古本虫がさまよう 人生
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『カタロニア讃歌』はいいけど、『カタロニア惨禍』は許せない!
(2017・8・19・土曜日)




ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』 (ハヤカワ文庫ほか)の舞台でもあるスペイン・バルセロナで8月17日午後4時50分(日本時間同11時50分)ごろ、繁華街のランブラス通りでワゴン車が歩行者を次々とはね、百人以上の死傷者が出たとのこと。 「カタロニア惨禍」というべきか。

日頃あまり見ないNHKの衛星放送の海外ニュースを朝から見る羽目になった。なにしろ、スペインは我が第二の祖国だから…というのは冗談としても(いまでも地震の恐れの多い、しかも猛暑の可能性の高い2020年の東京五輪は返上し、マドリッドに譲るべきだとは思っている程度のスペイン贔屓だが)、ランブラス通りといえば、数年前、同じ8月に歩いたことがあるだけに、映像を見ていろいろと…。あれはマドリッド駅でのテロがあってからは数年後だったか(バルセロナのあと、ウェスカ、サラゴサに行き、そこから新幹線でマドリッド駅に行ったが、駅はもちろん復旧していて爆破事故の痕は感じなかった)。

バルセロナでは二泊した。ホテルはランブラス通りからは離れたところだったが、ガウディの「遺蹟」(?)に昇ったり、ランブラス通りから少し入ったところの「オーウェル広場」を覗いたり、ブラブラと歩いたものだ。オーウェルが立てこもった「劇場」を眺めたり、宿泊していたホテルのロビーに立ち寄ったり…。我が家にいるキエリクロボタンインコなどを沢山売っている鳥屋もあった。全部欲しかった? 海水浴場もあった。ロープウェーには強風で乗れなかったが…。セルベッセだったか、カーニャーだったか、昼間から一杯やったりもした。とてもいいところ。そこでのテロだけに…。日本人観光客も多かったのではないか。

それはさておき、荻原魚雷氏の『日常学事始』 (本の雑誌社)を読んだ。てっきり、以前の本―――『本と怠け者』 (ちくま文庫)、『古本暮らし』(晶文社)、『活字と自活』 (本の雑誌社)――のような古本屋行脚、古本読破・読後感想エッセイ&批評・評論集のような古本にまつわるエッセイ本かと思ったら、そうではなく、日常生活そのものを淡々と論じた本だった。


ここちよい日常って何だろう?東京・高円寺暮らしのライターが自らの経験をもとに綴る、衣食住のちょっとしたコツとたのしみ。怠け者のための快適生活コラム集。豆腐を使う「かさ増しレシピ」、賞味期限と食品の保存法あれこれ、洗濯ネットの効用、換気と健康の深い関係、日当たり優先の部屋選び…ひとり暮らしの若者たちに伝えたい衣食住のABC。お金はないけど、無理せずのんびり生きていく。

かつて僕も愛読したことのあるアンディ・ルーニーの『日常学のすすめ』 (晶文社)を著者も一読していて、そのタイトルから拝借したとのこと。

古本の話題は少ないが、古本屋の均一台の本を買うときに、一万円札を出すと烈火の如く怒鳴り散らす店主がいたとのこと。著者はそれを目撃しただけで被害者ではなさそうだが、 「古本好きなら、『ああ、あの店だな』と想像つくかも」と書いている。 「(ヒント= 神保町)」とある。

ううむ…。それらしき古本屋の店主の息子さんから、無愛想に、一万円札では売れないと言われたような記憶がある。まぁ、いまにして思えば、軒先の50円か百円の文庫本を買うのに一万円札を出されたら無理もない…とは思うが、その拒絶の言い方がちょっと尊大だったかと。商売人なら、「ちょっと、細かいのがないので…」とか言いながら、やんわりと断る態度を取るべきだろうに…と。
その古本屋は、神保町といっても、JR東日本の御茶の水駅により近い古本屋だったけど。店主は、よく浪花節かなにかを唸っていたかのような? 違っていたらゴメン遊ばせ。

そのほか、「生活」に関する本が何冊か紹介されている。半分ぐらいは読んでいたが、知らない本もあり、読んでみようかなと。

こういうエッセイ本は、読んでいる時に、いろいろと、あぁ,そうか、そうだな…なるほど…といった感想が頭に浮かんでは、消えていくといった感じで、いい意味で、読んでいる最中に楽しく読める本。自分自身、風呂なしアパートの学生時代を思い出しつつ。読了すると、内容をすぐに忘却? そういう読書もまた楽しいもの!

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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さわやかな「さわや書店」。本屋と、とんかつ屋とどっちが大切か?
(2017・8・17・木曜日)



長江貴士氏の『書店員X 「常識」に殺されない生き方』 (中公新書ラクレ)を読んだ。

内容紹介→2016年、地方の一書店が仕掛けた「文庫X」なる謎の本が、日本中を席巻した。表紙をオリジナルの手書きカバーで覆い、タイトルと著者名を隠すという前代未聞の試みは、全国650以上の書店を巻き込み、30万部を超えるヒットを記録。マスコミにも大きく取り上げられた。本書では、ヒットに至るまでの道のりとアイデアの秘訣を分析し、それらと著者自身の半生を踏まえた上で、世の中を生き抜く力について語る。

著者は、盛岡の さわや書店の店員。さわや書店といえば、伊藤清彦氏の『盛岡さわや書店奮戦記』 (論創社)を読んだことがある。
それはさておき、清水潔氏の『殺人犯はそこにいる』 (新潮文庫)という作品に感銘を受けて、この本を売るためのアイデアとして、「文庫X」的手法を編み出したとのこと。その経緯や軌跡を記しつつ、あとは自叙伝的なライフスタイルなどを綴った本。大学中退の体験もあり、いろいろと人生の挫折もあったようだ。ほかの書店でも、この手法を取ったという。買わないと何の本か分からないが、買って読んで損はしないという触れ込みでもあったようだ。

のちに、この本が清水氏のそういう本であったとのお披露目もやったそうだ。そういえば、ついこの前も神田の三省堂で、この「文庫X」が売られていたかと。
特に関心はなかったので、手にはしなかったが……。 「エロス文庫X」と題していたなら、なんだろう、あやしげな本だな?ということで手にはしたかもしれないが…。開けたら、トー・クンの『女教師』だったり? この本はすでに数十万部売れているみたいだから、いまさら…かも?

清水氏の本は『「南京事件」を調査せよ』 (文藝春秋)を読んだことがあり、イマイチの読後感を抱いたことは記憶しているが…。この新潮本は未読。そのうち機会あれば読んではみたくはなった。
巻末に、両者の対談や、お薦めの本なども紹介されている。あいにくと読んでいるものがあまりなかった。ちょっと読書傾向が異なるのかもしれないが…。

いやいや、この書店が、百田尚樹さんの『永遠の〇』 (講談社文庫)にも火をつけるきっかけになったという。そのことは昨日紹介した百田さんの『戦争と平和』 (新潮新書)の第二章「『永遠の〇』は戦争賛美小説か」というところでも詳述していた。

「嬉しかったのは、出版業界で『小さな大書店』と呼ばれることもある岩手県盛岡市のさわや書店が積極的に販売してくれたことです。さわや書店には目利きの書店員が何人かいて、一般には注目されなかった本を大々的に売り出し、全国的なベストセラーにしたことが何度もあるという不思議な書店です。さわや書店では、後の文庫も含めて累計約一万部も売ってくれました。人口約三〇万人の盛岡で、この数字は驚異的です」

南京虐殺を否定する百田さんと、あったとみなす清水氏とは「水と油」であろうが…。

個性ある筆者の書くものには、いろいろと反発もあるのだろうが…。また、作品によっては評価が異なることもありうるだろう。一作、一作、個別に評価を与えていくべき。『永遠の〇』も、宮田昇氏などが高く評価していたそうな。進歩的な人々の間も、この小説をめぐっては、いろいろと評価が異なるようだ。百田さんも指摘しているが、右派系の中にも、批判する人もいたそうな。

ともあれ、一つのアイデアを生み出す背景に、いろいろと努力なり偶然なり運なりさまざまなものがあったことを感得することのできる一冊であった。

ちょっと話題はズレるかもしれないが、 『ポパイ』 (2017年9月号)「君の街から本屋が消えたら大変だ!」という特集を組んでいた。

著名人の好きな(古)本屋の紹介(又吉直樹さんは「百年」、いしいしんじ氏は「三月書房」、東出昌大氏が「ロスパペロテス」…など。いずれも、僕も行ったことのある(古)本屋)等々。
ほぼ丸ごと一冊、本特集号だった。これも面白く読んだ次第。たしかに盛岡から、いや日本から「さわや書店」が消えると大変なことになるかも?

ちなみに「ブルータス」(2017年8月15日号)は、「とんかつ好き。」特集。「いもや」は出てこなかったようだが、これまた著名人などの贔屓の豚カツ屋などが紹介されてもいた。自分が多少なりとも行き来するところにも、よさそうな店があるようだが、まぁ、「いもや」で十分かなと。浮気もせず、目移りもせず、死ぬ直前まで「いもや」で「豚カツ」「天丼」を食べ続けることになるだろう。安くて美味い(そして禁煙)が一番だから!

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昔「♪がんばらなくちゃ、ガンバラナクチャ、がんばらなくちゃ~♪」なんて歌があったかと記憶しているが…。
(2017・8・16・水曜日)





岡崎武志氏の『人生散歩術 こんなガンバラナイ生き方もある』 (芸術新聞社)を読んだ。

井伏鱒二や高田渡や田村隆一や吉田健一等々の著作などを適宜引用紹介しつつ、ガンバラナイ生き方について軽妙に論じたエッセイ本。
個人的に、ちょっと苦手な人も登場しているが(?)、へぇ、そういう来歴の人だったのかという人もいて、著作を読んでみようかという気にもさせられた。
本書にも登場している吉田健一さんのご贔屓の神保町の「ランチョン」は相変わらず喫煙者天国のようなので、足を運ばなくなって久しいが…。 いつの日か、ちゃんとした「スモークフリー」を実現する法律が制定されたら、足を運ぶこともあろうか? それまでは学士会館のセブンズハウスで我慢(いや、失礼、セブンズハウスのビールのほうが美味い?)。吸いたい人はもちろん、他人に「強制吸引」させない範囲で自由に吸えるような「完全なる分煙社会」の実現を目指して「♪がんばらなくちゃ、ガンバラナクチャ、がんばらなくちゃ~♪」?

それにつけても、岡崎氏の一連の(古本)エッセイ---『気まぐれ古書店紀行』(工作舎)、『読書の腕前』(光文社文庫)、 『女子の古本屋』(筑摩書房)、 『蔵書の苦しみ』(光文社新書)、『気まぐれ古本さんぽ』(工作舎)、『気がついたらいつも本ばかり読んでいた』(原書房)、『古本道入門 買うたのしみ、売るよろこび』 (中公文庫)などは愛読している。次はどんな作品が出てくるのやら楽しみ…。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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日本国憲法(平和主義憲法)よりも短期間で即製された、土佐の高知の「よさこい踊り」だけど、こちらはいろいろと「改正」されたからこそ世界に広まっていったのでは? 「平和主義憲法」をなぜ、中共・北朝鮮には「押しつけ」ようとしないのか?
(2017・7・30・日曜日)





昨日(土曜日)は、高円寺古書会館へ。
土曜日は均一200円、日曜日は均一100円になる特別セール。JR東日本の高円寺駅から古書会館に向かう道中、電柱から音楽は流れてこない。セミと鳥の鳴き声と、人間の意思の力で制御できない程度のエアコンの音や人声が聞こえる程度。結構なこと。
それにしても、JR東日本の駅、ところによって違うかもしれないが、この日も某駅のホーム、エスカレーター脇の待ち椅子で、電車を待っている間、本を読もうとするのだが、そのエスカレーターのところで、ひっきりなしに(全く「間」を置くことなく)注意警告の自動音声が流れるのは耳障り。

「ベルトにつかまり黄色い線の枠内に~」「駆け上がると大変危険~」「危険防止のために緊急停止をすることが~」と。
一言注意が終ると、「ピンポーン」といった「爆発音(?)」を出しては次の警告に入る。

少しは「間」を置いて、沈黙する時間をとって流していくといった対応が取れないものか。「官僚主義」丸出しで、とにもかくにも警告したからな、あとは事故が起こっても自己責任だぞと言い訳するために間を取らずに警告音声を垂れ流してしているのだろうが…。待ち椅子に座って本を読む人(いやただ、電車を待つ人にとっても)の迷惑行為もほどほどにしてほしいものだ。

「静かな、しかしきめ細かな対応のできる駅」を目指したら? 電車が2~3分おくれても、なんのアナウンスもしない。ホームに降りてきて、あと1~2分でくるなら椅子に座らず…と思っていたら、発車時刻になっても来ない。どうなっているの?と思っても、なんのアナウンスもない。この前なんか5分ぐらい遅れていたのに、自動音声で「まもなく電車がきます…」と流れるだけ。

たまにしぶしぶか、肉声で「ただいま○○駅で救護活動をしたために電車が遅れています」と流れることもある。その電車がやってくるとラッシュ時間ではないのにラッシュ並。そういう時は一つ電車を見送ろうかと思うのだが、その判断材料を提供してくれない。「この電車は大変混んでいます。次の電車は隣の駅にきています」とかアナウンスしてくれると「選択の自由」が行使できるのだが…。

それと横浜から京浜東北線などで上京する時、品川駅の一つ手前で、上野ラインだのなんだのの「乗換便」のアナウンスがあるといいのにそういうのはしてくれていないようだ。土浦や高崎や宇都宮方面に行こうと思っていたら、さて、このまま上野駅まで行くべきか、品川駅で乗り換えたら便利かと考えるのだが…。総武線錦糸町駅手前だと、快速への乗り換え便などをアナウンスはするようだが。どうでもいいような注意をする暇があれば、役立つ情報を「肉声」で伝えることを怠らないようにすればいいのに…。
まぁ、3・11の時、駅を全面シャッター街にすることを平然としたJR東日本の経営者たちには、そんな対応はとてもできないのだろう。

ともあれ、古書会館敷地内で喫煙する人は(たまたま)いなかった模様。だが、向かいの駐車場で、ビニール袋(古本収穫)を手にしたオッサンが一服中。立ち止まっていようが、携帯灰皿ももたず、公道を歩く人にも不快感を与える行為…。やれやれ。

会場内はスマホなどを手に「せどり」中の人も。一時的にしゃがんで、棚の下の本をチェックするのはいいとしても、ずっとしゃがんでいるのは迷惑行為。通路塞ぎだから。自分さえ良ければいいという態度。この日は均一セールということで、荷物も「管理」しないので、手荷物を手にしていいのだが、リュック姿の人もある種の迷惑。通路塞ぎだから。

ともあれ、高橋義孝氏の『ヰタ・セクスアリス』 (中央公論社)をまずはゲット。このタイトル本なら、森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』 (岩波文庫)が有名。高校時代に読んだ記憶があるが、高橋氏にもこんな作品があるとは知らなかった。ちょっと、フフフの本?

そのほか持っているけど、ウィリアム・ヘリックの『スペインに死す』 (角川文庫)、ジッドの『ソヴェト旅行記・ソヴェト旅行記修正』 (新潮文庫)の三冊(税込み600円)を購入。
高円寺周辺の古本屋に立ち寄ることなく帰宅。車中&帰宅して、読みかけだった門田隆将氏の『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』 (小学館)を読了。


内容紹介→望郷と鎮魂の歌が織りなす「奇跡」
2017年4月に急逝した戦後日本を代表する歌手・ペギー葉山。愛した人々に見守られ、彼女は代表曲『南国土佐を後にして』の「譜面」を胸に抱いて天へ召された。
彼女の人生を大きく左右することになった同曲のルーツは、戦争中に中国戦線の兵隊たちによってつくられた『南国節』にさかのぼる。元兵士が述懐する極限の戦場、生と死の狭間にいた若者たちが異国の地で故郷を忍び、家族に思いを馳せながら歌い継いだ「望郷の歌」は、同時に仲間への「鎮魂歌」でもあった。
ペギーが、激戦に次ぐ激戦のさなかに生まれたこの歌に出会ったのは、偶然だったのか、それとも必然だったのか。「死」の4か月前、ペギーが筆者に対して語った数々の述懐は、その謎を解き明かし、はからずも彼女の「遺言」となった。自身もまた戦争に翻弄された少女時代を送ったペギーによって新たな「命」を吹き込まれた『南国土佐を後にして』が国民的なヒットとなったことで、新しい曲が発見された。そしてその曲が、東日本大震災の被災者たちを勇気づけ、大きな影響を与えていく。
戦地の若者が口ずさんだ歌の誕生から実に80年近くを経ても、多くの名もなき人々が共鳴し合う奇跡の物語は脈々と続いていた。丹念な取材と構成で明かされる、忘れ去れていた日本人の優しき心とは――。


読みかけ途中で一部紹介したように、前半のクライマックスは中国戦線で現地民に頼まれて豹退治に出かけたところ、生まれたばかりの赤ん坊豹に遭遇し、それを戦場で飼育することになった土佐人「鯨部隊」の実話。人間にすっかり慣れる。やがて上野公園へ……。上野公園の動物、猛獣たちの運命は…。上野公園の猛獣たちの末路はよく知られている話(とりわけ「象」の悲劇は…)だが、鯨部隊の豹飼いは知らない話だった。第六章は泣けてくるね。

第七章以降、この戦場での望郷の歌を高知で聴いた音楽家(武政英策さん)が、「南国土佐を後にして」として完成していく過程が描かれている。そしてその歌は民謡風にまずは出て行く。また、武政氏は、戦後、徳島の阿波踊りに対抗するものを作ってほしいと依頼され、「よさこい祭り」の踊りのメロディなどをわずか「5日間」で作成したという。「日本国憲法(昭和憲法)」は、何人ものアメリカ占領軍関係者などが一週間程度で作ったといわれているが、それより早い。しかも一人で…。ちなみに、鈴木昭典氏の『日本国憲法を生んだ密室の九日間』 (角川ソフィア文庫)という本もあるが…。

ともあれ、「南国土佐を後にして」を、NHK高知開局記念日にやってくるペギー葉山さんにご当地ソングとしてうたって貰おうとプロデューサーは考える。しかし、彼女は私はジャズ歌手、こんな民謡調の歌はイメージに合わない…と拒絶。そんな経緯があったものの、ナントカ…。
そんな秘話がいろいろと拡散しつつ出てくる。「ドレミの歌」やら三島由紀夫やら福島原発事故やら。
高知のことはよく知らないが、よさこい祭りは、門田氏の本にも出てくるが、北海道にもいち早く「進出」。

その経緯は、以前、軍司 貞則氏の『 「Yosakoi ソーラン祭り」の青春 』 (文藝春秋)で読んだ記憶がある。北海道の大学生が高知でよさこい祭りをみて、感動して北海道でも…と。その後、その人は自民党の国会議員にもなっているようだ。
そのほか、世界各地にも「よさこい祭りは進出していく。

門田氏の本を読みながら、あまり関心のなかったペギー葉山(最近逝去)のことや、「よさこい祭り」の変遷(最初は地味な恰好での踊りだったのが、ジャズというかロックというかサンバというか、音楽もアレンジし、服装も過激になっていったそうな)ことをいろいろと知った次第。そういう「改正」「改良」「修正」があってこその普及だったようだ。やはり「改正」は大事。高知でも、そうした派手化に難色を示す伝統的保守派がいたそうな。そういう守旧派はいかんぜよ?

土佐人によって構成された鯨部隊の中国でのそうした経緯(豹の赤ちゃんと遭遇し「ペット」にし、上野動物園に移送…。毒殺されたものの、剥製となり、その剥製を兵士が譲り受けた経緯など)も初耳だったが、そういえば、思い出した作品(ノンフィクション)があった。

光俊明氏の『七歳の捕虜―ある中国少年にとっての「戦争と平和」』 (現代教養文庫).だ。

内容紹介→七歳で日本軍に捕えられ、7000キロを行軍し、軍医に育てられた中国少年の波瀾に富んだ半生を、自ら綴ったドキュメント。

かなり昔に読んだ本で細かい内容は忘れているが、「鬼の眼にも涙」ではないが、残虐非道といわれている日本兵とて、こういう心あたたまる実話もあったのだということを知ることが出来る。もちろん、先の豹にしても、この七歳の子供にしても、日本軍が中国に出て行かなければ、そういう悲劇は発生しなかったのだろうが、不幸中の幸いという言葉もあるし…。

アマゾンでこの本を16000円~で売っているところもあるが、図書館にもあるようだ。現代教養文庫(社会思想社)以外からも出版されており、なんとカジノ=リブモンテーニュの名著(?) 『ポルの王子さま』を出しているニトリア書房からも刊行されているそうな(なんで?)。

そういえば、高円寺は8月末の土日に、阿波踊り大会が開かれたりする。昨日も、そんなポスターを見かけた。以前、それを知らずに、夕方高円寺古書会館に出かけようとしたか、知人と待ち合わせしようとして、駅からまっすぐ目的地に行けずに閉口したことがあったかと。阿波踊りには何の関心もないが、よさこい踊りには若干の関心を持つようになった次第? 夏は嫌いな甲子園もある。真夏の炎天下に未成年を酷使するスポーツなどを讃美するのはおかしいだろう。にもかかわらず、「報道しない自由」を行使する朝日新聞、NHKには困ったもの? そういう高校野球を見る暇があれば、こういう本を読んで過ごしたいもの?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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鉄道会社は、少しは利用者の利便性を考えたらどうか? 平均体格を無視した狭い座席の強要、不要な肉体的接触を防護する設備設置を怠るな うるさい車内放送はゴメンだが、マナー違反バカに注意を喚起するサービスを?(2017・7・29・土曜日)






昨日(金曜日)は、日中、明治大学近くに行く所要があり、ついでに瞬間風速的に古書会館を覗いた。すると、会場内に音楽(しかも歌詞付き。最悪!?)を流す主催者による古本市。

やれやれ…耳障りだなぁと。時間もあまりないし、「騒音」が流れるので、ささぁと数分見た程度で跡にした(買いたいものなし!)。神田の古書会館で「騒音」が流れるのは例外のほうだが…。聞きたくもない趣向の音楽を強要されるのって、本当にいやだ。真剣勝負(?)というほどではないが、古本を物色して、この本面白いかなとパラパラとめくる楽しみを阻害するのが、聞きたくもない騒音(音楽)。タバコの悪臭が漂う古本市会場も嫌だが、余計なサービスでしかない「騒音」が垂れ流しされるのも困ったもの。稀に「うるさいよ」と抗議することもあるけど、まぁ、変人と思われるのもほどほどにすべきかなと会場内では沈黙するが…。

ついでに、遅めのランチというか早めのディナーとして、いもやの「天丼」を。奮発して「えび天丼」にしたが…。単純に「天丼」に、えびが増えるのかと思ったが…。記憶違いかもしれないが、「天丼」にあったはずの「イカ」がなくなって、その分、海老が二つ増えた代物だった。ううむ? 消費者マインドとしては、「天丼」+えび二つでは? それならば「えび」一つ百円で納得だが、「イカ」がマイナスされて、「えび」二つ増では…。
今後、やはり「天丼」にしよう。贅沢は敵だ? あと、カウンターの奥のはしっこに座ったが、真上のエアコンから水滴がポタポタ。一言苦情を伝えたが…。

それはさておき、通勤電車に乗っていると、日本人の道徳心が低下していると感じることが多い。イヤホンから流れる雑音…。漏れていると気づかないのかもしれないが、ゲーム機器を「音声」だしてやっているバカ餓鬼などもこの季節には多い。
隣にいる親が、「音を出さないようにしなさい」と注意もせずに、スマホをいじっていることも。親がバカなら子もバカ! そういえば、高円寺古書会館の近く…。最近は電柱からうるさい音楽が流れていない(たまたま僕が通った時にストップしているだけか、近隣住民の抗議でもあったのか?最近は、丸ノ内線の新高円寺駅からJRの高円寺駅の間の商店街には足を運ばないが、あのナントカ商店街は相変わらず電柱からうるさい音楽を垂れ流しているのだろうか?)。

ともあれ、電車だが、この前も、7人がけの端っこの座席に座っている青年がいたが、混んでいるのに足を組んでいる。やれやれと隣の足を組んでいない人の前に立った。すると、その足組男がうるさそうにしている。というのも、端っこの座席なので、その脇、出入り口のところに立っている少女がいたのだが、ロングヘア。その長い髪が、座席にいる男の頭の上を時々なぞるような感じになっていたからだ。どっちもどっち?

というところで、下記のエッセイをネットで読み、いろいろと「そうそう」と。

以下、東洋経済オンラインの記事。

通勤電車の一等地「ドア横」巡る仁義なき戦い
立っている人の体が座っている人の顔を圧迫

伊藤 歩 金融ジャーナリスト
2017年07月25日
通勤電車のドア横では立っている人と座っている人との間でバトルが繰り返される
以前、ドア横に立っている若い女性の長い髪の先端が、車内の空調の風であおられ、座っている中年男性の鼻の先をくすぐっているのを見かけたことがある。その時は、この男性が鼻をくんくんさせて、女性の髪の匂いを堪能しているように見えたので、この男性は女性の髪が自分の鼻をくすぐっていることを迷惑だと思わなかったのだろうが、普通は迷惑に思うだろう。
ロングシート型の列車の場合、かつてはドア横の座席とドア横のスペースとを区切るものはバーだけという設計のものが大半だった。ドア横に立っている人がバーに寄りかかれば、遮るものがないのだから、それはそのままドア横に座っている人への迷惑行為になる。寄りかかればバーの内側へ体が張り出す。立っている人の体が座っている人の顔の前に張り出したり、肩にバッグをかけていれば、そのバッグが座っている人を直撃したりすることもある。
リュックを体の前で持たず背負ったままだと、寄りかからなくても張り出したり、ベルトや金具、ぶらさげているマスコットなどが座っている人の顔を直撃したりする。冬場のマフラー、ポニーテールの先端もしかり。この場所は乗客同士のトラブルを引き起こす確率が非常に高いゾーンだ。
ドア横トラブルに注意を促すポスターも
通勤電車のドアの横に立っている人の荷物が、座っている人を直撃――。東武鉄道が作成したこのポスターに描かれているのは、日常的に見かける列車内の風景だが、このドア横のスペースと座席との間に、網棚の高さまでのボードがあったら、と思ったことはないだろうか。
こんなポスターを作成するくらいだから、当然鉄道会社もこの場所で起きうるトラブルを承知している。近年投入される新型車両では、ドア横のスペースと座席との間には、バーではなくボードが設置されている。だが、このボードのサイズもデザインも、実に中途半端だと思うのだが、読者諸氏はいかがだろうか。

鉄道会社や車両によって多少の違いはあるが、大体高さは普通のサイズの男性が着席した状態で、低いもので二の腕の真ん中あたり、高いものでも首くらいまでで顔は隠れない。奥行きは最も深いものでも座席の奥行きくらいで、大半は座席の奥行きよりも浅い。
ボードの形も斜めに切ってあるものが大半で、東京メトロ日比谷線に投入されている13000系は角度がゆるいが、多くは30~45度前後の角度になっている。

通勤電車にはドア横の仕切り板が低いタイプもある(写真・省略)
代表格が、JR中央線快速やJR京浜東北線などに投入されているE233系や、東横線の5000系。東京メトロ銀座線に投入されている1000系は、ボードの先に設置されている手すりとボードとの間が最大25cmくらいある。この設計だと、ボードの上部からボードに寄りかかった人の体や荷物、マフラーや髪は余裕で座っている人を襲ってしまう。
背の高い男性が立てば、背中がボードからはみ出すし、平均的な身長の女性が立てば、髪やマフラーは普通に越境し、そして何よりもボードと手すりとの間から荷物が張り出す。人間誰しも背中に目はついていない。バッグを肩にかけたままだと、バッグを多少体の前に引き寄せていてもボードとバーとの間から座席側に張り出してしまうのに、バッグの持ち主はそのことに気づかない。
立っている人は自分の行動が迷惑だと気づかない
意外と頻繁に見かけるのが、斜めにカットされたボードと手すりとの間に体を滑り込ませ、手すりを抱き込むようにして立つ人だ。座っている人からすると、目の前にかがみ込まれるような形になる。
超満員の車両内では人は大抵のことは我慢するだろうが、多少は余裕がある車両では、こうした「迷惑行為」に対して、座っている人は一言言いたくなることもあるだろう。
文句を言う代わりに黙って座席を立って移動する人もいるが、文句を言ったところで、立っている人は「加害者」であるにもかかわらず、謝る人はめったに見かけない。こうした人は文句を言われると、かなりの確率で言い返すか、舌打ちをするか、いずれにしても納得しがたい顔をする。座っている人に嫌がらせをする意図はなさそうなので、要するに自分の行為が他人にどう影響を及ぼすかという想像力に欠けるだけなのだろう。
ちなみに筆者は基本的にドア横には立たないし、座りもしないが、ごくまれに座ったときに被害に遭ったら黙って席を立つ。我慢するのも嫌だが、けんかにでもなって足止めを食らうのはご免だからだ。

気を使え、譲り合えと言ったところで何の解決にもならない。ドア横に網棚までの高さがあり、深く座席に座った人のひざが隠れる程度の幅のボードがあったら、トラブルは激減すると思うのだが、導入される気配はない。

東武鉄道はポスターでドア横の迷惑行為に注意を促す
首都圏の鉄道会社(JR東日本、東京メトロ他私鉄7社)にその理由を聞いてみたところ、全社から同じ回答が戻ってきた。いわく、座っている人に圧迫感を与えない高さであること、車内に死角をつくらないこと、車内流動性が確保できること、そして何よりも終着時の乗客の降車確認のための視認性が確保できること。以上を勘案すると、網棚までの高さがあり、座っている乗客のひざが隠れる幅はこれらの条件を満たさない、というのだ。
がっかりしていた矢先、意外なところで理想型の車両を発見した。JR北海道が札幌と新千歳空港とを結ぶ快特エアポートに使用している733系である。
ボードの高さは首都圏を走る車両とほぼ同じだが、その上に天井まで強化ガラスがはめ込まれている。ボードの幅はひざは隠れないが、それでも座席の奥行きよりは若干深い。ガラスと手すりとの間隔も5cm前後しかない。これなら立っている人の荷物がガラスと手すりとの間から越境してくる可能性は極めて低い。
ドア横バトルを防止する意外な理由
JR北海道によれば、「デッキがないロングシート車両を採用するにあたり、北海道特有の厳冬期の寒さ対策として、風の入り込みを可能なかぎり防ぐため」に考案された設計なのだそうだ。
通常の車両に比べ、製造コストがどのくらい上がるのかについては、「ロングシート採用以前はデッキ型しか製造していないのでわからない」という。
そこで、製造元の川崎重工業にも問い合わせたが、「ガラスの調達額は発注数量によっても異なり、取り付け作業にかかるコストも設計によってさまざま。ガラス部分だけでいくら、という算出は不可能」という。
でもこの設計なら、死角はできないし、終点時の乗客の乗降確認にも支障はないはずだ。強化ガラスの高さは首都圏なら天井までは不要で、網棚の高さまででいい。列車内の平和のため、鉄道各社には、この設計の採用を願ってやまない。


いやはや、そのとおり。満員電車でギュウギュウになって、否応なく、体が「逆エビ」状態になると、接触も増える。そうではなくて、空いているのに、ドアの端っこの向かいに立った人の中に、リクライニングシートのつもりかというぐらい「逆エビ」に体を後ろにそらすことがある。たまたま端っこの席に座っていた僕は、「あんた、ちょっといいかげんにしてくれないか。後ろに人がいることぐらい想像できないのか」と注意したことがあった。ロングヘアのブスバカ女であったが、「ふん」という態度で、ちょっと体を正した程度だった。爾来、成人になったバカに注意をするのは無駄だなと。ロングヘアの女だけではなく、太った中年男やら、この手の横着者に男女差はない。カバンやリッュクなどが肩に押しつけられる被害もしばしば。こういう被害は、ネット記事にあるような「改良」で防げるもの。個々人のマナーの問題ではもう解決不能だろう。

かろうじて、武蔵野線の車両は、この境のバー(防御板)が結構高くなっている。元々からあるのではなく、通常のバーのところに、後から「設置」した感じだ。このぐらいの高さだと、かなりの部分で、トラブルというか、不要の接触はカバーできると思った。なぜ、JR東日本は、すべてこういうふうにしないのだろう。武蔵野線でできるとこは、山手線でも中央線でも常磐線でも東海道線でも横須賀線でもできるだろうに。私鉄も同様だ。

鉄道会社は、人間の平均体格を無視した「狭いバー」で7人掛け座席を区分けしたりといった余計な設備を作るのに、肝心なトラブル防止に役立つ設備の設置はしないのだろうか。

あんな座席区分け棒のために、大きめの旅行にも使える横幅の長いカバン(サムソナイト)を通勤バッグに使っていた僕は、それを使用するのを断念するしかなくなった。膝の上にそういうカバンを置くと、隣の人のカバンと「衝突」することが増えたからだ。「棒」がそれぞれあると、その「棒」が障壁となって、膝の上に「左右中央」にカバンが置けないからだ。自分のカバンは右に傾き、隣のカバンは左に傾き、衝突する。「棒」がなければ、なんとなく「左右中央」になって、棲み分けができたのに、無粋な「棒」のために、それが不可能になったのだ。

そもそも「一人」分の座席の横幅が、通勤電車に乗車する大人の平均体格にあったものにしていればともかく、きっと鉄道会社は、赤ちゃんや子供を含めた日本人一人あたりの「横幅」を勘案して、こういう狭い座席を設置したのだろう。「棒」がなければ、七人がけ座席でも、太った人や痩せた人やらがなんとなくバランスよく分布して座れるのに、「棒」があるために、二人座席に「区分け」されていると、すごいデブさんが隣にやってくると地獄になりかねない。もちろん、股を広げて座るバカや座席に荷物を置くバカがいるから、そういう「棒」を設置したくなるのもわかるが…。

少しは間違いに気づいたのか、中央線の車両などは、少し横幅の広い車両も出てきた。千代田線などにも、棒がなくて、ゆったり「6人」座席にしている車両もまれに見かける。でも、そういう車両でも、端っこの座席の「ドア横」の「壁」設置はまだまだ不十分だ。

鉄道会社の社員たちは、電車に乗ったことがないのだろうか? 何年も乗車すれば、いかに電車の車両が杜撰か分かるだろうに…。

車内のあちこちに「自動で流れる注意警告音声ボタン」を取りつけたらどうだろうか。バスの車内にある「次とまります」ボタンのようなもの。それを押すと「混んでいる車内で足を組んだり投げ出すのはやめましょう」とか、「音響製品をご利用の方、イヤホンから音が漏れていますよ」とか、「出入り口ドアにお立ちの方、座席で座っている方、ここはご自宅のソファではありませんよ。逆エビになったりお股広げすぎたりしないようにしましょうね」と、有名タレントを使った音声でやわらかく(?)注意を促すようにしたらどうだろうか? 少しはマナー向上に貢献するのでは?  車掌の無味乾燥な、あまり意味のない注意を垂れ流されるよりは、役立つのでは。各車両に防犯カメラを設置するのも痴漢防止などに役立つだろうが…。

道端、電柱にも設置して、「ここは歩きタバコ禁止区域ですよ」「立ち止まって吸っても迷惑ですよ」とか、そんな音声が日中だけでも流れるようにするのも手かもしれない。まぁ、それもうるさいか…。そこまでするのも…。

とにもかくにも、都会の人口密集地での騒音、悪臭、不快な不必要な肉体的接触のないように、個々人がどう行動すべきかを、小さいころから「道徳教育」として学校で教えてほしいものだ。家庭内教育の範疇だと思うけど、戦後の日教組的教育のおかげで、ここまで「老人」「中年」含めて、公共空間でのモラルが低下している以上、子供の時からの躾け教育を公的にもやっていくしかあるまい。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!


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