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「八月(8月)ジャーナリズム」が取りあげない、歴史をトリミングしない「戦史」をひもとくべし。本当の「性奴隷」とは?



「八月(8月)ジャーナリズム」が取りあげない、歴史をトリミングしない「戦史」をひもとくべし。本当の「性奴隷」とは?
(2021・8・5・木曜日)




米倉律氏の『「八月ジャーナリズム」と戦後日本 :戦争の記憶はどう作られてきたのか』 (花伝社)は読み始めたところ。読後感はまたのちほど。

(こんな内容)→日本人の戦争記憶を形成した“夏のテレビの戦争特番"「八月ジャーナリズム」は何を伝え、何を伝えなかったのか。もはや風物詩と揶揄される向きもある、毎年八月の戦争特番。戦後日本の戦争観や歴史認識を反映し、同時にそれらの形成にも影響を及ぼしてきた「八月ジャーナリズム」の歴史的展開とその功罪を検証し、今後の可能性と課題、展望を示す。交錯する「被害」と「加害」――戦後日本の自意識を探る
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ともあれ、「8月ジャーナリズム」も、NHKはじめ、マスコミ各社はお忙しいようだ?
コロナ「サイタ」報道や五輪報道で忙しいNHKだが、朝のニュースなどでは相変わらず何か戦争と若者云々の感動モノをやっているようだ(もちろん、いいものもあるだろうが……)。

でも戦争を考える上で単眼すぎる視点からのものにはウンザリもする。もう少し多様な視座が必要だろう。

また過去完了形ばかり追うのではなく現在進行形の「戦争」「人権侵害」にも関心を持つべきだ。だがその「加害者」対象がかつての「被害者」であったということで、黙殺するなんてことに陥る人々や組織もあるようだ。

この前紹介ずみのサイラグル・サトウバイの『重要証人 ウイグルの強制収容所を逃れて』 (草思社)では、ウイグルやカザフの女囚や一般女性たちの性奴隷の実情が報告もされている(そのあたりの一部を漫画で描いているのが清水ともみ氏の『命がけの証言』ワック)。

カザフ人がなぜか中国人と、一月に8日間、共同生活をすることを余儀なくされる。中国人の家に行き、豚肉などを一緒に食べるというのだ(宗教的タブーへの挑発行為)。そして女性だと掃除洗濯などをさせられる。
「下女扱い」ならばまだしも、時には「中国人の男には、妻と同じように私たちの体を自由にできる権利が認められていた。中国政府のおぞましい計画のなかでも、この計画は私たちにとってとどめを刺すものであり、自分の体は自分のものという意志さえ、彼らは奪い取ってしまった。ひとつの民族そのものが、とてつもない規模で陵辱されていると私たちは話した」という。

一緒に過ごした事実は報告書として当局に提出する義務が中国人にもある。その一端がネットで流れていく。

「ネットにはこうした画像が無数にアップされており、そのなかには中国人男性の胸に抱かれた先住民の女性の画像もある。なかにはベッドで同衾し、裸体をぎりぎりまでシーツで隠したものもある。そんな写真を家族に見られ、いたたまれなくなって命を絶った女性もいる」

これこそ「性奴隷」ではないか。

かつての日本軍に寄り添った「慰安婦」を「性奴隷」とみなしている輩は、こういう問題を追及しているのだろうか。

かつての「慰安婦」の多くが、娼婦としての「契約」を結んで納得の上「慰安婦」となり、戦地で営業をしていた実態を「太平洋戦争における性契約」という学術論文で書いたラムザイヤー氏(ハーバード大学教授)がいる。
その論文の全訳などを収録し、ラムザイヤー批判に躍起となった左翼知識人を手厳しく批判した有馬哲夫氏の『「慰安婦」はみな合意契約をしていた ラムザイヤー論文の衝撃』(ワック)を読むと、かつての慰安婦のほうがカザフ人女性よりはるかに「恵まれている」と感得もできよう。

(有馬氏の本はこんな内容)→言論弾圧で真実は変えられない! これが「慰安婦の真実」だ!
米ラムザイヤー教授の書いた「太平洋戦争における性契約」は、慰安婦をめぐるその真贋論争に決着をつけた。慰安婦は「性奴隷」ではなかった。強制連行されたわけでもなかった。合意契約の上、慰安婦になった……。
彼の論文は、日本国と日本人に対する、いわれなき冤罪を晴らしたのだ。だが、それに慌てた批判者たちは、ラムザイヤー論文への反論をせず、その撤回や教授の辞職を要求したのだ。そのナチスの再来ともいうべき言論弾圧に、有馬哲夫氏が本書で立ち上がった。
卑劣なラムザイヤー批判者たちこそ、悪しき軽蔑すべき意味での「歴史修正主義者」「歴史捏造主義者」たちなのです。

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山内一生氏の『憲兵伍長ものがたり 諜報戦の舞台ウラ』(光人社NF文庫)を読んでいたら、慰安婦がらみの記述があった。漢口にいた時、若い憲兵が赴任。慰安婦の「管理」を担当することになった(この管理は衛生的な面からのもの)。ざっと200人。日本人と朝鮮人が半分ずつの構成。20歳から24~25歳まで。
若い担当憲兵を見て、慰安婦たちは色めき立つ? しかも彼は童貞。それを慰安婦に知られてから騒動が? 誰が彼の童貞を奪うかで争奪戦?
そのほか、明日は戦場に発つ兵士が、自分の持っている金(三百元)を全部慰安婦にあげて、それをもらった慰安婦が泣き崩れているエピソードなど…。
この元版(単行本)は1989年8月に同社より刊行された『人情憲兵よもやま物語』だ。慰安婦騒動が起こる前に出ている。憲兵の「証言」とはいえ、吉田清治「証言本」にくらべると客観的で内容も嘘偽りはなさそうだ。そんな牧歌的な関係が慰安婦と日本兵士との間にあったのは事実だろう(もちろん、これは「一面」ではという話)。所詮は「金」を介在しているとはいえ……。こういった慰安婦をすべて「性奴隷」とみなすのはおかしい。

「8月ジャーナリズム」とは異なり、一貫して太平洋戦争(大東亜戦争)のさまざまな側面をウォッチしている早坂隆氏の最新刊『大東亜戦争の事件簿 隠された昭和史の真実』(育鵬社)も味読すべき一冊だ。
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(こんな内容)→出航した疎開船が魚雷攻撃を受け、命を失った多くの子供達。終戦前後、壮絶な虐殺の対象とされた満洲や朝鮮半島で暮らしていた民間邦人。歴史の転換点となった、その時には知られなかった事件の数々……戦後、敗戦国では数多くの人々が戦犯として裁かれた。その一方で多くの庶民が戦勝国の〝戦争犯罪〟の被害者になったことや、戦時下で歴史を変えることになった重大事件の実態については、あまりにも知られていない。

歴史とは「事件の集積」である。一つの事件が次の事件を呼び、また別の事件を誘う。その「流れ」を的確に把握することが、奥行きのある多面的な歴史認識の醸成に繫がる。様々な事件の発生要因や経緯、その後の展開などを理解し、歴史へのまなざしを柔軟に広げていくことが肝要である。
歴史は常に複眼的に見なければならない。無論、いくつかの事件を恣意的にタブー視することなど、もってのほかである。そのうえで大事なのは、先人たちへの鎮魂や哀悼の気持ちを穏やかに育んでいくことである。この行為への共鳴なくして、「歴史を学ぶ」ということにはならないのではないか。
人間社会が保つべき温もりとは、そういった姿勢から湧き出ずるものであろう。

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(内容紹介)にもある通り、「歴史は常に複眼的に見なければならない」と僕も思う。戦争の悲劇は多々あるが、やはりその中でももっとも悲劇なのは「戦後」になっているのに命を落した人々のことだと思う。
極端なことをいえば、戦時中はある意味、どうにもならないというか、いたしかたないことばかりだ。だが、太平洋戦争(大東亜戦争)なら1945・8・15にて終戦(敗戦)。少なくともそれ以降、銃撃や爆撃で死ぬことはなくなった(はずだった)。

しかし早坂氏の本でも描かれているように、南カラフトや千島や満洲でソ連による攻撃のために命を落した兵士や民間人は多々いる。シベリアなどに抑留拉致された日本人も少なくなく強制労働などのために何万人もの日本人が命を落したりもしている。
本来、こういう「死者」はゼロであったしかるべきだった。
こうした被害はあまりにも理不尽というしかあるまい。戦争は終わったのに…。

そのほか、戦場ではなく戦地でもなく、通常の生活を営んでいた空間で、無慈悲に殺戮された日本人も少なくない(通州事件など)。そういう人への思いは「(戦)死者」の中にあっても、より同情の念を寄せるのが人間の感情ではないか。
にもかかわらず、その加害者が「ソ連」や「中国」だったために、いまだに遠慮して言い募ることはマレだ。だが、事実は事実として記録や記憶に残すべきだ。それすらもタブー扱いしてきた傾向が戦後の日本の「反戦・平和教育」にあったのではないか。

早坂氏も通州事件なども取りあげ、そういう「歴史が意図的にトリミングされている」ことを批判している。「その結果、全体としてのバランスを欠いた歴史教育となってしまっている一面が否めない」と指摘しているが、まったく同感だ。
「一方が絶対的な加害者で、もう一方が絶対的な被害者であるという歴史認識にとらわれてしまっては、史実を大きく見失うことになる」とも(ただファシストとコミュニストは「絶対的な加害者」にかなり近いかも? それでも、日本の消費税分ぐらいのいいところもあるかもしれない)。

ともあれ、「史実を大きく見失う」ことのないように、とりわけ若い日本人は、早坂氏のこの本を読むべきだ。

早坂氏にはほかにも優れた書が多い。
『昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち』 (文春文庫)や、『ペリリュー玉砕 南洋のサムライ・中川州男の戦い』『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』 (文春新書)、『愛国者がテロリストになった日 安重根の真実』 (PHP研究所)、『昭和史の声』(飛鳥新社)など。

先述の有馬哲夫さんにも同様に参照すべき歴史書が多い。
先日紹介したばかりの『一次資料で正す現代史のフェイク』(扶桑社新書)のほかにも、『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』『歴史問題の正解』『日本人はなぜ自虐的になったのか 占領とWGIP』『こうして歴史問題は捏造される』 『原爆 私たちは何も知らなかった』 (新潮新書)、『NHK解体新書 朝日より酷いメディアとの「我が闘争」』 (ワック)などがある。

こういう筆者の本は岩波新書ではなかなか読めないよね(岩波新書にも面白い本が時々あるけど……)。ともあれ、多様な言論があって、日本はヨカヨカですかな。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



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「『丸』を読まずして平和を語る勿れ」なら「『ゼンボウ』を読まずして反共を語るな」となるかな?「『話のチャンネル』を読まずしてエロを語るな」とも?


「『丸』を読まずして平和を語る勿れ」なら「『ゼンボウ』を読まずして反共を語るな」となるかな?「『話のチャンネル』を読まずしてエロを語るな」とも?
(2021・8・4・水曜日)



佐藤彰宣氏の『<趣味>としての戦争-戦記雑誌『丸』の文化史』 (創元社)を読んだ。

(こんな内容)→「『丸』を読まずして平和を語る勿れ。『丸』は戦争と軍事科学のやさしくて高級な専門雑誌です」をスローガンに、唯一無二の地位を確立し、石破茂、佐藤優、池上彰などの著名人も愛読者であったことを公言する長寿戦記雑誌『丸』。昭和23年に「総合雑誌」として創刊されていたという忘却された過去から始まり、戦記雑誌化し部数を延ばす昭和31年以降の誌面の変遷を追いながら、戦争をめぐる社会言説の変容を追う日本文化史論。
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石破さんなんかと僕は同世代だが……。「自由」「正論」「諸君!」などは高校生以降大学生にかけて読むようになっていたけど、「丸」や「軍事研究」はあまり手にしたことはなかったなぁ……。いや「軍事研究」はまだ手にしたことはあったけど「丸」はゼロ体験かもしれない。

プラモデルもサンダーバード止まり? 戦艦なんか作ったっけ? 手先不器用だから本格的なプラモはそもそも取り組むことはなかった。田宮俊作氏の『田宮模型の仕事』 (文春文庫) も面白く読んだけど、作ったりした思い出はなかったかと。

ともあれ「軍事関連雑誌」の「丸」も創刊(1948年3月号)してしばらくの間は「総合月刊誌」の雰囲気だったとのこと。「リーダーズダイジェスト(日本語版)」のような感じ。そのあたりの分析から本書は始まっている。
時々戦記モノも掲載。辻政信の「米ソ戦わば」(1953年1月号)も掲載されている。
徐々に戦記や軍艦や戦闘機のメカを特集することも増えてくる。戦争や軍事論を展開する識者は保守系のみならず左派系の人もしばしば登場もしているとのこと。

1961年の調査(対象中学三年生男子)によると、彼らが「いつも読んでいる雑誌」のベスト10(6位)に入っているのだ(ちなみに一位は「中三コース」。二位は「中学時代三年生」。四位は「少年」。五位は「少年マガジン」。六位が同率で「丸」と「少年サンデー」)。
「少年マガジン」「少年サンデー」並に手にされていた雑誌なのだ。

左翼系弁護士として「悪名」高い(?)内田雅敏弁護士(1945年生まれ)も中学時代の愛読誌が「丸」だったとのこと。当時の若者はマンボ派(軟派。踊りの「マンボ」が好きな輩)とマル派(「丸」を愛読する硬派)に二分類されていたとのことで、自分は硬派だということで「丸」を愛読し、「どこの開戦で日米のどの軍艦が闘い、どちらが沈んだということをすらすらと口にだすことができるようになってしまった」(『敗戦の年に生まれて----ヴェトナム反戦世代の現在』太田出版)。石破さん同様「マル派」だったのが…。ちょっと路を踏み間違えた?

同じく進歩派の吉田裕氏(1954年生まれ)も「丸」を愛読していたという。『ジュニア版太平洋戦争』(集英社。全6巻)も読みふけっていたとのこと。プラモ作りにも熱中していたという。
僕も『ジュニア版太平洋戦争』は愛読した。後半の巻は負け戦ばかりであまり読んでないけど?

子供のころ『ジュニア版太平洋戦争』を愛読した世代なら、いまはイアン・トールの『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで上下』『太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 上下』(文藝春秋)を読むといいかも。
これはアメリカ人の書いたものだけど客観的。『ジュニア版太平洋戦争』史観も古臭く勘違いのものも多々あるようだから、この最新版のほうで、正しい「戦争認識」を獲得するといいかも? サイパン陥落から敗戦までの「最終巻」はまもなく刊行のようだ。

そのほか林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」(中央公論に連載)に対抗してか、藤原弘達氏の「大東亜戦争損得論」などの連載もあったという。両者の対談も収録もされたりしている。

ともあれ「軍事マニア向け月刊誌」と見られがちな「丸」だが、創刊時以来の幅広い特集記事なども見られて、そういうステレオタイプな認識は正しくないということが言えそうだ。近年は産経新聞社の系列になったものの、「正論」一色になるというわけでもなさそうな……。
本書は註釈も沢山あり索引もついている「学術書」的な一冊だけど、小難しくなく「丸」を愛読していなかった僕のような人間でも大変面白く読了した。

佐藤氏の本を読んで…。
『<趣味>としての反共-反共雑誌『全貌(ゼンボウ)』の文化史』なんて書く研究者はいないかなと思った。「ゼンボウ」はもう廃刊されたが、この雑誌はまだ手にしたことがあった。
水島毅氏による「オーナー雑誌」なのかな? 1952年から1998年まで刊行されていたようだから歴史ある雑誌といえる。

寺尾五郎のヨタ本? (『38度線の北』1959、『朝鮮 その北と南』1961)に対抗して出した関貴星氏の『楽園の夢破れて―北朝鮮の真相』『真っ二つの祖国―続・楽園の夢破れて』(全貌社)は優れた本だ。

元赤旗の平壌特派員でもあった萩原遼氏も『北朝鮮に消えた友と私の物語』 (文藝春秋)の中でこう指摘していた。『楽園の夢破れて』 (全貌社・1962年刊行)についても触れている。

「わたしはこの本(『楽園の夢破れて』)を一九六三年に大阪外大で手にしているにもかかわらず、反共で売る全貌社の本なんかどうせロクでもない本だろうと読みもしなかった。しかし後年精読して自分のおろかさを愧じた。わたしもかかわっている『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・関西支部』の手で九七年に復刻した(亜紀書房)。三十数年後の今日を見通しているかのようにすべては関氏の指摘どおりだった」

「ゼンボウ」も学術研究の対象となりうる「月刊誌」だと思う。

そういえば……。雑誌ではないけど、フランス書院刊行のトー・クーンの『女教師』(フランス書院)。この本と出会ってから「エロス」の世界に入っていった人もいるのでは? いや「話のチャンネル」か?

『<趣味>としてのエロス-エロス雑誌『話のチャンネル』の文化史』なんて書く学者は、さすがにいないかな……。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



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BS6の松原耕二サンのホンネ? 「死者がなかなか増えてこない」のにイライラしているのかな?


BS6の松原耕二サンのホンネ? 「死者がなかなか増えてこない」のにイライラしているのかな?
(2021・8・3・火曜日)



今晩(8・3)のBS6の「報道1930」…。番組が始まって司会者(松原耕二サン)が暴言を吐いたあるよ?

感染者が12000人ちょっとで重症者が何百人とか言っていたが死者は…と言って「なかなか増えてこない」とおっしゃったのだ。なにしろ全国で「10人」。感染者が12000人もいたら死者もその一割ぐらいの人数が欲しいのかな? まさか?

それでも間違いなく「なかなか増えてこない」「ワクチンの影響もあって」とおっしゃっていたのだ。こういう言い方…。病気をして体重が激減して、退院して療養生活を送りながらも「なかなか体重が増えてこない」という言い方をして「増えないこと」を嘆くことはあるけど……。

死者が「なかなか増えてこない」という言い方はおかしいのでは? どう見ても「増えてこない」のを「残念がっている」ニュアンスに取れるよね。番組を見ていてすぐにそう思った。ホンネなのかな?

感染者が増えて重症者も増えて死者も増えたら政府の無為無策を追及できるのに…と内心思っているからついつい不用意にそんな言い方をしたのかな?

ところが重症者は横ばい。1~2月よりはまだ少なめ。死者は一桁のときもある。今日は「やっと二桁」。でも「たったの10名」。これでは恐怖を煽ろうにも煽れず。その気持ちがあるから「なかなか死者が増えてこない」というコメントになったとしか思えない。
一緒に見ていた妻も「へんなの?」と。
BS6の前のNHK夜7時のニュースも「サイタ」だのなんだのと吠えつつ、死者の数を言わないし画面にもなかなか出ないよね。重症者のグラフも見たためしがない(だしたら1~2月ごろが「サイタ」だから)。
そんなNHKのアナウンサーでも「死者がなかなか増えてこない」なんて言いぐさはしていない。

松原さんって、TBSの関口宏の日曜の番組にも出ている人だけど、辞任ものかな?

チャンネルは替えてサッカーの試合にしたので、松原さんがその後、釈明しお詫びしたか知らないけど?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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画竜点睛を欠く『清六の戦争』。「ペンの自己規制」ならぬ「ペンの自己拡大」もあったのでは? 「従軍記者」たちは軍部の圧力に負けた? ならば、毎日新聞の「百人斬り」報道に関してもひと言あるべきでは?



画竜点睛を欠く『清六の戦争』。「ペンの自己規制」ならぬ「ペンの自己拡大」もあったのでは? 「従軍記者」たちは軍部の圧力に負けた? ならば、毎日新聞の「百人斬り」報道に関してもひと言あるべきでは?
(2021・8・3・火曜日)



伊藤絵理子氏の『清六の戦争 ある従軍記者の軌跡』 (毎日新聞出版)を読んだ。

(こんな内容)→太平洋戦争末期、爆撃下の洞窟で新聞を作り続けた記者がいた。
毎日新聞の伊藤清六(1907~1945)。死と隣り合わせの兵士たちがむさぼるように読んだという、ガリ版刷りの新聞「神州毎日」。壕の中でペンを走らせたとき、彼は何を思い、何を願ったのか。その時、新聞は何を伝え、何を伝えなかったのか。
時が流れて75年後、自らも記者となった著者が、祖先の足跡をたどる旅に出る――
2020年7月~8月に毎日新聞に掲載され、第26回平和・協同ジャーナリスト基金賞・奨励賞と第15回疋田桂一郎賞を受賞した連載、待望の書籍化。
貧しい農村に生まれ、幼い頃に両親を亡くし、それでも自分のできる努力を重ねて手を伸ばし続けた清六。それなのに、気がついてみれば後戻りできないところにいた。清六は、どうすればよかったのだろう。どうすれば、戦争をあおる記事を書かずにすんだのだろう。故郷から遠く離れた場所で死なずに済んだのだろう。戦争へと時代の流れを押し進めた記者の責任は重い。そして、私自身を含む誰もが「清六」になりうることに身震いする。(本文より)


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1979年生まれの著者・伊藤絵理子さん(毎日新聞記者)の曽祖父の弟が伊藤清六で、戦時中、やはり東京日日新聞(毎日新聞の当時の東日本地区の旧題号)の記者であったとのこと。学歴がなかったものの東京日日新聞記者となり、戦場(中国戦線)特派員としてそこそこ活躍したとのこと。しかし1945年フィリピンで死亡。その伊藤清六氏の軌跡・足跡を探訪したノンフィクション作品というふれこみだ。

著者は、伊藤清六が戦場特派員となって書いた彼の記事をまずはチェック。
「戦争をあおる記事を書いていませんように」と「祈る気持ちで、古い縮刷版をめくり続けた」ところ……。

顔写真入りの記事も出てくる。
敵を殲滅したとか戦勝を讃える記事だ。

それらを見て伊藤氏は「だが、これは真実なのだろうか。そう疑いたくなるような状況を、戦後、当時従軍していた記者たちが証言として数多く残している」「記事はすべて検閲を通ったものだ。新聞は1909年制定の新聞紙法などで、報道内容によっては発売禁止や記事押さえの制限を受けていた」「制約の中、特派員たちは『皇軍勝利』を報じ、美談を探した」と指摘もする。

大阪毎日の特派員として清六と同時期に上海戦線に従軍していた藤田信勝氏が『体験的新聞論』 (潮新書)の中で「美談」「神話」報道について書いているのを伊藤氏は引用紹介している(この本は読んだ記憶がある)。
ある連隊長の戦死についてだが、事実は合言葉でやりとりをする際に敵兵にあっさりやられて戦死した記事は「不許可」。同じ連隊長を扱った他紙の記事は、この連隊長が「軍刀を抜いて『進め、進め』と叫びながら壮烈無比の戦死を遂げた」と報じられていたとのこと。

要は「捏造」。
「戦死」を、事実としてはあっけないものだったのに、加工して勇猛果敢な「戦死」に仕立て上げたわけだ。

藤田氏はこう述懐しているそうな。

「架空の武勇伝を書くこと、つまり神話づくりが従軍記者の任務だった。新聞記者は事実をも真実をも伝えるものでなく、軍の発表にしたがって、国民を鼓舞する〝ペンの戦士〟であることを使命と考えねばならなかった」


なるほど。そういう制約や規制などがあったのは紛れもない事実だろう。清六もそういう環境下でペンを曲げることもあったかもしれないと伊藤氏が推測するのも当然のことだ。

とはいえ、清六はこうした戦場特派員の仕事を終えたあとで、毎日新聞の正式社員になっている。それまでは準社員扱いだった。とならば、お上の規制云々以前に「スクープ」というか新聞で一面でデカデカと報じられるような「戦争美談」をモノにして名をあげたいとの思いもあったかもしれない。そういう考察は出てこない?

それはさておき、毎日の記者ならここまで書いたら、当然「南京大虐殺」の「証明」とされる毎日記事(南京百人斬り報道)についても、「架空の武勇伝」「神話づくり」が当時の毎日記者によって作られていたのではないかと考察する「義務」があると思うのだが? それはなしということでガックリきてしまった。

このあたりは清六などと共に南京等々に派遣されていた東京日日新聞の佐藤振壽カメラマンの証言もあり、また戦後の裁判で真実性が争われたりもしている。この史実を「黙殺」するのはいかがなものかな?

この百人斬り云々は、鈴木明さんが『「南京大虐殺」のまぼろし』 (文藝春秋ほか)で追及していた。

「架空の武勇伝を書くこと、つまり神話づくりが従軍記者の任務だった。新聞記者は事実をも真実をも伝えるものでなく、軍の発表にしたがって、国民を鼓舞する〝ペンの戦士〟であることを使命と考えねばならなかった」


この藤田記者の言葉がもっとも相応しく聞こえるのが「百人斬り報道」だったのではないか?

「本社から勇ましい武勇伝を送れ」と言われたのだろうか、百人斬り兵士を捏造というのか、いささか誇張して報道したのではないかとの疑惑を持たれたのが毎日新聞。百人斬りをしたという兵士(野田毅少尉・向井敏明少尉)の遺族から、裁判沙汰にもなった(親がその「虚報」のために戦争犯罪者として処刑されたのだから当然だ)。このあたりのことは、稲田朋美さんが書いた『百人斬り裁判から南京へ』 (文春新書)を読むと、その経緯がよくわかる。

当時、その二人の軍人を撮影した毎日カメラマンの佐藤振壽自身が、後年百人斬り競争はなかったと証言しているのだから。

伊藤さんの本でも、佐藤カメラマンが南京で撮影した集合写真が掲載されているし、参考資料として佐藤氏の『上海・南京 見た撮った』(偕行社)も挙げているではないか? 知らないとは言わせない? 晩年「諸君!」でも、佐藤氏は当時の回顧録を連載しており、「事変下の大陸--従軍カメラマンがみた中国 私の写真を証拠に二人は処刑された」『諸君!』(2005年5月号)などで「証言」もしている。

要は戦争美談(日本兵大活躍?)を誇張して報道した? 「ペンの自己規制」ならぬ「ペンの自己拡大」を当時の毎日記者はやってのけたのではないかということにもなろう。これなら検閲で不許可になる心配もない。

この『清六の戦争』の解説を毎日新聞の磯崎由美氏が書いている(「刊行にあたって」)。自分たちの戦争報道が「8月ジャーナリズム」と批判されることもあるが、「現役の記者が、同じ社の記者であった親族の軌跡をたどっていく過程を一人称でそのまま伝えていけば、これまでになかった斬新な企画として多くの読者に読んでいただけるだろうとも考えた」そうな。

「当時の新聞社について調べれば調べるほど、私たちは戦争をあおり、部数拡張につなげていく露骨な報道に憤りを覚えた。いくら悲惨な最期を遂げたとしても、清六を単なる犠牲者としては書けない。だが私たちにどこまで清六を断罪できるのか。そんなやりとりを2人で何度繰り返したことだろう」とも書いている。

あのお……。お言葉ですが……。そんなやりとりを何度も繰り返す前に、百人斬り報道で処刑された日本兵士の遺族のことなども少しはお考えになってみてはいかがだったのでしょうか?

『清六の戦争』を書くなら、ほんの数頁でいいから「百人斬り」報道の検証もされたらよかったのではないでしょうか? 同じ南京戦線にいたわけですからね。毎日新聞としての「良心ぶりごっこ」を綴るのもほどほどに?

そういう吉田清治「慰安婦偽証」も真っ青になるような「百人斬り記事」を当時書いた疑惑を持たれている毎日記者もいたのだから。その責任を裁判で追及もされているのに、検証報道をきちんとしてこなかったという点で、毎日新聞の姿勢は朝日以下と言えるかもしれない。

伊藤氏もこういう身内がらみのことを書くなら、南京百人斬り報道に関しても、ひと言何らかのコメントを記す義務があったのではないか。

伊藤さんは小さなお子さん二人を抱えて、南京のプロパガンダ館でしかない〝虐殺記念館〟まで訪れている。そこに佐藤さんが撮影していた百人斬りの日本兵士の写真が勝手に掲示されていなかったか? 本書にも収録している、当時の毎日特派員たちが宿舎にした旅館の前で撮った写真が館内にあったことを伊藤氏は報告している。佐藤さんの写真だ。それ以外にもあの日本兵士二人の写真もあったのでは?

国会への請願でこういうのがある。
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第166回国会 請願の要旨
新件番号 2313 件名 中国南京大虐殺記念館の向井・野田両少尉の写真撤去に関する請願
要旨  東京日日新聞(今の毎日新聞)が昭和十二年十一~十二月に報じた向井敏明・野田毅両少尉の「百人斬(ぎ)り競争」は、全くの虚偽であるにかかわらず、昭和二十三年一月二十八日、南京軍事法廷において、両少尉は無実の罪を着せられ、銃殺された。
そして、いまだに、いわゆる南京虐殺事件の象徴として南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)に両少尉の写真が展示されている。昭和四十六年には、朝日新聞の記者により、朝日新聞紙上で「百人斬り競争」が連載され、その後、単行本として「中国の旅」が発行され、問題が蒸し返された。
これにより、両少尉の遺族は、多大な精神的苦痛を長期間にわたり被っており、マスメディアによる南京、抗日、虐殺、斬るなどの言葉に敏感になり、常に張り詰めた生活を強いられている。「一本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性に照らしても、本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について、同記事の内容を信じることはできないのであって、同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしい」とした東京高裁判決(平成十八年五月二十四日)を待つまでもなく、明らかな虚偽がもたらした長きにわたる精神的苦痛は、すぐさま取り払われなければならない。
 ついては、両少尉及び遺族の名誉回復を実現させ、遺族の人権を守るため、次の事項について実現を図られたい。

一、次の二点につき、政府及び外務省は対応すること。そのため、衆議院外務委員会、参議院外交防衛委員会における審議を開始すること。
 1 南京大虐殺記念館に展示されている向井・野田両少尉の写真を速やかに撤去させること。
 2 中国各地にある抗日記念館の展示内容を精査し、事実誤認を速やかに訂正させること


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こういう請願があったことを伊藤氏はご存じないのかもしれないが、南京の館を訪れてこう書いている。

「清六の人生を追っていた私は、南京への特派員派遣が新聞社での厳しい競争に勝ち抜き、努力を重ねた末につかんだ成果だったことを知っていた。一方で、報道統制の中で戦場の惨状を伝えなかった記者たちが、虐殺などを行った『加害者』の一員であるという事実は重い。日本軍が中国人に対して行った非道な行いを目の当たりにし、私は申し訳なさといたたまれなさを抱えたまま、記念館を後にした」

いかにも良心的な告白のように見えるが…。「報道統制」があったから…という責任転嫁の「ひと言」も忘れることなく記すあたりは姑息?
本当の良心があるなら、たぶん掲示されていたであろう(?)佐藤さん撮影の百人斬りをしたという日本兵の写真の前でも同様に「申し訳なさといたたまれなさを抱えた」りはしなかったのだろうか?

「身内」の虚報・捏造報道疑惑に関しては完全無視黙殺…。それはおかしくないか?

伊藤氏は、清六の書いた記事の中に日本軍を歓迎する中国民衆を描いたものがあることに関してこう書いている。

「実際に、中国国民が日本軍を歓迎したとは到底考えられず、美談に仕立てられた可能性もある。地域の代表が書面をもって日本軍を訪れたのが事実だとすれば、進軍してくると無用な争いを避けようとしたのだろう」

「到底考えられず」という筆致はいかがなものか。「ネバーセイ(ネバー)」になりかねない。当時、中国の政治も不安定で蒋介石や毛沢東が崇拝されていたわけでもない。外部勢力の日本の統治を歓迎する人も若干とはいえいたことだろう。

こういう筆致は「日本兵士が中国人女性を強姦するとは到底考えられず」ということにもなりかねない。

中国戦線に従軍したこともある政治学者の藤原弘達氏の自叙伝『弘達エッセンス』 (講談社文庫・全8冊)の中のどれかの巻で、「同僚」兵士たちが大陸戦線で中国人女性を強姦した体験などを喜々と語るシーンがあった。もちろんその同僚兵士たちが「吉田清治」的だったかもしれないが……。
ともあれ、日本兵士による「略奪も強姦も捕虜虐待もなかった」ということはあるまい。だが、それはどこの国の軍隊も愚かな一部の兵士たちが戦場でやることだ。それを制止するために各国の軍隊は「慰安婦施設」を作ったりもした。ソ連軍は戦場ではなく戦後になっても「現地調達」をモットーにして強姦しまくった軍隊という点でいささか野蛮すぎる軍隊だった。日本はそこまでひどくはなかっただろう。

ともあれ、毎日記者による毎日記者の報道を点検するという趣旨の本ならば、当然「百人斬り」報道に関してもこう綴るべきではなかったのか?

「だが、これは真実なのだろうか。そう疑いたくなるような状況を、戦後、当時従軍していた記者たちが証言として数多く残している」「記事はすべて検閲を通ったものだ。新聞は1909年制定の新聞紙法などで、報道内容によっては発売禁止や記事押さえの制限を受けていた」「制約の中、特派員たちは『皇軍勝利』を報じ、美談を探した」

「美談」とは戦意高揚につながる記事のことだ。当時の価値観にあって「百人斬り」報道はそれに最適なものだったのだろう。僕は「百人斬り」等々に関しては数冊の本を読んだ程度。当事者でもない。
数人斬ったのを針小棒大に百人と言ったのか、まったくのゼロをそう言ったのか等々含めて、本書でひと言程度触れても罰は当たるまい?

この問題は「ペンの自己規制」ではなく「ペンの自己拡大」の事例になるのでタブーとして触れたくないのかもしれないが、その恥部を暴くだけの知的勇気を持つべきではないのか?

だから、この本は画竜点睛を欠くというしかない。

『清六の戦争』はあちこち書評で好意的に書かれているみたいだけど、その点で「戦争報道」の本質を衝いた作品とは思えない。こういう本に「賞」を授与した団体関係者の目は「節穴」だったと言えよう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!




(無料メルマガ「古本虫がさまよう」もあり。より、つっこんだ内容掲載?)

「ボンド・ガール(ズ)」のような美人スパイ(時には美人局)も怖いけど、それよりもっと怖かったのが「コード・ガールズ(暗号解読女)」たちだった。「コード・ガールズ」に殺された山本五十六たち……



「ボンド・ガール(ズ)」のような美人スパイ(時には美人局)も怖いけど、それよりもっと怖かったのが「コード・ガールズ(暗号解読女)」たちだった。「コード・ガールズ」に殺された山本五十六たち……
(2021・8・2・月曜日)




8月になった!
「緊張の夏」「金鳥の夏」「敗戦の夏」「フフフのおもいでの夏」……。夏が来れば思い出す、さまざまな夏模様。「敗戦の夏」がらみでいえば、やはり戦争関連書。

先月は、藤田信雄氏の『わが米本土爆撃』 (毎日ワンズ)、ビッグコミックオリジナル特別編集の『戦争×漫画 1970-2020』 (小学館)、野口冨士男氏の『海軍日記 最下級兵の記録』(中公文庫)だ、半藤一利氏の『戦争というもの』(PHP研究所)や、江崎道朗氏の『緒方竹虎と日本のインテリジェンス 情報なき国家は敗北する』 (PHP新書)、波多野澄雄氏や庄司潤一郎氏や戸部良一氏や赤木完爾氏たちの『決定版大東亜戦争 上下』 (新潮新書)などを本欄で紹介してきた。ということでしばらく戦争関連の本を紹介していこう。

まずは、出たばかりのライザ・マンディの『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』 (みすず書房)。

(こんな内容)→日本軍の真珠湾攻撃が迫る1941年11月、アメリカ海軍から東部の名門女子大に宛てて「秘密の手紙」が送られはじめた。そこには、敵国の暗号解読に当たれる優秀な学生がほしいと記されていた――。
第二次世界大戦中、米陸・海軍に雇われ、日本やドイツなど枢軸国の暗号解読を担ったアメリカ人女性たちがいた。外国語や数学をはじめとする高等教育を受けた新卒者や元教師らが全米各地から首都ワシントンに集い、大戦末期には男性をしのぐ1万人以上の女性が解読作業に従事した。
その働きにより、日本の外交暗号(通称パープル)や陸軍の船舶輸送暗号が破られ、枢軸国側に壊滅的な打撃を与えた。ミッドウェー海戦での米軍の勝利、山本五十六連合艦隊司令長官の殺害作戦の陰にも彼女らがいた。一方、大西洋戦域においてはドイツのエニグマ暗号を解明してUボートの脅威を排除し、ノルマンディー上陸時の欺瞞作戦でも活躍した。こうした功績がきっかけとなり、それまで女性には閉ざされていた政府高官や大学教授など高いキャリアへの道が切り拓かれることになる。
戦後も守秘義務を守り、口を閉ざしてきた当事者らへのインタビュー、当時の手紙、機密解除された史料などをもとに、情報戦の一翼を担った女性たちに光をあて、ベストセラーとなったノンフィクション。口絵写真33点を収録。解説・小谷賢。


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暗号解読を裏方でやっていた女性…となるとすぐに思い出したのが、徳岡孝夫氏の『ドロシー 「くちなしの謎」 「真珠湾」を知っていた女』(文藝春秋)に出てくるドロシー・ウッドラフ・エドガーズという女性だ。

彼女はなんと1908年に軽井沢で生まれていて、お茶の水女高を卒業している(当然、日本語はペラペラ)。開戦前にはアメリカにいたが、米海軍情報部が日本語専門家を探していたこともありそこに勤務することになり、真珠湾奇襲前日には日本がハワイに並々ならぬ関心を寄せている電報を翻訳し……といった重要な局面にいたこともある「コード・ガール」だったのだ。

当然、みすずの本にも彼女のことが出てくるのかと思いきや…。索引には彼女の名前は見あたらず。本文を読んでいると、ドロシーはドロシーでも、ドロシー・ラメールというペンシルバニア育ちの女性が出てきた。数学が大好きな女性だったということで、暗号解読の仕事につくことになったという(ドロシー・エドガーズさんの記述を見落としていたらゴメンあそばせ?)。

そうか…。日独の「暗号解読」には、当然、日本語とドイツ語を読解する知識や能力が必要になるが、暗号解読をする上での技術的思考力として「数学」なども求められるわけだ。

「暗号解読にもっとも有用な能力のひとつが記憶力であるが、優れた記憶力をもつひとりの人間よりも唯一望ましいのは、優れた記憶力を持つ大勢の人間である。敵の通信を個々のシステムに分割すること、点在する偶然の一致に気づくこと、索引とファイルを整備すること、莫大な量の情報を管理すること、ノイズのなかから信号を拾うこと、といった暗号解読のプロセスにある個々のステップをふむことで、直観的な飛躍が可能になった。戦時中の暗号解読の先駆的な仕事を担っていたのはほとんどつねに女性であり、直観的な飛躍の多くもまた女性がなしとげたのである」

だから「コード・ガールズ」の多くは、1920年前後に生れて1940年前後には二十代だった卒業間際の女子大の学生(キリスト教信者で愛国心や純潔意識も強い生真面目な女性)や数学など理系の女性教師などが採用されることが多かった(当時のアメリカでは女性の大学進学率は4%程度で高学歴の女性は少なかったとのこと)。
その観点からすると、開戦前には30代になっていて既婚者でもあった日本生まれのドロシーは「ガール」というよりは「レディ」だったのかもしれない。また理系ガールではなかった。
彼女はお茶の水高女を出たあと、日本ではデザイナーとして活躍し、その関連で戦後はGHQの繊維課長として来日もしている。

ともあれ、両ドロシーのような若い女性たちが、裏方として暗号解読・翻訳作業に勤務していた実態を詳述したのが、この『コード・ガールズ』だ。

当時のアメリカとて「男尊女卑」社会。米海軍では妊娠はご法度で、万が一妊娠すると除隊となったそうな。そんなエピソードも出てくる。

ともあれ山本五十六長官機撃墜の背景にも彼女たち(コード・ガールズ)の貢献があった史実も綴られている。視察日程航路がすべて事前に知られて待ち伏せされていたも同然だから…。

第九章は「鉛筆を動かす女たちが日本の船を沈没させる」という章タイトルだ。本書の解説を書いている小谷賢氏もこの章について触れていたが、輸送船などの航路を暗号解読によって事前に察知し、その海域に潜水艦などを派遣して待ち伏せしていたのだ……。そういう攻撃パターンが続出しているのだ。稀に日本の輸送船が攻撃から免れることがあったが、それは攻撃する側の米艦船が足らずに動けなかったためだったという……。

そのため、日本側はアメリカ側の潜水艦があまりにも多いという印象を持つにいたったとのこと。しかし実態は、そうではなく、通信傍受解読によって日本の輸送船などが行き来するところにあらかじめ潜水艦などを進入させていたからこその「戦果」だったのだ。山本機撃墜と同じことだ。

やがて、彼女たち「コード・ガールズ」のなかには、日独のみならずソ連の暗号解読の仕事をする者も出てきた。戦時中からスタートしている。戦後も続けられた。いわゆる『ヴェノナ・プロジェクト』だ。そのヴェノナに従事した関係者の9割は女性だったという。結婚もしないで30年近く、ソ連暗号の解読に邁進した女性もいたという。

また戦後は職務を解かれて、さまざまな方向に進んでいった「コード・ガールズ」。
フェミニズム、女権拡張運動を展開した猛女もいれば、そうではない人もいた。
自分の暗号解読によって、日本の護送船団が沈没させられたことを子供に話すと、子供から「お母さん、ひどいじゃない! そんなに大勢の日本人水兵を殺しておいて、それを喜んでるなんて!」と言われて唖然とした人もいたという。当時は日米双方とも生きるか死ぬかの総力戦だったのだから、そんな甘チャンなことをいう子供はほっぺたを張り飛ばすべきかな? いや…そう思うのも無理はないか?

逆に日本人がこういう本を読んで、なんという不細工な戦争をしてしまったのだ、暗号が解読されているかもしれないという危惧は当時の日本側にもあったのに、まさか、そんなことはあるまいといった希望的観測で暗号データの更新などを怠ったからこそ余計な被害を被った事実を改めて認識し怒りを持つこともあっていいのかもしれない。こういう「過ち」を繰り返さないことが肝要だが…。そのあたりを政府関係者や政党政治家たちは自覚しているのやら?

「コード・ガールズ」たちは、ナチファシズムを倒し、精強な日本軍を打破し、容共リベラルのソ連スパイの暗躍もかなり打破した。
007に出てくる「ボンド・ガール(ズ)」はみな美貌な女性たちだが、一万人近くいたという「コード・ガールズ」たちも知性あふれる女性たちだったようだ。
中共帝国主義を打破するために、いまも「コード・ガールズ」の末裔たちが頑張っているのかな? もちろん中共の美人局(ハニートラップ要員)も暗躍していることだろう。日本の女性たち
は?

真夏の暑い昼下がり……。こういう本を読んでいると、時々寒けに襲われもする。
コロナ問題にせよ、なんにせよ、インテリジェンス関連で同じ過ちをしていないか。

蛇足になるが……。

「ヴェノナ」(ソ連スパイ)関連で参考になる翻訳書といえば……。

ジョン・アール・ヘインズ, ハーヴェイ・クレアの『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』 (扶桑社)は無論のこと、ルイス・フランシス・フランツの『顔のない男達 アメリカにおける共産主義者の陰謀』 (ジープ社)や、クレアの著書(共著)で『アメリカ共産党とコミンテルン―地下活動の記録』 (五月書房)も参考になる。

解説者の小谷賢氏がらみだと、彼の書いた『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』 (講談社選書メチエ)や、『イギリスの情報外交 インテリジェンスとは何か』 (PHP新書)などがある。小谷編の『世界のインテリジェンス』 (PHP研究所)なども。

そのほか『コード・ガールズ』で参考文献にもなっているデイヴィッド・カーンの『暗号戦争』 (ハヤカワ文庫)やエドウィン・レートンほかの『太平洋戦争暗号作戦 上下』(TBSブリタニカ)や、ウィリアム・スティーヴンスンの『暗号名イントレピッド 第二次世界大戦の陰の主役  上下』(ハヤカワ文庫)、原勝洋氏&北村新三氏の『暗号に敗れた日本 太平洋戦争の明暗を分けた米軍の暗号解読』(PHP研究所)などがある。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!




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