古本虫がさまよう 憲法
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「いまこそ戦争放棄」? 「いまこそ独裁政治を終わらせよう」となぜ言わないのか?  念仏護憲教徒につけるクスリはない
(2017・10・11・水曜日)




TBSで、2017・10・9夜に放送された「マサカの事件」「名古屋闇サイト殺人事件から10年…娘の命奪われた母が語る真相」「愛娘が最期に残したメッセージ」「2960」…は、前のブログで触れたが、日中、パチンコ屋通いの金持ちそうな男の跡をつけて、自宅に押し入ろうかと思った犯人たちだったが、あちこちにある「監視カメラ」を見て断念するシーンがあった。実話だろう。
「防犯カメラ」「監視カメラ」を敵視する「リベラル人権屋」さんたちの警鐘もそれなりに耳を傾ける価値もあるのかもしれないが、現実問題として、「防犯効果」もあるのは、このように否定できない事実だ。犯罪行為をおかして逃亡しても、監視カメラのおかげで犯人の足どりを掴むことができて、逮捕につながることも多い。ないよりはあったほうがいいのは間違いあるまい。もちろん、誤認逮捕などがないように、複数の証拠固めも必要なのはいうまでもないが。
あれをオーウェルの『1984』に対比させて全否定する人の気が知れない。そんなのより、北朝鮮の平壌の街角で大型テレビから流れるミサイル発射の映像を多数の国民が眺めているほうにこそ、「1984」的世界を感得するのが、まともな感覚だろうに…。

そういえば、長野の善光寺に×印の落書きが一杯されていたが、47歳の無職女が逮捕されたとのこと。間違いなく真犯人か冤罪かどうかは別にして、防犯カメラの映像などが決め手になったそうな。テレビニュースでは「名前」が出されなかったが、精神的に問題があるのか?

最近、こういうイタズラめいた事件が多々ある。 『ウイル』 (2017・11月号)で、 『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』 (PHP新書)の著者である江崎道朗氏が、米軍の元テロ対策の専門家と会った時、こんな話をしたそうな。

「神社に油がまかれた事件の話が出た」「あれは単なる嫌がらせではない。油をまいてどのくらいの時間で治安当局の人間が動くのか。どのくらいの人数が動くのか。そういうことのモニタリングをやっているんだと言われました。これをあちこちでやられると、治安当局は油事件に人手を割かれて、肝心の発電施設や交通機関に対するインフラ警備が薄くなっていく。そうやって陽動作戦を展開した後に、ドカンッとでかいテロを実行するというのが常套手段なんですね」「そういう視点がなければいけないのに、日本側は神社などの文化遺産に対する嫌がらせだと思っている」と。

この一節を読んだあとに、善光寺の破損があったので、もしかして…と思ったのだが…。この無職中年女は単なる頭の少しおかしい人間? いやいや、そう装いつつ、実は某国家のエージェント、スリーパー?
まぁ、図書館の『アンネの日記』破損事件を、ことさらイデオロギー的に解釈した進歩的文化人もいたが、あくまでも「ネバーセイネバー」の視点を忘れることなく、こういう事件に関しては、複眼的に注意深く見ていきたいものだ。

もっとも、僕などは、火災事件が起こると、何の根拠もなく(?)まずは、古女房とテレビ画面に向かって「これはタバコのみの失火だな」と断定することが多い(半分くらいはあたっているのでは?)。

世の中で恐ろしいのは、 「狂人に刃物」「金正恩など独裁者に核ミサイル」、そして「認知症のタバコのみ」…。 「認知症のタバコのみ」による失火が結構発生しているのではないか。アクセルとブレーキの違いも分からないような「認知症のドライバー」があれだけ「人殺し」をしているのだから、それより怖いよ! タバコに火を点けたのも忘れてあちこちの灰皿にタバコを置いたままにして、それに…と。その観点から、喫煙者が減るのはいいことかもしれない。個々の喫煙者が、一服することで精神安定を得られる効用は否定するつもりは全くない。半径百メートルに人がいないところでの喫煙の自由は守られて当然だ。しかし、他人に間接迷惑(悪臭・不快感の伝播や衣服への悪臭付着)をかけるだけでなく、火災発生などによる直接迷惑(「殺人」「家屋全焼」)をかけるとなると、テロリストと何ら変わらない?

ところで、2017・10・3朝日朝刊にこんな記事が出ていた(引用は電子版より)

9条の未来、論戦深まるか 「いまこそ戦争放棄」/自衛隊明記「士気上がる」 衆院選
2017年10月3日05時00分

 安倍晋三首相が「2020年の新憲法施行」を唱える中、自衛隊明記を含む憲法改正が衆院選の自民党公約の柱の一つとなった。憲法9条の価値を見つめ直す動きがある一方、改憲派は「前進」と歓迎する。選挙結果次第では改憲への動きが加速する可能性があり、有権者はどう向き合うのか。▼1面参照
 ■護憲派・市民グル ープ代表
 11歳の長女と、5歳の長男を育てる神奈川県座間市の主婦、鷹巣直美さん(40)は、北朝鮮情勢が緊迫する中で「いまこそ、戦争放棄と戦力の不保持を定めた9条をもっと世界に発信していくことが大切」と考えている。改憲は反対だ。
 憲法9条を保持してきた日本国民にノーベル平和賞を――。そんな目標を掲げ、インターネットで署名活動する市民グループの共同代表。6日発表の平和賞の行方を待つ一方、北朝鮮や米国を含めた各国に対し、「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」とサイトを通じて呼びかけている。
 20代で留学したオーストラリアで、戦地から逃れてきた難民と出会った体験が原点。2012年に欧州連合(EU)がノーベル平和賞に選ばれ、「高い目標に向かって進もうとしている人たちを後押ししてくれる賞なんだ」と感じた。「世界中の子どもが戦争で苦しまないように」との思いから、9条へのノーベル賞授与を求める署名を集め始め、今年8月1日時点の賛同者は約73万人にのぼる。
 自衛隊を明記するだけの改憲案にも、鷹巣さんは異議を唱える。「憲法違反といわれた集団的自衛権の行使を任務にもつ自衛隊が明記されれば、9条そのものを変えてしまうことになる」
 (白石陽一)
 ■改憲派・首相のブレーン
 安倍首相の政策ブレーンの一人、八木秀次・麗沢大教授(憲法)は自民党の公約に憲法への自衛隊明記が盛り込まれたことについて、「自民党は自衛隊を国防軍とするとしていた時期もあり、そこには遠く及ばない」としつつ、「何歩か前進だ」と語った。「国民投票で過半数を得る必要性を考えれば、実現可能性を考えた案と評価していいのではないか」
 理由は北朝鮮情勢だ。「憲法に明記されれば、自衛隊員の士気を高めるだろうし、国全体としての抑止力を高める効果も期待できる」と説明する。
 小池百合子・東京都知事の希望の党が、候補者を公認する条件として「憲法改正への支持」を挙げていることには、「踏み絵を迫ることで憲法改正論者が集まるかもしれないが、政権を狙うとなると力量不足では」と語った。
 (編集委員・藤生明)
 ■ムード先行、歴史的感覚欠如 ノンフィクション作家・保阪正康さん
 改憲を総選挙で一大争点とするのは事実上初めてといえるのに、ムードや雰囲気で論じられている。自民党の重鎮だった後藤田正晴氏(故人)ならいま、「君、どうなっているんだ、これは。論理も、歴史的感覚も、何もない」と言っただろう。
 安倍首相ら改憲派は「押しつけられた憲法」「みっともない憲法」とさえ言うが、米国の要求があったとはいえ、幣原喜重郎や吉田茂といった憲法制定時の閣僚らが、歴史的な使命感を背負ってどれだけのエネルギーを注いだのか知ろうとしたのか。太平洋戦争では、日本は唯一、軍が政治を主導。「特攻」に象徴されるように「勝つまで戦う」という歴史的な罪を犯したが、その問題点を十分に検証したのだろうか。
 改憲を言うのであれば、歴史や先達への畏敬(いけい)の念と覚悟をもって、憲法の欠落点を精密に議論する姿勢が必要だが、それは見えない。憲法改正の必要性や9条への考えを語らない希望の党の小池氏も、安倍首相と同様、憲法改正の論理を持っていないように見える。
 一方、護憲派も守るばかりでいいのか。憲法の問題点を論じるような姿勢が足りない。憲法は、護憲か改憲、保守か革新かとは関係なく、国民一人ひとりが自分なりに考えるべき問題だとも強調したい。
 (聞き手・木村司)

まぁ、三者三様の憲法観が述べられており、朝日にしては(?)バランスが取れているかと。鷹巣直美さんが「ふつうの主婦」とはいえないだろうが、2017・9・1の「声」欄トップの主婦・60歳と違って、ちゃんと「市民グループ代表」との肩書・立場を出しているから、それなりの運動家の見解だと認識はできる。

それにしても…。記事を読んで思ったのは、鷹巣さんは、「天安門広場」や「金日成広場」に出かけて、「9条の精神を守れ!」となんらかの意思表示をする意欲はないのかしら?  「世界中の子どもが戦争で苦しまないように」との思いから云々と語っているけど、少なくとも北朝鮮は選挙でも選ばれていない独裁者が、飢餓者を何十万(いや何百万)も出してまで、核兵器の開発を強行したのだ(今も強行している)。未来形の「戦争で苦しむ」以前に、「軍拡・核開発の犠牲」で現在進行形で「苦しんでいる」その簡単な事実を、この人は認識しているのだろうか? その苦境をナントカしなくてはという、焦りは生じないのだろうか? 閉鎖的な独裁国家故に、そうした飢餓的状況が「映像」として自由世界に伝わってはこないのをいいことに、空理空論をもてあそんではいないのか? ノーベル平和賞を授与されて喜んでいる核兵器批判団体にも同様のことが言えるのでは?

北朝鮮情勢が緊迫する中で「いまこそ、戦争放棄と戦力の不保持を定めた9条をもっと世界に発信していくことが大切」と本心から思っているなら、すぐの隣国の中国・北朝鮮に真っ先に飛んで行くべきではないのか。なぜ、そうしないのか。行く気がないからでは?

北朝鮮や米国を含めた各国に対し、 「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」とサイトを通じて呼びかけているだけ? 独裁者相手に、そんなことをしたって、何の意味もあるまい。何の落ち度もない、挑発もしていないのに、一方的に侵略されたら、 「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」というわけにはいかないだろう。

日本の「侵略」を受けて、中国人民は戦ったのでは? あれもいけない戦争だったのか? ソ連の侵攻を受けてフィンランドは戦ったのでは? スイスはドイツであれ、他国であれ、自国に侵入する軍隊があれば、「戦争をする用意」をちゃんとしていたからこそ、大きな戦争をすることなく独立を維持できたのではないか?
単細胞的に「いかなる理由があろうとも戦争はしないでください」と言うのは、独立独歩で生きていく勇気も気概もない人の幼稚な言い分でしかあるまい。

11歳の長女と、5歳の長男がおられるとのことだが、横田めぐみ さんが拉致されたのは13歳の時。横田ご夫妻の心情は理解できるだろう。
同じく娘を北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父・有本明弘さんはこんな憲法観をお持ちとのこと。

【阿比留瑠比の極言御免】めぐみさんを守れなかった憲法
産経新聞2013.7.18 21:48

 拉致被害者の有本恵子さんの父で、拉致被害者家族会副代表である明弘さんから先日、筆者あてに手紙が届いた。そこには、こう切々と記されていた。
 「拉致問題が解決できないのは、わが国の争いを好まない憲法のせいであると悟ることができました」
 手紙には明弘さんの過去の新聞への投稿文と、拉致問題の集会で読み上げた文章が同封されていて、やはりこう書いてあった。
 「憲法改正を実現し、独立国家としての種々さまざまな法制を整えなければ、北朝鮮のような無法国家と対決できません」
 実際に外国によって危害を被り、苦しみ抜いてきた当事者の言葉は重い。
 一方、参院選へと目を転じると、候補者たちの政見放送や街頭演説では「戦後日本は現行憲法があったから平和が守られた」といったのんきで、根拠不明の主張が横行している。
 だが、いまだに帰国できない拉致被害者やその家族にしてみれば、日本が「平和な国」などとは思えないはずだ。日本は、人さらいが悪事を働いても目を背けるばかりで、被害者を取り返せもしない危険な無防備国家だったからである。

こういう見方も十分成り立つのではないか。横田めぐみさんの母親も同様の趣旨のことを発言していたと記憶している。
少なくとも、憲法9条をサイトを通じて唱えれば平和が訪れるといった宗教的というのか、念仏護憲教というのか、戦前の空想的軍国主義者と同じ発想でしかない空想的平和主義者(空想的平和運動屋)の妄言にはあまりついていけないと思う人々も増えてきているだろう。それが誤解だというなら、せめて、中国や北朝鮮の国内に「進入」する努力を示したらどうなのか?

もちろん、言論の自由のない中国や北朝鮮…。9条の精神をあなた方に…と言い出したら、スパイとして逮捕されるかもしれないが、平和のために訴える心ある人をそんなふうに扱うとならば、国連はじめ世界が許すわけがない。大丈夫、きっと助けてもらえる。一刻も早く、北朝鮮へ、金日成広場へ行かれることをお薦めしたい。

もっとも、北朝鮮にだって、「安倍は辞めろ」と叫ぶ自由はある。「トランプは基地外だ」と叫ぶ自由もある。くれぐれも、「金正恩は核開発を止めろ」とか「金は独裁政治を止めろ」と唱和するのをお忘れなく?
北朝鮮に出かけて、そんなことしか言わないで、心が通った…とか、北も平和を望んでいるとか、愚かなことを言いかねない人もいるだろうが……。

それはさておき、まだ読了していないが、単細胞的に憲法9条はノーベル平和賞モノで、すばらしき比類なきモノとみなしがちな見解とは異なる9条解釈を展開しているのが、篠田英朗氏の『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』 (ちくま新書)だ。9条が、国際法、国際憲章にのっとった条文でしかなく、諸外国も取り入れているものだとのこと、交戦権否認もノープロブレム--と論証している。誤解を招く困った憲法条文を、制定者の意図を含めて正しい解釈で論じた好著といえる。

「もし9条3項を創設して自衛隊の合憲性を明確化するのであれば、簡易に次のような規定だけを入れればよい。『前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。』」との結語にも賛成だ(もう少し、言葉を補ったほうがいいと思うが)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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ケント・ギルバートさんは「アメリカの森田健作」 ? 元参議院議員の森田健作が千葉県知事なら、ケントさんも、ユタ州知事か国会議員になれるのでは?
(2017・9・27・水曜日)





ケント・ギルバートさんの『愛しかた愛されかた 大好きな女性に心をこめて』 (ワニブックス)を読んだ。1985年の刊行だから、32年前の本。いまや保守派論客として活躍しているが…。アメリカの森田健作さんといった感じ……。うわつかず、真面目な恋愛論が展開されている。

森田健作氏の『若者派宣言 [青春はタマネギだ]』 (勁文社)は昭和49年(1974年)の刊行だが、この前少し紹介したように、 「俺は、いまの日本にいちばん欠けているものは『道徳教育』だと思う」と述べ、君が代、日の丸を尊重すべしと説いていた。

その内容からして、両者は「タレント」でもあり、一家言持った「評論家」でもある。
森田さんは、そのあと、参議院議員となり千葉県知事になった。ギルバートさんは評論家として活躍中。日本国籍はお持ちではないだろうが、「白人」の人でも、日本国籍を取って政治家になった人はいる。

例えば、フィンランド人だったツルネン・マルテイさん。彼はヨーロッパ系の人として湯河原町議会議員を経て参議院議員になった。そのあたりの経緯は『そうだ、国会議員になろう』 (中経出版)などで綴られていたかと。何度もあと一歩のところで落選をしており、七転び八起きの人生だったようだ。

ケント・ギルバートさんも日本国籍を取られたら自民党から政治家になることも可能では? いま、彼の『米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体』 (角川新書)を読み始めたところだが、「はじめに」を読んだだけでも、ちゃんとした論理を展開しているなと感じた。前に紹介した長尾一紘氏の『世界一非常識な日本国憲法』 (扶桑社新書)、 『日本国憲法 全訂第4版』 (世界思想社)と同様の視点からの憲法論のようだ。

ギルバートさんの『ボクが見た日本国憲法』 (PHP研究所)は1988年の刊行だったようだが、当時、面白く一読した記憶がある。そのときの憲法観と『米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体』のそれとは、国際情勢の変動もあり、異なるところが若干あるかもしれないが、少なくとも小林直樹氏の『憲法第九条』 (岩波新書)よりは、知的刺激を受ける内容だったと思う。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「困った憲法」を「困った解釈」ではなく、「まともな解釈」で運用するために…
(2017・9・24・日曜日)





長尾一紘氏の『世界一非常識な日本国憲法』 (扶桑社新書)を読んだ。

内容紹介→<日本国憲法3つの非常識>
1 内容が非常識――国民の生命と財産を守れない
2 制定過程が非常識――GHQを忖度(そんたく)して作成
3 憲法学者が非常識――トンデモ学説の憲法学者
こんな非常識な憲法は世界中で日本だけです。私たちはいつまでこの憲法を守り続けるのでしょうか。
「外国人参政権合憲説」を撤回した著者だからこそ書けた、日本国憲法の欺瞞を粉砕する一冊!




この人の「変身」ぶりは、前著、 『日本国憲法 全訂第4版』 (世界思想社)を紹介した時にも触れた(末尾再録)。その前著のダイジェスト版が本書『世界一非常識な日本国憲法』といえるかもしれない。一読の価値ある憲法・政治論。

「憲法9条」を死守する立場の『憲法第九条』 (岩波新書)や『平和憲法と共生六十年 憲法第九条の総合的研究に向けて』 (慈学社出版)の小林直樹氏への批判や、宮沢俊義の「八月革命説」の無節操ぶりなどへの批判もある。まぁ、変節と転向などは、いろいろとあるので……。女系天皇は「違憲」との指摘も…。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

(以下再録)
憲法学者は転身・転進・転向する――自衛隊合憲説(橋本公亘)から外国人参政権付与&女系天皇論・違憲説(長尾一紘)まで 08/23/2011


   長尾一紘氏の『日本国憲法 全訂第4版』 (世界思想社)を読んだ。
 著者は昭和17年生まれの中央大学法学部教授。かつては外国人参政権付与に関してリベラルな考えを表明していたが、その後、転向し、産経新聞や雑誌「ウイル」にもしばしば登場し、反対論を展開したことで知られる異色の憲法学者だ。中央大学法学部には、かつて(80年代)中道リベラル的立場から自衛隊合憲説に転向し、小林直樹氏などを手厳しく批判した橋本公亘氏( 『日本国憲法改訂版』有斐閣・故人)がいたが、その再来といえようか? 橋本氏などは、合憲説に転向したものだから、学内のコミュニストやそのシンパたちが「右折禁止の会」を作って批判していたものだが、長尾氏は大丈夫か?

 本書も冒頭から、杉本幹夫氏の『「植民地朝鮮」の研究』 (展転社)には「蒙を啓かれました」と絶賛している。また「戦後の憲法学には、国家の存在意義を軽視する傾向があった」「反日自虐の歴史観が国民の心を蝕み続けていますが、その影響は、憲法解釈にも及んでいるようです」と。

 内容的には「教科書」であるから、通説や判例を紹介しつつ概説的であるが、所々自説を展開もする。その内容も中庸というか保守的というのか、憲法学界の多数説から見れば「異端」になろうか。

 一読して、いままで好意的に読んできた政治・憲法学者――西修『日本国憲法成立過程の研究』 (成文社)、百地章氏『憲法の常識 常識の憲法』 (文春新書)、八木秀次氏『日本国憲法とは何か』 (PHP新書)、小林節氏『憲法守って国滅ぶ』 (KKベストセラーズ)、田上穣治氏『日本国憲法原論』 (青林書院新社)、大石義雄氏『日本国憲法概論』 (青林書院新社)、尾吹善人氏『憲法学者の空手チョップ』『憲法学者の大あくび』 (東京法経学院出版)、『寝ても覚めても憲法学者』 (フォラオ企画)、 『憲法徒然草』 (三嶺書房)、林修三氏『憲法の話』 (第一法規出版)、中川剛氏『憲法を読む』 (講談社現代新書)、 『日本国憲法への質問状』 (PHP研究所)、勝田吉太郎氏『平和憲法を疑う』 (講談社)、菅野喜八郎氏&小針司氏の『憲法思想研究回想』 (信山社)、井手成三氏『困った憲法困った解釈』 (時事通信社)、入江通雅氏『最新国際関係概説』 (嵯峨野書院)、 小山常実氏『「日本国憲法」無効論』 (草思社)…とほぼ同列と感じた。

 憲法制定時に関しても、「占領憲法」である事実を直視している。国際法にも違反しているとの指摘もある。ポツダム宣言を受諾したからといって、明治憲法の改正が絶対必要であったというわけではないとも指摘。GHQが作成したとしても憲法制定時の審議は自由だったというのは歴史の捏造だと反論もしている。衆議院憲法改正小委員会議事録が1995年に公開され、干渉の実態が明白になったと。松本草案が明治憲法の焼き直しにすぎないとの評価も事実誤認であり、乙案は大幅に改められており、その内容は英国憲法慣習に近いものであったという。

 こういうちゃんとした指摘をする憲法学者は今でも少数派であろう。単細胞的な護憲派学者はそうした事実を歪曲してなかったものとみなそうと必死であるからだ。残念ながら東大や早稲田の憲法学の教授にはそういう学者が少なくない。また、護憲、護憲といいながら、9条以前の条文は消したい、変えたいと思っている人も少なくない。だから最近は護憲と言わず、9条を護れとしか言わなくなった人もいる。こういうトリックには要注意だろう。

 天皇制度にしても、日本は君主国家、天皇は元首であると見ている。皇位継承は男系主義であり、女系天皇の導入はこの伝統に反するがゆえに「違憲である」と認定している。
政教分離も教育関係については厳しい基準が必要とされるが、その他の分野については緩い基準でいいということで、靖国神社への玉串料奉納、公式参拝は合憲とされるとしている。外国人参政権問題に関してはもはや言うまでもない。

 こまかい点は若干異論なきにしもあらずだが、「困った憲法」を「困った解釈」で捩じ曲げようとする憲法学者の本に較べると、「困った憲法」でも「正しい解釈」で見ようとしていて、スッキリしていて頭に入りやすい本である。

 僕が学生時代の頃のテキストだったハードカバーの箱入りの分厚い憲法書に比べて、長尾氏の本は並製で300ページちょっと。手頃であるだけでなく、内容的にも極めて常識的で論理的である。今後、大学一、二年レベルの教養憲法、日本国憲法論、憲法学はこの本で学ぶのがスタンダードになるべきだろう。

 憲法を学ぶ上で、少なくとも日本国憲法の基本原則とやらが、国民主権、基本的人権の尊重は当然としても、戦争の放棄がそうだなどと単純には言わないことだ。侵略戦争の放棄、平和外交の推進は当然ではあるが、また象徴天皇制度も憲法の基本原則として銘打つべきなのに、これは消滅させたいと思っている憲法学者が少なくないせいか、基本原則と明示しないのはおかしい。これこそ、日本独特の原則ではないか。



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民進党前原誠司氏の憲法改正論も…「気持ち悪いぐらいの変節だ」「9条2項、96条改正」→「9条はそのまま温存で第3項を」  くらべた・しらべた ひみつのゴキブリと自民党&民進党?
(2016・10・7・金曜日)




2016・10・6毎日朝刊に「蓮舫代表」VS「稲田防衛相」「気持ちいいぐらいの変節だ」「核保有検討」→「核なき世界を」との記事が出ていた。

民進党の蓮舫代表は5日の参院予算委員会で、稲田朋美防衛相が2011年3月の雑誌の対談で「(旧民主党政権の)子ども手当を防衛費にそっくり回せば軍事費の国際水準に近づく」などと防衛費拡大を求めた発言を挙げ、批判した。
 稲田氏は「当時の民主党政権の安全保障・防衛に大変危機感を持ち指摘した」と説明したが、蓮舫氏は「政権が変われば野党時代に言ったことは関係ないのか」と追及した。
 また、稲田氏が同じ雑誌で日本独自の核保有を「国家戦略として検討すべきだ」と発言したことも挙げ「今は非核三原則を守ると言ったが、なぜ変わったのか」とただした。稲田氏が「当時の日米同盟はガタガタだったが、安倍政権になってかつてないほど強固になった。核なき世界を実現するため全力を尽くす」と述べると、蓮舫氏は「気持ちいいぐらいの変節だ」と批判し、発言撤回を求めた。【葛西大博】



まぁ、天に唾するというわけでもないが、蓮舫さんと代表選挙を争って負けた前原誠司さんは「正論」(上記の「雑誌」は「正論」のこと。毎日新聞は、「正論」が嫌いなのかな?)ならぬ「諸君!」(二〇〇五年六月号)でこんな勇ましい改憲発言をしていた。当時、彼は影の内閣というか「次の内閣・ネクスト防衛庁長官」。いまの稲田さんとは「逆」のポスト?

雑誌のタイトルは「先ずは九条二項を削除してから」だった。

「(憲法)九条一項はそのままでいいと思います。二項を全面削除し、書き換えて、自衛権を日本が持っていることをきちんと明記すればいい」
「憲法の第一章には国民主権を持ってくるべきです」
「具体的な改正は、まず九条と改正条項、さらにあと何を第一回目の改正に加えるかを議論することから始めるべきです」「大体の方向性ができたならば、第一回目の憲法改正では、九条と、憲法改正条項のハードルを下げることに専念する」「大事なところから根気強く改正していくべきなんです」


九条二項の削除、九六条の改正条項のハードルを下げることをすでに十年前に主張していた。これって、安倍首相の考えとほぼ同じでは? 一致するところから改正していくことも肝要。「憲法の第一章には国民主権を持ってくるべきです」という考えは、それはそれで一つの中道リベラル的な「見識」とはいえよう。

ところが、二〇一六年九月の代表選挙では、彼は、なぜか九条二項削除と言わず、九条はそのままにして、 新たに第三項を設置するなどと、九条改憲の信念が揺らいでいるかのような主張を展開していた。なぜ?
さらに、九六条改正条項のハードルを下げるなんて民進党内では「タブー」「絶対反対」となっており、安倍首相が九六条改正を主張していたら、トンデモナイと大反対をしていた。そのとき、前原さんは、「何をおっしゃる。この点は安倍首相が正しい!」とは決して言わなかったのでは? そんな風に、精一杯「リベラル臭」を撒き散らしたのに、代表選挙では見事に落選!

ともあれ、盛口満氏(絵・文)の『くらべた・しらべた ひみつのゴキブリ』 (岩崎書店)を読んだ。著者のゴキブリイラストも満載。子供たちに「嫌いな虫は何?」と聞くと、圧倒的にゴキブリが多い。ということで調べて描いたのが本書とのこと。綺麗なゴキブリ、有用なゴキブリもいるという。ペットになるゴキブリやペットの餌用のゴキブリもいるとか。ゴキブリもイロイロなんだ。自民党も民進党もイロイロだし?

とはいえ、この前、夜間、道を歩いていたら、ゴキブリがゴソゴソと。すぐに踏みつぶした。ゴキブリと進歩的文化人は踏みつぶすに限る?。いやいや、この両者はシブトイからね? 踏みつぶしても…。ベルリンの壁やソ連が崩壊しても、いろいろと理屈つけて、分野を変えて、手を変えて…屁理屈をコネ回して、自己正当化を図るから要注意ですな?

ついでに、村上誠一郎氏の『自民党ひとり良識派』 (講談社現代新書)を読んだ。自民党内にあって、アンチ安倍政治を標榜する政治家のエッセイ本。

内容紹介→いつから自民党はモノの言いにくい政党になってしまったのか。安保関連法採決は立憲主義の放棄。「カラスは白い」という自民党幹部。派閥政治の功罪。公務員法改正の問題。私も大臣を務めた小泉政権のトラウマ。選挙制度改悪の歴史。財政再建と消費税めぐる正論。社会保障は中福祉中負担に
内容(「BOOK」データベースより)
誰よりも自民党を愛するからこそ覚悟の正論!いつから、わが自民党は正しいことを堂々と言えない「不自由民主党」になってしまったのか!?安保法制は問題だらけ。立憲主義を守れ。憲法は権力者のものではない。アベノミクスはもう限界である。かつてのわが党の良さを取り戻せ!



著者は河本派だったとのこと。まぁ、御身大切にされたし? 程度の読後感しか出てこなかった。 民進党に移籍するほうがいいのでは?
民進党の松原仁代議士とトレードしたらいいかもね? 前原氏でもいいかも? 信念の改憲論も満足に展開できないような「不自由民進党」では……。 台湾・沖縄交換条約みたいに?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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ジョージオーウェルとオットー・シュタイガーは、戦時中、マイクの前で「空念仏」を訴えたのではない!
(2016・9・20・火曜日)





オットー・シュタイガーの『そのころスイスは 第二次大戦中のスイス人作家の青春』 (未知谷)を読んだ。

シュタイガー,オットー
スイス生まれ、30年代からパリに暮らし、36年帰国後ラジオ・テレビのキャスターとなる。一方で20代半ば頃から著作を発表し始め、42年に長篇小説でグーテンベルグ・ブックギルド特別賞を受賞。以来、専業作家の道へ。推理小説、脚本、エッセー、旅行記、教科書副読本など著作多数。また児童文学者としても高い評価を得た。2009年には生誕100年を記念して復刻版が続々出版された

彼は1909年生まれで2005年死去。かなり長生きした作家だ。

いろいろと人生について悩んでいた時、たまたま立ち寄った教会で牧師の言葉を聞いた。種を蒔きに野良に出た人のたとえばなし…。あ、知っているよ、その話は…。聞き飽きた…。人が行動したり語ったりすることの多くは、実は間違っていて、それと違った行ないが本当は正しく成功をもたらすとか、そんな話だろう…。うたた寝でもするかと。

ところが、牧師はこう語る。
「人生とは、一つのリスクです。だからそこには最初の第一歩を踏み出すための、勇気と信頼が必要です。その一歩は、人を不確かな将来へと導いてしまうかもしれない。だから自分が遂行しようとしているその一歩が正しいものだという信頼と、たとえ障害がたちはだかって、それを克服しなければならない事態になっても、それを遂行しようという勇気が必要なのです」と牧師は説いた。

「自分が踏み出したいと望み、踏み出さなければならないその第一歩が、どんな第一歩であるかについては、まだ見当も付かなかった。しかしとにかくわたしは自分の無気力から目覚めたのだ。この数分間で自分がまったく違った人間になったような気分だった。何かがしたかった。これは新鮮な感覚だった」 (いやはや、こういう「第一歩」を踏み出すということに関しては、人は誰しも遭遇することだろう。中学入試、大学入試、就職、結婚、再婚? 転職? 会社倒産? 再就職? 定年?、病気? セカンドライフ?……。ぬるま湯にひたるのもまたいいし、荒波に飛び込むのもいいし、まぁ、人生イロイロ。人生意気に感ず…好きなことをやれるかやれないか---が大切かな?)。

教会からの帰り道、パリに住んでいた母の友人のおばさんに手紙を出すことを決意。スイスからパリに遊学しようとする。その希望はかなえられパリに向かう。しばし滞在するもののおばさんが死去して、スイスに戻ることになる。やがて小説を書き、新聞や雑誌に投稿。本も出る。第二次大戦が始まり、枢軸国からも連合国からもスイスの地理的要因か注視されるようになるが、国家総動員令により、兵役につくことになる。映画映像部門の検閲担当や、ラジオニュースを読む仕事を仰せつけられる。スイスにいるドイツスパイ(大使館の庭師)は彼の尾行をし、撮影するすることもあったそうな。もし、ドイツがスイスを占領すれば、いつもの声のアナウンサーがドイツ寄りのニュースを読めば、説得力が増すと考えたのかもしれないと。そんなこともあり、アナウンサー用の「隠れ家」が用意もされる。戦後のスイスでは、著者は「戦争中、国民の声であった」と称せられることも。

彼がそんな要職を任命されたのも偶然の結果だった。ある夜、たまたまた立ち寄ったカフェで、チェスをしていて出会った男が、帰り道、ラジオ局のアナウンサーの仕事に落ちたという。スイス人なまりの多少はあるドイツ語をしゃべる人を局は求めているのだが、自分はあまりにもドイツ人がしゃべるようなドイツ語にしか聞こえないということで不合格だったと。それを聞いて翌日、そこに押しかけてテストを受け採用されることになったとのこと。

戦時中は、いつドイツの侵攻があるかと怯えるスイス。国家的にも、スイスに亡命するフランス人に関しては、阻止するのが原則。スイス国内に入ったフランス人に関しては、追い返さずに収容所に収容するようにはしていたという(今の中共が、北朝鮮からの亡命者たちにその程度の文明的な措置をすれば…。フランスと違って、北朝鮮には「韓国」という逃げ場があるのだから、そこに「転送」するだけでいいのだ。北朝鮮の核実験などへの対応措置として、そういう亡命者を北に帰国させるようなことを止めるだけでも、北の崩壊は進展するだろう。ハンガリー経由での東独の亡命者をハンガリーがスンナリ認めたことによって東独ベルリンの壁崩壊が早まったように。東独からの亡命者も、逃げ場として西独があった。今日の欧州での難民については、シリアに対して、新シリアがないのが問題だが?)。

スイスでも灯火管制がひかれ、夜の十時以降は街灯も全面消灯。建物内も同様。パンは焼いてから48時間が経過したものでないと販売不可となった。古くなったパンは焼きたてほど美味しくないので、消費が抑えられるという考えからの実施。
ドイツのみならず、イギリス側とて、スイス向けの物資の通路をふさいだりすることもあったそうな。それを解除するにはスイスのある譲歩を必要としており、その譲歩があって初めて、そうした措置が解除されたりもしたという(ドイツ側に対しても同様のことが)。

「そうした封鎖をそのうちまた解除したりするのは、それは彼らがスイスの美しい山並みのことを思い出したからというわけではなくて」「スイスが譲歩したりしたからである」「スイス側には多大な外交的手腕と、譲歩の心構えが必要だったのである」
ベルンでは毎晩のように空襲警報が鳴った。連合国の戦闘機がスイスを素通りしてイタリア上空を爆撃したりも。スイス人はほとんどが反ドイツ。それ故に、灯火管制をしないほうが、明るいスイスを発見できれば、簡単に正しい方向(ドイツ、イタリア)に進路を設定できるからと考えて、あえて家を暗くしない人々もいたそうな。それもまた一案か。

原著はもっと大部のようで、彼の生涯を描いているようだが、訳者(高柳英子氏)のあとがきによれば、原著の中間部(青年期)のエピソードの部分、十章を抜粋したとのこと。それは少し残念だが。

本書を読みながら、ジョージ・オーウェルのことを想起した。彼は1903年生まれで1950年に死去。1909年生まれのシュタイガーとほぼ同世代といえよう(残念ながらシュタイガーのように長命ではなく、彼の半分ぐらいしか生きられなかった)。彼もアナウンサーではなかったものの、時にはマイクの前に座ったこともあり、BBCの戦時放送に関わっていたことがある。そのあたりは、ジョージ・オーウェルの『戦争とラジオ BBC時代』 (晶文社)で詳述されている。

日本の戦時宣伝ラジオ放送に関しては、この前紹介した池田徳眞氏の『日の丸アワー 対米謀略放送物語』『プロパガンダ戦史』 (中公新書)、並河亮氏の『もうひとつの太平洋戦争 戦時放送記者がいま明かす日本の対外宣伝戦略』 (PHP研究所・二十一世紀図書館)などが詳しい。

シュタイガーの本も、スイスの「対内外ラジオ放送」「闘う民主主義」「闘う平和主義」「闘う中立主義」の実態を垣間見ることのできる一冊。「平和のために闘う」ということは、武力以外にも宣伝力や交渉力など、さまざまな総合力か必要だということを実感させられた次第(もちろん、武力も必要)。

日本は文化豊かな素晴らしい国だから、侵略されることもなく、侵略してきた国の兵隊も頭を下げるから、平和憲法9条を守っていれば大丈夫だなんて考えるのは、反知性主義の最たる ものだということも分かる一冊といえようか(何度でもいうが、そんな素晴らしい9条の精神を、隣国の中共や北朝鮮に出張して布教してきたらいいのに、なぜしないのか。なぜ出来ないのか? そのあたりよくよく注視すれば、空念仏平和運動屋の虚妄はすぐに見破ることが出来よう。昨日は安保法制成立一周年とかで、雨の中、反対デモに明け暮れた人たちもいたようだ。安保粉砕と安倍粉砕とを同一視しただけの政治性過剰の平和運動には賛成できないが、日本の軍事力増強の一因になっている中国に対して、中国大使館前などでも、「そんな屁理屈を作り出すような妄動はやめよ、尖閣に来るな。戦争法案反対、中共尖閣侵入反対、日米安保反対」とかやれば、説得力がさらに増すだろうに?)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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