古本虫がさまよう 教育
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「親の顔が見たい」バカがあまりにも多すぎる(人のことは言えないけど?)
(2016・8・21・日曜日)






森まゆみ氏の『昭和の親が教えてくれたこと』 (大和書房)を読んだ。著者は、僕より少し「年上の女」(1954年生まれ)になる。両親は歯科医師。その長女として生まれ育った体験を綴ったエッセイ集。「昭和の親」のさまざまな躾け的なエピソードが面白い。僕の親も「昭和の(戦前生まれの)親」だったから似たような体験をしているということもある。

森氏の父親は写真機に関心を寄せ、自宅の押し入れを改造して現像室を作り、「私はよく父とその中に入ってモノの姿が液の中に現れるのを見ていました」とのこと。同じ体験を僕もしている。家を新築した際、トイレの脇に、そんな現像専用の小部屋を作っていた。そこで「紙」を「液」にひたすと「写真」になるのを見ていたものだった(今はその部屋は物置というか、贈答などでもらった段ボールや紙袋置き場となっているが)。

コメも一粒も残すなというか、「お百姓さんが汗水たらして作ってくれているんだぞ」とよく両親から言われたものだった(森氏も同様)。しかし、ある時、農協やその傘下の農民が、米価を決める審議会で、値上げに賛同しない委員に、コメ粒を投げつける(よく、リベラルな環境団体が、捕鯨反対とかといって、日本の委員に、モノを投げつけるような感じ)のをテレビニュースで見ていた父が、「まったくしょうもない奴らだ」と。作る側がそんなに「粗末」に扱っているのだから。それ以降、多少米粒を残してもいいことになったか? 

近年、僕が日本酒を「禁酒」にしているのも、コメの消費を不必要に増やさないため。アマゾンで僧侶を雇えるように(?)、カリフォルニア米が5キロ、1500円以下で買えるようになるまで、農協との闘いは続く?(アマゾンでなくても、スーパーでも買えるようになればいいけど)。

森さんは、大学で教えているようだが、若い学生のいささかマナー違反の数々、電車などでも目にあまる光景があるとのこと。本書では「昭和の親が教えてくれたこと」として、ちょっとした標語と共に教訓が綴られてもいるが、たとえば「お里が知れる」などでは以下の通り。

「わたしは修身はじめ心の国家管理は望みませんが、親はしつけを放棄してはいけないと思います。親がしつけないので国家の出る幕になってしまうのです。自由や自立を標榜する欧米の青年たちと比べても、日本の青年は幼稚で自堕落といって過言ではないでしょう。「お里が知れる」は出自を問うというような差別的な意味合いはありません。実家のしつけがよくわかるというほどの意味です」…

まぁ、「親の顔がみたい」なんていうのは、かつて川上源太郎氏の名著のタイトル(『親の顔が見たい』ゴマブックス)でもあったかと。

本書では出てこなかったと思うが、「若い時の苦労は買ってでもしろ」とはよく母親に言われたものだ。そこそこ「買った」からもういいかなとも? そのおかげで「白髪」が増えたし? 森さんも最後には「なるようになる」と思うことにしているとか。ロシア語で「ニーチェーボー」というのも、そんなニュアンスだったかと。英語だと「テイクイッツイージー」か。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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ライオンはわが子を谷底に落とす…というから、人間なら、厳父はわが子を山中にポイ置きする…というのもアリなのか? まさか?
(2016・6・4・土曜日)



1989年6月4日、アジア・中共では天安門の大虐殺が、東欧ポーランドでは、自由選挙が行なわれた(連帯が圧勝し、非共産政権樹立へ)。それから20数年が経過し、中共、北朝鮮、ベトナムではまだ一党独裁国家が存続している(東欧では独裁国家は消滅した)。この東西格差こそ、許せない「格差」であるとの認識を日本人のどれだけが持っているのか。

それはさておき、渡島管内七飯町東大沼の山林で5月28日から行方不明になっていた小2年・田野岡大和(やまと)君(7)は、陸上自衛隊第28普通科連隊(函館)まで動員して捜索が行なわれた。そもそもは、田野岡君の両親が「しつけのため」として山林内の町道で田野岡君を車から降ろしたのがきっかけだった。だが、6月3日になって、おもいがけないところで発見され、無事保護された。


<小2保護>偶然や好条件重なり
毎日新聞 6月3日(金)21時30分配信 (一部略)

 北海道の山中にしつけのため置き去りにされ、行方不明になっていた北斗市追分4、小学2年、田野岡大和さん(7)。6日ぶりに無事見つかったのは警察などの捜索範囲外の自衛隊演習場内の施設だった。厳しい冷え込みが続き、捜索態勢も縮小する中で、偶然や好条件も重なり、小さな命はつながった。
 陸上自衛隊によると、大和さんがいた廠舎(しょうしゃ)と呼ばれる簡易宿泊施設は、幅6メートル、縦30メートルの半円状の木造。演習時の宿泊や休憩などに使われ、50人まで利用可能という。板敷きの室内には、約40枚のマットレスが積まれていた。

 大和さんが行方不明になった場所から同施設は直線でも約6キロ。演習場までは複数の林道があり、「道なりに歩いたら10キロある。上り下りもある山道で、隊員でも2時間半はかかる」(陸自担当者)という。

 道警や消防などは不明になった場所から最大15キロ四方を捜索したほか、自衛隊員が同演習場脇まで林道周辺をオートバイで回って確認した。しかし演習場は大和さんを降ろした後で家族の車が進んだ方向と逆で、山を登る形にもなることや「ここまで1人で歩いて行くのは考えられない」と対象に入っていなかった。また、捜索とは別に施設の点検に訪れた隊員が5月30日午前9時50分ごろ、建物の中を確認したが、異常はなかったという。
 演習場の周囲には、大和さんの背丈より高いやぶがある。敷地内も車1台が通れる程度の未舗装の道が複雑に入り組んでおり、両脇には高さ6~10メートルの木々がうっそうと生い茂る迷路のような地形という。大人の背丈でも周囲を見通すことはできず、担当者は「枝道を避け、なるべく太い道を選び続けた結果、発見された施設にたどり着いたのではないか」と推測する。道警によると、大和さんは「28日夜からここ(施設)にいた」と話しているという。

 施設では建物の外にある水道の水が出るが、食料はなく、ストーブや電灯は発電機がなく使用できない状態だったが、スイッチは入っていた。建物内も夜は真っ暗で、大和さんは「電気をつけようとしたが、つかなかった」と話したという。演習場内には他に体を休められる建物がなく、最も近い民家までは約1キロ離れていた。

 函館地方気象台によると、5月28日から6月2日までの函館市の天候は夜間を中心に雨の降った日が多かった。鹿部町に隣接する森町では、6日間のうち4日間は、最低気温が10度を下回った。

 大和さんはTシャツにジャージーの薄着姿。現場にいた隊員の一人は「室内のマットの間で体を休めていたのは、低体温にならないために適切な判断だったと思う」とみる。

 冒険家・三浦雄一郎さんのエベレスト遠征隊に同行した経験がある国際山岳医で、山岳遭難などに詳しい心臓血管センター北海道大野病院(札幌市)の大城和恵医師(48)によると、生存のために良かった条件として▽雨風をしのげる小屋のような建物を見つけることができた▽そこから動かなかった▽真冬のような季節ではなかった▽水が飲めた--の4点が挙げられるという。「どれか一つでも欠けていたら難しかっただろう。ただ、あと数日遅かったら危なかったかもしれない」と大城医師は話す。【野原寛史、立松敏幸】



家庭の事情は人それぞれであるが、7歳の子供を、躾けというか、懲らしめのためとはいえ、また短時間のつもりでも、山の中で置き去りにするということは、かなりの恐怖心を彼の脳裏に与えることになっただろう。なかなかみつからず…熊も出没するから襲われた? 人さらいもどこかにいたかもしれない? もしかして、厳父の狂言? いろんなことを考えさせられる「事件」だった。だが、常に「ネバーセイネバー」の精神をもっていたなら、自衛隊演習場内の施設が、「ここまで1人で歩いて行くのは考えられない」と対象に入っていなかったというのはどう考えても落ち度というしかない。数日後、ここで餓死しているのが発見されたら、警察当局は何をしていたかということになろう。また外国テロリストなどが、ここに潜伏することも今後考えられる。こんな施設が国内あちこちにある? 危機管理上からも今後注意すべきであろう。

ともあれ、子供がみつかって、捜索関係者にお詫びの言葉を述べる父親の「見た目」はまぁ、普通であったが。一部週刊誌が父親は〇〇会議所属のタカ派だったなんて書いたりして(冗談!)。

それにしても、自衛隊まで出動しての捜索活動。ちょっと……税金の無駄遣いという気がしないでもないが……。親が少しは負担するのか? 「サバイバル術に長けているお子さん、将来自衛隊に入るという前提で、今回の自衛隊の捜索費用はゼロ、出世払いで結構です」という密約が、結ばれる可能性もあるのでは?

ルドルフ・ドライカース&ドレイカース,ルドルフ&ビッキ・ソルツの『勇気づけて躾ける 子どもを自立させる子育ての原理と方法』 (一光社)という本がある(とのこと。未読)。タイトルからすると、こういう事件が発生した時に、一読すると何か参考になることが書かれているのではないかと思わせる。 でも、子育てはいろいろと大変。他山の石とすべきか。なにはともあれ、無事でよかった。

たまたま、嵐山光三郎氏の『漂流怪人・きだみのる』 (小学館)を読んだ。大変面白い評伝だった。

平凡社の新人編集者時代に、彼の連載を担当し、その奇人変人ぶり(?)を、事細かにというか、おおらかに描写している本。
彼の「娘」のことをめぐっての後日物語も、詳述されている。きだ氏は「娘」が自分の娘であるにもかかわらず、当初、その事実を本人には告げなかったという。学校にも行かせず、自分の気ままな取材旅行などにも同行させていたという。それではまずいということで、いろいろとあって、当時、学校の先生だった三好京三氏に預けたりもする。やがて、三好氏は、きだ氏のその実の娘を「養女」にしたり……。だが、やがて、養親と養女との間で、いろいろと対立があったりして、週刊誌のスキャンダル報道もあった……。嵐山氏の本で、そのあたりが綴られているのを読みながら、あぁ、そういえば、そんな記事(週刊誌など)をかつて読んだことがあったかなと思い出したりもした。

げに、先の「躾けのための置き去り事件」といい、きだ氏の例にせよ、子育ては難しい。子供の感情をあまりに慮るのは考えものだが、軽視するのもよくないことだろう。

きだ氏の本は昔、『気違い部落周游紀行』 (冨山房百科文庫)などを少し読んだだけ(それにしても、この本の書名を打ち出そうとして「きちがい」と打つと「基地外」「キチガイ」は出てくるけど、決して「気違い」は出てこない。バカなパソコンメーカーが、「自己規制」している疑惑濃厚というしかない。事実だとしたら、許せない?)。

ともあれ、奇人変人……。世の中には、いろいろとあるのだろう。法や道徳にはなるべく反しない範囲で、多様な人格や見識などを保持できればベターであろうが。
僕はいたって平々凡々人であるが……。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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人生、好きなことだけやれば(あと性悪女にひっかからなければ?)ノーベル賞を受賞できる(かもよ?)
(2016・5・10・火曜日)






日経新聞朝刊(2016・5・9)に、ノーベル賞受賞者である中村修二氏(1954年生まれ)の、日本の大学教育に関する批判記事が出ていた。かつて、僕が18歳の時に抱いた感じと瓜二つだ。ということは……、僕も頑張ればノーベル賞を取れた? なぜ取れなかったのか? 記事を読んで考えてみた?


だまされた、工学部を後悔(中村修二氏)
失敗から学ぶ 2016/5/9 3:30
 「失敗から学ぶ」。各界で活躍する成功者たちも、苦い思いをバネに成長してきた。その原点を探る。青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞を受賞した中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に聞いた。
 「だまされた」。1973年、徳島大学工学部へ進学した私は自分の進路を後悔した。
 愛媛県の公立高校時代は理論物理学者や数学者に憧れていた。大学受験の際に担任の先生から「理学部じゃ飯が食えない。工学部へ行きなさい」と諭され、理学部に進学するのをあきらめた。
 物理や数学は得意だったが、暗記が苦手で歴史や地理、国語が大嫌いだった。「大学に進学したら好きな勉強ができる」と教師や親にいわれ、受験勉強をしてきた。入学したら、好きな物理を徹底的に勉強し、宇宙全体の動きを説明する法則を発見する。そんな夢を描いていた。
 それなのに、心理学や国文学、憲法の講義に閉口してしまったのだ。しかも教養科目は必修だから、選択しないわけにはいかない。好きな物理の講義は週に1回ほどしかなかった。
 仲のよかった友人3人も徳島大工学部を志望していた。成績が同じくらいだし、「このくらいなら合格するな」と考えて志望校を決めた。初志を貫徹せず、周囲に流されて工学部へ進学したことを今も後悔している。
 裏切られた思いが募り、大学へ行かなくなり、友人との付き合いも断ち切る

 私は一般教養を大学で学ぶ意味が理解できなかった。常識がないとか純粋だったといってしまえばそれまでだが、自分の興味のあること以外は大学ではやりたくなかった。だから自分で好きな勉強をしようと考えた。
 友人たちに「わしゃ、勉強する。過去のしがらみを絶つ」と宣言した。それまで付き合いを大事にしてきたので、みんなきょとんとしていた。
 下宿に引きこもり、物理や数学の専門書を読みあさった。知識がある程度身につくと、哲学書に走った。世の中や科学のことを考えたかったからだ。考えることは小さなころから好きだった。
 しかし、有名な哲学書でさえ、すでに自分なりに考えて結論を出したようなことしか書かれていない。これは目からうろこだった。自分でとことん考えることが大事なのだ。大学で一番ためになったのはこのときの経験だ。
 一人で考え抜いて成果を出す。研究者としての私のスタイルは、この大学1年のときに基礎ができたと思う。
 前例を参考にできないことこそ「自分の頭で考え抜くことが大切だ」と説く
 青色LEDの研究開発は実験しては考えるの繰り返しだった。最初は先駆者の成果を試したが、それ以降は参考にしようと思っても先行事例はほとんどない。いくら論文を読んでも資料を当たっても無駄だ。
 LEDの素材を作る過程で何度も失敗した。とにかく何度も何度も実験し、なぜそうなったのかをとことん考えて装置を改良し、また実験した。「20世紀中の実用化は不可能」といわれた青色LEDについて、自分なりの理論を築いていった。苦労はしたが、好きな研究だったからどんなことにも耐えられた。有名大学の出身でなくても、田舎者でも、がんばれば世界レベルの仕事ができるという証明ができたのではないかと思う。
 現代は先の予測は難しい。だからこそ、過去にとらわれず、懸命に考えて工夫することが大切だ。とことん自分の頭で考えれば、いずれ道は開けるはずだ。



ううむ、入学時点での絶望感など、僕もまったく「同じ体験」をしていたではないか? 

ただ、この記事で首を傾げたのは、工学部でなく理学部に行っても同じだったのではないか(理学部に行っても、教養課程で、文系課目を強要されるのは同じだったと思うから)。

ともあれ、中村氏は1954年生まれ。僕より数歳年上になる。僕が大学に入学したころも、ナンセンスともいうべき教養課目の「強制」は同様だったかと。ただ、僕は文系。中村氏とは真逆で、物理(Ⅰ)は大嫌いというか苦手。生物(Ⅰ)も。化学(Ⅰ)も。地学(Ⅰ)はまだUFOがらみで関心があったが? 中村氏とちょうど「逆転」した立場であったかと。

 「政経や現代国語は得意だったが(ただし、「現代国語」はなんとか漢字の読み書きができるという点が「得意」で、三木清や小林秀雄のエッセイを読んで答えろといった文章題や古文は苦手。漢文はまだ好きだった。作文などはまぁまぁ)、理数系課目はほぼオール分野が苦手で、数学も嫌いだった」(特に物理は「赤点」)。

でも、「大学に進学したら好きな勉強ができる」と教師や親にいわれ、受験勉強をしてきた。入試も私立文系(法学部)一本槍。国立文系など考慮もしない。それで、入試課目も英語・政経・国語(漢文・古文)だけ(しかし、法学部を受けるのに「政経」では受けさせず、「世界史」「日本史」「地理」なら受けさせるという私立大学には呆れた。さらに「英語」「国語」と「数学」で受験できる法学部もあった(要は社会科課目なしで法学部を受験できるのだ)。許せない大学だ? 文部省は、法学部や経済学部を受けるのに「政経」で受験できない大学への補助金は全面削除すべきだろう)。

5教科型の成績表では、高校時代はおおむね「総合」すると下位に低迷していたが、高校三年になって、理数系課目を取る必要がなくなった私立文系三教科型だと、なんとか上位に食い込んでいた(というか、国立5教科型文系クラスに優秀な生徒が「移動」し、「私立文系」は吹き溜まりで、僕のような生徒がたむろし、その中での話。政経で100点近い点を取り、あとは、国語と英語で60点とれば、3つあわせて220点。3教科の平均点は70点以上となり、まぁ、実力テストなら私立文系上位には入れた? いや、私立文系で学年一位になって名前が張り出されたことがあったかと。ネバーセイネバー!?)。

ともあれ、なんとか、ほぼ希望する大学の法学部にぎりぎりで現役入学した。当然、法学部なんだから、好きな政経関連の課目(憲法・法学・歴史)を徹底的に勉強し、ソビエト帝国主義(&レッドチャイナ)の、二つの脅威によって亡国寸前の国難の日本を救うための有為な人材になってみせる?(防衛大学校は人文系学部でも入試に数学などがあったからもちろん受験できず?)。そんな夢を描いて上京し入学式に臨んだ。そして、ガイダンスを経て履修届なるものを出そうとして唖然としてしまった。

高校二年の段階で「おさらば」したはずの物理(学)や生物(学)や、科学史や心理学の講義が「必修」「選択必修」であるではないか(前述したように、私立高校だったので三年の時は、私立文系の生徒は英国社しか選択しなくてよかった。あのときほど開放(解放)的なことはなかった。数学や理科の授業がないのだから。
とにもかくにも、履修届用紙を前にして、唖然呆然としてしまった。やる気をだそうと思っていた「法学」「憲法」の授業は週に一回あるかないか。「社会学」もあったが……(しかも、「法学」の先生は、そのあと、転向してまともになったとはいえ、左翼的な教授の「法学」? 二、三回授業を聴いたものの……)。

いやはや、いまごろの季節から(?)大学にあまり通わなくなりました。夏休み前にはちょっとした病気にもなり(?)完全に……。そして……。

「裏切られた思いが募り、大学へ行かなくなり、友人との付き合いも断ち切る。文系学部に入った僕には、理系の一般教養を大学で学ぶ意味が理解できなかった。常識がないとか純粋だったといってしまえばそれまでだが、自分の興味のあること以外は大学ではやりたくなかった。だから自分で好きな勉強をしようと考えた。 下宿(アパート)に引きこもり、政治やマスコミ関連の雑書を読みあさった…(パチンコも少々)…」

このあたりまでは中村氏と同じ歩み?

しかし、そのあとが……。

中村氏はこういう。
「知識がある程度身につくと、哲学書に走った。世の中や科学のことを考えたかったからだ。考えることは小さなころから好きだった。
 しかし、有名な哲学書でさえ、すでに自分なりに考えて結論を出したようなことしか書かれていない。これは目からうろこだった。自分でとことん考えることが大事なのだ。大学で一番ためになったのはこのときの経験だ。
 一人で考え抜いて成果を出す。研究者としての私のスタイルは、この大学1年のときに基礎ができたと思う。
 前例を参考にできないことこそ「自分の頭で考え抜くことが大切だ」と説く
 青色LEDの研究開発は実験しては考えるの繰り返しだった。最初は先駆者の成果を試したが、それ以降は参考にしようと思っても先行事例はほとんどない。いくら論文を読んでも資料を当たっても無駄だ。
 LEDの素材を作る過程で何度も失敗した。とにかく何度も何度も実験し、なぜそうなったのかをとことん考えて装置を改良し、また実験した。「20世紀中の実用化は不可能」といわれた青色LEDについて、自分なりの理論を築いていった。苦労はしたが、好きな研究だったからどんなことにも耐えられた。有名大学の出身でなくても、田舎者でも、がんばれば世界レベルの仕事ができるという証明ができたのではないかと思う。
 現代は先の予測は難しい。だからこそ、過去にとらわれず、懸命に考えて工夫することが大切だ。とことん自分の頭で考えれば、いずれ道は開けるはずだ


ううむ、カーネギーの『道は開ける』 (創元社)は、そうした失意のどん底に沈んでいた大学1年後半のころ一読し、深い感銘を受けたものだったが……。

まぁ、中村氏のように憲法や法律の「専門書」を読むほどのことはなく、古本屋や古本市に通って(まれに新刊書店にて)手にした雑本を、よくいって一日一冊単位で「雑読」する日々。ハイド系の本も入手読破していたから、さほどの「道は開かない」まま、人生の終盤を迎えるにいたった次第である?

ちなみに、中村氏には自叙伝として『好きなことだけやればいい』 (パジリコ)という本がある。昔読んだ記憶もあるのだが……。書名からもわかるように、多分、その本の中でも、記事に出ていたような持論を展開していたかと。

僕も「なるべく好きなことをやって生きていけばいい」という姿勢では大学入学以降過ごしてきたとの自負はあるが、どうしてこんなに差が出てしまったのだろうか?
やはり「好きなことだけやればいい」と、完全にそれを実践した中村氏に比べると、僕などは、現実に妥協したところもあったのだろう。

それでも、大学を人よりちょっと時間をかけて卒業し、青雲の志を相も変わらず持ち続け、大学を出て、さらなる有為の人物になろうと第一歩を踏み出したのに、年上の、いや同学年で、25歳までに結婚してくれなきゃいやだと騒ぐうるさい女にひっかかったのが運の尽きだったか……。

デートの時、あのころはいまのような「便秘の君」ではなく、「頻便の君」で、その間、待っている時も「本」を手放さないで読んでいたら、「寸暇を惜しんで勉強する古本虫さんって素敵♡♡♡」と言っていたのに、いまや「読みもしない古本、買ってくるな」と地下鉄メトロの十一秒ごとに繰り返される「進入進出時の風圧にご注意ください」というアナウンスと同様の頻度で怒鳴られる。そんな父親を見て育った子供たちは、「本好き」にはならなかった。

この前、土曜日の神田の古書会館で、小学生の子供を連れてブラブラしていた親子(父親と息子)連れがいた。そうそう、そんなこともあった。しかし……。

得るものがあれば失うものがあるのが世の常。ソクラテスだったか、悪妻を持てば哲学者になれると言ったのは。
愚妻を持てば何になれるのだろうか。万年課長か? ソルジェニーツインやガリレオではないが、「弾圧」を受けても、自由のために闘った科学者や文学者に我が身をなぞられるわけでもないが、「それでも地球は動く」し、「地球が動く限り、古本を買う」…。

それはさておき、2016・5・8毎日朝刊の気象庁による熊本地震の「予想」外れを扱った記事は大変参考になった。
「予断与えた『余震警戒』」「28時間後に本震」「検証熊本地震」「再考迫られる警告手法」「気象庁見通し示せず」

検証・熊本地震 .
/1(その1) 前代未聞の「前震」 余震経験則、通用せず
毎日新聞2016年5月8日 大阪朝刊
 「余震だから、そんなに揺れないだろう」。気象庁が「余震」への注意を呼びかけていた4月15日夜、熊本県益城(ましき)町の城本千秋さん(68)は、自宅前に止めた軽乗用車を降りて妻ぬい子さん(62)にそう話すと、家の中へ戻っていった。「あんたも息子の家に来んね」「行かん」。それが最後のやりとりだった。
 最大震度7の強い揺れが2度襲う異例の事態となった熊本地震。築80年を超す木造2階建ての自宅は、14日の地震では壁にひびが入る程度だったが、夫婦は用心のため車中で夜を明かした。翌15日夜、家の片付けに疲れたぬい子さんは近くの息子宅に身を寄せ、城本さんは自宅で寝た。今思えば、揺れの影響で玄関の鍵がかからないことを気にしていたようだった。
 16日未明、再び強い揺れが襲った。ぬい子さんが自宅に駆けつけると、1階はつぶれていた。救出に約4時間かかり、その場で「蘇生できません」と告げられた。「まさか2回目があげな大きいとは」。がれきの中から掘り出した夫の写真を手に悔やむ。

 気象庁は14日の地震を「本震」とみて、「震度6弱程度の余震が1週間ほど発生する恐れがある」と警戒を呼びかけた。これを「余震なら徐々に弱まる」と受け止めた人は少なくない。15日朝に4万人を超えた県内避難者は、昼には約7000人に減少。その後、再び大地震が襲った。避難先から自宅に戻り、16日の地震で亡くなった人はほかにもいた。2度目の震度7の地震が起きるまでに見つかった犠牲者は9人だったが、その後、犠牲者40人、安否不明者1人が加わった。
 2度目の強い揺れは、自治体にとっても不意打ちだった。食料配給の準備に追われていた益城町役場では敷地の地盤が崩れ、非常用電源車が横倒しに。停電して暗闇の庁舎内に「退避」の大声が飛び交った。夜が明け、県対策本部に被害情報が次々と入る中、「16日の地震は余震でなく本震、14日のは前震だった」という気象庁の見解を伝え聞いた県幹部は、思わずつぶやいた。「前震なんて言葉、聞いたことがない」
 28時間後の「本震」は、気象庁にとっても予想外だった。ある幹部はとっさに「ああ、失敗したな」と思った。より規模が大きいものが連発するという考えはなかったという。別の幹部は「M(マグニチュード)7クラスが起こってしまった」。16日未明の記者会見で、気象庁の青木元(げん)地震津波監視課長は「14日と全く違う。地震の規模が大きい」と驚きを隠さなかった。
 余震の見通しに関する説明も、これまでの地震にはない展開をたどった。気象庁は余震による被害を防ぐため1998年から余震発生確率を発表してきたが、16日の「本震」直後から取りやめている。震源域が阿蘇地方や大分県側に拡大し、「余震は時間とともに少なくなる」などの経験則に当てはめられなくなったためだ。当初は余震への警戒期間を1週間程度としていたが、21日の記者会見でも「少なくとも1週間程度」と繰り返した。今では期間すら示していない。 (以下略)。



まぁ、気象庁の「予想外れ」のために命を落した人もいたといえよう。僕が責任感を持つ気象庁関係者なら、「丸坊主」になるところだが……。記事では、このあと、気象庁のイマイチの対応を批判的に捉えている。我々一般国民が、気象庁に抱いていた「不信感」をある程度、踏まえた記事だった。
新聞社に期待したいのは、こういう記事だ。ほかの新聞でもすでに報じていたのかどうかは知らないが、毎日のこの記事は大変参考になった。

しかし、その毎日新聞…。5月9日付け朝刊では、「正恩氏現実路線に」「北朝鮮党大会報告」「非核化交渉模索か」ときた…。「現実路線」? 気象庁の熊本地震の事後予想外れみたいにならなければいいけど(イヤ、ネバーセイネバーか?)。まぁ、記事中の一部リベラル的な朝鮮専門家のコメントを反映しての「見出し」ではあるが……。
同日付け朝日の見出し「自衛の核強化」「非核化へ努力」「正恩氏、矛盾の国家戦略」「特別重大放送で独裁鮮明」のほうがベターですね。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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大学新入生が読むべき本とは?
(2016・4・14・木曜日)






都内では櫻も散り始めたが、入学式が各大学で行なわれているようだ。一昨日の東大の入学式で学長が新入生に対して「みなさんは新聞を読みますか」と問いかけ、国内外の新聞などを読む習慣を身につけるよう呼びかけたということが、一昨日夕刊の各紙に出ていた。高校時代までは、自宅で新聞を購読していれば、手にすることもあったかもしれない。某新聞なんかが、大学入試に出ますよ、当新聞のコラムが…とはやしたてるからということで購読していたかもしれない。しかし、節約時代、上京して一人で生活するようになると、真っ先に新聞代は節約割愛の対象となる学生もいるかも。ネットの無料登録で、大体の新聞はざっとは読めるご時世でもあるようだから。ただ、やはり「紙」で読むほうが、読みやすいといえば読みやすいような気もする。旧世代故の古い感覚かもしれないが。

 僕は大学に入ってからは、産経と朝日の2紙を取っていた。好対照の論調の新聞を読むことによって、まぁ、いい意味で複眼的な視野が養えた(であろうか?)。おおむね、朝日の左翼偏向体質を実感することが多かったような記憶があるが。福田恆存氏監修の『新聞のすべて』 (高木書房)や、ミニコミの「言論人」「月曜評論」も定期購読していたから、まぁ、当時から変な学生だったのかもしれない。しかし、その時の新聞や本代に費やした毎月数千円(数万円?)の「投資」は多少なりとも、そのあとの人生の行路の上では役立ったのではないかと思う。

「新聞を読む」のではなく「新聞を配達する」ことによって、学資を得ている新聞奨学生もいることだろう。この前も、すこし、そのことに触れたけど、新聞奨学生というのは、大学生を対象に、新聞配達をすることによって、住み込みの住居が「無料」で提供され(光熱費は実費負担)、「賃金」として毎月10数万円支給され、かつ返済不要の奨学金が年間100万円程度支給される制度のこと。食事付きの個室を借りられて「給与」や「年間授業料」分のお金もそこそこ稼げる。夕刊の配達がない産経ならいいかな?

各種の奨学金ローンは非人道的だとかいろいろと言われるけど、家が貧しくとも、勉強ができたら防衛大学校や気象大学校を目指すなり中堅私立大学の授業料免除学生になるなり、新聞奨学金を得たりといろいろと工夫することは、日本では可能だろう。

そういう自助努力をしないで、勉強もせずに、ただ、ラクして大学に進学したい、進学できないのは、塾にもいくお金がなく貧乏だから…と責任転嫁している怠惰な人もいるのかもしれない。生活が苦しいからと、水商売で売春しながら学業もそこそこ堅実にやっている女子学生の実態をルポした本もある(中村淳彦氏の『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』朝日新書)。まぁ、人それぞれではあるが……。

ともあれ、加藤秀俊氏の『取材学 探求の技法』 (中公新書)を再読。昭和50年の刊行。1975年。40年以上昔の本。大学時代に一読した覚えがある。

学生向けに、膨大な情報をいかに取捨選択して知的な生活に役立てるかを論じた本だ。新入生が読むと、いろんな面で役立つ本ではないか。

ただ、刊行された時代が時代なだけに、百科事典などをいかに使いこなすかといった記述も出てくる(今ならウィキペディアか……)。新聞は朝夕刊で400字500枚分の情報量がある…とも。新聞の索引として縮刷版をいかに使いこなすべきか…など。
古本屋の効用なども。文字情報だけでなく、インタビューや現地訪問なども調査の上でいかに有効か……。タダで手に入る情報だけで現代社会についての論文を書く、そのために街角で配られるチラシやビラやカタログやマッチを集めて書いたりする若者を紹介したり……。

インターネットの時代になっては、ちょっと古臭く、今では通用しないものもあるかもしれないが、探求の技法のノウハウとしては、まだまだ参考になるだろう。


いくらネットで、タダの情報が氾濫し、昔と比べて品切れ絶版本が入手しやすくなったとしても、例えば、ジェームズ・ヒルトンを研究していれば、ヒルトンの生誕の地や墓場を詣でたくもなるだろう。現地訪問は、やるとやらないとではインスピレーションが違うだろう(と思う)。そうしたことも加藤氏は指摘している。


引き続き、藤井誠二氏の『大学生からの「取材学」 他人とつながるコミュニケーション力の育て方』 (徳間文庫カレッジ)を読んだ。ノンフィクション作家として活躍しながら、大学の講師として「取材学」を講義。その授業内容などについて書いた本。加藤氏の本と重複するところもあるが、21世紀版取材学といったところだ。徳間文庫といえば、通俗小説(?)を読むことが多いが、以前の「徳間教養文庫」が形を変えて、「徳間文庫カレッジ」として最近スタートしているようだ。その中の一冊が本書。

取材のノウハウを自らの体験から論じたり、また、知人のジャーナリストなどを紹介したり…と。まぁ、その知人の中には、僕の嫌いなタイプの人もいるけど、著者自身、加害者、被害者の人権問題などに関して、現場での取材を通じていろいろと変遷もあり、重厚な視点を有しているので、特に気にならずに一読できた次第。手紙をまずは出して、取材の意図を相手に伝える…。それで成功する事例もあるようだ。「電話」「メール」では「ダメ」でも、手紙(なるべく肉筆がいい?)なら、突破口が開けることもあるのかもしれない。

さらに黒田清氏の『体験的取材学 いい仕事をするための主観技術』 (情報センター出版局)なる本もあったなと、ひもとく。読売新聞大阪本社社会部記者出身で、若干リベラル左派的なところもあるジャーナリストであったが、いろいろと。だが、加藤氏並みに「昭和」の新聞記者であるから、浪花節というのか、義理人情というのか、いろいろと、クラシックな体験談も少なくない。イマドキの若い人にどれだけ感銘を与えられるか…。でも、一読して損はない本。大学の図書館にもあるのではないか。


少し新しい形の知的読書のノウハウなどを学ぶ上で新入生のみならず一般人向けに役立つのは、成毛眞氏の『実践! 多読術 本は「組み合わせ」で読みこなせ』 (角川oneテーマ21)、 『情報の「捨て方」 知的生産、私の方法』 (角川新書)。最近、読んだばかり。

成毛氏も子供時代、百科事典をじっくり読んでいたとのこと(『情報の「捨て方」』)。「暮らしの手帖」も愛読していたとか。そのあたり、僕も似たような体験を。また学生時代には古本屋をよく歩いたとのことだが、近年は、新刊書が多くて古本を読む暇がないとのこと(『実践!~』)。そういう人もいる。

池田信夫氏の『使える経済書 『資本論』から『ブラック・スワン』まで』 (NHK出版生活人新書)も、書評本であるが、アマゾンなどの利用術にも触れている。

たしかに「アマゾン」は本の入手方法を大きく変えた。ネットの「日本の古本屋」なども、図書館の横断検索などもである。

成毛氏も本屋で本を見て、アマゾンで注文することが多いという(本屋で購入して持って帰るのが重くて大変だからと)。ううむ…。神田三省堂などは15000円以上購入すると、無料で自宅まで配送してくれるサービスを以前やっていたかと思うが、いまはどうなっているのだろうか?

古本市を行脚していても、重くて困ることはある。最近お見かけしないが、古本市などに年輩の男性(70代後半)が若い女性を連れて来ているのをよく見かけた。どこかの大学の先生か。教え子を連れて研究テーマの本を物色しているような雰囲気。買った本は女性が持ち運んでいた? そんなふうに、僕も古本運びをやってくれる人と同行できればいいのだが。古女房はそんなことをするわけもない。お金持ちの古本ハンターの老人たちが、土曜日のそうした古本担ぎのバイトとして学生を採用するといいかもしれない。そういうバイトなら、喜んでしたことだろうが。そんな中年男と若い女性の古本ラブロマンス小説などを書く人はいないのか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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文部省検定教科書じゃあるまいに、自由販売の受験参考書にも「検閲」が?
(2016・1・15・金曜日)



昨夜、テレビの天気予想を見ていたら、気象庁のいいなり気象予報士サンが、今月は、これからは「暖冬」ではなく「平年並み」「厳冬」傾向が続くから注意しなさいと平然と語っていた。あれあれ、三カ月予想で「暖冬」と断言していたのに。ということは、今月はこれからはまた暖冬になるのかな? 熊も暖冬で冬眠できないでいるとかのニュースも流れていたけど、熊サンも気象庁の天気予想を見て、じゃ、冬眠しようか、どうしようかと悩んでいるかもしれない? コロコロ変わる気象庁にも困ったもの。コミュニスト同様、常に間違えず、間違えても知らんフリをして誤魔化すのがお得意の官庁だから‥‥。

ともあれ、産経新聞(2016・1・14朝刊)によれば、駿台予備校から刊行されていた霜栄氏の『生きるセンター漢字・小説語句』 (駿台文庫)なる本の例文があまりにもいやらしいものが多くて、販売停止と書店の在庫回収を決めたという。

センター試験の実践形式を用いて、漢字および小説などに登場する語句の意味を身につけるための学習書。例文を変えて過去問を網羅し、予測問題も収録。漢字問題を350題、小説語句問題を360題収録。記憶に残る例文・意味で、自分の言葉として使いこなせるように工夫。小説語句問題の解き方・注意点を詳しく解説。



ということで、こんな例文が。
「教授と私のミッセツな関係を誰にも気づかれてはいけない」「きみのエキスをチュウシュツして飲み干したい」

アマゾンのレビューを見ると、(元)教え子なども感想を寄せていて、賛否両論になっている。また取扱停止になったために、早くも古本屋などが4000円前後で販売しており、定価での入手は困難になっているようだ。

ううむ‥‥。そんな漢字語句問題集があれば、真剣に勉強するかもしれない。僕は私立文系で英語・国語・社会(政経)しか勉強しなかった。英語はせいぜい「シケ単」。国語はせいぜい「漢字学習」。旺文社かどこかの漢字問題集を使って、せっせとやっていた。受験する大学は、大概、漢字を単独に書かせる問題があって、10点程度の配点だった。文中の中の単語を漢字で書かせることもあった。一点を争う入試。漢字一つが書けなくて不合格ということもありうる。バカにはできなかった。しかし、問題集の例文は短文で無味乾燥なものが多い。こういうものなら少しはやる気になったかも。

英語だって、ポルノ小説を読んで勉強しようなんてこともあるのに。
中田耕司氏の『ハウツウ受験英語塾 英文解釈重要成句・構文のすべて』 (二見書房・サラブレッド・ブックス)は、題名はごく普通だが、出てくる英文例文がすべてポルノ小説の一節というのがミソ。これも、10代のときに購入すればよかったのだが‥‥。50過ぎて古本屋で購入したものの、もはや、あまり役立たない?
まぁ、ジキル的な予備校の出版物にふさわしくないとの自主規制? アマゾンでも楽天でももう購入できないようだ。受験参考書でもあるので普通の図書館にも見当たらない? 残念。ネットで見ると、こういうセクシー例文は、全体の中の一部程度の量のようではあるが‥‥。自由販売の問題集ならノープロブレムでは? 学校や予備校などが、この問題集をすべての生徒に購入を義務付けたりしたら問題だろうが‥‥。 

以前紹介した江口五郎氏の 『エロ語呂世界史年号』 (社会評論社)は、それよりももっとススンデイル?
なにしろ、天安門事件(1989年)の覚え方としては、1989(年)は「イク~!」「バック」からっ--となり、天安門は「(バックからっ)て、あ~ん、もう」となり、民主化は「見透か」されているみたいと。解任された趙紫陽は「調子よ」すぎて「懐妊」しちゃうよ、と。「こう巧み」に江沢民に攻められると……と。
万事こんな感じだ。これで入試は大丈夫?

この本が凝っているのは、カバー装幀を、山川出版社の「『世界史用語集』と瓜二つにしているところだ。カバーの色にブルーが使われたりしているのも同じようだ。かつて『星の王子さま』のパロディ版の『ポルの王子さま』 (ニトリア書房・カジノ=リブモンテーニュ作)というエロ本の装幀が、地球を乳房に見立てつつ似通ったものにしていたことがあったが、それと同様の造りである。
『ポルの王子さま』は古書価格高騰で入手困難本である(今朝見ると、なんと「よみた屋」が一番安く提供で8640円で出している。一番高く出しているのが「喇嘛舎」で21600円。「喇嘛舎」も最近寄ってないなぁ。こんなのがブックオフで500円ということもネバーセイネバーだろうか? 僕は数千円で購入し一読したけど、売りに行くなら「よみた屋」より「喇嘛舎」かな?)。

『ポルの王子さま』を、二見書房あたりで復刊してもらえないものだろうか――と以前書いたが、霜栄氏の『生きるセンター漢字・小説語句』(駿台文庫)も二見書房あたりが「復刊」するといいのに。
『ハウツウ受験漢字塾 感じる重要漢字・小説語句のすべて』と改題して、思い切って、出てくる例文もすべて、『ハウツウ受験英語塾 英文解釈重要成句・構文のすべて』のようにエロ小説からとってくるとか。

以前紹介した永田守弘氏の『日本の官能小説 性表現はどう深化したか』 (朝日新書)や、永田守弘氏編の『オノマトペは面白い 官能小説の擬声語・擬態語辞典』 (河出i文庫)や編著『官能小説「絶頂」表現用語用例辞典』 (同)や『教養としての官能小説案内』 (ちくま新書)や『官能小説の奥義』 (集英社新書)など、先行研究書がある。いずれも好著?
これらを参考書・問題集風に再編集するといいかも?

そもそも、「教授と私のミッセツな関係を誰にも気づかれてはいけない」なんて、今年の明治大学の入試問題に出てもおかしくない?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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