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2018'05.11 (Fri)

北朝鮮や中国と違って、多様な言論の自由がある日本では、小出版社は大きな夢を持つことが可能だ----論争社からミシマ社まで






北朝鮮や中国と違って、多様な言論の自由がある日本では、小出版社は大きな夢を持つことが可能だ----論争社からミシマ社まで
(2018・5・11)





日経夕刊の「人間発見」というコーナーで、今週(5・7~)は、出版社のミシマ社代表の三島邦弘さんの『「一冊の力」を信じて』というエッセイを連載している。今日(金曜日)で連載終了だろうか?

昨日(木曜日)までの分を拝読。ご本人はPHP研究所に勤め、独立してミシマ社を作ったとのこと。

 そのあたりのことは、三島邦弘氏の『計画と無計画の間 「自由が丘のほがらかな出版社」の話』 (河出書房新社)でも触れていたかと。この本は読んだことがある。

著者は1975年生まれ。大学を出て出版社に勤務したあと、ミシマ社という出版社を設立。さまざまな単行本を企画し出版。そうした軌跡を綴っている。
 怖いもの知らずの若者による出版社立ち上げの記録として「立派な出版社」だと当時感じた次第。その自叙伝を読んだあと、ミシマ社の本も何冊か手にした。本欄でも以下の本を紹介してきた。

ミシマ社編の『365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』 、江弘毅氏の『飲み食い世界一の大阪 そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』、山口ミルコ氏の『毛のない生活』、ミシマ社編の『自由が丘の贈り物 私のお店、私の街』 、木村俊介氏の『善き書店員』 、平川克美氏の『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』、ミシマ社編の『THE BOOK green 365人の本屋さんが中高生に心から推す「この一冊」』、河野通和氏の『言葉はこうして生き残った』、江弘毅氏&津村記久子氏の『大阪的』……。

「本」に対する感性は人それぞれ。「問題意識」「関心分野」も人それぞれだろう。ミシマ社の出す本に関しては、上記の本などは、そこそこ面白く読みつつも、ちょっと違うなぁと感じたものもあった。

ミシマ社も「小出版社」だろうが、そうした小出版社を批評紹介した本として、面白く読んだのが、小島清孝氏の『普及版 書店員の小出版社巡礼記 小出版社の夢と冒険』 (出版メディアパル)だ。

(こんな内容)→日本には、およそ3400社の出版社がある。その多くは、一般には知名度のない小出版社である。しかし、その創業理念、豊かな本づくり、そこには、大きな出版のロマンがあふれている。

著者は東京堂書店に勤務した書店人。2006年に死去。小島さんの『書店員の小出版社巡礼記』 (メディアパル)という本が2007年に出ているが、その本の普及版として、復刊されたようだ。

いろんな出版社が出ている。全く知らない出版社もある。ミシマ社は、著者が亡くなったあと作られた会社だから、当然、出てこない。

論争社の「論争」編集長の救仁郷健さんが、退社してぺりかん社を作ったり、そこに「ぺりかん内社会評論社」が出来たりとか、そういった逸話などもいろいろとある。

著者自身の立ち位置はともかくとして、北朝鮮の人権問題には沈黙して韓国のそれやら日本の朝鮮統治などにしか関心を持たずに、そういう偏った(?)編集本を出して喜んでいる出版人や出版社も好意的に紹介されているのは、ちょっといただけないが? まぁ、言論の多様性は結構なことではあろうが……。

そのせいか(?)、「小出版社」ではないかもしれないが、金元祚さんの名著『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』を出した亜紀書房は出てこない? ホワイ? ちなみに、小島さんの本の「巻頭言」を書いているのは影書房の松本昌次さん。この方は、 『朝鮮の旅』 (すずさわ書店)という本を出している。双方の本を読み比べるのもまた楽しからずや?

ともあれ、中国や北朝鮮だったら、存在すら許されない出版社も多々あるような気がする。言論出版の自由がある日本でよかった。これからも「良書」を出し続けてほしい。可能な範囲で読破したいもの。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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2018'04.07 (Sat)

「ショートケーキ」「ジャンケン」「ネクタイ」等々の「くらべる」があれば、「勝負下着」もくらべてほしかった?







「ショートケーキ」「ジャンケン」「ネクタイ」等々の「くらべる」があれば、「勝負下着」もくらべてほしかった?
(2018・4・7)





おかべたかし氏(文)&山出高士氏(写真)の『くらべる世界』 (東京書籍)を読んだ。


大好評「目でみる」シリーズ最新刊!シリーズ既刊書はテレビ、ラジオで大反響。おかげさまでシリーズ累計10万部突破!!日本と外国、外国と外国。各国の文化、食、日常、風景などの違いを写真でくらべ、その謎を大追跡!その答えが写真で一目瞭然。日本の当たり前が、世界ではこんなに違う。フランスのジャンケンは出す手が4種類!?「ギョウザ」「そろばん」から「ネクタイ」「レンガ」まで、33の世界の文化の違いを写真に撮った!

このシリーズ、『くらべる東西』というのは手にした記憶がある。この本、普通の感覚だと(?) 右頁に「東」、左頁に「西」のモノを配列しそうな気がするが、なぜか逆になっていたかと。ちょっと読みにくい(見にくい&醜い)冊子だったかと(末尾に再録)。

今回の本は、「東西」ではなく、国別の比較対照だから、そういう疑問はなし。

「レジメンタル・ストライプ・タイ(ネクタイ)」なるものがあるそうな。最近、ネクタイなんてほとんど着用しないが、「斜め」のストライプのネクタイは多少はあるかと。その傾きが英国のは「右上がり(向かって「ノ」の文字)、米国のそれは逆になるとか。その写真対比が出ている。

安倍首相は米大統領と会見する時、アメリカ式のネクタイを締めていることが多いとの指摘あり(英国首相との会見の時は英国式なのかどうかは本書では特に触れていないが)。

ふ~ん、そうなのかと思った次第。

日本のショートケーキとアメリカのショートケーキとの違いの写真も。ショートケーキはアメリカが発祥の地だとの指摘もあり。知らなかった。

「ショート」という意味は「くだけやすい」「サクサクである」とのこと(へぇ? そうなのか? 「ショート」って「短い」という意味で、あっというまの短い時間に食べられるからショートケーキというのかと思った?)。

ということで、アメリカでは「ショートケーキ」というと、サクサクのビスケットでクリームやイチゴを挟んだケーキのことだという。へぇ、知らなかった。写真で見ても、全然違う。

といった雑学的な「くらべる」楽しさも味わえる一冊だった。

この本のカバーにもなっている「ジャンケン」の国際比較のヒトコマ。

フランスにはグー(ピエール)・チョキ(シゾー)・パー(フェイユ)のほかに「井戸(ピュイ)」というのがあるというが、これって、「グー」と似た出し方。井戸はグーとチョキに対しては沈めることができるので勝つが、パー(葉っぱ)は井戸を塞ぐことができるので、これには負けるとのこと。ふう~ん。第四の道があるのか? だから,フランスには有力政党が四つあるのか?

「美人」比べもあってもいいかも? いやいや、 「勝負下着」の比較とか? 日本はコレ、アメリカはコレ…とか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

(以下再録)
東京書籍の本だから、「東西感覚」が奇怪しいのか?(2016・12・31・土曜日・大晦日)

おかべたかし氏(文)&山出高士氏(写真)の『くらべる東西』 (東京書籍)を読んだ。

内容紹介→関東と関西の文化、食べ物、日常生活、習慣、風景…日頃感じるなんか違う…というもやもや感。
「桜餅」「湯船」「タクシー」から「座布団」「縄文土器」まで、そんな34の違いを写真で比べました。
東西あるあるの決定版!


帯には「銭湯」の写真があって、「関東と関西では湯船の位置が違う」と帯にある。ううむ…。へぇ、それは知らなかった。たしかに、東京系の銭湯にしかはいったことはないが、関西のそれってヘン?

読み進めていて、さらになんか変だなと…。というのも、この本、「くらべる東西」となっているのだが、左頁に「東」、右頁に「西」のモノの写真が掲載されているのだ。

普通の「東西南北」の位置観念として、こういう本では、左頁に「西」があって、右頁に「東」があるべきではないのかしら?

カバー写真に使われている「銭湯」に関しては、たしかに、へぇ、関西の銭湯って、湯船の位置が真ん中にあるのか…と思ったが、このカバー写真も、「西の銭湯」が右側にあり、「東の銭湯」が左側にあるのには、なんとなく違和感をもってしまう。なんか変では?
そこにまず「もやもや感」を持ってしまった。いなり寿司が、東西と形が違うとの指摘もあったが、僕のように大阪でも東京でもない人間にとっては、ううむ…どっちもある?
サンドイッチのタマゴサンドが、関西だと、焼いたタマゴを使うのが多いという指摘はたしかに…と。京都の喫茶店でタマゴサンドを頼んだら、「ゆでタマゴをつぶしてマヨネーズをあえたもの」ではなく、「焼いたタマゴ」を挟んだものが出てきて、戸惑った記憶はある。その手のタマゴサンドは苦手だ。

カレーうどんなどの考察もあるが、東西比べならやはり「きつね」「たぬき」の違いの写真があってしかるべきではないか? それがないのが不可思議だった。

僕は関西、関東育ちではないものの、関東在住も40年近くなり、以前、関西(神戸)に出かけて、立ち食いそば屋で、「きつねそば」を頼んだら、 「きつねはうどんだよね」といわれて、「たぬきそば」が出てきて面食らったことがあった…。
だから、この本でも「きつねそば」の東西くらべをしたら、関西の写真は「空白」…という風に構成すると面白かっただろうに。

ともあれ、左頁に「東」、右頁に「西」のモノが出てくる構成に大きな違和感を抱いた本であった。さすが、教科書会社の老舗の東京書籍の本だ?

いまはどうか知らないが、東京書籍の中学校向けの社会科教科書では、日露戦争の所では、日本海軍の英雄である東郷平八郎元帥の説明が一切なかったというからなぁ。どちらかといえば、自虐史観の教科書発行元としても知られる出版社。だから、「東西(自由)感覚」が少しおかしいのかも? まさか? いやいや?
05:36  |  文化  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018'01.22 (Mon)

気象庁の「予想外れ」の大雪で帰宅ラッシュとなった電車でバカな若者と遭遇して、川上源太郎さんの『親の顔がみたい』を思い出した




気象庁の予想外れの大雪で帰宅ラッシュとなった電車でバカな若者と遭遇して、川上源太郎さんの『親の顔がみたい』を思い出した
(2018・1・22・月曜日)




本日は天気予想もまぁまぁ当たったのか? いやいや、東京の積雪は最新では5センチの予想だったのでは? 午後9時ぐらいで4倍以上、20センチ以上積もったというから予想外れというしかあるまい。 気象予報士たちは「予想より多く…」とか言ってごまかしていたが。「予想が外れて…」となぜ正直にこの人たちは言わないのだろうか? 「嘘つきは気象予報士の始まり」? 最終的に何倍になるのやら? 「予想課長」は丸坊主必至?

ともあれ、東京周辺は正午前後から「大雪」。ということもあって、仕事場を午後4時すぎ早めに出て電車に乗った。かなりの混雑。三人掛けの座席の前に立っていたら、たまたま降りる人がいて、スンナリと着席。

すると斜め前に立っていた若者…。濡れた傘(折り畳みではなく,普通の傘)をきちんと畳まずに無造作に、なんというか、要は半ば「開いたまま」にして、スマホをいじりながら、飛行機の便をチェックしたりしている。そして隣の友人とナントカまで27000円なんて高いよな…とか。ノンビリ会話をしている。聴いていると、卒業旅行云々。まぁ、就職先も決まっている大学4年生なのかね。

朝の通勤ラッシュ並みの混雑だから、濡れた傘が、こちらの膝に当たるのは仕方ないとしても、傘を半ば開いたままにするのはマナー違反だろう。なぜ、きちんとベルトで「閉じない」のだろう? 頭が悪いのか?

一駅、二駅過ぎて降りるかなと思ったが、降りない。やれやれ。見た目は茶金髪でもないし、耳や鼻にピアスもしていないし、髪形も暴力団員でもなさそうなので(?)、腰のあたりを「トントン」として、「傘、閉じたらどう?」と注意をした。すると、頭はともかくとして、耳は不自由ではなく、聞こえるみたいで、「あっ、すいません」と言って閉じてはくれたが……。

その男、足下には無造作にカバンを置いていた。横長のカバン。網棚は余裕があるから、そこに置けば、足下の空間が少しは広がって、周辺の人も足の置き場ができていいだろうに……。そういう配慮も浮かばないようだ。

未成年者ではなさそうだったが、思わず、川上源太郎氏の『親の顔がみたい』 (ゴマブックス)というタイトルの本が浮かんだ。

この本、調べてみると、1975年の刊行。のちに角川文庫の一冊にも入った。大学に入ったころ一読した記憶がある。40年近く前に読んだきりなので、詳しい内容は忘れた。たしか、続編『続・親の顔が見たい』 (ゴマブックス)も読んだ。その前後に『修養のすすめ』『学校は死んだ』 (ゴマブックス)も刊行されていたかと。日教組批判の書でもあったかと。

川上さんは、そういうベストセラーを出したこともあって、参議院選挙(全国区)にも立候補したのではなかったか。一票を投じた記憶もあるが落選。落選後は、ワイドショーのミニ司会をやったり、学究の世界に戻ったりしていたかと。ジョルジュ・ソレル『進歩の幻想』 (ダイヤモンド社)やレイモン・アロン『ヴェーバーへの道』 (福村出版)の翻訳もしていた。

『親の顔がみたい』は、若い女性のマナー違反の数々を批判した本だったか? しかし、男であれ女であれ、若造であれ、年寄りであれ、公共空間でのマナーは、赤ん坊や小学生ならまだしも、そこそこの年齢以降は、自己責任で確立してしかるべきだろう。混雑した電車の中で、濡れた傘を半ば開いたまま、平然とスマホをいじったりしているのは、どう考えても本人の責任とはいえ、やはり「親の顔がみたい」とつぶやきたくもなる。電車という公共マナーが問われる最たる場所で、こんな不作法をしているようでは、こういう手合いの将来を危ぶむしかないね。

こういう愚鈍系の人々が、「禁煙」の表示があるところでも、平然とタバコを吸ったりするのではないかな? 「スマ歩」する人が「歩きタバコ」もやったりする。

一度注意を受けて、今後は、雨の日、傘は電車内では閉じる、畳むことが必要だと認識して、マナーが改善されたらいいのだが…。二十歳過ぎても、人に注意されないと、そんなことにも気付かないようでは無理かな?

こんな手合いが、将来の日本を背負う? やれやれ。日本の将来は決して明るいとはいえないだろう。バカは死ななきゃ治らないから? 古本屋で『親の顔がみたい』でも入手して、一読して悟ってほしいものだが。成人の日には、こういう本を「引き出物」として配布するといいのでは?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
21:13  |  文化  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017'09.08 (Fri)

「アベ政治を許さない」から「キン(キム)政治を許さない」になぜならないのか?






「アベ政治を許さない」から「キン(キム)政治を許さない」になぜならないのか?
(2017・9・8・金曜日)






「アベ政治を許さない」といったプラカードを持ってデモをしている人をよく見かける。日本は、言論の自由があるからいいとして、ただ、そういう人たちは「アベ政治」が「一強」とか、「独裁」とか、そういうニュアンスをこめて政治活動をしているのでは? 議会制民主主義国家で、議会の多数決で物事が決まることに疑問を持ち、直接民主主義的な、自分たちのデモこそ「民意」だとの自負を持っているのではないか。

だったら、ついでに「アベ政治を許さない」と並んで「キン(キム)政治を許さない」とか「キン(キム)核実験を許さない」とかのプラカードも作って一緒に掲げたらどうかな? 向こうは「一党独裁」「超一強」の政治体制。自由で民主的な選挙もない。当然抗議の対象となるべきだろう。

それはさておき、読売新聞(2017・8・15)で紹介されていた玉井清氏編の『「写真週報」とその時代 上 戦時日本の国民生活』『「写真週報」とその時代 下 戦時日本の国防・対外意識』 (慶應義塾大学出版会)をぱらぱらと拾い読みをした。

内容(「BOOK」データベースより)
戦時中、政府のプロパガンダを国民にわかりやすくアピールする目的で、昭和13年2月から20年7月まで発行されていた国策グラフ雑誌『写真週報』。当時掲載された350点を超える画像を紹介しつつ、そこから読みとれる当時の政策、国民の生活や意識を立体的に描き出す。下巻「戦時日本の国防・対外意識」では、啓蒙活動による国防意識の刷り込みや、大東亜共栄圏構想や南進政策といった外交方針、同盟国ナチス・ドイツの礼賛と英米に対する誹謗などがいかに喧伝されたかを明らかにする。


「写真週報」は、1938~1945の間、刊行された政府の一般国民向けのグラフ雑誌。記事では、玉井氏のコメントとして、ナチス・ドイツとは異質で、「統合された強固な政治体制によるものなら、こんな誌面にはならない」「国民生活は窮屈で言論も狭まっていたが、戦後言われるほど、全体主義や弾圧が覆い尽くされていたわけではない」というものが紹介されていた。なるほどと思わないでもない。昨今の北朝鮮国内の、核実験バンザイ集会の模様を見るにつけ、戦時中前半の日本の提灯行列と比べてもちょっと異常では?

ともあれ、このテーマの関連書としては、保阪正康氏監修・太平洋戦争研究会編の『「写真週報」で見る戦時下の日本』 (世界文化社)や玉井清氏編の『戦時日本の国民意識 国策グラフ誌「写真週報」とその時代』 (慶應義塾大学出版会)などがある。

この「写真週報」は、大空社から復刊されているようだ。 『フォトグラフ戦時下の日本第1~18巻』『別巻』『補遺編1~3』として。一部図書館で閲覧は可能のようだ。暇があれば見てみたいが…。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
08:14  |  文化  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017'01.13 (Fri)

「巨人の星」より「劇画の星」か?






「巨人の星」より「劇画の星」か?
(2017・1・13・金曜日)




1940年生まれの高野慎三氏の『貸本マンガと戦後の風景』 (論創社)を読んだ。

劇画の生みの親(?)でもある『影』や『街』にも当然のことながら触れている。この漫画(劇画)が掲載された実物は、以前、ある劇画家所蔵のものを何冊か借りて手にして読んだ(見た)ことがある。
その代表的作家でもあった佐藤まさあき氏や辰巳ヨシヒロ氏も、自叙伝として何冊かの活字作品を残している。佐藤まさあき氏の『「劇画の星」をめざして 誰も書かなかった〔劇画内幕史〕』 (文藝春秋)や辰巳ヨシヒロ氏の『劇画暮らし』 (本の雑誌社)など。辰巳氏の 『劇画漂流上下』 (青林工藝舎)は活字ではなくマンガ(劇画)で描いていたかと(記憶が曖昧だが)。
また高野氏が紹介している『全国貸本新聞』 (不二出版)も、一読したことがある。高円寺にこの前まで存在していた貸本屋も消えて久しい。僕の田舎でも高校時代までは「貸本屋」があって、一般に刊行されているマンガや週刊誌などを借りて読んでいたことがあったものだ。

長谷川裕氏の『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』 (草思社)も以前読んだ。細かい内容は忘れているが……。まぁ、少し前まで、いい歳した背広も来た大人が、「少年マンガ」を読むのには「?」と感じたものだ。そんなの小学生のころから読んでいたのにと(といっても、大学生の時まで、少年ジャンプと少年チャンピオンを読んでいたが)。背広来た大人なら、「少年ジャンプ」よりは「ビッグコミックオリジナル」程度ではと…。いまの子供(やいい歳した大人たち)はマンガや劇画ではなくてスマホに夢中といったところか? 人それぞれ、時代と共に変化するのはいいとしても、都会の人込みの雑踏で、歩きながら本を読んだり「スマ歩」するのはマナー違反だろう。
その意味で、バカが増えているというしかないが…。正月前後の東京が神社周辺は別にしても、電車なんかが空いていて一息つけるように、混雑時に「スマ歩」する手合いを、みんなシベリアにでも送れば、日本の都会も少しスッキリして落ち着くのでは?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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