古本虫がさまよう 訃報
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朝日(記者)ともあろうものが…ハキダメにツルは希少生物?
(2017・3・8・水曜日)



昨日(2017・3・7)の朝は新聞も読まずに、いろいろと雑用を片づけてから出社。夜帰宅して産経朝刊の訃報欄をふと見たら、青山学院大学名誉教授(現代ロシア論)の木村明生さんが、3月1日に死去していたと出ていた。91歳。
産経の訃報欄は扱いが小さく、木村氏が元朝日新聞記者でモスクワ支局長だった事実には触れていなかった。3・1死去とのことだから、他紙にはもっと早く訃報欄に出ていたのかもしれない。調べてみたら、朝日新聞3月5日朝刊に出ていた。顔写真などはなしで扱いは小さい。さすがに、朝日のモスクワ支局長だった職歴は出ていた。

木村さんのソ連論の本は何冊か読んだが、記憶はあまり残ってはいない。しかし、ソ連は脅威ではないといった荒唐無稽な主張が社説をはじめとして記事中に沢山出ていた1980年前後の朝日の中で、まともなソ連論を展開していた人だったという印象は残っている。

コンスタンチン・サイミスの『ソビエト権力と腐敗 汚職社会の構図』 (PHP研究所)、ダスコ・ドーダーの『影と噂 クレムリンが震撼した日』 (ティビーエス・ブリタニカ)、ウィリアム・R.コーソン,ロバート・T.クローリーの 『フェリックスの末裔たち ソ連国家の推進力-KGB』 (朝日新聞社)、リチャード・ディーコンの 『ロシア秘密警察の歴史 イワン雷帝からゴルバチョフへ』 (心交社)などの訳書もある。

はきだめにツルといえば、失礼になるかもしれないが…。最近も、彼の『知られざる隣人たちの素顔 ユーラシア観察60年』 (防衛弘済会)を紹介したことがある。以下、まずは再録。



木村明生氏の回顧録というか評論集である『知られざる隣人たちの素顔 ユーラシア観察60年』 (防衛弘済会)を読んだ。
国際情勢に関する言及の中で、ご本人の事実上の「モスクワ追放」の舞台裏が綴られている。
1970年代前半モスクワ特派員時代だった時に発信する記事が、「朝日ともあろうものが…」というわけではないが、「反ソ」的だとして、ソ連当局の怒りを買い、朝日本社に圧力がかかったそうな(ちなみに、元朝日記者の烏賀陽弘道氏の『「朝日」ともあろうものが。』 (河出文庫) も優れた朝日回想録)。

自由世界の新聞社なら、そんな脅しに屈することなく、追放したければどうぞということになろうが、中共相手にも秋岡特派員を後生大事にと抱えたりしていたのと同様、下手に追放されると、あとの補充が大変と思ったのか、通常の社内異動のような形で処理されたとのこと。

むしろ、特派員としては「追放」は勲章になるから、そうしてほしいと木村さんは本社にかけあったそうだが、容共リベラル色の濃い当時の(いまも?)朝日はソ連とケンカせずにすませたようだ。
となると、当然、後任の特派員には「節度」を求められたことになるのではないか。

だからこそ、そのあと、朝日新聞は『ソ連は「脅威」か』 (朝日新聞社)なんて本を出す。もちろん、脅威ではないといった趣旨のものである。
さらには、下村満子氏の小学生以下の作文と評されるような『ソ連人のアメリカ観』 (朝日文庫)みたいなトンデモインタビュー記事を恥ずかしげもなく掲載連載して本にまでしてしまった。
朝日から訳出された『操られる情報』の著者・パウル・レンドヴァイが下村氏のソ連ヨイショ記事を読んで、そう語っていた→(「諸君!」1985年6月号&7月号「ソ連外交に加担した朝日新聞 下村満子記者『ソ連人の米国観』は『小学生の作文だ』」 聞き手吉成大志氏)。
レンドヴァイはハンガリーからの亡命知識人であるが、ソ連・東欧の閉鎖的報道体質を鋭く批判した人であり、それに知らず知らずのうちに取り込まれる西側・自由世界の一部知識人やジャーナリズムの愚かさに警鐘を鳴らしていた。『操られる情報』は、今でも再読する価値のある書だ。
ともあれ、いまにして思えば、下村氏の『アメリカ人のソ連観』(朝日文庫)はちゃんとした本。それを見て、ソ連の宣伝版ができるのではないかと社内の親ソ派幹部が考え、下村氏が「操られた」のかもしれない。 
木村氏は、ソ連のディスインフォメーションとしての工作(CIAのスパイリストに名前がイニシャルで掲載?)の対象にもなったようだ。もっとも、毒殺されるようなソ連からの亡命者などもいたことを思えば、まだ良かったのだろうが……。


木村氏の本は、たしか元朝日新聞の長谷川煕さんの『崩壊朝日新聞』 (ワック)でも言及があったかと。朝日の訃報欄では、「モスクワ支局長を経て、青山学院大学教授を務めた」とあるが、その間に、調査研究室主任研究員なる肩書もあった。 『朝日新聞血風録』 (文春文庫)の著者の稲垣武さんも、社内の全体主義的勢力(文革礼賛派)への批判的対応(週刊朝日副編集長時代の記事など)をしたことで、しっぺ返しを受けて、左遷的人事として、その部署に移ったかのようであった。まぁ、活用すべき人材を活用せずに、無駄なことをする会社に明日はない? 朝日出身の長谷川さんと永栄潔さんの対談本 『こんな朝日新聞に誰がした?』 (ワック)を読むにつけ、逆に、こういうまともな人たちを「朝日記者ともあろうものが…」と批判する朝日人もいるかもしれないが…。

ところで閑話休題。

最近、眠る時、NHKのラジオを聴きながらが多い。たまたま深夜便が始まる前の午後11時前後、聴いていると、視聴者からのメッセージということで、それをアナウンサーが紹介している。昨夜は、北朝鮮のミサイル連発を取り上げて、北朝鮮を批判するかと思いきや、イエスバット論法で、米韓軍事演習もよくないとホンネ(?)を述べて、これ以上の軍事エスカレートはどっちも止めようといった趣旨だったかと(眠りにつく寸前なので、聴き間違いもあるかも?)。まぁ、朝日新聞の投書欄(や社説)でよく目にする論調で、一つのご意見ではあろうが…。この時間帯、こういう見解をよく耳にするような気がする。ご注意?

軍事演習にしても、公海内を空母「遼寧」が遊弋するのも、「威嚇」的行為であっても、「合法」は合法。しかし、前触れもなく、ミサイルをぶっ放すなんて、非合法もいいところ。北の場合は国連決議も無視。それと演習とを同列に見なすのは、かなり北朝鮮のシンパでないと言えないコメントだろう。

そのうち、標的にされたとされる在日米軍基地がなくなれば、北朝鮮もそんなことをしなくなるだろう、だから沖縄からも米軍基地を撤去すべしなんて意見も出てくるかも(すでに出ている?)。そこまでいけば、百田尚樹さんの『カエルの楽園』 (新潮社)の世界そのもの?
その百田さんが、 『「日本」人民共和国』 (光文社)というリアルな近未来小説を書いたことのある井沢元彦さんと「歴史通」(2017年4月春号)で、 『「ゆでガエル楽園国家」日本が植民地にされる日』と題して対談をしている。ネバーセイネバーの世界だろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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妻をめとれば古女房となりし
(2017・2・5・日曜日)





昨日(土曜日)は東京周辺はまずまずの天気。猛烈に寒いということもなく古本屋行脚には手頃。

ということでまずは神田古書会館へ。ディック・ミネ氏の『八方破れ言いたい放題』 (政界往来社)、中根美宝子氏の『疎開学童の日記』 (中公新書)、碓氷元氏の『戦時庶務日記』 (海燕社)を購入。
ディック・ミネの『すりこぎ随筆 わが歌と女の半世紀』 (カッパブックス)という本は一読しているが、この本と『八方破れ言いたい放題』と違うのやら? 著者サイン入りだったので購入した次第。

古書街を走破するが買いたいものはなし。久しぶりに丸ノ内線で新高円寺駅下車。ブックオフを覗いてからルック商店街を通り、高円寺古書会館に向かう。正午すぎ。途中のルック商店街…。古書会館近くの商店街同様、電柱からのうるさい音楽垂れ流しがしなくなっているのではないかと希望を抱いたのだが…。あぁ、無情というか、歌詞はないものの、うるさいだけのメロディが電柱のスピーカーから流れていた。商店街に面してマンションというかアパートもある。そこの住人にとって、この音楽は耳障りなのでは? 我々通行人はまだ一時的だが…。それにしても、なんの権限があって、こんなヤボなことをしているのだろう。高円寺ルック商店街周辺には住みたくないね。聴きたくもない音楽を強制されるなんて非人道にもホドがある。僕が住人なら裁判を起こしてでも、この騒音をストップさせるだろうが……。まぁ、通行人でしかないから、そこまではしないが。 「アニマル洋子」はシャッターが閉まっていた。

古書会館では、上原光晴氏の『現代史の目撃者 朝日新聞記者たちの昭和事件史』 (光人社)、飯沼二郎氏の『わたしの歩んだ現代』 (日本基督教団出版)、向後政義氏の『大学の夜明け 学徒戦傷者の手記』 (毎日シリーズ出版編集株式会社)を購入。ううむ、持っていた本もあったようだが……。

そのあと、仕事場によって少し雑用を済ませ、夜は某パーティへ。帰宅してネットニュースをみると、三浦朱門氏が2月3日に逝去していたことを知る。享年91。いうまでもなく曽野綾子氏のご主人。 『妻をめとらば 朱門の女性50章』 (サンケイ出版・旺文社文庫)を10代に読んだのも懐かしい思い出。人は必ず死ぬ。こればかりはネバーセイネバーとは…。
2月5日付け産経によると、新聞好きだった三浦さんに対して、「お棺には故人の好きだった産経新聞を入れます」との曽野さんのコメントあり。物書きなら、そのほかにも愛読書や自著を一冊入れるなんてこともあるかもしれない。僕なら……。ううむ。 『女教師』というわけにはいくまいが…。ギッシングの 『ヘンリ・ライクロフトの私記』(岩波文庫ほか)とかゲーテの『ヘルマンとドロテーア』(岩波文庫ほか)ならもっともらしくていいか? いや、 『ジキルとハイド』(新潮文庫ほか)でいいか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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毎日といえば、岸井成格じゃなくて塚本哲也さんでしょうよ!
(2016・10・26・水曜日)




昨日、知人から塚本哲也さんが亡くなったとの情報を得た。新聞でも報じられたようだ。

毎日新聞 10月25日(火)23時9分配信
 19世紀のオーストリア・ハンガリー帝国を舞台にした歴史作品で知られた作家の塚本哲也(つかもと・てつや)さんが22日、肺炎のため亡くなった。87歳。葬儀は近親者で営む。お別れの会を後日開く。喪主はおいの木村知勇(きむら・ともお)さん。
 1954年、毎日新聞社入社。ウィーンやプラハの特派員、論説委員などを経て、防衛大学校教授、東洋英和女学院大学長を歴任した。毎日新聞の連載「学者の森」(共同執筆)で日本新聞協会賞受賞。著書に「ガンと戦った昭和史--塚本憲甫と医師たち」(講談社ノンフィクション賞)、「エリザベート--ハプスブルク家最後の皇女」(大宅壮一ノンフィクション賞)など。


最後の作品となったのが、 『我が家の昭和平成史 がん医師とその妻、ピアニストと新聞記者の四重奏』 (文藝春秋企画出版部)。この本の「おわりに」は、こういう書き出しから始まる。


「朝起きると、子供のときからの習慣で、まず新聞を取りに行き読む。真っ先に開けるのは社会面の人の動静、特に長じてからは死亡記事である。知っていた人もいれば、知らない人もいるが、特に後年になって死亡記事は、世の移り変わり、人の世の寂しさを感ずる」……。そして最後には、この本を刊行するにあたってお世話になった編集者の名前を挙げ、 「つたなき人生をふり返ってみると、実に多くの人々にお世話になった。ここに心からお礼をいいたい。ありがとう」と。

こちらも還暦に近くなると、社会面の訃報欄に目が止まるようになってきた。自分より若い人の名前を見ると、おかわいそうにと思うし、90歳も過ぎていれば、まぁ、天寿をまっとうしたといえるよなと感じたり。我が家には、義理の母がいるだけで、「親」の四分の三はすでに死去。「お世話になった人々」も徐々に亡くなりつつはある……。

以前、岸井成格氏&佐高信氏の対談本『偽りの保守・安倍晋三の正体』 (講談社+α新書)を紹介した時、毎日の岸井氏が、「我々の上の世代はみんなそうだよ。新聞記者だって、我々の先輩はみんな社会党支持者か共産党支持者ばかりだった」と豪語しているけど、毎日新聞には、林三郎、三好修、林卓男、塚本哲也さん、徳岡孝夫さん といった保守中道の記者諸兄もたくさんおられましたよ。「みんな」というのは、明々白々なる「嘘」というか「間違い」ではないでしょうか? まぁ、自民ではなくとも、社会主義協会は大嫌いな社会党右派、民社党系の人もいただろうし--と書いたことがあった。いま、毎日新聞といえば、岸井さんの、あの顔を浮かべる人もいるかもしれないが、我々の世代は、毎日といえば塚本哲也さんとか徳岡孝夫さんだった。幸いなるかな? 以下再録(一部略)。



大宅賞作家・塚本哲也さんと椎名誠さんに共通する「処女体験」とは?
(2016・6・1・水曜日)

しばらく前に、5月の連休休みに「重厚長大本」にチャレンジしようとしてほぼ挫折したことは書いた通り。そのあとも、本屋で、白水社のイアン・カーショーの『ヒトラー(下)1936-1945 天罰 』 『ヒトラー(上)1889-1936 傲慢』を見かけて、その分厚さ、お値段の高さに唖然としたことも記した通り。

それに比べれば、スリムに見えるが、塚本哲也氏の『我が家の昭和平成史 がん医師とその妻、ピアニストと新聞記者の四重奏』  (文藝春秋企画出版) を入手。お値段は4000円(税込・2冊。分売不可)。二冊あわせての頁は二段組で1000頁を少し越える。やはりこれも大著、重厚長大本だ。

(内容紹介)は以下の通り。
塚本 哲也 著
――大宅壮一ノンフィクション賞作家が記す
家族の歩みと激動の中欧近現代史
がんセンター総長の父憲甫とそれを妻として支えた母、ウィーンでピアノ奏者として名を上げた妻ルリ子と欧州の変革を取材した著者。時代の大きなうねりを綴った渾身の集大成
毎日新聞社特派員としてプラハの春や分裂ドイツの真実を報道し続け、後年は『ガンと戦った昭和史― 塚本憲甫と医師たち』『エリザベート― ハプスブルク家最後の皇女』などノンフィクション作家として活躍する著者が時代をまとめる
――この本を『我が家の昭和平成史』としたのは、人間は社会の中で、一人では生きてゆけないと経験しているからである。「我が家」の中には、われわれと家内の両親のほかに、多くの知り合いとの付き合いという意味が入っている。(「おわりに」より)


読み始めたばかりだが、毎日新聞記者として、ヨーロッパ(ウィーン)に留学したく、先に音楽家として留学していた女性(塚本ルリ子さん)に向こうの様子を聴こうとして接近(?)。一目惚れしてしまい…といった個人史やら、試験に合格しウィーンに無事留学し、欧州の特派員の仕事もこなし、現地でのソ連からの亡命者たちと遭遇し、冷戦の実態を垣間見るようにもなる。そんな個人史を交えつつ、20世紀の現代史も綴られた希有な自叙伝であろうか。

ちなみに、塚本哲也さんはウィキペディアによると、こんな人(一部略)。
塚本 哲也(つかもと てつや、1929年4月29日 - )は、ノンフィクション作家。

群馬県生まれ。旧姓・木村。木村裕主は実兄。東京大学経済学部卒。毎日新聞社に入社し、政治記者として岸信介を担当する。1959年、オーストリア政府給費留学生として首都ウィーンに留学することになり、ウィーン留学経験のある人に話を聞きたいといって紹介されたのがピアニストの塚本ルリ子で、哲也のあとからルリ子は二度目のウィーン留学、1962年に結婚し塚本姓となった。ルリ子の父(塚本憲甫)は国立がんセンター総長などを務めた医師だった。

ウィーンで国際法を勉強して、その後毎日新聞ウィーン支局長として再度渡墺、のちプラハ支局長として68年のソ連軍プラハ侵攻を取材した。その後ボン支局長を経て帰国、論説委員、毎日新聞連載「学者の森」(共同執筆)で日本新聞協会賞を受賞、退職後は、防衛大学校教授、同図書館長を務めながら執筆活動を行い、1987年に『ガンと戦った昭和史』で講談社ノンフィクション賞(これはルリ子の父を描いたものである)。兄木村裕主も、1990年に講談社ノンフィクション賞を受賞し兄弟受賞となった。
1992年、『エリザベート』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞、99年より東洋英和女学院大学学長を2003年まで務めた。オーストリア共和国文化功労勲章、オーストリア共和国有功大栄誉銀章受章。
2002年、脳出血で倒れ、右半身麻痺となる。群馬県のケアホーム新生会に移住し、リハビリを兼ねて左手で打つパソコンを始め著述活動を再開、『マリー・ルイーゼ』を執筆中の2005年に、ルリ子夫人は、腹部大動脈瘤破裂で急逝している。

著書[編集]
フィンランド化 ソ連外交の論理と現実 (教育社、1978年)
ガンと戦った昭和史 塚本憲甫と医師たち (文藝春秋、1986年/文春文庫、1995年)
平和ドイツの時代 (文藝春秋、1991年)
エリザベート ハプスブルク家最後の皇女 (文藝春秋、1992年/文春文庫上下、2003年)
わが青春のハプスブルク 皇妃エリザベートとその時代 (文藝春秋、1996年/文春文庫1999年)
マリー・ルイーゼ ナポレオンの皇妃からパルマ公国女王へ (文藝春秋、2006年/文春文庫上下、2009年12月)
メッテルニヒ 危機と混迷を乗り切った保守政治家 (文藝春秋、2009年11月)



ウィキペディアに出ている塚本氏の本は全部読んだ記憶がある。『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』は、赤いというかピンクというか、社会民主主義的な皇女エリザベートを介在にした面白い歴史物語だった。『メッテルニヒ』も、教科書に出てくる人物としてしか名前を知らなかったが、エドマンド・バークなども出てきて、なるほど、権謀術数の外交とはこうやるものかと納得したりした次第。いずれも重厚長大本。

しかし、塚本さんの本で、とりわけ、懐かしいのは『フィンランド化 ソ連外交の理論と現実』 (教育社)だ。これは教育社が一時出していた「新書」シリーズ(分量は薄いが中味は重厚)。1978年12月に刊行されている。意外なことに塚本氏の処女作であろうか。これはリアルタイムでは読んでないかと思う。当時、僕は未成年で大学生だったか。そのころ、「ソ連脅威論」が高まっていた。にもかかわらず、「ソ連を祖国」とみなしていた某新聞や某進歩的知識人は、ソ連は脅威ではないと言い募り、「日本はフィンランド化している」という見解には、いや、フィンランド化や東欧化は悪いものではないなどと妄言を吐いていたものだった。ということで、そのあと、古本屋で安く購入し、一読した。冷静に「フィンランド化」の実態を論じた本だった。当時の国際政治学者が見て見ぬフリをしていた「フィンランド化」を小冊子とはいえ、取り上げたのは知的勇気も必要だったと思う。

ところで、教育社のこの新書シリーズで思い出すのは、椎名誠氏も処女作をここから出していたことだ。『クレジットとキャッシュレス社会』 (教育社)。1979年12月の刊行。塚本さんからおくれること一年。
椎名氏は、自著『自走式漂流記 1944-1996』 (新潮文庫)で、たしか、この本がなかなか手に入らず、早稲田の古本屋で30円で購入したと書いてあったかと。



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人はいかにして死ぬべきか?
(2016・7・31・日曜日)





読みかけだった阿川佐和子氏の『強父論』 (文藝春秋)を読了。阿川弘之さんはネコが嫌いで犬好きだったとのこと。それはよかった! 無宗教に近かったものの、お墓は衝動的に買って準備をしていたが、「欠陥」墓場だったとか? そんなエピソードが、後半綴られていた。

読みながら、そうそう、そういえば、知人の葬儀(通夜・たまプラーザ駅近くの葬儀場)に7年前参列した時、後ろに阿川夫妻がおられたものだった。当時は80代後半だったか。下らない正論は嫌いだったとのことだが、産経新聞の「正論」にはしばしば寄稿され、近年は、元旦の正論は阿川さんの原稿で始まることが多かったかとも。「正論」執筆陣の中で、阿川さんに次いで高齢者となると、大正15年生まれの三浦朱門さんか? 長生きしてください。

ところで、金子稚子氏の『アクティヴ・エンディング 大人の「終活」新作法』 (河出書房新社)を読んだ。
この人の夫は、金子哲雄さん(故人)。若くして亡くなった。その顚末が綴られた金子哲雄氏の『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』 (小学館)は紹介ずみ。

再録的に記すと、流通シャーナリストとして活躍していた金子氏は10万人に一人といわれる「肺カルチノイド」という難病にかかり、その病気が発覚してから500日近い闘病生活を経て41歳の若さで逝去。本書は、難病に冒されて余命が幾ばくもないと知り、エンディングに向けて邁進する自分自身の心境を綴った「遺著」である。子供の時からの職業への思いや治療のための病院めぐりをする中で、自分を「人間」として扱ってくれた病院や医師と、自分の目を見ることもなく治癒率を下げるだけの治しようのない難病患者はお断りとの態度がミエミエの病院と医師の双方に出会ったそうな。後者のような医者の医師資格など剥奪しろと言いたくなるね。
遺書や葬儀場や埋葬の準備も整え、通夜にやってきてくれる人の食事なども手配する。仕事も可能な限りこなしていく‥。共働きで子供はいなかったようであるが、最後には奥さんが仕事を辞め、自宅で面倒も見ていく。奥さんも長めの「あとがき」を記してもいる。そういう体験も経た上での「終活」論。

そのあと、奥さんは『死後のプロデュース』 (PHP新書)という本を書いていた。妻から見た夫の「死」「死後」論。この本も、明日は我が身と思いつつ一読していたが、まだ時間的に余裕があるかなとも。

そして、今回の『アクティヴ・エンディング 大人の「終活」新作法』は、より、ハウツー的な色彩もある本。

内容(「BOOK」データベースより)葬儀や墓の準備より先に、するべきことがあります。あなた自身にしかできないことがある。それは人生の幕引きに向けた「生き方」を自分で決めること。それが新しい時代の“終活”です。そんなアクティブな生き方の準備を紹介します。



人間、どんなに強靱であっても、90歳を過ぎるとかなり衰弱もしてくるもの。躓いたり、病気をしたり……。還暦前から徐々に準備をしておくことも必要? とはいえ、まぁ、なるようになる?

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さよなら、松原正さん  06/11/2016  




さよなら、松原正さん
(2016・6・11・土曜日)




2016・6・11の朝刊(産経)を開けて、訃報欄に松原正さんの名前を見つけた。


松原正氏(まつばら・ただし=早稲田大名誉教授、英米文学)8日、胆管がんのため死去、86歳。葬儀・告別式は13日午前10時半、東京都西東京市ひばりが丘1の6の1、シティホールひばりケ丘で。喪主は妻、町子(まちこ)さん。

ウィキペディアによれば、松原さんはこんな人。

松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2016年6月8日[1]) は、日本の評論家、劇作家。早稲田大学名誉教授。自らも保守派でありながら、西部邁や西尾幹二ら保守派の論客への激しい批判で知られる。

東京都生まれ。1952年、早稲田大学第一文学部卒業。学生時代より福田恆存に師事し、正字体、歴史的仮名遣で文章を書く。

早い時期から文藝評論家を目指し、高田保を通して福田の知遇を得た。のち英米演劇を専門にして翻訳のみならず幾つかの戯曲を発表、早稲田大学で教鞭をとることになる。

かつて「中央公論」などにも文章を発表、産経新聞にも寄稿したことがあるが、1980年代以降は主に「月曜評論」などのミニコミ誌に執筆していた。2004年8月号で同誌が廃刊となり、現在は連載を持たない。大手誌への執筆が殆ど無いため、評論家としての知名度は低い。早大教授時代の教え子に評論家の坪内祐三がいる。

評価・エピソード[編集]

Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2008年10月)
「論壇の人斬り以藏」と自称する。このため評価が大きく分かれる傾向があり、少数だが熱心な愛読者を持つ。1990年代以降は執筆の場が限られ、一般の読者に直接読まれる機会が少ない。
知識人としては保守派に分類されるが、西尾幹二や西部邁など同じ保守派への批判が多い。
坪内祐三には「(福田恆存の)思想の一番の後継者」と評価される一方、西尾幹二には「(福田恆存の)文章の癖の強い悪い面だけを猿真似したエピゴーネン」とウェブ上で批判されている。
松原の英文学者としての専門は演劇であり、大学の卒業論文のテーマにはT・S・エリオットを選んだ。これが松原の批評態度に影響を与えている。
戯曲に、「サイゴンから來た男」「脆きもの、汝の名は日本」「花田博士の療法」などの創作があり、劇団欅や劇団昴で上演された。雑誌「悲劇喜劇」の演劇時評を担当(1970年1月~6月)。現代演劇協会(福田恆存理事長)で理事を務める。評論を書き始めてからは演劇の現場から遠ざかり、新作の発表や、過去の作品の上演機会がない。
防衛論の領域では単純な理論や統計的数字によらず、自衛官との個人的な交流を持ち、自衛隊に対して親身になって意見する、といった態度をとる。
日本文学の評論では、既存の文芸評論を「作家に対する先入観に基いた批評」が見られるとして批判。文章に沿って作家の主張を検討する態度を取る。政治的な三島由紀夫や大江健三郎に対して批判的な意見を述べる一方、中野重治の文章を高く評価した。最近は夏目漱石論に専念。
坪内祐三は大月隆寛との対談の中で、保守派でありながら同じ陣営の論客を遠慮無く批判していたためにジャーナリズムから追放されたと証言している[2]。
「日経biz tech」(日経BPより。2005年11月で休刊)に休刊号まで6回にわたって「パソコンとハムレット」を連載した。また「月曜評論」休刊後、ネット上では「ウェブ柵」というサイトで「政治・好色・花鳥風月」と題した連載を続けているが、2005年10月を最後に更新が途絶えている。
雑誌「正論」2008年10月号に論文「西尾幹二に直言する」が掲載。その中で西尾が雑誌「WiLL」上で展開していた皇族批判を批判するも、西尾の文章を誤って引用し、それを基に批判した為、「WiLL」2008年11月号で西尾と「WiLL」編集部に掲載誌の「正論」編集長共々抗議されるという事態に陥った[3]。
雑誌「正論」2008年12月号に西尾幹二への再反論「ふたたび西尾幹二に直言する」を掲載。西尾幹二が「皇太子妃」と書いていた文章を「皇太子」と取り違え、その他引用雑誌の号数に誤りがあったことを認めている。そのうえで、「反日左翼」の皇太子妃の退位、秋篠宮への皇位継承を示唆しながら、「妃殿下は1年以内ぐらいに病気がケロっと治るんじゃないかと思います」などと述べた西尾幹二の言論を「無責任」であると非難している。

著作[編集]

単著[編集]
『知的怠惰の時代』(PHP研究所、1980年)
『人間通になる読書術 賢者の毒を飲め、愚者の蜜を吐け』(徳間書店、1982年)
『道義不在の時代』(ダイヤモンド社、1982年)
『暖簾に腕押し』(地球社、1983年)
『戰争は無くならない』(地球社、1984年)
『續・暖簾に腕押し』(地球社、1985年)
『自衞隊よ胸を張れ』(地球社、1986年)
『天皇を戴く商人國家』(地球社、1989年)
『我々だけの自衞隊』(展転社、1991年)
『文學と政治主義』(地球社、1993年)
『夏目漱石〈上卷〉』(地球社、1995年)
『夏目漱石〈中卷〉』(地球社、1999年)



単著は『夏目漱石』以外は一読した。産経新聞のマスコミ批評欄で、生田正輝さん(慶応大学教授(1923年2月6日[] - 2012年5月7日[))が新聞を、松原氏が週刊誌を論評していたっけ。生田正輝さんの連載は『新聞を斬る』 (サンケイ出版)は本にもなっていたかと。ある雑誌の編集長が、江藤淳の『漱石とその時代』 (新潮選書)より、松原正の『夏目漱石』のほうがはるかにいいと断言しているのを昔あるところで聴いたことがある。どちらも読破していないので、なんともいえないが。

松原正さんの弟子筋にあたる留守晴夫さんが仙台にて興した圭書房から、『この世が舞臺 増補版』 (松原正全集第一卷)、『松原正全集第二卷「文學と政治主義」』も出ている。追悼録が刊行されるといいかも。さよなら、松原正さん。

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