古本虫がさまよう 思想
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広辞苑の辞書編集部や筆者などの世界は、日本人離れした、常識以前の何とも言えない時代錯誤的な非教養が横行する非知的空間が、一部であろうが支配しているのだろう。
(2018・1・12・金曜日)



NHKの夜7時(2018・1・12)のニュースが終わってから帰宅したのだが、開口一番、古女房が「女のアナウンサーも広辞苑なんか読んでいる暇があれば、漢字の問題集でもやればいいのに」という。

ハテ? と思ったらこういうこと。

雪で電車が立ち往生のニュースがトップニュースかと思いきや、「たった今入ってきたニュースです」ということで始まったのが、中国の潜水艦が尖閣領海内を浮上して航行したというもの。

テレビ画面には、浮上した中国の潜水艦の艦橋に中国国旗が翻っている写真がうつしだされていたという。その時、女性アナウンサーが、しばし言いよどんでいたという。

「はて?」と古女房は思ったらしい。しばしすると「カンキョウには中国の国旗が…」と。妻が言うには、この女性アナウンサーは「艦橋」という文字が読めなかったのだと。だから言いよどんでいたというのだ。ううむ、本当か?

「たった今入ってきたニュース」ということで、読み合わせの練習をするヒマもなく、ニュース原稿を書いた人も、まさかこんな文字が読めないとは思わないから、「ルビ」はふっていなかった。だから、「艦橋」という文字が読めずに、言いよどんだ…と。このことに関しては、僕はリアルタイムで見てないのでなんともいえないが…。

そういえば、この女性アナウンサー、北朝鮮に関するニュースで、こんなこともしていたっけ? 以下再録的になるが…


昨年(2017)三月まで夜9時のニュースのお務めしていたその女性アナウンサーが、2017年4月から夜七時に異動されていたが、北朝鮮の外交委員会かなにかが設置されることになり、ある人がそのトップか何かになることを紹介する中で(2017・4・12夜7時のニュースだったかと)、彼の肩書として「朝日友好親善協会」云々というのを、 「ちょうにち」といわずに「アサヒユウコウシンゼン~」と言ったそうな(妻がそれを聞いていて、「アホ!」と怒鳴ったとのこと)。

その後、しばらくして訂正が入った。字幕で「朝日友好~」という文字を出し、ご丁寧にそのうえに「ちょうにち」とルビをふっていたそうな。特別待遇の訂正報道?
朝日新聞から抗議でもあったのかも? わが社はもちろん北朝鮮と長年友好関係にはあるけど、「朝日(アサヒ)友好親善協会」なんてないぞ、誤解を与える表現を我々は許さない! 撤回せよ! さもなくばNHKなんか潰してやるぞ--とアサヒソウムキョクから抗議があったのかも?

それにしても女房に「アホ」といわれた女性アナウンサー…。昔に比べて化粧が少し「厚く」なってきたような気がするけど、僕は好きなタイプ? 「無知」や「ウッカリミス」ではなく、皮肉をこめて「チョウニチ」ではなく「アサヒ」と言ったのかも? だとしたら立派だが?---と書いたのだが…。

今晩(2018・1・12)のニュースでは、そのあと、 『広辞苑』の第七版のニュースがあって、三省堂で買い求める「奇特」(?)な人のインタビューやら、岩波書店の辞書関係者への取材など、ヨイショ放送をやっていたようだ。
アホらし屋の鐘がキンコンカンコンと鳴り出したので、妻はそのあたりでチャンネルを切り換えたそうで、NHKが、広辞苑の「台湾」記述の「変更・偏向」に関して抗議を受けていることに関してもきちんと丁寧に詳しく報じたかどうかは未確認とのこと。

でも、かつて台湾を侮辱する番組を平然と作ったNHKなら、岩波『広辞苑』ヨイショだけで終わったのではないだろうか? といっても、これも未確認なので、断定はできないのだが……。

ともあれ、すでにこの日の夕刊は以下のように論じているところもあったそうな。


広辞苑改訂版にも「台湾省」 中国の一部として表記 台湾が抗議、波紋広がる
2018/1/12付日本経済新聞 夕刊
 【台北=伊原健作】12日に発売された岩波書店の国語辞典「広辞苑」の改訂版(第7版)を巡り、台湾を中国の一部として紹介した表記が波紋を広げている。改訂に当たり台湾側は「断じて中華人民共和国の一部ではない」として従来の表記の修正を要求したが、岩波書店側は拒否。中国が岩波書店への支持を表明するなど国際問題の様相を呈している。(以下略)


以前、30数年前だったか、あるところを出ることになって、記念に同僚たちが『広辞苑』でも挙げようというので、岩波は嫌いなので、 『広辞林』 (三省堂)にしてくれと言って、そうしてもらったことがある。まだ『広辞林』がマシかな? ともあれ、『広辞苑』といえば、以下のように論じたことがある。再録。


『広辞苑』の「嘘と罠」にひっかからないために… (2014・1・6・月曜日)

谷沢永一氏&渡部昇一氏の『広辞苑の嘘』 (光文社)という面白い本があった。2001年の刊行。
共同執筆というか、二人が個別テーマごとに執筆している。
広辞苑も初めの版から何度か改訂されてきているが、その間の変化修正なども含めて、徐々に左翼的な色彩を強めるような筆致(南京事件など)を中心に、誤りというか針小棒大というか、そういう項目を取り上げている。読物としても面白く感じた。

その二人の著書が出てから10年以上が経過し、また『広辞苑』も、2008年に新たな版も出ているが、さらなる「悪化」の事例を事細かく検証したのが、水野靖夫氏の 『「広辞苑」の罠 歪められた近現代史』 (祥伝社新書)である。

一読して、何かあると「広辞苑によれば…『 』とは…とのことであるが、」といった書き出しでモノを書くのは、きわめて恥ずかしいことになるかもしれないと思った。 『大辞林』 (三省堂)のほうがまだマシのようである。我が家にもどこかに『大辞林』があったかと。『広辞苑』もあるか?(後記・註釈→これは『広辞林』の勘違いだったかと)

ともあれ、中国共産党が、天安門事件で虐殺しても、せいぜい「鎮圧した」という表現しか使用しないのに、日本軍がやった「鎮圧」は、「虐殺」と表現されている。

「(北朝鮮による)拉致事件」の記載もないとのこと。もちろん「拉致」はある。「むりに連れて行くこと」…との。しかし、「拉致事件」は最新版(2008年刊行)にないというのだ。唖然呆然? 取り上げたくないのだろうというしかない。
同様に「シベリア抑留」も、広辞苑に載ったのは1998年刊行の版からだという。ソ連が崩壊して、やっと? ということなのか。
しかも、その記述が遠慮しいしいというのか、ソ連に迎合的なのである。

シベリア抑留「第二次大戦で対日参戦したソ連が、投降した日本軍兵士をシベリア・中央アジアに送り、強制労働に従事させたこと。抑留者は50万人をこえ、劣悪な環境におかれて多数の死者が出たが、1950年までに大部分が帰国」

水野氏も指摘しているが「対日参戦」とは? 日ソ中立条約を無視して「侵攻」してきたのでは? 「~に送り」とは? 「強制連行」がお好きなのに、なぜ、相手がソ連だとそういう常套句を使わないのか? しかも、この場合、どう考えても「強制連行」という言葉がぴったりと適合するというのに。
「多数の死者」…? 少なくとも5万人以上が死んでいることは史料的にも事実として認定されている。一割以上の死者ということを何故具体的に書かないのか?

また、降伏した捕虜などを虐待したり強制労働をさせるのは国際法違反。しかも戦争が終わった段階でのこうした処置は言語道断であろう。そうした指摘もない。相手がソ連なら沈黙、同じ捕虜虐待などでも、日本軍がやったとなると大々的に記述する…という傾向が『広辞苑』にあるのは間違いない事実のようである。オーウェルのいう「ニュースピーク」の一種といえそう。

『広辞苑』を求める方は、水野氏のこの本も一冊脇に置くべきであろう。本屋さんは、セット販売するといいのではないか。この前、本欄でも紹介した高井ジロル氏の『好辞苑 知的で痴的で恥的な国語辞典の世界』 (幻冬舎)も用意すると尚いいかも。

辞書といえば、以前紹介した飯間浩明氏の『辞書を編む』 (光文社新書)や、三浦しをん氏の『舟を編む』 (光文社)が思い浮かぶ。新語、死語…辞書制作に必死となる編集者や編者の情熱は尊いものを感じるけど、広辞苑の辞書編集部や筆者などの世界は、日本人離れした、常識以前の何とも言えない時代錯誤的な非教養が横行する非知的空間が、一部であろうが支配しているのだろう。信じられない世界だ? 新村猛氏の『 「広辞苑」物語』 (芸術生活社)を見ても、そんな世界は描かれていないようだけど?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「リベラルという病」から見えるアメリカの分断と対立?
(2018・1・12・金曜日)





山口真由氏の『リベラルという病』 (新潮新書)を読んだ。


内容(「BOOK」データベースより)
人間への信頼、平等の理念にもとづくアメリカのリベラリズムが今、危機に頻している。政治や司法から、宗教観や家族観、性差や人種問題まで、伝統的コンサバティズムとの対立を繰り返してきた歴史をひもとき、トランプ政権下で大きく軋む社会の断層を浮き彫りにする。さらには、欧米のリベラリズムを奇妙な形で輸入・加工し続けてきた日本的リベラルの矛盾と限界をも鮮やかに解き明かす。


著者は、1983年生まれで、東大法学部を卒業し、ハーバードロースクールも出ている元財務官僚。アメリカに見られる「リベラル」の動きを中心に、論じたユニークな「リベラルとは何か」論だ。

「リベラル」に対抗する「保守」についても比較考察をしている。「家族」の問題や、人工中絶問題など…。

日本人の多くは、「八百万の神」的宗教観のため、一神教的な欧米人の宗教観がよく分からない…。
また、アメリカでは政権交代による最高裁判所の判事任命によって、保守、リベラルの構成が微妙に揺れることもあり、さらには州知事の色分けで法律によって、これまた家族の価値観など含めていろいろとあるそうな。そのあたりの、法律論争やら、価値観論争やら、アメリカの矛盾というか、多様性について考察している。筆致は本心はともかくとして(?)、中庸、中道的というか、特に偏ることもなく、大変参考になる本。

アメリカの「保守」「リベラル」に関する歴史的論争に関する本は、日本でも沢山出ている。いろいろと読んではきたが、本書も最新のアメリカ思想状況を知る上で役立つ本だと思う。

まぁ、人それぞれ。我が家とて、古女房とは価値観がある程度同じでも、少しは異なるもの。支持政党も異なるし?

アメリカでも、共和党と民主党の「党員」が結婚していて…といった本もあったかと。

中絶問題に関しては、未婚や強姦の場合、中絶も必要になるかなとも。それも許さないというのがアメリカの保守派、宗教右派?か。 といって、既婚者が安易に中絶するというのも解せない。自己責任(事故責任?)だろうに。
しかし、PC的に画一的な男女平等を主張するリベラル(左派)にも唖然とさせられることもある。同姓婚にしても……。

医療技術が進み、かつての難病患者が救われるというのはいいことだが、かつては困難だった中絶手術などが安易にできるようになったのは…。まぁ、ジキルとハイド…。仕方ないか。得るものがあれば失うものがあり、失うものがあれば得るものがある…。ダイナマイトが工事に役立つこともあれば、人殺しの道具になることも。ノーベルさんも悩んだ。適度な振動によって役立つ肩たたきマッサージ機が、意外な(?)使い方をされたりもするのだし……(これはどちらもメリット?)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「リベラル」にもいろいろとあるようで…。岩波朝日的リベラルと一線を画し「アベノミクス」を一部評価もするリベラル人の「正論」
(2017・9・4・月曜日)



北田暁大氏&栗原裕一郎氏&後藤和博氏の『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』 (イースト・プレス)を読んだ。

北田さんといえば、ちょうど一年前に読んだ本(鼎談本)があった。それは末尾に再録するとして、リベラルな方々による鼎談本。

ただ、内田樹氏や小熊英二氏や白井聡氏や、岩波朝日文化人などへの批判もあり、また、モリ・カケ問題が出る前に収録し、刊行された本ということもあるかもしれないが、基本的テーマは「アベノミクス」。

それを悪しざまに批判する岩波・朝日文化人などに対して、

「大学院に本当に学生が来なくなっていて困るぐらいに、本当に劇的に変わっている。初任給もそうですよね。でも左翼の中ではそこら辺はスーッと、ないことになっている(笑)。『非正規雇用が増えた』って、それ退職後のおっさんたちの再就職だから」「少なくともアベノミクス全否定はありえない」「それなのに、時々失敗している感じの経済指標とか見ると、大喜びでツイートしたりするでしょう。それはやっぱり、ちょっと病気だなと思ってしまう。よくなったところはいいじゃんという発想がなくて、『安倍危険』という思想が先に立ってしまっている。気持ちとしてはわからなくもないし、政治家として厳しく批判されてしかるべき人だと思うけれど、僕はそこまで安倍さん個人を悪魔化・非凡庸化したくはないので」((北田)

「僕がフォーロしている文学系、音楽系、思想・批評系の人たちは、ほぼ漏れなく反安倍ですね。アベノミクスなんてありえないという論調しか回ってこない」(栗原)

と論じたりして、評価すべき点もあるのだから、是々非々で考えるべきだという、きわめてまっとうな視点を提供しているのには感心さえした次第。

三浦瑠璃さんは「リベラルの皮をかぶった保守」、中島岳志は「保守を自称しながらリベラル的なことを言う」人で、両者は「鏡像」だという栗原さんの指摘ももっとも。

「僕、小熊さんを批判してからすっかり朝日から声が掛からなくなりました(笑)。社是なのでしょうかね。左翼の典型は小熊英二さんとか、今なら内田樹さんとかなのかな」(北田)。
「内田樹は左翼なのかなあ……、まあ、左翼なのか」(栗原)
「内田さんはいつ何が起こって、あんなド左翼になったんですか。憎たらしいぐらいの逆振りだったのに」(北田)


なるほど。そのほか、本田由紀さんや上野千鶴子さんや斎藤美奈子さんなど、女性論客の見解にも、是々非々の声が飛び交っている。個人的には、この三人の中からなら、本田さんが一番いい?(何が?)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!


(以下再録。長いので一部略)

「原発再稼働」より、危険な「(うさんくさい)リベラル再起動」?
(2016・10・1・土曜日)





橘玲氏の『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』 (幻冬舎)を読んだ。
以前、紹介した井上達夫氏の『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』 『憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 2』 (毎日新聞出版)にも似た内容で、大変面白い本だった。井上氏の本に対するエールも綴られてもいる。

冒頭、「リベラル」が嫌いなリベラリストへ—とある。
そこでは先ず森嶋通夫氏の「平和論」が批判的に取り上げられている。
ソ連が攻めてきたら「自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない」「秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方がずっと賢明だ」という立場から、関嘉彦氏の現実的平和論を彼は批判したのだが、橘氏は、こうした森嶋氏の平和論を批判している。
こういった、日本でリベラルを名乗る人たちこそが、「リベラリズムを歪曲し、リベラル(自由主義者)を僣称している」としている。同感だ。
僕は、関嘉彦氏のような人こそ、欧米社会に於ける価値観を共有する「リベラル」な知識人だと思う。だが、日本では、こういう人を「反共主義者」だとして貶めることが多い。関氏は、学者として民主社会主義に関する本を多々出しており、また民社党の国会議員にもなった人だ。本当の意味で「リベラル」「社民」系の知識人だろう。

そのあたりは、彼の『私と民主社会主義 天命のままに八十年余年』 (日本図書刊行会)や、林健太郎氏と共著の『戦後日本の思想と政治』 (自由社)をひもとけば明白だろう。岩波「世界」の「三たび平和について」(声明)の偽善などを俎上にのせていたが、あの声明こそ、反知性主義、反リベラルな空想的平和運動屋の「教典」というしかあるまい。その偽善性は、関氏のみならず、稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文藝春秋・PHP研究所)でも詳述されている。左右の全体主義を批判する視点を欠いていては「リベラル」を名乗る資格はそもそもあるまい。

その森嶋氏だが、彼の「平和論」、実は、共産圏を祖国とみなす軽蔑すべき意味での「ナショナリズム」でしかなかったようだ。というのも、「文藝春秋スペシャル2016秋号」にて、元朝日記者の永栄潔氏がこんなことを書いていた。
1990年前後に、森嶋氏が一時帰国したころ、朝日新聞社にて社員向けの講演をしたことがあるという。こんな内容だったとのこと。

森嶋氏はアメリカの好戦性を力説した。必ず中国を侵略するという。「その時は、われわれも、銃を執り、中国人民とともに、闘うのです!」。それは絶叫とも言える咆哮だった。
二百人を超す社員が聴いていたが、私だけでなく、誰からも質問は出なかった。関・森嶋論争に固唾を飲んだ読書人のためにも、森嶋氏に「週刊朝日」や「月刊Asahi」への寄稿を願い出るべきだったと今も悔やんでいる。


いやはや、こういう偏った人を自由世界で「リベラル」と呼んではいけない! ソ連相手にはさっさと降伏しろ、米中戦争では、日米安保も無視して、銃をもってアメリカと戦えというのだから。1985年に死去していた向坂逸郎センセイもびっくりだろう。「朋あり遠方より来たる」と感激? いや、当時は中ソ対立時代だから、「天国」でちょっと複雑な心境だったかも? 敵の敵は味方?

ともあれ、橘氏は、井上氏の本同様、極端な右寄りの人々の見解も俎上にのせつつも、おおむね、リベラルを偽証する日本独特のリベラルの知的限界を小気味よく解剖解析している。そのケーススタディとして「沖縄集団自決裁判」をめぐる大江健三郎氏などと元軍人の争いなどを取り上げている。曽野綾子さんなども登場。「慰安婦」問題同様の言葉の定義などの不確定などもあって、事実がいろいろと切り取られている状況を詳しく説明もしている。

曽野さんと違って、関係者に取材をしなかったリベラルの思想的貧困さが浮き彫りにもされている。「取材すれば不都合な事実が出てくることをうすうす知っていたから」しなかったのではないかとの指摘も正しいだろう。

「リベラルこそが保守派・右翼に先立って、憲法に自衛隊の存在を明記し、国家の暴力装置を法の支配の下に置いて民主的に統制するよう主張しなければなりません」と指摘。ただ、関さんなどは、本当のリベラルであり、実際、そういう改憲を主張もしていたかと。ただ、左翼全体主義(共産主義)を、「民主主義」の一派と見なしがちな、日本型特殊リベラルが、日本では多数派だったために、関嘉彦さんのような人々(そのほか、猪木正道氏、武藤光朗氏など)は「反共リベラル」という風に軽視されてしまった感がある。

そのほか、労働条件などに関する「リベラル」な見解とは…といった指摘などもなるほどと一読。

(略)
それにつけても、井上氏の本や、橘氏の本を読んだあとに、北田暁大氏&白井聡氏&五野井郁夫氏の『リベラル再起動のために』 (毎日新聞出版)を読み出すと、あぁ…とため息がでてくる。この本こそ、井上氏や橘氏が批判的に取り上げている、典型的な日本型リベラルの悪しき見本でしかないからだ。

冒頭、白井氏が、 「この国が国民主権の国家であるかぎり、国民が認知症患者の暴走に付き合い続けなければならぬ義理など断じてないのです」と指摘。この「認知症患者」とは、安倍首相のことのようだ。
この文の前に、 「安倍晋三氏は、立憲主義も三権分立も理解しておらず、ポツダム宣言も読んでいないというエピソードに見られるように、知的には極度に怠惰です」と指摘し、彼の意向が濃厚に反映された憲法草案が「まともなものになるわけがないと、本当は身内でも分かっている」のに「それを止めようとしないのは、安倍氏が、彼にとってお祖父さん(岸信介)の遺志の実現である改憲に異常なまでの執念を燃やしてきたことを、みんな知っているからでしょう。ボケた人の半ばは個人事情に基づく執念に付き合ってあげているわけです」と記しているから。

まぁ、僕も向坂逸郎さんの発言を読んで、この人、その時、もしかして認知症かボケ老人だったかもと指摘したことはあったかと。ただ、この人、ソ連のほうが日本より自由がある、社会党が政権を取れば、日本はワルシャワ条約機構に入るなんて放言(「諸君!」1977年7月号『マルクスよりもマルクス』。インタビュアーは田原総一朗氏)していたのだから、当時としても、やはりかなり「異常発言」。それ故に、そういう形容も許される? 1897年生まれだから、当時80歳近くだったし。
でも、自分のイデオロギーとあわないからといっても、1954年生まれの人相手に、そういう風に決めつけるのはいかがなものかと思う。

五野井郁夫さんにしても、図書館の『アンネの日記』破損事件の時は、いち早くホームズもびっくりするような予断で、2014年2月28日付朝日新聞で、次のようなコメントを出していた。

「日本社会が右傾化」と題して…。
首相の靖国参拝が一定の支持を集めるような社会の右傾化が背景にあるのではないか。歴史や領土の問題で中国や韓国に日本がおとしめられたと感じ、戦後の歴史観を否定しようとする人もいる。ネット上ではそうした意見が広がっており、戦勝国側の価値観を全て否定しようという意見さえ出始めている。
その延長線上で、敗戦国が反省すべき象徴とも言えるホロコーストに関する本が狙われたのではないか。
「ユダヤ人虐殺がうそならば、南京事件や慰安婦問題だって全否定でき、日本は悪くないと主張できる」というゆがんだ発想かもしれない。様々な意見はあるだろうが、史実に基づいて議論していくのが開かれた社会だ。


まぁ、そのあと、犯人は逮捕されたが、気象庁の「天気予想」ではないが、ちょっと的外れだったようで。

というのも、ウイキペディアに寄れば、逮捕された「男は精神科への通院歴があり、逮捕時から意味不明な供述を繰り返している[30]。刑事責任能力に問題があったため、本件の器物損壊罪での逮捕以降も男に対する匿名報道が続いた。3月19日の衆議院内閣委員会において、古屋圭司国家公安委員長は「(逮捕された男は)日本国籍である」と答弁している[31]。4月16日から6月16日まで専門家による精神鑑定が実施されていた[32]。6月20日、東京地方検察庁は被疑者が犯行当時心神喪失の状態にあったとして不起訴とした[33]。東京地検は「人種差別的な思想に基づくとは認められなかった」としているからだ。
「日本社会の右傾化」とは何の関係もなかったようで?

北田さんというと、仲正昌樹氏が「諸君!」に登場して、リベラル派知識人の悪口を言ったということで、トーク対談を止めたと報じられたこともあった人かと。

そのあたりの詳しい本当の事情はわからないが、でも、この三人の中では、一番マトモで、時々、ふむふむそうだよなと感じるところもあった。

ただ、北田さんが、 「私などは『信用ならない民社党右派』『自民党左派かも』ぐらいの位置づけで十分で、白井さんが私の話にやすやすの乗っかってしまうようでは困る。逆に言うと私が『左派』『リベラル』『左翼』として一括されるような状況が、現在の日本政治の歪みを表しているのではないか」とまで指摘しているのには若干疑問符が。関嘉彦さんと北田さんが同じ「民社系」ということはありえないから?

それにしても、山谷えり子氏や稲田朋美氏のような「ああいうオッサン以上にオッサンかした女性は取り立てられるけれども」との指摘(白井氏)などは、ちょっとイデオロギー露出過剰なレッテル貼りでしかない。

朝鮮学校の補助金提供を止めることに関しては、 「教育を受ける権利を侵害してはならないし、例外も許されない。なにせ東京の地方公共団体はエルドアン政権の独裁的な統治手法が国際的に問題視されているトルコの学校にだって、優遇しているのですから」と五野井氏は指摘している。だが、2016・9・29産経が報じていたように、朝鮮大学校は、朝鮮総連の指示を受けて在校生に、日米壊滅推進の手紙を書く運動などを展開しているとのこと。同じ「リベラル」でも(?)、元日共党員、平壌特派員の萩原遼さんなどは、朝鮮学校への公金支出には猛反対をしている。トルコがいくら国内的に独裁国家(?)といえども、日本向けてミサイルをぶっ放ししているわけでもなく、また、露骨な反日教育をしているわけでもなかろう。比較できないものを比較して、あたかも「五十歩百歩」だとみなすのは「悪しきリベラル」がよくやるトリック。 「五十歩一万歩」ほど違う現象を「五十歩百歩」にみなすのは反知性主義の最たる愚考だろう。
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「ネトウヨ」にも「テレサヨ」にもならずに生きていくには何が必要か?(2017・8・30・水曜日)


ネットでニューズウィークの記事を読んだ。

トランプ政治集会の中で聞いた、「優しい」支持者たちの本音(2017年8月24日(木)06時33分 小暮聡子・アリゾナ州フェニックス)
小暮記者は、日本のテレビ局でも大きく放送されたアリゾナのトランプ支持者たちの集会に入り、そこで支持者の声を取材している。メキシコ人と結婚している婦人もトランプを支援していたり、いわゆる白人至上主義者には見えない人たちが多々いたようで……。「ニューズウィーク」の記者だと知られても、アメリカのではなく「日本の~」ということで特に問題にもならず?


「トランプはレイシスト(人種差別主義者)ではない。私もレイシストじゃないわよ。夫はメキシコ人だしね」
カンザス州から18時間運転して、午前2時に着いたロレッタ・キャバレル 
キャバレルがトランプを支持する理由は明快だった。
――自分は「不法滞在の」移民に反対だ。夫の姪2人が3歳と4歳のときにメキシコからやって来て、10歳と11歳で彼女たちの両親が強制送還されると2人を自分たち夫婦の養子にして育ててきた。自分たちはすべて合法的な手続きをして、米国市民として多額の税金を納めている。夫の叔父はメキシコで、アメリカへの移民希望者リストに17年間も名前を載せて合法的に入国できる日を待っている。(ニュースで見た、トランプの大統領令を受けて今年2月に強制送還されたメキシコからの不法移民の女性は)社会保障番号を偽装していた。もし私が同じことをやったら、家族と離れ離れになることなんて誰にも気にされず刑務所送りにされるのに、なぜ不法移民だと保護せよと言うのか。トランプが国境に壁を作るというなら私は支持する。


このトランプ支援者の言い分は「正論」というしかあるまい。「不法移民」をきちんと法的に措置することに反対するのはおかしいだろう。

そして集会が終わると…。

私の目の前で、「ノーKKK、ノー人種差別のアメリカ、ノートランプ!」と合唱する若い女性たちに、トランプ支持者の白人男性が近づいていく。
「俺はKKKもナチスも支持しない。それでもトランプ支持者は全員レイシストだっていうのか?」と冷静に話をしようとする男性に対して、女性たちは「トランプを支持している限りレイシストだ!」と中指を立て、それでも話を続けようとする男性に叫び続けた。ここでは、抗議者の側が聞く耳を持たず、言葉の上では抗議者のほうが攻撃的に見える状況が繰り広げられていた。


こういうシーンをフェイクテレビは流さないのかしら?
 トランプが「暴動デモ」に関して、どっちも悪いといったことも、発生状況を考えると無理もない?  そのあたりはもちろん現場のことを知らないから即断はできないが、日本とて、沖縄の「平和運動」をやっていると称する反米デモの面々が、「暴力」的行為をして逮捕される例も一部にはある。ケースバイケースで、こういう問題は精査すべきだろう。単純に、こっちが正義、あっちは悪魔というわけではなさそうだ。「平和運動」団体にも、おかしいのがありそうだし、反韓国デモをする団体の中にも、まともなものもあるのでは。同じことはアメリカの各種団体の運動にもいえそうだ。

ともあれ、「ネトウヨ」ならぬ「テレサヨ」という言葉があるそうな。テレビばかりみて真実を知ったと思うような左翼人を指すようだ。岩田温さんのツイートに出てきたかと。全共闘世代は、定年世代で、朝からワイドショーなどを見る機会も多いようだから、そういう傾向もあるかも。実際、こんなデータが。


先日産経新聞(2017・8・22)に、総務省(情報通信政策研究所)調査によるテレビ視聴の傾向の世論調査結果が出ていた。ネットで本家本元の元データを確認したが、昨年11~12月。13歳から69歳までの男女1500人を対象に実施したもの。

平日1日あたりのテレビ利用時間(リアルタイム)は、全世代平均で前年より6・3分減って168分だったという。

10代は89分(前年比6・8分減少)、20代が112・8分(同15・2分減)。10代-20代は全世代平均を大幅に下回ったとのこと。若い人は年輩者よりテレビをみてないということだ。逆に、ネット利用時間は、10代、130・2分(同18分増)、20代、155・9分(同9分増)。

メディア別の信頼度は、新聞が70・1%と最も高く、テレビは65・5%。ネット33・8%、雑誌20・5%だったという。

報告書によると、
30代のテレビ利用時間は147・5分、ネット利用は115・3分。
40代は、テレビは160・5分、ネットは97・7分。
50代はテレビは180・6分、ネットは85・5分。
60代はテレビは259・2分、ネットは46・6分。


どういう番組をみているかはともかく、60代は、異常なほどテレビをみているようだ。やはり「ヒマ」な人が多い?  平日、図書館にいる人も60代以降が多い?
何をみているかは知らないが、某テレビ(TBS)局の週末の朝や夕方のニュースショー番組ばかりをみていれば「テレサヨ」にはなりそう?

2017・8・22読売&産経に、「放送法遵守を求める視聴者の会」の意見広告が出ていた。それによると、加計問題(7・10国会の閉会中審査)を扱ったテレビ報道時間合計8時間36分23秒のうち、


前川喜平(行政が歪められたと主張)さんの主張などが紹介された放送は2時間33分46秒もあったというのに、加戸守行(歪められた行政が正されたと主張)の主張を紹介したのは6分1秒、原英史(規制改革のプロセスに一点の曇りもないと主張)さんは2分35秒だったとのこと。これは放送法4条違反ではないかと。

それぞれの主張を引用しつつ批判を加えるということもありうるかもしれないが、まぁ、テレビだと、普通「言い分」を流すだけで終わりがちでは。それだけの時間格差は偏向とみられても仕方ないかも?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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「書店員の仕事」は複眼的であるべきでは? 「検閲官」になってはいけないのでは?
(2017・5・8・月曜日)


NR出版会編の『書店員の仕事』 (NR出版会)を拾い読みした。

出版社からのコメント→書店とはどういう空間なのか。書店員とはどういう仕事なのか――。
真摯に本に向き合い、読者に向き合い続ける59人の店頭からの声。
「NR出版会新刊重版情報」の7年半にわたる好評連載を待望の書籍化!!


ちなみに、NR出版会とはこういう団体。→出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NR出版会(NRしゅっぱんかい)は、日本の出版社団体である。NR は、確かではないがNon sect Radical(ノンセクト・ラジカル) の略ともいう。1969年8月、九社の小出版社により前身となるNRの会が発足した。1978年にはNRの会を中心に、再販制度廃止問題のために、出版流通対策協議会が設立された。1976年、組織変更をして協同組合に移行、NR出版共同組合となった。これにより業務協力で会員社の経営の効率化を図った。が、1996年、各社の経営状態や活動の模索などで足並みがそろわなくなったことを理由に、法人を解散、NR出版会として出版団体に再度衣替えとなった。
亜紀書房・インパクト出版会・現代人文社・新泉社・柘植書房新社・七つ森書館(2004年 - )
風媒社・論創社(2004年4月 - )
過去の会員社[編集]技術と人間(1982年 - )合同出版・創樹社・第三書館(1983年 - )凱風社(2005年 - )雲母書房・三元社・社会評論社* 新幹社* 同時代社* 日本経済評論社

まぁ、リベラル左派系出版社が多いが、時々「愛読」している出版社もなきにしもあらず。ただ、1984年ごろだったか、この前身であるNR出版共同組合が紀伊国屋書店と協力して「ジョージ・オーウェル『1984年』と管理社会」というブックフェアをやったことがあった。「全体主義」といわずに「管理社会」という言い方が、いかにも…という印象があったが、そのブックフェア用の小冊子で紹介されている本は、 『保安処分と精神医療』『女には産めない時もある』『狙われた教科書』『教育反動との闘いと解放教育』といった本だった。これは加盟していた出版社の本をセレクトしたからこんな風になったのかもしれないが、ちょっと偏りすぎた選択だった。
紀伊国屋書店も共催なら、せめて、みすず書房のハンナ・アレントの『全体主義の起源』やら、新潮社のジャン・フランソワ・ルヴェルの『全体主義の誘惑』とか、ソルジェニーツィンの『収容所群島』などもリストに入れるべきだった。

そういう本は、「反ソ的」だからヤバイということで無視された? ともあれ、今回の『書店員の仕事』の中にも、そういう知的レベルの人たちも若干(?)いるように見えたが……。

朝鮮戦争が誰が起こしたかを忘れて、戦争の犠牲で日本の復興が…といわれても…。金日成サマに感謝すべき?
「原発反対の棚」造りに信念を貫く書店員さんもいたようだが、そこには保守派の西尾幹二氏の『平和主義ではない「脱原発」』 (文藝春秋)も置かれただろうか? 保守派からの「原発反対論」は省略? いやいや、そもそも、それでも原発が必要だという立場の人の本も置いた上で、「原発反対の棚」ではなく「原発を考える棚」を作るのが「書店員の仕事」ではないか。

韓国中国を考える本コーナーを作るなら、ヘイト本とみなされるような本も、親中派の本もどちらも置けばいいのに、どちらか片一方の本しか置かない書店があるとしたら、それはどちらかに偏った書店であり、偏った思想信条の持主の書店員がいるんだなと思われても仕方あるまい(ただ、どちらかのほうが、より売れることにディレンマを感じる?)。
それが嵩じると、どっかの千葉の図書館の館員みたいに自分が好ましく思わない、読ませたくない保守派の著者の本を勝手に「焚書」にしてしまうようになるだろう。
右であれ、左であれ、真ん中であれ、それは「(戦後)民主主義」的人格ではないことになる。

これは一般論になるが、書店員の中には朝日新聞(や東京新聞や赤旗)の読みすぎかどうか知らないが、「書名」だけで反ヘイト本だと決めつけたりして、そういう本はなるべく置かないようにするのが良心的書店員だと勘違いする人も少なくないようだ。
何が「良書」であるかないかなど、人それぞれ。
単細胞的な価値観に基づいて「選書」などしてもらいたくもない。
もし、そんなことを実践する「書店員」がいたら、その人は単なる「検閲官」でしかない。


この本には模索舎の人も出てくる。政治信念は左派だろうが、持ち込まれる出版物に関しては「原則無審査」とのこと。それがベターだ。

僕は定年後、古本屋をやることはあっても(?)新刊書店を開くことはないと思う。万が一、新刊書店を開いても、原発推進、反対などに関して、一方の立場の本だけを置くつもりもない。原発棚を作るなら、賛成、反対、中間、さまざまな立場の本を扱うつもりだ。ただ、特定宗派の本は……。幸福の科学の、「名誉毀損」になりかねない本は…? いや、あれは「フィクション」コーナーを作ってそこに置く分はいいのかな?

ともあれ、「書店員」は、自分自身の好き嫌いは脇に置いて、もっと広い視野で選書すべきだろう。単細胞は困る?
以前、沖縄の大学の図書館の担当者が、地元新聞が、アメリカ軍からの寄贈書を図書館が受けることに不満を言ってほしそうな取材があった時、正論を述べて対応した事例を紹介したことがある。以下再録的に…。


山口真也氏の『図書館ノート 沖縄から「図書館の自由」を考える』 (教育史料出版会)を読んだ。書名などからして、なんとなく、急進的リベラル左派的な図書館関係者による、よくありがちな単純思考(単細胞思考)による「図書館の自由」論が展開されているのかと危惧したのだが……。
ギリギリセーフというか、ちゃんとした視点からの「図書館の自由」論であり、参考になった次第。ただ、千葉の某市図書館での、保守系筆者の本を「焚書」にした案件などが取り上げられていなかったのは残念?

とはいえ、沖縄の大学にいて、沖縄の図書館がアメリカ海兵隊の機関誌(「大きな輪」)を置いてあるのに反発した人たちがあって、それをどう思うかとの取材を地元新聞から受けたこともあったそうな。その機関誌にはアメリカ海兵隊員、女性を救うといった記事があったという(おお、これが事実でないなら問題になるだろうが、沖縄の地元二紙が報道しないような事実を報じていたら、多様な言論を保障する上でも貴重な雑誌として図書館が所蔵して何の問題もないのではないかと僕は思う。それを問題視する市民や、それを後押ししようとする地元新聞の「民主主義」感覚はやはり異常では?)。

著者は、電話取材を受けたようで、その時、記者の話では「住民から図書館に対して『県民感情とかけ離れている』という批判があったとのことだが、どのような立場から書かれた資料であるとしても、図書館は資料に対して中立的なスタンスを取るべきであるし、市民感覚とかけ離れているとしても、あるいはかけ離れているからこそ、この雑誌は沖縄の問題を考えるうえで貴重な研究資料になるはずである。蔵書に加えることには何の問題もないし、反対のスタンスを取る団体のチラシや集会資料なども積極的に集めることで蔵書のバランスを取りながら、市民の学習の場としての機能を保つべきだろう。寄贈された残部を図書館のロビー等に置くことについても、『思想と情報のひろば』『資料提供の自由』という図書館の機能をふまえて考えれば、あらゆる思想に対して開かれた場として機能しているのであれば、特に問題はないと思う(公共施設での宣伝目的でのチラシ類の配布を禁止する条例・規則等があれば別だが)。----これが電話取材に対する私の回答だったのだが、記者は批判的な意見を求めていたようで、電話口からはやや落胆したようすがうかがえた。そして、翌日の新聞には私のコメントは掲載されなかった」という。

ううむ、こういう偏った新聞は、つぶしたほうがいいのか? いやいや、そんなことはあるまいが、代りにどんなコメントが掲載されたのか気になるところ。図書館の自由をわきまえない単細胞的な口先リベラルの「民主主義者」の尊大な反米コメントのみが掲載されたのでなければいいのだが?

僕も愛読したことのあるナット・ヘントフの『誰だハックにいちゃもんつけるのは』 (集英社コバルト文庫)も俎上にのせられている。 『ハックルベリー・フィン』が黒人差別を助長するとして、高校の図書館で所蔵貸し出しするのはよくないことだ、いやそんなことはない云々というテーマの作品。

普通に考えても、日米安保や海兵隊や自衛隊を肯定する本、否定する本があれば、双方を所蔵するのが図書館の役目だろうに、イデオロギーの亡者になると、どちらの側にせよ、片方の本を焚書にしたがる傾向があるようだ(上述の千葉の某市図書館関係者は、左翼イデオロギーの亡者だったのだろうか?)。

『はだしのゲン』の貸出規制問題や、百田尚樹氏の沖縄新聞批判や、ツタヤ運営の図書館問題や、『アンネの日記破損事件』なども取り上げられている。

いわゆる「嫌韓本」「嫌中本」などに関する考察もある。この問題に関しては、単細胞的なリベラルな人たちが、ことさら問題にしているのではないかと僕は思っている。著者が勤務する大学の書籍フェアに、そういう本が陳列されていたことに苦言を呈する人もいたそうだが、「読書の目的はいろいろだから、学生は批判的な立場からその言論を知りたいと思ってリクエストした可能性もある。フェアコーナーにある嫌韓本は、有名な著者や出版社のものだから、学生なりに考えて選んだ跡も見られる。そもそも出版点数が多く、書店でベストセラーになっているジャンルの本が、一冊も図書館にないことの方が不自然である」と指摘しているのは正論だろう。

もっとも、編集者の責任であろうが、本書の139ページに「書店に溢れる嫌韓本・嫌中本」のキャプションで、書店の棚に並んでいる本の写真が掲載されている。もちろん、このキャプションが「ヘイトスピーチに溢れる嫌韓本」となっていれば、それだけで問題になろうが、まぁ、「嫌」がどういう定義になるかはともかくとして、写真を見ると、元中国大使の丹羽宇一郎氏の『中国の大問題』 (PHP新書)も載っている。この本、積んどくしているのでなんとも判断できないが、丹羽さんは別に反中派ではないはず。もちろん、この本、アマゾンのレビューなどを見ると、いろいろなコメントがあるし、広い意味で中国の問題点を指摘もしていて、ある意味で「、「嫌中本」と言えるのかもしれないが、世の中、朝日新聞などが言いたげな意味での「嫌中本」とは一味違うのでは。この写真とキャプションはちょっと不適切?

ともあれ、韓国の個々人ではなく、政府や学校が、竹島問題で、小学校レベルの生徒に日本の国旗を足蹴にするような絵を書かせて展覧したりする様を「品性下劣」だと評したりする程度は言論の自由の範囲内であり、ヘイトスピーチとも無関係であろうと僕は思う。それすらも「ヘイトスピーチ」だという人がいれば、言論の自由の破壊者だろう。

ともあれ、著者の視点は「多様な言論」を保障する場としての「図書館」の意義を高く評価しており、それは同感。

昔、あるところで、資料室の資料蒐集を担当する図書委員みたいなことをしていたことがある。ある人は、講談社学術文庫は素晴らしいので、これは出次第、全冊購入するといいですねと。まぁ、正論ではある。あるリベラル左派の女性は、こんな失礼なことを僕に言っていた。「古本虫さんは、右寄りだから、そちら系統の本ばかり集めたりしないか心配なんですが」と。「いえいえ、お嬢様、右寄りの本は少数意見ですので、貴重ですから全部買ってでも読みます。リベラル左派の左寄りの本は、買ってまで読みたいと思わないので、資料室でどんどん購入していきましょう」と回答したものだった? 30数年前の話。

それはさておき、元少年Aの『絶歌』 (太田出版)の図書館での扱いに於ける「差」についての考察も参考になる。蔵書として蒐集する図書館もあれば、しない図書館もあったり。貸出の年齢制限をすべきかどうかなど。『絶歌』も積んどくしていて読んでないが、こういうテーマで僕がすぐに連想するのは、図書館はなぜフランス書院文庫などを蒐集しないのか?と。

さすがの著者も、この分野の本の蒐集・貸し出し点の考察は本書ではしていない。「言論の自由」とは関係のない、大人の趣味の分野だから? いやいや、言論の自由に関して、ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』など無視できない重大問題のはず。
ちなみに都内図書館を調べてみると、フランス書院の本を蔵書として持っている図書館は少数派。フランス書院の別会社のプランタン出版のボーイズラブ的な本を持っている図書館はいくつかある(その分野の本を目黒図書館は134冊、町田図書館は285冊も所蔵しているのは異常?。八王子図書館はフランス書院の翻訳モノ『女教師』『芽生え』『十六歳の夜』『生娘』を所蔵。そのほか、 『熟女の「愛し方・愛され方」』も所蔵。この本は持ってない?)。国会図書館はヒット数は5395にもなる。さすが国会図書館?

ともあれ、リクエストなどで、 「すみません、私は「未亡人」の研究をしている者ですが、フランス書院文庫の新刊の神瀬知巳氏の『僕と五人の淫未亡人 僕の母、義母、兄嫁、ママ、彼女の母…』 を研究目的のために読みたく思っていますので、購入をお願いします」と近所の図書館に言ったら、どうなるだろうか? 著者がいる大学図書館にリクエストしたら購入してくれるだろうか? 購入不可の理由を文書で要求し、その理屈を研究するのもいいかも? 未成年者も利用する図書館なので、という公立図書館もあるかもしれないが、貸出の際、年齢制限を加えればいいのかも?
あと、八王子市民の一部市民たちが、図書館に詰め寄って、フランス書院のエロ本を何冊も所蔵しているのは、市民として恥ずかしい、焚書すべきだと圧力を加えたりしないか心配だな? 『誰だ「女教師」にいちゃもんつけるのは』なんて本も書けるかも? 目黒や町田図書館にもプランタン出版の本が多すぎるとクレームがついたりしたらどうなる? だって、ツタヤ運営の図書館に東南アジアプレイガイド本なんかがあるのけケシカランという声もあったかと(でも、その手の本、都内の図書館にもあった。二枚舌はよくない?)。

話を『書店員の仕事』に戻す。
さきほどの「原発反対の棚」を作った「書店員」が、日本共産党直営の「人民書店」の人ならまぁ、まだわかる。特定のイデオロギーに基づく書店運営をしている個性的な書店なら、そういう「信念」に基づいて、一方的な選書をするのもまた「言論の自由」であろう。しかし、所属を拝見すると、誰もが知っている大手書店ではないか。そういう書店が、そういう棚造りをするというのには違和感を覚える。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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