古本虫がさまよう 思想
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「リベラル」にもいろいろとあるようで…。岩波朝日的リベラルと一線を画し「アベノミクス」を一部評価もするリベラル人の「正論」
(2017・9・4・月曜日)



北田暁大氏&栗原裕一郎氏&後藤和博氏の『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』 (イースト・プレス)を読んだ。

北田さんといえば、ちょうど一年前に読んだ本(鼎談本)があった。それは末尾に再録するとして、リベラルな方々による鼎談本。

ただ、内田樹氏や小熊英二氏や白井聡氏や、岩波朝日文化人などへの批判もあり、また、モリ・カケ問題が出る前に収録し、刊行された本ということもあるかもしれないが、基本的テーマは「アベノミクス」。

それを悪しざまに批判する岩波・朝日文化人などに対して、

「大学院に本当に学生が来なくなっていて困るぐらいに、本当に劇的に変わっている。初任給もそうですよね。でも左翼の中ではそこら辺はスーッと、ないことになっている(笑)。『非正規雇用が増えた』って、それ退職後のおっさんたちの再就職だから」「少なくともアベノミクス全否定はありえない」「それなのに、時々失敗している感じの経済指標とか見ると、大喜びでツイートしたりするでしょう。それはやっぱり、ちょっと病気だなと思ってしまう。よくなったところはいいじゃんという発想がなくて、『安倍危険』という思想が先に立ってしまっている。気持ちとしてはわからなくもないし、政治家として厳しく批判されてしかるべき人だと思うけれど、僕はそこまで安倍さん個人を悪魔化・非凡庸化したくはないので」((北田)

「僕がフォーロしている文学系、音楽系、思想・批評系の人たちは、ほぼ漏れなく反安倍ですね。アベノミクスなんてありえないという論調しか回ってこない」(栗原)

と論じたりして、評価すべき点もあるのだから、是々非々で考えるべきだという、きわめてまっとうな視点を提供しているのには感心さえした次第。

三浦瑠璃さんは「リベラルの皮をかぶった保守」、中島岳志は「保守を自称しながらリベラル的なことを言う」人で、両者は「鏡像」だという栗原さんの指摘ももっとも。

「僕、小熊さんを批判してからすっかり朝日から声が掛からなくなりました(笑)。社是なのでしょうかね。左翼の典型は小熊英二さんとか、今なら内田樹さんとかなのかな」(北田)。
「内田樹は左翼なのかなあ……、まあ、左翼なのか」(栗原)
「内田さんはいつ何が起こって、あんなド左翼になったんですか。憎たらしいぐらいの逆振りだったのに」(北田)


なるほど。そのほか、本田由紀さんや上野千鶴子さんや斎藤美奈子さんなど、女性論客の見解にも、是々非々の声が飛び交っている。個人的には、この三人の中からなら、本田さんが一番いい?(何が?)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!


(以下再録。長いので一部略)

「原発再稼働」より、危険な「(うさんくさい)リベラル再起動」?
(2016・10・1・土曜日)





橘玲氏の『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』 (幻冬舎)を読んだ。
以前、紹介した井上達夫氏の『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』 『憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 2』 (毎日新聞出版)にも似た内容で、大変面白い本だった。井上氏の本に対するエールも綴られてもいる。

冒頭、「リベラル」が嫌いなリベラリストへ—とある。
そこでは先ず森嶋通夫氏の「平和論」が批判的に取り上げられている。
ソ連が攻めてきたら「自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない」「秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方がずっと賢明だ」という立場から、関嘉彦氏の現実的平和論を彼は批判したのだが、橘氏は、こうした森嶋氏の平和論を批判している。
こういった、日本でリベラルを名乗る人たちこそが、「リベラリズムを歪曲し、リベラル(自由主義者)を僣称している」としている。同感だ。
僕は、関嘉彦氏のような人こそ、欧米社会に於ける価値観を共有する「リベラル」な知識人だと思う。だが、日本では、こういう人を「反共主義者」だとして貶めることが多い。関氏は、学者として民主社会主義に関する本を多々出しており、また民社党の国会議員にもなった人だ。本当の意味で「リベラル」「社民」系の知識人だろう。

そのあたりは、彼の『私と民主社会主義 天命のままに八十年余年』 (日本図書刊行会)や、林健太郎氏と共著の『戦後日本の思想と政治』 (自由社)をひもとけば明白だろう。岩波「世界」の「三たび平和について」(声明)の偽善などを俎上にのせていたが、あの声明こそ、反知性主義、反リベラルな空想的平和運動屋の「教典」というしかあるまい。その偽善性は、関氏のみならず、稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文藝春秋・PHP研究所)でも詳述されている。左右の全体主義を批判する視点を欠いていては「リベラル」を名乗る資格はそもそもあるまい。

その森嶋氏だが、彼の「平和論」、実は、共産圏を祖国とみなす軽蔑すべき意味での「ナショナリズム」でしかなかったようだ。というのも、「文藝春秋スペシャル2016秋号」にて、元朝日記者の永栄潔氏がこんなことを書いていた。
1990年前後に、森嶋氏が一時帰国したころ、朝日新聞社にて社員向けの講演をしたことがあるという。こんな内容だったとのこと。

森嶋氏はアメリカの好戦性を力説した。必ず中国を侵略するという。「その時は、われわれも、銃を執り、中国人民とともに、闘うのです!」。それは絶叫とも言える咆哮だった。
二百人を超す社員が聴いていたが、私だけでなく、誰からも質問は出なかった。関・森嶋論争に固唾を飲んだ読書人のためにも、森嶋氏に「週刊朝日」や「月刊Asahi」への寄稿を願い出るべきだったと今も悔やんでいる。


いやはや、こういう偏った人を自由世界で「リベラル」と呼んではいけない! ソ連相手にはさっさと降伏しろ、米中戦争では、日米安保も無視して、銃をもってアメリカと戦えというのだから。1985年に死去していた向坂逸郎センセイもびっくりだろう。「朋あり遠方より来たる」と感激? いや、当時は中ソ対立時代だから、「天国」でちょっと複雑な心境だったかも? 敵の敵は味方?

ともあれ、橘氏は、井上氏の本同様、極端な右寄りの人々の見解も俎上にのせつつも、おおむね、リベラルを偽証する日本独特のリベラルの知的限界を小気味よく解剖解析している。そのケーススタディとして「沖縄集団自決裁判」をめぐる大江健三郎氏などと元軍人の争いなどを取り上げている。曽野綾子さんなども登場。「慰安婦」問題同様の言葉の定義などの不確定などもあって、事実がいろいろと切り取られている状況を詳しく説明もしている。

曽野さんと違って、関係者に取材をしなかったリベラルの思想的貧困さが浮き彫りにもされている。「取材すれば不都合な事実が出てくることをうすうす知っていたから」しなかったのではないかとの指摘も正しいだろう。

「リベラルこそが保守派・右翼に先立って、憲法に自衛隊の存在を明記し、国家の暴力装置を法の支配の下に置いて民主的に統制するよう主張しなければなりません」と指摘。ただ、関さんなどは、本当のリベラルであり、実際、そういう改憲を主張もしていたかと。ただ、左翼全体主義(共産主義)を、「民主主義」の一派と見なしがちな、日本型特殊リベラルが、日本では多数派だったために、関嘉彦さんのような人々(そのほか、猪木正道氏、武藤光朗氏など)は「反共リベラル」という風に軽視されてしまった感がある。

そのほか、労働条件などに関する「リベラル」な見解とは…といった指摘などもなるほどと一読。

(略)
それにつけても、井上氏の本や、橘氏の本を読んだあとに、北田暁大氏&白井聡氏&五野井郁夫氏の『リベラル再起動のために』 (毎日新聞出版)を読み出すと、あぁ…とため息がでてくる。この本こそ、井上氏や橘氏が批判的に取り上げている、典型的な日本型リベラルの悪しき見本でしかないからだ。

冒頭、白井氏が、 「この国が国民主権の国家であるかぎり、国民が認知症患者の暴走に付き合い続けなければならぬ義理など断じてないのです」と指摘。この「認知症患者」とは、安倍首相のことのようだ。
この文の前に、 「安倍晋三氏は、立憲主義も三権分立も理解しておらず、ポツダム宣言も読んでいないというエピソードに見られるように、知的には極度に怠惰です」と指摘し、彼の意向が濃厚に反映された憲法草案が「まともなものになるわけがないと、本当は身内でも分かっている」のに「それを止めようとしないのは、安倍氏が、彼にとってお祖父さん(岸信介)の遺志の実現である改憲に異常なまでの執念を燃やしてきたことを、みんな知っているからでしょう。ボケた人の半ばは個人事情に基づく執念に付き合ってあげているわけです」と記しているから。

まぁ、僕も向坂逸郎さんの発言を読んで、この人、その時、もしかして認知症かボケ老人だったかもと指摘したことはあったかと。ただ、この人、ソ連のほうが日本より自由がある、社会党が政権を取れば、日本はワルシャワ条約機構に入るなんて放言(「諸君!」1977年7月号『マルクスよりもマルクス』。インタビュアーは田原総一朗氏)していたのだから、当時としても、やはりかなり「異常発言」。それ故に、そういう形容も許される? 1897年生まれだから、当時80歳近くだったし。
でも、自分のイデオロギーとあわないからといっても、1954年生まれの人相手に、そういう風に決めつけるのはいかがなものかと思う。

五野井郁夫さんにしても、図書館の『アンネの日記』破損事件の時は、いち早くホームズもびっくりするような予断で、2014年2月28日付朝日新聞で、次のようなコメントを出していた。

「日本社会が右傾化」と題して…。
首相の靖国参拝が一定の支持を集めるような社会の右傾化が背景にあるのではないか。歴史や領土の問題で中国や韓国に日本がおとしめられたと感じ、戦後の歴史観を否定しようとする人もいる。ネット上ではそうした意見が広がっており、戦勝国側の価値観を全て否定しようという意見さえ出始めている。
その延長線上で、敗戦国が反省すべき象徴とも言えるホロコーストに関する本が狙われたのではないか。
「ユダヤ人虐殺がうそならば、南京事件や慰安婦問題だって全否定でき、日本は悪くないと主張できる」というゆがんだ発想かもしれない。様々な意見はあるだろうが、史実に基づいて議論していくのが開かれた社会だ。


まぁ、そのあと、犯人は逮捕されたが、気象庁の「天気予想」ではないが、ちょっと的外れだったようで。

というのも、ウイキペディアに寄れば、逮捕された「男は精神科への通院歴があり、逮捕時から意味不明な供述を繰り返している[30]。刑事責任能力に問題があったため、本件の器物損壊罪での逮捕以降も男に対する匿名報道が続いた。3月19日の衆議院内閣委員会において、古屋圭司国家公安委員長は「(逮捕された男は)日本国籍である」と答弁している[31]。4月16日から6月16日まで専門家による精神鑑定が実施されていた[32]。6月20日、東京地方検察庁は被疑者が犯行当時心神喪失の状態にあったとして不起訴とした[33]。東京地検は「人種差別的な思想に基づくとは認められなかった」としているからだ。
「日本社会の右傾化」とは何の関係もなかったようで?

北田さんというと、仲正昌樹氏が「諸君!」に登場して、リベラル派知識人の悪口を言ったということで、トーク対談を止めたと報じられたこともあった人かと。

そのあたりの詳しい本当の事情はわからないが、でも、この三人の中では、一番マトモで、時々、ふむふむそうだよなと感じるところもあった。

ただ、北田さんが、 「私などは『信用ならない民社党右派』『自民党左派かも』ぐらいの位置づけで十分で、白井さんが私の話にやすやすの乗っかってしまうようでは困る。逆に言うと私が『左派』『リベラル』『左翼』として一括されるような状況が、現在の日本政治の歪みを表しているのではないか」とまで指摘しているのには若干疑問符が。関嘉彦さんと北田さんが同じ「民社系」ということはありえないから?

それにしても、山谷えり子氏や稲田朋美氏のような「ああいうオッサン以上にオッサンかした女性は取り立てられるけれども」との指摘(白井氏)などは、ちょっとイデオロギー露出過剰なレッテル貼りでしかない。

朝鮮学校の補助金提供を止めることに関しては、 「教育を受ける権利を侵害してはならないし、例外も許されない。なにせ東京の地方公共団体はエルドアン政権の独裁的な統治手法が国際的に問題視されているトルコの学校にだって、優遇しているのですから」と五野井氏は指摘している。だが、2016・9・29産経が報じていたように、朝鮮大学校は、朝鮮総連の指示を受けて在校生に、日米壊滅推進の手紙を書く運動などを展開しているとのこと。同じ「リベラル」でも(?)、元日共党員、平壌特派員の萩原遼さんなどは、朝鮮学校への公金支出には猛反対をしている。トルコがいくら国内的に独裁国家(?)といえども、日本向けてミサイルをぶっ放ししているわけでもなく、また、露骨な反日教育をしているわけでもなかろう。比較できないものを比較して、あたかも「五十歩百歩」だとみなすのは「悪しきリベラル」がよくやるトリック。 「五十歩一万歩」ほど違う現象を「五十歩百歩」にみなすのは反知性主義の最たる愚考だろう。
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「ネトウヨ」にも「テレサヨ」にもならずに生きていくには何が必要か?(2017・8・30・水曜日)


ネットでニューズウィークの記事を読んだ。

トランプ政治集会の中で聞いた、「優しい」支持者たちの本音(2017年8月24日(木)06時33分 小暮聡子・アリゾナ州フェニックス)
小暮記者は、日本のテレビ局でも大きく放送されたアリゾナのトランプ支持者たちの集会に入り、そこで支持者の声を取材している。メキシコ人と結婚している婦人もトランプを支援していたり、いわゆる白人至上主義者には見えない人たちが多々いたようで……。「ニューズウィーク」の記者だと知られても、アメリカのではなく「日本の~」ということで特に問題にもならず?


「トランプはレイシスト(人種差別主義者)ではない。私もレイシストじゃないわよ。夫はメキシコ人だしね」
カンザス州から18時間運転して、午前2時に着いたロレッタ・キャバレル 
キャバレルがトランプを支持する理由は明快だった。
――自分は「不法滞在の」移民に反対だ。夫の姪2人が3歳と4歳のときにメキシコからやって来て、10歳と11歳で彼女たちの両親が強制送還されると2人を自分たち夫婦の養子にして育ててきた。自分たちはすべて合法的な手続きをして、米国市民として多額の税金を納めている。夫の叔父はメキシコで、アメリカへの移民希望者リストに17年間も名前を載せて合法的に入国できる日を待っている。(ニュースで見た、トランプの大統領令を受けて今年2月に強制送還されたメキシコからの不法移民の女性は)社会保障番号を偽装していた。もし私が同じことをやったら、家族と離れ離れになることなんて誰にも気にされず刑務所送りにされるのに、なぜ不法移民だと保護せよと言うのか。トランプが国境に壁を作るというなら私は支持する。


このトランプ支援者の言い分は「正論」というしかあるまい。「不法移民」をきちんと法的に措置することに反対するのはおかしいだろう。

そして集会が終わると…。

私の目の前で、「ノーKKK、ノー人種差別のアメリカ、ノートランプ!」と合唱する若い女性たちに、トランプ支持者の白人男性が近づいていく。
「俺はKKKもナチスも支持しない。それでもトランプ支持者は全員レイシストだっていうのか?」と冷静に話をしようとする男性に対して、女性たちは「トランプを支持している限りレイシストだ!」と中指を立て、それでも話を続けようとする男性に叫び続けた。ここでは、抗議者の側が聞く耳を持たず、言葉の上では抗議者のほうが攻撃的に見える状況が繰り広げられていた。


こういうシーンをフェイクテレビは流さないのかしら?
 トランプが「暴動デモ」に関して、どっちも悪いといったことも、発生状況を考えると無理もない?  そのあたりはもちろん現場のことを知らないから即断はできないが、日本とて、沖縄の「平和運動」をやっていると称する反米デモの面々が、「暴力」的行為をして逮捕される例も一部にはある。ケースバイケースで、こういう問題は精査すべきだろう。単純に、こっちが正義、あっちは悪魔というわけではなさそうだ。「平和運動」団体にも、おかしいのがありそうだし、反韓国デモをする団体の中にも、まともなものもあるのでは。同じことはアメリカの各種団体の運動にもいえそうだ。

ともあれ、「ネトウヨ」ならぬ「テレサヨ」という言葉があるそうな。テレビばかりみて真実を知ったと思うような左翼人を指すようだ。岩田温さんのツイートに出てきたかと。全共闘世代は、定年世代で、朝からワイドショーなどを見る機会も多いようだから、そういう傾向もあるかも。実際、こんなデータが。


先日産経新聞(2017・8・22)に、総務省(情報通信政策研究所)調査によるテレビ視聴の傾向の世論調査結果が出ていた。ネットで本家本元の元データを確認したが、昨年11~12月。13歳から69歳までの男女1500人を対象に実施したもの。

平日1日あたりのテレビ利用時間(リアルタイム)は、全世代平均で前年より6・3分減って168分だったという。

10代は89分(前年比6・8分減少)、20代が112・8分(同15・2分減)。10代-20代は全世代平均を大幅に下回ったとのこと。若い人は年輩者よりテレビをみてないということだ。逆に、ネット利用時間は、10代、130・2分(同18分増)、20代、155・9分(同9分増)。

メディア別の信頼度は、新聞が70・1%と最も高く、テレビは65・5%。ネット33・8%、雑誌20・5%だったという。

報告書によると、
30代のテレビ利用時間は147・5分、ネット利用は115・3分。
40代は、テレビは160・5分、ネットは97・7分。
50代はテレビは180・6分、ネットは85・5分。
60代はテレビは259・2分、ネットは46・6分。


どういう番組をみているかはともかく、60代は、異常なほどテレビをみているようだ。やはり「ヒマ」な人が多い?  平日、図書館にいる人も60代以降が多い?
何をみているかは知らないが、某テレビ(TBS)局の週末の朝や夕方のニュースショー番組ばかりをみていれば「テレサヨ」にはなりそう?

2017・8・22読売&産経に、「放送法遵守を求める視聴者の会」の意見広告が出ていた。それによると、加計問題(7・10国会の閉会中審査)を扱ったテレビ報道時間合計8時間36分23秒のうち、


前川喜平(行政が歪められたと主張)さんの主張などが紹介された放送は2時間33分46秒もあったというのに、加戸守行(歪められた行政が正されたと主張)の主張を紹介したのは6分1秒、原英史(規制改革のプロセスに一点の曇りもないと主張)さんは2分35秒だったとのこと。これは放送法4条違反ではないかと。

それぞれの主張を引用しつつ批判を加えるということもありうるかもしれないが、まぁ、テレビだと、普通「言い分」を流すだけで終わりがちでは。それだけの時間格差は偏向とみられても仕方ないかも?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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「書店員の仕事」は複眼的であるべきでは? 「検閲官」になってはいけないのでは?
(2017・5・8・月曜日)


NR出版会編の『書店員の仕事』 (NR出版会)を拾い読みした。

出版社からのコメント→書店とはどういう空間なのか。書店員とはどういう仕事なのか――。
真摯に本に向き合い、読者に向き合い続ける59人の店頭からの声。
「NR出版会新刊重版情報」の7年半にわたる好評連載を待望の書籍化!!


ちなみに、NR出版会とはこういう団体。→出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NR出版会(NRしゅっぱんかい)は、日本の出版社団体である。NR は、確かではないがNon sect Radical(ノンセクト・ラジカル) の略ともいう。1969年8月、九社の小出版社により前身となるNRの会が発足した。1978年にはNRの会を中心に、再販制度廃止問題のために、出版流通対策協議会が設立された。1976年、組織変更をして協同組合に移行、NR出版共同組合となった。これにより業務協力で会員社の経営の効率化を図った。が、1996年、各社の経営状態や活動の模索などで足並みがそろわなくなったことを理由に、法人を解散、NR出版会として出版団体に再度衣替えとなった。
亜紀書房・インパクト出版会・現代人文社・新泉社・柘植書房新社・七つ森書館(2004年 - )
風媒社・論創社(2004年4月 - )
過去の会員社[編集]技術と人間(1982年 - )合同出版・創樹社・第三書館(1983年 - )凱風社(2005年 - )雲母書房・三元社・社会評論社* 新幹社* 同時代社* 日本経済評論社

まぁ、リベラル左派系出版社が多いが、時々「愛読」している出版社もなきにしもあらず。ただ、1984年ごろだったか、この前身であるNR出版共同組合が紀伊国屋書店と協力して「ジョージ・オーウェル『1984年』と管理社会」というブックフェアをやったことがあった。「全体主義」といわずに「管理社会」という言い方が、いかにも…という印象があったが、そのブックフェア用の小冊子で紹介されている本は、 『保安処分と精神医療』『女には産めない時もある』『狙われた教科書』『教育反動との闘いと解放教育』といった本だった。これは加盟していた出版社の本をセレクトしたからこんな風になったのかもしれないが、ちょっと偏りすぎた選択だった。
紀伊国屋書店も共催なら、せめて、みすず書房のハンナ・アレントの『全体主義の起源』やら、新潮社のジャン・フランソワ・ルヴェルの『全体主義の誘惑』とか、ソルジェニーツィンの『収容所群島』などもリストに入れるべきだった。

そういう本は、「反ソ的」だからヤバイということで無視された? ともあれ、今回の『書店員の仕事』の中にも、そういう知的レベルの人たちも若干(?)いるように見えたが……。

朝鮮戦争が誰が起こしたかを忘れて、戦争の犠牲で日本の復興が…といわれても…。金日成サマに感謝すべき?
「原発反対の棚」造りに信念を貫く書店員さんもいたようだが、そこには保守派の西尾幹二氏の『平和主義ではない「脱原発」』 (文藝春秋)も置かれただろうか? 保守派からの「原発反対論」は省略? いやいや、そもそも、それでも原発が必要だという立場の人の本も置いた上で、「原発反対の棚」ではなく「原発を考える棚」を作るのが「書店員の仕事」ではないか。

韓国中国を考える本コーナーを作るなら、ヘイト本とみなされるような本も、親中派の本もどちらも置けばいいのに、どちらか片一方の本しか置かない書店があるとしたら、それはどちらかに偏った書店であり、偏った思想信条の持主の書店員がいるんだなと思われても仕方あるまい(ただ、どちらかのほうが、より売れることにディレンマを感じる?)。
それが嵩じると、どっかの千葉の図書館の館員みたいに自分が好ましく思わない、読ませたくない保守派の著者の本を勝手に「焚書」にしてしまうようになるだろう。
右であれ、左であれ、真ん中であれ、それは「(戦後)民主主義」的人格ではないことになる。

これは一般論になるが、書店員の中には朝日新聞(や東京新聞や赤旗)の読みすぎかどうか知らないが、「書名」だけで反ヘイト本だと決めつけたりして、そういう本はなるべく置かないようにするのが良心的書店員だと勘違いする人も少なくないようだ。
何が「良書」であるかないかなど、人それぞれ。
単細胞的な価値観に基づいて「選書」などしてもらいたくもない。
もし、そんなことを実践する「書店員」がいたら、その人は単なる「検閲官」でしかない。


この本には模索舎の人も出てくる。政治信念は左派だろうが、持ち込まれる出版物に関しては「原則無審査」とのこと。それがベターだ。

僕は定年後、古本屋をやることはあっても(?)新刊書店を開くことはないと思う。万が一、新刊書店を開いても、原発推進、反対などに関して、一方の立場の本だけを置くつもりもない。原発棚を作るなら、賛成、反対、中間、さまざまな立場の本を扱うつもりだ。ただ、特定宗派の本は……。幸福の科学の、「名誉毀損」になりかねない本は…? いや、あれは「フィクション」コーナーを作ってそこに置く分はいいのかな?

ともあれ、「書店員」は、自分自身の好き嫌いは脇に置いて、もっと広い視野で選書すべきだろう。単細胞は困る?
以前、沖縄の大学の図書館の担当者が、地元新聞が、アメリカ軍からの寄贈書を図書館が受けることに不満を言ってほしそうな取材があった時、正論を述べて対応した事例を紹介したことがある。以下再録的に…。


山口真也氏の『図書館ノート 沖縄から「図書館の自由」を考える』 (教育史料出版会)を読んだ。書名などからして、なんとなく、急進的リベラル左派的な図書館関係者による、よくありがちな単純思考(単細胞思考)による「図書館の自由」論が展開されているのかと危惧したのだが……。
ギリギリセーフというか、ちゃんとした視点からの「図書館の自由」論であり、参考になった次第。ただ、千葉の某市図書館での、保守系筆者の本を「焚書」にした案件などが取り上げられていなかったのは残念?

とはいえ、沖縄の大学にいて、沖縄の図書館がアメリカ海兵隊の機関誌(「大きな輪」)を置いてあるのに反発した人たちがあって、それをどう思うかとの取材を地元新聞から受けたこともあったそうな。その機関誌にはアメリカ海兵隊員、女性を救うといった記事があったという(おお、これが事実でないなら問題になるだろうが、沖縄の地元二紙が報道しないような事実を報じていたら、多様な言論を保障する上でも貴重な雑誌として図書館が所蔵して何の問題もないのではないかと僕は思う。それを問題視する市民や、それを後押ししようとする地元新聞の「民主主義」感覚はやはり異常では?)。

著者は、電話取材を受けたようで、その時、記者の話では「住民から図書館に対して『県民感情とかけ離れている』という批判があったとのことだが、どのような立場から書かれた資料であるとしても、図書館は資料に対して中立的なスタンスを取るべきであるし、市民感覚とかけ離れているとしても、あるいはかけ離れているからこそ、この雑誌は沖縄の問題を考えるうえで貴重な研究資料になるはずである。蔵書に加えることには何の問題もないし、反対のスタンスを取る団体のチラシや集会資料なども積極的に集めることで蔵書のバランスを取りながら、市民の学習の場としての機能を保つべきだろう。寄贈された残部を図書館のロビー等に置くことについても、『思想と情報のひろば』『資料提供の自由』という図書館の機能をふまえて考えれば、あらゆる思想に対して開かれた場として機能しているのであれば、特に問題はないと思う(公共施設での宣伝目的でのチラシ類の配布を禁止する条例・規則等があれば別だが)。----これが電話取材に対する私の回答だったのだが、記者は批判的な意見を求めていたようで、電話口からはやや落胆したようすがうかがえた。そして、翌日の新聞には私のコメントは掲載されなかった」という。

ううむ、こういう偏った新聞は、つぶしたほうがいいのか? いやいや、そんなことはあるまいが、代りにどんなコメントが掲載されたのか気になるところ。図書館の自由をわきまえない単細胞的な口先リベラルの「民主主義者」の尊大な反米コメントのみが掲載されたのでなければいいのだが?

僕も愛読したことのあるナット・ヘントフの『誰だハックにいちゃもんつけるのは』 (集英社コバルト文庫)も俎上にのせられている。 『ハックルベリー・フィン』が黒人差別を助長するとして、高校の図書館で所蔵貸し出しするのはよくないことだ、いやそんなことはない云々というテーマの作品。

普通に考えても、日米安保や海兵隊や自衛隊を肯定する本、否定する本があれば、双方を所蔵するのが図書館の役目だろうに、イデオロギーの亡者になると、どちらの側にせよ、片方の本を焚書にしたがる傾向があるようだ(上述の千葉の某市図書館関係者は、左翼イデオロギーの亡者だったのだろうか?)。

『はだしのゲン』の貸出規制問題や、百田尚樹氏の沖縄新聞批判や、ツタヤ運営の図書館問題や、『アンネの日記破損事件』なども取り上げられている。

いわゆる「嫌韓本」「嫌中本」などに関する考察もある。この問題に関しては、単細胞的なリベラルな人たちが、ことさら問題にしているのではないかと僕は思っている。著者が勤務する大学の書籍フェアに、そういう本が陳列されていたことに苦言を呈する人もいたそうだが、「読書の目的はいろいろだから、学生は批判的な立場からその言論を知りたいと思ってリクエストした可能性もある。フェアコーナーにある嫌韓本は、有名な著者や出版社のものだから、学生なりに考えて選んだ跡も見られる。そもそも出版点数が多く、書店でベストセラーになっているジャンルの本が、一冊も図書館にないことの方が不自然である」と指摘しているのは正論だろう。

もっとも、編集者の責任であろうが、本書の139ページに「書店に溢れる嫌韓本・嫌中本」のキャプションで、書店の棚に並んでいる本の写真が掲載されている。もちろん、このキャプションが「ヘイトスピーチに溢れる嫌韓本」となっていれば、それだけで問題になろうが、まぁ、「嫌」がどういう定義になるかはともかくとして、写真を見ると、元中国大使の丹羽宇一郎氏の『中国の大問題』 (PHP新書)も載っている。この本、積んどくしているのでなんとも判断できないが、丹羽さんは別に反中派ではないはず。もちろん、この本、アマゾンのレビューなどを見ると、いろいろなコメントがあるし、広い意味で中国の問題点を指摘もしていて、ある意味で「、「嫌中本」と言えるのかもしれないが、世の中、朝日新聞などが言いたげな意味での「嫌中本」とは一味違うのでは。この写真とキャプションはちょっと不適切?

ともあれ、韓国の個々人ではなく、政府や学校が、竹島問題で、小学校レベルの生徒に日本の国旗を足蹴にするような絵を書かせて展覧したりする様を「品性下劣」だと評したりする程度は言論の自由の範囲内であり、ヘイトスピーチとも無関係であろうと僕は思う。それすらも「ヘイトスピーチ」だという人がいれば、言論の自由の破壊者だろう。

ともあれ、著者の視点は「多様な言論」を保障する場としての「図書館」の意義を高く評価しており、それは同感。

昔、あるところで、資料室の資料蒐集を担当する図書委員みたいなことをしていたことがある。ある人は、講談社学術文庫は素晴らしいので、これは出次第、全冊購入するといいですねと。まぁ、正論ではある。あるリベラル左派の女性は、こんな失礼なことを僕に言っていた。「古本虫さんは、右寄りだから、そちら系統の本ばかり集めたりしないか心配なんですが」と。「いえいえ、お嬢様、右寄りの本は少数意見ですので、貴重ですから全部買ってでも読みます。リベラル左派の左寄りの本は、買ってまで読みたいと思わないので、資料室でどんどん購入していきましょう」と回答したものだった? 30数年前の話。

それはさておき、元少年Aの『絶歌』 (太田出版)の図書館での扱いに於ける「差」についての考察も参考になる。蔵書として蒐集する図書館もあれば、しない図書館もあったり。貸出の年齢制限をすべきかどうかなど。『絶歌』も積んどくしていて読んでないが、こういうテーマで僕がすぐに連想するのは、図書館はなぜフランス書院文庫などを蒐集しないのか?と。

さすがの著者も、この分野の本の蒐集・貸し出し点の考察は本書ではしていない。「言論の自由」とは関係のない、大人の趣味の分野だから? いやいや、言論の自由に関して、ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』など無視できない重大問題のはず。
ちなみに都内図書館を調べてみると、フランス書院の本を蔵書として持っている図書館は少数派。フランス書院の別会社のプランタン出版のボーイズラブ的な本を持っている図書館はいくつかある(その分野の本を目黒図書館は134冊、町田図書館は285冊も所蔵しているのは異常?。八王子図書館はフランス書院の翻訳モノ『女教師』『芽生え』『十六歳の夜』『生娘』を所蔵。そのほか、 『熟女の「愛し方・愛され方」』も所蔵。この本は持ってない?)。国会図書館はヒット数は5395にもなる。さすが国会図書館?

ともあれ、リクエストなどで、 「すみません、私は「未亡人」の研究をしている者ですが、フランス書院文庫の新刊の神瀬知巳氏の『僕と五人の淫未亡人 僕の母、義母、兄嫁、ママ、彼女の母…』 を研究目的のために読みたく思っていますので、購入をお願いします」と近所の図書館に言ったら、どうなるだろうか? 著者がいる大学図書館にリクエストしたら購入してくれるだろうか? 購入不可の理由を文書で要求し、その理屈を研究するのもいいかも? 未成年者も利用する図書館なので、という公立図書館もあるかもしれないが、貸出の際、年齢制限を加えればいいのかも?
あと、八王子市民の一部市民たちが、図書館に詰め寄って、フランス書院のエロ本を何冊も所蔵しているのは、市民として恥ずかしい、焚書すべきだと圧力を加えたりしないか心配だな? 『誰だ「女教師」にいちゃもんつけるのは』なんて本も書けるかも? 目黒や町田図書館にもプランタン出版の本が多すぎるとクレームがついたりしたらどうなる? だって、ツタヤ運営の図書館に東南アジアプレイガイド本なんかがあるのけケシカランという声もあったかと(でも、その手の本、都内の図書館にもあった。二枚舌はよくない?)。

話を『書店員の仕事』に戻す。
さきほどの「原発反対の棚」を作った「書店員」が、日本共産党直営の「人民書店」の人ならまぁ、まだわかる。特定のイデオロギーに基づく書店運営をしている個性的な書店なら、そういう「信念」に基づいて、一方的な選書をするのもまた「言論の自由」であろう。しかし、所属を拝見すると、誰もが知っている大手書店ではないか。そういう書店が、そういう棚造りをするというのには違和感を覚える。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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平成の世に甦る「竹山道雄」は、思想家の「金メダリスト」だ 「司馬史観」を上回る「竹山史観」
(2016・11・11・金曜日)





『ビルマの竪琴』 (新潮社)の著者である竹山道雄氏を知る人も少なくなっただろうか。辛うじて僕は謦咳に接したことがある。
ともあれ、 『竹山道雄セレクション Ⅰ 昭和の精神史』 (藤原書店)が刊行された。慶賀のいたり!

『昭和の精神史』は、新潮文庫や講談社学術文庫にも入っていたかと。藤原書店の本には、それ以外にもいろいろとエッセイなどが収録されている。 「ペンクラブの問題」は、パステルナークのノーベル文学賞受賞に対する日本ペンクラブの対応を批判した、来日中のアーサー・ケストラーの言動のことに触れている。一読正論! このころ、逆にケストラーの真摯な問いかけを、軽視したり批判したりしていた進歩的文化人たちが夏のゴキブリほどいたものだ(今も?)。

この前紹介した宮田昇氏の『小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃』 (みすず書房)の中に、小尾氏の日記(1951年)や「月刊みすず」の編集後記などが収録されているが、その中で、 「在日米人の奇矯なる日本趣味は御自由なれど、彼らの鼻持ちならぬ文人趣味と優越感にたいし、これまた劣等感の権化たちジャーナリストが阿諛根性まるだしの万歳。国際的ゴロツキ・ケストラーにしてやられ、何トカ基金のヒモツキで風見鶏を仰付けられている雲助の見分けもつかぬとは、何とお人好しの国であろう!」(1959年9月)と書かれているのには、いささか興ざめ。差別語のオンパレード。土人なみ?

ここで小尾氏が批判しているケストラーとは、アーサー・ケストラーのことであろう。1959年(昭和34年)に来日した際、日本ペンクラブに対する声明で物議をかもしたことがあったかと(この時、ケストラーの通訳をしたのは、たしか高坂正堯さん)。それは、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』 (時事通信社ほか)のノーベル賞受賞にまつわるソ連の嫌がらせに対して、きちんとした態度を示さない日本国内作家たちの「容共リベラル」的対応への批判であり、ケストラーの批判はもっともなことと僕は感じている。
そのあたりの経緯は、石原萠記氏の『戦後日本知識人の発言軌跡』『続・戦後日本知識人の発言軌跡 』 (自由社)に出ていたかと。石原氏はケストラー擁護派だった。「何トカ基金」関係もあったかと? その点で、小尾氏と石原氏とは対比列伝も可能かもしれないけど、 『石原萠記の戦後 自由社出発の頃』なる作品もあってもいいかもしれない? もっとも、石原氏は「反共リベラル」の立場に近い。日本の天皇制度にも一線を引いての立場かと。保守主義者ではなさそう。小尾氏と共通する土壌もあるかもしれない。

ともあれ、小尾氏がそういう知的態度だったから、アーサー・ケストラー の『 ケストラー自伝 目に見えぬ文字』 ( 彩流社、1993 )が、みすず書房から刊行されることはなかった? でも、レイモン・アロンの自叙伝、『レーモン・アロン回想録1&2』 (みすず書房)は訳出されているから感謝? 退社後であろうが、トニー・ジャットの本もみすずから出ている。

それはともかく、秦郁彦氏が解説(「竹山史観」の先駆性)を書いている。ううむ「東京裁判史観」をいち早く批判した「竹山史観」は「司馬史観」や「半藤史観」よりも立派かもしれない? 秦氏は、竹山さんの授業を聴いたこともあるそうな。牛村圭氏も一文(「竹山道雄にめぐり会えて」)を寄せている。

私淑であれ、謦咳に接してであれ、活字を通してであれ、尊敬できる物書きと出会えること喜ばしいことだと思う。僕にとって、竹山道雄さんは、そんな物書きの一人だ(ほかにも数人いる)。

ジキルとハイドではないが、「ハイド氏の裁判」というエッセイも藤原書店版には収録されている。

あぁ、仕事を離れて、こういう重厚長大本(570頁以上・値段4800円・税抜き)を一冊もって、汽車に乗って数日温泉宿にでも出かけるというのもいいものではないか。この本一冊あれば、かなりの時間を潰せるだろう。読み終えたら、再読するのもいい。『昭和の精神史』は何度となく再読した数少ない本だ。

しかし、現実は厳しい? 通勤電車でこの嵩張る本を読むのは物理的に困難だ。

とりあえずは、ジキル本は置いて、読みかけだったハイド本、草凪優氏の『人妻、預かります』 (双葉文庫)はすでに読了ずみ。ハッピーエンド(?)でなにより。引き続き、葉月奏太氏の『奥様は金メダル』 (双葉文庫)を読了。
カバーがイマイチの双葉文庫にしては、岐阜好き、いや義父好きの東凛さんのセミヌードを起用している点は評価できる?

内容紹介→大学卒業後、流されるままに実家の酒屋で働く田代聖一郎は、地元商店街の夏の一大イベント「浅羽サンバカーニバル」にも無関心。だが、配達先で待ち受けていたパン屋の美人妻、美登里から思わぬことを告げられる。「あなたを第18回人妻五輪の審判員に任命します」――実はサンバカーニバルの裏で4年に一度、商店街№1の金メダル奥様を選ぶ秘密イベントが開かれていたのだ。童貞の聖一郎は人妻たちの濃厚な性技を体を張って「ジャッジ」していく!長編書き下ろし。

いやはや、本当にバカバカしいストーリー展開なのだが、こんなことがあったら楽しいなとは思わせてくれる。童貞でないと審判員にはなれないというのもミソ。金メダルを取るためには、手段を選ばないということで、人妻の中には「違法ドラッグ」を使ってでも…(?)。そんなドーピング検査など、パロディも出てくる。「パイズリ早イカセ」競技などもある。ううむ……。4人の人妻相手に、そういうことができるとは……。

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キャロル・グラックよりジェイソン・モーガンがいい!
(2016・9・26・月曜日)





今日(2016・9・26)発売の「ウィル」(2016年11月号)の広告で、ジェイソン・モーガン(1977年生まれ)の「(こんなに恥ずかしい日本国憲法)さっさと破ってゴミ箱に捨ててください」というインタビュー記事があることを知った。ちょうど、彼の、日本での処女作『アメリカはなぜ日本を見下すのか? 間違いだらけの「対日歴史観」を正す』 (ワニブックス)を読み終えたところだった。この本、訳者名もないから、本人自ら執筆したのだろう。日本語も達者のようだ。

(内容紹介)→米国歴史学会を痛烈に批判し話題となった新進気鋭の米国人歴史学者、初の著書!
「日本について学べば学ぶほど、『自分の国の見方がおかしい』と思うようになった」
「なぜ日本だけが謝罪を求められるのか?」先の大戦において、米航空母艦の乗組員であった祖父から
「国の為に自分の命を捧げる日本の特攻隊員の潔さ」を教えられたのをきっかけに日本研究の道を志した
気鋭のアメリカ人歴史学者が、偏見に満ちた米国の「対日歴史観」に喝を入れる! 日本が新しい一歩を踏み出すための必読書。
アメリカはなぜ日本を見下すのか?その答えを一言で表現すれば、アメリカの政治、学会、 メディアが、人種差別的、進歩主義的なリベラル陣営に よって支配されているからである。日本人自身が戦後教育によって自虐的歴史観を刷り込まれてしまったということも否めない。しかし、そのような状況を作ったのも結局アメリカである。私がいきついた結論は、アメリカのみならず
世界が抱く誤った対日歴史観を早急に再検討する必要があるということだ。
――「はじめに」より



幼少の時、近所に住んでいた日本人家庭と接触し、日本に関心を持つようになったという。基本的には、アメリカのリベラル教育を受けて、太平洋戦争にしても、もちろん、アメリカが善玉で、ルーズベルトはアメリカの危機を救った偉人と考えて成長したとのこと。しかし、祖父の対日戦争体験などを聞き、複眼的な視点から現代史などを見直すようになっていく。やがて日本に留学、中国なども訪問。そうした諸国遍歴を経て、南京事件や慰安婦問題などでも、アメリカの歴史学者の浅薄な歴史観を批判するようになっていく。
そうした実証的な歴史見直しを行なう「歴史再審論者」(歴史修正主義)が、ナチスのアウシュビッツ虐殺はなかったといった陰謀論者といっしょくたにされたり、また「人間が月まで行ったことを疑う人や、エジプトのピラミッド宇宙人が作ったと主張する人や、飛行機雲は政府が市民を支配するために撒き散らしている麻薬だと喧伝する人などと一緒くたにされてしまった現在の風潮は、非常に残念であり、危ういものだ」と指摘しているが同感だ。

近年、ヘンリー・ストークスさんの『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』  (祥伝社新書)やケント・ギルバードさんなどによる「日本評価本」「進歩的文化人」批判の書が出るようになってきたが、植村隆朝日元記者をアメリカ講演行脚に招待するようなキャロル・グラックさんのようなリベラル左派の日本現代史研究者を批判しうる若手研究者として今後を期待したい。ケビン・ドークさんも、最近、一般向けの本として『日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本』 (ワック)を出しているが、まぁ、こういう人が、日本大使、日本公使やそれに準ずる公的な肩書を得て、広島長崎のみならず靖国神社に参拝していけば、いい時代になるのだろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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