古本虫がさまよう 経済
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日本シリーズとアメリカ大統領選挙は同じ構図? ミッテラレン  「宇宙戦艦ヤマト」と「海賊とよばれた男」は同じ感動!サムライやね 
(2016・10・19・水曜日)





米大統領選挙もまもなく投票。トランプも、いささか奇妙な女性スキャンダルなどでちょっと失速か?  それにしても、今年の日本シリーズ同様、いささか関心が湧かない。優勝チームのファンの方には恐縮ですが、日ハムと広島とでは、北海道&広島だし。人口密集度からしても…。せめて巨人・日ハムなら、巨人を倒すのはホークスだということで、日本シリーズでは逆説的に巨人を応援するのだが?
大統領選挙も、トランプとクリントンとでは……。どちらも応援しがたい。

ここにきて、トランプがらみの本は本屋にたくさん並んでいる。何冊か手にもしているが、ほぼ積んどく状態。トランプが嫌いなワシントン・ポスト取材班、マイケル・クラニッシュ、マーク・フィッシャーの 『トランプ』 (文藝春秋)といった分厚い本格的評伝も出ているが……。とりあえず読んだのは、この前紹介した会田弘継氏の『トランプ現象とアメリカ保守思想 崩れ落ちる理想国家』 (左右社)ぐらいか。ネオコンがトランプを支持しないという点を確認。

クリントンをみていると、ダイエットできない中年子豚(いや「大豚」?)が身近にいるのでなんとなく嫌悪感を覚えるし(この前、我が古女房は、近所のスーパーのおばさんに「ぼちぼち(出産なの?)」と声をかけられて、ショックを受けていた。帰宅したら、ライトもつけない食卓でしょぼんとしていた。そのほかにもしばしば、バスや電車で席を譲られることもある。還暦寸前なのに、そういう対応をとられるということは、「美魔女」ではないにせよ、歳よりはかなり若くみられているという「自慢」「自尊」にもなりかねないのだが……。まぁ、出産年齢の上限としても40代半ば程度にはみられているということになろうか。でないと、単なる腹部膨張デブで、還暦婆さんなら、いくらなんでも「妊娠」が疑われることはあるまい。笑わぬでもなし? いや、笑うしかない?)。

もちろん、ダイエットができるかいなかと政治的見識は異なるし、下半身と政治的見識とは異なるものだとの認識はあるし、トランプの女性蔑視云々も、妻帯者が独身女性相手に職場で堂々とピンク行為をしていたケネディやクリントンに比べて、そんなにひどいものかといえば、五十歩百歩というしかないのでは? いや、口だけならまだ許せる。いや、口で言うだけ、しゃべるだけならまだ許せる(「口」はやはりいけない?)。

この点は、ケネディの「愛人」の手記、ミミ・アルフォードの『私はジョン・Fの愛の奴隷だった』 (ビジネス社)や、クリントンの「愛人」の手記、アンドリュー・モートンの『モニカの真実』 (徳間書店)を参照されたし。

それにしても、クリントン(夫&妻)の「自叙伝」はすでに刊行されているが、こういうのは、とりわけ夫のほうは、オーラル・ヒストリーとは言わずに、フェラ××・ヒストリーとでも言うべきだろうか。積んどくで読んでないから知らないが、その経緯も正直に書いているのだろうか?
 
米大統領の回顧録で読んだのは、読売新聞社から訳出された『わがアメリカンドリーム レーガン回想録』ぐらいかと(すごく分厚い本だった。白水社の某編集者も負けるぐらいに? 一冊で1000頁弱あったのだから。普通は上下二冊にするだろうに。さすが、部数1000万部達成を豪語していた読売だ。その中に「押し紙」がなければ快挙だが? しかし、数百万の読売新聞購読者が、毎月二回掲載される「餃子の王将」の広告の無料餃子券をみんな使って、餃子しか食べなかったりしたら、王将は潰れるのではないか?)。

ともあれ、アメリカの投票システムはちょっと知らないが、日本なら、投票所に行って白紙投票するか自分の名前でも書いて無効票投票をするか、そんな感じになるだろうか?

ともあれ、百田尚樹氏の『海賊とよばれた男』 (講談社文庫)の下巻を読了。いやはや、面白かった。感動的なシーンもあり、通勤電車で読んでいた時には涙が浮かんだ。そうそう、昔見た『宇宙戦艦ヤマト』みたいな感慨も浮かんだ。石油メジャーの圧力や英国の圧迫をはね返し、自社のタンカーでイランに向かう船長たち。待ち構える英国、相手はしょせん、日本海軍にレパルス、プリンスオブウェールズなどを撃沈された弱小海軍国家とはいえ(?)、武装ゼロのタンカー故に「撃沈」される可能性も皆無ではなかった状況。少なくとも拿捕監禁される可能性はあった。実際、その前にイタリアの船がそういう目にあっていたから。

ヤマトがイスカンダルに出かけ、地球滅亡を救う放射能除去装置を持ち帰る…ドラマにも似ているではないか。日本は英国植民地をアジアから「結果としてであれ」とにもかくにも「解放」し、そして中東の植民地イランの、英国に搾取されていた石油資源を直に購入することによって、これまたイランの「独立」に貢献したのだ。偉い!!というしかない。

宇宙戦艦ヤマトには森雪だのなんだのと華麗な女性も登場するが、さすがに昭和前半~半ばの物語には、女性はあまり出てこない。自前のタンカーにも女性乗組員は皆無だったようだ。辛うじて、女性は主人公や船長の奥さんなどが少し出てくる程度で、男の物語になっているが、それは仕方あるまい。戦後、タンクの油さらいなどするシーンもあるが、これは昔もいまも女性にはできない仕事かもしれない。いや、いまや海兵隊にも女性がいるみたいだから…。
精油所建設も2年、3年はかかるといわれていたのを、10カ月で作れという社主の命令。そんなの絶対無理だといわれていたのに、なんと奇跡が起こり、完成する。工事関係者以外にも、若手社員も協力し、正月休みも返上しかけての突貫工事でもあったが、アメリカ側も熱意にほだされて、がむしゃらになったとのこと。ネバーセイネバーの世界が……。

日頃、銀行や生保や損保に対して、この大資本めと罵ることが多い我が身だが、本書を読むと、事業開発をする出光興産こと国岡商店に対して、心意気を見せる銀行マンや損保マンもいることを知った次第。ううむ、例外のない規則はない……というから、銀行や損保にも言い奴もいるのだろう(朝日新聞にもたしかにいる?)。それにしても、官僚にも前向きな人もいるが、一部というか多数派のメジャー系石油会社の言い分を真に受けて「護送船団」方式を護持しようとして、自由な競争をことさら「規制」するのに躍起となる官僚も少なくないようだ。そういう官僚主義とも闘う構図は、昔も今も変わらない? 「合併」に出光創業家側が抵抗するのも無理はない。

こういう石油メジャーとの経済戦争の実態を、僕はあまり知ることはなかった。出光といえば、あぁ、社長がマルクスとの対話みたいな本を出している人が経営していた会社かというイメージぐらいしかなかった。その本はもっているが、もう何十年も積んどくしている(と思う)。

「本屋大賞」も、どちらかというと、書店員には、「(容共)リベラル」っぽいタイプが多くて、小難しい小説や評論をありがたがるタイプが多いのではという先入観もあって、この本が「本屋大賞」をとった時も、食指が動かなかったのだが……。
その後の著者のめざましい活躍には目を見はり、 『カエルの楽園』 (新潮社)なども、オーウェルの『動物農場』に匹敵する作品と思ったものだった。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「右傾エンタメ」の何処が悪いのか?
(2016・10・17・火曜日)





2013年の「本屋大賞」を受賞していた、百田尚樹氏の『海賊とよばれた男(上)』  (講談社文庫)を読んだ(下巻は読み進めているところ)。12月に映画化されるとのこと。どこかの街角で、映画ポスターも見かけた。ということもあって、手にした次第。

ちょうどいま合併するかしないかで、話題になっている出光興産創業者の出光佐三がモデル。小説では、国岡商店の国岡鐡造として描かれている。敗戦によって、海外にあった「支店」が全滅。石油を取り扱うこともできなくなり、四苦八苦の状況にもかかわらず、社員をクビにすることなく、ラジオ修理やらなんでもやって、糊口をしのぐ。そのうちに……といったストーリー。

昨今の東京都庁の都議会界隈に潜む(?)タカリの輩のような、競争が嫌いな官僚やらと同様の無責任な構図が、戦前、戦中、戦後の石油業界にも蠢いていたようだ。そういう対立の中で、時にはGHQ・占領軍が良識を発揮して、国岡を手助けることもある。上巻は主に、彼が志を抱いて「石油」に手を染めていく戦前、戦中の活躍が描かれている。GHQなども内部にいろいろな対立があり、時には日本がストロングであってもいいと考え、時には日本を徹底的に足腰たたないようにしてやろうと考えたりもする。

『永遠の0』 (講談社文庫)は面白く(しかし涙と共に)読める娯楽戦争小説であったが、それと同様、楽しく読める娯楽経済小説だ。「現代史」を知る上でも、手頃な入門書ともなりうるではなか。この作品も「右傾エンタメ」なのか? そういうふうに貶める人たちがいるとしたら、発想が貧困なのだろう。こういう小説に「事実」も書かれていることに腹立たしくなるのかもしれない。
エロエンタメも、右傾エンタメも左傾エンタメもあっていいではないか。

いまは亡き五味川純平氏の小説『人間の條件』『戦争と人間』 (三一新書)なども、いまにして思えば「左傾エンタメ」だったのでは? 大ベストセラーになったのだから、筆力もあったのだろう。
ただ、あの人のエッセイ本『怒り、八つ当たり』 (三一新書)は、かなり昔に一読し、その共産圏に甘い認識には唖然呆然とした記憶だけが残っている。その点、百田氏の『大放言』 (新潮新書)はナイスブックでした。百田氏の次回作は『国士と呼ばれた男』などがいいのではないか? 国士といえば……。内田良平とか、勝野金政とか、岸信介とか……。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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相変わらずアベノミクスに反対し、「隠れ貧困」を拡大するのに躍起となっている悪徳官庁・気象庁の杜撰天気予想?
(2016・9・30・金曜日)





昨日(2016・9・29)の朝刊(朝日)によれば、東京周辺は終日雨との「予想」だった。午前6時~9時までは「曇り」のイラスト。それ以降は午前中は5ミリ以下の雨。正午以降は午後三時までは5ミリ以上の雨。午後三時以降は夕方まで5ミリ以下の雨とのことだった。まぁ、終日「雨」ということだ。ところが?

地域によっては部分的に当たったところもあったかもしれないが、朝から深夜(午後11時頃)終日まで千代田区、港区周辺を歩いたが、傘をさすことはまったくなかった。日中は雨どころか晴れ間が時々のぞきもした。あぁ、また気象庁がやってくれた?
本当に気象庁はGNP/GDP拡大に反対するお役所だ。同日付け朝日には、「隠れた貧困層」というコラムが掲載されている。
その中に、生活保護を受けていない貧困層の一例として、さいたま市の50代男性の例が出てくる。

設備会社の職人だったが仕事が減り、数年前に警備のアルバイトを始めた。日給は7千円。仕事がない日もあるし、工事現場の警備は雨が降れば休みだ。収入は不安定で月10万~15万円。都内の仕事場まで交通費がかかるし、帰宅しても寝るだけ。家賃を払うのが惜しくなった」ということで、自動車(軽ワゴン)の中で寝泊まりするようになってしまった……と。

そうそう、朝の段階で、「本日は雨のようだから中止」との連絡が入れば、日雇い警備人は仕事がなくなる。1日7000円~の稼ぎがなくなる。昨日は気象庁の天気予想(占い?)では、さいたま市も終日雨との予想。さいたまには行かなかったので、当たったかどうは知らないが、東京の外れと「五十歩百歩」では?

とにもかくにも、昨日都心周辺は「工事現場」は雨のため工事中止…にはならない事例だったにもかかわらず、気象庁の「洗脳予想」のため、中止にした会社も多々あっただろう。せいぜい、折り畳み傘でいいのに、大きな傘をもって、行き来し、地下鉄車両に置き忘れてしまった人も多々いたことだろう。かくも気象庁の杜撰予想のため、経済的損害を受けた人々は多数にのぼったことだろう。その責任をどう感じていることだろう?

同じ日付の東京新聞には「低所得生活ノウハウ本に見る年収」「300万円が今や90万円」「暮らし向き悪化を反映」という記事が出ていた。森永卓郎氏の『年収300万円時代を生き抜く経済学』 (光文社)という本が2003年に刊行された時、年収300万円はかなりの低額のイメージだった。しかし、そのあと、「価格破壊」「年収破壊」のトレンドは続き、年収120万だの90万だのの本が出てきていることを記事は報告している。先の警備員の場合、日給7000円では、月20万にもならない。年間200万になるかならないか……。アパート代、光熱費など払えば四苦八苦。

萩原博子氏の『隠れ貧困 中流以上でも破綻する危ない家計』 (朝日新書)は、積んどくしているが、年収がそこそこ多くても、油断大敵といった視点からの本のようだ。もちろん、競輪競馬に狂ったりしての自己責任による家計破綻もありうる。まぁ、無駄遣いせずに、堅実に生きていくことが肝要か?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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天に唾する朝日新聞「ブラック」記事?
(2016・9・19・月曜日・祝日)





出井康博氏の『ルポ ニッポン絶望工場』 (講談社+α新書)を読んでいたら、朝日新聞にこんな記事が出ていた。あぁ、いつもの天に唾する記事だなと思って、こちらも一読(本文末尾に「引用」)。

本書の内容紹介→新聞・テレビが決して報じない外国人留学生、実習生の真実。コンビニ弁当工場、新聞配達、宅配便仕分け、農業……日本人の便利な生活を末端で支える彼らが絶望し、<謀反>を起こす時、この国の生活基盤は崩壊する!
外国人犯罪者の1/4がベトナム人、“奴隷労働”が支える新聞配達、日本語学校によるボッタクリ、犯罪都市「NY化」する日本、日本への出稼ぎをやめた中国人―新聞・TVが報じない「現代の奴隷労働」


かつての「中国人」の「地位」をいま、「ベトナム人」が占めつつあるようだ。
もちろん、昔のような「強制徴用」ではなく、ブローカーの甘言を真に受けて、日本に来れば勉強もできる、お金もバイトで何十万も稼げる、借金してでも日本に行こう…というのには「自己責任」もあるだろう。とはいえ、日本政府の政策(経済連携協定・EPA)として、そうした留学生や実習生や介護士や看護士を目指す外国人を「歓迎」しようという動きもある。にもかかわらず、そういう政策の不備というか、官僚主義的対応のため、せっかく日本にやってきても挫折し、「反日」になっていく外国人があとをたたないという。かつての中国人犯罪者の横行と同じようなベトナム人による犯罪(万引き、窃盗、強盗)などが増加しつつある----そういう実情を大変詳しくルポしたノンフィクション作品。

日本人もあまりやりたがらない仕事として、コンビニに出品する弁当などの深夜労働による製造工場などでベトナム人留学生などが多々働いているとのこと。とりわけ、新聞奨学生に「進出」しているベトナム人も多々いるとのことで、具体的に取材している。
朝日新聞が率先して、日本人学生からの応募も減っている新聞配達人(奨学生)確保のために、ベトナム関係者と交渉し、受け入れ体制を整えていく。その努力もあって、かなりのベトナム人留学生が新聞配達人になっているという。法律的には週28時間まではバイトをしていいことになっている。28時間といえば、一日4時間前後か。朝刊だけの配達なら、実現可能かもしれないが、朝日のように夕刊もあると無理。著者は、そのあたり、関係者への取材も詳細にやっている。朝日新聞にも取材しているが、面談はダメ、書面回答のみの対応。いろんな質問に対して「公表していません」との返答多し。ベトナム人の休暇などが日本人より少ないことなどについては「文化・生活習慣を考慮して」の異なる対応とか?

東京周辺の産経新聞は夕刊がないから、ここの奨学生になれば週28時間のバイトも可能になるかも。朝日を止めて産経に変えたら? これって日本人読者だけでなく、ベトナム留学生にもいえること? サイゴン陥落を「解放」とみなして、ベトナム難民流出にはクールな対応をした朝日新聞の歴史を考えると、それが正しい選択肢? それにしても、下記の朝日記事。すぐ足元にある自社の新聞奨学生の実態を取材したらいかが? 出井さんによると、彼が朝日新聞奨学生の実態を取材したところ、あわてた朝日は、新聞奨学生たちの座談会をやったりして、「朝日新聞の奨学生としてがんばるベトナム人たち」というヨイショ記事を掲載しようとしたが没になった経緯があるとのこと。

相変わらず「新聞だけがなんでも言える自由の国日本」ということだろうか?
下記の朝日記事の実態は、出井さんの本で書きつくされている内容だ。しかし、新聞奨学生の実態は朝日では決して報じられない? ベトナム人留学生がそんなに四苦八苦しているなら、日本人奨学生も大変なのか? でも、この前、格差社会云々で経済的に大学進学が困難なら、新聞奨学生になる手もあるではないかと推奨した手前、このあたり、朝日もほかの新聞も、朝刊のみ配達などの対応で改善していくべきではないか?

常識的に考えても、大学の授業日程からしても、朝刊配達後の大学での授業を受けるのは可能でも、そこに夕刊配達が入ると、ちょっと苦しくなるはず。集金なども近年カード決済が増えている(それなら休日の仕事としてまだ対応可能か?)。チラシの折り込みなどの作業もあるだろうが、立派なことを主張する新聞社なら、まずはベトナム留学生を「搾取」することなく、「仲間」として処遇する配慮を見せるべきではないのか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



外国人看護師・介護士、難しい定着「もう疲れ果てた」
松川希実、森本美紀
2016年9月18日04時03分

 経済連携協定(EPA)で外国人の看護師や介護福祉士を受け入れて8年。インドネシア、フィリピン、ベトナムから計4千人近くが来日し、600人余が国家試験に合格した。労働力として期待される一方、合格者の3割以上は帰国などEPAの枠組みから離れた。「定着」はなぜ難しいのか――。
 8月下旬、介護福祉士のインドネシア人女性(31)が6年半暮らした日本を離れ、母国に帰った。大きな段ボール箱一つ分は、介護と日本語の勉強の本で埋まった。「もう疲れ果ててしまった」
 来日前はインドネシアで小児科の看護師として働いていた。EPAの募集を知ると、アニメで憧れた日本に行けると夢が膨らみ、2009年に応募した。
 来日後、4年間は施設で働きながら研修をする。仕事は楽しく、覚えた日本語で利用者と冗談を言い合った。夕方には自習時間があり、月2回は日本語教室に通わせてもらった。日本の制度や専門用語は難しかったが、過去の問題を頭にたたき込み、14年に介護福祉士の試験に合格した。
 ところが、合格後に生活は変わった。国が補助金をつけて施設に研修を義務付けているのは合格するまで。勉強の時間はなくなり、家賃の補助も出なくなった。合格しても給料はほとんど上がらず、長期休暇も取りづらかった。
 昨年末から夜勤リーダーの見習いが始まった。最初ははりきったが、期待はすぐにしぼんだ。日勤への申し送りは、15分間で入所者42人分の夜間の状況を口頭で伝える。「失禁があって全更衣しました」など日常会話では使わない言葉を早口で言う。発音が悪いと、「何を言っているか分からない」とダメ出しされた。
 毎晩残って練習し、3カ月間の見習い期間の最後に臨んだ試験。5人分の状況を伝えるのに10分かかったところで、打ち切られた。
 このころ、日本の受け入れ機関である国際厚生事業団にメールで送ろうと、書き留めた文章がある。
 「ずっと我慢して仕事をしながら、申し送りの勉強をしていましたが、やはり疲れました」
 追い詰められて笑顔をなくし、帰り道に何度も涙を流した。上司に「辞めたい」とこぼすと、「今の状態じゃどこも雇ってくれない」と返された。たまたま母国で結婚話が持ち上がり、帰国を即決した。
 「頑張って頑張って合格したけど、もっと高い壁がある。私は日本人と同じようにはなれない」
 別のインドネシア人女性の看護師(32)も帰国を考えている。08年に来日し、12年に国家試験に合格。一緒に来日したインドネシア人の男性看護師と結婚し、2人の子どもを授かった。
 弟や妹を大学へ行かせるため、故郷へ仕送りを続ける。月6万円の保育料は高かったが、共働きで生活費をやりくり。困るのは、子どもが病気になった時だ。
 せき込む娘を腕に抱き、勤め先の病院に「今日も休ませてください」と連絡するのが心苦しい。合格すれば両親を呼び寄せて子育てを手伝ってもらえると期待していたが、制度上、配偶者と子どもしか呼び寄せられないことを知った。
 仕事は忙しく、このまま夫婦2人だけで子育てをすることに限界を感じる。
 「日本の子育てや保険の制度は外国人には難しい。日本は私たちの将来まで考えてくれているのか」
■悩み共有、支え合うコミュニティー
 国際厚生事業団は受け入れた外国人が働く施設を巡回し、週に2回の電話相談を行っている。ただ、合格者の悩みは子育てや転職など複雑になっている。こうした悩みを共有して情報を交換しようと、インドネシアから来日した合格者は昨年12月に「インドネシア人看護師・介護福祉士協会」を立ち上げた。
 断食月中の6月、横浜市内の団地の一室で開いた集会に約40人が集まった。「入浴介助では暑いからベールを外すようにと上司に言われた」と女性介護福祉士が訴えると、「気持ちを伝えた方がいい。1人で難しいなら説明を手伝う」と他の女性が応じた。
 まとめ役の男性看護師モハマド・ユスプさん(35)は「これまでは合格するのに一生懸命だったが、生活するには、みんなで支え合って問題を解決でき、孤独にさせないコミュニティーが必要」と言う。関西や四国には支部ができた。
 ユスプさんは第一陣で来日して8年。12年に合格してインドネシアから妻を呼び寄せ、小学5年と3歳の息子2人を育てている。
 東京都杉並区の河北総合病院の整形外科病棟。ユスプさんが骨折して入院中の高齢女性の足先に触れ、「指は動かせますか」と尋ねると、「動かすと前より痛い」。「少し腫れてますね。冷やしましょう」と笑顔で応じ、病室を出た。電子カルテには「体動時疼痛(とうつう)増強」と素早く打ち込んだ。
 「ここまでできるのに合格して3年かかった。同僚が理解し、助けてくれたからここまで来られた」
 7月中旬には都内で研修中の介護福祉士候補者を訪ね、「日本には『出る杭は打たれる』という習慣がある」などと助言。「いつでも相談して。支え合える仲間がいる」と声をかけた。
 EPAが始まった当初から日本語教育などを支援してきた名古屋市の平井辰也さん(52)は昨年7月、相談窓口として「EPA看護師介護福祉士ネットワーク」を発足させた。労使トラブルから税金や年金の手続き、家族の呼び寄せといった相談が寄せられる。
 フィリピン人の女性看護師(30)は頼りにしていた上司が退職し、働き続けることが不安になった。「帰国したい」と相談すると、平井さんは転職の道もあることを教え、外国人看護師などの専門転職サイトを教えた。「相談できて助かった。合格した後の日本政府のサポートは十分ではない」と女性看護師。平井さんは「EPAは国と国の協定だからこそ、国が関与して法的な権限でトラブルの解決や未然防止、監視ができる第三者機関が必要ではないか」と主張する。
 長崎大大学院の平野裕子教授(保健医療社会学)は昨年12月、インドネシアの日本大使館がEPAを離れた帰国者を集めた就職説明会で調査をした。回答した帰国者29人のうち、13人が「日本で仕事をする生活に疲れた」と答えた。そのうち8人は合格者だった。
 平野教授は「看護や介護は日本人にとっても楽な仕事ではない。言葉の問題をクリアした先には、多忙や子育ての難しさといった日本人にも共通する悩みを抱える人がいる。根本の問題が解消されない限り、日本人と同じように外国人も疲弊する。日本の働き方自体を見直す時だ」と訴える。(松川希実、森本美紀)


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ランチどころかディナーに1000円は贅沢かな?
(2016・9・6・火曜日)





毎日新聞の電子版にこんな記事が出ていた。

「1000円ランチ」女子高生をたたく日本人の貧困観
2016年8月31日 藤田孝典 / NPO法人ほっとプラス代表理事
貧困バッシング(1)
 貧困について語り、NHKニュースで取り上げられた女子高生に対するバッシングが止まりません。ネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)には「貧困をたたいてるんじゃない、貧困のふりをしてることをたたいているんだ!」「映画やランチを楽しんでいるのに貧困? 支援? ふざけるな」「NHKは捏造(ねつぞう)をやめろ」といった声があふれています。
 18日放送のニュースで女子生徒は、母子家庭の経済事情で専門学校進学をあきらめたことを明かしました。
 アパートの部屋に冷房がないこと、パソコンの授業のために母にキーボードだけを買ってもらって練習したことなど、番組は母と2人暮らしの女子生徒の暮らしぶりも伝えました。その映像にイラスト用の高価なペンが映ったことから、女子生徒のものとされるツイッターが特定され、1000円の昼食を食べていたこと、好きな映画を見に行っていたことが攻撃されました。
 女子生徒をたたく人たちは、「彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない」と主張しているように見えます。ある国会議員もその論調に乗ったツイートをしました。ここに、貧困問題を考える上で重要なポイントがあります。
 つまり、「貧困とはどのような状態を指すのか」「貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?」という問題です。

その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか
 
「貧困」の言葉から何を想像するかは人それぞれですが、多くの人は、貧困とはものを食べられず、服も買えず、住むところにも困っているという状態をイメージするでしょう。
 このように、肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を「絶対的貧困」と呼びます。発展途上国で見られるタイプの貧困で、国連は、低所得、栄養不良、健康不良、教育の欠如など、とうてい人間らしく生きられない状態と定義しています。
 貧困について、特に欧州では、19世紀半ばから議論が始まりました。絶対的貧困は社会が対応しなければいけないという認識が広がり、20世紀に入ると、社会保障で貧困をなくす動きにつながりました。その意味では、先進諸国では絶対的貧困は解決された、とも言われています。
 1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが「相対的剥奪」(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。「最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか」と問題提起をしたのです。これが「相対的貧困」という概念です。
 タウンゼントはいくつかの「剥奪指標」を示しました。ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているかといった指標です。
 冷蔵庫を持っているか、ホームパーティーを開いているか、という項目もありました。国によって違いますが、通常の人が享受しているこれらの指標がもし剥奪され、その社会の人間が考える「普通の暮らし」ができていなければ、その人は「相対的に貧困である」と考えられます。
 社会生活から剥奪されたものをとらえ、先進国の貧困、普通の暮らしを定義しようとしたわけです。そして、国民の半数から60〜70%ほどが実現している指標が欠けている場合、何らかの支援、所得補償が必要と判断されます。
 この概念は「貧困を再発見した」と言われました。欧州ではこうした議論が半世紀以上続き、貧困を巡る議論はすでに成熟しています。絶対的貧困と相対的貧困の混同は起きません。
「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ
 ところが、今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。
 「貧乏人は貧乏人らしく」という目線は、貧者を「劣った者」と見なし、隔離した16世紀英国の貧者隔離思想に近いものです。
 昔の英国社会では貧困は罪でした。本人が怠惰で、なまけていて、努力する意思もないから貧しくなったのだと見なされました。貧困の「個人原因説」です。貧困者はムチで打ってでも働かせるべきだと考えられ、懲役にも近い形の収容所に送り込まれていたのです。
 日本の憲法第25条は、相対的貧困の考え方を先取りする形で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたっています。にもかかわらず、日本ではいまだに貧困バッシングが続いています。2012年の生活保護バッシングでも同じことが起きました。
 次回も解説します。



NHKのその番組はたまたま見ていた。母子家庭なのかな? と感じたりもした。おかわいそうにと思いつつも……。ちょっと?とは感じた。
家の中は、ごく普通の家庭なみに家具などがあったようにも見えたから、いわゆる「貧困」とは異なるだろうし……と。高校から上の「学歴」に進むのが経済的に困難だというのは昔からあることだし……。だが、そんな騒動が起こっていたとは知らなかったが……。

ただ、ランチに関しては、僕は原則ランチを食べないようにしている(1日2食主義)。節約&節食(ダイエット)のため。
晩飯も一人で外食する時は、原則1000円以下にするようにしている(1000円を超える時は、手帖にチェック。例えば8月は、家人のメモリアルディーがあったので某日は二人で一万円を超えたことがあった。反省? 釣った魚には餌を与えるな!? 某日は、行きつけのバーで、知人に奢ったりして二人分で8000円の日が一回。
7月は、回転寿司屋で一人で少し豪華に食べすぎて1640円の日が一回あった。「やよい軒」に行って、「鰻の蒲焼定食」(1280円)を食べたこともあったか。あと、行きつけのバーに行って一人飲みで4000円ちょっとの日が。反省!

とはいえ、原則昼飯を食べないので、それが500円とすれば、その節約分で豪華ディナーをまかなっているといえようか? 本代にしても、最近は古本屋代金は月数千円程度では?)。

時々外食する、やよい軒などは大概630円のしょうが焼き定食。「いもや」の豚カツ定食は800円だ。スーパーで買う時は、もちろん1000円以下。なるべく午後7時すぎに、「割引」になっているものを優先する……。自炊する時は、インスタントカレーが中心。

だから、ランチが1000円と聞けば、ちょっと、ふ~ん、贅沢ですな?とは思うかもしれない。でも毎日というわけでもあるまいし……。
世の中、昔から食費を節約して、いろいろと他に必要なものを買うといった「貧困」はよくある話。記事にあるような「絶対的貧困」は、北朝鮮などでは日常的だろう。日本ではご指摘のとおり、「相対的貧困」がいろいろと問題になってきているのだろう。世の中には、日本やアメリカの「相対的貧困」をケシカランと大騒ぎし、アフリカなどなら「絶対的貧困」も大問題だと大騒ぎするのに、共産圏などの「絶対的貧困」には眼を瞑る不可思議な人が多くないか?

大躍進時代や文革時代の中共なども「絶対的貧困」が支配的だったが、人民の眼は輝き…と、靴を履けない少年たちを賛美していたのは誰だったか? ご招待で訪中した進歩的文化人・作家たちだった(例外は曽野綾子さんぐらいか?)。当時の中共は飢餓輸出、核兵器開発に躍起となり、人民の生活など蔑ろにしていた。そんな中共を賛美していたのは誰だったのか? 真摯に反省したのは、長島陽子さんぐらいか? (『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好』 論創社)。
今日から見て、わりと格差がなくて理想視される1980年前後の日本。当時、日本で中流意識をもつ層が多くなったが、それは幻想だと大騒ぎしていたのも進歩的文化人たちだった(岸本重陳氏『「中流」の幻想』 講談社)。
そしてモノの豊さでは幸せになれない—などと主張していたのも進歩的文化人たちだった (中野孝次『清貧の思想』草思社)。
そういう人の中には、清貧ブームで印税が沢山入って、別荘を買ってウハウハという人もいたかと? やはり一定の「モノ」があると人間、幸せに感じるものだ。狭すぎる家よりは、ちょっと広めの家のほうがいい。体重が55キロを超える妻より、若い時の45キロぐらいだったころの妻のほうが、今現在、しわは多くてもまだ我慢できる?

でも、自分で稼いだお金をどう使おうと勝手。余裕があれば、新刊本を次々と買って、それを所蔵する本棚を次々と買うのもいい。余裕がなければ、本は図書館で借りて読んでもいい。だからといって、図書館で本を借りて読む人が、新刊書店でアマゾンで次から次へと本を買う人をうらやましく思う必要があるだろうか? ない! 昔から図書館で本を読んで勉強する人はゴマンといる。そして食費を節約し、どうしても買いたい本を買う…という事例はいくらでもある。偉人なんかの自叙伝を読めばそんな話しがいくらでも出てくる。
ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』 (新潮文庫ほか)にも出てくる。そういう「相対的貧困」をあまり言いふらすのはいかがなものかと思わないでもないが、社会に訴えて、「相対的貧困」を解消するように向かうのも決して悪いことではあるまい。

ただ,奨学金などに関しては、日本では原則としてだが「能力に応じて教育を受ける」権利は保障されているだろう。無利子どころか、返済不要、さらには付与される奨学金制度はそこそこある。高校や大学にもある。専門学校にもある。知人のお子さんは茨城の常総学院や専修大学で、合格時の成績が優秀のため、在学中の学費一切免除と言われた(にもかかわらず別の高校、別の大学に進学したが)。だが、その制度を受け入れたら、年間数十万円~百万単位の支出はゼロになるのだ。あとは、朝日か産経の新聞奨学生になればいいではないか。奨学生になったら、キャンパスで過ごす時間が減るからいやだなんて言う若者がいれば、あんた、ちょっと甘えていないか?と言ってもいいかもしれない。得るものがあれば失うものがある--という現実は認識すべきだよと。なにからなにまで思い通りになるなんてことは世の中にはないんだよと。

もちろん、勉強ができるようになるには塾通いが必要、貧困家庭では塾にも行けないなんていう声もあるかもしれないが、学校教育を受ける権利を保障するのが原則。塾の面倒までは? そもそも進歩的文化人や日教組は「塾」を敵視していなかったか?

テレビなどでは、そうした塾に行くお金のない子供たちのために、「塾」のような形で勉強を見てくれるボランティアの学生集団があるとか? いやはや、それは立派なこころがけ。でも、その人たちにまで公的支援をする必要はあるのか。ボランティアは大事だから?

ともあれ、親がそこそこ金持ちで、小学生の時から英語塾に通わせても、英語が話せない人だっている。両親がヤンキーで高卒・中退レベルでも、子供は医学部なんて例もある。遺伝子や環境ばかりじゃなくて、突然変異やら、いろいろと世の中はあるのでは? 顔だってそうだろう。父親似だったり母親似だったり、どっちにも似ないで、祖父母似だったり?

とにもかくにも、 「制度的な保障」が一定レベルでなされていれば、あとは個々人の能力の問題。進学できないのは、貧乏だったから…とまで決めつけるのはいかがなものかと思わないでもない事例もあるのでは?

NHKテレビにて紹介された人とは関係ないけど、生活が苦しくて〇〇もできないとか、よく主婦や母親などがコメントすることがある。古女房などは、そういう番組を見ていて、そういう若い母親などが「茶金髪」などにしていると、その染め代金だけでも節約すればいいのにとよく言う。まぁ、黒髪でも白髪染めをしていることもあるし、ダイエットと称して、尻振りダンスの一万円ちょっとするものを買って効果がないのは機械がおかしいからだと放りっぱなしにしておきながら、亭主の古本代には無駄遣いするなと難癖つける困った中年女性もいるようだが……。

無駄遣いはなるべくチェックし、我慢すべきものは我慢し、その上でどうしても必要なものを…という思想は決して間違ってはいないと思う。どんな所得層の人とて、そうした節約や、絶対必要な出費かどうかなどの比較をしながら生きているのだ。なんでも社会のせいにするな—というわけではないし、一方的なバッシングなどもおかしいだろうが、そう言われるような「余地」をなるべくなくした「清貧」の生き方を模索する必要もあるのでは?
家屋があれば、まぁ、猛暑でも、日中は窓を開ければしのげるもの。扇風機もない人もいるかもしれないけど? 一定の我慢、節約をした上でのSOSのほうが理解もされやすいだろう。
ということで、村瀬秀信氏の『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』 (講談社文庫)を読んだ。

内容紹介→収録されているのは、吉野家、ロイヤルホスト、CoCo壱番屋、びっくりドンキー、餃子の王将、シェーキーズ、とんかつ和幸、サイゼリヤ、かっぱ寿司、レッドロブスター、牛角、マクドナルド、蒙古タンメン中本、築地銀だこ、日高屋、バーミヤン、すき屋、てんや、リンガーハット等、おなじみのチェーン店ばかり。著者独自の視点から、各店の魅力と栄枯盛衰を綴る。
「70年代生まれの我々が、子どもの頃から慣れ親しんできた味は、チェーン店のものではなかったか」。安くて便利、そこそこ美味くて気軽だから、今日も自然と足が向く。誰もが知る35店の「あるある」と「なるほど」が満載。気鋭のコラムニストが綴った、雑誌「散歩の達人」の人気エッセイを、大幅に加筆して文庫化!



よくよく考えれば、元版・単行本(交通新聞社)を以前読んでいたかとも……。再読だったのか? 単行本も文庫版も図書館で借りて読んだから「被害」はなし?

僕の好きな「やよい軒」なども登場している。席に常備されている「漬物」が美味くて、これだけでご飯がお代わりできるとの指摘に、改めて同感!

先日も、女房元気で外遊び(留守)なので、晩飯を「やよい軒」で食べた。いつものしょうが焼き定食(630円)にも飽きたので、なんと「厚切りカルビミックス定食」(980円)に挑戦。この前はミニ唐揚げ無料クーポンもあったということで奮発して「鰻の蒲焼定食」(1280円)にチャレンジ。今回も納豆無料クーポンがあったからこそのチャレンジ? 

納豆があったために、漬物(無料)は三分の二程度しか食べられなかった。ご飯は二杯お代わり(計三杯)。カルビは「厚切り」というよりは「薄切り」? ミックスのえびは可愛い小海老チャンだったが……。とにもかくにも満足。1000円でおつりがくるのだから。全店全席禁煙。ここの「やよい軒」は、以前、立ち寄った時、出入口外に「灰皿」が置いてあった。さっそくテーブルにあった無料ハガキを使って、こんなの邪道、ドアの開け閉めの時に店内に悪臭が流入する、しかも、客ではなく、単なる通行人が、利用していること多し…と投書したら、そのあと、撤廃したようでなにより。なにしろ、以前、立ち寄ろうとしたら、タバコを吸っているバカがいたので、中に入れず食べるのを断念したこともあったのだから。まともな投書のハガキを読んで、すぐに改善する経営者が運営する店はいいチェーン店ですな!

禁煙の「シズラー」も出てくる(ここはちょっと高い。1000円以下では無理かも)。ここも店によっては出入口に「青空喫煙所」を設置していたりして抗議したことがある。
僕が利用したことのない「チェーン店」(蒙古タンメン中本など)も登場。「東京チカラめし」の盛衰なども参考になった。
新聞などにクーポンなどがついたチラシが時々挟まっている。ガストなどは妻が時々切り抜いている。やよい軒は僕が切り抜く。「てんや」などはホームページに割引券があるんだっけ?

引き続き、松本圭司氏の『チェーン店B級グルメメニュー別ガチンコ食べ比べ』 (双葉社)を読んだ。同様のチェーン店の定番が紹介されている。やよい軒も出てくる。

さらに、南清貴氏の『行ってはいけない外食』 (知的生きかた文庫)を読んだ。左翼イデオロギー的な筆致ではなく、食品専門家的な視点からの啓蒙書といったところか。食品添加物をかなり批判はしている。僕は、左右の全体主義者や「容共リベラル」ほど、食品添加物を敵視はしていないのだが……。コンビニのサラダは食べないほうがいいとか、ファミレスレベルのサラダバーへの批判などは、ふうむ、そうかもしれないなと思ったが。回転寿司のアナゴはほとんどチリ産のウミヘビだとか? ううむ。ラーメンのスープを全部飲み干すのは危険だとか(飲み干すことが多い?)。ホテルのバイキングも、一部、料理人が公開制作をしているけど、それ以外は、冷凍パックの調理済み「仕入れ品」ばかりとか。ううむ……。「やよい軒」はどうなのかな? でも、いくらちゃんとした料理を提供していても、その店が喫煙者迎合店なら何の意味もなかろう。この前、家人のメモリアルディもあって、渋谷エクセルホテルのレストラン(全席禁煙)で食事をした。わりと手頃な選択可能な料理プランもあり、ここは意外と穴場?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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