古本虫がさまよう 憲法
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民進党前原誠司氏の憲法改正論も…「気持ち悪いぐらいの変節だ」「9条2項、96条改正」→「9条はそのまま温存で第3項を」  くらべた・しらべた ひみつのゴキブリと自民党&民進党?
(2016・10・7・金曜日)




2016・10・6毎日朝刊に「蓮舫代表」VS「稲田防衛相」「気持ちいいぐらいの変節だ」「核保有検討」→「核なき世界を」との記事が出ていた。

民進党の蓮舫代表は5日の参院予算委員会で、稲田朋美防衛相が2011年3月の雑誌の対談で「(旧民主党政権の)子ども手当を防衛費にそっくり回せば軍事費の国際水準に近づく」などと防衛費拡大を求めた発言を挙げ、批判した。
 稲田氏は「当時の民主党政権の安全保障・防衛に大変危機感を持ち指摘した」と説明したが、蓮舫氏は「政権が変われば野党時代に言ったことは関係ないのか」と追及した。
 また、稲田氏が同じ雑誌で日本独自の核保有を「国家戦略として検討すべきだ」と発言したことも挙げ「今は非核三原則を守ると言ったが、なぜ変わったのか」とただした。稲田氏が「当時の日米同盟はガタガタだったが、安倍政権になってかつてないほど強固になった。核なき世界を実現するため全力を尽くす」と述べると、蓮舫氏は「気持ちいいぐらいの変節だ」と批判し、発言撤回を求めた。【葛西大博】



まぁ、天に唾するというわけでもないが、蓮舫さんと代表選挙を争って負けた前原誠司さんは「正論」(上記の「雑誌」は「正論」のこと。毎日新聞は、「正論」が嫌いなのかな?)ならぬ「諸君!」(二〇〇五年六月号)でこんな勇ましい改憲発言をしていた。当時、彼は影の内閣というか「次の内閣・ネクスト防衛庁長官」。いまの稲田さんとは「逆」のポスト?

雑誌のタイトルは「先ずは九条二項を削除してから」だった。

「(憲法)九条一項はそのままでいいと思います。二項を全面削除し、書き換えて、自衛権を日本が持っていることをきちんと明記すればいい」
「憲法の第一章には国民主権を持ってくるべきです」
「具体的な改正は、まず九条と改正条項、さらにあと何を第一回目の改正に加えるかを議論することから始めるべきです」「大体の方向性ができたならば、第一回目の憲法改正では、九条と、憲法改正条項のハードルを下げることに専念する」「大事なところから根気強く改正していくべきなんです」


九条二項の削除、九六条の改正条項のハードルを下げることをすでに十年前に主張していた。これって、安倍首相の考えとほぼ同じでは? 一致するところから改正していくことも肝要。「憲法の第一章には国民主権を持ってくるべきです」という考えは、それはそれで一つの中道リベラル的な「見識」とはいえよう。

ところが、二〇一六年九月の代表選挙では、彼は、なぜか九条二項削除と言わず、九条はそのままにして、 新たに第三項を設置するなどと、九条改憲の信念が揺らいでいるかのような主張を展開していた。なぜ?
さらに、九六条改正条項のハードルを下げるなんて民進党内では「タブー」「絶対反対」となっており、安倍首相が九六条改正を主張していたら、トンデモナイと大反対をしていた。そのとき、前原さんは、「何をおっしゃる。この点は安倍首相が正しい!」とは決して言わなかったのでは? そんな風に、精一杯「リベラル臭」を撒き散らしたのに、代表選挙では見事に落選!

ともあれ、盛口満氏(絵・文)の『くらべた・しらべた ひみつのゴキブリ』 (岩崎書店)を読んだ。著者のゴキブリイラストも満載。子供たちに「嫌いな虫は何?」と聞くと、圧倒的にゴキブリが多い。ということで調べて描いたのが本書とのこと。綺麗なゴキブリ、有用なゴキブリもいるという。ペットになるゴキブリやペットの餌用のゴキブリもいるとか。ゴキブリもイロイロなんだ。自民党も民進党もイロイロだし?

とはいえ、この前、夜間、道を歩いていたら、ゴキブリがゴソゴソと。すぐに踏みつぶした。ゴキブリと進歩的文化人は踏みつぶすに限る?。いやいや、この両者はシブトイからね? 踏みつぶしても…。ベルリンの壁やソ連が崩壊しても、いろいろと理屈つけて、分野を変えて、手を変えて…屁理屈をコネ回して、自己正当化を図るから要注意ですな?

ついでに、村上誠一郎氏の『自民党ひとり良識派』 (講談社現代新書)を読んだ。自民党内にあって、アンチ安倍政治を標榜する政治家のエッセイ本。

内容紹介→いつから自民党はモノの言いにくい政党になってしまったのか。安保関連法採決は立憲主義の放棄。「カラスは白い」という自民党幹部。派閥政治の功罪。公務員法改正の問題。私も大臣を務めた小泉政権のトラウマ。選挙制度改悪の歴史。財政再建と消費税めぐる正論。社会保障は中福祉中負担に
内容(「BOOK」データベースより)
誰よりも自民党を愛するからこそ覚悟の正論!いつから、わが自民党は正しいことを堂々と言えない「不自由民主党」になってしまったのか!?安保法制は問題だらけ。立憲主義を守れ。憲法は権力者のものではない。アベノミクスはもう限界である。かつてのわが党の良さを取り戻せ!



著者は河本派だったとのこと。まぁ、御身大切にされたし? 程度の読後感しか出てこなかった。 民進党に移籍するほうがいいのでは?
民進党の松原仁代議士とトレードしたらいいかもね? 前原氏でもいいかも? 信念の改憲論も満足に展開できないような「不自由民進党」では……。 台湾・沖縄交換条約みたいに?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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ジョージオーウェルとオットー・シュタイガーは、戦時中、マイクの前で「空念仏」を訴えたのではない!
(2016・9・20・火曜日)





オットー・シュタイガーの『そのころスイスは 第二次大戦中のスイス人作家の青春』 (未知谷)を読んだ。

シュタイガー,オットー
スイス生まれ、30年代からパリに暮らし、36年帰国後ラジオ・テレビのキャスターとなる。一方で20代半ば頃から著作を発表し始め、42年に長篇小説でグーテンベルグ・ブックギルド特別賞を受賞。以来、専業作家の道へ。推理小説、脚本、エッセー、旅行記、教科書副読本など著作多数。また児童文学者としても高い評価を得た。2009年には生誕100年を記念して復刻版が続々出版された

彼は1909年生まれで2005年死去。かなり長生きした作家だ。

いろいろと人生について悩んでいた時、たまたま立ち寄った教会で牧師の言葉を聞いた。種を蒔きに野良に出た人のたとえばなし…。あ、知っているよ、その話は…。聞き飽きた…。人が行動したり語ったりすることの多くは、実は間違っていて、それと違った行ないが本当は正しく成功をもたらすとか、そんな話だろう…。うたた寝でもするかと。

ところが、牧師はこう語る。
「人生とは、一つのリスクです。だからそこには最初の第一歩を踏み出すための、勇気と信頼が必要です。その一歩は、人を不確かな将来へと導いてしまうかもしれない。だから自分が遂行しようとしているその一歩が正しいものだという信頼と、たとえ障害がたちはだかって、それを克服しなければならない事態になっても、それを遂行しようという勇気が必要なのです」と牧師は説いた。

「自分が踏み出したいと望み、踏み出さなければならないその第一歩が、どんな第一歩であるかについては、まだ見当も付かなかった。しかしとにかくわたしは自分の無気力から目覚めたのだ。この数分間で自分がまったく違った人間になったような気分だった。何かがしたかった。これは新鮮な感覚だった」 (いやはや、こういう「第一歩」を踏み出すということに関しては、人は誰しも遭遇することだろう。中学入試、大学入試、就職、結婚、再婚? 転職? 会社倒産? 再就職? 定年?、病気? セカンドライフ?……。ぬるま湯にひたるのもまたいいし、荒波に飛び込むのもいいし、まぁ、人生イロイロ。人生意気に感ず…好きなことをやれるかやれないか---が大切かな?)。

教会からの帰り道、パリに住んでいた母の友人のおばさんに手紙を出すことを決意。スイスからパリに遊学しようとする。その希望はかなえられパリに向かう。しばし滞在するもののおばさんが死去して、スイスに戻ることになる。やがて小説を書き、新聞や雑誌に投稿。本も出る。第二次大戦が始まり、枢軸国からも連合国からもスイスの地理的要因か注視されるようになるが、国家総動員令により、兵役につくことになる。映画映像部門の検閲担当や、ラジオニュースを読む仕事を仰せつけられる。スイスにいるドイツスパイ(大使館の庭師)は彼の尾行をし、撮影するすることもあったそうな。もし、ドイツがスイスを占領すれば、いつもの声のアナウンサーがドイツ寄りのニュースを読めば、説得力が増すと考えたのかもしれないと。そんなこともあり、アナウンサー用の「隠れ家」が用意もされる。戦後のスイスでは、著者は「戦争中、国民の声であった」と称せられることも。

彼がそんな要職を任命されたのも偶然の結果だった。ある夜、たまたまた立ち寄ったカフェで、チェスをしていて出会った男が、帰り道、ラジオ局のアナウンサーの仕事に落ちたという。スイス人なまりの多少はあるドイツ語をしゃべる人を局は求めているのだが、自分はあまりにもドイツ人がしゃべるようなドイツ語にしか聞こえないということで不合格だったと。それを聞いて翌日、そこに押しかけてテストを受け採用されることになったとのこと。

戦時中は、いつドイツの侵攻があるかと怯えるスイス。国家的にも、スイスに亡命するフランス人に関しては、阻止するのが原則。スイス国内に入ったフランス人に関しては、追い返さずに収容所に収容するようにはしていたという(今の中共が、北朝鮮からの亡命者たちにその程度の文明的な措置をすれば…。フランスと違って、北朝鮮には「韓国」という逃げ場があるのだから、そこに「転送」するだけでいいのだ。北朝鮮の核実験などへの対応措置として、そういう亡命者を北に帰国させるようなことを止めるだけでも、北の崩壊は進展するだろう。ハンガリー経由での東独の亡命者をハンガリーがスンナリ認めたことによって東独ベルリンの壁崩壊が早まったように。東独からの亡命者も、逃げ場として西独があった。今日の欧州での難民については、シリアに対して、新シリアがないのが問題だが?)。

スイスでも灯火管制がひかれ、夜の十時以降は街灯も全面消灯。建物内も同様。パンは焼いてから48時間が経過したものでないと販売不可となった。古くなったパンは焼きたてほど美味しくないので、消費が抑えられるという考えからの実施。
ドイツのみならず、イギリス側とて、スイス向けの物資の通路をふさいだりすることもあったそうな。それを解除するにはスイスのある譲歩を必要としており、その譲歩があって初めて、そうした措置が解除されたりもしたという(ドイツ側に対しても同様のことが)。

「そうした封鎖をそのうちまた解除したりするのは、それは彼らがスイスの美しい山並みのことを思い出したからというわけではなくて」「スイスが譲歩したりしたからである」「スイス側には多大な外交的手腕と、譲歩の心構えが必要だったのである」
ベルンでは毎晩のように空襲警報が鳴った。連合国の戦闘機がスイスを素通りしてイタリア上空を爆撃したりも。スイス人はほとんどが反ドイツ。それ故に、灯火管制をしないほうが、明るいスイスを発見できれば、簡単に正しい方向(ドイツ、イタリア)に進路を設定できるからと考えて、あえて家を暗くしない人々もいたそうな。それもまた一案か。

原著はもっと大部のようで、彼の生涯を描いているようだが、訳者(高柳英子氏)のあとがきによれば、原著の中間部(青年期)のエピソードの部分、十章を抜粋したとのこと。それは少し残念だが。

本書を読みながら、ジョージ・オーウェルのことを想起した。彼は1903年生まれで1950年に死去。1909年生まれのシュタイガーとほぼ同世代といえよう(残念ながらシュタイガーのように長命ではなく、彼の半分ぐらいしか生きられなかった)。彼もアナウンサーではなかったものの、時にはマイクの前に座ったこともあり、BBCの戦時放送に関わっていたことがある。そのあたりは、ジョージ・オーウェルの『戦争とラジオ BBC時代』 (晶文社)で詳述されている。

日本の戦時宣伝ラジオ放送に関しては、この前紹介した池田徳眞氏の『日の丸アワー 対米謀略放送物語』『プロパガンダ戦史』 (中公新書)、並河亮氏の『もうひとつの太平洋戦争 戦時放送記者がいま明かす日本の対外宣伝戦略』 (PHP研究所・二十一世紀図書館)などが詳しい。

シュタイガーの本も、スイスの「対内外ラジオ放送」「闘う民主主義」「闘う平和主義」「闘う中立主義」の実態を垣間見ることのできる一冊。「平和のために闘う」ということは、武力以外にも宣伝力や交渉力など、さまざまな総合力か必要だということを実感させられた次第(もちろん、武力も必要)。

日本は文化豊かな素晴らしい国だから、侵略されることもなく、侵略してきた国の兵隊も頭を下げるから、平和憲法9条を守っていれば大丈夫だなんて考えるのは、反知性主義の最たる ものだということも分かる一冊といえようか(何度でもいうが、そんな素晴らしい9条の精神を、隣国の中共や北朝鮮に出張して布教してきたらいいのに、なぜしないのか。なぜ出来ないのか? そのあたりよくよく注視すれば、空念仏平和運動屋の虚妄はすぐに見破ることが出来よう。昨日は安保法制成立一周年とかで、雨の中、反対デモに明け暮れた人たちもいたようだ。安保粉砕と安倍粉砕とを同一視しただけの政治性過剰の平和運動には賛成できないが、日本の軍事力増強の一因になっている中国に対して、中国大使館前などでも、「そんな屁理屈を作り出すような妄動はやめよ、尖閣に来るな。戦争法案反対、中共尖閣侵入反対、日米安保反対」とかやれば、説得力がさらに増すだろうに?)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「反知性主義」「半知性主義」に陥らないためにも、佐々淳行・加藤秀治郎・東谷暁・小林節の憲法論は必読!
(2016・8・25・木曜日)





2016・8・22・産経新聞正論欄で佐々淳行氏が、憲法9条改正の必要性を説き、「半国家」からの脱却を強く主張していた。一読同感。ということで、加藤秀治郎氏の『やがて哀しき憲法九条 あなたの知らない憲法九条の話』 (展転社)を読んだ。これは憲法に関して「反知性主義」者たちが必死になって創造(捏造?)している「神話」を打破する名著といえる。
著者は政治学者であって、憲法学者ではないが、日本が「無条件降伏」したという「神話」の打破から始まり、高見順の『敗戦日記』 (中公文庫)のつまみ食いをする進歩派憲法学者(愛敬浩二氏『改憲問題』ちくま新書)の「引用トリック」も鋭く見破っている。
本書の末尾にある「引用・参考文献」も、我が家にほとんどあるではないか(ただ「積んどく」が多いのが…)。

単細胞的な「護憲」教育がはびこる昨今、こういう本を高校生が読めば「知性主義」的になれることだろう。

引き続き、東谷暁氏の『不毛な憲法論議』 (朝日新書)を読んだ。この人も「憲法学者」ではないが、護憲派(改憲派)の「虚妄」を解きあかしている。

ただ、毎日の世論調査(2005年2月)のデータで、9条に関して「一項、二項とも改めるべきではない」が41%、「戦力の不保持を定めた第二項だけを改めるべきだ」が21%、「一項、二項とも改めるべきだ」は20%だとして、国民の間に憲法改正への気運が高まっているとはいえないとしているのには若干の疑問がある。

というのも事細かに9条に関して聴いていけば、9条改正派が多数になることは明々白々だからだ。この世論調査にしても「一項、二項とも改めるべきではない」という41%の半分以上は、「今の憲法9条を普通に解釈すれば、自衛隊解散、日米安保廃止となりえますが、それでいいでしょうか。そういう解釈ができない程度に、9条2項をこういう風に改正するのに賛成しますか」と具体的に細かく聴けば、41%の半分以上は「改正派」になるだろう。そうなれば国民の6割以上が、9条改正派になりうる。

実際、同じ毎日の世論調査(2007・5・3付け報道)によると、「(9条の)改正容認は59パーセント」「具体策『新条項付加』が多数」と報じている。

毎日の世論調査はまず「憲法9条は第1項で戦争放棄を、第2項で戦力の不保持を定めています。九条改正について、あなたは、どう考えますか」と。

「一切、改めるべきではない」が28%。「何らかの改正が必要だ」が59%。
そして「何らかの改正が必要」と答えた人に、どのように改正するのが望ましいかと聞いたところ「第1項だけ」改正が5%、「第2項だけ」が22%、「1項、2項とも改めるべきだ」が23%、「新たな条項を」が47%あったという。

この世論調査とて、「憲法9条は第1項で戦争放棄を、第2項で戦力の不保持を定めています。九条改正について、あなたは、どう考えますか」ではなくて、「今の憲法9条を普通に解釈すれば、自衛隊解散、日米安保廃止となりえますが、それでいいでしょうか。そういう解釈ができない程度に、9条を改正するのに賛成しますか、反対ですか?」と聞けば、「一切、改めるべきではない」28%は減り、「何らかの改正が必要だ」59%は上昇することだろう。

ただ、逆に、「前項の目的を達するため」とか、そういう「芦田修正」があったために自衛隊合憲説が辛うじて成立したことを快く思わない人もいるだろう。そういう人は9条改正に関して、普通の改正派と違って、逆向きに、もっと条文を過激(?)にして、自衛隊合憲説がゼロになるような条文改正を考えている人もいるだろう。また、仕方ない、「自衛隊合憲」にはしてみせるが、それは災害などの対策や本当に最小限の軍備に限定し、軍事同盟や集団的防衛などは違憲になるような条文を修正追記すべしと考えている人もいるだろう。しかし、そういう修正派改正派よりは、はるかに自衛隊違憲説が消滅し、日米安保肯定論的な改正派のほうが多数派となろう。

朝日の世論調査(2007・5・3発表)などを見ると、「憲法は9条で『戦争を放棄し、戦力を持たない』と定めています。日本がこの60年間戦争をせずに平和であり続けたことに、憲法9条が役立ってきたと思いますか」という「洗脳」的問いかけ(?)を枕詞的に出して事細かに聞いている。そう聞かれると、そりゃそうかもねということもあってか、78%が「役立ってきた」と選択。

すると朝日の見出しは「9条『平和に貢献』78%」…となるのだ。しかし、朝日は「いまの自衛隊は憲法に違反しているという意見と、違反していないという意見があります。どちらの意見に賛成ですか」と質問もしている。違反しているが23%、違反していないが60%となっている。「自衛隊合憲説」が、巷の憲法学者と違って「市民」の間では多数派である。そして「いまの憲法には、自衛隊のことが書かれていません。自衛隊の存在を憲法の中に書く必要があると思いますか」という質問には、「書く必要がある」が56%。「書く必要はない」は31%となっている。
「書く必要がある」というのは、「書き改める必要がある」「書き加える必要がある」ということと同じ意味であり、「改憲」「加憲」派が60%弱あるという結果ととらえることも可能だろう。

とはいえ、そのあと、いくつかの恣意的(?)質問を加えて、9条改正派が「少数派」になるように「報導」している。

ともあれ、このように、世論調査も事細かく見ていくと、国民の多くは、自衛隊も日米安保も肯定しており、巷の憲法学者の本音(自衛隊も日米安保も9条違反だから、護憲を貫けば、自衛隊解散、安保廃止が筋?)を知り、彼らの本音を粉砕(?)するためにも、9条をこんなふうに改正したらといった穏健案を提示すれば、少なくとも国民投票でも6割以上(いや8割以上)が賛成するのは自明だと僕は思う。それを恐れて、とにもかくにも9条改正案を提示させないように「言論封殺」でも何でもしようとしているのが、「反知性主義集団」の「護憲派」であろう。

石橋湛山をつまみ食いする例は、加藤氏の本でも詳述されていたが、南原繁をつまみ食いする「護憲派」ジャーナリストの虚妄を東谷氏は鋭く批判している。そのほか、軍事費が経済復興や安定に脅威となるといった「通説」への懐疑も提示していて説得力がある。

改憲派から護憲派になった、「変節」したといわれている小林節氏だが、9条に関しては、一応以下のような見解を示している。

9条護憲派の「石頭」 慶大名誉教授 小林節
2015年02月25日 18時02分46秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

9条護憲派の「石頭」 2015/2/24

 私は一貫して憲法9条の改正を主張してきた。その趣旨は、文意が曖昧で不毛な論争が絶えない9条を、もっとスッキリした文言に書き直して、国家として「してもよい事」と「してはならない事」を明確にして、よって、9条の規範性を高めようとするものである。

具体的には、大要、次の提案である。つまり、(1)「わが国は、世界平和を誠実に希求し、間違っても再び他国を侵略しない」(2)「ただし、わが国も、独立主権国家として、他国から侵略の対象にされた場合には自衛戦争は行う」(3)「前項の目的を達するため、わが国は、陸海空軍その他の自衛軍を保持する」(4)「自衛軍による国際貢献は、事前に国連決議と国会による承認を得ることを必要とする」
こうすれば、まず、(1)自衛隊の正当性に関する不毛な論争が不要になり、隊員は堂々と任務にまい進することができる。加えて、(2)戦後70年間、9条の下でわが国が一度も戦争(海外派兵)をしないでこられた実績を維持することもできる。つまり、国連の安全保障理事会には常任理事国の拒否権制度がある以上、世界が陣営に分かれて争っている紛争では国連の安保理決議は出されようがないわけで、わが国は一方の助っ人として戦争に加担しないで済む。しかし、安保理が一致して決議した場合にはその相手は世界秩序の敵であると認定されたわけで、大国・日本が世界の「警察」活動に参加しないわけにはいかないであろう。

ところで、私は、憲法9条をそのままにして海外派兵(集団的自衛権の行使)を敢行しようとしている安倍首相の考えに、それは立憲主義に反する…として反対しており、その故に、最近、9条護憲派の集会に招かれて講演する機会が多くなった。
そこで、最近、同じ論難にしばしば遭遇した。いわく、「9条を改正しろと言うが、9条が存在したからこそこれまで70年も戦争をしない国でいられたのだ。だから、9条に触れるべきではない」
しかし、今、その9条の「解釈」と称して海外派兵(戦争)ができる…と言う首相が9条を破壊しつつあるのではあるまいか?だから、そういうことをさせないために、私は今、9条の趣旨を変えずに文言を工夫することにより9条の規範性を高めようとしているのである。
それでも「9条に触るな!」と繰り返す護憲派は、「石頭」としか言いようがない。(慶大名誉教授・弁護士)
※小林節一刀両断コラム2月24日より「転載」



マァ、朝日も、この小林さんの改正案を提示して賛成ですか、反対ですかと聞いてみたらいかがかしら。僕も賛成しますよ?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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北朝鮮の「ミサイル発射」に対して「空中楼閣的憲法論者」と「幻想的平和主義者」はどう応えるのか?
(2016・2・9・火曜日)




北朝鮮の「ミサイル発射」に対して、自衛隊などが「出動待機」したことに関して、「北朝鮮を敵視している」「人工衛星発射に対して過剰反応だ」といった「反対運動」が日本国内のどこかで起きているだろうか? そういった「超リベラル」な反対運動をしているにもかかわらず、政権べったりのマスコミが、そういう北朝鮮擁護の「(反)知性主義的な主張?」を紹介するのは拙いと自己規制して報道しないのではないのか? 心配だ? そういう主張も「言論の自由」のひとつではあろう。ナチスを賛美するのも、スターリンを賛美するのも「言論」ならばありうるかもしれないから……。とはいえ……。いくらなんでも?

と思っていたら、さすがは「日刊ゲンダイ」。2016年2月9日付け(実際は8日発売)が、「冷静な識者はどう見たか」「『北朝鮮ミサイル』列島大騒動」「ありもしない危機を軍拡や改憲の根拠に政治利用」との見出しで報じていた。

人工衛星をミサイルとみなす「愚」を識者に指摘させての論調展開。PAC3なんか、何の役にも立たないとのこと。「起こりもしない危機を煽り立てて、国民を改憲に向かわせようとしているだけ」(天木直人氏)とのこと。ううむ、なるほど?

もっとも、「起こりもしない戦争の危機を煽り立てて、国民を9条死守に向かわせようとしているだけ」という人たちもいるのかも?

ともあれ、多様な言論がある日本はいいことだ。数日前の日刊ゲンダイは、たしか安倍首相が、日本の言論が萎縮しているのではないかという国会質問に対して、そんなことはない、日刊ゲンダイを見れば‥という趣旨の答弁をして、それにもかみついていたかと?

ところで、「みすず」(2016年1&2号)を読んだ。恒例の読書アンケート特集号。原則、ベスト5をあげている。玉石混淆というか、進歩的文化人から中庸な人から、コメントする読書人はさまざまであるが、これだけたくさん人がいると、毎年、ほぉ、そんな面白そうな本があるのか、手にして見ようということで一読(積んどくも多し?)することがあるもの。また、あぁ、積んどくしたままだなと反省することも。こんな本がベストなの?とも。

僕が本欄で、イマイチ本として批判的に紹介した山本義隆氏の『私の1960年代』 (金曜日)を挙げる人が複数いたのには驚いた?
山本氏は、安保闘争やベトナム反戦運動をいまだに正しかったとして回顧しているが、サイゴン陥落後の難民流出や、ベトコンが所詮は北ベトナムの傀儡でしかなかった事実などへの言及が全くないのには疑問を感じたし、いまはなき「ソ同盟」というか、スターリンやソ連の悪口は言えるが、北朝鮮の核開発や人権弾圧や拉致などへの関心はさほど表明したくもないようで、この本にもまったく出てこない‥‥と指摘したが、それに尽きる?

おや?と思ったのが苅部直氏。僕が好きだった憲法学者の尾吹善人氏の『憲法徒然草』 (三嶺書房)をはじめとする憲法エッセイ本である『憲法学氏者の大あくび』『憲法学者の空手チョップ』 (東京法経学院出版)、『寝ても覚めても憲法学者』 (フォラオ企画)を良書として紹介している。

「このシリーズで辛辣に批判されている『空中楼閣的憲法論』が繁盛のいま、どこかで復刊を試みてもいいのではないだろうか」と。同感だ。尾吹氏の専門書も含めて、こういう憲法エッセイ集は、「日本の古本屋」や「アマゾン」などでも入手困難本になっているようだ。都内の区立図書館で稀に「蔵書」として貸出可能な図書館もあるようだ。そこで借りて読むのもいいけど‥‥。復刊するなら、ちくま学芸文庫なんかいいかも? 岩波現代文庫は無理かな?

どちらかといえば、西修氏、百地章氏などの「護憲的改憲派」につらなる憲法学者と僕は感じていた(尾吹氏は故人)。

苅部氏は、岩波書店の「社史」的な本を書いている。『物語 岩波書店百年史 「戦後」から離れて』 (岩波書店)は以前、本欄で紹介したが、岩波の弱点を鋭くギリギリ突いた本で、若干の違和感はあっても、実に読みごたえのある内容だったことはすでに述べた通り。尾吹氏の本も面白く読む人なら、まともである?

去年のみすず(2015年1月&2月号)で、成田善弘氏(精神医学)が、ニクソンの『指導者とは』 (文春学藝ライブラリー)を推奨し、「ニクソンが現実を直視し現実から学ぶ真のリアリストであると同時に、知性と教養ある人物であったことをはじめて知った。戦争はいやだと唱えてさえいれば平和がくると思っているらしい幻想的平和主義者に読んでもらいたい」とコメントしているのにはおやっと思ったことは1年前に記した。
この本は、単行本で訳出された時に読んだから、かなり昔。ニクソンはほかにも『ノー・モア・ヴェトナム』 (講談社)や『リアル・ウォー 第三次世界大戦は始まっている』 (文藝春秋)などを愛読したものだ。いかがわしいスキャンダルで失脚した政治家ではあったが、見識はあるなと。しかし、ティム ・ワイナーの『FBI秘録 上下』 (文藝春秋)などをひもとくと、やはりニクソン、ちょっと悪い奴だったなとも? まぁ、人間、ジキルとハイド。是々非々で応対すべき政治家であろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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『さよならアジア 日本の組める相手は韓国だけか? 』か、『さよなら、中韓 日本の組める相手はASEAN諸国だけか?』か、『さよなら、ヘイト本』か?
(2015・8・1・土曜日)



大泉実成氏&加藤直樹氏&木村元彦氏の『さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側』 (ころから)をこの前紹介。
そこに登場していた古谷経衡氏の『もう、無韓心でいい』 (ワック)を遅ればせであるが読んだ。
『さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側』では、古谷氏に一定の評価を与えている(「『まともな』保守の人」「ヘイトスピーチなどの低俗な排外主義やレイシズムは断固否定するという立場を打ち出して」いる)。ところが、その中の別のところでは、『もう、無韓心でいい』を「ヘイト本」「羊頭狗肉度第3位」の本として、おとしめている。

だが、この本を一読すると、「ヘイトスピーチなどの低俗な排外主義やレイシズムは断固否定するという立場を打ち出して」おり、いわゆる「ヘイト本」とは思えない内容であった。第5章では「インターネットの中で肥大化する韓国」ということで、ネットに蔓延する、さまざまな「在日陰謀論」を適宜否定もしている。

それでなぜ「ヘイト本」扱いするのだろうか? いい加減?

ともあれ、古谷氏の本を愛読しているが、本書もおおむね、ふむふむなるほどと一読。僕は韓国と中国(大陸)には観光旅行にも出かけたことがない。
まぁ、東京都民の「東京タワー」みたいなもので、行きたければいつでも行ける近隣諸国だからという理由もあるが、「無関心」故に行かないのかもしれないと本書を読んで感じた。
もちろん、中国(大陸)に関しては、「敵情視察」の観点から出かけてみたいという希望は持っているのだが(かつて初めての海外旅行としてソ連に行った時も、そういう観点から?)。

長谷川慶太郎氏が、かつて1986年に『さよならアジア 日本の組める相手は韓国だけか? 』 (ネスコ)という本を書いたことがある。当時一読したが、内容は忘れた。タイトルからすると、30年後のいま読み返すといささか「?」が浮かぶかも。今なら、 『さよなら、中韓 日本の組める相手はASEAN諸国だけか?』といえるのかもしれない。国際情勢は刻々と変化していく。
国家は、適度に歩調を合わせつつも、巧みに生き抜くことが肝要。それは人生も同様であろうか。

それにしても、集団的自衛権云々も、その権利はあるがあえてそれは使わないといっていたものを、権利はあるからそれは使うとすることがそんなにいけないことなのか? 立憲主義否定だのなんだのと居丈高に批判されるものなのか? 改憲や解釈変更を「ヘイト」するのもほどほどに?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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