古本虫がさまよう
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「いい夫婦の日」があるなら「いい憲法の日」は何時?
それは9条がまともな内容に改正される日では?

(2017・11・23・木曜日祝日)





昨日(2017・11・22)は、 「いい夫婦の日」? ううむ。それがどうした?と。
結婚して、30年以上が経過してしまうと…。毎朝、各局のお天気姉さんを見ては、 「ううむ、後妻にはこれぐらいの容貌で、これぐらいの若さでいいのだが(実に失礼ながら…)」と大声で古女房の前でつぶやいているのだが…。「これぐらいの若さ」といっても、見た目は25~30歳前後。これでは我が子供より若い? 30代後半でもいいのだが…。いや、40代半ばでも美魔女ならいいのだが…。 『負けるもんか49歳の崖! 美魔女山田佳子48歳 』 (光文社)の著者の山田佳子氏さんならベスト!!?
いや、50代でも体重が50キロ以下ならいいのだが…。贅沢は敵なり?

結婚30年ちょっとでも…いろいろとアラが目立つが、憲法のように制定してから70年にもなると…。少しは「現実」にあわせて微調整する必要もあるだろう。もちろん、少々困った条文のある憲法でも、そこそこ正しい解釈をすればいいのだが、困った憲法を困った解釈をして平気の平左でいる憲法学者が日本には蔓延しているから困る。

昔、政治学者で防衛大学校校長をした猪木正道さんが、ある新聞で、法律の中の法律である民法や商法などをやることのできないのが憲法学者になっているから…と喝破したことがあったかと。
民法や商法に比べれば、憲法なんて条文も少ないし、原則、もともと原則、口語で書かれているからとっつきやすい。法学部の中でもイマイチレベルの人が憲法学者になっている……ということになろうか(少なくとも昔は…。いや、あくまでも一般論であって例外は多々あるだろうが)。

ともあれ、困った憲法であっても、正しい解釈をすべきということを実践しているのは、憲法学者ではなく政治学者のほうだろうか。

以前だと、小林昭三さんという早稲田大学の先生がいた。比較憲法の先生だったようだが、法学部ではなく政経学部の先生だったか? 『私の「憲法」イメージ』『私の「憲法」透視』『日本国憲法の条件』 (成文堂)などがあった。そのほかにも憲法学者や政治学者の、まともな憲法論の本としては以下のようなものがあった(最近のものも含む)。

西修氏『日本国憲法成立過程の研究』 (成文社)、百地章氏『憲法の常識 常識の憲法』 (文春新書)、八木秀次氏『日本国憲法とは何か』 (PHP新書)、小林節氏『憲法守って国滅ぶ』 (KKベストセラーズ)、田上穣治氏『日本国憲法原論』 (青林書院新社)、大石義雄氏『日本国憲法概論』 (青林書院新社)、『日本憲法論 増補版』、『日本憲法史と日本国憲法』、『改憲の大義』(嵯峨野書院)、尾吹善人氏『憲法学者の空手チョップ』『憲法学者の大あくび』 (東京法経学院出版)、『寝ても覚めても憲法学者』 (フォラオ企画)、 『憲法徒然草』 (三嶺書房)、林修三氏『憲法の話』 (第一法規出版)、中川剛氏『憲法を読む』 (講談社現代新書)、 『日本国憲法への質問状』 (PHP研究所)、勝田吉太郎氏『平和憲法を疑う』 (講談社)、菅野喜八郎氏&小針司氏の『憲法思想研究回想』 (信山社)、井手成三氏『困った憲法困った解釈』 (時事通信社)、入江通雅氏『最新国際関係概説』 (嵯峨野書院)、 小山常実氏『「日本国憲法」無効論』 (草思社)、高柳賢三『天皇・憲法第九条』 (有紀書房)、長尾一紘氏『世界一非常識な日本国憲法』 (扶桑社新書)、 『日本国憲法 全訂第4版』 (世界思想社)、竹花光範氏『憲法改正の法理と手続』『現代の憲法問題と改正論』(成文堂)など。

そういう系列の本として、あらたに加わったのが、篠田英朗氏の『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』 (ちくま新書)だ。以前読みかけ中の時、少し紹介したが、これは名著。日本のバカな(?)憲法学者や、その教えに心酔している人に是非手に取ってほしいものだ。
帯にもこうある。

「憲法を曲解してきた戦後憲法学の陥穽を突く」「なぜ日本の憲法学はガラパゴス化したのか」と。

著者は、昔昔、 『日の丸とボランティア  24歳のカンボジアPKO要員』 (文藝春秋)という本を出している。この本も読んだ覚えがある。

PKOといえば、朝日記者の佐々木芳隆氏の『海を渡る自衛隊―PKO立法と政治権力』 (岩波新書) なんて本もかつて出たが、当時一読して、惨憺たる思いをしたものだった。
針小棒大の自衛隊海外派兵危険論一色の本だったかと。その初志を忘れることなく、安保法制廃止の前にPKO法廃止を、朝日も含めてなぜ今、主張しないのだろうか? 
おそらく、安保法制反対論もPKO反対論同様(消費税廃止論同様?)消え去るのだろう?(消費税も「消費税増税」反対論はあっても「廃止論」を主張する政党はない。共産党も「廃止論」を言わない。なぜ?)。

ともあれ、安保法制同様、朝日を初めとする進歩派たちが大反対したPKO法…。国会でも牛歩戦術なんかやった政党があった。しかしなんとか成立し、それに基づいてカンボジアに民間人や自衛隊が派遣されることになったが、危険だと言われ、実際、文民警察官が死亡したりもした。
あのとき、篠田さんと一緒に要員としてカンボジアに行ったボランティアの一人に、松下政経塾の堀本崇さんという人がいた(と思う)。彼の要員体験記は雑誌に掲載もされていた(『カンボジア選挙監視日記』諸君! 1993年8月号)。その後、篠田氏は学者の道を歩み、堀本氏はちょっと異なった道を歩んだ…。そのことに関して、篠田氏の本からちょっと脱線するが、以前、こんなことを書いた。

(一部再録)
PKO選挙監視員から始まってカンボジア支援に短い生涯を捧げた男の物語 05/31/2011

山内麻美氏の『バッタンバンのタッカシー カンボジア支援に捧げた堀本崇の生涯』 (未知谷)を読んだ。大変感銘を受けたノンフィクション評伝だった。
題名(バッタンバンのタッカシー)は分かりにくい。バッタンバンはカンボジア内の地名。「タッカシー」は堀本崇の「崇」。現地でそう呼ばれていたという。
彼は、1967年生まれ。松下政経塾に入り、1993年にカンボジアPKO選挙監視員として参加したことからカンボジアにのめり込むことになったようだ。曽野綾子さんと共に身体の不自由な人と共に聖地巡礼の旅にも参画している。その経緯は曽野氏の『神さま、それをお望みですか 或る民間援助組織の二十五年間』 (文藝春秋)にも記されているとのこと。そういえば、その本も読んだ覚えがある。
爾来彼はNGOを作り、カンボジアの孤児、貧困家庭子女の自立支援のために活動。カンボジア政府からも勲章を貰ったりしていたという。だが2006年11月にバイクを運転中交通事故で死亡。飲酒運転のバイクが突っ込んできたため。堀本氏もノーヘルだったという。
政経塾出身だから、当然政界出馬も考えていた。本書の中でも出馬寸前まで行きながら断念するシーンも描かれている。事実上無給というか母親の支援で自分自身の生計を立てていた身でもあったようだ。
1979年生まれの山内さんは、大学3年の時に堀本氏の講演を聞いたそうな。そしてカンボジア支援活動にも参加して縁ができたという。
堀本氏の諸活動に協力したさまざまな人が登場し、彼の人となりを語っている。志半ばで不運に倒れてしまったわけだが、大いなる志と実践の軌跡がこうした形で残ることになったのは不幸中の幸いというべきか。それにしても飲酒運転をするような愚鈍は、どうしようもない輩たちというべきか。またいい人が早く亡くなる傾向もあるのか。政治家になってほしい人がなれず、どうでもいい人が政治家になってつまらない回顧録を書く?という傾向もあるのか。


話を篠田氏の本に戻す。

東大法学部出身の憲法学教授らが発する「立憲主義」や「押しつけ(されていない)憲法論」などの嘘を見事に解明してくれている。

憲法9条が画期的な条項であり、平和憲法の礎であるといった見解に関して、1945年の国連憲章の2条4項で武力行使が一般的に違法とすでにされている事実を無視していると指摘。
そもそも9条1項は不戦条約の焼き直しであり、

「国連憲章によって確立された20世紀後半の国際法から見れば、憲法9条の戦争放棄の条項に、何ら新しい要素はない。日本は国際連盟の常任理事国であり、不戦条約の原加盟国だった。それにもかかわらず、日本は、満州事変以降、侵略行為を繰り返して国際の平和を脅かした。そこで連合諸国によって、日本に国際法を遵守させるために導入されたのが、憲法9条だ」と。

「多くの憲法学者は、日米安保体制を評価せず、反米的ですらある。政治的スタンスの話が、学術的な態度と同一化しているのが、東大法学部系の日本の憲法学の特徴である。特定の政治的立場を推進するために、素朴な憲法典の解釈から目をそらさせようとする態度は、学術的に、政治的に、再検討の余地があると言わざるをえない」

東大法学部に対して、京都大学法学部の佐々木惣一さんや大石義雄さん は、一味違った日本国憲法論を展開していた事実も紹介されている。学生時代、僕はこの二人の憲法論の本なんかを読んだものだった。

万邦無比の国体(統帥権絶対思考)、万邦無比の国体(平和憲法9条絶対思考)…。空想的軍国主義と空想的平和主義(運動屋)がもたらした、そうした万邦無比的「幻想」から離脱することが、正しい平和思考への道といえよう。

そのほか、横田喜三郎さんや宮澤俊義さんや芦部信喜さんらの「言い換え」「転向(変節?)などについても詳述している。東大法学部教授の「知的レベル」の低さがしのばれるエピソードの数々だ。

「憲法学者が自衛隊の存在に『抵抗』していることがもたらしている制度的支障、及び自衛隊員の心理的負荷は、全く見合わない不当なものとなっている。『修正』は、時代の要請である」

「9条1項は、国連検証の論理構成に従って、解釈しなければならない」「もし自衛隊が武力行使をする機会があったとして、それが国連憲章51条に該当する自衛権の発動であるか、国連安全保障理事会決議の裏付けを持つ要請にしたがった行為であるならば、9条1項違反となることはありえない」「常に国際法に合致する形でのみ武力行使を行い、決して国権の発動としての戦争を行うことがない組織としての自衛隊は、9条2項で言う『戦力』には該当せず合憲である」「自衛隊が、国際法にしたがって行動する限り、9条2項の交戦権否認条項に抵触することはありえない」

「この解釈の障害となるのは、根拠のない9条のロマン主義的解釈のみである」

「『あの憲法9条の内容が、ただ国際法遵守と同じ、であるはずがない。9条は国際法を超えていくもの、もっと何か素晴らしいもの、とにかくすごいものであるはずだ……』という願望あるいは思い込みだけが、障害である」

「もし9条3項を創設して自衛隊の合憲性を明確化するのであれば、簡易に次のような規定だけを入れればいい。『前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織を活動を禁止しない』」


なるほどねと思う。最後の3項創設に関しては、もう少し言葉を補う必要があるのではないかと思うが…。

高校時代、岩波新書から出ていた『憲法講話』 (宮沢俊義)や 『憲法読本上下』 (憲法問題研究会編)の憲法本を読み、大学時代は『憲法第九条』 (小林直樹)などを読み、この人たちの憲法論、とりわけ9条論は「異様」「異常?」と思ったものだった。そういう本と平行して上記の本を読み比べていったものだった。篠田氏の本はちくま新書から出ているが、そのちくま新書からは、長谷部恭男氏の『憲法と平和を問いなおす』 (ちくま新書)も出ているようだ。10年以上前に刊行された本だが、読み比べるといいだろう(この本は読んでないかな?)。

ところで、中央大学の憲法学の教授だった橋本公亘氏は、 『日本国憲法改訂版』 (有斐閣)で自衛隊違憲論から合憲論に立場を変え、 『わが旧著「憲法」を絶版にした理由 石橋・小林流「自衛隊違憲合法論」を斬る 』という論文(「諸君!」1984年12月号)を書いている。30年以上前に、良識ある憲法学者は、そういう態度を表明した。当時、これは勇気ある態度だった。大学では「右折禁止の会」なるものが、橋本教授を弾劾していたという。

今日、橋本さんの「転向」から30年以上が経過し、まだ、こういう態度を表明することなく、そのくせ、「自衛隊違憲」をあまり明言することなく、中途半端な対応で、事実上、自衛隊を日陰のままにしておこうと画策する憲法教授がまだ多々いる。この反知性主義的世界を改革することが肝要だろう。篠田さんや八木秀次さんをまず東大法学部教授にすべきでは。上野千鶴子さんや姜尚中さんが東大教授になれるのだから、なんの問題もあるまい?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「ぐうたら」といえば、昔の日本では遠藤周作(狐狸庵)、いまはノーベル賞のリチャード・セイラーなのか? ウーバー、やよい軒にみる行動経済学の実態?(2017・11・22・水曜日)





ノーベル経済学賞を授与されたリチャード・セイラーさんの『行動経済学の逆襲』 (早川書房)を拾い読みした。

(こんな内容)→“ぐうたら”学者がいざなう、行動経済学誕生の波乱に満ちた舞台裏。伝統的な経済学の大前提に真っ向から挑んだ行動経済学。そのパイオニアが、自らの研究者人生を振り返りつつ、“異端の学問”が支持を集めるようになった過程をユーモアたっぷりに描く。行動経済学は、学界の権威たちから繰り返し糾弾されながらも、どのように反撃して強くなっていったのか? これからどう発展し、世界を変えていけるのか? “ナッジ”の提唱者がすべてを書き尽くした渾身の力作


時々グラフなんかも出てくるが、基本的にはエッセイ風の経済本。

暑い夏の日、ビーチにいて「キンキンに冷えたビール」を飲みたくなった。その時、「さびれた小さな商店」ないしは「高級リゾートホテルのバーカウンター」のどちらかでビールを買う時の値段は? いくらまでなら払って飲む気になるか。

商店だと4・10ドル、ホテルだと7・25ドルというアンケート調査があるとのこと。そこからいろいろと「行動経済学」を論じていく…。

「この実験の結果は、ピーチの同じ場所で消費されるビールに払ってもいいと思う価格は、それを買った場所によって変わることを示している。回答者はなぜ、ビールを買った場所を気にするのだろう。理由の一つは、期待である。高級ホテルはどう見てもコストが非常に高いということもあって、ホテルのほうが値段は高いにちがいないと人々は覚悟する。リゾート地でビールに7ドルも払うのはしゃくだが、しかたない。しかし、さびれた商店でビールが7ドルもしたら怒りが爆発する。これが取引効用の基本となる考え方だ」……と。

そして「ホモサピエンス」ならぬ「ホモエコノミカス」(エコン)なる存在は「取引効用とは無縁」であり………………と話は続いていく。ふうむ、なるほど…と。こういう事例を出すあたりが「ぐうたら」となるのか?

僕も30数年前の真夏(8月)、最高気温40度を超えていたバクーにいて、カスピ海の油田施設を見学したあと(どこに爆弾を仕掛け、疲弊していたソ連経済に打撃を与えようかと画策していた---わけではない!)、ヘトヘトになって、ビールが飲みたい、飲みたいけど、どこの商店にも売っていない…、あぁ、死ぬ、ロシア美女のキッスより冷えたビールをほっぺたにくっつけて飲みたい…と、つぶやきながらホテルに戻ってきたら、フロント脇で、なんとハイネッケンを売っているではないか? 氷付けでもなく「キンキンに冷えたビール」ではなかったものの、ちゃんとしたホンモノのハイネッケンの缶ビール。「買った!」と。もちろん、ロシア通貨(ルーブル)では買えず。
「日本円だと350円あるよ。ここはソ連だから買い占めはダメあるよ、一人一個ね」と(当時、日本でも輸入の缶ビールは350円ぐらいしていた。いまだとハイネッケンは200円前後で売っている)。そんなに高いとも思わなかった。

もっとも、これが3500円と言われたら……。さすがに断念したかも? 1000円なら、高いなと思いつつも間違いなく買っただろう。それほどバクーの夏は暑かったから。カスピ海の油田周辺を「視察」して帰ってきたらノドはカラカラ。水を飲んでは下痢ばかり。持参した正(征)露丸もあまり効いてはいなかったし。

隣にいたイタリア人も買おうとしたら「円はいいけど、リラはダメあるよ。イタリア、共産党強いけど、経済は弱いからね。日本と大違いあるね」と言われていた(かどうかはともかく、リラでは売れないとは明言していた)。ふふふ、この三国同盟からさっさと敗退したイタ公め、思い知ったか…と。そのイタ公の前で、あまり冷えてはいなかったけど、おお、美味いという顔して、くぅー冷えてるぜと一気に缶ビールを飲み干したものだった(イタ公は、うらやましそうに見ていた)。

要は、経済は「需要と供給の関係」。
とはいえ、必ずしもそうはならない例として、本書ではさらにウーバーの「需要と供給の関係」が出てくる。
日本ではまだ認められていない、この「『タクシー』の配車システム」、アメリカ(ニューヨーク)で、かつてハリケーンがやってきた時、ウーバーは、バカ高い、通常より10倍高い(?)ピーク料金を適用したことがあるという。台風や吹雪の時、利用者が増え、供給が減ることもあるだろうし、そういう時、料金を上げれば運転手が確保できるということもありうるだろうが、著者は、そのあとの法規制として「過度に高い価格」はいけないとなっていったことに注目もしている。

そこには「規制」がかけられるまでウーバーの経営陣が呑気に構えていた事実も指摘されている。ううむ…。
著者は、「割増料金は最大で通常の3倍程度にすることを提案する」とのこと。まぁ、企業としてはその程度の「需要と供給のバランス」が目安となるのだろう。

ネットなり、古本屋レベルだと、300円の絶版文庫本に3万円なんて値段をつけることもありうるだろうが…(まぁ、そこまですれば図書館で借りて読む、借りた本を全頁コピーするという対抗策もありうる。しかし、本、本体そのものを手にしたいと思う人がいれば、3万円でも30万円でも買うかもしれない。それへの規制は本来あるとおかしいかも。古本の値段は、電気やガスやタクシーやバスの値段のような、死活的な「公共料金」とはいえないから青天井でも許されるかも)。

著者が、スキーロッジのオーナーに、スキーのシーズン(クリスマス前後)の料金をなぜもっと高くしないのかと尋ねたら、そんなことをしたら、その客は「3月に戻ってこなくなるじゃないですか」と答えたという。このあたりの消費者への機微がわかるかわからないかも会社の経営者の知的レベルを反映するといえるかもしれない(交通関係会社なんか特に? お盆や年末年始の時に、使えない特別切符があったりするけど、発想が間違っている?)。

とまぁ、各章、こんなテーマを扱い、論じている。じっくり読むとさらに面白いのかもしれないが、拾い読み程度。

クーポンなども経済学的にお得なのかどうか…。
「やよい軒」は不定期ながらも、一貫して(?)クーポン付きチラシ広告を月半ばに挿入することが多い。たとえば、11・1~11・29まで使えるクーポン(3枚付き)を11月10日すぎに入れるのである。すでにクーポンが使える時期は三分の一は消えている。なんでこんな無駄なことをするのか。使えるその日からの新聞にチラシを入れれば、まるごと3枚のクーポンを使う機会も増えるだろうに。「餃子の王将」は、使えるようになる、その日の新聞にクーポンを添付しているのでは? そのほうが経済合理性がある?

また11・1~11・30と区切りよく一カ月単位のクーポンにすればいいのに、なぜか「一日分」を節約カットしている。
このあたりの経済学的運用に疑問が残る? なぜかを解明してほしいもの? そのあたり、やよい軒の店に完備されている「ハガキ(無料)」に、ご意見を書いて投函した。これも「行動経済学」を実践? 消費者の声に耳を傾けて、経営者が経営方針を改善することを希望したい?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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国家の暴力、市民の暴力、相撲力士の暴力、暴力にもいろいろとあり?(2017・11・21・火曜日)





阿部岳氏の『ルポ 沖縄 国家の暴力 現場記者が見た「高江165日」の真実』 (朝日新聞出版)を読んだ。


内容(「BOOK」データベースより)
人口140人ほどの「東村・高江」。自然豊かな小さな集落を取り囲むように、「米軍ヘリパッド」の建設が計画された。建設に抗議する市民に、政府は本土の機動隊約500人を派遣。排除のため、むき出しの暴力が市民に牙を剥く。「静かな普通の暮らし」を求める沖縄の声を、強権発動してまでも抑えつける政府。記者の目に映ったのは、この国の危機の縮図であり、あすの本土の姿だった―。本土では伝えられない、沖縄の山奥で起きた「165日間」に迫る。


著者は沖縄タイムスの記者。冒頭から「民主主義が壊された」「人権が踏みにじられた」「法治主義が揺さぶられた」「命が危険にさらされた」…といった凄まじい言葉が出てくる。中国の当局と戦っている人権弁護士みたい? 某相撲部屋の親方もそういう思いで、警察に被害届けを出したのかな?

逮捕され長期に不当勾留されたとして山城博治なる人物にはきわめて好意的。福岡の暴力団退治のために送られた機動隊員が530人だったが、ほぼ同じ人数を高江に差し向けたとして「凶器を持つ暴力団と丸腰の市民を同列に扱ったのだ」と批判している。そのほか「ニュース女子」問題やらいろいろと論じているが、すべては「市民」の側にたったものといえよう。

以下は一般論であるが…。
戦時中、日本軍と共に「従軍」した作家や新聞記者がいたが、彼らは当然、「日本軍」のお先棒を担ぐことを原則的には余儀なくされただろう。同様に「市民」とやらの集団に百%支持を表明するかのようにお先棒を担ぐジャーナリストもあるのかもしれない。これはあくまでも一般論であるが…。

ただ、安田浩一氏の『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』 (朝日新聞出版)は、まだ幅広い取材対象者に接し複眼的な視点を読者に、若干とはいえ提供してくれていたなとの読後感が頭の片隅にかろうじて残っているが、阿部氏の本に関しては、そういう読後感がとくには残らなかった。

ともあれ、こういう本もありうるだろうが、仲新城誠(なかしんじょう・まこと)氏の『偏向の沖縄で「第三の新聞」を発行する』 『国境の島の「反日」教科書キャンペーン 沖縄と八重山の無法イデオロギー』 (産経新聞出版)や、恵隆之介氏の『尖閣だけではない 沖縄が危ない!』 (ワック)や、知念章氏の『基地反対運動は嫌いでも、沖縄のことは嫌いにならないでください』 (ワニブックスplus新書)も併読するといいのではないか。基地反対運動の暴力を批判する、この著者たちも「市民」「国民」の一人であるから。

さまざまな角度から沖縄の基地問題を考えるのはいいことだ。ただ、僕は日米安保肯定論者だけど、阿部氏の本の中で、騒音云々で米軍基地に反対している人がいたが、それには若干同情的。高円寺や荻窪や小田原の一部商店街などの電柱(街灯)からの音楽や広告垂れ流し騒音にも嫌悪感を抱く身であるから。まぁ、防音工事やらいろいろと対策もされているのかどうか…。夜間訓練もほどほどとか、そのあたりは物言いもありうるだろうとは。

それはさておき、山口真也氏の『図書館ノート 沖縄から「図書館の自由」を考える』 (教育史料出版会)も、以前紹介ずみだが、沖縄問題を考える上で参考になる本。この中に、図書館ともあろうものが、海兵隊賛美のような本(資料)を置くのはいかがなものかと、山口さんに批判してほしそうな記者が取材してきたことがあったそうな?  どんな記者だったことやら。
地元紙の記者だったとのことだから、沖縄タイムスか、琉球新報かどちらかだろうが、情けない記者もいるものだということをこの本を通じて知ることができよう。そういう記者が、どんな記事を作るかは要注意だろう。

もし、沖縄の図書館に対して、阿部さんの本を入れるなと言ったり、仲新城さんの本を入れるなと一方的なことを言ったりする人がいたら、そういうのは「左右の全体主義者」で同根の差別主義者、反知性主義者といえよう。国家であれ、市民であれ、「暴力」を用いて、適正な処置を覆すようなことをする勢力に対しては警戒すべきなのはいうまでもあるまい。

以下そのあたりを部分再録。

09/15/2016
山口真也氏の『図書館ノート 沖縄から「図書館の自由」を考える』 (教育史料出版会)を読んだ。書名などからして、なんとなく、急進的リベラル左派的な図書館関係者による、よくありがちな単純思考(単細胞思考)による「図書館の自由」論が展開されているのかと危惧したのだが……。
ギリギリセーフというか、ちゃんとした視点からの「図書館の自由」論であり、参考になった次第。ただ、千葉の某市図書館での、保守系筆者の本を「焚書」にした案件などが取り上げられていなかったのは残念?

とはいえ、沖縄の大学にいて、沖縄の図書館がアメリカ海兵隊の機関誌(「大きな輪」)を置いてあるのに反発した人たちがあって、それをどう思うかとの取材を地元新聞から受けたこともあったそうな。その機関誌にはアメリカ海兵隊員、女性を救うといった記事があったという(おお、これが事実でないなら問題になるだろうが、沖縄の地元二紙が報道しないような事実を報じていたら、多様な言論を保障する上でも貴重な雑誌として図書館が所蔵して何の問題もないのではないかと僕は思う。それを問題視する市民や、それを後押ししようとする地元新聞の「民主主義」感覚はやはり異常では?)。

著者は、電話取材を受けたようで、その時、記者の話では「住民から図書館に対して『県民感情とかけ離れている』という批判があったとのことだが、どのような立場から書かれた資料であるとしても、図書館は資料に対して中立的なスタンスを取るべきであるし、市民感覚とかけ離れているとしても、あるいはかけ離れているからこそ、この雑誌は沖縄の問題を考えるうえで貴重な研究資料になるはずである。蔵書に加えることには何の問題もないし、反対のスタンスを取る団体のチラシや集会資料なども積極的に集めることで蔵書のバランスを取りながら、市民の学習の場としての機能を保つべきだろう。寄贈された残部を図書館のロビー等に置くことについても、『思想と情報のひろば』『資料提供の自由』という図書館の機能をふまえて考えれば、あらゆる思想に対して開かれた場として機能しているのであれば、特に問題はないと思う(公共施設での宣伝目的でのチラシ類の配布を禁止する条例・規則等があれば別だが)。----これが電話取材に対する私の回答だったのだが、記者は批判的な意見を求めていたようで、電話口からはやや落胆したようすがうかがえた。そして、翌日の新聞には私のコメントは掲載されなかった」という。

ううむ、こういう偏った新聞は、つぶしたほうがいいのか? いやいや、そんなことはあるまいが、代りにどんなコメントが掲載されたのか気になるところ。図書館の自由をわきまえない単細胞的な口先リベラルの「民主主義者」の尊大な反米コメントのみが掲載されたのでなければいいのだが?(以上)

まぁ、こういう、まともな図書館関係者のコメントを、己の単細胞的左翼検閲を肯定してくれないなら、そんなコメントに関しては「報道しない自由」を行使するような新聞は、あまり知性主義的とはいえない新聞だと思うけど。少なくとも、沖縄地元紙のどちらかは、そういう図書館責任者の「正論」を掲載するのはヤバイと判断して「没」にしたのだ。情けない新聞というしかない! もしかして、沖縄タイムスさんだったかも?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!




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朝日新聞記者の痴漢盗撮は「冤罪」に非ず? 人はなぜ痴漢(痴女)になるのかを考察してみたら…
(2017・11・20・月曜日)




最近、こんな「痴漢(盗撮)事件」があった。

配信2017年11月8日11時25分 朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASKC83C91KC8UTIL00J.html
電車内で女性のスカートの中を盗撮しようとしたとして、警視庁は7日、朝日新聞東京本社報道局スポーツ部記者、増田啓佑容疑者(35)=東京都文京区大塚3丁目=を都迷惑防止条例違反(盗撮)の疑いで現行犯逮捕した。同庁が取材に明らかにした。増田容疑者は容疑を認め、「数カ月前から同様のやり方でやっていた。やめられなかった」と話しているという。
 三田署によると、増田容疑者は7日午後4時半ごろ、JR山手線の田町―浜松町駅間の電車内で、小型カメラが入った紙袋を20代くらいの女性のスカート内に差し向け、撮影しようとした疑いがある。目撃した男性が110番通報した。
 増田容疑者は7日は休みだった。調べに、買い物をした帰りだったと説明しているという。
 朝日新聞社広報部の話 東京都迷惑防止条例違反容疑で本社の記者が逮捕されたことを重く受けとめています。事実関係を確認したうえで、厳正に対処します。


ということもあり、斉藤章佳氏の『男が痴漢になる理由』 (イーストプレス)を読んだ。

本書によると、「痴漢大国ニッポン」とも言われ、「痴漢をしてみたい」ということで、外国人が訪日する例もあるそうな? 捕まったりした外国人が、法廷で「日本に来てから覚えた」「母国ではしたことがない」と証言したりもしているという。アダルトビデオやエロス小説にも「痴漢」を描くものが少なくない(ようだ)。
性風俗店にも「痴漢ゴッコ」のコースがある?

ということで、日本人の民度が低いということになるのか…。まぁ、これは単純にいっても「環境」の問題? 「満員電車」なるものが存在しなければ、「痴漢」の発生率は当然低下するだろうし。

外国人が「母国ではしたことがない」というのも「満員電車」がなくて……という事情もあるのでは。

よく、日本人は風呂に入り、清潔好き…といわれるが、やはり、それはムシムシする気候の影響もあるのでは? というのも、以前、8月のスペインに行った時、日中は暑く、顔も日焼けしたのだが、なんというのか、あまり汗をかかなかった。日中観光して夕方六時に戻ってきても、シャワーで十分だった。こういう気候なら、真夏でも風呂に入りたい…とは必ずしも思わないなと感じたものだった。そういう環境が人間の行動や習慣に大きな影響を与えるということはあるのではないか。それが民度、民族性と言われると、それはそうなるのかもしれないが…。

ともあれ、本書に触発されて痴漢に関して一言?

まず、日本にはちょっと信じられないほどの「満員通勤電車」がある。一駅区間の「長い」急行電車などで痴漢が発生しやすいとか。普通電車でも一駅区間の長い、埼京線などで痴漢発生率が高いというデータもあるようだ(参照文献→一ノ瀬 真央氏『魔指と人妻 7:30発悪夢の痴漢電車 』(フランス書院文庫)ほか多数)


そういう「痴漢」は、満員の中に紛れ込んで、お尻を触ったり、下着に手を入れたり…といったイメージ。そのほかにも、酔った勢いで下腹部を露出したり、盗撮したり、そういうのも「痴漢」のカテゴリーに入るだろう。

ともあれ、本書ではグラフや表なども多く、さまざまな、なぜ私は痴漢したのか?という理由も収録されている。女性のからだに触れると持病の「パニック発作」が少しおさまるから…と言われてもねぇ…。自己正当化はいかん?

それにしても、こんな恰好で人込みや階段を歩いたら、痴漢や盗撮されても仕方がないなんてファッションの人もいる? いやいや、痴漢は加害者が百%悪いというしかあるまい(慰安婦虚報は、騙された記者が悪いとはいえなくとも、誤報と認識してもすぐに訂正をしなかった新聞社は百%悪いのと同じ?)。

痴漢されて女性も喜んでいると誤解する向きもあるそうな。本書でもそのあたりを分析もしている。もちろん、世の中、ネバーセイネバー。痴漢ならぬ「痴女」もいる。年下の少年を満員電車で弄ぶ女性もいるかもしれないが…。それは例外中の例外だろう。

人さまざまなとはいえ、本書によるとなんと「痴漢が生きがい」という人もいるそうな。カッパエビセンではないが、止められないとか。
ううむ。世の中には、「古本屋めぐりが生きがい」という人もいる。休みの日にあちこち行き来するのはいいが、平日、仕事中でも、仕事をおっぽりだして、古本屋回りをするといささか問題にはなるだろうが……。
痴漢で、一度つかまり、失職してもまたやって…という人もいるようだ。

古女房も、ある会合で会う相手が、元痴漢で、それが理由で有名企業を退職せざるをえなくなったという人がいるという。中年のハゲデブスケベ男…と評しているが、痴漢に関しては、もてない醜男ばかりというわけでもないようだ。純朴に見える男子高校生もする時もあるみたいだし、有名企業、大学教授、朝日新聞関係者…。所詮は、個々人の問題であり、組織や会社や家庭のストレスが原因…と他に責任転嫁をするものでもあるまい。

アダルト映画などは、性犯罪と直接の関係はないと見る向きもあるが、著者によると「現実の性犯罪者の多くはこうしたコンテンツからの影響を確実に受けています」とのこと。それはそうだろう。逮捕されてアダルトビデオを見て興奮してやった云々と供述したとの記事は見たこともある。本書でも、そういう調査結果が引用されている。
「AVを観て自分も同じことをしてみたかった」と回答する例は、強姦や強制わいせつの容疑逮捕者の33・5%もあったという(警察庁科学警察研究所の調査を報じた西日本新聞2015・11・16記事)。

とはいえ、痴漢冤罪なんかも時々言われる。映画化されたことも。未見だが、 『それでもボクはやってない』という映画。著者もその件にも触れているが…。最近、時々、人身事故以外の電車ストップの例として、線路に人が立ち入って…という事例が増えている。こちらは「冤罪」ではなく「実行犯」の逃亡のように思えるが…。

小説の世界では、社内のライバル重役を失脚させるために、痴漢の被害者を差し向けるものもあった。あれ、最近読んだ小説にたしかあった…。なんだっけ?
あっ、沢里裕二氏の『欲望広告代理店』 (双葉文庫)だ。

あと出たばかりで未読だが、新堂冬樹さんの『痴漢冤罪』 (祥伝社)という本があるそうな。無実の相手を「痴漢」と訴えて金をせしめる商売をやっている男が…といったお話のようだ。暇があったら読んでみたいが…。

ともあれ、朝日の盗撮記者の本棚には、冬野蛍氏の『痴漢とのぞき―人妻・三人の私生活』 (フランス書院文庫) なる本などがあっただろうか……。趣味はなるべく、「合法」的なものの範疇におさえておきたいものなり。エロス小説やアダルトビデオを読んだり見たりする分には、何の罪もないが、それに影響されて「実際の行為」に及んではいけない。「兄嫁」「義母」ものはいくら読んでも、僕の場合現実に存在しないので、その点は、想像力オンリーの世界。安心だ? 人によっては現実に存在する環境下であっても、血縁問題は発生しない分、まだマシ?
例えば、綾野馨氏の『美しい義母と兄嫁と……』 (マドンナメイト文庫) は、Kindle版の無料試読で冒頭しか拝読していないが、童貞で婿養子になった主人公が新妻からクールな扱いを受けた分、義母と兄嫁がかまってくれて…という、塞翁が馬の世界を描いた佳作のようだ?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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横浜の古本屋でゴキブリと遭遇したのはパプニングだったが、悪臭と騒音のイセザキ商店街には毎度のことながら辟易しつつ、一人語りのスパイ小説にはあくびが……!(2017・11・19・日曜日)





本日(日曜日)は、東京周辺は好天。雑司ヶ谷で一箱古本市もあり(前回は雨で中止だった)。行きたいと思ったのだが、横浜の知人宅へ。アイパッドというか、カチャっと離せる「パソコン」の扱い方を教示してもらうために…。

関内駅で下車。活刻堂に寄ろうと思ったら、その手前にどこがなんの権限があってのことか知らないが、「青空喫煙助長」のための「灰皿」が設置されており、そこで数人が喫煙中。悪臭が風の流れとともに我が身へ。最悪サイテー。横浜市長、神奈川県知事以下、何をしているのだろう。こんなものをこんなに設置させていいのか? 喫煙所は「青空」ではなく「ルーム」が原則ではないのか? でなくして分煙ができるわけもなし。

店内にさっと入るものの、買いたいものはなし。外に出ると、幸い喫煙者は消えていた。しかし、そこからユニクロやブックオフに行く道筋、歩きタバコの輩多し。青空喫煙助長の灰皿のところで吸っているのはまだ「合法」なのだろうが、歩きタバコや、灰皿のないところでの席での喫煙は違法行為。なぜ、市役所などは関係者を巡回させ、罰金を徴収しないのだろう(その罰金を活用して、マナーの悪くない喫煙者のために、二重ドアの消臭シャワー付きの喫煙ルームを関内駅や桜木町駅界隈に設置すればいいのに…)。

ともあれ、ブックオフでは地下の中古衣料コーナーへ。ティンバーランド? 渋谷の中古コーナーに比べれば狭いが、値段は安めの感じ。だが、買いたいものはなし。古本コーナーも特に買いたいものはなし。

それからテクテクとその先の古本屋(二軒)へ。途中、歩きタバコの輩多し。悪臭を逃れて歩くことは困難。公害地域を歩かされるようなものだ。本当にマナーの悪いタバコ飲みには腹立たしい限りだ。もちろんポイ捨て。完全分煙を実施する意欲もないのが、横浜市(神奈川県)なのだろう。

電柱ならぬ街路灯からは歌詞がないとはいえ、耳障りなメロディが流れている(エルトン・ジョンの「僕の歌は君の歌」など。まぁ、悪くはない選曲だが、ポップスが嫌いな人だっているのだから、一方的なメロディの垂れ流しは社会の迷惑ということを知るべきなのに)。悪臭と騒音の垂れ流し…。本当にここも、レベルの低い商店街というべきか。情けない。このあたり、横浜・伊勢佐木町商店街、イセザキ・モールと言うのだろうか?

インコのいる古本屋へ。ところが、インコさんがいない? ううむ。店内で、 『シベリア年代史』という分厚い函入り本があったので、どんな本かなと思って、手にして函から取り出したら、おやおや、ゴキブリが出てきた。するっと下に落ちた。「足」を天向けて身動きできず、しばしもがいていた。本の上に落ちたので踏みつぶすわけにもいかず…。そのうち、からだを回転して、本と本の間に逃げて行った。
それにしても、古本屋通いを始めて40年…。本の中に五百円札やらハガキやらいろんなものがはさまれていたのに遭遇してきたが、「ゴキブリ」との出会いは初めて。いやはや驚いた。
ということもあって(?)、買いたいものはなし。

その少し先の古本屋も買いたいものはなし。
知人宅へ。それにしても、歩きタバコやら…。ざっと百人ぐらい数えたところで止めた。一人罰金2000円(?)も取れば、日曜日午後一時間程度の摘発で、20万円。フルタイムで、一日百万円ぐらいの「収入」にはなるのでは。

知人宅でレクチャーを受けて、今度は桜木町駅へ。場外馬券売場があるが、敷地内禁煙(?)のようだが、「公道」に大きなバケツを置いて、そこで吸わせている? 唖然呆然。「公道」に灰皿を置いて吸わせて平然とは? 「もっともらしい灰皿」ではなく、単なるバケツ型。私的、恣意的な設置。公共施設でのこういうふるまいは罰金の対象になるのでは?

足早に移動。その先の古本屋に寄るものの買いたいものはなし。にぎわい座は、珍しく?人だかり。人気落語家でも来ているのか? ここで春風亭柳昇師匠の十三回忌追悼落語会を聞いたのも二年以上昔かぁ?

自宅最寄り駅から帰宅の途上。ウイスキーがなくなったていたので、近くの酒屋で物色。最近は内外問わず1000円前後のウィスキー。デュワーズが特製グラス付きで1300円(税込)ぐらいだったのでそれにする。

帰宅してさっそく、一杯。まずまずの味。NHKニュースで土曜に続いて渡辺蘭さんを拝顔。

車中、ヴィエト・タン・ウェンの『シンパサイザー(上)』 (ハヤカワ文庫)を読んでいた。

この本、文庫で2017・8月に上下二冊で刊行。と、同時に単行本(一冊)も刊行している。ホワイ? と言いたくもなるが…(普通、単行本が出てから2~3年後に文庫化されるのだが、同時刊行とは?)。

(こんな内容)→1975年、ヴェトナム戦争が終わった。敗戦した南ヴェトナム軍の大尉は、将軍らとともにアメリカ西海岸に渡る。難民としての慣れない暮らしに苦労しながらも、将軍たちは再起をもくろんで反攻計画を練っていた。しかし、将軍の命で暗躍する大尉は、じつは北ヴェトナムのスパイだったのだ!彼は親友で義兄弟でもあるスパイハンドラーに、将軍たちの動向を報告しつづけていた…。アメリカ探偵作家クラブ賞受賞の傑作長篇。

ベトナム戦争がらみのスパイ事件か…。面白そうだということで手にしたのだが。スパイの一人語りで話が展開していく。「会話」があまりないのだ。
「一人語り」も、宇能鴻一郎さんの小説のヒロインの一人語りならまだしも、スパイ小説で、こういう中心の構成というのもとっつきにくくて……。200頁近くまで読んだところで「断念」。積んどく本へ移動。ううむ、5頁読んだ時点で「あまり面白くなさそう…」と判断すべきだったか……。日曜の日中の読書時間を無駄にした?
そもそも、ハヤカワ文庫、他の文庫より天地が長くて、あまり手にしない文庫本なのだが? 文庫カバーが特製でないと入らないので…。

去年の11月に訳出されているサイモン・コンウェイの『スパイの忠義 上下』 (ハヤカワ文庫)も積んどくしているけど、これはどうしようかな……。こちらは会話は普通にあるみたいだけど。

(こんな内容)→“局(ザ・デパートメント)”と呼ばれるイギリスの秘密情報機関の謀報員ジョーナは、テロ組織に殺されそうになるが、彼が殺したはずの男ノアに救われた。ノアはテロ組織の情報を彼に送っていたが、アフガン情勢の急変により切り捨てられ、復讐のため“局”を罠にはめた。危険な秘密を握られた“局”は、ジョーナにノアの殺害を命じたのだった。一方、その10年ほど前、クウェートでは美貌の女性ミランダが悲劇に見舞われていた。

ううむ、あまりピンとこない。

ハヤカワ文庫のスパイ小説といえば、やはり、なんといっても、、アルノード・ボルシュグラーヴ&ロバート・モスの『スパイク上下』『モニンボ』 (ハヤカワ文庫)。あのころのハヤカワ文庫、活字も今より小さく、判型も小さかったけど…。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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