古本虫がさまよう 経済
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早川書房に台風並みの「ノーベル効果」襲来?
(2017・10・10・火曜日)




早川書房は、盆と正月が一度にきたような状況だろうか?
というのも---まず、ノーベル文学賞をカズオ・イシグロさんが受賞。
彼の作品の多くは『忘れられた未亡人、充たされざる未亡人 わたしたちが未亡人だったころ わたしを離さないで』、いや、 『わたしを離さないで』をはじめ、 『充たされざる者』『忘れられた巨人』『わたしたちが孤児だったころ』など、ハヤカワ文庫から何冊も訳出されている。

そこにノーベル経済学賞を、シカゴ大学教授のリチャード・セイラーさんが受賞したとのニュースが入ってきた。彼の著作は、ダイヤモンド社や日経BP社から数冊訳出されているが、最新作は早川からの刊行(『行動経済学の逆襲』)。

さすがに、カズオ・イシグロさんほど、図書館での貸出リクエスト者は殺到していないようだが…。そこそこの倍率になっている模様。アマゾンでも一時的に品切れ状態。トマ・ピケティさんよりはとっつきやすい感じの経済学本のようだ(ピケティ本(『21世紀の資本』)は、図書館で借りてきて、いったん手にしたが…。すぐに読まずに返却した。基本的に民主的社会主義の立場の経済学かなと直感で思ったが…)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「古本屋ツアーインジャパン」さんの「微に入り細に入り」の取材メモを拝見
(2017・10・1・日曜日)




昨日(土曜日)は、東京周辺は快晴。猛暑でもなく、寒くもなく。ワイシャツ一枚で日中は平気といった陽気。冷凍水を持ち歩く必要もなし。
いつものように午前4時起床? 3時間ほど「書類整理」をして、とりあえずは、所要があり中目黒へ。
用事をすませて新橋駅前のSL広場の古本市へ。昨日(土曜日)が最終日。相変わらず「ビッグブラザー」の宣伝声がうるさい。そして、「青空喫煙所」からは悪臭がプンプン。「建屋のない原発」にも困ったもの。港区役所は、本当に環境対策観念ゼロ。

ともあれ、ジェイムズ・ミッチェナーの『センテニアル』 (河出書房新社)の『1』『2』『3』、3冊を各々300円で計900円(税込)にて購入。ミッチェナーにこんな小説があるとは知らなかった。訳者「代表」は常盤新平さんだが、池央耿、片岡義男、高見浩、深町真理子の面々の分担で訳したとのこと。錚々たるメンバーでは。

そのあと、高円寺古書会館へ。メリナ・メルクーリの『ギリシャ わが愛 独裁とたたかう女優半世紀』 (合同出版)を320円(税込)で購入。

その後、仕事場に寄ってゴソゴソ。夕方、御茶の水へ。神田の東京古書会館では古本市をやっていないけど、二階の催し場でこういうのをやっているので見に行った次第。
『古本屋ツアー・イン・ジャパン さすらいの十年展』
■9月30日(土)~10月16日(月)
■10時~17時 日曜・祝日休館
■東京古書会館 2F 情報コーナー 
■東京都千代田区神田小川町3-22
http://www.kosho.ne.jp


場内には、妙齢の女性が一人いただけ。各々の古本屋を訪問した時の「取材メモ」がミモノだった。店内の配列の図面に、いろいろと細かいメモ。ううむ、なるほど、これだけ緻密にやると、ああいう風な内容になるのだと、感心・納得した次第。「微に入り細に入り」とはこのことかいな。
そういえば、古本屋ツアーインジャパンさんも参加している古本市が、本日10・1、渋谷であるそうな→BOOKS 9 × 鬼子母神通り みちくさ市 presents「LOFT9 BOOK FES.2017」。ううむ、今日も出かけるべきか?

古書会館を出て三省堂、古本屋街方面へ。東京堂、古本屋街をブラブラするものの特に買いたいものはなし。
「いもや」で天丼(650円税込)を久しぶりに食す。そのあと水道橋駅に向かう途中「やよい軒」を拝見。この前、内装改装工事をしていた。二人掛けなどの座席をなくして(減らして?)、大テーブル式にしたようだ。このほうが、効率よく客が入れるから? まぁ、喫茶店じゃなし、美味しく食事ができればすぐに席を立ってもいい「大衆食堂」だから…。

車中、大竹文雄氏の『競争社会の歩き方 自分の「強み」を見つけるには』 (中公新書)を読了。

(こんな内容)→怒った人は、リスクを過小に評価し、悲しんでいる人は利益を重視して他者と協力しなくなる。感情が経済行動にどう影響するかを理解すれば、競争社会を有利に生き抜けるかもしれない。競争社会というと、日本では否定的にとられることが多い。しかし、「競争が少ないと、自分の本当の長所を知ることができない。競争のおかげで私たちは自分の長所を見つけることができる。私たちは、下手に自分探しをするよりは、競争にさらされたほうが、自分の長所を知って創意工夫ができるようになるはずだ」と著者は言う。需給バランスを満たすルール作りの難しさがよくわかるチケット転売問題から、国が取り組む女性活躍推進、社会保障給付の問題まで。競争社会が抱える課題にヒントを与える一冊。

この本ではいろいろな経済データなどが紹介され、それをもとに、いろいろと経済事象を論じている。その中でおやっ?と思ったのが、日本での所得分布。
2012年のデータで、上位十%は、年収580万円以上。上位5%は年収750万円以上。上位1%が年収1270万円以上になるとのこと。意外と低い?

「日本のトップ1パーセンはもっと高いと思っている人が多いと思う。二十歳以上人口の中で所得がない人も含めて、所得上位1パーセント目の人というのは1270万円なのだ。格差が拡大しているから金持ちからもっと税金をとるべきだと思っていた人でも、トップ10パーセントで580万円以上だと聞くと、にわかには信じられないかもしれない」と指摘しているが、たしかに…。

アメリカはトップ1パーセントは、4000万円以上。トップ10%は1200万円。これは日本のトップ1%と同じ水準。アメリカではトップ0・1%は3億8000万円という。

「アメリカの金持ちは一生で使い切れないくらいの所得を稼いでいる」というわけだ。「しかし、日本のトップ1パーセントの人たちの多くは、大金持ちというイメージとは程遠いことがわかる」「(日本の)トップ10パーセント所得占有率でみると日本の所得格差が高まったと言えるが、その中身は年収580万円から1200万円の人たちの所得の比率が高まったことによって引き起こされている」とのこと。

そのほか、反競争的教育--100メートル走などで順位をつけない--のナンセンスな教育効果なども論じているが、単細胞的な平等讃美論に「ホンマかいな?」と、合理的な思考から、適切に茶々を入れつつ、面白く読める経済本だった。
昔でいえば、飯田経夫さんの本を読んだ時と同じような読後感を持った次第。

飯田さんの『私の経済学批判』 (東洋経済新報社)や『「豊かさ」とは何か 現代社会の視点』 (講談社現代新書)、 『「ゆとり」とは何か 成熟社会の生きる』 (講談社現代新書)、 『「豊かさ」のあとに 幸せとは何か』 (講談社現代新書)などと対比されるべき本。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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かつて『「中流」の幻想』を唱えた人々が、かつては「中流社会」だったのに、それが崩壊していまは「格差社会」だというとすれば、いまはまだまだ「平等中流社会」といえるのかもしれない?
(2017・6・14・水曜日)




水野和夫氏の『国貧論』 (太田出版)を読んだ。アベノミクス批判派からの一冊。

内容紹介→アベノミクスもマイナス金利も8割の国民を貧しくする資本主義である
水野和夫が解き明かす21世紀の経済論!
――2016年1月に導入された「マイナス金利」政策は、実質的に国民の富(預貯金)を目減りさせる実質的な課税であり、しかも本来国会での承認が必要であるのに対して、日銀によって決められてしまった「反民主主義」的税金ですらある。


アベノミクスは破綻しているとの立場。ピケティの『21世紀の資本』 (みすず書房)肯定派。かつての「一億総中流」は崩壊の危機に瀕しているとの指摘もあり

ふむふむ、なるほどそうかも(しれない?)なと読了。
経済本に関しては、さまざまな立場の人の本を読んでは、「ふむふなるほど、そうかも」という思いを持ちつつ、「ほんまかいな?」とも。本書の指摘は「そうかも」という読後感がわりと残った次第。
デフレ不況ということであっても、石油ショックのあとの「狂乱インフレ」も体験しているだけに、どっちがいいかとなると…。物価があまりあがらず、銀行金利もほとんどなく…。所詮は「可処分所得」の実感がどれだけあるか。親方日の丸的な水道料金は高い…。電気料金、ガス料金はまだしも…。
相続税を「ゼロ」にするかのような祖父母-孫――父母・子間の贈与を著者は批判しているが、これは老人世代の「死蔵」されがちな「預金」を、現実経済に反映させる点で、そんなに悪くはないとも思えるのだが…。

ともあれ、以下は水野氏の所論と無関係な一般論になるが…。

日本の総中流社会が近年、格差社会になり、崩壊しているとの批判が左派からよくある。しかし、左派系の人々はかつて1980年前後、国民の中流意識が濃厚だった時代に、それは錯覚幻想だと批判していたものだ。それを今頃になって、あの頃はまだよかった、中流だったのに…と言われても困るよなと。

教科書記述に関しても、極端な主張を展開して、家永三郎さんのように「修正」を「強要」されてブツクサ言っていた岸本重陳さんという経済学者がいた。その知的不誠実について書いたコラムを以下再録する。ただ、こういう「オオカミ少年」「マル系経済学者」であっても、稀に本当のことをいうこともありうる。「オオカミ少年」も最後には「本当」のことを言った(のに、日頃の嘘八百が災いして誰も信じなかった?)。ネバーセイネバーの原則で、世の中を見ることが肝要。「盗人にも三分の理」「マル系学者にも三分の理」というではないか。複眼的視点を忘れないように。そのためにも、いろんな筆者のいろんな立場のいろんな本などを読むことは大事。

人為的理由による地球温暖化危険論などは、アベノミクス全面礼賛論(全面否定論?)よりも、注意が必要だろう。北朝鮮地獄論も眉唾?  ううむ、それは「人は必ず死ぬ」に次ぐぐらいの絶対的正論では? 「地上の天国」なんて言っていた寺尾五郎サンなんかはどうしようもない輩だというしかないと思うけど…。

それにしても「節約社会」なのに、スーパーより割高のコンビニ、そのコンビニよりさらに割高なニューデイズなんかで買い物をする人が多々いるのは解せない。僕などは、「社用」でなければ、コンビニにはほぼ行かない(あとは二日酔いの時の朝、グリーンガムを買うためにコンビニに行くことはまれにある)。スーパーだって、5パーセント引きディに買い物したり、ポイント倍増ディーに出かけたりすることが多い(ポイントカードはあまり持たない主義だが、Tポイントカードやヨドバシなどは持っている。ナンセンスなメトロカードはこの前廃止処分にした。

このメトロポイント付きのクレジットカードは、いままで「紙」で月間単位の明細を送ってきたのを、郵送の場合80円ぐらいとることにしたから。パソコン経由なら「無料」のママとのことだったが、いちいち操作して登録するのも面倒。毎月80円の負担だと、年間1000円ぐらい会費を払っているのと同じではないか。「無料」といっておきながら、なんだよと。
もっとも、もう一つのカードもそうなりそうとのことで何かしなくちゃいけないのだが、そちらは公共料金の類の引き落としにしているから、無下に廃止にもできない。

もうひとつは、すでにパソコン経由(ここは勝手に登録をひととおりやってくれたから継続しているのでは?)。年会費は年間○万円以上利用すれば無料とのことで、その程度は利用中。携帯電話の料金明細もそういえば100円ぐらい払っている。これはまぁ、ソフトバンクの松中の給料になればいいかと思ってガマンしているが…。松中も引退したから思案しなくてはいけないのだが、ほかの携帯会社は大嫌いだから仕方ない。ガマン。それにしてもソフトバンク、携帯へのショートメールで利用料金支払明細を送ってくるが、せめてパソコンのアドレス宛にしてほしいものだ。暗証番号も忘れているし。ソフトバンクも民間企業としての初心を大分忘れた会社になったみたいだ。大きくなると駄目だね?(いやしているのかな?)。

ともあれ、メトロのポイントというのはよく分からん代物で面倒だった。いちいち、券売機で操作しないとけいないし。やめる時、「お客さま、1000円分ほどポイントがありますが」といわれたが、「いらないよ、くれてやる」と大見得?(ううむ、50円割引券がサイフに何枚も入っている我が身…。だが、大資本悪徳会社の施しは受けねえ?)。 ヨドバシやTポイントみたいに使いやすいならいざ知らず…。

とはいえ、メトロを止めたのでJR東日本のカードでも作ろうかと思った。会費は取るけど、実質無料になるとも。ネットで申し込みしようかと思ったが、年収を書けというので2000万にしたり、あれこれ進めたけど、やはり東日本如きに不必要なお金を落とすのは嫌だな、そもそもキヨスクもニューデイズも絶対(ほぼ)死ぬまで利用しないと心に誓っているしなぁと。通勤などのためにはやむをえず利用するから、定期券購入のとき、その分、普通のカードよりボイントがもらえるなら、東日本を「搾取」することにもなるし…と考えたが、やはり、ヤクザ同様の(?)反社会的企業(3・11の時の完全シャーター閉め)とは不必要に付き合うのは止めようと思い、途中で登録をストップ。ぎりぎり「良心」を守った?

ともあれ、以下再録。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



「マル経」が日本を悪くした! (2014・1・30・木曜日)

この前、田村秀男氏&渡邉哲也氏の『日本ダメだ論の正体 新聞テレビは日本を9割ダメにする!』 (マガジンランド)を紹介した。
論点は多岐に及んでいたが、渡邉氏が、大学経済学部にはいまなおマルクス経済学者の亡霊が残存していると指摘していた。ううむ。僕が学生時代だったのは、もう30年以上昔。1980年前後。

今日、経済格差が広がった、かつては総中流時代もあったのに、昔はよかったとよくいわれる。しかし、昔、1980年前後は、総中流がいわれ始めたころであったが、当時も、マル経学者は、そんなのは「幻の中流意識だ」と強調し、挙げ句の果てには、北朝鮮は素晴らしい、日本より豊かで平等な社会だと称賛しだす経済学者もいたものだった。

そんなのが、21世紀になってもまだ大学には残存生存しているのだろうか? ノロウィルスのように、時にははびこっているのだろうか?

「選択の自由」もなく、経済原論で「マル経」しかとることのできなかった母校の不自由さをふと思いだした。必修だから…。古臭い教条主義者が失業しないようにするための福祉的救済措置だったというしかない。貴重な時間と金を、それこそマル系学者に「搾取」されたのは間違いない!?

たまたま、 『エコノミストの戦後史 日本経済50年の歩みを振り返る』 (日本経済研究センター50年史編纂委員会編)を拾い読みをしていたら、ちょっと面白いものがあった。

貝塚啓明氏(東京大学名誉教授)の「『マル経』主流に抗して生れた近経の拠点」というもの。

戦後、東大経済学部に進学。木村健康、大石泰彦氏とかまともな経済学者もいたけど、マル経は労農派と講座派が鎮座。学部では「マル経が大半で、必修科目も経済はマル経ばかりで、館先生と誰か2人ぐらいだけが非マル系でした。ただ、労農派系のマル経というのは試験は簡単でね。簡単というのはおかしいけれど、ダーっと答案書いて最後に数行、決まり文句みたいに、『資本主義はだめになる』というふうに書くと必ず良はもらえる(笑)」とのこと。

さもありなん。1980年前後なら「北朝鮮経済は日本より素晴らしい」と書けば「優」をくれるような先生が、立教大学などにもいたのでは? そうそう、 立教大学教授の井上周八先生の 『現代朝鮮と金正日書記』 (雄山閣、1983年)だったかを、当時読んで「感動」(?)したものだったが。80年代でも、もはやシーラカンス的経済論のはずだったが?

ともあれ、 市村真一氏やら、いろいろな経済学者が回顧談を語っている。拾い読みしかしていないが、戦後経済史を知る上で面白そうな本であった。

そういえば、岸本重陳氏の『「中流」の幻想』 (講談社、1978年。のち講談社文庫)を読んで、こんなふうに、資本主義経済のそれなりの発展を評価できない経済学者もいるものだとためいきをついた覚えがある。

今日の日米などが、格差社会であるとして批判的見解を展開する人たちは、80年代の日本は、善き中流社会であったと認めているのだろうか? 昔も今も北朝鮮こそ、恐るべき格差国家という認識を有した上で、そういう酷い国家に日米がならないようにと思って提言しているのだろうか?
思想は発展する…ではなく、あまりにも淫らにアトランダムに修正していなければいいのだが。

そして、この人(岸本氏)の書いた『私の受けた教科書検定 「官許の思想」を強制するもの』 (東研出版)を当時読んで、検定で修正するようにといわれた箇所は、あまりにも当然すぎて、これに文句を言うのは著者のあまりにも独りよがりではないかと感得したことも記憶している。

こういうマル経学者のノストラダムス的&シーラカンス的見解にはついていけず、学生時代から社会人にかけては、飯田経夫氏の『私の経済学批判』 (東洋経済新報社)や『「豊かさ」とは何か 現代社会の視点』 (講談社現代新書)、 『「ゆとり」とは何か 成熟社会の生きる』 (講談社現代新書)、 『「豊かさ」のあとに 幸せとは何か』 (講談社現代新書)などを愛読したものだった。どう考えても、近代経済学系のほうのいっていることは、マル系よりはまともだったからだ。
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日本シリーズとアメリカ大統領選挙は同じ構図? ミッテラレン  「宇宙戦艦ヤマト」と「海賊とよばれた男」は同じ感動!サムライやね 
(2016・10・19・水曜日)





米大統領選挙もまもなく投票。トランプも、いささか奇妙な女性スキャンダルなどでちょっと失速か?  それにしても、今年の日本シリーズ同様、いささか関心が湧かない。優勝チームのファンの方には恐縮ですが、日ハムと広島とでは、北海道&広島だし。人口密集度からしても…。せめて巨人・日ハムなら、巨人を倒すのはホークスだということで、日本シリーズでは逆説的に巨人を応援するのだが?
大統領選挙も、トランプとクリントンとでは……。どちらも応援しがたい。

ここにきて、トランプがらみの本は本屋にたくさん並んでいる。何冊か手にもしているが、ほぼ積んどく状態。トランプが嫌いなワシントン・ポスト取材班、マイケル・クラニッシュ、マーク・フィッシャーの 『トランプ』 (文藝春秋)といった分厚い本格的評伝も出ているが……。とりあえず読んだのは、この前紹介した会田弘継氏の『トランプ現象とアメリカ保守思想 崩れ落ちる理想国家』 (左右社)ぐらいか。ネオコンがトランプを支持しないという点を確認。

クリントンをみていると、ダイエットできない中年子豚(いや「大豚」?)が身近にいるのでなんとなく嫌悪感を覚えるし(この前、我が古女房は、近所のスーパーのおばさんに「ぼちぼち(出産なの?)」と声をかけられて、ショックを受けていた。帰宅したら、ライトもつけない食卓でしょぼんとしていた。そのほかにもしばしば、バスや電車で席を譲られることもある。還暦寸前なのに、そういう対応をとられるということは、「美魔女」ではないにせよ、歳よりはかなり若くみられているという「自慢」「自尊」にもなりかねないのだが……。まぁ、出産年齢の上限としても40代半ば程度にはみられているということになろうか。でないと、単なる腹部膨張デブで、還暦婆さんなら、いくらなんでも「妊娠」が疑われることはあるまい。笑わぬでもなし? いや、笑うしかない?)。

もちろん、ダイエットができるかいなかと政治的見識は異なるし、下半身と政治的見識とは異なるものだとの認識はあるし、トランプの女性蔑視云々も、妻帯者が独身女性相手に職場で堂々とピンク行為をしていたケネディやクリントンに比べて、そんなにひどいものかといえば、五十歩百歩というしかないのでは? いや、口だけならまだ許せる。いや、口で言うだけ、しゃべるだけならまだ許せる(「口」はやはりいけない?)。

この点は、ケネディの「愛人」の手記、ミミ・アルフォードの『私はジョン・Fの愛の奴隷だった』 (ビジネス社)や、クリントンの「愛人」の手記、アンドリュー・モートンの『モニカの真実』 (徳間書店)を参照されたし。

それにしても、クリントン(夫&妻)の「自叙伝」はすでに刊行されているが、こういうのは、とりわけ夫のほうは、オーラル・ヒストリーとは言わずに、フェラ××・ヒストリーとでも言うべきだろうか。積んどくで読んでないから知らないが、その経緯も正直に書いているのだろうか?
 
米大統領の回顧録で読んだのは、読売新聞社から訳出された『わがアメリカンドリーム レーガン回想録』ぐらいかと(すごく分厚い本だった。白水社の某編集者も負けるぐらいに? 一冊で1000頁弱あったのだから。普通は上下二冊にするだろうに。さすが、部数1000万部達成を豪語していた読売だ。その中に「押し紙」がなければ快挙だが? しかし、数百万の読売新聞購読者が、毎月二回掲載される「餃子の王将」の広告の無料餃子券をみんな使って、餃子しか食べなかったりしたら、王将は潰れるのではないか?)。

ともあれ、アメリカの投票システムはちょっと知らないが、日本なら、投票所に行って白紙投票するか自分の名前でも書いて無効票投票をするか、そんな感じになるだろうか?

ともあれ、百田尚樹氏の『海賊とよばれた男』 (講談社文庫)の下巻を読了。いやはや、面白かった。感動的なシーンもあり、通勤電車で読んでいた時には涙が浮かんだ。そうそう、昔見た『宇宙戦艦ヤマト』みたいな感慨も浮かんだ。石油メジャーの圧力や英国の圧迫をはね返し、自社のタンカーでイランに向かう船長たち。待ち構える英国、相手はしょせん、日本海軍にレパルス、プリンスオブウェールズなどを撃沈された弱小海軍国家とはいえ(?)、武装ゼロのタンカー故に「撃沈」される可能性も皆無ではなかった状況。少なくとも拿捕監禁される可能性はあった。実際、その前にイタリアの船がそういう目にあっていたから。

ヤマトがイスカンダルに出かけ、地球滅亡を救う放射能除去装置を持ち帰る…ドラマにも似ているではないか。日本は英国植民地をアジアから「結果としてであれ」とにもかくにも「解放」し、そして中東の植民地イランの、英国に搾取されていた石油資源を直に購入することによって、これまたイランの「独立」に貢献したのだ。偉い!!というしかない。

宇宙戦艦ヤマトには森雪だのなんだのと華麗な女性も登場するが、さすがに昭和前半~半ばの物語には、女性はあまり出てこない。自前のタンカーにも女性乗組員は皆無だったようだ。辛うじて、女性は主人公や船長の奥さんなどが少し出てくる程度で、男の物語になっているが、それは仕方あるまい。戦後、タンクの油さらいなどするシーンもあるが、これは昔もいまも女性にはできない仕事かもしれない。いや、いまや海兵隊にも女性がいるみたいだから…。
精油所建設も2年、3年はかかるといわれていたのを、10カ月で作れという社主の命令。そんなの絶対無理だといわれていたのに、なんと奇跡が起こり、完成する。工事関係者以外にも、若手社員も協力し、正月休みも返上しかけての突貫工事でもあったが、アメリカ側も熱意にほだされて、がむしゃらになったとのこと。ネバーセイネバーの世界が……。

日頃、銀行や生保や損保に対して、この大資本めと罵ることが多い我が身だが、本書を読むと、事業開発をする出光興産こと国岡商店に対して、心意気を見せる銀行マンや損保マンもいることを知った次第。ううむ、例外のない規則はない……というから、銀行や損保にも言い奴もいるのだろう(朝日新聞にもたしかにいる?)。それにしても、官僚にも前向きな人もいるが、一部というか多数派のメジャー系石油会社の言い分を真に受けて「護送船団」方式を護持しようとして、自由な競争をことさら「規制」するのに躍起となる官僚も少なくないようだ。そういう官僚主義とも闘う構図は、昔も今も変わらない? 「合併」に出光創業家側が抵抗するのも無理はない。

こういう石油メジャーとの経済戦争の実態を、僕はあまり知ることはなかった。出光といえば、あぁ、社長がマルクスとの対話みたいな本を出している人が経営していた会社かというイメージぐらいしかなかった。その本はもっているが、もう何十年も積んどくしている(と思う)。

「本屋大賞」も、どちらかというと、書店員には、「(容共)リベラル」っぽいタイプが多くて、小難しい小説や評論をありがたがるタイプが多いのではという先入観もあって、この本が「本屋大賞」をとった時も、食指が動かなかったのだが……。
その後の著者のめざましい活躍には目を見はり、 『カエルの楽園』 (新潮社)なども、オーウェルの『動物農場』に匹敵する作品と思ったものだった。

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「右傾エンタメ」の何処が悪いのか?
(2016・10・17・火曜日)





2013年の「本屋大賞」を受賞していた、百田尚樹氏の『海賊とよばれた男(上)』  (講談社文庫)を読んだ(下巻は読み進めているところ)。12月に映画化されるとのこと。どこかの街角で、映画ポスターも見かけた。ということもあって、手にした次第。

ちょうどいま合併するかしないかで、話題になっている出光興産創業者の出光佐三がモデル。小説では、国岡商店の国岡鐡造として描かれている。敗戦によって、海外にあった「支店」が全滅。石油を取り扱うこともできなくなり、四苦八苦の状況にもかかわらず、社員をクビにすることなく、ラジオ修理やらなんでもやって、糊口をしのぐ。そのうちに……といったストーリー。

昨今の東京都庁の都議会界隈に潜む(?)タカリの輩のような、競争が嫌いな官僚やらと同様の無責任な構図が、戦前、戦中、戦後の石油業界にも蠢いていたようだ。そういう対立の中で、時にはGHQ・占領軍が良識を発揮して、国岡を手助けることもある。上巻は主に、彼が志を抱いて「石油」に手を染めていく戦前、戦中の活躍が描かれている。GHQなども内部にいろいろな対立があり、時には日本がストロングであってもいいと考え、時には日本を徹底的に足腰たたないようにしてやろうと考えたりもする。

『永遠の0』 (講談社文庫)は面白く(しかし涙と共に)読める娯楽戦争小説であったが、それと同様、楽しく読める娯楽経済小説だ。「現代史」を知る上でも、手頃な入門書ともなりうるではなか。この作品も「右傾エンタメ」なのか? そういうふうに貶める人たちがいるとしたら、発想が貧困なのだろう。こういう小説に「事実」も書かれていることに腹立たしくなるのかもしれない。
エロエンタメも、右傾エンタメも左傾エンタメもあっていいではないか。

いまは亡き五味川純平氏の小説『人間の條件』『戦争と人間』 (三一新書)なども、いまにして思えば「左傾エンタメ」だったのでは? 大ベストセラーになったのだから、筆力もあったのだろう。
ただ、あの人のエッセイ本『怒り、八つ当たり』 (三一新書)は、かなり昔に一読し、その共産圏に甘い認識には唖然呆然とした記憶だけが残っている。その点、百田氏の『大放言』 (新潮新書)はナイスブックでした。百田氏の次回作は『国士と呼ばれた男』などがいいのではないか? 国士といえば……。内田良平とか、勝野金政とか、岸信介とか……。

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