古本虫がさまよう 共産主義
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「ゆすり、たかりの国家」からやってきた金正恩の妹こと金与正サンに「人迷惑な核武装なんかおやめない」と言えても、代わりに「『美尻トレ』」をおやりなさい」と言えるだろうか?
(2018・2・12)





荻原博子氏の『投資なんかおやめなさい』 (新潮新書)はこの前紹介した。なかなか面白い本だった。その本を読んだあと、妻が、岡部友氏(女性)の『美尻 究極のヒップメイク』 (文藝春秋)なる本を図書館から借りてきて読んでいた。さすがに買ってまで読んでも…という思いがあったのだろう。買えば1400円ぐらいする本。いくらなんでもみっともない、いや、もったいない?(しかし、この前、BSテレビの広告で購入した「尻ふりダンス機」みたいなダイエットマシーンはどこに消えたのか? あれは一万円以上していたはずだが?)。

なんでも、こんな内容→むやみに筋トレだけしても女性らしさは生まれません。桃のように丸くてプリンとしたお尻のためには脂肪が必要です。脂肪燃焼にばかり固執せず、女性らしいカーヴィーボディには欠かせないものだということを知っておいてほしいのです。美尻の魔術師・岡部友が教える理想のお尻の作り方。動画が見られるQRコード付き。

古稀前の「老婆」も美尻トレをやっているとのことで、著者と並んでの写真も掲載されている。ううむ……。著者の素晴らしいヒップなども随所に写真入りで紹介…というか、尻トレのノウハウを…。男性読者なら見ても愉しめる一冊?

一時、トレパンというのか、なんか体にピッタリとしたパンツルックみたいなものが女性の間で流行ったことがあった。まぁ、スカートでもはけば、モロに尻形が明確にならないのに…。よせばいいのに…と感じたことがあった。もちろん、この著者のような女性ならば、見て損はしない…が。そうでない女性は、迷惑料をもらいたいものだと思ったものだ。ともあれ、男にはあまり関係のない分野かな…。

それにつけても、韓国にやってきている金正恩の妹の金与正というオンナ。見るからに傲慢そう?
産経記事(2018・2・11)に、 「笑顔一瞬」「表情冷淡」「相手見下す?」という見出し記事が出ていた。相手によっては若干の微笑笑顔を見せたりもしているようだが。

こういうオンナに、岡部さんの「この本をあげるから、人迷惑な核武装なんかおやめなさい。美尻トレでもやりなさい」と言う政治家や記者はいないものかな?

金正恩や金与正などの共産主義者は、口舌巧みに(?)「容共リベラル」に浸透し、さらに「中庸リベラル」にも浸食し、さらには「反共リベラル」にまで…(それはさすがに無理?)。自分たちのホンネの主張を隠し、柔軟思考ぶって,人民連立戦線を構築し、いざ人民連立政権に加われば、警察公安部門を牛耳り……そして、かつての「仲間同志」を、ソーセージサラミをスライスし切り刻んでいくように、気がつけば一党独裁体制を確立していく……。

そういうサラミ戦術を未だに21世紀になっても堂々と行ない,それにひっかかるお人好しが日本や韓国にはゴマンといるようだから驚きである。
「過去の歴史に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」―――とはノンキな容共リベラル指導者たちに捧げる言葉であろう。

そういうサラミ戦術的な共産主義者の手法は、東欧では実際にあった。その実態は、ゲアハート・ニーマイヤーの『共産連立政権戦術 』 (時事新書)に詳しい。この戦術に韓国の文在寅なんかがひっかかろうとしている。やれやれ。過去の「慰安婦」問題に執着し、現在進行形の北朝鮮の人権抑圧には無関心を決め込んでいる。その実態は、西岡力氏の『ゆすり、たかりの国家』 (ワック)にも詳しい。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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北朝鮮女性は「アンネ」を知っているか?(2018・2・10)


岡田芳郎氏の『日本の歴史的広告 クリエイティブ100選 江戸時代~戦前戦後~現代まで』 (宣伝会議)を読んだ。左頁の広告(実物)゛右頁に広告の解説文を掲載する形のコラム本ともいえる。

大橋巨泉氏の『はっぱふみふみ」のパイロット万年筆の広告などはリアルタイムの記憶がある。角川書店の「人間の証明」なども。富士フィルムの「それなりに写ります」も。アンネの「40年間お待たせしました」というのはさすがにリアルタイムの記憶はないし、あまり関心のない広告だが…。

「アンネ」で思い出したのが、下記の本。すでに紹介ずみ。以下再録(一部加筆・補筆)。



『アンネの日記』と「アンネの世界」を垣間見る 10/14/2013

1970年生まれの田中ひかる氏の『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』 (ミネルヴァ書房)を読んだ。著者は学術博士(女性)。

月経を不浄のもの、タブーにみなしていた過去から、今日アッケラカンとテレビ広告でも宣伝されるようになった生理用品の歴史、価値観の変遷を取り上げたノンフィクション的書物。

いわゆる「アンネ社」の「アンネ」やらナプキンなどの開発史でもある。

使い捨てできる生理用品は、企業の利益拡大のために作られたものであり、便利さを追求するあまり女性の生理を商品化したりしていると、いかにも…といった理屈で批判する人もまだいるようだが、著者はそういう立場を取らない。

それは結構なこと。

読んでいても違和感なく読了。

といっても、男にはこの分野のことはよく分からない。ただ、紙おむつなどに対する一部の批判(資源浪費云々)などに関しては、布と併用すればすむ話だと思っていた。我が家も赤ちゃんがいた時には併用していた。外に出掛ける時は、紙おむつ、家にいる時は布おむつと。紙おむつは割高になるから、当然、そういうふうになるもの。

生理用品も、多い日とか少ない日とか、いろいろとあって、その都度、使い捨てと布のを併用するということも可能なよう。リベラルなフェミニストは便利なものを使い捨てで資源の無駄遣いだとして一方的に批判したり否定しがちだけど、あまり賢明とはいえまい。だったらシャワートイレ止めますか?

エコノミーとされる布だって、その分洗濯するわけだから、電気代や水道代が増える。

「おわりに」で、北朝鮮からの脱北女性たちが、韓国にきてもっとも感激するのが「生理用品のナプキンの存在」だと指摘している。いわゆるリベラルな人って、北朝鮮を讃美してきた人が多いけど、やはり便利なもの、清潔なものは古今東西喜ばれるもの。

少なくとも、戦後の日本は、本書でも紹介されているように、企業人が、平和産業の一つとして生理用品の開発に四苦八苦した。利益利潤追求? それが結果として女性の社会進出を促しもした(一部の人の生理休暇などを不要にするぐらい、生理用品は快適な環境を高めることにも貢献したのだから)。何の文句があろうか? 『アンネの日記』 (文春文庫)でも、アンネが生理の時の苦労話を綴っている箇所があり、それが「アンネ」のネーミングとも関連しているそうな。

そうした民生に投資することもなく、核兵器やロケットや人文字体操にばかり時間と金を浪費するような国家こそ、女性の敵といえよう。いま、韓国の冬季五輪に着ている北朝鮮の女性たちは、そういう「装備」をちゃんとしているかな?

もっと、そういう方向に批判の眼を向けたらどうかといいたくもなる。

格差大国ニッポン、格差大国アメリカなんて囃し立てる人に限って、中国や北朝鮮の「超格差」状態は見て見ぬフリをしがちだから。

小田実なんか、そういう視点がなかったからトンチンカンな北朝鮮讃美をしてしまったのだろう。同じ過ちをしている人がまだいるのではないか?

日本のフェミニストたちも、もう少しまともな発想を持つべきだろう。

そのためにも、田中氏の本は役立つ。

巻末にはアンネ社の広告資料なども収録されている。この手の広告にはあまり関心を寄せたこともなかったので、改めて勉強にもなった。

洗濯や炊事という重労働から洗濯機や炊飯器が女性を解放したのと同様に、優秀な生理用品が、女性のイライラを解放したともいえよう。

蛇足だが、フランス書院文庫の『狙われた女教師』は、生理の時にイライラして万引きした弱みを同僚の男教師に握られ堕落していく女教師の哀しい性を描いた問題作だが、こういう小説ももう時代遅れか? いやそんなことはない?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「朝鮮戦争勃発」に関しては、「米韓の侵略戦争と書け」という「左翼検閲」がなくなった! しかし、侵略者の「主語」は明記せずという「検閲」は残っている? 『広辞苑』もしかり!
(2018・2・6)






河合敦氏監修の『戦後のサバイバル』 (朝日新聞出版)を読んだ。

(こんな内容)→戦後の焼け野原となった東京にやってきた小学生のハルトと弟のタクミ。この時代にハルトたちを送り込んだ怪人の目的とは…?東京タワーの建設や新幹線の開業、そして東京オリンピック開幕!ふたりは怪人を追いかけながら、日本の復興と成長をたどる時空の旅をする。

子供向けにマンガ形式で、日本の歴史の一時代を描いたもの。以前、ドラえもんなんかによるこんな学習マンガみたいなものがあったかと。このシリーズ、ほかのものは読んでないが、本書は、 謎の怪人にそそのかされて、弟のタクミとともに過去の世界にタイムスリップした小学生のハルトの体験記といった構成。

着いた先は、終戦直後の日本だったり、高度成長期が始まるころだったり…。過去に戻って、某マンガを購入するのを取引にして…。

朝鮮戦争に関して、 「ソ連が支援する北朝鮮が、アメリカが支援する韓国へ攻め込み、戦争が起こりました。これを朝鮮戦争と呼びます」と書いている。朝日からの刊行だが、ここには「検閲」が働かなかったのか? まとも!


というのも、 『この一冊で韓国・北朝鮮丸わかり! おどし、ゆすり、たかりの半島国家 【歴史通】 (月刊WiLL2017年11月号増刊)』 (ワック)に収録されている座談会「伊藤 隆/萩原 遼/福井義高…誰が北朝鮮・金正恩を甘やかしモンスターにしたのか?」によると、伊藤隆さんは、NHKの高校生向けの「日本史」講座のテキストに、当初「1950年6月、北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争が始まった…」と書いていたら、そんなふうには書かないでほしいとNHK側の検閲が入ったという。伊藤さんが抗議すると、 「講義の中で、そうしゃべるのはいいけど、テキストには書かないでほしい」とのことで、押し切られたそうな。朝鮮総連なんかが抗議してくるのを恐れての「言論弾圧」だったのだろう。

出席者の元日本共産党党員、赤旗平壌特派員だった萩原遼さん(2017年12月逝去)によると、日本共産党の上層部から、岩波新書の『昭和史』のように、南から攻めたとか、もうそういうのは止めよう(無理筋と判断?)ということになり、主語抜きで「1950年、朝鮮戦争が始まった」ということにしようと…なったそうな。
ということで、近年、そういう「主語」抜きのゴマカシが一般マスコミでも続いていたが、最近は「正しい主語」を明記する向きが増えてきたようだ。朝日の上記の本も、「侵略」とまでは書いていないが、北朝鮮が韓国へ「攻め込み」と書いているから、「合格」だろう。

過去のこととはいえ、そんな「左翼検閲」をするNHKには受信料を払わないのが正解?

日本共産党との裁判闘争を闘った元産経の林秀彦氏の『左翼検閲 「言論の自由」を如何に守るか』 (啓正社)は名著。
それにつけても、朝鮮総連などの圧力に屈して、言論の自由を制限していた大手マスコミの「反知性主義」の愚かさは忘れてはならない歴史の一コマだろう。現在、産経に連載されている北朝鮮拉致疑惑をスクープした阿部雅美氏の『40年目の検証私の拉致取材』を読むにつけ、そう思う。

だが、以前指摘したように、朝鮮戦争に関しては、左翼歴史家の藤原彰氏・今井清一氏・遠山茂樹氏が書いた『昭和史』 (1955年刊行。岩波新書)ではこう書いていた。

「(五〇年六月)二三日、在日アメリカ空軍戦闘機部隊は九州に集結した。そして二五日、北朝鮮軍が侵略したという理由で韓国軍は三八度線をこえ進撃した」と。

この本と同じ出版社から出ている『広辞苑』はこう書いている。

[朝鮮戦争]大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次世界大戦後の米国・ソ連の対立を背景として、一九五〇年六月二五日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍の支援のもとに国際紛争にまで発展した戦争。五三年七月休戦。

この筆致だと、「太平洋戦争」は「大日本帝国とアメリカ合衆国とが、一九四一年十二月八日衝突し、国際紛争にまで発展した戦争」ということになるのだろう?

「ルーズベルトの罠」にひっかかったかどうかは別にしても、少なくとも、日本が真珠湾を先制攻撃して日米戦争(太平洋戦争)が始まったのは「定説」。

それは朝鮮戦争が、「1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国の毛沢東とソビエト連邦のヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した」のと同様だろう。この記述は「ウィキペディア」によるもの。少なくとも、この朝鮮戦争の「定義」をめぐっては、『広辞苑』は「ウィキペディア」よりも知的に劣るというしかあるまい。

このように左翼人(?)にとって、朝鮮戦争が北朝鮮による「侵略」で始まったと書くのは未だにタブーなのだ。情けないというしかない。

その関連書として、金時鐘氏&佐高信氏の『「在日」を生きる ある詩人の闘争史』 (集英社新書)を読了。読後感はのちほど…と思うが、まぁ、朝鮮総連、北朝鮮と一線を画したと称する金さんだが、朝鮮戦争などについて論じていても、「主語」を明言もしていない。こういう人にとっては、まだ朝鮮戦争が北朝鮮による侵略戦争であることを認め糾弾するのは「タブー」なのだろうか?

転向後の磯谷季次氏の『良き日よ、来たれ 北朝鮮民主化への私の遺書』 (花伝社)や、関貴星氏の『楽園の夢破れて』 (全貌社。そのあと亜紀書房から復刊)や、関氏の長女(呉文子氏)の『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本や、呉氏の夫の李氏の『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社) などで吐露されているような北朝鮮に対する本質的な根源的な批判や、過去の自分の北礼賛からの転向や葛藤や苦悩に比べれば…。金永煥氏の『韓国民主化から北朝鮮民主化へ』 (新幹社)と比べても…。でも、徐京植氏の『日本リベラル派の頽落』 (高文研)よりは「良心的」といえるかも?


ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「反知性主義者」とは、シベリア抑留問題などで「ソ連を礼賛し抑留の事実に目を向けようとしなかった者」たちのことでは? バルト三国と日本に共通する哀しみの過去をめぐって (2018・1・16・火曜日)



 

安倍首相がバルト三国を訪れた。杉原千畝記念館も訪れた模様。結構なこと。以前、エストニアに於ける「シベリア抑留(強制拉致・強制連行・強制労働)」の悲劇を扱ったとも捉えることが可能な映画『こころに剣士を』を紹介したことがある。そのほか、シベリア抑留に関する最近の著作もいろいろと読後感を綴ってきた。そうしたものは本文末尾に「再録」するとして…。

栗原俊雄氏の『シベリア抑留 最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ』 (角川新書)は大変ナイスな本だった。

(こんな内容)→終わらなかった戦争を家族は生き抜いた。ある家族が繋いだ奇跡の一次資料!終わらなかった戦争を、家族は生き抜いた。最後の帰還者が持ち帰った、奇跡の一次資料。未完の悲劇、シベリア抑留。最後の帰還者の一人、佐藤健雄さんが妻とし子さんらと交わした葉書が見つかった。ソ連は国際法違反である抑留の実態を知られぬために、文書の持ち出しを固く禁じていた。しかし、佐藤健雄さんは妻たちと交わしたハガキを密かに持ち帰っていた!一つの家族がつないだ奇跡の一次資料を元に、終わらなかった戦争を描く。


ソ連のやった「シベリア抑留」(強制連行・強制拉致・強制労働)は、「戦後」になっての「戦争犯罪」。その点からも許せない暴挙だというしかない。
だが、その実態に関しては、ヒロシマ、ナガサキの原爆の悲劇やオキナワの地上戦の被害に匹敵するにもかかわらず(「地上戦」に関しては、沖縄だけではない。千島列島や南樺太での悲劇もある。しかも「戦後」になっても…)、日本の歴史ではあまり触れられることはなかった。

シベリア抑留の研究はなぜ遅れたのか?

栗原氏は、ソ連が資料を公開しなかった点や、補償をめぐって日本政府が「しない」という態度なので、それをめぐって、抑留者たちの団体が分裂もしたことなどを挙げつつも、 「アカデミズムの一部に、ソ連を礼賛し抑留の事実に目を向けようとしなかった者がいた」と鋭く指摘している。これは全くの正論だ。

そのアカデミズムから、かろうじて一線を画して、近年、ちょっとこの問題を追究するようになった学者としては富田武さんがいる。彼の本も紹介したことがあるが、まぁ、前進はしているものの、イマイチの感もなきにしもあらずだ。それらの書評も本文末尾に再録するとして…。

栗原さんの本の主人公は、東京外語大学でロシア語を勉強し、満鉄に入社した民間人佐藤健夫さん(とその家族)。もちろん、民間人といっても、当時の日本(満洲)。ソ連軍の動向などに関する調査研究もしていた。ともあれ、広辞苑によるところの(?)「ソ連の対日参戦」(正確には→日ソ中立条約違反の火事場泥棒的侵略行為)によって、佐藤さんをはじめとする何十万もの日本人が、塗炭の苦しみを味わうことになる。彼の家族はなんとか日本に戻れたが、佐藤さんは抑留。なにしろ、最後の帰国船で1956年12月に、やっと帰国するのだ。

長期抑留の間、後半はスターリンの圧政も少しは緩み、家族とのハガキのやりとりができるようになった。佐藤さんから家族宛てに送ったハガキが保存されているのは当然だが、家族が佐藤さんに送ったハガキも残っていた。それは驚くべきことで、家族→佐藤さん宛てハガキが35通もあるという。

「ソ連は日本人が絵画や手紙を持ち帰ることを厳しく禁じた」「抑留の、国際法違反の実態が明らかになってしまうことを恐れてのことであった」(栗原)。

にもかかわらず、35通のハガキが残っていたのだ。どうやって持ち帰れたのだろう? 謎だ? この点は、栗原さんもあまり深く追求していないが……(家族は当然,そのノウハウは聞いて知っているはず?)。

ともあれ、本書ではそれらを紹介しながら家族間の交流を描きつつ、その当時の日ソ間のシベリア抑留問題をめぐるさまざまな駆け引き等々が詳述されている。
抑留者内部での親ソ派と反ソ派の対立。現地収容所を訪問し、ノーテンキに、抑留者たちはちゃんとした待遇を受けていると触れ回った左翼系国会議員たちの愚かさなども指摘もされている。
こうした「反知性主義」的な共産圏礼賛報告記は、のちの寺尾五郎(『38度線の北』『朝鮮 その北と南』 新日本出版社)や、訪朝した日本人記者団たちの本(訪朝記者団編『北朝鮮の記録 訪朝記者団の報告』読書社)などに引き継がれていくのだ。

モデルコースを歩かされているという簡単な事実に気付かないというか、「心の祖国」である「ソ同盟」(&中共&北朝鮮等々)の欠陥は目に止めない、触れない、語らない--「見ざる聞かざる言わざる」といった「三原則」でも脳内に保持しているのだろう。小田実サンの『私と朝鮮』 (筑摩書房)や『「北朝鮮」の人びと』 (潮出版社)なども寺尾五郎の系列というしかない。

それにしても、国連加盟にも反対し、抑留者を人質にしての日ソ国交回復交渉…。北方領土などの返還に関しても、人質外交で居丈高な対応をするソ連。そのやりくちは北朝鮮の拉致交渉とも対比できようか。

帰国した佐藤氏は公安調査庁や自民党系のシンクタンクなどに勤務したとのこと。対ソ警戒派としての言論活動もしたようだ。

ともあれ、こうしたシベリア・満洲の悲劇に関して、関東軍の無様さが指摘されることも多い。本書でも栗原氏も指摘している。当然だ。ソ連からの攻撃があって、連絡の問題などもあって、軍人などの家族が真っ先に鉄道で南下したことなども問題だろう。

ただ、戦争が終わった時点で、戦勝国側の軍隊が、民生を安定化させるというのは、常識。普通の軍隊、普通の国家ならそういうことをするものだ。
日本が南京を占領した時点では、まだ戦争継続中で、敵側も「便衣兵」だのなんだのさまざまな形で「不法」な行為をしていた。そういう時に、いろいろと衝突やら不適切な捕虜処断などが発生したのは、不幸なボタンの掛け違いもあったろう。

だが、満洲、樺太、千島等々の戦線では、日本が降伏した以上、ソ連が火事場泥棒などがさらに進めたりしなければ、そしてああいった強制連行などをしなければ、そもそもシベリア満洲の悲劇は関東軍云々以前に発生しなかっただろう。婦女強姦などはどの軍隊もやっていたにせよ、「戦後」になって、組織だって行ない、それを半ば容認していた軍隊はソ連軍ぐらいではないか。満洲のみならずドイツ女性が被害にあったのはいろんな文献にもある。

その点で、「戦後」の日本人の悲惨さに関して、関東軍の責任より重大な責任を負うのはソ連軍のほうだ。

ソ連の「対日開戦」前の交渉や、戦後の交渉などでの軍人や居留民の現地での「協力行為」の申し出にしても、現地(満洲地域)での通常の文明国家内での労務提供としての申し出レベルであり、極北などへの強制移住(連行)を前提とした、労働力提供を想像したものではなかっただろうし…。その点などに関して、本書でもう一言あれば尚よかったと思う。

ともあれ、昨年刊行された雑誌「歴史通」(2017年4月春号)でも「こんな許されない歴史があった『シベリア・満洲の悲劇』」という特集が組まれていた。その中で、早坂隆さんが「天皇陛下は、シベリア慰霊の旅になぜ行けないのか」というものがあった。ペリリュー島、沖縄等々にはすでに行かれているが、「戦後最悪の悲劇」であったシベリアへの慰霊の旅はまだ実現していない。受入れ側のソ連の問題もあろう。でもハバロフスクには小泉首相なども出かけている。天皇陛下も……。よもや宮内庁内部に「親ソ派」がいるわけではあるまいが?


ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

以下再録



シベリア抑留・拉致から北朝鮮拉致まで (2012・2・9・日曜日)

富田武氏の『シベリア抑留者たちの戦後 冷戦下の世論と運動 1945-56年』 (人文書院)を読んだ。著者はソ連政治史の専門家。 『戦間期の日ソ関係 1917-1937』 (岩波書店)などは積んどくしているが、この本は薄いので一読した次第。

著者が抑留研究を開始したのは、2010年ごろからとのこと。なぜ、そんなに遅くなったのかについて、抑留者の団体が政治的に分裂していたり、公文書の解禁がソ連崩壊以降のことであり、それ以前の段階で、まずはスターリン体制を研究し、ついで日ソ関係史を研究し、その合流点としてやっとシベリア抑留研究に進んだ…と。

「しかし、これはタテマエ論であって、自分でもすっきりしなかった」という。関東軍の将校だった大叔父がいて抑留もされていたから、この抑留問題については「ソ連史研究をはじめた二十代半ばから気にかかっていた。せめて公文書が開示されてから、つまり一九九二年に抑留研究に着手してもよかったのに、という思いがあった」「最近ようやく気付いたのは、私も新左翼運動の世代の一人として、抑留というスターリンの蛮行を批判する点では人後に落ちないものの、『日本帝国主義の大陸侵略の尖兵』だった関東軍将兵を研究するのに躊躇したことである」と記している。なるほど…。

ともあれ、これは北朝鮮の「拉致」同様、共産主義者がわが国に対して行なった極めて不当な行為というしかない。戦時中の「慰安婦」や捕虜虐待のレベルではないのだから。「戦後」になって、「平和」になって、「民間人」含めて捕虜を拉致し強制労働をさせたのだから(その使役に伴う「給与」は慰安婦同様(?)少し支払われている?)。

国際法云々以前に、戦争が終わった後に、捕虜・民間人を連行拉致して、自国の経済再建のために安い使い捨て労働者として酷使したというしかないのだから呆れる。スターリン一派というか、共産主義者ならではの蛮行というしかない。同じ悲劇はバルト三国などにも及んでいる。スウェーデンとて、当時は「自由の地」ではなく、戦時中、スウェーデンに逃げてきたバルト三国などの人々を、戦後ソ連に強制帰国をさせようとしていた。それを嫌ってアメリカまで小型船で逃れた体験記C.B.ウォールの『エルマ号漂流記』 (時事新書)なども、涙なくして読めない生々しいノンフィクションである。

それはさておき、本書では学術的書物として、ソ連による抑留が、批准されていなくてもジュネーヴ条約違反であったかどうかなどなどから話が展開されていく。学問的にはいろいろと解釈もあるようだが、著者は「ポツダム宣言に『武装解除後の家庭復帰』とある以上、数年間も抑留してよいはずがない。ソ連による日本軍将兵及び民間人の一年半から四年半の、最長11年に及ぶ抑留が国際法違反であることは明々白々である」と指摘している。同感。

「ソ連が占領した満洲から工業設備、ダム・鉄道設備などを大量に搬出したことも、広義の国際法違反ということができる」と。「もし賠償というなら、日本の攻撃を受けなかったソ連にではなく、植民地支配を受け、土地を奪われ、人民の労働が搾取された中国東北に対してなさるべきものであろう」とも。それはまぁそうだろう。

ところが、ソ連を庇いたい人たちは、「日本ではソ連が東北の設備を持っていったという説があるでしょう。その点どうか、といってその人たちに聞いたら、そんなことは全然ない。日本軍がこわしたものを全部復旧したのみならず、その復旧の補充をしているのは全部ソ連の機械だそうです」(「世界」1955年8月号・大内兵衛)となる。また、蜷川新という国際法学者は『経済往来』(1952年8月号)で、ソ連のやったことは国際法違反ではないと明言もしている(この点は稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文春文庫)の「第二章『シベリア抑留』擁護論の系譜」参照されたし)。

抑留をめぐって、帰国運動に関して、日本共産党や社会党など、どちらかといえばソ連びいきの政党人がどのような態度をとったか、抑留社会内の民主化運動など、反共、容共などの対立、帰国してからの抑留者の動向など…さまざまな問題が取り上げられている。抑留された国際法の専門家であった尾上正男氏の見解なども詳述されており参考になった。

所詮、日本共産党はソ連に忠実なしもべであったようだ。国内の反ソ世論に多少は影響を受けて、モスクワに対して一定の要望はしていたようだが…。このあたりは若槻泰雄氏の『シベリア捕虜収容所 上下』 (サイマル出版会。後に明石書店)でも詳しく分析もされていたと記憶している。

俗に60万抑留され、6万人死亡といわれるが、アルハンゲリスキー(瀧澤一郎氏訳)の『プリンス近衛殺人事件』 (新潮社)などによれば、いや、もっと多く抑留されていたという説もある。100万とも?

シベリア抑留者の手記は多々ある。古本屋、古本市に行けばいまなおよく見かける。時々、買っているものの積んどくすることが多い。もう「過去」のことだと思うからでもあるし、シベリア抑留以降も、世界に目を向ければ、収容所国家(ソ連、中共、北朝鮮、ベトナム、キューバ…)で呻吟する人々が現在進行形で多々おり、そうした人の手記などのほうが、より過酷というか、救済を必要と感じての後回しでもあった。だが、やはり日本人として、この問題は無視してはいけない。かといって、浅ましい、どっかの国のように、居丈高に声高に論難するのも見苦しくはある(といっても、スターリン国家のやったことは、明々白々な戦争犯罪、いや人道に反する罪ではあろうし、その伝統は中共や北朝鮮やベトナムに引き継がれて、現在進行形で行われているのであり、それを批判する上でも、忘れてはならない)。



プーチンに、シベリア強制連行・拉致を謝罪せよ――と、進歩的文化人はなぜ要求しないのか?
(2016・12・16・金曜日)



1956年12月26日に、ソ連から最後の集団帰国者1025人を乗せて、興安丸が舞鶴に入港したという。いまから、ちょうど60年前のことだ。ソ連によって不当な「強制抑留」「強制連行」「強制拉致」をされた日本人の悲劇は、1945年8月9日のソ連の攻撃(侵攻)から始まった。

西来路秀彦氏編の『シベリア抑留関係基本書誌』 (日外アソシエーツ)は、そうした被害にあった人々の手記など、書誌リストがまとめられている。強制抑留体験のある時事通信社出身の木屋隆安氏の『シベリア無宿放浪記 ある虜囚の愛と憎しみ』 (泰流社)も収録されている。そうした本をはじめ、学生時代から、シベリア強制収容所で生き残った人々の手記などはよく集めていた。読んだのは、その中の一部でしかないが……。帰国してからも、洗脳の影響もあって、共産党の門を叩いた人もいたが、自由の身になって、抑留時代の「洗脳」から解放された人もいた。人それぞれ、さまざまだったようだが、ともあれ、戦後70年が経過し、シベリア強制連行が終了してから60年。だが、北朝鮮による強制連行・拉致はいまだに解決していない。共産主義者はなんと残酷なことをしでかすのか。

その共産主義者の残酷行為を「擁護」「弁護」した愚かな面々たちは、若槻泰雄氏の『シベリア捕虜収容所 上下』 (サイマル出版会。のち明石書店)でも告発されていた。稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文藝春秋。のちPHP研究所)でも、そのあたりは克明に追及されていた。

その関連本として、2015年5月に刊行された、長勢了治氏の『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』 (新潮社・新潮選書)を読み進めている。まもなく読了だが、この本の帯に保阪正康氏の「推薦」のコメントが掲載されている。保阪氏は、「この抑留」を「私は強制連行という語を用いる」と記してある。この点、同感だ。

ちなみに、以前、富田武氏の『シベリア抑留者たちの戦後  冷戦下の世論と運動 1945-56年』 (人文書院)を紹介したことがある。これは2013年12月に出た本。この本の中で、富田氏は長勢氏の、先の本の前に出た『シベリア抑留全史』 (原書房)を少し批判的にとらえていた。

「在野の研究者として長年の仕事を集大成したもので、ロシア公文書館を利用してはいないものの、ロシアの研究書、資料集も渉猟しており、よくまとまった労作である。但し、スターリンによる抑留、『民主運動』を断罪するあまり、これに抵抗した将校たちを『サムライ』として評価するなど、関東軍の行動と日本の満洲支配を、『大東亜戦争』さえも正当化しかねない論調は首肯できない。本書はこれを直接には取り上げないが、右批判の趣旨は読み取っていただけるものと思う」と。

富田氏は、この本で、「ポツダム宣言に『武装解除後の家庭復帰』とある以上、数年間も抑留してよいはずがない。ソ連による日本軍将兵及び民間人の一年半から四年半の、最長11年に及ぶ抑留が国際法違反であることは明々白々である」と指摘しているから、いわゆる、大内兵衛レベルとは異なる人だから……。ただ、『シベリア抑留全史』は未読なので……。

南京事件やら慰安婦やら、いずれも戦時中のさまざまな事案だが、ソ連がやったことは「戦後」の話。支配者として秩序を確立することは戦時中に比べれば容易。にもかかわらず、やったことは蛮行の数々。8・15以降も攻撃を続けた。
「戦前」発生の慰安婦問題や南京問題をことさら追及する人たちが、「戦後」発生した強制抑留や強制拉致事件に関して、やった相手が「共産国」となると、急に関心が低下するのはなぜなのか? 精神科医や脳内生理学者の分析が必要なのかもしれない?




安倍首相に代わって(?)靖国正式参拝を…。シベリア強制抑留による死者を悼む(2017・1・5・木曜日)

昨日から仕事初めのところもあっただろうが、今日からというところもあるかと。半々だろうか?
昨日の朝夕ラッシュ時の電車はいつもよりは空いていた。東京もこれぐらいの「人口密度」がいいのかも……。
ともあれ、昨日は安倍首相が伊勢神宮に参拝したからというわけでもないが、こちらはなぜか、靖国神社に「初詣」に。しかも、社頭でもなく、通常のお賽銭箱の前でもなく、なんと昇殿、正式参拝をしてきた。
僕はまったくの民間人。国会議員にでもなったら、もちろん、参拝するつもりだったが、この前、母が亡くなった時、その兄弟に戦死した人がいて、靖国に奉られていると知った。ならば、民間人であっても、参拝する必然性が生れたことになる……。
ともあれ、順繰りに中に入り……。テレビで政治家などが歩く木づくりの廊下などを歩いた…。

それはさておき、小熊英二氏の『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』 (岩波新書)を読んだ。著者の父親はシベリアに強制連行・強制労働された人。その強制抑留体験のみならず、その前後の人生の歩みを綴ったもの。オーラルヒストリー的な軌跡は興味深く、面白い本だった。

ただ、ちょっと不可思議な本で、父親の体験・証言を中心に構成しつつも、戦場の近場だった満洲など、日本人女性が「性奴隷」と化した客観的な事実などには一切触れていない。関東軍など、軍関係者やその家族は、我先にと逃げたといった話はよく出てくるのだが。ソ連兵が我先にと日本人女性を襲った事実にはあまり関心がないようだ。

「囚人を労働力として利用することは、明治以後の日本も行なったこと」として、「北海道の道路建設や三池炭鉱の開発などは,囚人労働なくしてありえなかったといわれる」(ダニエル・ボツマン『血塗られた慈悲、笞打つ帝国。』インターシフト)とも紹介する。ふうむ…?
明治と昭和とではかなり時代も異なると思うけど? もっとも、著者はそのあとに「とはいえ」と。 「ソ連の囚人労働の活用は、他国にみないほど大規模であり、一九四九年当時の『奴隷労働者』は一〇〇〇万人以上ともいわれた」と辛うじてバランスは取っている。

また、ソ連側が囚人労働者に対して、凍傷予防の対策をそれなりにしたとか、赤字になるのに、収容所の維持のための支出をしたといったロシア側歴史家などの発言を引用紹介する。
「ソ連内務省の予算収支によると、捕虜労働による収益が収容所の維持管理費にみあわず、一九四六年度には三三〇〇万ルーブルの赤字を連邦予算から補填したという(カルポフ前掲『スターリンの捕虜たち』)

かといって、 「こうした事情を記すのは、ソ連を弁護するためではない」として「捕虜を強制労働させたことの責任は措くとしても、十分な受入れ準備も労働計画もなく、六四万もの捕虜を移送したことは、マネージメントが拙劣であったとしか形容できない。その結果が、非人道的であるにもかかわらず、経済的にはマイナスという愚行となったのである。個々のロシア人に悪意がなかったとしても、国としての責任は免れない」「日本の捕虜たちの境遇が、奴隷的であったことを否定する根拠にはならない」と。両論併記する。

「しかし同時に、こうしたことは日本側にもいえる。大日本帝国の朝鮮統治は赤字だったともいわれるが、それが善行を施した根拠になるわけではない。また日本軍がアジア各地で現地住民から物資を略奪したのも、補給を軽視したマネージメントの拙劣さゆえであり、その最終的責任は国力不相応に戦線を拡大した日本政府にある。現場レベルの兵士たちに悪意がなかったとしても、やはり国としての責任は免れない」「ロシア側歴史家と類似の発言が、現代日本に存在しないか、考えてみてもよいだろう」と。

一見、公正に比較考察しているように読めないこともないが、当時としては合法的に併合を実現し、大学を作ったり民生向上やハングルの普及にそこそこ務め、人口も増えていた日本の植民地統治の「赤字」云々や、戦時中の戦線不利な状況での「緊急避難」的(?)な物資の現地調達と、当時としても、ポツダム協定違反の「戦後」の「捕虜虐待」「強制抑留」「強制労働」の「赤字」とを、どちらも「国としての責任」とみなして「公正」に分析するのが果たして正しいのかどうか? 疑問だ。そのあたりは、よくよく「考えてみてもよいだろう」?

また若槻泰雄氏の『シベリア捕虜収容所』 (サイマル出版会)にも何度か言及引用もしているが、この本の要ともいうべき「世界」的な進歩的文化人のシベリア強制連行擁護論の数々を引き出そうとはしていない。

そういえば、大内兵衛は、ソ連が大好きだったようで、戦後になって、ソ連が満洲などでさまざまな施設などを 収奪した事実は、小熊氏の本の中でも事実であったと「認定」されているのに、こんな妄言を「世界」(1955年8月号「ソヴェト・中国を旅して」南原繁との対談)でしていた。

「日本ではソ連が東北の設備を持っていったという説があるでしょう。その点どうか、といってその人たちに聞いたら、そんなことは全然ない。日本軍がこわしたものを全部復旧したのみならず、その復旧の補充をしているのは全部ソ連の機械だそうです」

向こうに出かけて、当局の用意した関係者のコメントをそのまま無邪気に信じて、それを検証もしないまま、日本国内のメディアで語り、それをそのまま掲載するというのは、曲学阿世の徒というしかあるまい。朝日の某記者も、中国に出かけ同じことをしていたのでは?

ともあれ、小熊氏の本では、この点では、大内氏のような妄言はない。父親自身のコメントとして、 「略奪物資が山のように積んであった。関東軍の軍需物資だった電線ケーブル、アルミニウムの棒、電話機など、貨車で運んできたものが、ただ放り出すように積んである。日本家屋のふすまの取っ手が、仕入れ用の箱に数十個入っているのを見つけたときはあきれた。何でも手当たり次第に持ってきたのだろう」と。

大内は、岩波新書からも『社会主義はどういう現実か ソ連・中国旅日記』という「迷著」を出している。でも、その末裔ということはあるまいが(?)、小熊氏はこの本では、ソ連が占領地のモノをあきれるほど大量に何でも収奪していった事実を、このようにちゃんと指摘している。立派な心がけだ。 「とはいえ」、ならば、ついでに、大内の「迷言」「妄言」にもちょっと触れてしかるべきではないのかしら? やはり、同じ進歩的文化人の大先輩である大御所には遠慮しているのかな?と邪推もしたくなる?
大内も長生きしていれば、自著と同じ岩波新書から出た、同じ進歩系知識人の本の中に出てくる「証言」を信じたことであろうか?

小熊氏の本の中には、北朝鮮拉致家族への連帯感はさほどなし。ただ、アムネスティの活動を父親はやっているそうな。僕もアムネスティだったかが作成したハガキは出したことがある。国際郵便代金分の切手を貼って。岩波「世界」にもアムネスティの広告がよく出ていたかと(編集部そのものは、北朝鮮の人権弾圧には関心はなかったような人がいたようだが? 安江良介編集長とか)。

この前紹介した、小島亮氏編集の『ただ限りなく発見者 大池文雄著作集』 (風媒社)の中で、粕谷一希氏が、大内のことを「ある意味では非常に世渡りのうまい人で、法政大学の学長になって、厚生省に隠然たる勢力を持っていた。ただ、彼は全然本を書いたことがないんですよね。『経済学』というのは久しぶりに書いた彼の啓蒙的な本で、あと、『財政学大綱』というのを上下でやっと最後に出した」と。

「本当に大内兵衛というのは、僕に言わせればくだらない男ですよ」とも。

ともあれ、こういった若槻さんが糾弾した人々の流れから、「シベリア強制抑留」問題を、「抑留問題」として認識する向きが少しでも広がってきていることは、喜ばしい限りだ。小熊氏の父の、とりわけ戦後の歩みは、戦争で酷い目にあった国民の歩みであり、自民党には投票しない、社会党などに投票する、でもソ連や共産主義は嫌いだという信条や、晩年、抑留者への補償問題をめぐって、韓国籍となった人への共感や同情を示す態度は、なるほど、無理もないと感得した次第。

靖国神社のホームページによると、


靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して国家防衛のために亡くなられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。
靖国神社に祀られているのは軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々などの神霊も祀られています(参考資料)。

とのこと。民間人はともかくとして、シベリアで「戦後」殺された軍人は、靖国に眠っているということか。



「非人道的な軍隊」と決めつけていいのか?(2017・1・6・金曜日)


小熊英二氏の『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』 (岩波新書)に引き続き、富田武氏&岩田悟氏編の『語り継ぐシベリア抑留 体験者から子と孫の世代へ』 (ユーラシア文庫・群像社)を読んだ。

90代の強制抑留体験者の証言がまずある。スターリン批判はむろんのこと、当然のこととはいえ、日本政府への批判もある。ロシア人を恨む気持ちはないとまでいう人格者も登場する。小熊氏の本を評価する人も。まぁ、人それぞれ。

富田氏の教え子である成蹊大学や東洋大学の「戦争をまったく知らない」学生による座談会も収録されている。その発言者の発言も「玉石混淆」だが(?) 、中には、寺島儀蔵氏の『長い旅の記録』 (日本経済新聞社)や、水谷泱司氏の『シベリア日本人捕虜収容所』 (自由国民社)を読んで、ソ連型収容所に関心をもった正統派(?)もいて、「民主運動」への誘いに乗らなかった「サムライ」に感銘を受けた若者もいたのは頼もしい。

シベリアの悲劇を取り上げた「君よ生きて」という音楽劇があったそうで、それを見た座談会出席者たちの中で、やはりこの学生は、 「この音楽劇では日本人捕虜を共産化しようとした『民主運動』が出てきませんね」と鋭く指摘。

司会者の富田氏は、「民主運動」を出すと、話の筋が込み入ることになるので省いたのでしょうと説明しつつも、 「バランスを欠いています」とも指摘。
別のところでは「日本が満州を支配し、中国人を苦しめた加害の面も忘れてはならないと思います」との別の学生のコメントに対して、 「そうですね。日本の軍隊は階級制度が絶対で、『戦陣訓』にあるように捕虜になるくらいなら死ねと、自決や玉砕を強いたり、捕虜や民間人を虐待、虐殺したりするような非人道的な軍隊だったことも思い起こすべきでしょう」と、ちょっと単純すぎる解説をしているのは気になった。

ナチにしても、ソ連軍にしても、それら全てが、「捕虜や民間人を虐待、虐殺したりするような非人道的な軍隊だった」と言い切るのにも似た思考様式といえるかもしれない。とはいえ、日本軍よりはソ連軍やナチのほうがより残虐だったとはいえよう。特定民族の抹殺や自国民殺戮など、あれほどひどいことを日本はしていない。一方的な自虐史観は、「バランスを欠いています」というしかないのでは?



スターリンに対しても、憎悪と怨嗟だけではなく感謝の心を表明すべきなのか?(2017・1・27・金曜日)


最低気温がマイナスで、最高気温が10度以下…となる日々が、ここ数日東京周辺で続いていた(昨日、今日は少し「暖冬」?)。だが、この程度の寒さ、東北・北海道からみたらどうってことはあるまい。テレビのワイドショーだったか、ハチ公前かどこかで寒さ対策をインタビューしていたら、東北から来たというおばさんが、この程度ならどうってことはない…と語っていたシーンがあった。だが、その東北や北海道の寒さも、シベリアの厳寒からすれば、どうってことはないたことになろうか。この時期、シベリアはマイナス20度、30度の世界ではないか。地球温暖化を祈っているロシア人たちがいるかもしれない。

それはさておき、富田武氏&長勢了治氏の『シベリア抑留関係資料集成』 (みすず書房)を手にした。箱入りで1000頁を超える大著。

内容紹介→シベリア抑留に関するわが国最初の資料集をここに刊行する。シベリア抑留問題については、今日まで、私家版を含め、ゆうに2000冊を超える。回想記類が刊行されてきた。だが、客観的な資料にもとづいた資料集はこれまで存在しなかった。シベリア抑留から70年余が経過し、旧ソ連が保持していた公文書や米国および米占領軍の公文書も開示された今、本書に収録された193編の資料および付録 類によって、抑留に至る経緯から、極東・シベリア・中央アジア・モンゴル・北朝鮮・南樺太などの各地域での抑留の実態、帰還および帰還後の問題、冷戦下のかけひきなど、その全貌がはじめて明らかにされる。 資料の半分を翻訳が占める。 巻末には、これまで刊行された「シベリア抑留体験記」のほぼ全てを収めた膨大な書誌を付す。 戦後70年余をへてようやく実現できたこの画期的な資料集は、現代史研究等に、新たなる道を拓くであろう。
巻末には、抑留体験者の手記など、抑留をテーマにした本がズラリと五十音順に並んでいる。68頁。1頁40冊とすれば、2500冊~3000冊ぐらいか。

西来路秀彦氏編の『シベリア抑留関係基本書誌』 (日外アソシエーツ)は雑誌なども収録されているようだが……。著者名五十音順に書誌が掲載もされている。こういう本を手にして、シベリア抑留関係書誌をコレクションすることも可能だろう。

40年前に上京した学生時代から、古本屋や古本市などで、戦争関連書などを購入してきた。その中でも、シベリア強制抑留体験者の手記はそこそこ購入した。帰国してからすぐに書いた人が多かったのだろう。1950年代~60年代に刊行された抑留記の多くは、紙の質も悪く、黒ずんでいたものが多かった。1970年代に青春時代を迎え、そのころから社会問題に関心を持った我が身は、ソビエトといえば、ソルジェニーツィンやサハロフを弾圧する「悪の帝国」だった。シベリア強制抑留は1956年に終了してはいたが、そのあとも、心ある「ソ連人」の多くが、「良心の囚人」として獄中にあり、強制収容所に残されてもいた。そこから辛うじて釈放されたり脱出したり、「雪解け」で解放されて「手記」を書いた人の本の蒐集や読破に励むことが多く、日本人のシベリア強制抑留手記は積んどくすることが多かった。1970年代からすれば、シベリア強制抑留問題は「過去形」だったこともある。サハロフやソルジェニーツィンなどへの弾圧は、「現在進行形」だったこともある。

ともあれ、じっと2000数百冊の手記の書名を眺める。ここに多くの人々の苦悩の日々が綴られている…。しかし、手記を書いた人は、生き残って日本に戻ることができた幸運な人々でもある。ざっと70万抑留、7万死亡…。帰国してすぐに亡くなった人も少なくないだろう。そういう人は手記を残すこともできなかった。

帰国した人々が作った団体には、いくつかの「派」があり、自民党政権時代に作られた平和祈念事業特別基金の『戦後強制抑留史』なる本があるが、みすず本の編者の一人、富田武氏は、その抑留史の本は「全編が抑留及びスターリンに対する憎悪と怨嗟の立場から書かれ、それを証明するために引揚掩護局による聴き取りや諸個人の回想がつまみ食い的に利用され、『抑留史』というにはおよそ客観性を欠いたものである。しかも、日本軍と階級制度の反省は全く見られず、抑留者が捕虜だったことを認めようとしない」と、こちらには批判的だ。

ううむ…。とはいえ、強制拉致・連行され、「戦後」になってあんな強制労働を強いられた人々にとって「スターリンに対する憎悪と怨嗟の立場」以外に、何があるだろうか? 常識をもって、想像力をもって考えれば、答えは自明ではないのか? 机上の空論はナンセンスでは?

いやいや、人生はジキルとハイド。禍福は糾える縄の如しだから、スターリンに対しても、憎悪と怨嗟だけではなく感謝の心を表明すべきなのか?
このみすず本の中にも「入党した帰還者諸君へ」(アカハタ・19548年7月30日)という野坂参三の一文が収録されている。

「民主運動」(洗脳運動)の成果か、共産党に入党する奇特な帰国者もいたわけだが、野坂は「諸君の一つの仕事はソ同盟のありのままの姿を世間に知らせることである。誇張は禁物である。いいところも、欠点も、そのまま伝えたらいい。そして社会主義と資本主義との根本的な相違、社会主義制度のすぐれている点を了解させることが必要である」と、ノーテンキなことを述べていた。
「ありのままの姿を世間に知らせる」ことに徹したら、当然、反スターリンになるのが道理ではないのか。

ともあれ、暖房の効いた部屋でパソコンに向かって文章を綴るわれら…。想像力だけはちゃんともって、シベリア強制抑留を体験した人々の心情を思いやるだけの「理性」と「知性」は持ちたいものだ。そのためにも、勇崎作衛氏(絵・文)の『シベリア抑留 絵画が記録した命と尊厳』 (彩流社)を読んだ。

内容紹介→戦後、ソ連軍の捕虜となって極寒の地で過酷な労働を強いられ 60万人もの日本人が連行された歴史。 胸に突き刺さるような87枚の油絵と体験記で 体験者が次の世代に伝えるメッセージとは。オールカラー! 友よ、答えてくれ! お前の家族に何と伝えればよいのか! (極寒の埋葬) 馬も大粒の涙を流して死んでいった。そして代わりに人がソリを引く (人間馬そり) 「働け! 早く」凍結した土はコンクリートのように固い (赤軍兵舎の水道工事) いま会社で普通に使う「ノルマ」という言葉は、 ロシア語で「強制労働に伴う責任達成量」を意味し、 シベリア抑留されていた日本人が復員後に 伝えた言葉といわれる。

冒頭から「将校夫人は、乱暴され、銃剣で刺し殺された」「女性は坊主頭にならないと何をされるかわからない」のキャプションの絵画で始まる。

そのほか、 「少しでも大きいところがほしい! 全員が真剣に見つめる」「黒パンの分配」という絵もある。
貰い物のとらやの羊羹がこの前、仕事場で配られた。適当に切断し、爪楊枝を差し込んでいる。それをみて、僕などは、当然、厚く切られた羊羹を手にした。現代でも、さりげなく(?)そういう選択をする人が多いことだろう。一人一切れなら、少しでも分厚い羊羹を手にするものだ。単なる「三時のおやつ」程度でそうなら、生きるか死ぬかのシベリアの極地でなら尚更であろう…。

ちなみに、古女房の祖父も強制抑留されて舞鶴に帰国してきたとのこと。その伝によると、「大卒のインテリ兵士は情けなかった。外の仕事がきついと泣き言言いながら、黒パンは少しでも大きいのを真っ先に取って食べていた」とのこと。本人は農家出身で、体力はあったようだが?

豊かな文明社会でのおやつの羊羹を「つまみ食い」する我と、シベリアのマイナス40度前後の世界で働かされ主食の黒パンの一切れ一切れに目を光らせた同胞。
「猫の肋骨をボリボリ食べている」人も描かれている。 「もはや人間の顔ではなかった」と(僕はネコ嫌いだから、食べることに抵抗はない? でも、小鳥も食べるだろうな? でも、シベリアにはインコはいないだろう?)。

こんな「野蛮人」に誰がした? スターリンに決まっているではないか!「諸個人の回想」の多くも、スターリンへの怒りがおおむね表明されているのではないか。もちろん、収容所周辺のロシア人が時々食料を恵んでくれたこともあった。収容所の看視人にも思いやりのある人もいただろう。そういうことを書いている人もいる。でも、体制としてのソビエトへの批判として一貫した怒りを表明している人が圧倒的多数だろう。それをそれとして直視して何が悪い?



慰安婦、南京事件など過去完了形事件を追うのもいいが、戦後の現在進行形のシベリア強制連行や北朝鮮強制拉致もお忘れなく?(2016・12・26・月曜日)


前にも書いたけど、1956・12・26はシベリアに強制抑留・連行された日本人の、最後の帰国者たちが舞鶴に戻ってきた日とされている。60年前の出来事。たまたま、長勢了治氏の『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』 (新潮社・新潮選書)を読了し、そのあと、富田武氏の『シベリア抑留 スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』 (中公新書)を読み、さらに、栗原俊雄氏の『シベリア抑留 未刊の悲劇』 (岩波新書)を読み進めていた時に、先の映画『こころに剣士を』を見た。こちらも大戦後、ソ連の完全支配下に置かれたバルト三国(エストニア)の悲劇を、「実話」に基づいて描いたものだった。

(改めての映画内容紹介)→ソ連占領下で人々が鬱屈した生活を強いられた1950年代初頭のエストニアを舞台に、勇気を持って逆境に立ち向かおうとするフェンシングの元スター選手と子どもたちの絆を、実話に基いて描いたヒューマンドラマ。エストニアの田舎町ハープサルでは、ソ連の圧政によって多くの子どもたちが親を奪われていた。ソ連の秘密警察から身を隠すため町にやって来た元フェンシング選手のエンデルは、小学校の教師として子どもたちにフェンシングを教えることに。実は子どもが苦手なエンデルだったが、学ぶ喜びに満ちた子どもたちの表情に心を動かされていく。ある日、レニングラードで開催される全国大会に出たいと子どもたちにせがまれたエンデルは、秘密警察に見つかることを恐れながらも子どもたちの夢をかなえるべく出場を決意する。監督は「ヤコブへの手紙」のクラウス・ハロが監督を務め、米アカデミー賞の外国語映画賞に向けたフィンランド代表作品に選ばれた。

(以下、さらなる詳しいストーリー紹介ありなので要注意!)。

名前を変えて、エストニアの田舎町へ。海のそば。場合によっては「亡命」も可能?
ともあれ、フェンシングの元選手ということもあり、誰もいない体育館で剣を手にしていたら、生徒がそれを見て、興味を持つ(この生徒の鋭い目つきがいいね。育て方を一歩間違えると親を告発する危険な子供や秘密警察の目になるが…)。体育の課外授業としてフェンシングをやることになるが、共産党官僚の校長はブルジョワ的スポーツとして気に入らない。やめさせようとして保護者会で提案。しかし、マルクスだってフェンシングをしていたという老人が出てくる。賛否を取ろうとすると…。その老人だけがまずは手を挙げる。シーンとした光景の中、ほかの保護者もおずおずと手をあげていく。共産党校長の方針に反して、そんなことをするとは…。賛成した保護者の名前はチェックされる。その後、老人は、収容所へ…。

教師の出自を怪しんだ校長は、部下に背景を調べさせる。ドイツ側について大戦で反ソだったという事実が発覚する。ちょうどレニングラードでフェンシングの大会がある時。チームは決勝まで進出。こっそり逃げようとも考えた主人公だったが、その場で逮捕され収容所へ(シベリアかな?)……というストーリー。幸いにも、そのあと、スターリンがくたばり、「釈放」され、再び、駅のホームに戻ってくる。そこには、恋人や生徒たちが待っていた……。

共産党校長の方針に反対するなんてことは、全体主義国家では許されないこと。それでも「正論」を通す…。ほのかな恋愛。レニングラードの大会に出発する駅のホームに、主人公の恋人がサンドイッチをもってやってくる。ううむ…。30年以上前、僕にもそんな光景が? 田舎に帰る新幹線のホームに手作りの弁当を持ってきて涙ぐんだ女性が…。それがいまや……。その日、映画を見にきた時、薄手とはいえ、コートを着たままなので「?」と思ったら、なんと、その日、ワンピースを着ていたのだが、トイレに座ったとたん、背中のファスナーがプッツンしたとか? 20年前に買った時は、ゆったりだったのが……。

ともあれ、シベリアに強制抑留され、マイナス30度なんていう厳寒の中でも働かされた日本人たちは、古女房と違って、体重も半減するような悲惨な生活をしていた。それらの事実は、先の本でも幾度も紹介されている。にもかかわらず、そうした状況を、愛する「ソ同盟」サマのやっておられることだとして、見て見ぬフリをしたり、擁護したりする愚かな進歩的文化人たちもいた。

その事実は、若槻泰雄氏の『シベリア捕虜収容所』 (サイマル出版会・明石書店)で詳述されている。富田氏は、先の本で、「ソ連とスターリン、そして、『民主運動』の弾劾に終始したもの」だったとして、いささか、クールにというか、見下した(?)感じで紹介しているが……。

若槻氏のその告発書を継承する著作として、阿部軍治氏の『シベリア強制抑留の実態』 (彩流社)があるとしている。阿部氏は、さまざまな経緯を経て、シベリア強制抑留問題に関係するようになったのだが、その本の中で、「何よりもソ連の理不尽で非人道的なやり方に腹が立ち、シベリア抑留者の皆様の苦労・苦痛を少しでも世間に知らせる必要があると思ったからである。抑留者たちの手記を読んでしばしば涙をさそわれた」「恥ずかしいが、ときには落涙しながらこの本を書いた」という。まぁ、それが日本人筆者としては、常識的ラインではないか。

栗原氏の本は、客観的にこの問題を取り上げて、ふむふむなるほどそうだなと感じつつ読了したが、この本の中でも、1954年1月号の「中央公論」に載った、抑留者たちの控えめな体験手記にさえ、いかに当時の進歩的文化人たちが反発したかが紹介されている。
桑原武夫は、ソ連による日本人の抑留を「国際法上、正当な理由がある」としつつ、「それぞれの理由によって、これらの人々を留めおいていた国が、これを解放し、帰国させたその厚意に対しては、日本人全体が感謝しなければならない」とつづっていたという。

栗原氏は、そういう言い分に対して、「誘拐犯が人質を帰してくれたから感謝しろ」というに等しいと批判しているが同感だ。
この桑原より酷い実例として、「世界」の対談の大内兵衛なども出している。「抑留のことに言及せずに、社会主義の優越性をたたえたり」していたとのこと。岩波新書の一冊であるが、「世界」の大罪を指摘しているのは立派?

ともあれ、戦時中の「蛮行」(?)である南京事件や慰安婦問題をことさら追及する人が、戦後になってからのソ連の完全なる蛮行であるシベリア強制抑留、拉致問題や「性奴隷」化した問題に関して、さほどの関心を持たないというのは、どうしたものだろうか?
桑原武夫や大内兵衛路線で今もいるからなのであろうか。過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる…とは、そういう、ファシズムとコミュニズムとが等質のものであることを認識できないでいる 、容共リベラルとでもいうべき、愚かな進歩的文化人たちのための言葉でもあろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



バルト三国と日本に共通する哀しみの過去をめぐって 「ファシズム=コミュニズム」(2014・7・2・水曜日)

まだ読み終えていないが、1952年生まれのサンドラ・カルニエテの『ダンスシューズで雪のシベリアへ あるラトビア人家族の物語』 (新評論・黒沢歩氏訳)は、とても感動的な「自叙伝」だ。今年の3月に訳出されていたとは、つい最近まで知らなかった。半分近く、二百頁まで読んだところだ。

粗筋は以下の通り。
現在、欧州議会議員を務める著者は、強制追放のためにシベリアの寒村に生まれ、スターリンの死後の「雪解け」を機に、4歳の時に両親に連れられて祖国ラトビアの地を初めて踏んだ。本書は、独立回復以降に入手可能となった公文書や、家族の日記とシベリア体験者の声をもとに、旧ソ連における大量追放の犠牲となった家族の足跡を追い、追体験する自伝的な作品。歴史に翻弄される個人の悲運を浮き彫りにし、バルト三国の近代史に残る傷跡に光をあてる。【「BOOK」データベースの商品解説】
著者の母は、ダンスシューズをプレゼントにもらった直後に、親と共にシベリア送りになり、そのダンスシューズでシベリアの雪の中を歩くことになる‥‥。

ラトビアをはじめとするバルト三国は、ソビエトに蹂躙され、ソ連に編入されることを熱望するでっち上げの決議により、独立を失う(どこの国にも「第五列」はいるのだ)。第二次大戦、独ソ戦争開始により、ソ連を追い出したナチスドイツに戦時中支配され、ドイツの敗北により、再びソ連の支配下に置かれたラトビア。

ヒットラーとスターリンの毒牙に襲われたラトビア、バルト三国の悲劇は、もはや「過去」になりつつあるが、本書の著者のように、戦後生まれであったとしても、本人を含め、その両親や祖父母の世代がいかにソ連によって苦しめられたか‥‥。

共産圏の中で捕らえられた人々の手記、自叙伝は多々読んできたが、それにしても酷い‥と感じる内容だった。本当に、共産主義者はなんと酷いことを長年やってきたのだろう。

日本人とて、シベリア抑留、拉致を体験している。北朝鮮による拉致問題まで発生している。

「従軍慰安婦」問題などに比べても、はるかに深刻な問題である。「未解決」というのは、こういう、文字通りの強制連行・拉致などの被害に関して言われるべきフレーズであろう(それにしても、「朝日社友」の資格を朝日新聞から「剥奪」された川村二郎氏は、先月号に引き続き、今月号の「正論」(2014・8月号)でも、古巣朝日新聞をシャープに批判している(「我が朝日よ、「慰安婦」で謝るべきは日本ではなく君だろう」)。本当に「正論」だ。

さらに、アジアでは未だに北朝鮮や中共で、これと似た状況が続いている。モンゴルも、バルト三国同様、ソ連と中共に支配され、コントロールされてきた。
チベット、ウイグルもバルト三国同様の悲劇を体験している(バルト三国はまだ「独立」できた。外(北)モンゴルも一応「独立」したが…)。

サンドラ・カルニエテの一家を襲ったような共産主義による悲劇は、アジアではいまだに現在進行形で、21世紀の今も続いているのだ。
そうした根源的な人権問題を追及することもなく、東日本大震災による一時的な体育館などでの避難生活が人権侵害であったと声高に避難する「人権弁護士」が、日本のどこかにもいたが、こういうノーテンキな人にこそ、こういう本を読んでほしいものだと痛感させられる。

訳者は「ラトビア人としての民族的な心情は複雑に絡みあっていて、時にかたくななまでに旧ソビエト・ロシアを否定する人が少なくない。本書は、カルニエテというフィルターを通して、そんなラトビア人の歴史観の一面を提示している。共産主義とファシズムをひとくくりに糾弾する著者の断定的な論には、異論の余地が大きいだろう」と述べているが、とんでもない。

異論を述べるような人々は、本当の意味での人権の意味を理解できない輩というしかあるまい。「かたくなな」も「ひとくくり」も「断定的な論」も、すべては事実に基づく批判であり、ためらうこともあるまい。

ともあれ、 「日本にはシベリア抑留の体験者がいる。ラトビア人とシベリアの苦しみを共有している日本人にこそ読んでもらいたい」と著者はメッセージを寄せている。

批判する相手がソ連や中共や北朝鮮になると、同じ人権弾圧であっても急に小声になる情けない人が日本には少なくない。反共すぎるのはいかがなものか、感情的すぎる‥とか。しかし、これほどまでに酷い人権弾圧を、見て見ぬふりをすることこそ、恐るべき感情論というしかあるまい。

20世紀最悪の野蛮思想、ナチズム、ファシズムと何ら変わらないコミュニズムの諸悪を知る上で、貴重な一冊といえよう。

以前に紹介ずみだが、バルト三国からスウェーデンなどに戦時中逃れていた人々が、戦後、強制的に「祖国」となった「ソ連」に戻されることになり(それはシベリア送りを意味もしていた)、それから逃れるためにボートに乗って大西洋を渡りアメリカに亡命するノンフィクション亡命劇のC.B.ウォールの『エルマ号漂流記』 (時事新書)も忘れがたい名作である。

 また共産党党員としてソ連に協力し、反ナチスの闘士でもあったにもかかわらず、マルガレーテ(マーガレーテと表記のことも)・ブーバー=ノイマンは、共産主義者として夫婦そろってナチスはむろんのことスターリンにも酷い目に遭う。
生き残った妻である彼女は『第三の平和 第一部』『第三の平和第二部』 (共同通信社)という本を残した。この本は近年ミネルヴァ書房からも『スターリンとヒットラーの軛のもとで』として復刊された。
 戦後は徹底した反共リベラル派としてドイツでも活躍したそうな。彼女の生涯そのものが、ナチズムとコミュニズムの共通性を証明する一冊でもある。

こういう本を読みもしないで、過去完了形の「人権問題」をことさら強調し、現在進行形の「人権問題」は無視するのはどういう思考から生まれるのだろうか。精神病理学の対象として研究素材にすべきかもしれない。悪しきナショナリズム的精神構造の解明のためにも?



同じ戦争(レイプ)被害者であっても、やった相手がソ連だと遠慮するのか?(2017・10・18・水曜日)

下川正晴氏の『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』 (弦書房)や、上坪隆氏の『水子の譜 ドキュメント引揚孤児と女たち』 (現代教養文庫)や、早川東三氏の『じゃぱん紳士 夜のエチケット教科課程』 (カッパブックス)を紹介した時に少し触れたものの、長く行方不明だったルート・アンドレーアス・フリードリヒの『舞台・ベルリン あるドイツ日記 1945/48』 (朝日イブニングニュース社)がひょっこりと出てきた(この本は、1988年に『舞台・ベルリン 占領下のドイツ日記』 として朝日選書に入った)。

アマゾンではこんな内容紹介がされている→ドイツ降伏後、分割占領されたベルリンは、ソ連による1年間の封鎖、西側の大空輸作戦を経て、冷戦時代の中心舞台であり続ける。著者は市民として、女性編集者として、この過程を密かに、そして克明に記録した。戦後40年を機に西ドイツで出版され、欧米で異常な反響を呼んだ作品の待望の翻訳!

イマイチの内容紹介というしかないが…。本書の圧巻は以下のような内容だからだ。



1945年5月6日の日記にこうある。

「市内はパニック状態である。不安と恐怖。私たちが行くさきざきに、強奪が、掠奪が、暴行が行なわれていた。抑制を知らぬ情欲で、勝利者の軍隊はベルリンの女性たちに襲いかかった。私たちはハイケの友達でクラスメートの、ハネローレ・ティーレを訪問した。彼女は長椅子に頭をかかえてうずくまっていた。私たちが部屋に入って来るのを見るや、『自殺したいのよ!』と叫んだ。『とても、生きていられないわ!』彼女は突っ伏して、泣き始めた。彼女の泣きはらした目やゆがんだ顔つきを見るのは、恐ろしいことだった。『そんなにひどかったの』と私はたずねた。悲痛な表情で彼女は私を見つめた。『七回も』と、彼女はかぶりを振りながら言った。『七回も、続けて。まるでけものだわ』」

ほかに「60回」も強姦された18歳の少女もいた。

「これまでの四年間、宣伝相ゲッベルスは、もしソ連兵が入って来たら、彼らは私たちを暴行するだろうと言ってきた。凌辱し、掠奪し、殺害し、放火するだろうと。誇大宣伝だ!と私たちは憤激し、東西連合軍の解放を待ち望んできた。私たちはいま、失望したくない。ゲッベルスの言ったことが本当だとはどうしても思いたくない! 十二年間、私たちは抵抗し続けてきた。今度は、『解放軍』が欲しいのだ。それが、そうはいかないとしたら……」

「『凌辱されたら、死ぬしかないのよ』と、敗戦の二日前、女教師が女生徒ばかりのクラスに言った。女生徒たちの半分以上がこの命令をそのまま実行し、最寄りの川に身を投じて辱めをそそいだ。名誉を失なうのは、すべてを失うこと。服毒あるいは拳銃、綱あるいは刃物。何百人という娘たちが自殺したのだった」

樺太の電話交換手(女性)の「氷雪の門」の悲劇が想起させられる。

この本を、僕は出た時すぐに読んだ。1986年4月の刊行。すでに30年以上昔の本。本のあちこちに染みなど、ヨゴレが発生している。上に引用した文は赤線を引いているところだ。その上に「満洲での戦争体験を風化させるなと言う進歩派はいない」と自筆で書いてある。

そうそう、相手がソ連だと、遠慮して、同じ戦争犯罪でも、いや、史上稀に見る野蛮行為も、「味方」がやったとなると、突然「二枚舌」になり、そういう戦争被害などは「風化」させたり、あってもなかったことにみなして平然としていられるのが、当時もいまもいる左翼リベラル(容共リベラル)型進歩的文化人たちだ。

彼らや中共のいう「南京大虐殺」とは、こういうソ連がやったようなレベルのものなのだろうが、少なくとも、日本はそういう組織的に行なわれたようなレイプはしていない(もちろん散発的なレイプはあっただろう。それは戦後のアメリカ占領軍兵士たちも日本などで行なったという点では同様だったとはいえようか)。しかし、「レイプオブベルリン」「レイプオブマンシュウ」はあっても、そんなひどさの「レイプオブ南京」はなかった。見落としてはならないのは、ソ連のやったことは「平時」だということ。戦争がおわったあとの蛮行。

さておき、ドイツ社民党が共産党によって「統一」されそうになっているのに著者は抵抗する。 「もしベルリンの社民党が共産党に吸収されたら、ベルリンの民主主義は終わりになるでしょう」と(1946・3・12)。

4月1日の日記には、 「82・5%の高率で、ベルリンの社民党の投票者は統一反対の投票をした。共産党はこの直接投票の結果を、”統一戦線の圧倒的勝利”と呼んでいる。どのような脳の軽業で彼らがこのような結論に達したのか、どんな計算の達人も割り出すことができないだろう」

コミュニストの「脳捻転」は古今東西共通したものがあるようだ? そういう歴史があるから、東西統一後のドイツでは、地方レベルでは、社民党が、東独の旧共産党と「連立」を組むことはあっても、国政レベルでは、決して「連立」をしようとはしないのだろう。しかし、その歴史的体験も「風化」していくかもしれない。共産主義者の蛮行を決して「風化」させてはなるまい。それにしても、社民党の中にも、17・5%の統一賛成派もいたのだ。今日、民進党(立憲民主党)の中にも、共産党との「連立」を是とする向きがあるようだが、東独「社民党」解体の歴史をもう少し勉強したほうがいいのでは?

ともあれ、「レイプオブベルリン」と同様の視点は、アントニー・ビーヴァーの『ベルリン陥落1945』 (白水社)でも詳述されている。戦争をしたらどうなるか、そして戦争に負けたらどうなるか…。そこまで踏み込んで「反戦」を唱えるべきだろうに、そういうことは軽視。戦後の日本の反戦・平和教育はなにかが抜けているのだ。それを補うのが、こういう本ではないか?

もちろん、そういう戦争の悲惨さを感得し、戦争はしてはならないものと痛感するのは人間として当然のこと。それでも、 「戦争が我々を放棄しない」という現実にも目を向け、太平洋戦争(大東亜戦争)でどうして負けたのかを、戦力、情報力、同盟力等々、あらゆる角度から検証し「反省」することが肝要だろう。「戦争体験」とは、単に「空襲」が大変だった、食糧が不足した…といった「戦場体験」だけではないのだから。


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「共産圏」の悪行は甘く書いて、事実を歪曲する『広辞苑』は『ウィキペディア』や『天使の辞典』よりも知的に劣り、やはり眉唾モノかな?  もちろんちゃんとしたところもあるのだろうが…。
(2018・1・13・土曜日)


出たばかりの『広辞苑』 (岩波書店・第七版)をパラパラとめくってみた。
ちょうど栗原俊雄氏の『シベリア抑留 最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ』 (角川新書)を読んでいるところ(というか読み終えたところ)。
栗原さんには、 『シベリア抑留 未完の悲劇』 (岩波新書)、『シベリア抑留は「過去」なのか』 (岩波ブックレット)や『戦後補償裁判 民間人たちの終わらない「戦争」』 (NHK出版)などの本がある。今回の新著は大変感動的というか、深い感銘を受ける本だった。詳しい読後感はのちほど…。

ということもあって、最新版の『広辞苑』の「シベリア抑留」を見てみた。

シベリア抑留→「第二次大戦で対日参戦したソ連が、投降した日本軍兵士をシベリア・中央アジアに送り、強制労働に従事させたこと。抑留者は50万人をこえ、劣悪な環境におかれて多数の死者が出た。1950年までに大部分が帰国」

前の版と同じ「定義」のようだが、唖然とする「定義」だ。第七版にするにあたって「学問の研究の進展や最新の動向を反映し、また、より正確で簡潔な解説に改めました」とのことだが、「シベリア抑留」に関しては、そんな事実はないというしかない。

栗原さんの本を読むまでもなく、「抑留」は「強制連行」そのものだ。また、「抑留」されたのは「日本軍兵士」だけではない。「民間人」も「女性」もいた。にもかかわらず、「投稿した日本軍兵士」という「限定付き」。
「酷寒の中でロクな食糧も与えないでの強制労働」を「劣悪な環境におかれて」と抽象的すぎる表現で軽く触れる程度。ソ連のやった「悪行」を少しでも弱めようという「底意」があるというしかあるまい。「対日参戦」もまぁ、「客観的な表現」だこと? 「日ソ中立条約」を破っての「参戦」ということぐらい書いたら? 客観的事実の「一つ」なのだから。

また、最後の抑留者たちが帰国したのは、日ソ共同宣言(1956年10月)のあとの1956年12月26日(舞鶴着)。

よくもまぁ、 「1950年までに大部分が帰国」だなんて書けるものだ。6年も「サバ」を読んでいる。何も知らない人なら、まぁ、戦争が終わってから「5年」で帰国か。兵隊さんだけが痛い目にあったのか、まぁ戦争で負けたから仕方ないか……と思うかもしれない。

栗原さんの本の「主人公」は、民間人であったにもかかわらず、「強制拉致」され「強制労働」を押しつけられ、その最後の帰国船にて日本に戻ってきた佐藤健夫という人の「生涯」を追究したものだ。そもそも最後の帰国船にだって1025人の日本人が乗っていたのだ。

1950年4月にソ連のタス通信が「戦犯などを除き、日本人捕虜の大多数の対日送還が完了した」との政府声明を発表したが、そんなバカな、そんなの嘘八百だ…と日本中が大騒ぎになったものだが、『広辞苑』の記述は、そのソ連政府の声明を鵜呑みにしたものというしかあるまい。杜撰すぎる。頭(オツム)は大丈夫か?

また、共産政権の声明を鵜呑みにするならば、朝鮮戦争に関しては、かつての藤原彰氏・今井清一氏・遠山茂樹氏著の『昭和史』(1955年刊行。岩波新書)のように、

「(五〇年六月)二三日、在日アメリカ空軍戦闘機部隊は九州に集結した。そして二五日、北朝鮮軍が侵略したという理由で韓国軍は三八度線をこえ進撃した」と『広辞苑』でも書くべきだろう。

だが、さすがにそんな「嘘」は、もはや岩波(「世界」)とて(?)書けない。しかし、そこは腐ってもタイ?なら岩波書店。決して、「定説」である「北朝鮮から攻撃した」云々は書かない。共産主義者の過ちは見て見ぬフリをするのが原則。だから、こう書くのだ。

[朝鮮戦争]大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次世界大戦後の米国・ソ連の対立を背景として、一九五〇年六月二五日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍の支援のもとに国際紛争にまで発展した戦争。五三年七月休戦。


この筆致だと、「太平洋戦争」は「大日本帝国とアメリカ合衆国とが、一九四一年十二月八日衝突し、国際紛争にまで発展した戦争」ということになるのだろう?

「ルーズベルトの罠」にひっかかったかどうかは別にしても、少なくとも、日本が真珠湾を先制攻撃して日米戦争(太平洋戦争)が始まったのは「定説」。

それは朝鮮戦争が、「1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国の毛沢東とソビエト連邦のヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した」のと同様だろう。この記述は「ウィキペディア」によるもの。少なくとも、この朝鮮戦争の「定義」をめぐっては、『広辞苑』は「ウィキペディア」よりも劣るというしかあるまい。

これは氷山の一角。共産圏などが関与する「出来事」に関して、広辞苑はこんな風に苦しい言い逃れ、遠回しの表現を沢山していることだろう。もちろん、そういうイデオロギーなどがからまない「言葉」に関しては、老舗ならではの「いい味」を出しているところもあるのかもしれない。

しかし、ちょっとなぁという「読後感」は否めない。眉に唾しながらひもとくべき辞書であることは間違いない。

そういう「反知性主義」的な面々を皮肉ったのが、トラアンジェリコ編の『天使の辞典』 (PHP研究所)だ。少なくとも、『広辞苑』の脇にはこの辞典を置いて、怪しい「定義」をチェックするようにしたらいいと思う。『天使の辞典』が定義する「タカ派」「ハト派」と、『広辞苑』が定義する「鷹派」と「鳩派」とを読み比べるといい。
少なくとも、この点に関して、『天使の辞典』でそこの項目を書いた人と、『広辞苑』でそこの項目と書いた人とは、「知性」と「反知性」というぐらいの知的格差がある。いや、まぁ、ユーモア感覚の違いかな?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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