルン第5回大会出席後に帰国、岩田義道・野坂参三・紺野与次郎・飯塚盈延らと日本共産党指導部再建をはかる。1931年1月、日本共産党中央委員長となり(いわゆる「非常時共産党」指導部)、モスクワから持ち込んだ31年政治テーゼ草案を起草、同年4月機関紙「赤旗」に発表したが、これは1932年7月の32年テーゼ発表により廃棄された[2]。
1932年10月検挙された(熱海事件)。獄中で高橋に追随して転向し、1933年共産党より脱党。1942年満期出獄。出獄後再び機械工として働いた[1]。
戦後、佐野学らと労農前衛党に結成に参加、書記長となる。佐野の死後、鍋山貞親の世界民主研究所で事務局長となり、反共活動をおこなった[3] [4]。
著作[編集]→『モスコー共産大学の思ひ出』三元社、1949年
『日本共産党の地下工作 世界民主シリーズ 第2集』1950年6月
『モスコウとつながる日本共産党の歴史 上巻』天満社、1951年
『雑草の如く』経済往来社、1968年
『「非常時」共産党』三一書房、1976年6月



『モスコー共産大学の思ひ出』『「非常時」共産党』は積んどくしていた。 『雑草の如く』は、1968年3月の刊行だから、亡くなる直前に刊行されたことになる。文字通り、ガンで病床にあった時に綴ったエッセイも収録されているが、もっぱら、自叙伝。
戦前、共産主義にあこがれ、モスクワにまで行き、ロシア語を勉強し、コミンテルンの指導を受ける。勝野金政の名前なども出てくる。日本に戻り活動する。警察につかまり転向。転向した鍋山や佐野のあとをついて行く。戦後は「世界民主研究所」などにも参画し、反共リベラル的な立場から行動。本書でも、進歩的文化人などを手厳しく批判している。反スターリンはむろんのこと、反レーニンでもある。

「ダビッド・シューブ著の『虚飾を剥がしたレーニン』がもっと早く出版され、日本語訳されていたら、事態は少し変っていたかも知れない。なぜなら、この本にはレーニンおよびその一党が金を集めるこめにどんなことをしたたが克明に描かれているので、本当にこんなことをしてもよいのか? という疑問を起こさせるに十分の資料を提供しているからである」と。


ダヴィッド・シューブ の『レーニンの生涯』 (1967年)田園書房、ダヴィッド・シューヴ『虚栄なき独裁者 レーニン評伝』 (日南書房、1949)、デビッド・シャブの『レーニン』 (時事新書・1963年)という本がある。
田園書房の訳本は持ってないかもしれないが、それ以外の二冊は持っている。すぐに手元に出てこないが…。基本的に同じ本の全訳、抄訳本か?
しかし、「虚飾を剥がした」と「虚栄なき」では受けるイメージが異なるだろう。『虚栄なき』というタイトルもあって、長年積んどくしてきたかと…。今度読もう!

ちなみに『モスコー共産大学の思ひ出』 (三元社)はアマゾンで13000円で出しているところがあった。この本、いくらで買ったか記憶にはないが(値札の残りがついていないので)、そんなに高い買い物ではなかったと。

ともあれ、引き続き、栗原直樹氏の『日本共産党大研究 「躍進」と「不都合な過去」』 (青志社)を読んだ。

風間丈吉も出てくる。武装闘争路線を採択していた時代を詳細に検証。共産党をぶれないと支持する作家などがいるが本当かいな?と問いただしている。同感。生産管理闘争など、わざと不良品を作らせる手法も紹介している。

古今東西問わず、共産主義者の戦略戦術は、他党に浸透し、選挙戦術で勢力を伸ばそうとするものだ。そのトリックに、第二社会党、第二共産党化しつつある「民進党」が引っかかろうとしている。「民進党」関係者は、本書を読むべきだろう。ゲアハート・ニーマイヤーの『共産連立政権戦術 』 (時事新書)を読めば、自分たちが、ネギをもって捕食されるカモになりつつある事実に気づくだろうに……。共産主義者による「サラミ戦術」の基本も知らないのでは?

ともあれ、 『モスコー共産大学の思ひ出』 は1949年(昭和24年)の刊行。それゆえにかなり紙質も悪い。これなら貸出も制限があってもおかしくない?
しかし、この本、都内の区立図書館には見当たらない。県立図書館レベルになると所蔵しているところもあり、なんと貸出も可能になっているところがある(なぜか、昭和24年ではなく昭和34年刊行と「誤植」している図書館もあるが…)。

ということは、近くの図書館で、貸出請求をすれば、地方の県立図書館から取り寄せて自宅で二週間内で読むこともできるかもしれない。まるごとコピーを取ることもできるかもしれない。
少なくとも、昭和45年刊行の本は、一切貸出はしない、貸出禁止だぞと偉そうに宣告している中央区区立図書館が如何に「異常」かがこれでも分かるだろう。

『共産連立政権戦術 』 は1968年の刊行。この本も都内の区立図書館レベルでは所蔵していない。しかし、県立図書館レベルだと所蔵しており、貸出可能のところが多い。

以前も指摘したが、フランク・モラエスの『チベットの反乱』 (時事新書)は1960年の刊行だ。この本を都内の区立図書館の中で所蔵しているのは、新宿区と中央区だけだ。そして新宿区は貸出可能だが、中央区立図書館は、官僚主義的運営故に、「禁帯出」となっている。この格差!

中央区立図書館がいかに「異常体質」なのかが分かるだろう。
本を貸し出すべき図書館が、本を貸さない、貸したくない、どうしても読みたければ本館まで来いというのだから、もはや「変態図書館」というべきだろう。

『チベットの反乱』が、そんなにボロボロで分館どうしの移送もできないのか? そんなことはあるまい。要は官僚主義だからなのだろう。
ここは本の貸出も予約者が手作業で処理。返すときも、図書館館員がデスクにいても、そこに戻すのではなく、脇にある戻しコーナーの窓口に、一冊一冊利用者が入れるのだ。CDの返却となると、これまたそばにある「袋」に入れて、丁寧に投函しろとしている。予約貸出を予約者が手作業でさせる図書館も増えてきているが、返却も、そういう風にさせているのは、中央区立図書館だけではないか?(このあたりは研究不足故に違うかもしれないが)。「変態」はやはり困る?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「相棒」と「赤旗」の親和性?(2017・3・19・日曜日)




2017年3月19日号(実際の日曜日より早く刊行される)の「しんぶん赤旗」の記事9面(「北朝鮮がミサイル発射」「制裁と一体で外交交渉を」「核兵器禁止へ世界の結束こそ」)を読んでいたら、妻がやっぱりねという。「はて?」と思ったら、その記事の下に映画「相棒」の広告が出ていたからだ。

「相棒と共産党となんか関係あるの?」
「テレビの『相棒』はそれほどじゃないけど、映画の『相棒』は、この前も見たけど、なんとなく左翼臭いのよね」
「左翼?」
「たとえば、安保法制に反対しているニュアンスが見え見えの構成なのよね。戦争が一般人をいかに苦しめているか…なんて底意がプンプン…」

ふ~ん? 見てないからなんとも言えないけど、そういう制作者意図もあって、赤旗に広告が出ているのかな? そういえば僕がメロディも外見も好きな西村由紀江さんも、日曜版にエッセイを連載しているみたいだけど……。

まぁ、ともあれ、9面記事、金ミサイル連発に「日本共産党『暴挙に厳しく抗議」ともあるけど、朝鮮総連関連団体前でジグザグデモをしているわけでもなさそうだ。単なる声明というか「談話」の発表だけでは……。沖縄の米軍基地前でやっているのと同じぐらいに「厳しく」やるべきでは?  談話だけなんて、何の迫力もあるまい(ソ連のアフガン侵攻に関しても、談話だけの抗議だったかと。ソ連大使館前で何かしただろうか?)。そして、中国の外相の発言を麗々しく紹介(米韓軍事合同演習批判)。北朝鮮のミサイル発射基地を粉砕するしかないという考えも批判。

「国際社会が結束し、安保理で合意された経済制裁の厳格な実施と一体で、外交交渉を通じて北朝鮮に非核化を迫り、核・ミサイル開発の手を縛り、その放棄に向かわせるしかありません」との口先リベラル的な見解。まぁ、朝日的? そんなことを繰り返しても、効果がなかったから、「あらゆる手段」を考慮しなくてはいけない時ではないか。
また、目には目を、歯には歯を-ならば、暗殺には暗殺を…ということも考慮されてしかるべきだろう。スターリン、ヒトラー、もっと早く暗殺していれば…との歴史のイフはあまり意味がないかもしれないが、もはや、金王朝は諸悪の根源ではないか。

そういえば、この日曜版の5面などには「森友疑惑解明待ったなし」との見出しで、教育勅語などの暗唱が「教育基本法」から逸脱するとして批判しているが、さて、赤旗は朝鮮学校への公的資金の導入は批判していたっけ?  どっちもどっちと思うならいざしらず……。元共産党党員(除名)、元平壌特派員の萩原遼氏が刊行している『拉致と真実』 を赤旗関係者も熟読すべきだろう。共産党時代の回顧録も連載されている。どっちが「真実」を捉えているか……。良心的囚人ならぬ、良心的共産主義者なるものがあるとすれば、赤旗ばかり読まずに、元党員の「良心的出版物」にも目を通すべきだろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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左右の全体主義と闘った言論人といえば……
(2017・3・15・水曜日)






湯浅博氏の『全体主義と闘った男河合栄治郎』 (産経新聞出版)を読んだ。

内容紹介→右にも左にも怯まなかった日本人がいた! 河合栄治郎は左右の全体主義と闘った思想家です。戦前の学界を席巻した「左の全体主義」マルクス主義の痛烈な批判者であり、軍部が台頭すると、「右の全体主義」ファシズムをも果敢に批判。著書の発禁処分、休職処分のさなか、昭和19年に53歳で亡くなりました。上智大学名誉教授の渡部昇一氏は、河合栄治郎が長寿であったなら、「日本のインテリは、30年も早くマルキシズムの幻想から自由になっていたであろう。つまり河合の死は、日本の知的成熟をざっと30年遅らせたのである」という。戦後の河合人脈は政財学界に根を張り、論壇を牛耳る進歩的文化人と対峙しました。門下生の第一世代は、経済評論家の土屋清、社会思想家の関嘉彦、政治学者の猪木正道らで、第二世代には、碧海純一(東京大学教授)、岡野加穂留(明治大学教授)、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、伊原吉之助(帝塚山大学教授)ら、京都大学では高坂正堯、勝田吉太郎、木村汎ら各氏が、この人脈に連なります。米国に守られながら反米を叫ぶという〝進歩的大衆人〟の精神の歪みは、日本を漂流させてしまう――。日本の背骨を支える揺るぎない思想とは何なのか。歴史の転換点で、圧倒的な敵に挑んだ思想家、河合栄治郎の闘いを通して、日本のありようを考える。この思想家を知らずして、日本の将来を語るなかれ。
産経新聞長期連載「独立不羈 河合栄治郎とその後の時代」に加筆、再構成し単行本化


湯浅氏も本の中で触れているが、河合さんの弟子たちが、戦後、社会思想研究会(社会思想社)を作り、現代教養文庫など出版活動を展開していく(晩年、その社会思想社が左傾化していった印象を持っているが、そのあたりのことは触れられていない)。その現代教養文庫を中学生のころからよく読んでいた記憶が甦ってきた。
といっても、当時、読んでいたのは、 『菊と刀』とかではなく、白井浩一氏の『愛と性のレポート―その心理学的考察』『高校生心理学 悩み多き若ものに与う』といった本だった。ううむ…。

大学生になってからは中村菊男ほかの『民主社会主義とはなにか』や、関嘉彦氏の『新しい社会主義 民主社会主義の理論と政策』や、シドニー・フックの『マルクスとマルクス主義者たち―あいまいな遺産 』なんかを読んだりしたし、河合氏の『学生に与う』も手にした。

また、学生当時、社会思想社から箱入りの河合全集が刊行(再版)もされていたかと。たしか、一定の時期は3000円ぐらいの本が200円引きになっていた。生協だとさらに本は二割引で買えた(と記憶している)。全部ではないが、結構な冊数を買った。ちょうど年末年始の生協クジの配布期間中で、何枚も抽選券をもらった(全部外れだった)。そして、その全集のほとんどは、30数年間、積んどくのママである…。ううむ…。

ともあれ、しばしば引用もされている渡部昇一氏の河合氏に関するエッセイが掲載された「日本文化会議」(127号)もリアルタイムで一読した記憶がある。当時、文化会議は定期購読していたから。それを読んで、その通りと感じたものだった。

戦前、共産主義(マルクス主義)と闘い、ファシズム的な言論とも闘い、時には国家権力により裁判沙汰にされ、学者の地位を失うことにもなった。
しかし、ペンを持ってそうした抑圧と闘った言論人が日本にいたことは勿論承知していた。河合さんの評伝も何冊か出ている。粕谷一希氏の『河合栄治郎 闘う自由主義者とその系譜』 (日本経済新聞社)など、何冊かひもといてもきた。だが、20代で読むのと、50代後半になって、こうした評伝を読むのはまた違った感慨が浮かぶものだろう。河合さんは53歳で死去。自分はそれより年上になっている。そうした視点から、彼の生涯の歩みを辿りながら、自分自身のノンビリした波瀾万丈なき人生の乏しさを…。

戦闘的自由主義者という思想信条を持つ知識人は日本にはあまりいなかった。丸山真男も本書には登場するが、所詮、彼は「容共リベラル」程度の学者でしかなかった(と僕は思う)。これまた彼の本を沢山読んだわけではないが…。 『日本の思想』『現代政治の思想と行動』(未來社 )、 『戦中と戦後の間 1936-1957』(みすず書房)ぐらいだが。丸山に関する評伝本も何冊か出ているが、水谷三公氏の『丸山真男 ある時代の肖像』 (ちくま新書)が秀逸。所詮は、ラスキ程度でしかない?

そのラスキと英国で河合氏は会ってもいる。まぁ、当時、多元的国家論は新鮮ではあっただろうが、岩波文庫から出ていたラスキの『近代国家における自由』を学生時代一読して、この「容共のバカ!」と思ったものだったが。

学生紛争によって研究室が破壊された時の単細胞的な丸山の憤りのシーンは、本書でも引用紹介されているが、佐々淳行氏が指摘している通りだろう。そういえば、佐々氏の父親の佐々弘雄氏も、長生きできず、戦後まもなくの時期に死去している。河合栄治郎と佐々弘雄が戦後も長生きしていれば、日本の言論界はちょっと違っていたものになったかもしれない。

井沢元彦氏の『「日本」人民共和国』 (光文社文庫)という本が20年以上昔に刊行されていた。これは日米安保闘争の時、ハガチーが殺害され、安保条約改定ができず廃止になり、日本が北朝鮮のような暗い、自由のない人民共和国化していくという小説だった(その自著と、百田尚樹氏の自著『カエルの楽園』新潮社—をテーマに両者が『歴史通』4月号で、 『「ゆでガエル楽園国家」日本が植民地にされる日』と題して対談をしている。その可能性もネバーセイネバーだろう)。

そういう悲観的な近未来の将来像とは逆に、河合と佐々の二人が戦後、長生きして言論界に影響力を発揮していれば、丸山一派や岩波文化人などが蔓延ることもなかったのではないか…と思う。湯浅氏の本書での、河合なき戦後を描く巧みな筆致を読み進むにつれ、その思いが強くなっていった。

それでも、その思想的後継者が少なからずいて、官界言論界にて活躍していたことは喜ばしい限りだろう。土屋清氏も、朝日新聞で頑張っていたが、安保紛争前後、朝日の論調に疑問を感じ、朝日を辞めて産経新聞に移った。僕はリアルタイムで彼の存在を知ったのは、もっとあとで、たしかTBSの日曜時事放談で細川隆元と丁々発止とやりあっていた時からだろうか。日曜朝といえば、時事放談を見る楽しみがあった。土屋清氏の『エコノミスト五十年 一言論人の足あと』 (山手書房)は自叙伝として名著の一冊。
ポッパーの研究者としても知られる碧海純一も本書に河合系の知識人として出てくるが、その弟子筋になるのが井上達夫氏。彼の著作、 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』 『憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 2』 (毎日新聞出版)は紹介ずみだが、左右の全体主義を批判する戦闘的自由主義の系列ではあろう。

今のTBSにも「時事放談」という番組があるのだろうか? 登場人物は、細川隆元や土屋清や加藤寛や藤原弘達などとは大きく異なる傾向があるのでは? 昔と違って見たことがほとんどないので即断はできないが。
TBSも日曜朝の番組内容は昔と大きく変わった(悪くなった?)というしかない。TBSともあろうものが…。

そういえば、文藝春秋からも『大系・民主社会主義』なる本が1980年ごろ全六巻で刊行もされていた。これらの執筆者の多くも、河合門下生や孫弟子たちだった。これらの本を読んで、こんないい本を出すなんてと、文藝春秋をいい出版社と思った学生も少なくなかっただろう?

ともあれ、昨日紹介した梅棹忠夫の評伝では、梅棹と鶴見俊輔との付き合いがよく出てくる。本書では、河合と、俊輔の父である鶴見祐輔との交友がよく出てくる。息子さんも時々出てきて、河合栄治郎に多少の影響を受けていた感もある。もし、河合栄治郎が長生きしていれば、鶴見俊輔だって、「ベ平連」にいかずに、もっと、正しい意味での「リベラル」派になっていたかもしれない? 残念?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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