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2018'07.07 (Sat)

有田芳生(ありた・よしふ)さんに疑問あり。死刑を執行して何が悪いのだろう? ヨシフ・スターリンの恣意的粛清で何百万も殺したのは人道に対する犯罪だろうが、法定によって死刑囚を一日何人執行しようが異様でも異常でもない。むしろ、執行されない死刑囚が多々いることのほうが、異様、異常ではないのか?







有田芳生(ありた・よしふ)さんに疑問あり。死刑を執行して何が悪いのだろう? ヨシフ・スターリンの恣意的粛清で何百万も殺したのは人道に対する犯罪だろうが、法定によって死刑囚を一日何人執行しようが異様でも異常でもない。むしろ、執行されない死刑囚が多々いることのほうが、異様、異常ではないのか?
(2018・7・7)




有田光雄氏の『妻を看取る 老コミュニストの介護体験記』 (高文研)でも記されていたが、有田さんが、愛するヨシフ・スターリンのお名前を取って、名づけた有田芳生さんが、こんなツイッターを。


死刑執行の統計が取られはじめたのは平成10年11月から。1日に4人執行が最高です。上川陽子法相は、今日の7人をふくめ、これで10人の執行を行いました。のこり6人のオウム死刑囚も執行が近いでしょう。異様、異常な安倍政権です。

ふうむ? 法定に従えば、確定判決が出てから、すみやかに執行するのが法理。半年以内だっけ? にもかかわらず、執行されていない死刑囚が多々いて、税金の無駄遣いがなされているほうが「異様、異常」では?

そもそも、スターリンの圧政、粛清、処刑、飢餓政策こそが「異様、異常」だろう。何万、何十万、いや何百万の人々を殺戮したことか。

名前に罪はないけど…。言うことなすこと、ちょっと連想してしまう?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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2018'03.26 (Mon)

西部邁さんは、実は服毒自殺だった? 右手に「高井桃」、左手に「ゲーテ」という死に方も悪くない?




西部邁さんは、実は服毒自殺だった? 右手に「高井桃」、左手に「ゲーテ」という死に方も悪くない?
(2018・3・26)



昨夜は家族のメモリアルディだったので、古女房とディナー。もちろん全席禁煙店。都内ホテルだと、小さな肉&と魚の貧弱ディナー数千円に、別途消費税&サービス料金計21%がついたりするが、乾杯ドリンク付きの全込みで5000円という良識価格の店。肉も魚も十分な「大きさ」。万が一物足りないと、そのあと、「いきなりステーキ店」に行くからと豪語していた妻も納得? 初めて寄ったが、まずまず。それにしても、悪臭のない所で食事ができるのは有り難いこと。その店、出入り口脇に「喫煙所」を設置しているので、室内奥の座席を希望していたが、そこで吸う人もいなかったようで……。

それはさておき、文藝春秋編の 『私の死亡記事』 (文藝春秋)という本がある。単行本は2000年12月の刊行。文庫になっている。

(こんな内容)→ 新聞の社会面に載る「死亡記事」。それが、本人自らの筆によって書かれたとしたら…。そんな発想から書かれた本書には、細川護煕、岸田秀、田辺聖子、渡辺えり子ら著名人102名の空想上の死亡記事が著者本人によって記されている。味気ない客観的業績の記録や経歴だけでなく、著者自身の視点から見た、これまでの強烈な生き様や輝かしい業績への途、これから築くであろう架空の人生、希望あふれる業績(予定)の数々が、手紙や俳句など形式にかかわらず、見開き1ページで著してある。
何より、墓碑銘や死の描写などの創作的要素が多く盛り込まれた各々の文章が共通しておもしろい。著者各人の自由発想によって、「これが自分らしい死に方である」というくだりがドラマチックだったり、失笑を買うものであったりと創造性豊かな死に様が描かれているのだ。また、「海に遺骨を撒く」、「風葬にする…」など自分なりの墓標を立てたいという希望が多く、その主義主張が興味深い。 筒井康隆、若者グループと乱闘し撲殺さる!──阿川弘之、桐野夏生、妹尾河童、細川護熙、渡邉恒雄ら百二名が記した「自らの死」


阿川弘之さんから始まり渡邉恒雄さんで終わる。ざっと100人近い人が登場している。刊行から17年が経過しており、すでに数十人は死去。池部良、岩見隆夫、小沢昭一、上坂冬子、篠沢秀夫、髙峰秀子、鶴見俊輔、中村敦夫、早坂茂三、細川隆一郎、安原顕、渡部昇一…等々。
そして西部邁さん。彼による「私の死亡記事」のタイトルは「自殺できて安堵しております」。

「私儀、今から丁度一年前に死去しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですが、当てにしていた二人の人間とも、一人は投身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました」…と。死を選ぶにいたった理由を少々書いて、そして最後に「左様なら」と。現実とはちょっと違った「死亡記事」だったようで……?

この本をリアルタイムで刊行直後に読んだ時も、僕ならどう書くか…と「私の死亡記事」をメモしたことがある。どこかにあるはずだが見当たらない。どんなことを書いたかは、もう記憶にはないが…。

爾来十数年が経過し、改めて「私の死亡記事」を書くとしたら、こんな感じかな?

訃報・古本虫太郎--
1959年生まれ。還暦を前にして、実家の書庫にて死亡しているのが、死後数日後に発見された。死因は不明。
発見した妻によれば、土曜日の朝、いつものように、神田高円寺の古本屋に出かけると言って出かけたまま帰宅しなかった模様。
読みもしないのに買いあさった古本を自宅ではなく、書庫代わりにしている実家に持っていき、書庫に入った際に、何らかの理由で倒れた模様。
自称「ジキルとハイド」だったこともあり、右手にDVD『誘惑女教師 桃先生のハレンチ授業(高井桃)』、左手にゲーテの『ヘルマンとドロテーア』 (新潮文庫)を手にしていたという。棺桶に、DVDの紙ジャケットとその文庫本を入れて荼毘に付したとのこと。

右手に盾を、 左手に剣を--(?)とか言うが、右手に「高井桃」、左手に「ゲーテ」というのも悪くない?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
06:01  |  訃報  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018'03.01 (Thu)

さらば、『フレンズ』『続フレンズ』のルイス・ギルバートよ(こんにちは大地震?)





さらば、『フレンズ』『続フレンズ』のルイス・ギルバートよ(こんにちは大地震?)
(2018・3・1)





さらば、芳賀綏さん…と言う前にもう一人「さらば青春よ」と言うべき人がいたことを忘れていた。今朝(2018・3・1)の朝刊(産経)の訃報欄にルイス・ギルバートさんの名前が出ていた。こんな人(以下の訃報記事は時事)。

 ルイス・ギルバート氏(英映画監督)(2018年2月)23日、モナコで死去、97歳。家族によると、長年にわたり認知症を患っていた。英メディアが伝えた。20年、ロンドン生まれ。子役として活動した後、第2次大戦中は英空軍の映画部隊に。戦後は多様なジャンルの映画に取り組み、「アルフィー」(66年)でアカデミー賞候補となった。世界中でヒットした007シリーズの「007は二度死ぬ」(67年)、「私を愛したスパイ」(77年)、「ムーンレイカー」(79年)の3作を手掛けた。(2018/02/28-19:44)
僕にとって、ルイス・ギルバートといえば、映画「フレンズ」(&「続フレンズ」)の監督(&原作者)だ。

「フレンズ」とは(こんな内容)-- 「007」シリーズのルイス・ギルバートが監督・原作・製作を務めた青春ラブロマンス。父を亡くしたばかりの少女と家庭を顧みない父を持つ少年のイノセントな逃避行を描く。全編をエルトン・ジョンのヒットナンバーが彩る。“ハッピー・ザ・ベスト!”。

親が死んで、親戚の家をたよりにやってきた14歳の少女。だが、その家は住み心地はよくなかった。一方、ブルジョワ(?)の家に生まれた不良少年(?)こと15歳の少年。二人がふとした出会い(動物園だったか?)から、彼女の古びた別荘のある田舎へ。

そこでの恋愛と出産。僕と同世代の10代の少年少女の恋愛、妊娠と二人だけの出産シーンがあったかと。二人が過ごす田舎は野生の馬もいて白鳥も飛び交うところ。

監督のルイス・ギルバート自らが原案を執筆。早川書房から単行本の原作(『フレンズ』『続フレンズ』)が刊行され、後に文庫にもなった。

リアルタイムで映画を見て原作も読んだものだ。

原作本の中で、僕の一番硬いモノが彼女の一番やわらかい部分に入った…といった表現にコーフンしていた12歳の中学一年生だったか? 思えば、あの時から、エロス、いやロマンス小説への旅が始まったか? それが宇能鴻一郎、トー・クーンへと繋がっていく?

田舎では、昭和46年に公開された「フレンズ」とは、「ロミオとジュリエット」の二本立てだったかと。オリビア・ハッセーもまぁまぁだったが、ミシェル役のアニセー・アルヴィナのほうがはるかによかった。彼女もこの前亡くなっていたが…。ポール役のショーン・バリーはだ生きているのか(まぁ、男優はどうでもいい?)。主題曲はエルトン・ジョンが担当。 「フレンズ」は、「イエスイッツミー」の前後、日本でも売られていた。今でも好きなメロディだ。

「フレンズ」では、赤ちゃんを無事出産したものの、ポールは親に引き戻される。残されたミシェルと赤ちゃんは…。やがて「続フレンズ」も公開。「フレンズ」はDVDもビデオも持っているが…。「続フレンズ」にはDVDはなしか……。劇場でも「フレンズ」は数回見た。銀座でのリバイバル上映も見たし、テレビ放映も…。「続フレンズ」は…。「続フレンズ」自体、あまりハッピーエンドではなく(?)、「続続フレンズ」か「新フレンズ」なる三作目があってもおかしくない結末だった。ギルバートさんには「新フレンズ」を作ってほしかったね。

「青い体験」「続青い体験」のあとに、 『青い体験2000』なんかができていたが…。ラウラ・アントネッリも死んだか…。

それはともかく、沖縄西表島方面で大きな地震。3・11以降、各地火山の噴火や太平洋沿岸方面の相次ぐ地震。いよいよやねぇ。東京五輪なんてやっているヒマはあるのだろうか?

それはともかくとして、さらば、ルイス・ギルバートさんよ。でも、さらば、大地震とはいかない…。

それにしても気象庁は、沖縄の地震に関する記者会見は明日の朝になってから? 今晩中にしないとは? 危機管理意識に乏しいお役所だこと…。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
23:13  |  訃報  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018'03.01 (Thu)

さらば、真のリベラリストだった芳賀綏さんよ






さらば、真のリベラリストだった芳賀綏さんよ
(2018・3・1)


「改革者」(2018・3月号)に、 「追悼・芳賀綏先生を偲ぶ」という記事が出ていたので驚いた。交友のあった加藤秀治郎さんと松井慎一郎氏が追悼文を書いていた。昨年(2017年)の10月3日に亡くなっていたとのこと。知らなかった。産経正論の執筆メンバーでもあったが、さて産経に訃報記事が出ていただろうか? ウィキペディアをたった今見たら、まだ生存中の扱いだった。こんな人。

芳賀綏(はが やすし、1928年3月17日[1] - )は、日本の日本語学者、東京工業大学名誉教授。

福岡県北九州市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、1957年に東洋大学助教授となったのち、藤女子大学助教授、法政大学助教授、東京工業大学教授を歴任。1992年に定年退官、静岡県立大学教授に就任。その間西ドイツ・ボーフム大学客員教授、NHK部外解説委員も務めた。保守的な立場での政治評論も多く書いている。


「言葉」「日本語」関する本も多かった。以前、久米宏さんのつまらない(?)ニュース番組に出ていたことがあったかと記憶しているが、それは政治評論を発言するためではなく「言葉」に関するコメンティターとしてであったかと。

政治評論の著作としては、 『現代政治の潮流』 (人間の科学社)、 『政治の中の日本人』 (創拓社)、 『虚像のニッポン 政治・文化・教育』 (三修社)などを学生時代だったか愛読した記憶がある。

産経新聞の正論欄に書いたのは、この記事(下記)が最後だっただろうか? 関嘉彦さんを偲んだ一文だった。関さんも、芳賀さんも9条改正を見届けることなく逝去した。


2016.11.24 14:00更新
【正論】
「国民が憲法のためにあるのではない」 関嘉彦教授が問い続けた憲法の意味 東京工業大学名誉教授・芳賀綏

 安全保障をテーマに展開された「関・森嶋論争」が世の注目を集めたのは昭和54年だった。舞台はその年の『文藝春秋』7月号と10月号。手堅い正攻法で日本の防衛努力と日米同盟の重要さを説く関嘉彦氏(当時、東京都立大名誉教授。社会思想史)と、「侵入者は白旗と赤旗で迎えればよい」と少し奇をてらったような森嶋通夫氏(当時、ロンドン大学教授。経済学)が真っ向から対立した。

≪純理一筋の「道理の教師」≫

 国際環境激変の今なら、平和鎖国日本も両論が互角とは考えにくいが、当時はまだ後者の支持者も多くて双方伯仲する時代だった。そんな世論をバックに反復された論戦は、その年の文春「読者賞」に選ばれた。

 今から10年前、関教授逝去の際には『週刊新潮』が追悼の特集に紹介した森嶋夫人の談話に「あんな後味のいい論争はかつてなかった」という森嶋教授健在中の回顧談が掲載されていた。いかにも。誠実一路、ケレンもハッタリもなくフェアプレイを貫く関教授の人柄が論敵の心をも洗ったのだ。

 邪念のない関先生は、反左翼と反ファシズムを貫いた自由主義の巨大な思想家・河合栄治郎教授の高弟で、師の思想と「唯(ただ)一筋の路」の生き方の最も忠実な継承者だった。わけても言論人として孤軍、二・二六事件を決然論難した師の勇気を学んだという。

 「その人の前に出ると背筋を伸ばさずにはいられぬ人」と朝日新聞の一論説委員は評し、櫻井よしこ氏は初対面で問答した印象を「この方は哲学者だな、と感じました」と追想した。大学教師としても後に比例区参院議員としても、先生の所説は純理一筋に大局を説き、「道理の教師」として教育界にも政界にも類のない香気を加えた。産経新聞「正論」欄創設初期からの執筆者で、健筆により当然にも「正論大賞特別賞」を受けられた。

 昭和初期の東大生、関嘉彦青年は河合著『社会政策原理』で開眼した。社会改革の思想はマルクスだけではないのだと知り、河合ゼミで「一筋の路」に踏み出した。師は近代日本の思想史の中で確たる哲学的根拠の上に「自由主義」理論を体系化した最大の思想家というべく、マルクス主義を排した改革の道を構想・力説した。

≪国際平和維持に協力すべきだ≫

 同じカテゴリーの思想は戦中の河合没後、第二次大戦後の西欧では「民主社会主義」と呼称され、各国で政権を担う先進政党が相次いだ。友党として日本に民主社会党(昭和35年結成。後の民社党)を生んだ西尾末広初代党首はいま河合教授とともに生誕125年、『社会政策原理』を精読して政治思想を固めた人で、河合門下の高弟、関教授に党綱領の起草を懇請した。

「河合先生存命なら当然執筆されたものだから門下の義務と思って引き受けた」という力作がメディアの注目を浴び、福祉国家の思想基盤ともされるに至った。

 関・森嶋論争に展開された関先生の安全保障思想は早くも昭和25年、日本の占領下にもう示されていた。『中央公論』25年10月号の論文「社会民主主義と国際民主主義」である(関著『戦後日本の国際政治論』一藝社刊に再録)。

 いわく、非武装中立を墨守していては、日本の民主社会主義者は国際的安全保障秩序の維持に協力できない、自国のことだけでなく国際の平和維持に協力すべきだ。これを委曲をつくして詳論したものだった。連合国占領下の思想的鎖国状態の中で、東西両陣営の冷戦構造の真の意味が理解されず、もっぱら内向きの“一国平和主義”の姿勢が強固だった中で、“進歩的”反米運動の高まりをもおそれず主張されたのは勇気ある論述だった。

 しかもまだ連合国軍総司令部(GHQ)の事前検閲下にあってアメリカ製憲法の第9条批判に及ぶには慎重を要すると考えられた。まして関先生には一度占領政策批判でGHQの注意があった。この論文に先生は苦心の表現で書かれた、「憲法は国民のためにあり、国民が憲法のためにあるのではない」と。

≪書き継がれた“日本人への遺書”≫
 執筆当時、先生は療養所で肺結核の闘病中であった。療養所の監視を逃れながらでなければ執筆などできない中を、想像を絶する苦心を重ねて書き継がれた論文は“日本人への遺書”とも覚悟して書かれたものだった。

 以来65年余、いまようやく9条を含む憲法改正を国会で発議できる環境に達してきた。改正の途は平坦(へいたん)ではないが、その間にも国際政局は予断を許さぬ状況が相次いで激動を呼び続ける中に、日本が重心低く毅然(きぜん)たる自由国家の姿を明示することはいよいよ急を要してきた。国の基本法典の整備を怠っている場合ではない。
 「僕の目の黒いうちに憲法を改めてほしい」と繰り返された関先生の宿願が、あたかも没後10年にして達成への道を展望できるいま、繰り返し、道理の教師による金言を。「憲法は国民のためにあり、国民が憲法のためにあるのではない」(東京工業大学名誉教授・芳賀綏 はがやすし)


学生時代から愛読した筆者が次々と近年亡くなられている……。寂しい限りだ…。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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2018'01.21 (Sun)

さらば西部邁さん…





さらば西部邁さん…
(2018・1・21・日曜日)


雑司が谷・鬼子母神通りのみちくさ市(第40回)が本日(日曜日)やっていることは重々承知していたのだが……。急な用事(月曜日雪かもしれないということで…)のために御茶の水まで出かけたのだが…。そこまで行きながらも池袋方面には向かわず退散。小岩で買物。若い時なら、3・4・5Pも可能だったが……。いまや2P(二箇所)が限度?

車中、読みかけのウェンディ・シモンズの『北朝鮮を撮ってきた! アメリカ人女性カメラマン「不思議の国」漫遊記』 (原書房)を読了。


(こんな内容)→外国人向けに「演出」されたものをどれほど見せられようと、「普通の人々」との交流を求め、秘められた「本物」の感情を見つけよう。「普通の人」はどこまで北朝鮮の「真実」に迫れるのか。普通の人の目線で追ったフォトドキュメント! (北朝鮮)のクレイジーすぎる最高指導者、金正恩に捧ぐ。彼の存在なくして本書は成立し得なかった。そして、私のガイドさんたちへ。この国を見せて回ってくれてありがとう。

モデルコースを歩かされているということは十分認識した上で、見聞したことをそのまま写真と共に報じた本。21世紀の段階でも、このレベルの訪問記でも多少なりとも参考にはなろうか。日本からの訪ソツアーも、50年代、60年代(~70年代以降、80年代まで)、ソ連を訪れると、監視兼通訳の案内人とともに観光地を回るしかなかったが、それと同じような感じだろう。

放課後の少年宮殿なるところの施設に一歩足を踏み入れるや、たまたまという感じで演奏が始まる。明るい笑顔と共に…?まぁ、そういう「側面」もあるということ。裏舞台は覗けなくとも…。一つの北朝鮮ではあろう。

昔も今も、そういったモデルコースを必死になった構築している北朝鮮。その虚像を真に受けてというか、知っていて、その虚構に乗ったまま、「地上の楽園」などともてはやした進歩的文化人、容共リベラル左翼の面々は本当に罪深いというしかない。

竹山道雄氏の『剣と十字架』 (文藝春秋新社・1963年)と、大内兵衛氏の『社会主義はどういう現実か ソ連・中国旅日記』 (岩波新書・1956年)とを改めて読み比べてみたいもの。刊行時期が若干異なるとはいえ、共産圏観察録として「月とスッポン」というしかない。

寺尾五郎の北朝鮮ヨイショ本(『三十八度線の北』新日本出版社)関貴星の北批判本(『楽園の夢破れて』全貌社)との違いにも似ている。

ともあれ、夕方になって西部邁さんが「自殺」したとのニュースが流れてきた。ふうむ…。

沢山本を書いていた人でもあるが、 『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』 (文藝春秋)、 『マスコミ亡国論 日本はなぜ“卑しい国”になったのか』 (光文社・カッパ・ブックス)や『マスメディアを撃て』 (PHP研究所)、 『私の憲法論 日本国憲法改正試案』 (徳間書店)や『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』 (文藝春秋)などは面白く読んだ記憶があるが……。近年は(といっても十年ほど前になるか)、テレビ東京だったか、東京都提供(?)の討論番組などを拝見したりはしていた…。彼の一部の取り巻きなどに、違和感を覚えたりしたこともあったかと……。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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