元旦紙面を読んでは溜め息、三日ぶりに外出したらタバコの悪臭のシャワー…。家にいれば、タバコの悪臭に悩まされることはないのだから、さっさと帰宅して『GHQ ゴー・ホーム・クイックリー』 を読み終えよう!
元旦紙面を読んでは溜め息、三日ぶりに外出したらタバコの悪臭のシャワー…。家にいれば、タバコの悪臭に悩まされることはないのだから、さっさと帰宅して『GHQ ゴー・ホーム・クイックリー』 を読み終えよう!
(2019・1・2・水曜日)
12・30、31と自宅にこもって雑用。新聞を取りに行っただけで、敷地外には一歩も出ず。
元旦の新聞。日経と産経を読んだが、二部以降の「お節紙面」…。ううむ…。読書特集も特になし(日経がほんの片隅に書物関連のコラムがあった程度)。活字離れ、新聞離れが言われている「新聞」が、活字特集めいたものを第二部以降でやらないのだから……。
元旦の午後外へ。3日ぶりの外出。東京周辺は晴天。日中はそんなには寒くはない感じ。近所の某寿司屋へ。正月のせいか、臨時全面禁煙。しかし、出入口に青空喫煙を助長する灰皿を設置。吸っている人が一人(迷惑行為のなにものでもない。公道を歩く人にまずは迷惑。ドアの開き閉めによっては、店内に悪臭が流入する恐れもある)。本来、こういう中途半端な分煙店にはハードカレンシーは落とさないのだが…。 「回転しない寿司」をたまには食べたいと涙ながらに訴える古女房が煩くて、いや不憫で愛おしくて…(苦笑)。
やむをえず入店。店内は歌謡曲が流れているし…。イマイチだが、味はまぁまぁ。お通しの類も、不要ならださないという流儀(216円・税込み)。これはいいね。「串カツ田中」も見習うといいのではないか。せっかく終日全面禁煙にしたのはいいけど、あのキャベツが、あのお値段(250円。税込みかどうかは失念)でお通し代を取られるのでは、足を運ぶ気にはちょっとなれないから。子連れ家族4人で出かけたら、千円になる? アホらし。
この前、行った蕎麦屋は昔ながらに、凝ったお通しを出すし、酒を飲まず日本茶所望の妻にも出てくる始末。「選択の自由」がないのはいかがなものか。外国人客には、「アンビリーバブル」ではないかしら。常識に照らして、いささか不合理な「伝統」は廃止するか改善したほうがいい。
食後、近所のブックオフへ。これが古本屋初詣。1・4まで本は二割引ということもあって、「せどり」をしている人も。そこそこの人出。フフフ本コーナーをみるが、さほどの本はなし。二割引でも、小田原の某古本屋の250円には勝てないし……。
帰宅して(途中にも歩行喫煙者がウヨウヨ)読みかけの中路啓太氏の『GHQ ゴー・ホーム・クイックリー』 (文藝春秋)を読了。
(こんな内容)→ノンフィクション作家 保阪正康氏が絶賛!
昭和史の“静かな怪物”が、もう一人いた。
「この小説は、まさに“戦後史の岐路”を描いた一冊。現憲法は誰によって、どう作られたのか。占領する側、される側の闘いを再現させたドラマだ」
終戦直後の昭和二十一年の初め、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の方針に従い、国会内の委員会で政府試案をまとめたが、GHQは拒否。そればかりか、GHQ憲法草案を押し付けてきた。この案を翻訳し、日本の法律らしく形を整え、新憲法の下敷きにせよ、というのだ。
わずか二週間で翻訳にあたることになったのは、内閣法制局の佐藤達夫。吉田茂外相(当時)と話す機会を得た佐藤は、GHQ案の問題点をまくしたてる。それを聞いた吉田は、佐藤に言った。
「GHQは何の略だか知っているかね? ゴー・ホーム・クイックリーだ。『さっさと帰れ』だよ。総司令部が満足する憲法を早々に作っちまおうじゃないか。国の体制を整えるのは、独立を回復してからだ」
かつて司馬遼太郎は、『坂の上の雲』で、明治という時代の明暗と、近代国家誕生にかけた人々の姿を小説にした。
そして今、昭和史の分岐点を描いた小説が誕生した。
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保阪さんが絶賛というと、ちょっと引いてしまう人もいるかもしれないが……。日本国憲法制定過程を描いたノンフィクション・ノベルといったところ。
主人公は、実在した佐藤達夫さん。法制局長官にもなるが、敗戦後はまだ地位は低く、松本烝治大臣の指導の下、占領軍との折衝に携わっていた。そのあたりから物語が始まる……。
高校時代、政経の勉強のために、憲法関連の入門書を読もうとすると、岩波新書などにはロクな本がなかった。 『憲法読本』や、長谷川正安氏の『日本の憲法』など。一読惨憺本ばかりだった。
大学に入って、憲法の先生はまずまずの先生だったが、関連書として憲法の本を読もうと思っても、大概は自衛隊違憲説にこだわる左翼系学者の憲法本ばかり。辛うじて、法律の専門家として自衛隊合憲説などを唱えていたのが、林修三さん(中村菊男氏と共編の『自衛隊と憲法の解釈』有信堂、 『憲法の話』第一法規出版)や、佐藤達夫さん(『憲法講話』立花書房)。ほかにも西修さん。
佐藤達夫さんの『日本国憲法成立史』 (有斐閣)は、学生当時は入手困難本。いまは少し前に復刊されて、それは入手ずみだが…。重厚長大本なので、簡約本として『日本国憲法誕生記』 (中公文庫)がある。
そのほか、西修さんの『日本国憲法成立過程の研究』 (成文堂)は、箱入りのハードな本だが、 『ドキュメント 日本国憲法』 (三修社)や、 『日本国憲法はこうして生まれた』 (中公文庫)はハンディ。
この系統の本を、学生時代から社会人にかけて一読していたので、制定過程でGHQがいかに酷い威圧的な対応を取ったかはだいたい頭には入っていた。本書は、そうした既視感のある事実がおおむね正確に描かれている。草案を提示した時、アメリカ側が原子力がらみのたとえ話をしたり、上空を米軍機が飛んだりしたとか……。
女性の人権をことさら強調し、今日では女神のように扱われがちなシロタという女性も登場。いささか単細胞的に日本社会を「男尊女卑」であると決めつけ、それを改める条項をいれるべしと居丈高な彼女を、佐藤や白州次郎のみならず、米軍関係者もちょっと茶化したりもしているシーンなどもあったが、それは結構なことではなかろうか。
そのほか、芦田修正に関する諸説、文民条項の追記論争、シビリアン問題等々…。共産党が自衛戦争を認めない、天皇条項のある、この憲法はおかしいと批判している事実もちゃんと記述されている。昔も、そして今も、日本共産党の論理からすれば、「護憲」ではなく「改憲」の立場のはず。共産党が、二枚舌を憲法で使っていることが分かる本でもある。朝鮮戦争も、北朝鮮が南側に軍事侵攻を開始したと、主語を明確にして書いている。だから、保阪さんの推薦本だけど、「しんぶん赤旗」の書評欄では推奨はされない本かな?
佐藤達夫氏といえば植物好きというエピソードは、本書でもしばしば紹介されているが、以前、彼の『植物誌 絵と文』 (雪華社)を古本市で購入したことがある。その際、 佐藤氏は人事院総裁などを歴任し、憲法・法律がらみの著作のある、あの佐藤氏だが、こんな本があるとは知らなかった--と記した。
「本務をおろそかにして、わき道に熱中しているように誤解されそうである。しかし、これは、まったく業余の息ぬきであり、ひとさまがゴルフや麻雀を楽しみ、野球放送などに興じておられる時間をあててのわたしなりのレクリエーションなのだから、このくらいのあそびは許していただけるだろう」
おっしゃる通り! ---と書いたが、占領軍相手に徹夜仕事をしたりの激務。自宅では奥様が「内助の功」として、庭で家庭菜園をして、少しでも食料不足を解消しようとする。その庭に、佐藤さんの好きな、戦時中は消滅していたと思われていたスノードロップ(花言葉は「希望」)が復活……。年と共に勢いを増していく----。
本書であれ、さまざまなノンフィクションであれ、憲法制定過程を見れば、どう考えても、占領軍によって「押しつけられた」のが今の憲法だというのは否定できない事実。9条に関しては「芦田修正」によって、自衛隊合憲説が成り立つようには辛うじてなっているけど、「国家主権制限条項」であるのは明々白々。そのほかの条項にもいろいろと問題もあろうが、とりわけ、9条の弊害は大きい。そのあたり、すっきりと、自衛隊違憲説を唱えたくても唱えられないような9条改正にすればいいのにと思う。それに絶対反対を唱える人たちは、戦前の「空想的軍国主義者」と同様の思考様式を持つ「空想的平和主義者」でしかないと思う。
そういう空想主義者が戦争を招くことになるだろう。9条の精神をそんなに愛するなら、その精神に大きく違反している隣国にまず出かけて、9条を「押しつける」ぐらいの気概を持ってほしいものだが、その「隣国」が自らの思想信条の「母国」「ふるさと」のようだから、そうする意欲はゼロのようだ。だとすれば、目障り、耳障りだから、 『GHQ ゴー・ホーム・クイックリー』 といいたくなるね。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「セクハラ」より「ケムハラ」をなんとかしてほしい! そして、「日韓連帯」は遠い過去のこととなりしか? 吉田清治・「謝罪碑」と黒田福美・「祈願碑」の異なる悲劇 日韓友好は無理か? いやいや、ネバーセイネバー!
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(2018・5・7)
一昨日(5・5土曜日)は、午後、横浜へ。
所要すませついでに、日ノ出町の古本屋ナインブリックスへ。看板を改めて見たら「ナインブリックス」の下に「カネシバ書店」とある。はてな? 前からそうだっけ?
特に買いたいものはなし。いや、一冊あったが高い! あとで図書館で見たら、蔵書としてもっている図書館もあり。ただ、そこの図書館カードはもっていない。リクエストすれば、回り回って取り寄せもできようが…。詩集だから、それほど執着はないのだが…。
そのあと、川沿いにある英国風パブとスペインパブをチェックに。どちらも「禁煙店」になっているが…。オープンスタイルで、路上にも樽型テーブルなどを置いているが、そこは「喫煙可能ゾーン」。すると、そこで吸う人たちがいて、その悪臭が店内に流れてきそうな感じだった。ううむ…。これじゃ、「禁煙」の意味がないかな。食事するのは止しておこうかなと。出入口近くを安易に「青空喫煙所」にするのは邪道!!
関内に向かう。有隣堂前の青空ミニ古本市は買いたいものはなし。ユニクロでシャツを買う。最近、ユニクロで服を買うことも減った。イトーヨーカ堂が増えた。とりわけズボンはユニクロでは買わない。というのも…。
ユニクロはセンチ単位で、腹回りが79センチ、82センチ、85センチ…と3センチ単位で推移するモノが多い。
しかし、イトーヨーカ堂のズボンはアメリカモノだとインチ単位で、センチ単位に換算すると、83センチ、86センチ…となっている。この1センチの「差」があるかないかで…。ユニクロではなくイトーヨーカ堂にあるズボンを買うこのごろなり? 最近、ちょっと太りぎみだし…。
あと、ソックスもユニクロは25~27センチ止まり。イトーヨーカ堂は26~28センチのものがある。ここでも一センチの「差」で、我が身はユニクロではなくイトーヨーカ堂にハードカレンシーを落とすことが増えたこのごろ。
そのあと、2割引きセール中のブックオフを覗くが買いたい本はなし。
「活刻堂」(古本屋)に行こうかと思ったが、その手前に青空喫煙可能の灰皿が設置されていて、そこに数人がたむろ。そこを通らないと活刻堂に行けない。煙もうもう。「セクハラ」より酷い「ケムハラ」だ。断念。福島第一原発傍のような悪臭危険地帯。半径百メートルに人がいたら吸わない、吸わせない、喫煙所設置するなら、「青空喫煙所」は厳禁! 二重ドアの喫煙ルームのみ可という「常識」が定着するのは、日本では22世紀ぐらいにならないと無理な感じだね。遅れている。
ということで活刻堂にはタバコ飲みのために寄れず。店の前を青空喫煙所にするのは営業妨害と市役所に訴えるべきか?
昨日(5・6・日曜日)は、朝早くから書類整理…。午後、ちょっと近所のブックオフへ。20%引きセール最終日ということでいろいろと眺めた。
大森実氏の『日本はなぜ戦争に二度負けたか 国民不在の政治』 (中公文庫)が108円だったので購入。そのほか、ちょっと書名を書くのを遠慮したい「某欧州国」書院文庫を一冊。5・7から月末日まで全国のブックオフで使える10%引券をもらった。
そのあと、「てんや」で「天丼」(540円税込)。イカ無料券を使用。味噌汁もあって、漬け物も食べ放題。「いもや」を思うと…。まぁ、これからは「てんや」の「天丼」を食べる人生となりしか? 禁煙だし!
「いもや」といえばトンカツも。この前、某駅に入っていた「とんかつすみ田」に入ろうかと思案。禁煙かどうかの表示が入口にしていないので聞いたら「終日禁煙」とのこと。じゃ、まぁ、そのうちに…と。専門店ならば、やよい軒のトンカツ定食よりは美味しいだろうが?
書類整理の合間に、黒田福美氏の『夢のあとさき 帰郷祈願碑とわたし』 (三五館)を読んだ。涙なくして読めないノンフィクション。
(こんな内容)→「日韓」愛の女優・黒田福美が体感した「反日」の原型。 涙と絶望を乗り越えて描き切った、愛と闘いの実話。
1991年7月末――。
「僕はね、ここで死んだんですよ。自衛隊の飛行機乗りだったんです。天皇陛下の御為に死んだことに悔いはないんですがね、ただ一つ残念なことがあるんです。それはね、僕は朝鮮人だというのに日本人として『日本の名前』で死んだことなんですよ」
黒田さんの夢に現れた青年は、なんの屈託もないように笑いながらそう言ったそうな。
その夢のことを新聞に書いたりしたところ、靖国神社から、この朝鮮人のことでは…と。光山文博(みつやま・ふみひろ)こと、卓庚鉉(タク・キョン・ヒョン)さんのことを教えられたという。
この人はどんな人かと調べだす。
特攻基地「知覧」の語り部でもあった鳥濱トメさんの回想にも出てくる人で、よく知られている人。彼のために顕彰碑を作ろうとした人もすでにいた。
名越二荒之助さんが編纂した『日韓2000年の真実』 (ジュピター出版)にも、その経緯が出てきている。顕彰碑を作成したものの、碑文の内容に韓国側からいろいろと批判(特攻讃美だとか…)があって、実現しなかったとのこと。
黒田さんはそういう経緯を綴りながら、ご自身も顕彰というよりは慰霊のために何かをしようとして動き出す。その過程でいろいろとあったのだが、韓国側の理解も得て、半ば公的な事業として、彼の地元近くに立派な慰霊碑が作られ、日本からも慰霊のために有志の人たちがツアーとして落成式に参加することになったのだが……。
事態は急転直下…。左右の極端ともいうべき民族・左翼市民集団が、ケシカランと糾弾…。せっかくの慰霊も……。
まぁ、一部とはいえ、韓国人のなんともいえない自意識過剰というのか、単細胞丸出しの民族主義的偏見というか、平気でウソ、はったりを言う性格というのか…そういうもののために、せっかくの黒田さんの善意も通じないことに…。それでも、心ある韓国人の支援もあって、それなりの慰霊が…と。
日本人にも「ネトウヨ」とか、いろいろある。韓国人にもいろいろと。ただ、「ネトウヨ」とて、暴力行為などすれば、基本的に警察のごやっかいになってきた。
だが、韓国の公の機関の人々が、あまりにも「市民」を騙る「運動」に押されて弱腰すぎる傾向があるようだ。
「徴用工像」を釜山総領事館前に設置しようとした韓国の「市民団体」の暴挙を、韓国政府は警察を使ってなんとか阻止しているが……。やろうと思えばやれるのに…。
福田さんの本の中に、86歳の元日本兵でもあった韓国人老人の意見(朝鮮日報への投書)が翻訳されて載っている。「親日」だった人間を一方的に断罪しているが、おかしいではないかと。正論だ。
兄が戦死して祀られているので靖国神社に参拝する韓国人もいるという。
「首相の靖国参拝を反対する人がいるけれど、私は朝鮮人戦没者に対しても首相が靖国神社を参拝し、頭を下げてくれるのは当然のことだと思います」と。「しかしこのような意見は、日本でも韓国でも決して取り上げられることはない」と。
黒田さんの本に出てくる韓国の左右の糾弾型市民団体に似たようなモノは日本にもあるだろう。我こそは正義と百%信じ込んでいる集団にありがちな行動様式は古今東西共通するものがあるから。
大高未貴氏の『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』 (産経新聞図書)は、逆に、間違ったことを書いた吉田清治の謝罪碑を撤去し、正しい言葉による慰霊碑を設置しようとした経緯を追っている。吉田長男の依頼で,韓国まで出かけ、その碑を修正した奥茂治氏が逮捕されたりもする事件が発生もした。
冷静に考えれば、奥さんがやったことも、福田さんがやったことも、善意に基づくもの。少なくとも居丈高に撤去を求めたりするのは、人間としての最低限度の知性もない蛮行というしかない。
残念ながら、韓国の市民と称する団体の中には、そういう非常識、反知性主義の塊のような人たちが少なくないようだ。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
「念仏護憲論」から脱却した「護憲的改憲論」か「改憲的護憲論」かが問われる時代にやっとなってきたのか? しかし安倍スキャンダルを針小棒大に騒ぐ「念仏護憲教徒」は未だ健在な~り?
(2018・3・16)
昨年の11月に、不始末(?)からネット検索ができなくなった千代田区立図書館がやっと3月中旬になって「復旧」したようだ。まぁ、のんびりお役所、親方日の丸型復旧だこと? 3・11のときに「ストライキ」を決行して、唯一電車の運行を拒絶した同じ親方日の丸組織のJR東日本もびっくりではないか? 4カ月も何をしていたのだろうか? その間、図書館に行くことはほとんどなかったが…。お暇だったのかしら?
普通に新システム導入のために、年末年始なんかを利用して2~3週間ほどネット検索ができなくなったりすることはよくある。そして新システムを導入しても、パスワードなどはそのままで利用できるものだが、千代田区立図書館の場合は、悪意ある攻撃(?)を受けて、万全の体制にする必要があったようだが、それでもパスワードはまた新しいのを作れとか、まぁ、利用者に手間隙かけることを平然と要求してくる。
お詫びの印に、区民にさえ、本は10冊まで、非区民には5冊までしか貸さないような貧困行政を改め、倍増ぐらいにしてもバチは当たるまいが、当然、そんな改革はしていない。延長も普通の図書館なら二週間は可能なのに、ここは一週間。都内でもサイテークラスの図書館というしかない。
それはさておき、時事配信でこんな記事が流れていた。
党大会前の改憲案、見送りへ=自民、森友問題が影響
3/13(火) 16:17配信
自民党は13日、憲法改正論議で積み残しとなっている9条と緊急事態条項の創設について、25日の党大会前の条文案策定を見送る方向で検討に入った。
党大会では改憲の方向性を示すにとどまる見通しだ。学校法人「森友学園」をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題を受け、党内では早期の改憲発議は困難になったとの見方が広がりつつある。
竹下亘総務会長は13日の記者会見で、党憲法改正推進本部の細田博之本部長から12日に「条文案まで決めるのは、なかなか難しい」と伝えられたことを明らかにした。細田氏は竹下氏に「大きな方向性は決めて党大会で報告しなければいけない」と述べた上で、事前に総務会で議論の場を設けるよう要請。竹下氏は13日の総務会で、20日か23日に議論することを提案、了承された。
安倍政権にとって、財務省の公文書改ざん問題の収束が最優先課題に浮上。これに伴い、自民党内では「内閣支持率が下落すれば、いったん改憲の旗を降ろさないといけなくなる」(若手)と懸念する向きが出ている。あるベテラン議員は「改憲は諦めた方がいい」と語った。
まぁ、「改憲は諦めた方がいい」と、やる気のない「ベテラン議員」って、もしかして、 『自民党ひとり良識派』 (講談社現代新書) の著者の村上誠一郎さんでは?
ともあれ、昨日(2018・3・15)には、自民党の9条改正案がいくつか例示されたとの記事が掲載されていた。
2018/03/14 20:38 産経新聞
【憲法改正】自民推進本部9条改正7案を提示「必要最小限度の実力組織」© 産経新聞 提供 【憲法改正】自民推進本部9条改正7案を提示「必要最小限度の実力組織」
自民党憲法改正推進本部(細田博之本部長)は14日の執行役員会で、憲法9条改正のたたき台として7つの条文案を示した。執行部は、戦力不保持を定めた2項を維持した上で、9条とは別条文の扱いとなる「9条の2」を設け「必要最小限度の実力組織」である「自衛隊の保持」を明記する案を軸に意見集約を図る。15日の全体会合で細田氏への一任を目指す。
出席者によると、執行部はたたき台として、2項維持を前提とした5案と2項を削除する2案を示した。
2項維持は「自衛隊」を明記する案が3つと「自衛権」を明記する案が2つ。2項削除は、国防軍創設を盛り込んだ平成24年の党改憲草案と「陸海空自衛隊」の保持を規定する石破茂元幹事長の案だった。
このうち、執行部が意見集約する上で重視しているのは「9条の2」を設けた上で「必要最小限度の実力組織として、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」と書き込む案だ。
「9条3項」にしないのは、現行の9条と別の条文にして「9条は一切改正しない」ことを明確にする狙いがある。また、文民が自衛官を指揮監督する「シビリアンコントロール(文民統制)」を明記し、自衛隊が内閣の下に位置することを具体的に示した。9条の2には、自衛隊の行動に関し「国会の承認」を必要とする規定も盛り込む。
自衛隊を「必要最小限度の実力組織」と位置づけるのは、自衛隊を2項が禁ずる戦力と位置づけない狙いがある。ただ14日の執行役員会で、石破氏は「『必要最小限度』と書いたら現場の自衛官たちがさらに苦しむ」と指摘した。捕虜の人道的扱いなど、軍隊なら国際法上認められる権益を自衛隊員が享受できない懸念を示したとみられる。
執行役員会では、出席者の多くが2項維持案の支持に回ったが、石破氏は終了後、記者団に「(2項維持で)固まったと思っていない。両論ある状況が続いている」と述べ、さらなる議論を求めた。
そういう政治状況下、憲法・改憲問題について面白い本を二冊読んだ。
一冊目は、慶野義雄氏(平成国際大学名誉教授。元憲法学会理事長)&高乗正臣氏(平成国際大学名誉教授。元憲法学会理事長)の『亡国の憲法九条 保守派憲法学者の自衛隊違憲論』 (展転社)。
(こんな内容)→『第九条の一項、二項を存置したまま「自衛隊明記」の三項追加でよいのか! こんな安直姑息な発想で憲法をイジラレてはたまらない! 欺瞞的な現在の憲法改正案を保守派論客の二人が徹底論駁する。
帯にも「一項、二項を存置したまま『自衛隊明記』の三項追加でよいのか!!」「欺瞞的な憲法改正案を徹底論駁する」とある。
「保守派の憲法学者」というと、憲法9条に関しては、自衛隊はなんとか「合憲」解釈を試みつつも、完全なる自衛隊合憲説となるように9条を改憲すべきと説く人々というイメージがある。西修さんや百地章さんなどだ。
このお二人(『亡国憲法九条』の著者)も、「保守派」であるから自衛隊の必要性を十分に認識している憲法学者である。京大法学部出身の慶野さんは高坂正堯さんに国際政治を学び憲法研究に進んだ人。高乗さんは司法試験合格者で長年トップクラスを維持している中央大学法学部で、自衛隊合憲説を打ち出した橋本公亘さんに学んだ人とのこと。
しかし、本書『亡国憲法九条』のサブタイトルは「保守派憲法学者の自衛隊違憲論」とあるように、9条をどう解釈しても、自衛隊は明確に違憲である以上、ちゃんとしたものに変えるべきだと説いている。
時にはジョージ・オーウェルの警句を引用しつつ、正しい事実を指摘しようとしていない左翼系は無論のこと、西さんのような改憲派・保守系の憲法学者にも批判の刃を向けている。「解釈改憲」や「こじつけ解釈」をつづけるなら、日本は亡国の道を歩むことになろうとも。
9条の1&2をそのままにして三項などを新たに作ることによる改憲はナンセンスだとも指摘。
たしかに2項の「国の交戦権は、これを認めない」という言葉がある以上、芦田修正があっても、自衛隊合憲説はたしかに苦しいだろう。
とはいえ、この前紹介したように、篠田英朗氏の『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』 (ちくま新書)を読むと、9条が、国際法、国際憲章にのっとった条文でしかなく、諸外国も取り入れているものだとのことで、交戦権否認もノープロブレム--という見方もありうるかなとは思える。
篠田氏は、「もし9条3項を創設して自衛隊の合憲性を明確化するのであれば、簡易に次のような規定だけを入れればよい。『前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。』」と結語している。
その結論にも「賛成だ(もう少し、言葉を補ったほうがいいと思うが)」と記したことがある。
改めて考えると、国会がそういう改正案を「発議」したら、「賛成」に投票するだろう。
ともあれ、憲法9条をそのまま読み、普通に解釈したら「自衛隊」は違憲になるだろう。ということで、自衛隊を全廃にしてしなくてはいけなといった「念仏護憲教」の「護憲派」がまだまだ存在している。そういう人たちの根拠を完全に消滅させるためには、9条をどう改正したらいいのかということが、今、いろいろと論じられている。
要は、現行用意されそうな安倍改憲案(1~2項はそのままで3項新設)が発議され、国民投票にかけられたら、自衛隊違憲論の立場の保守派の中には「反対票」ないし「棄権」をする可能性もあるだろう。
一方、二項のみならず一項にも手を入れた全面的な改正案を発議したとして、その場合、それは行き過ぎた改正案だからということで、現状程度の自衛隊や日米安保体制を肯定する中からも「反対票」「棄権」が出てくる可能性があろうか。
そのあたりの票数の読みやら、政治的判断はなかなか困難だ。なにせ参議院などは「公明党」を入れての三分の二なのだから。公明を抜いて、希望の党や維新やら入れて参議院で三分の二になればいいのだが?
せっかくの改憲のチャンスをなんとかしてでも潰したい勢力が、安倍スキャンダルを針小棒大に執拗に巻き起こし、それどころではないような状況を発生させているかのようにも思える。ハマコーみたいな政治家がいて、事の本質(特殊性とは何か?)を喝破すれば……?
昨年の5月17日の朝日の「カケ記事」(総理のご意向云々)も、安倍改憲案(1~2はそのままで…)が、提案されてからのものだったが…。
まぁ、偶然の一致ではあろうが…。
そしてもう一冊は松竹伸幸氏の『改憲的護憲論』 (集英社新書)だ。元日本共産党にいた人。こんな履歴の人だ。
【プロフィル】松竹伸幸 まつたけ・のぶゆき ジャーナリスト。昭和30年、長崎県生まれ。一橋大卒。全学連委員長、民青同盟国際部長などを経て、日本共産党政策委員会安保外交部長を歴任するも、自衛隊に関する当時の見解の相違から平成18年に退職。現在「自衛隊を活かす会」事務局長を務める。近著に『対米従属の謎』(平凡社)。
産経新聞の【iRONNA発】――北朝鮮有事 日本が取るべき選択肢はこれしかない2017.4.23 17:00更新――などで時々、このお名前(松竹伸幸氏)を拝見していたことがあり、「共産主義者」にしては「前向き」な軍事観・憲法観を持っている人だなとは感じていた。本は何冊か積んどく中。今回は最新の刊行本だと思う。
僕は、もともとは、日本国憲法に関しては、9条のみ改正すればいいという考えを持っていた。ほかの条文はそのままでもいいかと。
日本会議は、以下の点を改正する必要があると考えているという。
1「前文」…美しい日本の文化伝統を明記すること
2「元首」…国の代表は誰かを明記すること
3「9条」…平和条項とともに自衛隊の規定を明記すること
4「環境」…世界的規模の環境問題に対応する規定を明記すること
5「家族」…国家・社会の基礎となる家族保護の規定を
6「緊急事態」…大規模災害などに対応できる緊急事態対処の規定を
7「96条」…憲法改正へ国民参加のための条件緩和を
まぁ、3以外に、1や2や6や7も大事だと思うが…。4、5は余計?
ただし、9条に関しては全面改正論者だった。第一項から改正したほうがいいと。
その意味で「護憲的改憲論者」のつもりだった。この「護憲的改憲論」は、産経新聞にいて、日本共産党の、自民党の意見広告への反論を無料で載せろだのとのイチャモン(裁判)と正面から戦った林秀彦さん(『左翼検閲「言論の自由」を如何に守るか』啓正社--の著者)の言葉だったか? たしか林さんは「改革者」に、そういうタイトルの論文(「護憲的改憲論」のすすめ)を書いていたと思う(が、未確認)。
最近は左派系の人も「護憲的改憲論」をいうようになったか? 天皇制度を廃止したり、9条の非武装中立的要素を、より明確にするためには、憲法9条をもっと原理的に改正すべきだという立場からの「護憲的改憲論」もありうるのだろう。単細胞な、戦術的な、矛盾だらけの「護憲」論を展開する「念仏護憲教徒」よりは「誠実」といえよう(か?)。 「改憲的護憲論」ともいえようか? ニワトリが先か、タマゴが先か--みたいであるが。
しかし、そうではなくて、自由と民主主義の価値観を尊重し、それを擁護するためには、軍国主義国家・共産圏などの軍事的脅威に対抗できないような「丸腰的な平和主義的憲法9条」ではダメであり、それを改正するのは、むしろ、自由民主主義的価値観をより高めることになるのであって、それが「護憲的改憲論」というのが、従来の考えだったといえよう。
ともあれ、松竹氏の本はこんな内容。
1946年、 吉田茂は自衛権を否定し、 日本共産党は肯定し、その後も一度も否定していなかった--。 憲法論議の「思い込み」を解きほぐす!
2017年10月の衆議院選挙で争点となった改憲。しかし政権与党が提示する、憲法9条に自衛隊を明記する加憲案をめぐって、国民、メディアの間で、その狙いや問題点に関する議論はどれほど深まっただろうか。
自衛隊を明記しようという加憲案と明記を許さないという護憲派。護憲派が従来の立場からどんなに批判を展開しても、改憲派と護憲派の争いの焦点は、自衛隊を認めるかどうかにあると国民の目に映るとすれば、圧倒的多数が自衛隊に共感を持っている現状において、護憲派は見放されるのではないか。だとしたら、護憲派はどんな論点を提示できるのか――。著者が深い危機感からたどりついた「改憲的護憲論」を世に問う一冊。
◆目次◆
第一章 護憲派とはどういう人のことか
1 非武装の改憲派、専守防衛の護憲派の登場
2 専守防衛か非武装中立かの対立は見せかけ
3 九条に加憲する案とどう向き合うのか
第二章 「戦争」と「平和」は対義語なのか
1 侵略戦争と同じ数だけの自衛戦争がある
2 戦争と平和は通じ合っている
3 戦後の世界で、戦争は減少する傾向にある
第三章 共産党は憲法・防衛論の矛盾を克服できるか
1 「中立自衛」政策のもとでの矛盾と葛藤
2 憲法九条を将来にわたって堅持する時代の矛盾
3 どうやったら矛盾を乗り越えられるか
終 章 護憲による矛盾は護憲派が引き受ける
補 論 自衛隊の違憲・合憲論を乗り越える
1 名古屋高裁イラク判決の意味を探る
2 長沼訴訟違憲判決の論理構造
3 国民の生命を守るのは憲法違反か
「加憲」に関して、 「一つだけ、私が肯定的に捉えることができるとすれば、自衛隊が明記されることによって、自衛官が日陰者扱いされる事態はなくなるだろうということです。そのことが自衛官の職務に対する誇りを高め、日本の防衛にも資することになるかもしれません。この点だけでも加憲に意義があることは、自衛隊を否定的に捉えている護憲派に対する批判と一体のものとして、今後、改憲派からはくり返し持ち出されるでしょう」--との松竹さんの認識は的確。
自衛隊違憲判決(長沼判決)が出ると、「自衛隊は違憲だと明確になったということで、護憲派のなかには、成人式に自衛官が制服で出席するのを妨害したり、自衛官を募集する業務にも反対したり、街中で音楽パレードに参加するのを問題にしたりする人たちも生まれました。自衛官が負った傷の深さを思うとき、加憲案を単純に否定してはいけないと自分自身を戒めます。自衛官が誇りを持って仕事をする上で、憲法で明記されることも一つの手段であると私も思います」との指摘もまずまず。「護憲念仏教徒」では、決して書けない内容だ。
そのほか、侵略戦争があるなら、それに対する、侵略を受けた側からの自衛戦争もあり、ベトナム戦争はアメリカの侵略戦争なのだから、ベトナムにとっては自衛戦争であったといえるが、それすらも「日本国憲法の精神ではない」という左派の憲法研究者に対して、懐疑的なコメントを書いているのも、まぁ、そうとは言えるだろうなとも。
同じことは日中戦争についてもいえるとして、 「日本の侵略に対して武力で(中国が)抵抗したことは、何回も強調しますが合法的なことです」「けれども」「中国の抵抗が合法だったのは、まさに目の前で帝国主義的な侵略が行われていたからであって、戦争の合法性はその範囲内でしか担保されていません」として、「中国の愛国主義教育の問題点は」「日本をはじめ帝国主義による侵略を打ち破った、誇るべき戦争を遂行したという要素を強調するあまり、戦争と平和ということの全般が正確に教えられていないことです」としているのも、まずまずの正論。
そのほか、社会党の非武装中立論、自衛隊に対する違憲合法論と、日本共産党の自衛隊観などはどこがどう違っていたのか等々も解説している。共産党は単純な非武装中立論ではなかったとも。
「国民の生命を守るための自衛隊の運用は、ただ黙認するというだけでなく歓迎するという姿勢も必要ではないでしょうか。護憲派というのはこれまで、自衛隊基地の前では、自衛隊を批判する文脈でしかマイクを握ったことがないかもしれません。これからは、少なくともたとえば災害救援に赴いたり、そこから帰って来たりする自衛隊を激励するようなことは、日常の風景になってほしいと思います」とも…。
安倍首相の「加憲」案は「戦力不保持や交戦権の否認を規定した九条二項を削除して国防軍を設けるという自民党本来の改憲案と比べて、かなり穏やかなものです。ところが、護憲派の多くは、自民党案とまるで変わらない最悪の案であるかのように加憲案を批判していました。『この案だと国民の共感を得るかもしれない』という危機感の裏返しでもあるのでしょう」と指摘しているのは、きわめてまともな思考力故の認識といえよう。
その案が、日本会議主導のものだとして問題にする向きも否定している(日本会議会長の田久保忠衛氏が安倍案を批判しているからと)。
「私にとっては、日本会議が改憲を実現するために二項を廃止するという目標を取り下げる決断力があり、そこで結束する団結力があるとしたら、それこそ『敵ながらあっぱれ』に見えます。護憲派もそれに学んで、従来型のアプローチにメスを入れることが求められると思います」
にもかかわらず……。「子の心親知らず?」ではないが…。
赤旗にはこんな記事(2018年2月11日)が出ている。
今年中の改憲発議に執念「日本会議」勢力 焦り
憲法に自衛隊を明記するとの安倍晋三首相の9条改憲案の実現へ、改憲右翼団体「日本会議」とそれに連なる勢力が「今年中の改憲発議」に向け、激しい執念とともに焦りを示しています。
通常国会開会日翌日の1月23日、「憲法改正を阻むものは何か」と題するシンポジウムが東京都内で開かれました。主催は「国家基本問題研究所」。同研究所理事長でジャーナリストの桜井よし子氏が司会を務め、副理事長の田久保忠衛・日本会議会長も会場に陣取りました。
桜井氏語気強め
シンポのパネリストは、日本会議代表委員の長谷川三千子氏、日本会議国会議員懇談会の木原稔財務副大臣・自民党衆院議員、産経新聞政治部の田北真樹子記者。
桜井氏は「遅々として進まない憲法改正の論議。これからどうすべきか」と提起。パネリストからは「改憲を阻んでいるのは自民党の罪が大きい。党全体として改憲に向かう意思が欠けている」(田北氏)などと、自民党の改憲案取りまとめが遅れ、公明党や野党勢力との協議も進まないことへの強いいら立ちが出されました。
桜井氏は、来年の政治日程をあげ、「今年が恐らく憲法改正の最後のチャンス。今年できなければどの内閣がいつできるのか」と語気を強めました。
「交戦権」を主張
会場から、日本会議政策委員の伊藤哲夫・日本政策研究センター代表が「(戦力不保持・交戦権否認の)9条2項をとりあえず棚上げし、第3項に防衛力と交戦権を認める条項をつくる。9条2項を何とかすることが絶対に必要」と発言しました。自民党内で石破茂元幹事長が「交戦権のない自衛隊を認めても意味がない」と主張し、安倍提案に疑義を示していることを意識したものです。
日本会議政策委員の百地章・国士舘大学特任教授は「2項を改正して軍隊を持たなければ日本を守れないが、それでは公明党が動かない。1、2項を残して自衛隊明記であれば公明党はいける。日本維新の会も大丈夫。この線でいくしかない」と述べ、「自衛隊明記派と2項改正派の大同団結」を訴えました。
9条2項“抹殺”狙うが…
日本会議内部で混迷も
「明治150年。明治の日本人たちは今みたいに生ぬるい議論じゃなかった。多くの人が殺され、斬り合い、血を流して、日本国を守り通した。その発想が今必要だ」
司会の桜井よし子氏はこう檄(げき)を飛ばし、会場からは日本会議の田久保忠衛会長も「明治の気概に立ち返れ」と発言しました。
木原財務副大臣は「安倍さんがここ一番、『いざ鎌倉、今だ行け』と言われたとき、われわれは必ず立ち上がる」とこたえ、最後には「今年、国民投票までいきます」と明言しました。行政府の責任ある立場にありながら、憲法尊重擁護義務(憲法99条)をかえりみない改憲強行の宣言です。
日本会議勢力の改憲論の中身は、自衛隊を憲法に明記し2項を骨抜きにするというもの。桜井氏は「9条1項は守ります。2項はおかしいけど、2項を変えると誤解を招くから、自衛隊を書くことにするというのが安倍さんの戦術」とあからさまに語りました。
自衛隊の格上げ
2項の削除か空文化か。どちらにしても9条2項を“抹殺”することが根本的狙いです。
9条2項の戦力不保持・交戦権否認規定があるからこそ、自衛隊は「日本への武力攻撃の排除」に限定された「必要最小限度の実力」とされ、集団的自衛権の行使や海外での武力行使は禁止されてきました。
2項を残して自衛隊を明記するという案は、2項削除が困難な中で、自衛隊を「憲法上の存在」に格上げし、憲法で軍事組織の保有を認めることで2項の意味を失わせる(空文化)ことを狙ったものです。結局、無制限の海外での武力行使に道を開きます。
一方、国会内で桜井氏らとも連携して活動する自民党有志議員らが1日、記者会見を開き、安倍提案の“発展型”とする改憲案を提示しました。有志議員の中には有村治子、山田宏両参院議員、長尾敬衆院議員など日本会議議連の中心メンバーも参加しています。
その中身は、「9条3項」として「前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない」という条項を追加するというもの。
中心メンバーの青山繁晴参院議員は「自衛隊だけ書くという(安倍首相)案だと2項が空文化してしまう懸念がある。普通の国民もそう思う」と指摘。「『自衛権の発動を妨げない』という文言ならば1項、2項の中心的な考えを確認するという意味だから、2項は死文化せず、限定的だ」と主張しました。
しかし、それも「一つの解釈」を示したにすぎません。「自衛権の発動」を明記すれば、個別自衛・集団的自衛の区別なく無制限な武力行使が可能となるという問題が回避できるとはいえません。
どちらも無制限
安倍提案のように自衛隊を書き込むだけで、「自衛権」などの権限を書き込まず「解釈」に任せるなら、憲法として軍事組織を何ら明確な基準で縛らず、無制限な権限拡大をもたらしかねないという批判を受けざるを得ません。他方、青山氏らのように「自衛権」などを書き込めば、やはりフルスペック(無制限)の集団的自衛権の行使を認めることになります。
執念、焦りとともに日本会議内部でも混迷が深まっています。(秋山豊、中祖寅一、日隈広志)
赤旗の記事が、集会の内容を正確に伝えているかどうかはともかくとして、
日本会議政策委員の百地章・国士舘大学特任教授は「2項を改正して軍隊を持たなければ日本を守れないが、それでは公明党が動かない。1、2項を残して自衛隊明記であれば公明党はいける。日本維新の会も大丈夫。この線でいくしかない」と述べ、「自衛隊明記派と2項改正派の大同団結」を訴えました―――という点は間違いないだろう。
冒頭の慶野義雄氏&高乗正臣氏の『亡国の憲法九条 保守派憲法学者の自衛隊違憲論』 (展転社)は、百地氏の論法を批判もしている。日本会議は、右からも左からも批判されている?
ともあれ、松竹氏は、NHKの討論番組で、共産党の藤野保史政策委員長が、防衛予算を「人を殺すための予算」と発言したことも取り上げている。
「藤野氏は、私が退職に至る過程では同僚であって、自衛隊を認めるとどんな批判が浴びせられるか身をもって体験していたので、国民の目の前で発言を撤回するのは用意ではなかったでしょう」と。
とはいえ、そこは共産主義者? いろいろと知的限界を感じないでもないのだが…。
例えば……。
共産党の安保外交部長でもあった著者だが、
「共産党の憲法・防衛論は過去も現在も矛盾に満ちています。侵略されれば自衛するという見地を維持してきた点では、非武装中立派と一線を画してきたのであり、専守防衛派と通じる面があります。自衛措置をとるためには実力組織が不可欠となるのが常識であって、共産党は、立憲主義を貫く見地から、九条をそのままにすることはできないと考え、改憲が必要だと主張していた時期もありました。しかし現在は、将来にわたって九条を堅持するという考え方に転換し、安倍首相の加憲論にも反対しています。一方、侵略されれば自衛隊を使うとも述べており、違憲の自衛隊を使うのかという立憲主義にかかわる問題に直面しています。要するに共産党は現在、専守防衛的な見地に立つと同時に、護憲の立場を貫きたいとも考えている点で、本書で論じてきた『改憲的護憲派』の代表格のような存在なのです(共産党自体は「違う」と言うでしょうが)」
―――に関しては「?」を感じる。
共産党の立場は「反憲法的護憲論」でしかないだろう。そもそも、自由と民主主義の価値観が党内には存在していない。党首選挙が自由選挙によって行われたこともないではないか。党の方針はコロコロ変わり、ソ連や中共や北朝鮮を絶賛していた過去への反省はあくまでも限定的で、萩原遼さんや兵本達吉さんなどへの除名などの処分も一方的。
所詮、「軍隊」とて、「人民の人民による人民のための軍隊」ではないブルジョワ的な「自衛隊」はダメだが、自分たちの「科学的社会主義」に洗脳された「人民」によって構成される「人民軍」ならば「合憲」と考えているだけだろう。
共産党で「いい人」は、除名された人ぐらいしかいないと思う。著者は、まだ党員なのだろうか。
それにもかかわらず、2018・3・15の朝日記事(「改憲議論の前提疑問の声」「自民9条改正案講義デモ続く」)に登場して、 「政権が錦の御旗にしていた北朝鮮の脅威は後退しつつある。9条に基づく『専守防衛』を逸脱するような防衛力強化や改憲論議をやめるべきだ」とか述べている人たちに、松竹さんの本を読ませたいものだ?
それにしても「北朝鮮の脅威は後退しつつある」とは、単細胞にもホドがあろう。米朝首脳会談が開かれるようだから、そう言うとは?
2018.3.15 の産経正論に掲載された西岡力さんはこう述べている。
検証可能な北の核廃棄が鍵だ
≪功を奏した経済制裁と軍事圧力≫
金正恩朝鮮労働党委員長がトランプ米大統領に会談を申し込み、大統領がそれを受けた。経済制裁と軍事圧力の効果と言ってよい。私は昨年9月12日本欄でこの展開を予想してこう書いた。
〈トランプ大統領は米国本土まで届く核ミサイルを持たせた大統領として、汚名を残すことは絶対に避けたいはずだ。対北経済封鎖措置を徹底し、それでも金正恩氏が核ミサイルを放棄しなければ、軍事行動、すなわち金正恩氏を除去する「斬首作戦」の準備を進めるはずだ。独裁者は命が危ないと判断したときだけ譲歩する。戦争直前までいけば北朝鮮は必ず中身のある協議に応じてくる(しかし、そこでも彼らはウソをつく)。〉
ここで金正恩氏を追い込んだ2つの要素、(1)経済制裁と(2)軍事圧迫について概観しよう。
(1)制裁前の2016年、北朝鮮は石炭、鉄鉱石、水産物などの輸出で合計28億ドルの外貨を得ていた。昨年の国連安保理制裁でその9割、25億ドル相当の輸出品目が禁輸となった。制裁前に北朝鮮は石油精製品(ガソリンやディーゼル油など)を年間60万トン、原油を年間50万トン輸入していた。制裁決議でそのうち石油精製品の9割、53万トンを失った。これは軍の通常戦力さえ維持できない水準だ。特筆すべきは、北朝鮮の貿易の9割の相手国である中国が制裁決議を履行していることだ。中朝関係はかつてないほど悪化している。
(2)軍事圧迫も強化され、金正恩氏が命の危険を感じはじめた。世界最強といわれる米空軍の戦略爆撃機B1Bが昨年1年間で23回、グアム基地から半島周辺に飛来した。金正恩氏は、米国は自分を暗殺する作戦を準備していると判断し、おびえている。
トランプ政権は、国務長官を融和派とされたティラーソン氏から強硬派とされるポンペオ氏に代え軍事圧力を維持強化している。
≪金氏が目指すベトナム型統一≫
一方、金正恩氏は(3)核ミサイルと(4)“親北化”する韓国の2つの要素に希望をかけている。
(3)核ミサイル開発は完成直前まできた。北朝鮮はこの2年間で3回の核実験と40発の弾道ミサイル発射を行い、昨年11月29日、火星15ミサイル試射を受け、金正恩氏は「国家核武力完成」を宣言した。しかし、さまざまな情報から米本土まで届く核ミサイルは完成直前まで来たが、まだ完成はしていない、と判断できる。「完成」キャンペーンを続けたのは、米国に軍事攻撃の口実を与えないことを優先したからだ。
(4)韓国の北朝鮮専門家は「主体思想派が青瓦台(大統領府)をはじめすべての機関を掌握したので、北朝鮮はこの機会にベトナム型統一をしよう、と考えて今年に入り大々的な外交攻勢をかけてきたと判断できる。文在寅政権が目指す6月の憲法改正もそれに連動している」と語った。
本当に韓国が金正恩氏を助けるかは分からない。1980年代に親北革命運動に従事した運動家が多数、青瓦台に布陣していることは事実だ。韓国保守派によると、大統領秘書室の秘書官以上幹部31人のうちほぼ半分の15人(室長1、首席秘書官2、秘書官12)が活動家出身だ。
では、ベトナム型統一とは何を意味しているのか。北ベトナムは米国と戦争を終わらせるためという名目でパリ協定を結び、米軍を撤退させた。その数年後、北ベトナム軍が大挙南下し共産統一が実現した。それにならって、金正恩氏も休戦協定を平和協定に変えて、米軍撤退を実現させたいと考えているはずだ。米軍が撤退すれば、文在寅政権と話し合って、2000年6月に金正日と金大中が事実上合意し、文大統領がその実現を公約としてきた連邦制での統一を行う-というシナリオだ。
≪首相訪米は拉致問題の分水嶺に≫
金正恩氏はトランプ大統領との取引で、「米国まで届く核ミサイルの廃棄」というカードを切り、その見返りとして「米朝平和条約締結と米軍撤退」を求めてくる可能性がある。文政権はこの取引に賛成するかもしれない。トランプ政権も朝鮮半島の自由化のために米軍を使う意思はないから、取引に乗る危険性がある。ただ、核ミサイル廃棄を検証できるのかという大きな問題がある。また、金正恩政権が、唯一の業績である核ミサイルの廃棄を北朝鮮内部で公開できるのかという問題もある。
わが国としては、トランプ政権に核ミサイルの完全廃棄要求を下げるなと、求め続けなければならない。リビアが核廃棄をしたときには検証のため米英情報機関員が核関連施設と関連書類を査察した。同じことが不可欠だと主張し続けることだ。
また、拉致被害者の全員帰国なしには圧力を緩めるべきでないと念を押し続けなければならない。その意味で4月初めの安倍晋三首相訪米は日本の安保と拉致被害者救出にとって分水嶺(れい)となるような重大な意味を持つ。わが国の国益を最大限に実現すべく官民挙げて必死の努力を払う正念場だ。
前も引用紹介したように、、パウル・レンドヴァイの『操られる情報 ソ連・東欧のマス・メディア』 (朝日新聞社)の次の言葉を我々日本人は肝に銘じるべきだ。
レンドヴァイは一九二九年生まれのハンガリー人。社会民主党系の学生活動家であったが、一九五二年に逮捕された。一九五三年に特赦で復権したものの、一九五六年のハンガリー動乱(蜂起)を体験した後、ウィーンに亡命した。
戦後、オーストリアはかろうじて中立国の地位を維持することのできた国である。彼はそこで『操られる情報』を書いた。朝日が本書を訳出したことは大変素晴らしい「例外的快挙」であったというしかない。
「東西関係の真の改善の本来の試金石となるのは、首脳会談や上級会議の頻繁さではないし、ましてや署名された協定の数や、ふくれ上がってゆく借款の額などではない。正常化された関係の深さと恒常性をはかる真の尺度となるのは、両側での思想・情報の交流と行動の自由がどこまで実現されているか、ということである」
そしてソルジェニーツインの「情報遮断は、国際的な署名や協定を無に帰するような働きをもっている。麻痺したような沈黙の地帯では、どんな協定も、思うままにあっさり意味をすりかえられてしまうのである」との言葉をレンドヴァイは肯定している。
僕も全く同感である。
だからこそ、拉致被害者を返すこともせず、日本人妻の自由な往来・帰国も認めない「北朝鮮の嘘」に惑わされてはいけないのである。それらの解決なくして核問題の解決もないのである。こんな簡単なことが分からないとは?
呉善花さんの新刊『韓国と北朝鮮は何を狙っているのか 核ミサイル危機から南北連合国家へのシナリオ』 (角川書店)を読んでいたら、こんな指摘があった。
「民主化以後の韓国大統領の対北朝鮮姿勢のなかで、一般的に『どうにも不可解だ』と思われていることがあります。それは、およそ北朝鮮の人権問題を本格的に批判しないことです。保守系の大統領はいくらか批判するのですが、金大中・盧武鉉・文在寅たちの左派政権の大統領はそれを批判した試しがありません。核開発には抗議しながら、なぜ自由民主主義国家の大統領が、北朝鮮の人権問題を取り上げないのでしょうか」と。
そして、かつてのヘルシンキ宣言(1975)を取り上げ、西側諸国は東側諸国に、経済援助と引き換えに、100万人を超える政治犯を西側に脱出させたと指摘。韓国政権は、こういう手法を取るようにみせかけては、内政干渉になるからという理由で、北の人権問題追及に及び腰だと批判している。
この指摘はレンドヴァイの指摘に重なるものがある。
「東西関係の真の改善の本来の試金石となるのは、首脳会談や上級会議の頻繁さではないし、ましてや署名された協定の数や、ふくれ上がってゆく借款の額などではない。正常化された関係の深さと恒常性をはかる真の尺度となるのは、両側での思想・情報の交流と行動の自由がどこまで実現されているか、ということである」
この言葉を忘れてはなるまい。これこそが「知性」に基づく見識だ。
「政権が錦の御旗にしていた北朝鮮の脅威は後退しつつある」とノーテンキ(反知性主義?)に語るような人に読ませたい本だ。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
「いい夫婦の日」があるなら「いい憲法の日」は何時?
それは9条がまともな内容に改正される日では?
(2017・11・23・木曜日祝日)
昨日(2017・11・22)は、 「いい夫婦の日」? ううむ。それがどうした?と。
結婚して、30年以上が経過してしまうと…。毎朝、各局のお天気姉さんを見ては、 「ううむ、後妻にはこれぐらいの容貌で、これぐらいの若さでいいのだが(実に失礼ながら…)」と大声で古女房の前でつぶやいているのだが…。「これぐらいの若さ」といっても、見た目は25~30歳前後。これでは我が子供より若い? 30代後半でもいいのだが…。いや、40代半ばでも美魔女ならいいのだが…。 『負けるもんか49歳の崖! 美魔女山田佳子48歳 』 (光文社)の著者の山田佳子氏さんならベスト!!?
いや、50代でも体重が50キロ以下ならいいのだが…。贅沢は敵なり?
結婚30年ちょっとでも…いろいろとアラが目立つが、憲法のように制定してから70年にもなると…。少しは「現実」にあわせて微調整する必要もあるだろう。もちろん、少々困った条文のある憲法でも、そこそこ正しい解釈をすればいいのだが、困った憲法を困った解釈をして平気の平左でいる憲法学者が日本には蔓延しているから困る。
昔、政治学者で防衛大学校校長をした猪木正道さんが、ある新聞で、法律の中の法律である民法や商法などをやることのできないのが憲法学者になっているから…と喝破したことがあったかと。
民法や商法に比べれば、憲法なんて条文も少ないし、原則、もともと原則、口語で書かれているからとっつきやすい。法学部の中でもイマイチレベルの人が憲法学者になっている……ということになろうか(少なくとも昔は…。いや、あくまでも一般論であって例外は多々あるだろうが)。
ともあれ、困った憲法であっても、正しい解釈をすべきということを実践しているのは、憲法学者ではなく政治学者のほうだろうか。
以前だと、小林昭三さんという早稲田大学の先生がいた。比較憲法の先生だったようだが、法学部ではなく政経学部の先生だったか? 『私の「憲法」イメージ』『私の「憲法」透視』『日本国憲法の条件』 (成文堂)などがあった。そのほかにも憲法学者や政治学者の、まともな憲法論の本としては以下のようなものがあった(最近のものも含む)。
西修氏『日本国憲法成立過程の研究』 (成文社)、百地章氏『憲法の常識 常識の憲法』 (文春新書)、八木秀次氏『日本国憲法とは何か』 (PHP新書)、小林節氏『憲法守って国滅ぶ』 (KKベストセラーズ)、田上穣治氏『日本国憲法原論』 (青林書院新社)、大石義雄氏『日本国憲法概論』 (青林書院新社)、『日本憲法論 増補版』、『日本憲法史と日本国憲法』、『改憲の大義』(嵯峨野書院)、尾吹善人氏『憲法学者の空手チョップ』『憲法学者の大あくび』 (東京法経学院出版)、『寝ても覚めても憲法学者』 (フォラオ企画)、 『憲法徒然草』 (三嶺書房)、林修三氏『憲法の話』 (第一法規出版)、中川剛氏『憲法を読む』 (講談社現代新書)、 『日本国憲法への質問状』 (PHP研究所)、勝田吉太郎氏『平和憲法を疑う』 (講談社)、菅野喜八郎氏&小針司氏の『憲法思想研究回想』 (信山社)、井手成三氏『困った憲法困った解釈』 (時事通信社)、入江通雅氏『最新国際関係概説』 (嵯峨野書院)、 小山常実氏『「日本国憲法」無効論』 (草思社)、高柳賢三『天皇・憲法第九条』 (有紀書房)、長尾一紘氏『世界一非常識な日本国憲法』 (扶桑社新書)、 『日本国憲法 全訂第4版』 (世界思想社)、竹花光範氏『憲法改正の法理と手続』『現代の憲法問題と改正論』(成文堂)など。
そういう系列の本として、あらたに加わったのが、篠田英朗氏の『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』 (ちくま新書)だ。以前読みかけ中の時、少し紹介したが、これは名著。日本のバカな(?)憲法学者や、その教えに心酔している人に是非手に取ってほしいものだ。
帯にもこうある。
「憲法を曲解してきた戦後憲法学の陥穽を突く」「なぜ日本の憲法学はガラパゴス化したのか」と。
著者は、昔昔、 『日の丸とボランティア 24歳のカンボジアPKO要員』 (文藝春秋)という本を出している。この本も読んだ覚えがある。
PKOといえば、朝日記者の佐々木芳隆氏の『海を渡る自衛隊―PKO立法と政治権力』 (岩波新書) なんて本もかつて出たが、当時一読して、惨憺たる思いをしたものだった。
針小棒大の自衛隊海外派兵危険論一色の本だったかと。その初志を忘れることなく、安保法制廃止の前にPKO法廃止を、朝日も含めてなぜ今、主張しないのだろうか?
おそらく、安保法制反対論もPKO反対論同様(消費税廃止論同様?)消え去るのだろう?(消費税も「消費税増税」反対論はあっても「廃止論」を主張する政党はない。共産党も「廃止論」を言わない。なぜ?)。
ともあれ、安保法制同様、朝日を初めとする進歩派たちが大反対したPKO法…。国会でも牛歩戦術なんかやった政党があった。しかしなんとか成立し、それに基づいてカンボジアに民間人や自衛隊が派遣されることになったが、危険だと言われ、実際、文民警察官が死亡したりもした。
あのとき、篠田さんと一緒に要員としてカンボジアに行ったボランティアの一人に、松下政経塾の堀本崇さんという人がいた(と思う)。彼の要員体験記は雑誌に掲載もされていた(『カンボジア選挙監視日記』諸君! 1993年8月号)。その後、篠田氏は学者の道を歩み、堀本氏はちょっと異なった道を歩んだ…。そのことに関して、篠田氏の本からちょっと脱線するが、以前、こんなことを書いた。
(一部再録)
PKO選挙監視員から始まってカンボジア支援に短い生涯を捧げた男の物語 05/31/2011
山内麻美氏の『バッタンバンのタッカシー カンボジア支援に捧げた堀本崇の生涯』 (未知谷)を読んだ。大変感銘を受けたノンフィクション評伝だった。
題名(バッタンバンのタッカシー)は分かりにくい。バッタンバンはカンボジア内の地名。「タッカシー」は堀本崇の「崇」。現地でそう呼ばれていたという。
彼は、1967年生まれ。松下政経塾に入り、1993年にカンボジアPKO選挙監視員として参加したことからカンボジアにのめり込むことになったようだ。曽野綾子さんと共に身体の不自由な人と共に聖地巡礼の旅にも参画している。その経緯は曽野氏の『神さま、それをお望みですか 或る民間援助組織の二十五年間』 (文藝春秋)にも記されているとのこと。そういえば、その本も読んだ覚えがある。
爾来彼はNGOを作り、カンボジアの孤児、貧困家庭子女の自立支援のために活動。カンボジア政府からも勲章を貰ったりしていたという。だが2006年11月にバイクを運転中交通事故で死亡。飲酒運転のバイクが突っ込んできたため。堀本氏もノーヘルだったという。
政経塾出身だから、当然政界出馬も考えていた。本書の中でも出馬寸前まで行きながら断念するシーンも描かれている。事実上無給というか母親の支援で自分自身の生計を立てていた身でもあったようだ。
1979年生まれの山内さんは、大学3年の時に堀本氏の講演を聞いたそうな。そしてカンボジア支援活動にも参加して縁ができたという。
堀本氏の諸活動に協力したさまざまな人が登場し、彼の人となりを語っている。志半ばで不運に倒れてしまったわけだが、大いなる志と実践の軌跡がこうした形で残ることになったのは不幸中の幸いというべきか。それにしても飲酒運転をするような愚鈍は、どうしようもない輩たちというべきか。またいい人が早く亡くなる傾向もあるのか。政治家になってほしい人がなれず、どうでもいい人が政治家になってつまらない回顧録を書く?という傾向もあるのか。
話を篠田氏の本に戻す。
東大法学部出身の憲法学教授らが発する「立憲主義」や「押しつけ(されていない)憲法論」などの嘘を見事に解明してくれている。
憲法9条が画期的な条項であり、平和憲法の礎であるといった見解に関して、1945年の国連憲章の2条4項で武力行使が一般的に違法とすでにされている事実を無視していると指摘。
そもそも9条1項は不戦条約の焼き直しであり、
「国連憲章によって確立された20世紀後半の国際法から見れば、憲法9条の戦争放棄の条項に、何ら新しい要素はない。日本は国際連盟の常任理事国であり、不戦条約の原加盟国だった。それにもかかわらず、日本は、満州事変以降、侵略行為を繰り返して国際の平和を脅かした。そこで連合諸国によって、日本に国際法を遵守させるために導入されたのが、憲法9条だ」と。
「多くの憲法学者は、日米安保体制を評価せず、反米的ですらある。政治的スタンスの話が、学術的な態度と同一化しているのが、東大法学部系の日本の憲法学の特徴である。特定の政治的立場を推進するために、素朴な憲法典の解釈から目をそらさせようとする態度は、学術的に、政治的に、再検討の余地があると言わざるをえない」
東大法学部に対して、京都大学法学部の佐々木惣一さんや大石義雄さん は、一味違った日本国憲法論を展開していた事実も紹介されている。学生時代、僕はこの二人の憲法論の本なんかを読んだものだった。
万邦無比の国体(統帥権絶対思考)、万邦無比の国体(平和憲法9条絶対思考)…。空想的軍国主義と空想的平和主義(運動屋)がもたらした、そうした万邦無比的「幻想」から離脱することが、正しい平和思考への道といえよう。
そのほか、横田喜三郎さんや宮澤俊義さんや芦部信喜さんらの「言い換え」「転向(変節?)などについても詳述している。東大法学部教授の「知的レベル」の低さがしのばれるエピソードの数々だ。
「憲法学者が自衛隊の存在に『抵抗』していることがもたらしている制度的支障、及び自衛隊員の心理的負荷は、全く見合わない不当なものとなっている。『修正』は、時代の要請である」
「9条1項は、国連検証の論理構成に従って、解釈しなければならない」「もし自衛隊が武力行使をする機会があったとして、それが国連憲章51条に該当する自衛権の発動であるか、国連安全保障理事会決議の裏付けを持つ要請にしたがった行為であるならば、9条1項違反となることはありえない」「常に国際法に合致する形でのみ武力行使を行い、決して国権の発動としての戦争を行うことがない組織としての自衛隊は、9条2項で言う『戦力』には該当せず合憲である」「自衛隊が、国際法にしたがって行動する限り、9条2項の交戦権否認条項に抵触することはありえない」
「この解釈の障害となるのは、根拠のない9条のロマン主義的解釈のみである」
「『あの憲法9条の内容が、ただ国際法遵守と同じ、であるはずがない。9条は国際法を超えていくもの、もっと何か素晴らしいもの、とにかくすごいものであるはずだ……』という願望あるいは思い込みだけが、障害である」
「もし9条3項を創設して自衛隊の合憲性を明確化するのであれば、簡易に次のような規定だけを入れればいい。『前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織を活動を禁止しない』」
なるほどねと思う。最後の3項創設に関しては、もう少し言葉を補う必要があるのではないかと思うが…。
高校時代、岩波新書から出ていた『憲法講話』 (宮沢俊義)や 『憲法読本上下』 (憲法問題研究会編)の憲法本を読み、大学時代は『憲法第九条』 (小林直樹)などを読み、この人たちの憲法論、とりわけ9条論は「異様」「異常?」と思ったものだった。そういう本と平行して上記の本を読み比べていったものだった。篠田氏の本はちくま新書から出ているが、そのちくま新書からは、長谷部恭男氏の『憲法と平和を問いなおす』 (ちくま新書)も出ているようだ。10年以上前に刊行された本だが、読み比べるといいだろう(この本は読んでないかな?)。
ところで、中央大学の憲法学の教授だった橋本公亘氏は、 『日本国憲法改訂版』 (有斐閣)で自衛隊違憲論から合憲論に立場を変え、 『わが旧著「憲法」を絶版にした理由 石橋・小林流「自衛隊違憲合法論」を斬る 』という論文(「諸君!」1984年12月号)を書いている。30年以上前に、良識ある憲法学者は、そういう態度を表明した。当時、これは勇気ある態度だった。大学では「右折禁止の会」なるものが、橋本教授を弾劾していたという。
今日、橋本さんの「転向」から30年以上が経過し、まだ、こういう態度を表明することなく、そのくせ、「自衛隊違憲」をあまり明言することなく、中途半端な対応で、事実上、自衛隊を日陰のままにしておこうと画策する憲法教授がまだ多々いる。この反知性主義的世界を改革することが肝要だろう。篠田さんや八木秀次さんをまず東大法学部教授にすべきでは。上野千鶴子さんや姜尚中さんが東大教授になれるのだから、なんの問題もあるまい?
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
「いまこそ戦争放棄」? 「いまこそ独裁政治を終わらせよう」となぜ言わないのか? 念仏護憲教徒につけるクスリはない?
(2017・10・11・水曜日)
TBSで、2017・10・9夜に放送された「マサカの事件」「名古屋闇サイト殺人事件から10年…娘の命奪われた母が語る真相」「愛娘が最期に残したメッセージ」「2960」…は、前のブログで触れたが、日中、パチンコ屋通いの金持ちそうな男の跡をつけて、自宅に押し入ろうかと思った犯人たちだったが、あちこちにある「監視カメラ」を見て断念するシーンがあった。実話だろう。
「防犯カメラ」「監視カメラ」を敵視する「リベラル人権屋」さんたちの警鐘もそれなりに耳を傾ける価値もあるのかもしれないが、現実問題として、「防犯効果」もあるのは、このように否定できない事実だ。犯罪行為をおかして逃亡しても、監視カメラのおかげで犯人の足どりを掴むことができて、逮捕につながることも多い。ないよりはあったほうがいいのは間違いあるまい。もちろん、誤認逮捕などがないように、複数の証拠固めも必要なのはいうまでもないが。
あれをオーウェルの『1984』に対比させて全否定する人の気が知れない。そんなのより、北朝鮮の平壌の街角で大型テレビから流れるミサイル発射の映像を多数の国民が眺めているほうにこそ、「1984」的世界を感得するのが、まともな感覚だろうに…。
そういえば、長野の善光寺に×印の落書きが一杯されていたが、47歳の無職女が逮捕されたとのこと。間違いなく真犯人か冤罪かどうかは別にして、防犯カメラの映像などが決め手になったそうな。テレビニュースでは「名前」が出されなかったが、精神的に問題があるのか?
最近、こういうイタズラめいた事件が多々ある。 『ウイル』 (2017・11月号)で、 『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』 (PHP新書)の著者である江崎道朗氏が、米軍の元テロ対策の専門家と会った時、こんな話をしたそうな。
「神社に油がまかれた事件の話が出た」「あれは単なる嫌がらせではない。油をまいてどのくらいの時間で治安当局の人間が動くのか。どのくらいの人数が動くのか。そういうことのモニタリングをやっているんだと言われました。これをあちこちでやられると、治安当局は油事件に人手を割かれて、肝心の発電施設や交通機関に対するインフラ警備が薄くなっていく。そうやって陽動作戦を展開した後に、ドカンッとでかいテロを実行するというのが常套手段なんですね」「そういう視点がなければいけないのに、日本側は神社などの文化遺産に対する嫌がらせだと思っている」と。
この一節を読んだあとに、善光寺の破損があったので、もしかして…と思ったのだが…。この無職中年女は単なる頭の少しおかしい人間? いやいや、そう装いつつ、実は某国家のエージェント、スリーパー?
まぁ、図書館の『アンネの日記』破損事件を、ことさらイデオロギー的に解釈した進歩的文化人もいたが、あくまでも「ネバーセイネバー」の視点を忘れることなく、こういう事件に関しては、複眼的に注意深く見ていきたいものだ。
もっとも、僕などは、火災事件が起こると、何の根拠もなく(?)まずは、古女房とテレビ画面に向かって「これはタバコのみの失火だな」と断定することが多い(半分くらいはあたっているのでは?)。
世の中で恐ろしいのは、 「狂人に刃物」「金正恩など独裁者に核ミサイル」、そして「認知症のタバコのみ」…。 「認知症のタバコのみ」による失火が結構発生しているのではないか。アクセルとブレーキの違いも分からないような「認知症のドライバー」があれだけ「人殺し」をしているのだから、それより怖いよ! タバコに火を点けたのも忘れてあちこちの灰皿にタバコを置いたままにして、それに…と。その観点から、喫煙者が減るのはいいことかもしれない。個々の喫煙者が、一服することで精神安定を得られる効用は否定するつもりは全くない。半径百メートルに人がいないところでの喫煙の自由は守られて当然だ。しかし、他人に間接迷惑(悪臭・不快感の伝播や衣服への悪臭付着)をかけるだけでなく、火災発生などによる直接迷惑(「殺人」「家屋全焼」)をかけるとなると、テロリストと何ら変わらない?
ところで、2017・10・3朝日朝刊にこんな記事が出ていた(引用は電子版より)
9条の未来、論戦深まるか 「いまこそ戦争放棄」/自衛隊明記「士気上がる」 衆院選
2017年10月3日05時00分
安倍晋三首相が「2020年の新憲法施行」を唱える中、自衛隊明記を含む憲法改正が衆院選の自民党公約の柱の一つとなった。憲法9条の価値を見つめ直す動きがある一方、改憲派は「前進」と歓迎する。選挙結果次第では改憲への動きが加速する可能性があり、有権者はどう向き合うのか。▼1面参照
■護憲派・市民グル ープ代表
11歳の長女と、5歳の長男を育てる神奈川県座間市の主婦、鷹巣直美さん(40)は、北朝鮮情勢が緊迫する中で「いまこそ、戦争放棄と戦力の不保持を定めた9条をもっと世界に発信していくことが大切」と考えている。改憲は反対だ。
憲法9条を保持してきた日本国民にノーベル平和賞を――。そんな目標を掲げ、インターネットで署名活動する市民グループの共同代表。6日発表の平和賞の行方を待つ一方、北朝鮮や米国を含めた各国に対し、「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」とサイトを通じて呼びかけている。
20代で留学したオーストラリアで、戦地から逃れてきた難民と出会った体験が原点。2012年に欧州連合(EU)がノーベル平和賞に選ばれ、「高い目標に向かって進もうとしている人たちを後押ししてくれる賞なんだ」と感じた。「世界中の子どもが戦争で苦しまないように」との思いから、9条へのノーベル賞授与を求める署名を集め始め、今年8月1日時点の賛同者は約73万人にのぼる。
自衛隊を明記するだけの改憲案にも、鷹巣さんは異議を唱える。「憲法違反といわれた集団的自衛権の行使を任務にもつ自衛隊が明記されれば、9条そのものを変えてしまうことになる」
(白石陽一)
■改憲派・首相のブレーン
安倍首相の政策ブレーンの一人、八木秀次・麗沢大教授(憲法)は自民党の公約に憲法への自衛隊明記が盛り込まれたことについて、「自民党は自衛隊を国防軍とするとしていた時期もあり、そこには遠く及ばない」としつつ、「何歩か前進だ」と語った。「国民投票で過半数を得る必要性を考えれば、実現可能性を考えた案と評価していいのではないか」
理由は北朝鮮情勢だ。「憲法に明記されれば、自衛隊員の士気を高めるだろうし、国全体としての抑止力を高める効果も期待できる」と説明する。
小池百合子・東京都知事の希望の党が、候補者を公認する条件として「憲法改正への支持」を挙げていることには、「踏み絵を迫ることで憲法改正論者が集まるかもしれないが、政権を狙うとなると力量不足では」と語った。
(編集委員・藤生明)
■ムード先行、歴史的感覚欠如 ノンフィクション作家・保阪正康さん
改憲を総選挙で一大争点とするのは事実上初めてといえるのに、ムードや雰囲気で論じられている。自民党の重鎮だった後藤田正晴氏(故人)ならいま、「君、どうなっているんだ、これは。論理も、歴史的感覚も、何もない」と言っただろう。
安倍首相ら改憲派は「押しつけられた憲法」「みっともない憲法」とさえ言うが、米国の要求があったとはいえ、幣原喜重郎や吉田茂といった憲法制定時の閣僚らが、歴史的な使命感を背負ってどれだけのエネルギーを注いだのか知ろうとしたのか。太平洋戦争では、日本は唯一、軍が政治を主導。「特攻」に象徴されるように「勝つまで戦う」という歴史的な罪を犯したが、その問題点を十分に検証したのだろうか。
改憲を言うのであれば、歴史や先達への畏敬(いけい)の念と覚悟をもって、憲法の欠落点を精密に議論する姿勢が必要だが、それは見えない。憲法改正の必要性や9条への考えを語らない希望の党の小池氏も、安倍首相と同様、憲法改正の論理を持っていないように見える。
一方、護憲派も守るばかりでいいのか。憲法の問題点を論じるような姿勢が足りない。憲法は、護憲か改憲、保守か革新かとは関係なく、国民一人ひとりが自分なりに考えるべき問題だとも強調したい。
(聞き手・木村司)
まぁ、三者三様の憲法観が述べられており、朝日にしては(?)バランスが取れているかと。鷹巣直美さんが「ふつうの主婦」とはいえないだろうが、2017・9・1の「声」欄トップの主婦・60歳と違って、ちゃんと「市民グループ代表」との肩書・立場を出しているから、それなりの運動家の見解だと認識はできる。
それにしても…。記事を読んで思ったのは、鷹巣さんは、「天安門広場」や「金日成広場」に出かけて、「9条の精神を守れ!」となんらかの意思表示をする意欲はないのかしら? 「世界中の子どもが戦争で苦しまないように」との思いから云々と語っているけど、少なくとも北朝鮮は選挙でも選ばれていない独裁者が、飢餓者を何十万(いや何百万)も出してまで、核兵器の開発を強行したのだ(今も強行している)。未来形の「戦争で苦しむ」以前に、「軍拡・核開発の犠牲」で現在進行形で「苦しんでいる」その簡単な事実を、この人は認識しているのだろうか? その苦境をナントカしなくてはという、焦りは生じないのだろうか? 閉鎖的な独裁国家故に、そうした飢餓的状況が「映像」として自由世界に伝わってはこないのをいいことに、空理空論をもてあそんではいないのか? ノーベル平和賞を授与されて喜んでいる核兵器批判団体にも同様のことが言えるのでは?
北朝鮮情勢が緊迫する中で「いまこそ、戦争放棄と戦力の不保持を定めた9条をもっと世界に発信していくことが大切」と本心から思っているなら、すぐの隣国の中国・北朝鮮に真っ先に飛んで行くべきではないのか。なぜ、そうしないのか。行く気がないからでは?
北朝鮮や米国を含めた各国に対し、 「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」とサイトを通じて呼びかけているだけ? 独裁者相手に、そんなことをしたって、何の意味もあるまい。何の落ち度もない、挑発もしていないのに、一方的に侵略されたら、 「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」というわけにはいかないだろう。
日本の「侵略」を受けて、中国人民は戦ったのでは? あれもいけない戦争だったのか? ソ連の侵攻を受けてフィンランドは戦ったのでは? スイスはドイツであれ、他国であれ、自国に侵入する軍隊があれば、「戦争をする用意」をちゃんとしていたからこそ、大きな戦争をすることなく独立を維持できたのではないか?
単細胞的に「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」と言うのは、独立独歩で生きていく勇気も気概もない人の幼稚な言い分でしかあるまい。
11歳の長女と、5歳の長男がおられるとのことだが、横田めぐみ さんが拉致されたのは13歳の時。横田ご夫妻の心情は理解できるだろう。
同じく娘を北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父・有本明弘さんはこんな憲法観をお持ちとのこと。
【阿比留瑠比の極言御免】めぐみさんを守れなかった憲法
産経新聞2013.7.18 21:48
拉致被害者の有本恵子さんの父で、拉致被害者家族会副代表である明弘さんから先日、筆者あてに手紙が届いた。そこには、こう切々と記されていた。
「拉致問題が解決できないのは、わが国の争いを好まない憲法のせいであると悟ることができました」
手紙には明弘さんの過去の新聞への投稿文と、拉致問題の集会で読み上げた文章が同封されていて、やはりこう書いてあった。
「憲法改正を実現し、独立国家としての種々さまざまな法制を整えなければ、北朝鮮のような無法国家と対決できません」
実際に外国によって危害を被り、苦しみ抜いてきた当事者の言葉は重い。
一方、参院選へと目を転じると、候補者たちの政見放送や街頭演説では「戦後日本は現行憲法があったから平和が守られた」といったのんきで、根拠不明の主張が横行している。
だが、いまだに帰国できない拉致被害者やその家族にしてみれば、日本が「平和な国」などとは思えないはずだ。日本は、人さらいが悪事を働いても目を背けるばかりで、被害者を取り返せもしない危険な無防備国家だったからである。
こういう見方も十分成り立つのではないか。横田めぐみさんの母親も同様の趣旨のことを発言していたと記憶している。
少なくとも、憲法9条をサイトを通じて唱えれば平和が訪れるといった宗教的というのか、念仏護憲教というのか、戦前の空想的軍国主義者と同じ発想でしかない空想的平和主義者(空想的平和運動屋)の妄言にはあまりついていけないと思う人々も増えてきているだろう。それが誤解だというなら、せめて、中国や北朝鮮の国内に「進入」する努力を示したらどうなのか?
もちろん、言論の自由のない中国や北朝鮮…。9条の精神をあなた方に…と言い出したら、スパイとして逮捕されるかもしれないが、平和のために訴える心ある人をそんなふうに扱うとならば、国連はじめ世界が許すわけがない。大丈夫、きっと助けてもらえる。一刻も早く、北朝鮮へ、金日成広場へ行かれることをお薦めしたい。
もっとも、北朝鮮にだって、「安倍は辞めろ」と叫ぶ自由はある。「トランプは基地外だ」と叫ぶ自由もある。くれぐれも、「金正恩は核開発を止めろ」とか「金は独裁政治を止めろ」と唱和するのをお忘れなく?
北朝鮮に出かけて、そんなことしか言わないで、心が通った…とか、北も平和を望んでいるとか、愚かなことを言いかねない人もいるだろうが……。
それはさておき、まだ読了していないが、単細胞的に憲法9条はノーベル平和賞モノで、すばらしき比類なきモノとみなしがちな見解とは異なる9条解釈を展開しているのが、篠田英朗氏の『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』 (ちくま新書)だ。9条が、国際法、国際憲章にのっとった条文でしかなく、諸外国も取り入れているものだとのこと、交戦権否認もノープロブレム--と論証している。誤解を招く困った憲法条文を、制定者の意図を含めて正しい解釈で論じた好著といえる。
「もし9条3項を創設して自衛隊の合憲性を明確化するのであれば、簡易に次のような規定だけを入れればよい。『前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。』」との結語にも賛成だ(もう少し、言葉を補ったほうがいいと思うが)。
ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!