古本虫がさまよう 自叙伝
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渡部昇一さんと佐々木孝丸さんとに共通するものとは?
(2017・4・18・火曜日)






昨夜(2017・4・17)、渡部昇一さんが亡くなったとの報に接した。そのときの思いは昨夜綴った次第。

ともあれ、読みかけだった砂古口早苗氏の『起て、飢えたる者よ<インターナショナル>を訳詞した怪優・佐々木孝丸』  (現代書館)を読んだ。

(内容紹介)→大正~昭和に活躍した俳優・佐々木孝丸の評伝。佐々木孝丸(1898~1986)は新劇運動の出身者で、プロレタリア演劇の草分けであり、戦後は商業娯楽映画の活況を支えた名脇役である。彼はまた大正11年(1922年)、革命歌「インターナショナル」の歌詞をフランス語から日本語に訳詞した人物でもあり、エスペランティストであり、編集者、翻訳家、作家、劇作家、演出家の顔も持つ。そんな八面六臂の活躍を見せる人物に魅せられた同郷讃岐の作家・砂古口早苗氏が、佐々木孝丸を軸に、新劇の歴史や大正~昭和初期の左翼演劇・文学運動の詳細、戦後の娯楽映画を通じての世情を読み解き、心情豊かに活写している。

[著者紹介・編集担当者より]
佐々木孝丸は新劇運動の草分け且つ中心人物であるので、佐々木の人生を追うだけでも日本の演劇・文学における左翼運動の歴史を一つの流れとして総ざらいできる。そういう意味でも多くの主張の強い主役達をまとめ繋ぐ名脇役であり、面白い視点を提供する一冊となっている。


佐々木孝丸なる人の存在はこの本を読むまで知らなかった。ウィキペディアによるとこんな人。

佐々木 孝丸(ささき たかまる、1898年1月30日 - 1986年12月28日)は、日本の俳優、プロレタリア作家、演出家、劇作家。北海道川上郡標茶町出身[2]。戦前のプロレタリア演劇運動の中心人物であり、演出家・俳優として先駆座・前衛座・東京左翼劇場に参加。落合三郎の筆名でフランス文学の翻訳や『筑波秘録』などのプロレタリア戯曲も執筆しており、革命歌「インターナショナル」の日本語訳詞者としても知られている。亡くなるまで熱心なエスペランティストであった。戦後は映画・テレビドラマで脇役俳優として活躍した。著書に『風雪新劇志 わが半生の記』など。


インターナショナルを訳詞した人とのことだが、そもそも音痴ということもあるが、「インターナショナル」なるものを聴いたことがほとんどない。

以前、ある年輩者と一緒にスペイン旅行をしたが、カタロニア地方のあるところでスペイン内戦の展示がしてあり、それを見学した際、その人が、「古本虫さん、インターナショナルが流れていますよ」とコーフン気味に言われたことがあるが、勿論、そのメロディがインターナショナルだなんて知りもしないし、記憶にも残っていないのだが…。

といいつつも、ネットで検索して聴いてみる。ううむ、どっかで聴いたようなメロディではあるかなと。ちなみに、以下のような「訳詞」のようだ。

「インターナショナル」
佐々木孝丸/佐野碩訳詞・ドジェテール作曲

起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの

聞け我等が雄たけび 天地轟きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの


いまや、「起て飢えたる者よ~~」という歌は、北朝鮮の「人民」たちが、怒りと共に「独裁者」に対して、拳を振り上げて歌うべきものであろうが…。ここ数日の北朝鮮の「ポチョムキン村」的なデモンストレーション(模範答弁をする「市民」たちの姿)を見て、この国こそがオーウェルのいう「1984」だと認識できない人がいるとすれば、愚かというしかないだろう。「ポチョムキン村」については、大宅賞受賞作家の鈴木俊子氏の『ポチョムキン村 ソ連社会と「自由」』 (民社研叢書)を参照されたし。


ともあれ、まもなくやってくるメーディでも、この歌を日本の労働者たちは歌うのだろうか?

そういえば、 「朝日声欄」の偏向ぶりはこの前指摘したが、テレビ番組に関する感想を述べる投稿欄「はがき通信」もなかなか過激?

2017・3・1付けでは、「耐えられない軍歌」と題して、68歳の主婦が、「BS日本こころの歌」を毎週楽しみにしている」「日本の歌、世界の愛唱歌などを、歌詞を大事にして歌っている」のを評価しつつ、2月13日の番組では、司会者の「男性のりりしさを表現」との紹介のもと、「『同期の桜』を歌い始めた。耐えられなくてチャンネルを変えた。軍歌は今の時代にふさわしくない。フォレスタには軍歌は似合わない」とのこと。

ふうん? 「海ゆかば」にしても、 「同期の桜」にしても、その時代に歌われたものであり、「日本こころの歌」の一つとして「唱歌」「鑑賞」するのは別に問題ないのでは? 「軍歌は今の時代にふさわしくない」?

まぁ、「同期の桜」を小学校の音楽の授業で小学生がことさら唱歌するのならともかく、音楽番組で取り上げて何が問題なのだろうか? この「区別」をして考えるということができない人は幼稚というしかない。

68歳なら、少なくとも、 「戦争を知らない子供たち」では? 子供のとき、無理やり軍歌ばかり歌わされたというわけでもあるまいに? 「インターナショナル」だって、ロシア民謡だって、「歌声喫茶」などの特集で、歌う番組があってもおかしくあるまい。その当時、そういう歌を歌った人々はいたのだから。いくら僕だって(?)、テレ朝の歌謡番組で、歌声喫茶特集をやっているのをチラリと見て、インターナショナルなんかも歌われたりしたら「ソ連を礼賛するような歌を聞くのは耐えられない。ソ連礼賛は今の時代にふさわれしくない」なんて投書はしないね。そんなに耐えられないなら、「チャンネルを変えればいいのだから」。
そういえば、昭和46年ごろだったか、ソ連の「ポーリュシュカ・ポーレ」がはやっていた。日本人歌手が歌っていた。ロシア民謡とのことだったが、これも軍歌だったとか。まぁ、歌詞はともかくメロディは軽快で好きだった。ともあれ、そういう「軍歌」を、こんな単細胞丸出しの投書で「否定」したり、採用する手合いの知的未熟さを笑うしかない。

この投書と同時に掲載されたのは、74歳の主婦の「守りたい憲法」というもの。憲法は決して押しつけではないといった「アナザーストーリーズ」というBSプレミアム(2017・2・15)の番組を評価し、「平和と個人の権利を保障するこの憲法を守りたいと強く思った」そうな。その思いは立派。日本のみならず、北朝鮮や中国にもそれを定着させる努力をするならば…だが。

ともあれ、本に戻るが、彼(佐々木氏)の左翼演劇俳優(?)としての歩みを追いながら、彼の出演した映画作品や、インターナショナルが映画の中で流れる作品を紹介したりしている。

新東宝映画で、「大東亜戦争と国際裁判」なる作品があり、佐々木氏が出演しているそうな。しかも、清瀬一郎弁護士の役として。なかなか迫力ある演技力だったそうな。清瀬一郎といえば、 『秘録東京裁判』 (中公文庫)の著者。公職追放やら安保改定条約強行採決時の衆議院議長であったり、東京裁判で東条英機の弁護人だったりした人。左翼的な佐々木氏が演じるにはふさわしくないのかもしれないが、俳優はさまざまな人の役を演じるのが商売。この映画を見て、 「佐々木孝丸さんが清瀬一郎役をするのを見るのは耐えられない」なんて投書する人がいるだろうか?

「東京裁判否定は今の時代にふさわしくない。佐々木さんに清瀬役は似合わない」なんていうのはヤボすぎるだろう。

ともあれ、訳詞するぐらいだから、佐々木さんは語学に堪能。クレランドの『ファンニー・ヒル』(ファニー・ヒル)を戦前訳出もしているそうな。風間丈吉の名前も出てくるが…。

著者は佐々木に惚れて書いている感じだが、僕は客観的に佐々木の歩みが、どういう風に変転していったかが関心のあるところ。

彼の自叙伝、 『風雲新劇志 わが半生の記』 (現代社)にかなり依拠して書かれているようだ。その本をあわせて読むとよさそう。

ともあれ、戦前、戦中の「歌謡曲」「軍歌」を分析することによって、当時の庶民たちの哀感や喜びを分析することも可能だろう。それは北朝鮮の人々にもある程度はいえることだ。彼らの「演技力」にはいささか辟易とするが、それでも、その中にある種の「実態」も何パーセントか何割かはありうるだろうから。

渡部昇一さんのような戦前戦中を物心つきはじめたころ生きていた人には、朝日投書子のような単細胞ではない複眼的視野て歌謡曲や軍歌を論じたことだろう。以下、共産主義者だって、軍歌に関して複眼的視野をもっていた事実を紹介しておきたい(再録)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



軍歌を愛唱・熱唱した治安維持法下のコミュニストたち? 02/06/2012
 言論弾圧の最たるものであるとみなされる戦前の治安維持法は、前出のイグナティエフ流(『許される悪はあるのか? テロの時代の政治と倫理』風行社)に考えると「許される悪」であったか、なかったか。当時の国際共産主義、コミンテルンの野望・策略・謀略に対して、日本という国家の独立安寧を守るために、共産主義者を摘発し隔離することは必要であったかもしれない。少なくとも彼らは天皇制度の否定といった言論の主張のみならず、テロに訴えることもしばしばであった。国家転覆も考慮していたといえる。

 その意味で、治安維持法によって、戦前戦中を刑務所で暮らした土屋祝郎氏の『予防拘禁所』 (晩聲社)は、興味深い本である。彼は昭和16年5月に釧路の刑務所を出所し、自宅で母の療養などをするのだが、開戦前に拘禁され、予防拘禁所(豊多摩・中野区)に入れられる。そこには福本和夫や志賀義夫や徳田球一なども「同宿」していた。

 治安維持法は悪法であったと著者はいう。
「しかし、法律の条文に違反する行為がないかぎり刑罰を課することはできなかった。しかるに昭和一五年度の改悪は法律の規定に違反しなくとも、天皇制や私有財産制度を否認し、治安維持法の規定に違反する惧れ顕著な者に対しては二年に一度ずつ手続を更新しながら永久にこれを拘禁することができるという、いわゆる予防拘禁制度を採用したのである」

 そのために著者は拘禁されたのだが、私語も厳禁となり、たまの発声練習は容認されるものの、その時には軍歌を歌えというのである。革命歌ならともかく、コミュニストに日本の軍歌とは、ケシカランと著者は怒るのだが、「徳田、志賀をはじめ名だたる共産主義者が一片の抗議もなく、快く軍歌を歌っている。永久拘禁が現実となって、いつ銃殺されるかもわからないという極限の境涯にきてしまったいまは、生命を保つことが第一である。その第一義の道を行くためには軍歌をうたうかどうかということはさしたる問題ではない」「私はほかの者といっしょになって軍歌をうたった」「自暴自棄の絶叫のようでもあった」「苦々しい気持ちであった」と。

 監房は釧路などと違って壁や天井も真っ白に塗り立てられて「気持ちがよいほどであった」という。畳みや文机もあって「予想をくつがえすものでもあった」と。蒲団もせんべい蒲団ではなく、「ここのは木綿縞ではあるが、まずまずと言っていいものであった」と。作業服もまずまずで和服の用意もある。

 そのせいか、また温情ある所長がいたせいか、この本ではさほどの拷問などのシーンは出てこない。「君はお母さんが亡くなったんだってねえ」と所長に言われ、急に涙を流したりもする。

「いけない、いけない、こんなことでどうするか。相手は天皇制官僚ではないか。その前で頭を垂れるとは絶対的な降伏ではないか。敵の前で涙を見せるとはなにごとなんだ。昨日まで精かぎり根かぎり闘ってきた精神をお前はどこに捨ててきてしまったのか」と自問反問するのだが「涙はついに嗚咽となった。母の死それだけであって、階級も思想も天皇制も戦争も、いっさいのものが存在していなかった。所長は私の最大の弱点をついてきたのであった」と。
 
 階級敵を前にして涙を出すとは思想薄弱ということで、後に志賀や徳田から白眼視もされたという。

 思想犯ということもあって、過酷な労働もあるようには見えない。こんな生ぬるい「拘禁所」があっていいのかと思う読者もいるかもしれない。
 戦後、ソ連によって拉致され厳寒のシベリア収容所に入れられた日本人「捕虜」の悲劇の手記は多々出ている。ソ連内の反体制派の人々や周辺国家の弾圧された人々(バルト三国など)のラーゲリ体験もすさまじいものがある。それに比べれば、何なのか?


 若干の農作業をすることになるのだが、徳田は肥だめの「味見」をするほどの豪放磊落ぶり。だが、インテリの志賀はそんなことはしない。肥担ぎはするが……。
 ラジオを聴くのは許され、戦況をかろうじて知ることになる。

 福本和夫が転向して出所した云々など興味深い拘禁所での生態が描かれている。やがて敗戦を迎え…と。
この人、岩波新書からも本が出ているようなので、後日ひもといてみたい。

 治安維持法で多くの人が逮捕されたり獄死したものもいたにせよ、偽装であれなんであれ「転向」すれば許すという甘い基準もあったようで、死刑判決など粛清された例は聞かない。このあたりソ連中共北朝鮮ベトナムカンボジアなどのコミュニスト政権下の思想弾圧に比べれば、かなり「異なる悲劇」であったというしかないだろう。

 それはさておき、著者が毛嫌いもした軍歌に関しては、最近、1984年生まれの辻田真佐憲氏の『世界軍歌全集 歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』 (社会評論社)という面白い本が出ている。
 日本の軍歌はあまり出てこないが、世界中の軍歌(共産圏の革命歌も当然軍歌になる)の原語(翻訳)が収録されている。
 ヒトラー、毛沢東やフランコや金日成や金正日などの「独裁者」を讃える軍歌はむろんのこと、ソ連の「ポーリュシュカ・ポーレ」も軍歌だったとのこと。てっきりロシア民謡かと思っていたが? 「平原よ、平原よ」で始まりつつも、「われらが大地を赤軍の英雄たちは駆け抜ける」「潜水艦は疾駆して、艦船が警戒体制に着く」といった歌だったとか? 
 ううむ、昭和46年頃にたしか、この歌を仲雅美(男です!)が歌っていたが、彼は共産党の回し者か、歌声喫茶のオルグだったのか? ロシア語で知っているのは、スパシーバ、ドーブロエウートラ、ダスビダーニャ、ニェット、ニーチェーボーぐらい。「ポ―リュシカ・ポーレ」はロシア語で「愛の言葉」だと思っていたのに?

 フィンランドでは「モロトフはダメだ」なんて軍歌があったという。これは1942年に作られたもので、ソ連の侵攻を食い止めた時に赤軍の弱体ぶりを風刺した歌のようだ。

「イワンは楽しそうに歌いながら戦争しにきた。でもマンネルヘイム線に当たってからは、その歌声は一転して悲しげになってしまった」「ウラルの彼方、ウラルの彼方へ、モロトフの小作地ならそこに沢山ある。スターリンとその仲間たちも送ってしまえ」…と。楽しい歌? こんな歌を作った作曲家と作詩家は、戦後、「フィンランド化」されたフィンランドで無事生き延びたのだろうか? 

「スターリンこそ、われらの輝ける凱歌 スターリンこそ、われらの若き飛躍」「今やソヴィエト全土は、世界一太陽の輝く国となった。スターリン式の大収穫で、コルホーズの野は満たされる」「スターリンの温かい笑顔を子供たちは喜びあう」といった「スターリンの歌」が1938年に作られていたという。こういう軍歌なら、当時の土屋さんも喜んで歌ったことだろうか? 

 そういえば、スターリンが死んだ時にも、そんな歌詞と五十歩百歩のスターリン讃歌詩集を著した滑稽な日本の文学者の本があった(1954年刊行の『スターリン讃歌・詩集』理論社)。これも「迷著」というしかない噴飯ものであった。野間宏なども名を連ねていたと記憶している。

 さらに、関連書として、吉原昌宏氏の『ミリタリー雑具箱 吉原昌宏ミリタリーイラスト作品集』 (大日本絵画)を読んだ。ミニスカの女兵士も登場するが、連合・枢軸それぞれの軍服や戦車や戦闘機などのイラスト&マンガが収録されている。僕は兵器オタクでも軍服フェチでもないのだが、こういうのを眺めるのは楽しいもの。国書刊行会や大日本絵画のこの手のイラスト本はいいね。
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フォーサイスの回想録『アウトサイダー』と、ジョン・ル・カレの回顧録『地下道の鳩』とでは、どっちが面白いか?
(2017・3・23・木曜日)




1931年生まれのジョン・ル・カレの『地下道の鳩 ジョン・ル・カレ回想録』 (早川書房)を本屋で遭遇。この前、英国秘密情報部とも接触していた作家、フォーサイスの回顧録『アウトサイダー』 (角川書店 )を面白く読み、すでに紹介ずみ。ジョン・ル・カレの場合、元々からスパイ出身というから、同様の面白さがあるかなと思って手にした。

内容(「BOOK」データベースより)→東西冷戦、中東問題、ベルリンの壁崩壊、テロとの戦い―刻々と変化する国際情勢を背景に、ル・カレは小説を執筆し、『寒い国から帰ってきたスパイ』、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』に始まるスマイリー三部作、『リトル・ドラマー・ガール』などの名作を世に送り出してきた。本書は、巨匠と謳われる彼の回想録である。その波瀾に満ちた人生と創作の秘密をみずから語っている。イギリスの二大諜報機関MI5とMI6に在籍していこと。詐欺師だった父親の奇想天外な生涯と母親、家族のこと。ジョージ・スマイリーなどの小説の登場人物のモデル。中東などの紛争地帯での取材やソ連崩壊前後のロシアへの訪問。二重スパイ、キム・フィルビーへの思い。PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長、“ソ連水爆の父”サハロフ、サッチャー首相らとの出会い。作家グレアム・グリーン、ジョージ・スマイリーを演じたアレック・ギネス、キューブリック、コッポラなどの映画監督との交流と、実現しなかった数々の映画化の企画。謎に満ちた作家ル・カレの真実が明かされる、読書界待望の話題作。

だが、なんとなく……。フォーサイスの作品は、少しは読んでいたが、よくよく考えると、ル・カレの作品はあまり読んだ記憶がない。ということもあるが、この回顧録も150頁あたりまで読み進めたものの、ちょっと物足りなさを感じてストップ。アラファトやサハロフとの遭遇やら、「スパイ外交官」として、いろんなドイツ人を英国に「研修」させた体験など、それなりに、各エッセイにオチもあり面白いのだが、フォーサイスの回顧録に見られたような面白さ(年上の女性との初体験とか?)が出てこない。生真面目すぎる?
ということで、150頁以降はパラパラと拾い読みに変更。有名作家となり、イタリア大統領やサッチャーとの遭遇もあったそうな……。

ラストに近い、「スティーヴン・スペンダーのクレジットカード」がちょっと面白かった。あぁ、そういえば、スペンダーの分厚い『スティーヴン・スペンダー日記 1939-1983』 (彩流社)も途中まで読んで、そのままになってしまっている。いかんなあ。
それはさておき、回顧録の面白さとしては、フォーサイスのほうに、僕は軍配をあげたい。ただ、ル・カレの小説を愛読している人なら、また違った読後感もあるかも。人それぞれ。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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谷沢永一さんのお墨付き、やはり富島健夫は「性愛文学」の巨匠!
(2017・3・16・木曜日)




荒川佳洋氏の『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』 (河出書房新社)を読んだ。


(内容紹介)→ 「ジュニア小説」というジャンルをひらき「官能」の巨匠であった伝説的作家の波瀾万丈の生涯と強烈な個性をえがく初の評伝。
1月下旬に出たというのに、アマゾンではまだレビューが出ていない(3・16朝の時点)。なんということだ? 忘れられた作家なのか? ブックオフに行っても、富島さんも、川上宗薫も、宇能鴻一郎さんの作品もめったに見かけなくはなっているが……。図書館横断検索をすると杉並区や世田谷区や足立区ではそこそこ蔵書があるが、ほかの図書館は数冊あるかどうかの程度。

そういえば、この前、宇能鴻一郎氏の『女教師淫行日記』 (ケイブンシャ文庫)を読んだ。


内容(「BOOK」データベースより)
あたし、中学の理科教師なんです。夏のある夜、昔の教え子に、理科室の実験用テーブルで生体解剖されたんです。両脚を思いきり開いて、ピンセットで、あたしのあそこをつまんでみたり、硬く大きくなった自分のものを、押しつけたり―。あたし、すごく興奮して、たちまち絶頂に…。好評日記シリーズ第六弾!!


教え子が大学生になって、女教師宅(アバート)にやってきて……というお話。最後が、ちょっとわからない構成だったが…。ちょっと物足りないストーリー展開であったが……。

ともあれ、ウィキペディアによれば、富島さんは、こういう作家だ。


当時日本領だった朝鮮の京城に1931年に生まれる。1945年敗戦とともに引揚げ、福岡県立豊津高等学校に学ぶ。1951年早稲田大学第一文学部仏文科入学。在学中に丹羽文雄の『文学者』同人となり、1952年同人誌第二次『街』を創刊、創作活動に入った。
1953年12月、『街』の代表として応募した『新潮』同人雑誌推薦特集に「喪家の狗」が掲載され、文壇にデビューする。同作は芥川賞の候補になった。卒業後、河出書房に勤務の傍ら、1956年に処女長編『黒い河』を同社より刊行する。1957年、河出書房の倒産を機会に、作家生活に入る。
『雪の記憶』『故郷の蝶』『七つの部屋』『恋と少年』などの純文学書下ろし長篇を発表後、1960年代からは青春小説、ジュニア小説に着手する。性の問題を回避して青春の文学は成立しないと主張し[1]、それまでタブー視されていた10代の性の問題を正面から扱い[2]、1969年『ジュニア文芸』(小学館)に連載された『おさな妻』はテレビや雑誌等で賛否両論を呼んだ[3]。
1973年『初夜の海』[4]を発表以後、作品は官能的な傾向を強め、1980年代には川上宗薫、宇能鴻一郎とともに“官能小説御三家”とも称せられた。大河長編に『女人追憶』がある。
自伝的長編に『青春の野望』(5部作)。エッセイ集も多数あり、1998年に66歳で没するまでに刊行された著書は700冊に及ぶ[5]1980年から翌1981年にかけて、各時代の代表作を集大成した『富島健夫小説選集』全22巻(実業之日本社)が刊行されている。
『黒い河』『雪の記憶』[6][7] 『明日への握手』(映画「高校三年生」)[8]、関根恵子というスターを生んだ『おさな妻』[9]、3本のにっかつロマンポルノと、1950年代から1980年代まで、それぞれの時代の代表作が安定して少なくとも12本映画化されている。
競艇ファンとしても知られ、1970年代から1980年代にかけて、関東地区競艇場開催の四大特別競走(現在のSG競走)優勝戦中継のゲストとして常時出演していた。


早稲田時代から、丹羽文雄などの推奨を受けて、同人雑誌などで活躍。芥川賞候補にもなる。石原慎太郎登場以前の時代故に、学生作家としては「第一号」? もしその時芥川賞を取っていれば、彼の作家としての歩みも少し異なったものになったのかもしれない。しかし、当時の選評では、無視する審査委員も少なくなかったという。著者(荒川氏)によると読んでいない人もいたのではないかと指摘もしている。


富島作品といえば、 『花を盗む』 (サンケイ出版・徳間文庫)があったかと。これは名作?(この作品を杉並区と墨田区は「蔵書」として所蔵している。偉い!?)

(「BOOK」データベースより)
高校1年の夏休み、親友の別荘に避暑に行ったぼくは、美しい人妻の姉・初江さんに誘われるまま、林の中で、彼女の個室で甘美な初体験。若い人妻の手ほどきで心身ともに解放されたぼくは、同級生のなお子に対しても、思いやりをもって接することができるようになったし、大学で偶然に再会した幼なじみの芳子にも、率直に恋の手ほどきができるようになった…。爽やかな青春官能傑作。


これは『おもいでの夏』 (角川文庫)に匹敵する「年上の女」文学であった?

ともあれ、政治的主張もよくしていたそうで、ベトナム戦争反対、金日成・文革礼賛発言もしばしばだったという。人生相談などで、女子高校生にストライキのすすめもしていたそうな。そういう時期に書いた小説の中での毛沢東礼賛などの記述を「修正」することもあったという。


~と認定しても、それは自分自身のことであって、毛沢東だって文句は言えないはずである(1976年、集英社文庫コバルトシリーズ141頁)

~と認定しても、それは自分自身のことであって、孔子や釈迦だって文句は言えないはずである(1997年 自選青春小説2 161頁)


そんな「改竄」もあったという。逆に、あとの文章が先にあって、文革時代、孔子批判もされていたから、あわてて、前の文に改竄する作家もいたかも?

ともあれ、そんな富島さんの「作品」を高く評価したのは谷沢永一氏だ。そのことは、この本でもしばしば触れられている。本欄でも、谷沢さんのそういう富島エロス文学評価をこういう風に紹介したことがある。


ジキルとハイドこと谷沢永一氏の性愛文学論に拍手 06/18/2011

この前亡くなった谷沢永一氏の『性愛文学』 (KKロングセラーズ)は傑作。 富島健夫氏の『処女連盟』などの作品を性愛文学の傑作と高く評価。そして「舌に関して言及しないのが、純文学。舌の無際限な効用に言及するとき、それは、大衆文学、と貶められるのを覚悟しなければならない」との名言もある。


富島さんは、猥褻罪で摘発されたりもしたが、「賞」の権威がないがための側面もあったのかもしれないとのこと。当時、筒井康隆氏は、 「ポルノ度において川上、富島氏に劣らぬものを書いている他のポルノ作家が槍玉にあげられないかと考えた場合、宇能鴻一郎氏は芥川賞をとってるし泉大八氏は新日本文学会といううしろだてがあるというように、決して文壇内で孤立することはないと思える背景が考えられる」と指摘もしていたという。

晩年は一流文芸雑誌からお呼びがかからなくなり二流雑誌に書くことも多かったという。逆に、ジュニア雑誌で書いていた時に「週刊朝日」から連載小説の依頼がきて嬉しかったそうな。ジュニア小説を小馬鹿にする文壇の雰囲気もあったという。

ふと、星新一氏の評伝(『星新一 一〇〇一話をつくった人』最相葉月氏。新潮社)を思い出した。

細かい話は忘れたが、ジュニア小説同様、どちらかといえば、軽く見られていたSF小説を書いていた星さん。文藝春秋から本を出したいと思っても断られていた時期があり、それを残念に思っていたとか……。星さんは晩年になるにつれ、「文豪」となっていったが……。同じような境遇を味わった時期が、富島さんにもあったのではないかと。

ともあれ、この前、古本市で買った富島健夫氏の『女遍歴の日日』 (双葉社)を読んで読後感を綴ったことがあった(以下一部再録)。帯に「愛の黙示録」「男と女の華麗なる妙薬」とあるが‥‥。
大学一年生の童貞男が主人公。高校時代のテニス部の先輩で年上の女子大生にまず手ほどきを受ける。その後、彼女の友人を紹介されたり、恩師でもある女教師と結ばれたり、さまざまな年上の女性との遍歴が描かれている。
年上の女性との性遍歴を綴った小説といえば、神崎京介氏『女薫の旅』シリーズ(講談社文庫)は、最近読まなくなってしまったが、これは高校生の時から始まっていたっけ? 昭和と平成の違いか? 
富島氏のこの本、「週刊大衆」の昭和62年3月16日号から63年5月16日号に連載され、新書サイズの本として刊行されている。奥付の日付は「昭和64年1月10日」になっている。昭和天皇の崩御は、昭和64年1月7日の朝。従って、昭和64年1月10日は、本来、歴史的に存在しない日付。ということは、昭和時代に出たエロス本としては最後のエロス本(実質平成の世となって刊行された最初のエロス小説といえるのかもしれない。その意味で歴史的にも貴重な一冊‥?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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梅棹忠夫→富島健夫→河合栄治郎→?
自叙伝(評伝)を読み進めていけば……。

(2017・3・14・火曜日)




昭和45年こと1970年の今日(3・14)は大阪万博の開幕日。ということもあって、
東谷暁氏の『予言者 梅棹忠夫』 (文春新書)を昨夜読了した。

内容紹介→高度成長、ソ連崩壊、情報化社会、専業主婦の減少……数々の予言を的中させた戦後最大の知性が遺した「最後の予言」とは?
2010年に没した梅棹忠夫(国立民族学博物館名誉教授)は、往年のベストセラー『知的生産の技術』(岩波新書)の著者として有名である。
だが、梅棹の業績の真骨頂は、戦後日本社会の変化を予言し、しかもその予言がことごとく的中したことにある。京大理学部の秀才で専攻は生物学だった梅棹は、少壮の論客として颯爽と登場し、生態史観にもとづく独自の文明論をもってユーラシア大陸の勢力図を大胆に描きなおしてみせた。
敗戦直後の時代から、すでに日本の高度経済成長を予言。マルクス主義者や「進歩的文化人」から大批判を浴びるが、その予言どおり、日本は高度経済成長を謳歌した。また日本の家族制度の変化を検証し、「妻無用論」を発表。共働きの増加と専業主婦の激減を予測し、これも的中。オイルショックの20年以上も前から中東が国際政治の震源地になると予言。1960年代からソ連の崩壊、大阪の没落なども予測していた。そしてパソコンもない時代に「情報産業論」を発表し、今日の情報化社会を予言していた。
一方で、都市開発や文化行政のオーガナイザーとしても卓越した腕力を持ち、大阪万博や国立民族学博物館の立ち上げでは、官僚や政治権力者を巧みに操った。「知的プレイボーイ」を自認し、理系文系の垣根を軽々と越えた。フィールドワークを得意とし、若手研究者らと喧々諤々の議論をすることを好んだ。実体験に基づくオリジナリティ溢れる意見を尊重し、権威を笠に着る学者を心底軽蔑した。そんな梅棹は晩年、「日本文明は終焉に近づいた」という不気味な予言を遺していた。梅棹はどのようにして自らの文明論を作り上げたのか? そして最後の予言の真意とは?生前の梅棹を知る著者が、「知的プレイボーイ」の実像をあますところなく描く。


東谷氏は梅棹氏と一緒に仕事をしていた時もあり、著作を通じてのみならず謦咳に接して身近な存在として捉えていたようだ。梅棹氏と、竹山道雄や司馬遼太郎やさまざまな人物との邂逅も描かれている。何でもマルクス主義という時代に、そういう偏狭な見方ではなく、ユニークな観察眼をもってしてさまざまな問題を論じた彼の知的な歩みを評伝的に描いた佳作といった感じの一冊だった。大阪万博にもいろいろと関与しており、その内実なども描かれている。

最近、 『行為と妄想 わたしの履歴書』 (中公文庫)を読んだりしていたが、彼の本はあまり沢山読んでいたわけではない。たまたま書棚を見ていたら、 『知的生産の技術』 (岩波新書)が出てきた。これは学生時代に読んだものではなく、社会人の時に再読した時のもののようだ。

「一年間に読書カードは100枚とはたまらない。平均して、週に二冊までゆかないのである。おおい月で10冊、少ない月で3冊くらいしかゆかない。ひじょうな速読・多読の人もあるようだが、年100冊というのは、ふつうの人間としては限度ではないだろうか」というところに波線を引いて、 「そうである」「8月→20冊」「9月→15冊」「10月→11冊」と書いているから。
学生時代はもっと冊数は読んでいたはずだから。

とはいえ、まぁ、読んだ本「一冊」も、分厚い専門書ではなく、新書ぐらいの厚さの一冊であっただろうが……。

「文明の生態史観による世界像」なる図版が引用紹介されている。この図版は、たしか、梅棹氏に教えを受けた楊海英氏の『逆転の大中国史』 (文藝春秋)にもあったかと(記憶曖昧だが)。梅棹氏のこの評伝に続いて、富島健夫→河合栄治郎の評伝も並行して読書中。順調なら明日以降、掲載できるのだが……。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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大澤メモによる「私を通りすぎた言論人」たち&「言論人閻魔帳」こと『アはアナキストのア さかのぼり自叙伝』と、佐々メモによる「政界閻魔帳」こと『私を通りすぎた政治家たち』は異色ノンフィクション的自叙伝
(2017・3・7・火曜日)




読みかけだった、大澤正道氏の『アはアナキストのア さかのぼり自叙伝』 (三一書房)を読了。


容紹介→私はなぜアナキストになったのか?」
著者自らその問いにこたえる形で、現在から半世紀以上前の敗戦の廃墟に立った若き日の記憶へと回想していく。
本書は著者個人の倒叙による歴史であると同時に、同時代を生きた人々の運動と人生の軌跡でもある。
鶴見俊輔との交友、編集者としての林達夫や久野収等との思い出、仲間だと思っていた人間との対立、異国で志を同じくする人々との出会い、組織の離合集散・・・様々な経験を現在からさかのぼる自叙伝。
これは20世紀の日本アナキズム運動史であり、その時代を作った人々の歴史だ。
戦後日本のアナキズム運動を支えてきた当事者が、若き日の『相互扶助論』や『資本論』との出会いから、志を同じくする多くの人たちとの出会い、離合と集散の遍歴を綴った貴重なドキュメント。現在から始まる反・回想録。


著者は1927年生まれ。ということは今年で90歳。かなりのご高齢だ。しかし、戦時中は、少年兵として戦争に巻き込まれることはなかった。勤労動員という形で、あちこちの工場や農作業に刈りだされては勤労奉仕に励んでいる。少年時代から日記をつけていたようで、時々、大澤日記というか大澤メモを引用しながら、当時の感慨が綴られている。

敗戦の直前の日の日記の一節。

国家的な侮辱を受けた時、人間の採るべき道は二つある。一つは復讐すること、いま一つは国家そのものを抹殺すること。私は後者を取ろう。

17歳(18歳?)の決意表明。かっこいいね! こうして大澤少年はアナキズムへと突進していくのであった……。

そうした日記の引用を読みながら、ふと、佐々メモを思い出した。佐々淳行さんが警官時代、手帖にメモした「佐々メモ」を基に、さまざまなノンフィクションを書いていることは周知の事実。まもなく文庫化される『私を通りすぎたスパイたち』 (文春文庫)も、帯に「佐々メモによる最後の政界閻魔帳」と記されている(文春ホームページ参照)。それと同じように、大澤さんの本も、「大澤メモ」に基づく「言論人閻魔帳」といった感じの本だ。 『私を通りすぎた知識人・編集者たち』といったところか。中央公論社の平林孝さんの名前も懐かしい。

雑誌「論争」にも関与していたとのこと。この「論争」に関しては、編集長をした大池文雄氏の『ただ限りなく発見者 大池文雄著作集』 (風媒社)を、この前、紹介したが、彼の名前も大澤さんの本に出てくる。中村菊男さんの名前も。大澤さんは、意外なことに久野収や鶴見俊輔とは仲が良かったようだ…。「論争」に関しては「容共だけはご免」ということで、それ以外なら「なんでもありのごった煮」だったとのこと。論争社は、そういえば、レイモン・アロンの本も中村さんの本(『診断・日本の政治体質』『日本の中立は可能か』)も出している。
この大澤さんの本には佐々淳行さんの名前は出てこない。大澤氏は平凡社でも労組活動をしたり安保闘争にもそこそこ参画していたとのこと。どこかで接点があったかもしれないが……。

ともあれ、平凡社時代の回想は、大澤氏がペンネーム(大原緑峯)で書いた『平凡社における失敗の研究』『平凡社における人間の研究』 (ぱる出版)を以前一読。新著でも、平凡社時代の回想はかなりの部分を占めるが、二足の草鞋で、アナキズム関連の仕事も。アナキズムといえば、田中美知太郎や勝田吉太郎などの名前も浮かぶが、本書には田中は出てくるが勝田の名前はない。この点は、浅羽通明の『アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 』 (ちくま新書)が参考になる。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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