古本虫がさまよう 読書
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虹書店、模索舎は多様な言論の自由を保障する「本屋」さん
(2017・9・15・金曜日)






2017・9・7の東京新聞夕刊にこんな記事が出ていた。

「原発本薄れる興味 専用スペース設ける古書店風化懸念」

東京の早稲田通りの古本屋街にある「虹書店」(東京都新宿区)。壁の書棚は足元から天井近くまでぎっしりで、ジャンルごとに仕切った一角に原発に関する書籍が並ぶ。専用スペースを設けている古書店は珍しいといい、東京電力福島第一原発事故の直後、飛ぶように売れだしたのをきっかけに店主の清水康雄さん(60)が集めたが、ここ一、二年は手に取る客はほとんど見なくなった。清水さんは「事故の記憶が風化している」と感じている。 七月のある日、店の軒先の木箱にはセール品が積まれ、二十円の値札が付けられていた。箱の一つには原発関連が目立つ。「二年以上売れず、捨て値にしても動かない。気づいたら、原発関係ばっかりになっていた」と清水さんはつぶやいた。
 虹書店は一九六六年に創業し、近現代史や社会科学などを専門に扱ってきた。清水さんは「保守から革新までいろんな人がやってくるから面白い」と笑う。第一原発事故前は、書棚のジャンル名は「原爆」で、原発関連の数冊を合わせても二十冊程度。売れ行きは、学生や教員らがまれに買い求めていく程度だった。
 それが、事故の直後から珍しい客が訪れ始めた。小さい子どもがいるという若い母親が放射線防護の本を買っていった。二〇一二年ごろまでは、一日に数冊が売れることも。急きょジャンル名に「原発」を加え、多い時で約三百冊を並べ、書棚一つがいっぱいになった。全国古書籍商組合連合会の理事は「こうした古書店は全国でも聞いたことがない」という。仕入れで気にしたのは「原発の推進、反対のどちらにも偏らない」こと。事故の原因を検証した政府や国会の報告書などは資料的価値が高く、意識して集め、すぐに売れた。旧原子力安全委員会が事故前に発行した原子力安全白書は「国が原発の安全神話を信じていた重要な証拠だ」とみる。
 専門知識も重要だと考え、原子力工学や物理学の専門書をそろえた。事実をありのまま知ってもらいたいと思い、第一原発事故直後の福島県の農家やチェルノブイリ原発事故の避難者を取材した作家のルポを置いた。原発を巡る社会問題にも注目し、再稼働差し止め訴訟の原告団が出版した冊子も仕入れた。
だが最近は、一カ月に数冊売れるか売れないかで、特に学生が手に取らなくなった。それでも清水さんは「新刊を扱う書店は商品の入れ替えも頻繁にあるが、古書店の強みは一つのジャンルを長く置いておけること。原発の書籍の場所はしっかり守りたい」と話した。



最近、高田馬場、早稲田界隈の古本屋街にはあまり出かけなくなった。ビッグボックスで古本市をやっていた時(小規模ではなく大規模な古本市のほう)は、月に一回は必ずビッグボックスに寄ってから、早稲田古本屋街を一周したものだったが…。

ただ、この虹書店は、記事にあるようになにせ、店前の均一コーナーが一冊20円(ただし税抜き価格)。ここに結構いい本がある。よく買ったものだ。
店内も、記事にある通り、近現代史、社会科学系の本が多い。気になる古本屋というか気に入った古本屋だった。店主も言っているように、仕入れに関して、「原発の推進、反対のどちらにも偏らない」とのことだが、それは近現代史や社会科学系も同様だろう。反共リベラルな本も多々あったし。最近、あまり立ち寄っていないが、新宿の模索舎は古本屋ではないが、左翼系が中心とはいえ、そうでない本もある。

それに比べて、新刊書店なんかで、原発コーナーを作ると、反原発本を集めるのが良心的だと早合点する向きがあったかと(逆もあるかも)。そのことは以前論じたこともある(末尾に再録)。言論出版の自由は大事。単細胞的に気に入らない言論を「これはヘイト本だ」とレッテル貼りをして憂えている人も世の中にはいるようだ(週刊スパ・2017年9月12日号記事「なぜ『ヘイト本』は売れ続けるのか?」)。まぁ、嘘八百の反日ヘイトを綴った吉田清治の慰安婦狩りの本のようなレベルならともかく…。

ともあれ、早稲田古本屋街も経営者が死亡したりして、跡継ぎがいないと「閉店」するところも出てきている。学生時代通っていたころに比べると、なんとなく減っているようにも感じる。気がつけば、高田馬場駅前のブックオフオンリーなんてことはないように祈りたいもの。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

(以下再録)
「書店員の仕事」は複眼的であるべきでは? 「検閲官」になってはいけないのでは?
(2017・5・8・月曜日)


NR出版会編の『書店員の仕事』(NR出版会)を拾い読みした。

出版社からのコメント→書店とはどういう空間なのか。書店員とはどういう仕事なのか――。
真摯に本に向き合い、読者に向き合い続ける59人の店頭からの声。
「NR出版会新刊重版情報」の7年半にわたる好評連載を待望の書籍化!!


ちなみに、NR出版会とはこういう団体。→出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NR出版会(NRしゅっぱんかい)は、日本の出版社団体である。NR は、確かではないがNon sect Radical(ノンセクト・ラジカル) の略ともいう。1969年8月、九社の小出版社により前身となるNRの会が発足した。1978年にはNRの会を中心に、再販制度廃止問題のために、出版流通対策協議会が設立された。1976年、組織変更をして協同組合に移行、NR出版共同組合となった。これにより業務協力で会員社の経営の効率化を図った。が、1996年、各社の経営状態や活動の模索などで足並みがそろわなくなったことを理由に、法人を解散、NR出版会として出版団体に再度衣替えとなった。
亜紀書房・インパクト出版会・現代人文社・新泉社・柘植書房新社・七つ森書館(2004年 - )
風媒社・論創社(2004年4月 - )
過去の会員社[編集]技術と人間(1982年 - )合同出版・創樹社・第三書館(1983年 - )凱風社(2005年 - )雲母書房・三元社・社会評論社* 新幹社* 同時代社* 日本経済評論社

まぁ、リベラル左派系出版社が多いが、時々「愛読」している出版社もなきにしもあらず。ただ、1984年ごろだったか、この前身であるNR出版共同組合が紀伊国屋書店と協力して「ジョージ・オーウェル『1984年』と管理社会」というブックフェアをやったことがあった。「全体主義」といわずに「管理社会」という言い方が、いかにも…という印象があったが、そのブックフェア用の小冊子で紹介されている本は、 『保安処分と精神医療』『女には産めない時もある』『狙われた教科書』『教育反動との闘いと解放教育』といった本だった。これは加盟していた出版社の本をセレクトしたからこんな風になったのかもしれないが、ちょっと偏りすぎた選択だった。
紀伊国屋書店も共催なら、せめて、みすず書房のハンナ・アレントの『全体主義の起源』やら、新潮社のジャン・フランソワ・ルヴェルの『全体主義の誘惑』とか、ソルジェニーツィンの『収容所群島』などもリストに入れるべきだった。

そういう本は、「反ソ的」だからヤバイということで無視された? ともあれ、今回の『書店員の仕事』の中にも、そういう知的レベルの人たちも若干(?)いるように見えたが……。

朝鮮戦争が誰が起こしたかを忘れて、戦争の犠牲で日本の復興が…といわれても…。金日成サマに感謝すべき?
「原発反対の棚」造りに信念を貫く書店員さんもいたようだが、そこには保守派の西尾幹二氏の『平和主義ではない「脱原発」』 (文藝春秋)も置かれただろうか? 保守派からの「原発反対論」は省略? いやいや、そもそも、それでも原発が必要だという立場の人の本も置いた上で、「原発反対の棚」ではなく「原発を考える棚」を作るのが「書店員の仕事」ではないか。

韓国中国を考える本コーナーを作るなら、ヘイト本とみなされるような本も、親中派の本もどちらも置けばいいのに、どちらか片一方の本しか置かない書店があるとしたら、それはどちらかに偏った書店であり、偏った思想信条の持主の書店員がいるんだなと思われても仕方あるまい(ただ、どちらかのほうが、より売れることにディレンマを感じる?)。
それが嵩じると、どっかの千葉の図書館の館員みたいに自分が好ましく思わない、読ませたくない保守派の著者の本を勝手に「焚書」にしてしまうようになるだろう。
右であれ、左であれ、真ん中であれ、それは「(戦後)民主主義」的人格ではないことになる。

これは一般論になるが、書店員の中には朝日新聞(や東京新聞や赤旗)の読みすぎかどうか知らないが、「書名」だけで反ヘイト本だと決めつけたりして、そういう本はなるべく置かないようにするのが良心的書店員だと勘違いする人も少なくないようだ。
何が「良書」であるかないかなど、人それぞれ。
単細胞的な価値観に基づいて「選書」などしてもらいたくもない。
もし、そんなことを実践する「書店員」がいたら、その人は単なる「検閲官」でしかない。

この本には模索舎の人も出てくる。政治信念は左派だろうが、持ち込まれる出版物に関しては「原則無審査」とのこと。それがベターだ。

僕は定年後、古本屋をやることはあっても(?)新刊書店を開くことはないと思う。万が一、新刊書店を開いても、原発推進、反対などに関して、一方の立場の本だけを置くつもりもない。原発棚を作るなら、賛成、反対、中間、さまざまな立場の本を扱うつもりだ。ただ、特定宗派の本は……。幸福の科学の、「名誉毀損」になりかねない本は…? いや、あれは「フィクション」コーナーを作ってそこに置く分はいいのかな?

ともあれ、「書店員」は、自分自身の好き嫌いは脇に置いて、もっと広い視野で選書すべきだろう。単細胞は困る?
以前、沖縄の大学の図書館の担当者が、地元新聞が、アメリカ軍からの寄贈書を図書館が受けることに不満を言ってほしそうな取材があった時、正論を述べて対応した事例を紹介したことがある。以下再録的に…。


山口真也氏の『図書館ノート 沖縄から「図書館の自由」を考える』(教育史料出版会)を読んだ。書名などからして、なんとなく、急進的リベラル左派的な図書館関係者による、よくありがちな単純思考(単細胞思考)による「図書館の自由」論が展開されているのかと危惧したのだが……。
ギリギリセーフというか、ちゃんとした視点からの「図書館の自由」論であり、参考になった次第。ただ、千葉の某市図書館での、保守系筆者の本を「焚書」にした案件などが取り上げられていなかったのは残念?

とはいえ、沖縄の大学にいて、沖縄の図書館がアメリカ海兵隊の機関誌(「大きな輪」)を置いてあるのに反発した人たちがあって、それをどう思うかとの取材を地元新聞から受けたこともあったそうな。その機関誌にはアメリカ海兵隊員、女性を救うといった記事があったという(おお、これが事実でないなら問題になるだろうが、沖縄の地元二紙が報道しないような事実を報じていたら、多様な言論を保障する上でも貴重な雑誌として図書館が所蔵して何の問題もないのではないかと僕は思う。それを問題視する市民や、それを後押ししようとする地元新聞の「民主主義」感覚はやはり異常では?)。

著者は、電話取材を受けたようで、その時、記者の話では「住民から図書館に対して『県民感情とかけ離れている』という批判があったとのことだが、どのような立場から書かれた資料であるとしても、図書館は資料に対して中立的なスタンスを取るべきであるし、市民感覚とかけ離れているとしても、あるいはかけ離れているからこそ、この雑誌は沖縄の問題を考えるうえで貴重な研究資料になるはずである。蔵書に加えることには何の問題もないし、反対のスタンスを取る団体のチラシや集会資料なども積極的に集めることで蔵書のバランスを取りながら、市民の学習の場としての機能を保つべきだろう。寄贈された残部を図書館のロビー等に置くことについても、『思想と情報のひろば』『資料提供の自由』という図書館の機能をふまえて考えれば、あらゆる思想に対して開かれた場として機能しているのであれば、特に問題はないと思う(公共施設での宣伝目的でのチラシ類の配布を禁止する条例・規則等があれば別だが)。----これが電話取材に対する私の回答だったのだが、記者は批判的な意見を求めていたようで、電話口からはやや落胆したようすがうかがえた。そして、翌日の新聞には私のコメントは掲載されなかった」という。

ううむ、こういう偏った新聞は、つぶしたほうがいいのか? いやいや、そんなことはあるまいが、代りにどんなコメントが掲載されたのか気になるところ。図書館の自由をわきまえない単細胞的な口先リベラルの「民主主義者」の尊大な反米コメントのみが掲載されたのでなければいいのだが?

僕も愛読したことのあるナット・ヘントフの『誰だハックにいちゃもんつけるのは』(集英社コバルト文庫)も俎上にのせられている。 『ハックルベリー・フィン』が黒人差別を助長するとして、高校の図書館で所蔵貸し出しするのはよくないことだ、いやそんなことはない云々というテーマの作品。

普通に考えても、日米安保や海兵隊や自衛隊を肯定する本、否定する本があれば、双方を所蔵するのが図書館の役目だろうに、イデオロギーの亡者になると、どちらの側にせよ、片方の本を焚書にしたがる傾向があるようだ(上述の千葉の某市図書館関係者は、左翼イデオロギーの亡者だったのだろうか?)。

『はだしのゲン』の貸出規制問題や、百田尚樹氏の沖縄新聞批判や、ツタヤ運営の図書館問題や、『アンネの日記破損事件』なども取り上げられている。

いわゆる「嫌韓本」「嫌中本」などに関する考察もある。この問題に関しては、単細胞的なリベラルな人たちが、ことさら問題にしているのではないかと僕は思っている。著者が勤務する大学の書籍フェアに、そういう本が陳列されていたことに苦言を呈する人もいたそうだが、「読書の目的はいろいろだから、学生は批判的な立場からその言論を知りたいと思ってリクエストした可能性もある。フェアコーナーにある嫌韓本は、有名な著者や出版社のものだから、学生なりに考えて選んだ跡も見られる。そもそも出版点数が多く、書店でベストセラーになっているジャンルの本が、一冊も図書館にないことの方が不自然である」と指摘しているのは正論だろう。

もっとも、編集者の責任であろうが、本書の139ページに「書店に溢れる嫌韓本・嫌中本」のキャプションで、書店の棚に並んでいる本の写真が掲載されている。もちろん、このキャプションが「ヘイトスピーチに溢れる嫌韓本」となっていれば、それだけで問題になろうが、まぁ、「嫌」がどういう定義になるかはともかくとして、写真を見ると、元中国大使の丹羽宇一郎氏の『中国の大問題』(PHP新書)も載っている。この本、積んどくしているのでなんとも判断できないが、丹羽さんは別に反中派ではないはず。もちろん、この本、アマゾンのレビューなどを見ると、いろいろなコメントがあるし、広い意味で中国の問題点を指摘もしていて、ある意味で「、「嫌中本」と言えるのかもしれないが、世の中、朝日新聞などが言いたげな意味での「嫌中本」とは一味違うのでは。この写真とキャプションはちょっと不適切?

ともあれ、韓国の個々人ではなく、政府や学校が、竹島問題で、小学校レベルの生徒に日本の国旗を足蹴にするような絵を書かせて展覧したりする様を「品性下劣」だと評したりする程度は言論の自由の範囲内であり、ヘイトスピーチとも無関係であろうと僕は思う。それすらも「ヘイトスピーチ」だという人がいれば、言論の自由の破壊者だろう。

ともあれ、著者の視点は「多様な言論」を保障する場としての「図書館」の意義を高く評価しており、それは同感。

昔、あるところで、資料室の資料蒐集を担当する図書委員みたいなことをしていたことがある。ある人は、講談社学術文庫は素晴らしいので、これは出次第、全冊購入するといいですねと。まぁ、正論ではある。あるリベラル左派の女性は、こんな失礼なことを僕に言っていた。「古本虫さんは、右寄りだから、そちら系統の本ばかり集めたりしないか心配なんですが」と。「いえいえ、お嬢様、右寄りの本は少数意見ですので、貴重ですから全部買ってでも読みます。リベラル左派の左寄りの本は、買ってまで読みたいと思わないので、資料室でどんどん購入していきましょう」と回答したものだった? 30数年前の話。

それはさておき、元少年Aの『絶歌』(太田出版)の図書館での扱いに於ける「差」についての考察も参考になる。蔵書として蒐集する図書館もあれば、しない図書館もあったり。貸出の年齢制限をすべきかどうかなど。『絶歌』も積んどくしていて読んでないが、こういうテーマで僕がすぐに連想するのは、図書館はなぜフランス書院文庫などを蒐集しないのか?と。

さすがの著者も、この分野の本の蒐集・貸し出し点の考察は本書ではしていない。「言論の自由」とは関係のない、大人の趣味の分野だから? いやいや、言論の自由に関して、ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』など無視できない重大問題のはず。
ちなみに都内図書館を調べてみると、フランス書院の本を蔵書として持っている図書館は少数派。フランス書院の別会社のプランタン出版のボーイズラブ的な本を持っている図書館はいくつかある(その分野の本を目黒図書館は134冊、町田図書館は285冊も所蔵しているのは異常?。八王子図書館はフランス書院の翻訳モノ『女教師』『芽生え』『十六歳の夜』『生娘』を所蔵。そのほか、 『熟女の「愛し方・愛され方」』も所蔵。この本は持ってない?)。国会図書館はヒット数は5395にもなる。さすが国会図書館?

ともあれ、リクエストなどで、 「すみません、私は「未亡人」の研究をしている者ですが、フランス書院文庫の新刊の神瀬知巳氏の『僕と五人の淫未亡人 僕の母、義母、兄嫁、ママ、彼女の母…』 を研究目的のために読みたく思っていますので、購入をお願いします」と近所の図書館に言ったら、どうなるだろうか? 著者がいる大学図書館にリクエストしたら購入してくれるだろうか? 購入不可の理由を文書で要求し、その理屈を研究するのもいいかも? 未成年者も利用する図書館なので、という公立図書館もあるかもしれないが、貸出の際、年齢制限を加えればいいのかも?
あと、八王子市民の一部市民たちが、図書館に詰め寄って、フランス書院のエロ本を何冊も所蔵しているのは、市民として恥ずかしい、焚書すべきだと圧力を加えたりしないか心配だな? 『誰だ「女教師」にいちゃもんつけるのは』なんて本も書けるかも? 目黒や町田図書館にもプランタン出版の本が多すぎるとクレームがついたりしたらどうなる? だって、ツタヤ運営の図書館に東南アジアプレイガイド本なんかがあるのけケシカランという声もあったかと(でも、その手の本、都内の図書館にもあった。二枚舌はよくない?)。

話を『書店員の仕事』に戻す。
さきほどの「原発反対の棚」を作った「書店員」が、日本共産党直営の「人民書店」の人ならまぁ、まだわかる。特定のイデオロギーに基づく書店運営をしている個性的な書店なら、そういう「信念」に基づいて、一方的な選書をするのもまた「言論の自由」であろう。しかし、所属を拝見すると、誰もが知っている大手書店ではないか。そういう書店が、そういう棚造りをするというのには違和感を覚える。
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「反知性主義」に陥らないためにも、「知識と教養」を身につけるためにも……。人はどんな新聞や週刊誌や月刊誌や書籍を読むべきなのか?  それにつけても「ノアの箱船」で読書したい?
(2017・8・20・日曜日)



池上彰氏&佐藤優氏の『僕らが毎日やっている最強の読み方 新聞・雑誌・ネット書籍から「知識と教養」を身につける70の極意』 (東洋経済新報社)を読んだ。

内容紹介→「遂に出た! 2人が毎日やっている「最強の読み方」最新の全スキルが1冊に! 】
【「こんな本が欲しかった!」 「私でもできる! 」と絶賛の声、続々! 2人の「最強の読み方」があなたのものに! 】
【売れ行きが止まらない! 早くも14万部突破!いま一番売れている 「読み方」「学び方」「教養」に役立つ本です! 】

★池上彰氏、佐藤優氏は毎日「何を」「どう」読んでいるのか?
★どうすれば、彼らのように「自分の力で世の中を読み解ける」のか?
★「新聞1紙5分」「月平均300冊の読書」はどうすれば可能か?
★「スマホ」「アイパッド」「新聞電子版」「dマガジン」はどう使いこなすか?
■2人の「アイフォン&アイパッド画面」もカラー写真で公開(巻頭カラー16ページ)
■「研究室」「仕事場」「本棚」「仕事アイテム」「愛用グッズ」の写真も完全公開
「新聞」「雑誌」「ネット」「書籍」をどう読めばいいのか?
そこから「知識と教養」をいっきに身につける秘訣とは?
みんなが知りたかった「2人の知の源泉」が、いま明らかに!


僕は語学ができないので、ここで述べられている海外メディアとの接し方や英語学習のノウハウなどについては「豚に真珠」。両者は新聞だけでも、電子版入れて10社以上。池上氏はどちらかといえば「紙」派のようではある。そのほか、週刊誌月刊誌なども多々読破しているようだ。情報の達人!

細切れの時間を大事にして、いかに読破するかのノウハウなど、昔ながらの知的生産術論に必ず出てくる極意なども伝授されている。多少は昔から実践もしているつもりだが、改めていろいろと参考になった。

僕は、大学一年の時から、本は一日一冊読むようにしてきた(一日二冊は買うようにも? ただし雑本を雑読すること多し。重厚長大本を一日一冊読むのとは大違い)。原則として自宅では産経と朝日といった傾向の違う二つの新聞を読み、週刊誌は、いまは廃刊となった朝日ジャーナルか、週刊文春か週刊新潮を読み、月刊誌は、「自由」「改革者」「諸君!」「正論」「世界」「文藝春秋」など数誌をパラパラと読む程度。社会人になってからも基本的な流れは変わらず、あとは職場で、それ以外の主要新聞(日経、読売、毎日、東京)や雑誌などを読み、本も、学生時代と変わらず一日一冊、月間30冊程度は読破。パラパラと読むのは、それを若干上回る程度。佐藤氏はパラパラ読みも含めて一カ月300冊とか? ううむ…。佐藤さんは、お酒は控えめにするようになったとか…。

ともあれ、複眼的に「知識」を得て「教養」「知性」を磨くことが肝要? 朝日新聞や世界だけを読んでいたら、ソ連や北朝鮮は天国だとか、文革礼賛など「反知性主義」的な主張をするようになっていたかもしれない(逆も、またありうるかもしれない…)。
僕は、読んだ本の「読後感」を30歳前後のころから定期的にメモ風には記すようにしてきた。このブログもその一貫。これは「検索」が可能なので、何を読んだか、その時の読後感はどうだったかの再確認がすぐにできて便利。それ以前の「メモ」も残っていて「活字」化しているのだが、いちいちめくっての検索はしかねる状態…。その程度の平凡な生活…。

唯物論者ならぬ、唯本論者なので、「本」を読むこと、「本」を探すこと、「本」を積んどくすること…には、普通の人よりはお金と時間を費やしてきたほうだろうが……。その分、映画の類は劇場ではめったに見ない。自宅でも借りてみることも稀…。

そういえば、昨日(土曜日)は、「お盆」ということもあってか、都内の古本市(神田・高円寺・五反田)は全部開催なし。ということで、天候も不安定だったので、日中、神保町界隈を少し歩いて、仕事関連の新刊書を二冊ほど三省堂で買い求めただけだったが、三省堂一階で、オンデマンドの映画コーナーがあったのに目が止まった。本欄で時々触れていたエルサ・モランテの『禁じられた恋の島』 (河出書房新社・ペーパーバックス)→ 池澤夏樹氏個人編集の『世界文学全集Ⅰ-12 アルトゥーロの島 モンテ・フェルモの丘の家』 (河出書房新社)-------の映画作品「禁じられた恋の島」があったから。値段がいくらか書いてなかったし、その場で即座にできるわけでもなく、少し時間がかかるようなので、パッケージを見ただけだが…。1000円ぐらいで「復刻」できるなら申し込んでもよかったのだが。

年上の女性と少年の恋の物語といえば、以前紹介したジークフリート・レンツが高校生と女教師の関係を描いた 『黙祷の時間』 (新潮社)があるが、この本の推薦文をカバーに書いていた川本三郎氏は、 「思春期の少年が、美しい女の先生に憧れる」という設定は「1958年に公開された西ドイツ映画『朝な夕なに』 が思い出される」とのことだった。
以前、早速その本を入手して一読したことは記した通り(以下一部再録)。

 映画になっているからビデオもあるようだ。この作品をエロ本として紹介するのは問題だが、教育に情熱を持つ理系科目担当の女教師ハンナが、前の女学校で不良の女生徒をかばったために男子校に赴任することになったところから話が始まる。40歳という若い校長(男)がいて、たまたま下宿したところに、教え子にもなるハンスも同宿。彼は両親が離婚して、男親は実業家で世界を飛んでいるためにそこに預けられたという設定。卒業試験を前にして理系科目の学力不足を立て直そうとするハンナの意気込みに戸惑いと反感を持つ上級生。その中にあってハンスは年上の女教師に憧れに似た感情を持つ…といったお話。僕が読んだのは秋元書房の秋元文庫版だが、所々に映画化された時の写真が挿入されていた。
まぁ、マクロン・フランス大統領もそんな経過を経て、年上の女教師と結婚したのかも?

この映画もオンデマンドの対象作品であれば、見てみたくもなるが……。たまたま同じ下宿に、女教師と生徒がいて……なんて作品はフランス書院文庫にもあったかと。

ところで、以前も紹介したことがあるが、アンディー・ルーニーの『自己改善週間』 (晶文社)の中で、こんな一節に折り目をつけていたところがあった。

ハイスクールのころ、毎晩のように家に本を五、六冊持って帰っていたのをおぼえている。本を選ぶブリーフケースをいくつも持っていたし、それが時には特製の袋、ある年には太い革紐になることもあった。いつも、どうやって本を家に運ぶかで悩んでいた。家に持って帰ってからどうするかでもっと悩むべきだった。夜はその日によって過ごし方がちがっていた。わたしはいつも最後になってやっと宿題にとりかかったものだ。結局なにもしない。その習慣は大学時代までひきずっていった。何年にもわたって学校から家まで運んでいた本の累積重量は一〇トンにはなるにちがいないが、そのうち読んだのは二、三キロにも満たない。
できもしないのにやろうと思うわが天賦の才は、読もうと計画して読まない本に関してもはっきり現れている。書籍、雑誌、新聞を買い、日曜日の増刊号をすべてためこんで、時間の余裕ができたときのためにとってある。一度たりともわが生涯で時間の余裕ができたためしはないし、なぜそんなことを考えたのかわからない。書架にあるすべての本、購読契約をしているすべての雑誌、雨の日のためにとってあるすべての新聞を読んでいたら、わたしは世界でもっとも情報量の多い人間になっていただろう。あらゆる雨の日の読書ができるくらい長雨が続いたら、わたしはノアの箱舟で読書していることだろう。


最近、東京周辺は、連日、雨模様の天気。東京周辺在住の定年退職者だったら、8月は、ノアの箱船で読書するような日々だったかも?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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緑陰の木陰で読むべき「ジキルとハイド本」といえば? 『隷属なき道』と『性春時代』か?
(2017・8・10・木曜日)




全国的な「猛暑」。日中炎天下での過激な運動は止めましょうと呼びかけているのに、こんななか、日中炎天下で未成年を「見せ物」として酷使虐待する甲子園大会には疑問を持つしかない。だが、NHKと朝日新聞以下、ほぼすべての報道機関が「讃美」こそすれ、疑問を提示しないといった「報道しない自由」を行使する全体主義的スポーツ競技…(開会式の軍国調の行進姿や全員「坊主頭」の戦前を想起させる不気味さ。そしてテレビニュースでは報じられないが生中継だと確認できると思うけど(見てないので未確認だが)、国歌斉唱、国旗掲揚を強要…。この主催者が朝日新聞だから驚きだ?)。
「結果」だけ、チラリとスポーツニュースで見ては、「悪徳高校」が勝ち進み、さらには不愉快?

ともあれ、ルトガー・ブレグマンの『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』 (文藝春秋)を読み進める。いろいろと知的刺激を受ける本。200頁まで読み進めたところで、いささか疲れて、軽快な本にバトンタッチ。

ということで、睦月影郎氏の『性青時代』 (実業之日本社・文庫)を手にした。

こんな内容→果たせなかった最愛の恋人と…60歳で初体験!? 目覚めると、20代の頃に暮らしていた四畳半の一室だった――。60歳の男は、昭和55年(1980)にタイムスリップしていた。還暦までの記憶と経験、24歳の若さ漲る肉体。まさに夢のよう。アパート隣室の微熱OL、バイト先の美処女、母乳妻、ブレイク前の美人女優、初体験を果たせなかった最愛の恋人と……。心と身体がキュンとなる青春官能の新傑作! 昭和にタイムスリップ!

睦月氏お得意のタイムスリップエロス小説。著者は、僕より少し年上だが、ほぼ同世代。昭和に戻ったところで、同業の先輩作家として「館山淳一」さんも登場(どこかで聞いた名前?)。彼に、ポルノ文庫ブームが来るということで、マドンナメイトやグリーンドア文庫の出版社の編集者の名前を教えたりする…。まもなく人気がでるようになる「高瀬梨乃」という巨乳無名タレントにちょっかいを出したり。そのほか、当時の別れかけた恋人や隣室の女性とも昵懇の仲に…。ユーモア交えた内容。臭いフェチにはいまひとつついていけないが…。

僕も20代、いや大学一年の頃に戻り…。六畳一部屋に台所三畳の風呂なしのアパートに戻れば……。人生のやり直し?   はやまって学生時代に知り合った女性と結婚することなく、卒業してから出会う、より美しい女性と結ばれたほうが……? いや、某女性歌手のところに行って、髪の毛ぼうぼうのエロ写真家にご注意されたしと告げ口に行くべきか。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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大ベストセラー作家・村上春樹を「メッタ斬り」にしたら大変なことになる? 村上春樹よりナサニエル・ウエストが面白いか? 次は、コジンスキーの『異端の鳥』 の復刊か?
(2017・6・7・水曜日)





大森望氏&豊﨑(豊崎)由美氏の『村上春樹「騎士団長殺し」メッタ斬り!』 (河出書房新社)を読んだ。

内容紹介→『騎士団長殺し』は、あの章にすべての謎が……? 『1Q84』『女のいない男たち』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』……村上春樹のこの10年の作品を名物コンビがメッタ斬り!

『騎士団長殺し 上下』 (新潮社)は読んでないので、お二人の「メッタ斬り」に関しては、なんともいえないのだが…。「メッタ斬り」といえども『騎士団長殺し』は、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』よりは楽しく読めたとのこと(豊田)。いろんな読み所をおさえつつの批評的対談。いうまでもなく、百パーセント全否定的な「メッタ斬り」ではまったくない。「保守派論客の〇〇氏が朝日をメッタ斬り」なんていうとちょっと…だが、あくまでもシャレとしての「メッタ斬り」。

ただ、この最新作は、旧来の村上作品に較べると、あまり売れていない? いま、ブックオフに行けば山ほどある(ということは売れたということ?)。新刊書店にも山ほどあるのが問題か? 「刷過晋作」「刷過新作」が問題?

上半期のベストセラー争いでも、佐藤愛子さんの本『九十歳。何がめでたい』 (集英社)に負けていた?  あるブックオフでみたところ、村上さんの本は、960円(税込)のお値段だった。どちらも正規価格は1944円(税込)。960円となるとほぼ半額。ブックオフは新刊本だと強気で、最近は半額よりは上の値段を付けている。2000円の本だと、1600円ぐらいの強気価格。だから、1000円弱のお値段はかなり弱気価格だ。新刊本がよく売れてブックオフに売られる冊数が多くてダブついているからなのか、それとも需要がいつもより少なくてお値段を下げてもなかなか売れず、仕方なくついに半額まできたのか…。真相は不明だが?

ともあれ、『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は読んでいる。「読後感」はたしか本欄で記したと思うが、記憶にはあまり残っていない。

そもそも、『1Q84』は図書館で借りて読んだか? 一冊は買ったか?  新刊書店でも重版待ちでなかなか出回らない時もあった。図書館は図書館でも、区立図書館などは希望者殺到でとても順番はまわってきそうになかったが、子供の学校(高校)の図書館が穴場で、そこで借りて読んだかと?  『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は知人に只でもらった。村上ファンというほどでは勿論ないので、正規価格で買ってまでは読まない? 節約できるものは節約するのが人間の智恵?

ともあれ、『1Q84』に関して、NHK集金人に対する「皮肉」めいた筆致を、さすがはお二人、ちゃんと俎上にのせて論評している。僕も、このNHK集金人に対する筆致の特異性については本欄で何度か指摘していたが、当のNHKはじめ、一般マスコミは「無視」していたのでは?


『女のいない男たち』(文藝春秋)で、雑誌掲載時には、タバコのポイ捨てをする田舎町(実地名)云々の侮蔑的表現(?)があったことが問題にされ、本にする時は、地名変更(架空名義)になったというエピソードを引きながらの集金人論を展開している。
ふむふむ、なるほどと。

それにしても、『1Q84』が出てすぐあと、深夜発売解禁直後の朝七時からのニュース番組の中で、この本を延々と高く評価し紹介していたNHKは、ある意味においては、本当に「自虐的」だことと感心した。自分の過去の報道・虚報に関しては「自尊」的で、他に対しては「自虐的になれ」と主張するどこかの新聞社よりははるかに立派だが?

でも、社会人一年生や大学一年生になって、新しいアパートなどに入居したばかりの時にやってくるNHKのああいう集金人の対応って、あの村上さんの筆致と「五十歩百歩」のようではあるけど? 誇張はあまりない? どこかでバーかなにかを経営していた時、NHKの集金人がやってきて、ああいう風に支払えと迫られた体験があるからこそ、あそこまで書いたのではないかしら?  その点にはとても共感を覚えた次第。

それはさておき、村上さんの盟友である柴田元幸さんが訳出したナサニエル・ウエストの『いなごの日/クール・ミリオン』 (新潮文庫)を手にした。

懐かしい? ナサニュル・ウェストの『クール・ミリオン』(角川文庫)は一読したことがある。もう20年ぐらい昔(角川文庫は「ナサニュル・ウェスト」のカタカナ名義)。

角川文庫解説の佐藤健一氏によると、ウェストは「共産党のシンパであり、ロシア人が実行したような計画経済をアメリカ社会に適用すれば、不況を処理できるのではないかと、素朴に考えていたとも思われる」とのことだが…。原作は1934年に刊行。角川文庫は昭和48年に出ていた。

1930年代のアメリカが舞台で、田舎に住んでいた十代の少年が、30ドルの金を借りてニューヨークへ。車中でスリにあい、冤罪で刑務所に入り…と。波瀾万丈の浮き沈みの人生が描かれている。面白かったことだけは記憶している。

『いなごの日』も角川文庫で訳出されているが、これも持っている。だが、積んどくだっけ?

ともあれ、新訳として新潮文庫から両作品が訳出されたわけだが、この新潮文庫版では、訳者の柴田さんと村上春樹さんとの対談も収録されている。ドス・パソスなどを引き合いに出しながらのウエスト論などが語り合われている。「いなごの日」「クール・ミリオン」以外にも「ペテン師」「ウェスタンユニオン・ボーイ」なども収録されている。

『孤独な娘』は、ダヴィッド社から丸谷才一訳で訳出されたのを持っていた(そのあと、岩波文庫から刊行。これも持っていたか?)。

『クール・ミリオン』は、角川文庫以降出ていなかった(のでは?)。それ故か、昨日みたアマゾンでも出品はなく、「日本の古本屋」では、この文庫一冊に対して9000円という強気価格で出していた古本屋もあったが、新潮文庫の「復刊」によって、そういう高価格路線も頓挫?

それにしても角川文庫は、かつては(今も?)立派。新潮文庫も、次は、コジンスキーの『異端の鳥』 (これも角川文庫にあり。僕は単行本を所有し一読)かな?

そういえば、今井 夏彦氏の『アメリカ1930年代の光と影―ナサニエル・ウェスト論』 (荒地出版社)も積んどくしていたかと(古本屋、古本市を回ると、こういう本も手に入る)。いつ読むことになるのやら?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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高校時代に、古本屋で三好達治の『故郷の花』に出会うか、トー・クーンの『女教師』 に遭遇するかで、人生は大きく変わる? やはり、読書は人生にとって「役に立つ」のは間違いなし? 「本と読書」に貴賤なしだから
(2017・5・29・月曜日)







昨日(日曜日)は午後ある会合があり出かけた。冒頭、国歌君が代斉唱…。ううむ、僕は音痴ということもあるが、育った田舎が「狂信的な日教組」の強いところで、小学校中学校高校と、入学式でも卒業式でも一度も「君が代」を習ったことも歌ったこともないのだ。それ故に、実は歌詞も十分に知らない。いまどきのスポーツ選手のように、いまひとつの小さな声での斉唱。偏向教育の犠牲者。まぁ、歴代天皇の名前を初代からずっと言えるほうが、国歌を歌えないよりはマシ? どっちも異常?

車中、林望氏の『役に立たない読書』 (集英社インターナショナル新書)を読了。

内容紹介
源氏物語から大藪春彦まで。
「自分が読みたい本を読む」
リンボウ先生初の読書論! !

仕事や生活に役立てたい、情報通になりたい……。最近の人は読書に実用的な価値ばかりを求め、書物をゆっくり味わうという本来の楽しみ方を忘れてはいないだろうか。本書は、そのような傾向に異を唱えるリンボウ先生が、「読書に貴賤なし」と、好奇心のままに読書を自在に楽しむ方法を惜しみなく披露。古典作品の魅力と読み方も、書誌学の専門家としての知識を交えながらわかりやすく解説する。書物に触れる真の歓びに満ちたリンボウ先生初の画期的読書論!


「歴史の本であれ昆虫の研究所であれ、自分の興味のある分野の本をまず一冊手に取ってみる。その本から一つでも新しいことを知ったり、面白いなあと感動したら、その本のなかで紹介されていたり引用されていたりする別の本を読みたいという欲求が出てくるでしょう」との指摘、ごもっとも。

僕も学生時代だったか、佐伯彰一氏の自伝『狂気の時代』 (サンケイ出版)を読み(雑誌正論に連載していたかと)、その中に出てくるナボコフの自伝本なんかを探し求めたりしたものだった(と記憶している。なにせ刊行は1979年。もう40年弱昔。記憶はあやふや。佐伯氏の本はアマゾンでは「1円」から出ている。未読の人は読むべし。都内図書館で所蔵しているのも数館程度はあるようだ。 講談社学術文庫なんかに入っていい本)。

林氏は芥川・直木賞の作品は読まないことにしているとのこと。時間の無駄だから。渡部昇一さんは『コンビニ人間』 (文藝春秋)は読んだと言っていたかと。

そんな林さんだが、 「読書に貴賤なし」との信念。専門の仕事で疲れた頭を休めるために、寝る前に大藪春彦の小説を愛読したとのこと。なるほど、専門分野以外に、そういう軽い小説を読むのは有効なのだ。といっても、専門がエロス文学(大衆)だったりすると…。寝る前にニーチェなんか読むといいのか?

神田の古本屋である本を手にしたところ、恩師の手書きの文字を発見。先生遺愛の一冊と遭遇して購入したとのこと。ううむ。僕も「恩師」が、ある人に献本署名をしている古本を発見して、持っていたけど、また購入したこともあった。

高校生時代、自宅近くの早稲田の古本屋街で、三好達治の『故郷の花』という詩集初版本を見つけて購入。それが詩の本との出会いであり、その本はいまも大切に保管しているとのこと。

「もし学校帰りに早稲田通りを通っていなかったら、もし『金峯堂書店』の棚を覗いていなかったら、もしその時お金を持っていなかったら----詩を愛する今の私は存在していなかったかもしれもない。本と出会う場所を豊かに持っている、そして興味を持った本を買うことで、自分の新しい扉が開くことがあるのだと学びました」とのこと。

ううむ。高校生時代に古本屋でトー・クーンの『女教師』 (フランス書院)を手にして購入し、「エロス文学を愛する」ようになった人もいるかもしれないが……。「本に貴賤なし」?
大変知的刺激を受ける読書論だった。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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